2003 『星の巡礼・カミーノ・デ・サンチャゴ自転車巡礼800kmの旅日記』Ⅰ
《カミーノ・デ・サンチャゴ 自転車巡礼のすすめ》 Ⅰ
2003年夏、職場(大学)の夏季休暇を利用して念願のスペイン北部、東西にのびる
<カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路800km>を自転車(マウンテンバイク)で走破した。
自転車巡礼は野宿と舎営(巡礼宿)を交えて、猛暑の山岳地帯の峠をいくつも越えるという
過酷な道のりであった。
自転車巡礼は、徒歩巡礼と同じく一定の条件をクリアし完走すれば、巡礼手帳(クレデンシャル)に巡礼証明をもらうことが出来る。
サンチャゴ巡礼路には、幾多のルートがサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かって延びている。
サンチャゴ巡礼の主要なルートが、カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路であり、フランス人の道と呼ばれている。
この自転車巡礼は、2003年8月11日~20日 800km (自転車9泊10日)カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路を自転車(マウンテンバイク)で駈けた。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーをスタートとし、サンチャゴ・デ・コンポステーラをゴールとした
カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路800kmを自転車で完走したときの記録であり、巡礼日誌である。徒歩巡礼路<850km>と 自転車巡礼路<今回の804km>とでは、距離が若干異なるようである。
これから、カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路の自転車巡礼を計画されている方々の情報としてすこしでもお役立てばうれしく思う。
2003年の夏、ピレネー山脈を縦走する巡礼の道<カミーノ・デ・サンチャゴ> をいく巡礼者は炎天にあえぐ苦難の道を歩みだしていた。
かれらはスピリチュル・トレイル(魂の道)という約39日間の自分を見つめる旅路についたのだ。
わたしもマウンテンバイク『星の王子さま』号にまたがって10日間の魂の旅路についた。
西に向かう巡礼者の間には、
《ウルトレーヤ!》、《ビエン・カミーノ!》、《オラー!》、《アニモ! ガンバレ!》
と挨拶や激励が行き交う。
馬にまたがる者、自転車をこぐ物、修学旅行の学生たち、カップル、老夫婦ほか、ほとんどの人は黙々と神を見つめ、自分を見つめ、おのれの魂と向き合いながら歩き通す人たちである。
<カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路>は別名<フランス人の道>、<ロマネスク街道>とも呼ばれる。
由来は、カミーノ(巡礼路)に沿って建てられいる美しく荘厳なるロマネスク様式による大聖堂や教会から来ている。
夜を迎えると、教会の鐘楼のあいだに輝く満天の星が、カミーノの西の端、サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂にいざなってくれる<銀河の道>として続くのである。
以降のわたしの人生の旅路を『星の巡礼』 と呼ぶほどの衝撃をうけたのである。
<すべての道<カミーノ>は神へつうじる魂の道である>
それぞれが自己の再発見・罪の赦し・神の愛をもとめてカミーノ(巡礼路)に足を踏み入れるのだ。
<いままでの自分を捨てて、生まれ変わりたい> = Rise To Life =
<新しい自分を見付けたい>
<すべてのことに偶然はなく、必然を納得したい>
それぞれの想いが、張れ避けんばかりにリュックサックに、そしてこころに詰め込まれてのスタートだ。
そして、ピレネー山脈の麓にある小さな巡礼村サン・ジャン・ピ・エ・ド・ポー(フランス)を出立していく。
カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路で、ひとり立ち止まり、おのれに何度も問いかけるのである。
<なぜ、自分は歩いているのだろうか>
東から西へと『夜空に輝く銀河』に導かれて年間おおよそ10万人、やく1000年前から始まり、いままでに1億人以上の人々が巡礼の道をたどったといわれる。
道中、巡礼宿であるアルベルゲに泊まり、巡礼者世話係であるホスピタレーロのお世話をうける。
すでに四国八十八カ寺、熊野奥駈け、月山や恐山など、日本の修行地をめぐり、海外での<エルサルム巡礼>、<ローマ・バチカン・アシジ巡礼>をすでにおえていたので、ここ<カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路>では、こころ穏やかな出発を迎えることができた。
<アメージング・グレイスを歌い、交感する>
さあ、カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼へ出かけよう!
今回のテーマソングは <アメイジング・グレース> である。
カミーノデ・デ・サンチャゴ巡礼路を自転車を走らせながら、その聖なるアメイジング・グレースを高らかに歌い、
野宿では満天の星たちと魂の交感をするのだ!
いざ、サンチャゴ・デ・コンポステイラへ向かおう!
≪ ウルトレーヤ! ウルトレーヤ! ≫
巡礼者のあいだで交わされる讃美・交歓・尊敬・鼓舞の叫びがとどろく。
Amazinggrace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now I’mfound,
Wasblind but now I see.
