shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2015『星の巡礼 中央分水嶺 高島トレイル縦走6泊7日ぶらぶら老人日記』 ②

星の巡礼 中央分水嶺 高島トレイル縦走6泊7日ぶらぶら老人日記』 ②
―副題 A 《星の巡礼 インパール作戦撤退路 阿羅漢山脈白骨街道を歩く》ための
最終露営訓練-
―副題 B 《露営(野宿)のすすめー楽しみ方》

 
    イメージ 2

<簡易テント(ツエルト)の撤収の仕方(ルーティン)>

 

        ・  早朝4時半、目を覚まし撤収の作業が手順通りに始まる
          ・  まずマットの空気を抜くためバルブをあける、空気枕のエアーを抜く
          ・  寝袋カバー、寝袋、エアーマットを巻いて袋に収納し、シェルター外にだす
          ・  靴下・長短着替Tシャツを行動用に取替え、ジャケット、羽毛ジャケット上下を
             収納袋に入れる
       
          ・  ポーチ収納品の確認、ペットボトルや栄養ドリンクも外にだす
          ・  広くなったツエルト内で背のばし、真向法による足関節の軽体操をおこなう
          ・  スパッツ、登山靴を装着し簡易テント(ツエルト)の外にでる
          ・  テント下グランドシートと内敷シートを取り出す、簡易テントの支持ロープを解き、
               それぞれ畳んでリュックの底に収納する
          ・  衣服やエアーマット類をリュック中段に、ボトル類をサイドポケットに、行動食を
               バックポケットに収納
        
          ・  熊除けのため分離隔離していた食糧袋より朝食用菓子パンと昼食(チキンラーメン
               を取り出しバックポケットに収納、食糧袋本体はリュック最上部に収納する
       
       以上約1時間の撤収作業を終える、この時点で朝5時半である、まだヘッドランプが必要である
       山並みのシルエットが日の出前の空に映し出され、美しい、幻想的だ.
 
       朝の冷気がほほをひんやりと刺激する、葉っぱの露玉が全世界いや全宇宙を映しだし
       ている、 神秘的だ.
 
       出発前の柔軟体操をおこなう
 
       大地に膝まづき、一夜の幕営とあたたかい寝床に感謝をささげる
       
       6時出発の時間だ、ようやくあたりが明るくなり目印リボンを確認できる、ヘッドランプを
        バックポケットに収納し、地図で今日の行程と通過点、所要時間、高低差を確認する
 
        これから新たな9時間におよぶ縦走のはじまりだ 

3. 高島トレイルの縦走期間の設定と実際

 

           A.平均的縦走期間 : 45日 (1日平均距離 80km÷5日=16km  高島市観光課推奨)

 

           B.健脚者縦走期間 : 34日(                   80km÷4日=20km   ブログ上最速記録)

 

            C.シニア縦走期間 :  56日 (                  80km÷6日=13.3km          当初計画案)
 
             D.今回のんびりシニア縦走期間  67日 (1日平均距離 80km÷7日=11.42km)
 
 
 
 
   シニア年齢を考慮して当初 C.「56日 (1日平均距離 80km÷6日=13.3km)」としたが、
           実際に縦走してみて、予備日1泊をどうしても振替追加する結果となった。
        
          その理由としては先に述べたように「右足薬指の圧迫痛」の治療・回復のためである。
 
   結果として、シニアによる高島縦走としては最長の67日を要した。
 
 
<蛭(ヒル)対策>
 
比良山系にはその生息を認められない蛭(ヒル)が、京都北山や高島トレイルにはいる。
蛭によく襲われるわたしは、高島トレイルでの蛭対策として万全の準備で臨んだ。
 
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・ 「ヤマビルファイター」を縦走出発前に登山靴とスパッツにスプレーしておいた。
・ わたしの経験からして、蛭は湿った枯れ杉の葉に潜んでおり、登山靴とスパッツの
    隙間から体温のぬくもりを感じてもぐり込んでくる。 靴下の網目からでもまず少しの
  体を忍ばせ、ぬるっと体を入れ込み脚の血を吸い続けるのだ。
・ わずか3~5mmのヒルが血を吸って10倍の大きさにまで丸くふくれ上がる。
  一度食いつくと決してはなれない。
・ 無理をして離すと吸血口(牙)が体に残り、出血が止まらず流れ続けることになる。
  しかしタバコの火やライターの火やアルコールを近づけるとヒルは吸血口(牙)を残さず
  ポロッと離れてくれるのでありがたい。
・ ほか塩や木酢をかけるとナメクジのようにポロポロと落ちてくれる。<塩・ネット・タオル・
  オロナミン持参>

