■「テスリン・ユーコン川 カヌーの旅360km日記」 ③
● 4日目 <9月19日>
朝6時15分、森の中から風に乗って、獣の鳴き声「ウワーオ」に目を覚ました。グリスビー・ベアーなのか、ムースの叫びか、寝袋の中で耳を澄ませる。
朝から雨である。雨のなかパッキング、朝食<ナン・ハムサンドイッチ、インスタントスープ、ポテトサラダ・コーヒー>を立ち食い。
ドイツ人ツアー・グループと再会を約して先発する。
8時30分、雨の中、舫いロープを外し、カヌーを押し出して雨に煙るテスリン川に浮かぶ。
雨具をつけていても、体が寒さでぞくぞくと冷え込んでくる。大変な一日になりそうである。
すこしでも風があると、カヌーは本流からそれて横向きになり岸に向かって進んでいき、舟先からぶつかって行く。またパドリング(漕ぐ)しながら方向を修正しないと、カヌーは自然と横向きになり、最終的には後ろ向きになる傾向がある。
どうも風向、風の強弱、荷物の重心やバランスによっておこる現象のようである。
このカヌーの前後が逆さまになる傾向を修正するためには、たえずパドルを加える必要があるが、向かい風の場合は重労働にならざるを得ない。
このようなとき、われわれは若干のパドルの修正以外は、逆らわずに自然にまかせ、おしゃべりしたり、俳句をひねったりして体を休めた。疲れたときには川底の石ころを見るとよい、まるで矢の如くカヌーが前へ進んでいるように見える(錯覚だが)。 これがとても励みとなり、元気を取り戻したこともあった。
雨降りのユーコンにこそ、大自然の素顔が隠されているものだ。この不安と恐ろしさの中にクロンダイクの金鉱探しの真髄と苦難が隠されているようで、まるで山師になって金鉱に向かっているようなギャンブラー気取りを味わえるのであるから不思議なものである。
当時はこのような生易しいものではなかったであろうが。
<クロンダイクに殺到する金鉱探しルートの一つ>
一獲千金の夢をつかむため金鉱探しの男たちが、ユーコン川とクロンダイク川の合流地点にあったゴールドラッシュの街ドーソン・シティーに向かったのである。 その一つのルートが、スキャグウェイの数マイル北にあるフィヨルドの最奥地ダイアで上陸し、陸路チルクート峠を越え、ユーコン川の水源のひとつ、ベネット湖に下る。さらに船を仕立ててユーコン川をドーソン・シティーまで下るルートであった。
いまわれわれは、ユーコン川との合流地点であるフータリンカを目前にして、約120年前のクロンダイクに向かった金鉱探しの男たちの夢とロマンを追憶した。フータリンカ野営場は、クロンダイクへの金鉱探しの男たちを乗せた蒸気船「STEAMER EVELYN」号の立寄り先でもあった。
その蒸気船は今でも、野営場先の下流にある中州<Hootalinqua Island>に引き上げられ、展示されており、船内にも立ち入ることができ、当時の様子を知ることができる。
この日の昼食は、古き良き金鉱時代の狩猟小屋(廃屋)に立寄り、当時のフロンティア精神に思いを馳せた。
雨に濡れた体をあたためるめに焚火をし、ランチは温かい食事に切り替えた。 インスタント・ライス、野菜炒めと味噌汁。 残量を考えると目的地までの食糧として十分であるとはいえない状態になってきた。
ユーコン準州の9月はすでに寒い、 体を温めるため暖を取る
一日中、雨のなかの川下りであったが、薄暗いテスリン川に黄葉が映え、樅の木が両岸に立ち並び、遠き山に雪帽子が見え隠れするさまは、大自然の絵画を見るおもいである。
ここ二つの川の合流点は、二つの川の色が合流することからも、カヌーがユーコンの本流に入ったことが
わかる。 テスリン川はすこし白濁をおび、ユーコン川は清流のように透明である。
この両川の合流点のすぐ先が、第四・五日目の宿泊地・フータリンカ・Hootalinquaである。
<テスリン・ユーコン川合流地点 フータリンカ での第四・五日目の野営>