<アメージング・グレース>
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
参考 : <カミーノ・デ・サンチャゴ自転車巡礼>に関する詳細については、
「カミーノ・デ・サンチャゴ日本友の会」のホームページ「自転車巡礼Q&A」を参照願いたい。
そのほか通過する巡礼村のアルベルゲ(巡礼宿)・その他宿泊施設・レストラン・バル・食料品店・薬局・病院・ATMなどを知ることが出来る。
ここでは、カミーノ・デ・サンチャゴでの巡礼日誌とともに、自転車での海外旅行をするにあたっての注意事項を取り上げていくことにする。
<さあ、アメージング・グレイスを歌いながら魂の旅路に出かけよう!>
≪ Pilgrimage : CAMINO DE SANTIAGO 804km for Bycicle Journey byJapanese Cyclist ≫
(日本からのカミーノ・デ・サンチャゴへのルート紹介)
に収める。
《自転車による海外遠征の注意点①》
この旅は、わたしにとって自転車による三度目の海外遠征(ブラジル・アメリカに次いで)である
2.途中、バンコックでの乗継ぎがあるのでパーツの破損、紛失を防止するためのパッキング、特に分解したパーツには神経をつかって梱包し、輪行袋に収納した
3.タイヤの空気は必ず抜いておく(空気入れポンプを忘れずに)
4.左右ペダルの差し込みネジ方向が異なることを認識して作業する
5.パンク修理セットの必携(この旅では1回のパンク修理ですんでいる)
6.パンク修理上、水・水袋・空気入れ・修理用品・工具とパンク修理技能が必要である、習熟しておきたい
7.最低の破損修理・修繕の技能を習得、練習訓練をしておくこと(ブレーキ・変速ギア―・スポークほか)
8.万一の露営のためのツエルト携行と設営方法の習得
9.あると便利な装置として、スピードメーター・距離積算メーター・事故防止用前後フラッシュライト(点滅兼
用)・ 高度計・コンパス(磁石)・GPS・ヘッドライトほか
関西国際空港はすでに夕闇の中にあった。
タイ航空ジャンボ機が搭乗口にむかって静かにライトアップされていた。
「さあ、おのれを捨てて神に従いなさい。 なにも恐れず、今から始まる魂の旅に深く潜行しなさい。 導かれるままに歩みをつづけなさい。」
とシャーリ・マクレーンが後押ししてくれているようだ。
深く吸い込んだ空気に、果てしない光り輝くカミーノがこころに浮かび上がってくる
<なにを学び、なにを尋ね、なにを導き入れるか>
果てしない招きに、こころを震わせる
これから魂の旅路に飛び立つのだ
われを待つ星の彼方で、おのれを消し去り、自由に飛び回ってみたい
光り輝く愛の世界が、両手を大きく開けて、魂の触れ合いを待っていると思うと歓びがこみあげてくる
<星の巡礼・カミーノ・デ・サンチャゴ自転車巡礼路・行程表マップ>
●19:58 関西国際空港発 ⇒ 23:20 バンコック着(タイ) (乗継) ⇒ 7:05 パリ(仏)
なにを求めてわたしは空を飛んでいるのだろうか
どこへ飛び立とうとしているのだろうか
巡礼地「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」は、妖精伝説と奇蹟に満ちた霊場として栄えたという。
とくに、9世紀にヨーロッパの地の果て、スペイン北西部に聖ヤコブ(サンチャゴ)の遺体が見つかったことに端を発して巡礼者の波が押し寄せたのである。
イスラムと戦う聖者として、十字軍の精神的支柱となったのである。
しかし、スペインにおいてイスラム文明との融合もまた現実である。
これ以降、聖ヤコブ伝説は、<カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼>のはしりとなったと言われている。
カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路を思いながら、高度15000フィート、外気-40℃の飛行機の中で贅沢な夕食である機内食に手をつけた。
これからの2週間、カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路では、粗食に耐え、暑さに耐え、峠を越え、星空のもとで寒い野宿をすることになる。
この機内食はわたしにとって栄養豊かな最後の晩餐ともいえるのだ。
△機内食メニュー <鱈のフライ・ポテト・キャロット・スピネッチ・フラワギャベッジ・ソーセージ・ホワイトワイン・
チョコケーキ―・コーヒー・ブレッド・バター>
<神がわたしを訪れ、どのような闇夜がわたしを包みこむのであろうか
そして、どのような夢をみ、どのような魂の声に耳を傾けるのであろうか>
こころはまだ見ぬ「カミーノ・デ・サンチャゴ」の巡礼地にはやくも迷い込んでいた。
■2003/8/10 (Sun.)