・ 脚のほかに頭上から落ちてくる蛭にも要注意だ。
   ・ 蛭の侵入をふせぐため、長ズボン又はタイツと長袖シャツを着用し、首にタオルを巻いた。

   ほか顔覆いのネットを持参した。
・ 縦走時期を10月中旬以降の寒い季節に設定するとよい。 繁殖期を避けるのも賢明である。
・ 痛みはほとんど感じない。噛まれたら傷口から毒素(ヒルジンー凝血をさまたげる毒素)
  を絞り出すのもよいようだ。
・ 傷口にオロナミンなどの抗ヒスタミンを塗っておくこと。


今回は、万全の準備と予防をしたためか蛭には一度も襲われなかった。
蛭に代り、前後の開いた簡易テント(ツエルト)であったためか虫に刺されまくった。
懐中電灯の光の下で活動していたのは逞しい蟻(アリ)たちであった。
下山後も体中の痒みに悲鳴をあげている。
対策としては重量を気にしないのであれば、虫たちを完全にシャットアウトしてくれる
網戸付テントをおすすめする。



4.さあ、高島トレイルに出かけよう
 
 中央分水嶺・高島トレイル縦走の準備が整った
 さあ、高島トレイルを歩いてみよう
 そして縦走の楽しみを味わおう
 
  高島トレイル縦走の歩き方にはいろいろなオプションがあるのがいい。
    一番素晴らしいのは、一日トレッキングを積み重ねながら縦走が味わえる、
    その高島市営バスの路線にある。
 
    過疎地を中央分水嶺によって観光資源に変えた。 いや世界有数のロング・トレイルとして
    必ず脚光を浴びる日がやってくるであろう。
 
たとえば、高島トレイル80kmのあいだに4カ所ほどの管理人が常駐する山小屋や
キャビン(とくに排便対策としてのトイレ増設としての重要性)を建て、ルート上に
半永久的なペンキや金属反射板による目印をつけること、
  定期的に見回り縦走しブッシュ刈りをおこない道迷いを防止する配慮や、安心できる
  水場の確保が必要となる。


       また、自然を守るための方策としては、入山規制 (年間縦走者数の割り出しや制限・
     トレイル 維持管理のための入域料の設定など)を考え、将来を見通して運営される
  べきであろう。
 
  ブナの原生林、霧による幻想的な山の風景、ブナや杉による奇抜なオブジェ、
  中央分水嶺からの日本海びわ湖の眺望、トレッキング縦走路前後の視覚的山並みの
  素晴らしさ、旧鯖街道と交差する古道としての古の峠や越え、
  野生動物たちの生活である同じ水場や泥風呂との出会い、無数の野鳥の鳴き声、
  懐中電灯の光りに集まる虫たち、
  
  切りたつ尾根での鹿との出会いとその空中横っ飛びの華麗さ、木々のやさしい語りかけ、
  一滴の水と命とのかかわりやペットボトル1本分のわが命の重み、われを見つめ
  自然と一体になる歓び、光り輝く若狭や湖東の燈火の命火、
  満天の星たちはトリンクるとリンクるの輝きおどり、それに合わせての虫たちの大合唱。
  
  わたしは高島トレイルの持つ神秘的な命の営みと、宇宙の讃美にひたることができた。
 
  またそれぞれの露営地での朝4時の目覚めに展開された星空には、頭上にオリオン座
  が鎮座し、その北東にカシオペア座北極星に対峙している。悠久の宇宙庭園は
  その星花を美しく咲かせわたしを誘ってくれている。
 
