「日本ボーイスカウト初野営の地」石碑除幕式に立会って
雄松崎に馳せ参じた。
「日本ボーイスカウト初野営の地」石碑除幕式に参列するためである。
また、湖畔の緑なす松のあいだを吹きぬけるそよ風に、琵琶の湖(うみ)の彼方より昇る雄大な日の出に、営火に託した高らかな合唱に、天の川にみるロマンに、焦げた飯盒をさらえた興奮に血を躍らせたのである。
どのような感慨で除幕式に参列されたのであろうか。京都少年義勇軍(スカウト)精神を全人生で堅持された兵(つわもの・スカウト)に見えたのはわたしだけであったであろうか。
いや、一度スカウトの誓いをたてた者は、死して後もスカウトだという歌は現実なものになるものだと確信した。
わたしは京都少年義勇軍の老兵達に永遠のスカウトを見たのである。
ともに「日本ボーイスカウト初野営の地」に立ったわたしは、いま老兵たちより歳を重ねたが、スカウト精神の永遠なる魂が燃え続けていることに誇りと100周年の重さを感じている。
除幕式に立ち会った京都少年義勇軍の26の瞳は、つぎなる100年に向かって京都のスカウト(健児)たちが夢と情熱と歴史を引きついでくれることを願ったのである。
「日本ボーイスカウト初野営の地」の石碑除幕式という、その願いをこめられた瞬間に立ち会えたわたしは幸せであった。 弥栄(イヤサカ)
石碑除幕式のお世話と記念写真を撮った奉仕ローバー 後藤實久記
<京都第43団 同志社大学ローバー隊・ 副団委員長>
「石碑除幕式出席者記念写真」 (1961年6月撮影 於・琵琶湖畔雄松崎)
前列左より中野泰雄 〇 〇 八木清 〇 〇 堀憲・佐藤義雄
後列左より 〇 〇・「初野営の地石碑」 ・高田芳二・ 久留島秀三郎・山口秀次郎
<〇印の方々の氏名調査中です。コメント欄よりお名前をお寄せください。>
<余談>
当時「日本ボーイスカウト初野営の地」の所在は、滋賀県滋賀郡志賀町近江舞子雄松崎といった。奇しくも私たち家族が1991年に米国より帰国し、永住の地として居を構えたのが隣り村「滋賀県滋賀郡志賀町木戸」という同じ町内であった。因縁を感じる。
わが家より車で10分のところにある。
銘板裏の二字欠落の文字も補修せねばならない。 また日本全国のスカウト達に「日本ボーイスカウト初野営の地」において、先輩たちが経験した同じ情熱を味わってもらうため、石碑近くの小道に石碑を探しやすくするための案内板を設置しなくてはならないと思っている。
「日本ボーイスカウト初野営の地」石碑 (2015年6月撮影)
<表銘板縦書>
日本ボーイスカウト
初野営の地
三島通陽 印
<裏銘板縦書>
この白き浜辺緑濃き松の陰に1916年
故中野忠八氏がスカウトを連れ
現理事長 久留島秀三郎氏の
案内で初めて天幕を張られた
ここに我等は先覚者の途を辿り
今後の弥栄を祈りこの碑を建てる
1960年8月
総長 三島通陽 印
< れた 二字欠落>
「日本ボーイスカウト初野営の地」の石碑所在地
駅を出て南西へ約150mもどり
交差点(県道307)を左折、南南東へ約1km
湖畔の宿「白汀苑」をめざす
「初野営の地」石碑は道路を挟んでびわ湖畔
松林の中に位置する
(近くの公衆便所より北東30mに石碑あり)
「日本ボーイスカウト初野営の地」石碑除幕式に立会って
完