この天なる宇宙空間は、月光に明るく照らされ、
満月が眼下に漂うさまは常識の世界を超越している
まるで宇宙船より見る地球の姿に寄りそう卵の黄味である
雲の間に地上の光りがダイヤモンドのように輝き
漆黒の星雲には、何万光年の星たちが瞬き、ささやきあっている
朝を追いかける、時差4時間という長い夜がつづく
このミステアリスな天体の営みは、1秒の狂いもなく動く
その天球の動きに組み込まれ、わたしが生きており
わたしは不思議の中に奇妙に生かされている
そうだ、幽玄微妙なる宇宙真理の中にわたしはいるのだ
いったいだれがこの天地を支配し、管理しているのであろうか
わたしをウオッチし、わたしを動かしている者は何ものであろうか
1999年12月トルコ・ボスポラス海峡での亡き妻の散灰の地、上空をとぶ
西欧と東洋の架け橋、イスタンブールを越えヨーロッパの地に入った
6:48 朝靄(あさもや)に浮かぶ真紅の球体、太陽に迎えられ
シャルル・ド・ゴール空港に降り立った
<シャルル・ドゴール国際空港から、出発地である巡礼村 サン・ジャン・ピ・エ・ド・ポー駅へむかう>
空港内両替所にてUS$を€(ユーロ)に両替したあと、空港よりリムジンバスでモンパルナス駅へ移動する。
シャルル・ドゴール空港 ⇒ モンパルナス駅 (エールフランスリムジンバス・ 11€ ・ 所要50分)
空港で輪行袋・マウンテンバイクのダメージ・チェックをおこなう。
①自転車を解体し、結束バンドなどで確実に止めたと思っていたが、弛みが激しく結束方法の研究必要
②輪行袋に擦れ傷や穴が無数に開いていた(どうしても雑なハンドリングになるようだ)
③ダメージ防止用のパッキング材も位置がずれていた
空港では輪行袋の外装のみの視認に限られるため、バイクそのもののダメージはこの時点では確認しえなかった。
モンパルナス駅 =TGV(フランス高速列車⇒ バイヨンヌ駅(乗換)⇒ サン・ジャン・ピエ・ド・ポ-駅(終着)
Montpamasse 11:25D. ⇒ 16:14A Bayonne 17:30D ⇒ 18:29ASt. Jean Pied de Port
モンパルナス駅のトイレは有料であり、ユーロの少額コイン持ち合わせなく列車内まで我慢を余儀なくされる。
<モンパルナス駅でのTGV・フランス高速列車乗車券の購入について>
予約なくチケット売場にむかう、全席予約完売で満席という。
どうしても今日中に乗りたいむねをチケット嬢に伝えると、「乗車予定列車の出発20分前に来るように」という。
その時間に行ってみると現実に座席がとれていたのには驚きであった、喫煙車にキャンセルがあったようだ。
列車発射まで20分、輪行袋と5個のバッグ(フロント2Xリアー2+1)をぶら下げてホームへ駆け上がる。
正直言って非効率的運搬法である。以降、輪行袋以外は、米軍用ドンゴロス1個にまとめて運搬することと
なった。
フランス高速鉄道の車窓よりヨーロッパ独特の美しい田園風景が流れていく。それもなだらかな丘の上の綿雲は
微動だにせず浮かんでいる。
ところどころに広大な緑のじゅうたんに4~5本の欅なのかポプラなのかトンガリの木が植えられている。たぶん迷子になった牧畜たちの目印や直射日光を避ける陰として植えられているのであろう。
まるで幾千年も、いや悠久に牧草が覆い尽くしている牧歌的な、詩的な情景が行けども行けども続く。
ただ、この素敵な緑のパラダイスをぬって流れる川の水が泥川ばかりなのには驚かされた。
日本の清流が懐かしい。
この時間の流れに沿って、パリ―よりこれよりむかうピレネー山脈の巡礼村、カミーノ・デ・サンチャゴが始まるサ
ン・ピ・エ・ド・ポーまで「銀の道」という巡礼路がつづいている。
このあたりのすべての道が、「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」へ続く、カミーノへの枝道なのである。
途中、弾丸列車が突然停車した。フランス語でアナウンスが流れるも理解できず。周囲の乗客に聞くも英語通じず、ただ推測してみた。もし故障ならばTGV終点でのローカル線への乗り換えに間に合わないことを心配した。
停車理由は単線による列車待ちであった。 機関車はディーゼル車であり、停車中モーターを切ったので電源が切れて車内灯が消えて不安が広がったことにある。日本の新幹線を知っている者にとっては常識ではなかったわけである。
高速鉄道の多くが単線であって、列車待ちが通常であり、車内灯が消えることは日本以外では、常識であったということである。
フランス人が英語をしゃべらないというプライドは徐々に薄れてきた。以前は、アメリカの合衆国のお隣にあるカナダのケベックでさえ、英語で料理を注文したら知らん顔されたものである。ましてやフランス国内での英語はほとんど通じなかったものである。もっぱら外国旅行者からの情報収集という時代が続いていた。
TGV(フランス高速列車)
《カミーノ・デ・サンチャゴ 自転車巡礼のすすめ》 Ⅱ へつづく