  そう、わたしは星の王子さまであることを思いだしていた。
 
  ぜひ露営による高島トレイル縦走を味わってほしい。
  そして星の王子さま。星の王女さまにもどって欲しいと思う。
 
 
  わたしが住んでいる旧志賀町大津市木戸)は高島市と隣接している。朽木は比良縦走
  の北の起点でもある。
  いつか比叡山にまでトレイルが延びる日がやってくるかもしれない。そのとき朽木は
  一大山岳基地に変貌しているかもしれないという期待がある。
 
  高島トレイルの基地としての朽木は、鯖街道である国道367号線の中心にあり、
  近年観光客も激増していると聞く。
  近畿圏の森林浴のオアシスとしての役目を果たそうとしているのである。
  
  道路も整備され、トンネルによる直線化がまた違った鯖街道の景色を引き立たせている。
  徒歩旅行・サイクリング・ツーリング・トレッキング・ドライビング・登山・フィッシング・
  スキーイング・スノボー・山岳スキー・沢登り・スポーツ合宿と多彩な顔をもった山麓基地
  として脚光を浴びている。
 
 
<高島トレイルと ビルマ羅漢山脈> 
 ビルマは現ミヤンマーである。ここでは慣れ親しんだビルマと呼びたい)
 
 
  忘れもしないちょうど5か月前、京都ボーイスカウト11団OB会の集いが京都城陽の
  青少年野外センターでおこなわれ、約20名の懐かしの老スカウト達が全国から馳せ参じた。
  
  長年あたためてきた「高島トレイル縦走計画」を山仲間である青木昭君にうちあけ、
  縦走経験豊かな先輩としての助言をお願いしたことがある。
  
  青木君の県境歩きは、高島トレイルが開通する前からの縦走経験者で、相談者としては
  最適任である。
  その時のアドバイスは、「とにかく80キロにわたるロングトレイル、何回かにわけて慎重に
  縦走して・・」とのことであった。
  
  「老人には無理だからやめときなさい」とは言われなかったことが、わたしに火をつけた。
  それからの数か月、明けても暮れても縦走計画に、情報収集に、携行食糧の工夫に、
  汚水の浄化方法、水での調理、欠かせないコーヒーの水での飲み方や、約一週間の
  原始(緊急非常)生活の仕方(パンツ1枚・Tシャツ1枚での過ごし方・排便時の枯葉の
  使い方・キノコや栃の実の食べ方・北極星の見つけ方・いざという時のオシッコの保管と
  飲み方・煙によるSOS連絡・ナイロンシート1枚での露営の仕方・ビニール袋での
  水の沸かし方など・・
  
  スカウト時代の記憶をたどり一から真剣にやり直した。
 
     「高島トレイル縦走」は、念願の「ビルマ・阿羅漢山脈越えーインパール作戦・白骨街道
    慰霊縦走」につながる 最終露営訓練である。
    現ミヤンマーとインド国境に横たわる阿羅漢(アラカン)山脈は3000m級の峻厳な
    山岳地帯として知られ
    ている。
    インド独立を掲げるチャンドラボース率いる自由インド軍とともに英国植民地
    インドに攻め込んだインパール作戦に立ちはだかったのがこの阿羅漢山脈である。
    攻略地インパールに近づいたにもかかわらず食糧の補給もままならず撤退を余儀なく
    された将兵は飲まず食わずの敗走、雨季とあいまって赤痢マラリアに全滅、
   その腐乱した死体が約80キロにわたったと伝えられている。
 
    このインパール作戦撤退路を「白骨街道」と呼ぶ。
 
     その厳しい白骨街道の一部でもいい、英霊を慰めるために歩きたいという強い願いを
     かなえるために
     ここ「高島トレイル」で縦走露営経験の総仕上げをおこなっている。
     
     可能な限り、英霊と同じ精神的・肉体的苦痛をともなう状況に近づきたいと願っての縦走
     である。
     
     真剣にならざるを得ない。
 
 
 

インパール作戦撤退路・白骨街道を歩いて英霊を慰めたい>
 
 
    それは13年前、2003年12月にインド・カルカッタ(現コルコタ)からダージリン経由、
       汽車でインド東方の終点・ディマプールにむかい、インパールを訪ねたことがある。
 