16:00 設営地・フータリンカに上陸した。われわれだけのようである。
野営地であるフータリンカ・HOOTALINQUA のGPS <61°35'03"N/134°54'12"W> は、テスリン川とユーコン川の合流地点にある。
テスリン・ユーコン川合流点にあるフータリンカのキャビンと案内板
120年前、金鉱探しの男たちを運んだ蒸気船の中継点であり、シップヤードとして補給補修の重要な拠点であったここフータリンカの野営地で、休憩と時間調整のため二泊することになった。ただし、雨の場合はフータリンカに停滞せず、先に進むことにしていた。
最終地であるカーマックスまでは、ここフータリンカから2泊3日の3日間の旅である。
ここフータリンカのキャンプサイトには、トイレあり、古い朽ちたキャビンや、金鉱時代の小屋が立ち並び、われわれはさながら金鉱探しの夫婦といったところか。当時、ご婦人の金鉱探しがいたか疑わしいが・・・
ここフータリンカでは。休憩日をいれて二泊するので、まずフライシートを張って、火床をつくり、テーブルと椅子らしきものを見付けてきてキッチン兼リビングを構えた。そのすぐ横の樅の木の下に簡易テントを張り、その後ろの白樺の木の間に、洗濯物や雨で湿った衣類、寝袋などを干すためのロープを渡した。
フータリンカでは長期滞在型キャンプサイトに設営した
次に薪の調達である。 前泊者が残した薪を積み上げているキャビンがあったので、とりあえず必要な薪を使わせてもらい、出発前に補充することにした。
夕食までの時間に、食糧の足しにしようとユーコン川でのグレイリング(マス釣り)に挑戦してみた。あわよくば獲れたマスを燻製にして食糧の足しにと考えたからである。
しかし、この初冬の時期、期待に反して疑似餌やルアーを流しても釣れないのである。あまりの情けなさに疑似餌を流して写真に収め、せめてもの慰めとしたものである。
晩秋のユーコンでのグレイリングは不可であった
寝床と食事の段取りをすませたあと、われわれだけで夜を明かすためのグリズリー・ベアー対策にとりかかる。
少し気になりだした夕食は、インスタントラーメンにキャベツやトマトを放り込みマヨネーズで栄養価をあげ、リンゴ、ビスケットとコーヒーとなった。
夕食を終えるころ、モーターボートのエンジンの音が近づき、すでに顔なじみのドイツ隊がやってきた。今夜はここフータリンカで一泊、明日昼ごろシップヤードのあるフータリンカ島を見学し、最終地カーマックスに向かうとのことである。
フータリンカに到着したリバー・ツアーのドイツグループ
ガイドにグレイリングの失敗について聞いてみたら、ポイントを知っているのであす朝一番に釣ってきてやるとのことである。約束のあと、少し待てという。 ドイツ隊のみなと相談したあと、明日が最終日なので残りそうな食糧と薪をプレゼント(差入れ)するとの申し出を受けた。
なんと有り難いことか。 すでに非常食にまで手をつけていたので、こころよく申し出を受けることにした。みなさんの顔が救世主にみえた。 テスリン・ユーコンを下る仲間としての意識がお互いを友情にまで高めてくれたのであろう。 感謝しきれないほどの有り難さに、人のこころの温もりを感じた。
明日の休憩日には、野イチゴを摘みフレッシュ・ジャムをつくること、下着の洗濯をすること、湿った寝袋や衣類、テントを日干して乾燥すること、ユーコンの水で髭を剃り、沐浴のあと体を拭くこと、薪を補充すること、中洲(フータリンク島)のシップヤードに上陸し、蒸気船「スティーマー・イブリン」号見学に出かけることにした。
日本よりは遅い日没をむかえ、焚火が燃え上がりフータリンカの夜空を焦がしている。
ユーコンの一筋の流れが暗闇に浮かび上がっている。
なんと静かなユーコンの暗闇であろうか。
