shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

インパール作戦・白骨街道慰霊に出かけたもう一人の巡礼者Ⅱ

 《インパール作戦・白骨街道慰霊に出かけたもう一人の巡礼者・高原竜介氏》 Ⅱ


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                 タム 托鉢修行僧の少年僧

<高原氏より来信>                                              2016/1/3 21:26

こんにちは、初めまして。
突然のメール失礼いたします。
私は東京に在住の男性で高原と申します。

実は、3月の下旬ごろから1週間ほど、白骨街道を訪問したいと思っていました。
しかし、私個人の情報収集ではなかなか限界があり、そもそもどこに行けば「白骨街道」なのか

さえよく分からない状態でした。
(
漠然とカレーミョからタムーの間辺りと思っていました)
ネットに出てくる幾多の情報を見ながら調べているうちに、後藤様のブログに行き当たりました。

本当に、本当に驚きました。
まず、この白骨街道に行こうとされている方がいるということ、さらに、なんと、全部徒歩で踏破

ですか!!
その熱意にただただびっくりしましたのと、同じように考えてらっしゃる方がいて嬉しいのと、
とにかくいろんな気持ちが入り混じって、メールさせていただいた次第です。

私も、当時のように何十キロもの荷物を背負っては無理ですが、それでも、
チンドウィン河を渡河して、アラカン山系を徒歩で歩いてみたいです。
時期も作戦開始の3月にあわせて少しでも当時の過酷さを知りたく・・・。
しかしながら、残念ながら出国から帰国まで1週間ほどしか取れないため、徒歩で踏破は不可能

そうです。
なので、せめて白骨街道でささやかな慰霊と、周辺の軍司令部跡(まだ残ってるのかな?)など行こうと考えています。

ところで、後藤様は今回の1ヶ月近い踏破は、全て個人で手配して個人でされるのでしょうか。
マンダレーから入って船とバスを乗り継いでインタンジーまで行かれてそこから踏破開始でしょうか。
(
それにしても本当に素晴らしい地図です!!差し支えなければ私も印刷して使わせていただいて

よろしいでしょうか・・・・)
カレーミョからタイゲン、ここでアラカン山系を越えると思われますが、山道みたいのはあるので

しょうか。

私も後藤様のブログを読み、郷土米かそれに類するものをご供養で持って行きたいと思いました。

白骨街道沿いの村で当時のお話が聞けたり、詳しいガイドが必要かなと、
とにかく手探り状態でいたところ、非常に有用な情報と地図がすごく助けになりました。

出発間際のお忙しい時期に、不躾なメールと質問、誠に申し訳ございません。
そして図々しいのを重々承知していますが、なにか訪問するに当たってのアドバイスなど
いただけましたら非常に嬉しいです。
帰国後お時間ができたときでもちろん構いません。

慰霊の旅、どうぞお気をつけて行かれて下さい。
失礼いたしました、ありがとうございます。


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<後藤より返信>                                                 2016/1/6 19:55


 メール嬉しく拝見しました。
白骨街道に持参する日本の清水「比良山系の聖水・天命水」を採水するためここ数日、
比良山系に入っておりました。


「白骨街道」とは、 インパールに迫った各師団が撤退したルート全部が白骨街道と云えると
思います。


その中でも、おっしゃるように特に阿羅漢(アラカン)山脈を縦走している
「タム⇒カレーミョウ間のカバウ渓谷を白骨街道」だとする説が多いようです。


戦記によると、インパール南道での英印軍の防禦線を日本軍は突破できずに撤退
させられた。 この地点より日本軍の撤退路に白骨街道が伸びていったといえます。


今回、インパール南道のビルマ側のチッカ村⇒シンゲル村⇒トンザン⇒テディム村
タイゲン村⇒カレーミョも下ってみようと思います。


この間は自動車の通れる5mほどの道路があるようです。


計画されているチンドウイン川の渡河、アラカン山脈を歩くことは正しい選択だと思います。 
わたしは阿羅漢山脈をスケッチをし、日本軍兵站の主力補給路となったバガンマンダレー
 モンユウ⇒カレーワ間をフェリーやジェットボートに乗船する予定です。


帰国後、ブログにまとめてみようと思います。
なにぶん、74歳という高齢なためどのような予定変更が待ち受けているか分かりませんが
現地を歩いてその無謀な作戦に散って行った兵士の苦痛と日本の指揮官の神がかった
精神の押しつけを少しでも知りえたらと思っています。


高原さんの旅日記を楽しみにしております。 お気をつけて。
お互い気を引き締め、精神を集中し、英霊の声に耳を傾けてきましょう。


参考までに、「星の巡礼インパール作戦撤退路・白骨街道慰霊行程表」を添付しておきます。



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 <高原氏より来信>                                                 2016/1/10  10:23