     当時、ビルマ(現ミヤンマー)は軍事政権下にあり鎖国状態であった。
     ビルマに入るには団体によるツアー観光に限られ、個人旅行での入国は禁止されていた。
 
     さらにインド国境からの陸路でのビルマ入国は閉鎖されていた。
 
     このような状況下でインパール南方40キロ地点(日本・インド自由軍がもっとも
     インパールに接近した地点)に出向き、慰霊をしている。
 
     今回はビルマ側からインパールに到達し、南下しながら白骨街道を歩きビルマにもどる
     計画である。
 
     当地の様子がいまひとつわからない。
     外国人でもビルマ・インド国境を越えられるのか
     現地の国境越えの交通手段はあるのか
     阿羅漢山脈の地図は入手可能か
     ガイドは依頼できるのかなど
 
     現地に滞在して情報を収集することになりそうである。
 
 
インパール作戦精神論とラクビ―における逆転勝利劇にたいする考察>
 
     高島トレイル縦走準備中に最もインパクトを与えられたのは、2015イングランドラクビ―
    における 919日深夜に行われた「日本 対 南アフリカ」 の対戦において、時間切れ後
    のプレーで34:32で逆転したことである。
 
         精神の極端な昂揚と肉体の究極の鍛錬、戦術の組立て、相手の研究など日本人に
    欠けていたメンタルと とフィジカル・トレイニングの転換により合理的に勝利を得られる
    ことを日本人であるわれわれに教えてくれたことに興奮した。
 
     その点、インパール作戦の精神論だけの突撃や兵糧・兵站思想の欠如による自滅作戦
     の現場に出かけるわたしに対しておおくの示唆を与えてくれた。


 <縦走前半-高島トレイル縦走デポ地点までを歩く>      
    
             国境スキー場 を登山届を提出し、5:45amにスタートした。
     体力にあった行程の割り出し(山でのペース配分)こそ生死の要である。
 
                    高島トレイル全行程80km縦走の当局による推奨日数は、45日である。
    わたしは高齢者、老人(シニア)である。
   
    わたしの体力に合わせた縦走日数では計画時、机上では56日であり、
    最終日はゆとりをもって下山することになっていた。
 
                   なんと34日で縦走した人たちもいるわけだから、最終的に、わたしはその倍の
      6泊7日数を要したわけである。
 
      驚きだ。
 
                  故に、縦走しながらの日数修正を余儀なくされた。
     延泊の理由は、1日の行動時間内には目的地である露営地に着けないという現実、
     それも朝6時に歩きだし午後3時に露営地に到着するという9時間の活動範囲にも
     かかわらず、約1日約2時間の時間不足を招いた。
 
               縦走中、予想外の左足指の痛みが加わった。
     リュックの全重量がかかる足指、とくに第四趾-薬指に第三趾(中指)と第五趾(小指)を
     圧迫して鬱血し、歩くたびに飛びあがるほどの激痛が走る。
 
                  3泊目の水坂峠で治療にあたることとした。
     不思議だが夜、登山靴を脱いで翌朝目覚めると治っているのだが、半日も歩くと同じこと
     が繰り返されるのである。
      たぶん一時的に回復するのは血行が良くなるからであろう。
             
     治療としては、第四趾(薬指)にまずバンドエイドをきつく巻き、その上をマスキンテープ
     で固定した。
     この状態で4日目は昼近くまで足指を休め食糧や飲料水をデポしている桜峠までゆっくり歩いて
     みた。
 
               なんとか後半の縦走に自信がもてたので、思い切ってもう少し足を休めることにして
       桜峠で早めの4日目の露営(野宿)を決断した。

 

     携行品全重量15.0kgのうち食糧と水で約4割(6.08kg)を占める。
     ずっしりと重い。
     背負っての縦走はシニアには無理である。
          行程を前後にわけ食糧・飲料水を2分割(各3.04kg)しデポ方式を採用した。
          デポ地点は4日目露営予定の桜峠とした。

 

     縦走者との出会いなく、山の懐に抱かれての快適な縦走を楽しんだ。
   ただ足指痛みに一抹の不安は残った。

 

   <道迷い地点① ― 大御影山・反射板付近>
   
   不安といえば大御影山から大日尾根までの2.4kmのルート上に目印テープがなかった
   ことである。
   尾根歩きだから1本道で迷うことはないのだが、それ以前のコースでの目印テープに
   慣れた目には不安感がにじむ。

