shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行31 <野尻宿40 ⇒三留野宿41>Ⅱ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』
 
同志社ローバースカウト創立50年記念事業 てくてくラリー通信記録>

(お詫び:ブログの新旧移行に伴う技術的問題により、広告・案内等の後に、文書・写真を掲載
     いたします。ご了承ください)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   19日目―2  中山道てくてくラリー後半  野尻宿㊵ 三留野宿㊶ (みどのしゅく  
                      10.0km/5h  5月6日 
             
 
 
国道19号線上の中山道三留野宿に向かうと、<野尻トンネル>を抜けることになる。
この野尻トンネルには歩道はなく車道を歩くことになるので、トンネル突入前に、ブレーキの利き、前後の
点滅灯の点灯、ヘルメットなど安全装備の点検確認をしておくこと。危険を感じるときは、トンネルを
使わず、旧中山道の山道を迂回することもできる。
 
トンネルを抜けて進むと、JR中央本線十二兼駅近くにある<十二兼の一里塚跡>(江戸より78里)に
出会う。
さらに進むと<リトル寝覚ノ床>といわれる<柿其峡>の美しい木曽の渓谷を楽しむことができる。

 

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<リトル寝覚ノ床>といわれる柿其峡

 
歩を進めると、羅天から与川渡橋の間は断崖が木曽川に垂直に落ち込んで、木曽最難関と言われた
羅天の桟道>が残っている。
さらに南下を続けると、三留野宿(みどのしゅく)に入る。
 

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現在も<羅天の桟道>が残っている



三留野宿㊶> (みどのしゅく)  日本橋より徒歩総距離455㎞地点
 
 
三留野宿(みどのしゅく)の名前の由来は、木曽氏の館があり「御殿(みどの)」と呼ばれたことからきている。
 
また、数回の大火により宿場は灰燼に帰し、その面影はほとんど残っていない。
 
三留野宿は、現在の南木曾町に位置し、総戸数77軒、旅籠32軒の宿場であった。


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歌川広重作 中山道三留野宿「木曽海道六十九次・三渡野」
 
 
 

  国道19号線を離れ、県道264号である旧中山道に入りJR中央本線・を横切ると、枝垂れ梅が残る<べに坂>をいく、その先右手に<本陣跡の碑>がある。


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   三留野宿本陣跡   


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日星山等覚寺>曹洞宗の寺院  


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  三留野宿 柏屋  





本陣跡の碑の先を、右手の脇にある階段を下って三体の円空仏がある<等覚寺>に立寄る。

 
       等覚寺を過ぎると前方に、木曽川にかかる大吊橋<桃介橋>が目に飛び込んでくる。
 
       桃介橋は、大同電力(現中部電力)の社長であった福沢桃介(福沢諭吉の娘婿・実業家・日本の電力王)が読書発電所建設のために大正11年(1922)に架けたものである。



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   木曽川にかかる桃介吊り橋



 
<▲19日目露営地>    JR南木曽駅近くのSL公園にある千体観音堂<一刻堂>内にて舎営
 
 
三留野宿 南木曽駅近くの公園で設営したが、 千体観音堂<一刻堂>の尾崎伯老に堂内での舎営を勧められ、撤収し一夜を老手掘りの千体観音と共に過ごすことになった。


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   南木曽駅SL公園にて露営が・・・


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千体観音堂<一刻堂>の尾崎伯老に勧められ堂内にて舎営することとなった。

  
一刻院<千仏観音堂>にて観音様たちと同宿する。

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  千仏観音堂で泊す
 
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       一刻院が今宵の宿である