shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2018『星の巡礼 鈴鹿山脈縦走 60km』 1

2018『星の巡礼 鈴鹿山脈縦走 60km』 1
<老人の牛歩トレッキング>

 
 
<風景としての鈴鹿山脈


鈴鹿山脈は、わたしが住むびわ湖バレー(比良蓬莱山)の麓からその姿を長年眺めてきた。
また比良山系を縦走やトレッキングに出かけたときに琵琶湖を囲んでいる鈴鹿山脈の山容が目に
飛び込んでくる。


その美しい山稜をパノラマスケッチにおさめたことがある。


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                                       びわ湖を挟んで手前が比良山系・奥が鈴鹿山脈の山々(2017/10画)


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                                     比良及び鈴鹿の山名紹介(右下角をクリックすると拡大)
                                                   パノラマスケッチはデフォルメされている


日本の東西を南北に二分している山塊の一つであり、大動脈である鉄道でさえ迂回させるほどの
山塊でもある。


東西を分ける鈴鹿山脈には、鈴鹿峠越えやそのほか多くのひっそりした峠に古(いにしえ)から物語が隠され
てきた。戦国の時代から日本平定、統一をもくろむ武将は京への道として鈴鹿の山を越えなければならなか
った。 とくに信長による京洛や、その後の関ヶ原での合戦の敗退路として鈴鹿の峠は隠密裏に使われた
歴史が多く残る。

今回、鈴鹿山脈を横切る峠の歴史を調べていき、 それぞれの峠に立って、行き交う旅人、将兵近江商人
山越商人、山の住民である木地師、樵、炭焼の人々の生活情景を思い描き、楽しんできた。
別項「歴史から見る鈴鹿山脈の峠たち」を参照願いたい。


いままで眺めて楽しむ鈴鹿の山々であったが、60代に入ってから、県境を歩き回っている神戸在住のボーイ
スカウトOB仲間、A君の誘いを受けて、霊仙山(りょうぜんやま)に登り、山頂近くの避難小屋で一泊したときが、
はじめての鈴鹿山脈との出会いであった。


そのときに詠った詩『ああわれいま霊仙におりて』にその神秘な霊山の声を残している。
その後、御在所岳に登って、鈴鹿山脈の南北両端の山をかじったまま、時間は過ぎていった。


今回、「ロングトレイル鈴鹿という見方から、どうしても縦走しておくべき山系であることに気付かされたのである。


今年は、二回目の吉野熊野の「大峰奥駈け縦走」を計画していたが、蛭(ヒル)活動期前にと、急遽、鈴鹿山脈縦走に出かけることになった。


 
鈴鹿の山との出会い>


さきに述べたが、今からさかのぼること15年前、2003年11月1~2日ボーイスカウト京都11OB仲間だった神戸在住A君に誘われて霊仙山頂に立ったあと、近くの霊仙避難小屋で星降る一夜を共に過ごした。
小屋の外にツエルトを張り、潜り込んで夜空の星を楽しんだことが、いまでも鮮明によみがえる。


その霊仙の魂に抱かれた聖なる一夜を、小屋に備え付けの小冊子に書き留めていた。
翌年、避難小屋に泊まられた刈谷市在住のT氏から次のようなメッセージをいただいた。


  「実はこの2月14,15日に霊仙に登り、避難小屋で一夜を過ごし書き込み帳を隅から隅まで楽しく
   読ませていただきましたが、あなたの心のこもった書き込みを拝見し感動した者です。
   勝手ではありますが同好の志の方に是非知っていただきたく、下記HPに転載させていただきました。
   この山はあなたが感じておられるようにほんとに神様が住んでいる様な気がします」


次のような返事を出している。


  「霊仙が我々を出会わせたということは、広大無辺の宇宙の一点でともに生を確かめ合い、糸で
   結ばれたことになります。
   ただただお互いをイメージし、互いの命の波長にチャンネルをあわせるという愛語交換の作業に
   とりかかっていることになります。
   わたしは、おたがい宇宙からやって来たと思っています。わたしはオリオン座からやってきた、Tさんは
   どこの星からやってきたのでしょう。
   今という時間に、ここ地球というところで出会った素晴らしさ、それも霊仙の頂で、
   なんと素敵な出会いでしょう。
   コンタクトに感謝します。
   ともに宇宙に生きましょう。
   死とともに宇宙に帰っていくのですから、悔いのない地球での生き様をしましょう。
   あなたもわたしも宇宙に選ばれたかけがえのない地球人ですからね。
   有難うございました。 感謝合掌。」


その時の小冊子に書きおいた「詩・ああわれいま霊仙におりて」もT氏のメールに添付されていた。


   「ああわれいま 滋賀の北東に位置する霊仙の山
         1084mの頂きに露営せしなり


         満天のせまりくる大宇宙の真珠達
      求めて融合せしこの小宇宙の細胞の群れ


        ああわれいま神の営みの中にあり
         近きにてはこの神の営みを喜びし
            カモシカの叫びありて


     遠くより吹きくる秋深き風の乱舞と重なりあいて
              心の中で交差す


        ああわれいま悠久の営みの中にあり」


                                           感謝合掌  志賀の里住人


山の神のもと、出会いは時を越え、心とこころが結び合い、その魂の世界は広がり、響き合う。
山って素敵なのだ。山には全宇宙の生かされし魂の声が満ち満ちているのである。