 

   この日は到達時間の15時にちかく、目印テープが見つからない。
   テープを求めて15分ほど歩いてみたが相変わらず見つけられない。
   引き返して大御影山近くの電波反射板のよこにツエルトを張って、闇のなかでの
   道迷いを避けるため露営することに決めた。

 

   翌日、目印リボンがなくともこれ以外に道なしとの確信のもと迷うことなく出発した。
   不思議なものだ、このあいだだけ目印がなかったことがいまでも信じられない。
   ほかに道があったのだろうか。
 
   
   <道迷い地点② ― 武奈ケ嶽山頂出口付近>
  
   もう1カ所は、武奈ケ嶽山頂出口付近にも注意をようする。ここも標識や目印リボンが
   失われ、下山口が不明瞭である。
   山頂からまっすぐ黄色の目印リボン(高島トレイルのリボンと錯覚)に従い、すすむと
   眼下に国道303号線が走っており、
   遠くの小浜あたりの景色が目に入ってくる。このまぎわらし黄色リボンが消えてなく
   なっているので戻ってみると、なんと武奈山頂をでてすぐ左へと下山するもう一本の
   獣道らしき道があるではないか。

 

   地図で確認すると、たしかに武奈山頂より南東に下る尾根がある。
   これからはあまり目印リボンに頼らず歩くことに心がけることにした。
   地図こそ頼れる案内人であることを再確認させられた。
     しかし目印リボンの安心感はどこから来るのであろうか。
   でも恐ろしいことに、つけられた目印リボンの導くところは、リボンを残置した
    グループだけの行先(目的地)であるということだ、心したい。
 
 

 

 <縦走後半 ― 高島トレイル縦走の後半をかえりみたい>
 
            縦走中間である3・4泊目(水坂峠・桜峠)にて痛んだ足指を回復させ、後半の食糧・
    水をデポ地点(桜峠)で回収し、後半縦走に備えた。
 
  簡易テント(ツエルト)は廃道のアスファルト道の空地に張った。
  アスファルトの温もりが安眠をさそう。文明に通じる道のそばにいるのだ。
 
  というだけで何とも言えない安心感が体中にみなぎる。山をこよなく愛するものもやはり
  野生動物にはなりえない
  ということである。野生の動物たちへの畏敬の念がわく。
 
            武奈ヶ嶽より水坂峠の下りはなかなか難儀であった。 水坂峠とほぼ同じ標高を何度も
    アップダウンを繰り返し、はたしなくつづくのだから、旧国道の水坂峠に出会ったときは
    歓声をあげたほどである。
 
             その苦難があってか水坂峠を流れる水の美味しかったこと、顔や手を洗い腹いっぱい
    水で満たした。
  これは縦走者しか味わえない喜びであろう。水の大切さを味わう縦走でもある。
 
            1Lのペットボトルを満たすため、岩からにじむ水滴を集めるのに30分近くもかかることも
    あるのだから命をまもる貴重な水である。
 
  4日目は水坂峠を出発し、二の谷山を越え、桜峠まで軽く歩いて足指の回復状況みた。
  二の谷山登山口からは、直登に近い上りになり、リュックがきしみ、登山靴がすべり、
  老体に負担がかかる難所のひとつだった。
 
  行程4.6kmを4時間半かけて二の谷山越えをした。 まだ少し痛みが残っていたが、
  後半縦走への自信をえた。
 
       5日目は桜峠から霧深い出発となった。搦谷越あたりの雑木林より標識「行者山入口」
    から入山する。 横谷峠へ下りていくと林道に出る。
    
  水場があると地図にある。林道を右へ約200mほど行くと、排水路が道を横切り、
  わずかな水が流れていたが
  ペットボトルを満たすには時間がかかりすぎるので水補給を断念した。
  もちろん、縦走路最終水補給地である木地山峠までの携帯水を確認しての決定である。
 