焚火は紅蓮の焔と煙の舞をみせ、古き良きロマンの時代へと誘うではないか。 幻想の中に、金鉱探しの男たちの逞しさと汗の臭いが伝わってくるようである。
● 5日目 <9月20日> 休息・時間調整日
朝一番、ドイツ隊のガイド・ビート氏がわれわれの食糧確保のため、自分の知っているポイントにグレーリングに出かけてくれた。
帰ってきたビート氏は、やはり9月下旬のユーコン川では一匹のマスやサケを釣れなかったと詫びをいってきた。彼のようにユーコン川を知り尽くしているプロが言うのであるから信ずるほかはない。 やはり季節によって釣りができない期間がユーコンにあるということが分かった。
グレーグ(マス科)を釣り上げ、アルミホイルに包んで、塩コショウで食べたり、保存食として燻製にして食するはずだったが、残念である。
ガイド氏に、この先のリトルサーモン(村)での食糧等の購入ができるかどうかとの問いにたいし残念ながら、現在は無人(廃村)であるとの情報であった。
食糧や薪の差入れに感謝し、ドイツ隊のみなさんに声をかけ、見送った。
こちらからは、日本から持参した非常食である「柿の種」をジャパニーズ・ライスクラッカーとして紹介、返礼とした。
ここフータリンカで休息日をもったのは、当初の予定より早く目的地カーマックスに到着できそうであることと(時間調整)、カヤックで下っているW氏との合流のためである(相互安全確認)。
夜もふけ10時を過ぎている。 予定ではこの辺りでW氏と出会わなければならない地点である。なにも起こってなければと、ふと気になったのである。 たぶん、われわれのように流されるだけでなく、テスリン川の流域に上陸し、ユーコンの自然を楽しんでいるのであろう。明日はきっと会えるにちがいない。 いや、ひょっとして先に行ってしまっているかも知れない、と心に留めながら朝を迎えた。
休息日の今日は、珍しく晴天の広がる洗濯日和である。
天気も良かったので、短パンにゴム長靴、上半身裸でユーコンに入って沐浴をした。体を拭き、下着などを水洗いするがユーコンの冷たさに悲鳴をあげた。 この時期のユーコンでのチン(沈没)は、20秒以上は危険であると櫛田氏に注意されていたことを思いだした。
フータリンカ・ユーコン川での沐浴
川の流れに手をつけると、指が痺れだした。 しかし、川の水で拭いたあとの体は赤く染まり、ほのかな温みがひろがって、気持ちが良い。廃キャビンに掛けられていた古い鏡で髭を剃り、金鉱探しの男の顔の真似をしてみた。
軽い朝食を済ませ、カヌーに乗って近くの廃村に出かけ、道路わきにたわわと実った真赤なヒップベリーを摘み取ってかえり、砂糖を加えてジャムを作ってみた。種の粒々が何とも言えない食感をかもし、ユーコン・ベリージャムは美味しかった。
ヒップベリー・ジャム作り
子供の頃から全世界、いやここ「地球星」を、あたかも根なし草のように巡礼(彷徨)を続けてきた。われながら満足できた人生であったと自負している。
こうして約120年前の冒険家のように、いや山師のように、夢をカヌーに託してユーコン川を下っている姿を川面に映して追憶にひたったものである。
当時の夢想家はユーコン川に浮かぶ300人ほどが乗れる蒸気船で、金鉱の街ドーソン・シティに向かったが、われわれは木の葉のような二人乗りのカヌーに身を託して悠久なるユーコン川を下っていると思うだけで、その喜びと感動が倍加するからうれしい。
フータリンカ島のシップヤードに展野外示されている 蒸気船 THE NOPCOM 号の前で
数日前の別れから、その後の安否を気遣っていただけに再会はなによりも嬉しかった。
お互い安堵の握手を交わし、ファイヤーを囲んで、テスリン川での尽きることのないたがいの体験を語りあった。
フータリンカのシップヤードに展示されている金鉱探しの男たちを運んだ老朽蒸気船
晩秋のユーコンをリバー・ツアーするドイツ隊のみなさんと
「テスリン・ユーコン川 カヌーの旅360km日記」 ④
につづく