                   『 風がいい 紅葉一枚 散るもよい 』


        『 満天の 星みて泣きし 親子鹿 』


この避難小屋での一泊が、はじめての鈴鹿山脈との出会いであり、今回の「鈴鹿山脈縦走」につながって
いると思うと感無量である。


<山は人生の縮図である>


初めての鈴鹿山脈縦走、その誘いにこころが高鳴る。縦走(人生)という一本道が、鈴鹿という峰々を越え、
峠を横切り終着の霊仙(りょうぜん)の山に延びているからである。
与えられた道とはいえ、いまだ見ない未知なる山道(人生)であることに変わりはない。


その時々に与えられた道をたどりつつ、ゴールに向かうのだから、山登りも人生とおなじく未知なるものとの出会いがあって面白い。
険しさに、道迷いに、悪天候に身をかがめ、考え抜いて、決断し進んだり、撤退したり、挑戦しなおしたりと。


花々や小鳥たちに慰められ、沢の水に癒され、山の神に抱かれるさまは、山登りも人生もまた同じである。
そこには喪失や達成感、不安や安心感という落胆と喜びの繰返しのなかに人生の、いや山登りの喜怒哀楽が
ある。


ピークを越えていくか、トラバース(巻き道)するか、状況を読み、体調を考える。これまた人生の一コマ、立ち止まりと同じである。


山々に静かに生きる花々や木々とおしゃべりをし、鹿たちとラブコールを交わし、星たちと話をする。そこには大宇宙というあたたかい大家族がもうひとつあると言っていい。
山に溶け込む瞬間、山に生きるすべての、いや山の精霊でさえも、こころの友として迎えてくれるのであるからうれしい。


ツエルト(簡易テント)に潜り込み、土の匂いに満たされ、柔らかく包み込んでくれる落ち葉に沈みこみ、天を仰ぐと天の川が横たわる満天の星、見下ろすと四日市コンビナートの燈火が不夜城のように浮かび上がる。


山の人生は、大宇宙の営みのように気宇壮大な生き方を教えてもらえるのだ。


風のかもしだすハーモニー、ツエルトをそよぐ風の音、月をかすめる雲の流れでさえ人生を豊かにし、生きている喜びに気付かせてくれるものである。 


山は人生の縮図である。山行は命が召されるまで続けるつもりである。 老人の一歩一歩を大切に生きたい。
なぜなら、山は、たえず忘れかけた人生の目的と目標を教えてくれるからである。 感謝である。


では、記録に従って鈴鹿山脈縦走に出かけることにする。


 
鈴鹿山脈縦走野帳記録・ 御在所岳~霊仙山》


鈴鹿山脈縦走にあたって、水の確保が最重要課題であった。記録では水場の種類・水量・標高など情報を
  水色で示している。 水場は、別の項で写真をつけて説明している。
   実際に縦走してみて、期間中の雨天に恵まれたのか、沢水が豊富であった。 雨量に恵まれなかった場合は、
  給水方法に限界があるように思える。満水携行は縦走成功の必要条件である。


②縦走では、ピークとコル(鞍部)の各標高に重点を置いて、登り下りを推測し、老体の疲労を極力抑える
  ことにした。
   ピークよりコルへ下るときは(赤い矢印) 、コルよりピークへの登りは黒い矢印)によってルート区間
  凹凸を読むことで歩速を調整した。
    鈴鹿山脈における難所ルートとみられた「鈴鹿山脈縦走<三国岳~五僧峠ルート>断面図
  においてピークにおける入出(方角)を記入しておいたので参照願いたい。
  満水携行による重量からくる疲労を抑えるため、登りでのゆったり、ゆっくりとした一歩を大切にした。
  また背負った全重量を肩や腰に分散させた。

縦走野帳記録は、基本として従来通り、ボーイスカウト野帳方式を採用した。縦走進路を底辺より上辺へ
  矢印(登り)・(下り)で示している。

分岐やエスケープルートでは<至OOOO NW⇒>と記入し、出来る限り方角や所要時間を書き込んでいる。
  特にピークでは、ピークへの入り方角とピークから出る方角を記入した。
  よってピークの特定が大切になってくる。 ピークでの標高の確認や遠景の同定なくして、推測だけでピークへ
  の入出は、迷いや遭難の基本的な第一歩であることを知るべきである。
  進路上の現在地の確認(標識・レスキューポイント・高度計・GPSなどにより)を怠らないこと、
  地図と磁石での現在地や次なる目的地の確認が必要になってくる。

おのれの歩速を知り、次なる目的地に何時間かかり、何時頃に到着できるかを計算・予測できることも安全な
  登山に必要である。

単独行の山登りには、おのれだけのタイムスケジュールがあるものだ。
  ここでのすべての数値は、高齢登山者のものであることを承知願い、参考数値として応用願いたい。
  平らな尾根では人の1.0~1.5倍   登りでは人の1.5~2.0倍  下りでは人の1.0倍(同速)かかっている
  ようである。
  縦走に要した日程も、一般の縦走者の平均2泊3日に比べ、5泊6日を要している。
  <老人の牛歩トレッキング>に徹した。

迷いルート「治田峠~藤原岳」、関ルート「三国岳~五僧峠」については別項にて詳しく書きとめた。

今回利用した地図は、以下の通りである。

     地理院地図コピー:  御在所岳~霊仙山 : 25000分の1地図 A4/13枚

     昭文社 山と高原地図44 御在所・霊仙・伊吹 : 50000分の1地図」

     研究用として「ZENRIN 地球の風28登山ハイク 鈴鹿山系 : 50000分の1地図」 


 


        ■2018星の巡礼鈴鹿山脈縦走記録」<BS野帳方式>
                  <御在所岳~霊泉山ルート案内>
                              につづく