            5日目は目的地である木地山峠までいけず、与助谷山(池河内越)を過ぎたブナ林の
     なかで夢の世界に入った。
 
             強風にツエルトは揺れ、風を切る音がつづいた。夜半は星空に恵まれたが朝方小雨
        に見まわれ、さわやかな朝は濃霧の中にあった。
 
        幻想的である。
       
        ツエルトを風から守ってくれたコブつきブナのオブジェに親しみをもちさりがたかった。
        もちろん共に写真におさまった。
 
              6日目は濃霧の中での出発準備である。水補給の最終地・木地山峠にリュックを
        デポし、ペットボトルや水嚢をもってびわ湖寄り(東の谷)へ150mほど下りていくと
        谷川の流れにであう。
        十分な水量に恵まれ、底をつき欠けていた容器を満杯にした。
        この水補給で高島トレイル最終到着地点である桑原橋まで縦走できる保証をえた。
 
               そうだ、トレイル縦走完全踏破の保証をえたことになる。 最終日までの2日間,大切に
        使わせてもらった。
 
 

        <食糧計画>
 
                  当初計画である56日の食糧と1日分の非常用食料、飲み水を中心として携行品の
     選択に入った。
     この高島トレイル縦走成功の要は食糧と水にかかっていると思う。  
     若く体力があればガスバーナーと食器を持参してあたたかい食事をとりたかったが、
     なんといっても携行全重量を10kgに抑えないと縦走成功はおぼつかない。
     そこで思い切った食糧計画を立てた。  
     ガスバーナーを使わない、食器を使わない食糧とした。
 
   主食(夕食)
     
     チャック付ナイロン仕訳袋(水漏れを防ぐため二重袋とする)に日清のインスタント飯・
     バターチキン風カレーメシ・リゾットトムヤムクンチキンラーメンリゾットほかに
     細かく砕いたチキンラーメンと乾燥野菜を加えて、約700Kcalに調整して夕食1食分と
     した。
 
     夕食時は露営地到着と同時に袋に水を入れておき、設営完了の1時間後に出来
   上がっている。
 
   昼食
 
      昼食は、全食チキンラーメン、プラス乾燥野菜(平均約400Kcal)を同じく二重仕訳袋に
      入れた。
 
      調理の仕方はいたって簡単である、昼食時は30分前に袋に水を注入し、
      チャックを確認の上、リュックのポケットにしまっておくだけで出来上がる。
     
   朝食
 
      朝食は水と時間節約のため全食を菓子パンにした。
      高カロリーのデニシュや揚げパン(平均550Kcal)を携行した。
     
  
    
   どちらも冷たく味気ないが、ありがたい在り難い天からの恵みであり、行動の源である。
   感謝の祈りを捧げたあと口にした。
      
   阿羅漢山脈での白骨街道で糧食つき倒れていった英霊の事を思いつつの食事は辛かった。
   かれらにおすそわけを供えた。
   
   なにが故の作戦であり、なにが故に山野に散らねばならなかったのか。彼らの犠牲の上に
   われらが生きている、生かされていることを、けっして忘れることはできない。
      
   この国はそのような指導者のもとで戦い、無慈悲な結末をひとり一人に求めたことを
   けっして忘れてはならない。
 
 
 
  <飲料水関係>   

     飲料水は生命線だ。
     しかしこれが重い。1Lペットボトルはもちろん1000gある。
 
     常時携行の水は、1Lペットボトル2本である。
     1本は行動時の水・2本目は浄水器をかねた重量調整及び追加水用である。
     ほかに緊急非常時用ビニール厚手水嚢(2L袋に0.5L常時携行)を用意した。
 
     飲料水合計重量だけで2.5L、すなわち2500g(2.5kg)である。
     
     わたしは水汲み場の位置関係や水場の正確な情報をできるかぎり詳細にネットで調べた。
  
     自分の命は自分でしか守れないからである。水はわたしの命を左右する最右翼である。
     おかげで最後まで水の補給には苦労しなかったし、重量調整用ペットボトルが空のときが
     多かった。
     すなわち携行重量の1kg減量に成功していたことになる。
     1kgがどんなに重いか(全重量の10%)、肩にかかる負担が1kg減るのだから月面を歩いて
     いる心地である。
 
 
 
星の巡礼 中央分水嶺 高島トレイル縦走6泊7日ぶらぶら老人日記』 ③ 
に続く
 
 
 
 
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