 
こんにちは、高原です。
お忙しいときにご丁寧なご返信ありがとうございました!!
一字一句食い入るように読ませていただきました。
お礼の返信が遅くなってしまい申しわけございません。


後藤様が踏破されようとしているルートなど私もものすごく参考になりました。
この慰霊の旅に備えて山に入ってトレーニングされたり、今回も聖水・天命水をくみに
また山に入られたり、、、
この旅への熱い思い入れがひしひしと伝わってきます。


途中、テントで寝泊りしながら行かれるのでしょうか?
となればテントやその他の荷物も背負って・・・?
とてもじゃないけど私にはそこまでできそうにないです、、、


本当に本当にただただ驚くと同時に、そのような方とこうしてメールではありますが
やり取りができましたこと、心より嬉しく思います。


私もなんとしてでも俄然、ほんの少しでも構いません、自分の足で行けるところまで行ってみたい
いう思いをさらに強くしました。


添付してくださった行程表もすごく参考になります、ありがとうございました!
こちらこそ、まだ私が行く予定は3月下旬ですので、後藤様の帰国後のブログ、
楽しみにしております。


具体的にどこをどう行ったら日本軍の渡河地点なのか、どの道がアラカンの入り口なのか、
山の様子は・・・・・
実際に行かれた後藤様の感想や行程など知りたいことがたくさんあります。


差し支えなければ帰国後またご教示くだされば幸いです。


 「日本の指揮官の神ががった精神の押しつけ」
これですね、、、、うまく私の中で言葉にすることができませんでしたが、
まさにこれを私も知りたいと思います。


明日ご出発ですね。
1ヶ月ほどの長期滞在ですし、普通の観光じゃないですし、
経験豊富な後藤様にこんなことを申し上げるのははばかられますが、
どうぞ無理をなさらず、怪我なく無事に帰国されることを祈っています。


そして、ぜひとも目標が達成されて慰霊が成し遂げられればとこちらも切に願っています。


前日のお忙しいときの返信になってしまいました、申しわけございません。
お気をつけて行ってらっしゃいませ!!
ありがとうございました。


 

<高原氏より来信>                                               2016/2/10 10:51


 こんにちは。
以前メールさせていただきました高原です。
本日ミャンマーからご帰国のご予定だと思います、
怪我や病気無く、無事に旅を終え、目的を達せられたことをお祈りいたします。


私も3月下旬に出発することになりました、が、いかんせん1週間ほどしか留まれないため、
いろいろと見て廻ることは不可能です。


今回の旅の模様などブログなどでアップしてくだされば、ぜひ参考にさせていただきたく思います!


特にティディム道のほうはおそらく許可証?が必要になりそうですので・・・。
白骨街道を歩いてみて、少しでも当時の兵士の苦悩や苦痛を分かち合うことができました
でしょうか。


まずは長旅のお疲れを充分癒してください。
過酷な旅だったと想像いたします。


本当に本当にお疲れ様でした。
旅行記心待ちにしています。
失礼いたします。


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<後藤より返信>                                                2016/2/13   12:12


 
無事帰ってまいりました。
インパール作戦が開始された2月末が近づき、70年という節目の今年は
多くの遺族、関係者がカレーミョウを中心に慰霊祭をもたれると聞いております。
それに合わせて最近の現地情報をお伝えできればと、いそぎ今回の旅行の
報告をダイジェスト的に書かせてもらいました。


すこしでもお役にたてばうれしく思います。 是非ブログ「SANEHISAGOTO」 を
見てください。


準備にお忙しいことと思います。 お体を大切に、楽しいご旅行をなさって下さい。
なにかご質問があればおたずね下さい。


 
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 <高原氏より来信>                                                 2016/2/14 12:09


 こんばんは。
お疲れのところご丁寧なメールありがとうございました。
まずは無事ご帰国されて何よりです。本当に良かったです。


 ブログ、早速拝見させていただきました。
一字一句を食い入るように詠ませていただき、その情報量にただただ圧倒され、
そして目的をほぼ達成されたその行動力に感服するばかりです。


懸案であった入域許可の有無や、交通手段、泊まられたホテルまで、もう全てを参考にさせて
いただきたく思います。


最初はガイドを雇って、、とか思いましたが、そもそもインパール作戦や白骨街道に関して詳しい
ガイドもいる可能性は低く、どーしようかと悩んでおりましたが、後藤様のブログを参考にさせて
いただき何とか独力でいけそうです。


後藤様が描かれました行程マップ、以前もお話しましたが本当に素晴らしく、
インパール関係の本を読んだり何か調べたりする際は必ず手元に置いて参考にさせていただい
ています。


