shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行⑳ <贄川宿33⇒ 木曽福島宿38>Ⅲ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』
 
   <同志社ローバースカウト創立50年記念事業 てくてくラリー通信記録>
 
 
 
16日目―2    同志社ローバー中山道てくてくラリー    425 
   
贄川宿㉝ ⇒奈良井宿㉞ ⇒藪原宿㉟ ⇒宮ノ越宿㊱ ⇒福島宿㊲ ⇒木曽福島宿㊳  34.0km/10h


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JR中央本線のトンネルの上に旧中山道がある                     
 

下の地図上の現在地である              JR中央本線のトンネルの上の山道が地図上の中山道(点線・・・・)である。
鳥居峠1197mは、信濃川木曽川日本海側と太平洋側に分ける分水嶺である。
また、ここ鳥居峠1197mは、これまで歩いてきた碓氷峠960m和田峠1531mと共に中山道における
最大の難所といわれている。
これで弥次喜多は、中山道の三大難所を克服して西中山道に入ったことになる。
 
鳥居峠を仰いだ芭蕉の句、

《雲雀入り うへにやすらふ 嶺かな 》  芭蕉
 ― ひばりより うへにやすらふ とうげかな ―


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鳥居峠付近の地図と中山道(破線----)
 
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飛騨街道追分(との分岐)標識
 
 
 
みぞれ交じりの鳥居峠1197mを下り、JR中央本線を越えると<飛騨街道追分>(分岐)にでる。
これより<藪原宿・やぶはらしゅく>に入っていく。
 


藪原宿㉟>   日本橋より376㎞地点
(立ち寄り先を含めた弥次喜多の総歩行距離)
 
 
藪原宿(やぶはらしゅく)は、総戸数266軒、旅籠10軒の宿場で、木櫛で有名な<お六櫛の里>として
知られ、中山道35番目の宿場である。
 
飛騨街道追分の標識すぎ、左手に宿場の産土神(うぶすなかみ)を祭る<藪原神社>、本陣跡の碑、
<地酒・木曽路>の湯川酒造店、小堀遠州の庭で知られている<極楽寺>と続き、右手の
<高札場跡の碑>先に、<              藪原の一里塚跡の碑日本橋から66里>がある。
 
藪原の一里塚跡の碑先でJR中央本線のガードをくぐり、木曽川の渓谷を眼下に見ながら進むみ、
<山吹トンネル>を抜けると中山道は、国道361号線と合流する。
山吹山を貫通する山吹トンネルの前に中山道への旧道があるが、崩落の危険個所があるためトンネルを抜けるようにとの注意書きに従う。
 
中山道は、日義村(ひよしむら)辺りで国道と別れ、木曽川にかかる山吹橋を渡り、宮ノ越宿に入っていく。


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お六櫛製造販売 篠原商店
 
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藪原宿 高札場跡


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氷雨に煙る鳥居峠を振り返る
 
 


宮ノ越宿㊱>   日本橋から歩いた総距離386㎞地点
 
 
宮ノ越宿は、総戸数137軒、旅籠21軒の中規模の宿場で、二階が突き出た              <出梁造り>
(だしばりづくり)の町屋が見られる。
宮ノ越宿は戦国武将、木曽義仲ゆかりの地として知られ、義仲ゆかりの名所・旧跡が多くある。


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巴ケ淵


 
巴ケ淵と 義仲館>
 
 巴ケ淵は、義仲と共に幼少を過ごし、義仲と生涯を共にした愛妾・巴(巴御前・山吹御前とも)の名にちなんで巴淵と呼ばれている。木曽川が山吹山のふもとを迂回して形づくる深い淵に、神秘的な渦が巻いている淵である。 この淵に棲む竜神に化身して義仲を守り続けたという伝説が残っている。
 
 
 
芭蕉の弟子、森川許六は次のように詠んでいる。

 
《 山吹も 巴もいでて 田植えかな 》  許六  
 
 ―やまぶきも ともえもいでて たうえかな―
 
 
 
木曽義仲1154年(久寿元年)、源 義賢(みなもとよしたか)の二男として武蔵国大蔵館に生まれる。義賢は源              義朝の弟であり、義朝の長男義平に討たれた。

 

義賢の子、木曽義仲は、2歳の頃に木曽に逃れてきた駒王丸で、後に元服し木曽次郎源義仲と名乗った。
1180
年に後白河法皇より平家追討の命を受け、木曽の地で旗挙げを行い、その後北陸に進撃、

入京を果たした後、征夷大将軍に任ぜられた。しかし、後白河法皇の策略によって鎌倉軍に敗れ、
粟津ヶ原(琵琶湖岸・あわつがはら)で討死。

31歳 の短い生涯であったが、短くとも壮絶な生涯であった。、ここ義仲館では絵画や人形を使いわかりやすく解説している。(木曽おんたけ観光局)


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宮ノ越宿 義仲館
 
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宮ノ越宿本陣跡と明治天皇御小休跡碑


 
山吹橋を渡らずに国道19号線を南下すると、義仲が使った手洗水の残っているといわれる南雲神社が
ある。
 
また、その先に義仲の元服の地として知られている旗上八幡宮があるので立ち寄ってみるのもいい。
 
義仲館より少し先のJR中央本線宮ノ越駅(標高843m)の前に本陣跡の碑が建つ。
 
 
 
 
 
 
 
 につづく
 
(お詫び : 誤った広告表示により文面が乱れ、写真の上に張り付いています。現在、手元での修正
       の方法が見つかっておりませんので、ご了承ください)
 
につづく