感謝でいっぱいです。


質問があれば、、、とおっしゃっていただきましたが、質問したいことだらけでなにからお伺いしたら良いか分からない状況です。
ご迷惑がかかってしまいますので、もう少し情報を整理して、本当に申し訳ありませんが、
幾つかうかがうことができましたら嬉しいです。


よろしくお願いいたします。


またお時間のあるときに今回のミャンマー旅行記を書かれるということですので、
こちらも楽しみにしております。


また、私へのお心遣いも重ねて感謝いたします。
日程と往復の航空券を買っただけで具体的な旅程はこれからいろいろ考えたいと思っています。


 一部ハードな旅程だったようですがお体のほうは大丈夫でしょうか。
旅の疲れが完全に癒えるまでどうぞ無理をなさらずに。


では失礼いたします。


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 <高原氏より来信>                                                 2016/2/29 14:57


 こんにちは、高原です。
そろそろ本格的にスケジューリングしなくてはと思い、いろいろ考えておりますが
どう見ても4日ほどしか時間が取れないので悩んでいます。


後藤様のブログ、拝見させておりますが、タムーやカレーミョの市街地の地図、
これが素晴らしくてすごく参考になります!


特に滞在時間があまりない私にはバスの時間なども本当に参考になることばかりでまさに
宝の地図、です。
重な貴重な情報、心より感謝いたします。


そこで、ぜひお伺いしたいことがあるのですが。


時間の都合上、どうしてもタムーかティディム、どちらかの街に1泊して戻ってくると思います。
後藤様は、トンザンに行かれる際、ティディムで下車、あるいは宿泊などされましたでしょうか。
ティディムに遺骨や遺品を保管しているという情報があるのですが、
そういったものはどこかの村などで見ることはできましたか。


ティディム道の道中に英印軍の戦車の残骸などありましたでしょうか(ケネディピークとか?)
タムの街は地図で見る限りそれほど大きくもなさそうですが、1泊すれば充分な感じでしたか。
タムに行かれる際バスが走る道、これがそのまま白骨街道という認識でよろしいでしょうか。


途中の村などに立ち寄りたいですけどバスは一日1本ですし難しそうですよね。
(私もどちらかでささやかな慰霊をしたいです)


もしカレーミョにタクシーなど走っていたら交渉して途中の村など立ち寄ってもらえるか聞いてみるつもりです。


後藤様の感想としまして、もし一つだけ訪問(1泊)するなら、ティディム、トンザン、タムー、
どちらがお薦めでしょうか。


取り止めも無く不躾にいろいろ尋ねてしまい申し訳ございません。


旅行会社にガイドやら車のチャーターを頼むとこれはこれはもう恐ろしい金額になってしまって・・・・・。


あ、ブログに遺骨再調査のメッセージ書かせていただいたのは私でした!
日本政府は、、外国のみならず、日本国内にある遺骨だってまだまだ放置している、、
何をしてるんでしょうか。「尊い犠牲の上に今の平和な日本が云々」言う前にきちんと遺骨の
調査発掘をするべきです。


 どうぞよろしくお願いいたします。 失礼いたします。


 


 高原さま                                                       2016/2/29   21:43


わたしの感想を言わせていただきます。


□時間の都合上、どうしてもタムーかティディム、どちらかの街に1泊して戻ってくると思います。


■私の場合、ティディムには立ち寄らずトンザンに直行しました。トンザンは小さい村ですが、
トンザン=ヤザジョウ道での露営・慰霊を計画していたのでトンザンに滞在した次第です。
ティディムは大きな村落です。 高原さんにはできたらティディムを訪問し、帰国後見聞をお話しいただけたら嬉しく思います。

 
□後藤様は、トンザンに行かれる際、ティディムで下車、あるいは宿泊などされましたでしょうか。
ティディムに遺骨や遺品を保管しているという情報があるのですが、
そういったものはどこかの村などで見ることはできましたか。


■現地の人に数年前に遺骨とか、壊れた機関銃とかを見たということを聞きましたが、わたし自身直接には見たことはありません。
逆にトンザン道では道横の薮に入って人骨を探したり、墓地の墓標に日本人名を探したりしましたが、何ものも見つけることは出来ませんでした。


 
□ティディム道の道中に英印軍の戦車の残骸などありましたでしょうか(ケネディピークとか?)


■いまも戦車の残骸が残っているとの話は聞きましたが、ケネデイ・ピークあたりは歩く機会がなくミニバスでの通過となりました


 
□タムの街は地図で見る限りそれほど大きくもなさそうですが、1泊すれば充分な感じでしたか。


■充分かどうかはわかりませんが、橋のある外国人が通れる国境検問所とNAPALON村にある検問所を見るだけでも十分だと思います。


 
□タムに行かれる際バスが走る道、これがそのまま白骨街道という認識でよろしいでしょうか。


■今回の訪問で、白骨街道という概念がすこし変わりました。 訪問前はアラカン山脈の撤退路が白骨街道であり、そのなかでもインパール南道が主なる白骨街道と思っていましたが、インパール作戦に失敗し、撤退するタイ国境までのすべての撤退路が白骨街道であったということを知りました。
強いて言えば今回訪問したトンザン=カレーミョウ道、パレル=タム=カレワ道といえるでしょう。


 
□途中の村などに立ち寄りたいですけどバスは一日1本ですし難しそうですよね。
(私もどちらかでささやかな慰霊をしたいです)


■タム=カレイーミョウ間は約150kmなので、バイクタクシーで区間移動する方法もあると思います。ただ交渉次第ですが高い料金となることは確かです。
わたしのタムでの慰霊は、国境の橋とゲストハウス前の老菩提樹の前で行いました。参考までに。


 
□もしカレーミョにタクシーなど走っていたら交渉して途中の村など立ち寄ってもらえるか聞いてみるつもりです。
後藤様の感想としまして、もし一つだけ訪問(1泊)するなら、ティディム、トンザン、タムー、
どちらがお薦めでしょうか。


■体の調子次第です。 調子がいい時はディティム・トンザン道方面をすすめます(ただし超酷悪路です)。 調子が良くない時は舗装路のタム道をすすめます。


 
□取り止めも無く不躾にいろいろ尋ねてしまい申し訳ございません。
旅行会社にガイドやら車のチャーターを頼むとこれはこれはもう恐ろしい金額になってしまって・・・・・。
あ、ブログに遺骨再調査のメッセージ書かせていただいたのは私でした!
日本政府は、、外国のみならず、日本国内にある遺骨だってまだまだ放置している、、
何をしてるんでしょうか。「尊い犠牲の上に今の平和な日本が云々」言う前にきちんと遺骨の
調査発掘をするべきです。


■遺骨収集が難しくなってきているのが実情です。 遺骨収集の情報が現地に流れれば遺骨が取引の道具となり、値が吊り上ったり、遺骨を隠して高値になるのを待つといった状況にあるようです。


参考になればうれしく思います。 


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<高原氏より来信>                                                2016/3/1  19:02


 
こんばんは。
貴重なお時間を、ご丁寧にご回答くださいまして本当にありがとうございます。
心より感謝いたします。


後藤様の所感を拝読させていただきまして、私としてもタムーよりティディムのほうを
訪問したい気持ちが強くなりました。


しかし、朝早くカレーミョを出たとしても、おそらく到着は14時くらい?
もし後藤様のときのように出発が遅くなれば15時、16時・・・。


で、翌日はまた朝早く(かな?)カレーミョに戻ることになればほとんど滞在時間が無く、
かといって翌一日ティディムに留まっても、、、と思い、そのままトンザンまで移動しようと思いましたが、そうすると戻りもまた一日遅くなりその後のスケジュールに合わなくて、という状態です。


もうすこし検討いたします。


 カレーミョからタムーも当然途中の村などに寄らずに直行されたんですよね?
(バスだから直行せざるを得ないと思いますが)
途中の村に立ち寄るには以前申し上げたように車をチャーターしなければいけませんが、
200ドル以上ですね・・。それでも、しっかりご遺骨や戦跡が見られるのであれば
それも手かな、と考えております。


 貴重なお写真も本当にありがとうございます。


いやぁ、、、予想以上の悪路ですね!さすがにこれはマスクと酔い止めが必要みたいです・・・。
ティディムの街は途中休憩(給油?)のため立ち止まったのでしょうか。
ティディムのZOMIという民族の方たちが、遺骨や兵士の持ち物(飯ごうとか)の収集をしていてくれて、
それを保管しているところがあるということなので、立ち寄れたら見に行きたいです。


インパール作戦の膨大な戦闘範囲、想像以上の白骨街道の長さに、いまさらながらただただ驚かされるばかりです。
ちなみに、、カレワでのチンドウィン河は、渡し舟で実際に渡られましたか。
すがに、ここが日本軍の渡河地点!までは分からないですよね・・・?
でも確実にカレワも渡河地点の一つであったことは間違いないですよね。


できることでしたらお礼がてら、後藤様にお会いしてご迷惑でなければいろいろお話をうかがい
たいところです。
志賀の里、という文字をブログでよく拝見しますが、長野県にお住まいでしょうか。


本当にご親切にありがとうございます! ブログの更新、楽しみにしております。


 
 
インパール作戦・白骨街道慰霊に出かけたもう一人の巡礼者・高原竜介氏》 Ⅲ
 にづづく