shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行46 <大井宿 46⇒ 大湫宿47>Ⅲ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』
   <同志社ローバースカウト創立50年記念事業 てくてくラリー通信記録>

(お詫び:ブログ新旧移行に伴う技術的問題により、広告や案内と文書や写真が一部重複しています)
 
 
<▲23日目の仮の露営地―天神バス停> 中仙道・びわ峠(標高540m)
 
琵琶峠(標高540m)への中仙道は、大雨で滑りやすく危険であり、残念ながら前進を断念することにした。

午後430分、とりあえず飛び込んだ<天神バス停>が、今夜の仮の露営地になってしまった。
大雨でずぶ濡れの服を着替え、バス停軒下に吊るすが、緊急避難ということでバス停占拠を許されたい。

イメージ 1
 緊急避難<天神バス停>仮の宿
 
 
FM GIFU は 只今 大雨警報発令中 山間部での土砂崩れに注意
と注意喚起を流している。 
屋根だけあるバス停は雨風の吹き曝しである。 テントを体に巻き付けて夜を明かすこととなった。



 

《 休養日を木曽路ふるさとユースホステルで取った。

 

今日5月10日、午後から雨の予報、雨の降る前に出きるだけ距離を稼ぎたいので朝5時に出発した。

 

すでに霧雨が降り出しており、喜多さん(祥介君)にも雨天決行を覚悟してもらう。

 

 

 

大井宿から細久手宿までの行程には約13の峠と隠し峠(小)が7つ連なり、その最高峰が有名な琵琶峠540Mである。

 

F氏の調査でも難易度四と報告されている。

 

まず祥介君に後ろから押してもらい登坂を開始したが6番目の坂(上り)で息がきれた。

 

雨に濡れた携行品の重量が重すぎて、砂利や岩石、石畳や山道の土砂流出防止用の横渡しの
丸太に自転車が横滑りするのだ。

 

山中にいるので突破しないかぎり目標の宿場に着けない。

 

雨が激しさを増し、雨具をとおして雨水が体のなかを流れる。記録や写真どころではない。

 

記録ノートの一部は雨に濡れボロボロだ。
覚悟はして準備は万端だったが、津波原発に対して最近日本人がよく使いだした想定外ということか。でも異常な豪雨だ。この状態があと三日続くという。

 

午後4時30分、細久手宿手前の<琵琶峠>にある『天神』というバス停に豪雨を避け飛び込む。

 

瓦ぶきの二畳ほどのスペースだ。ただ東屋風なので霧状の細かい雨が前後左右から襲いかかっくる。

 

まずロープを張り、着ていたすべての衣類を新しいものに着替え、濡れたものを絞って干す。

 

たぶん乾きはしないだろう。

 

あとは風邪をひかないようにあるだけのものを重ね着して体を温める。すでに周囲は暗くなりつつ
ある。

 

寝る準備を急ぐ。夕食はバナナ一本、チョコレート、カステラ2切れ、ビスケット一箱、水一本を祥介と二等分する。

 

このような被災地生活に準じた山の生活のためか祥介君の体重が60キロを切ったとか。

 

雨足がますます激しくなってきた。着ているものも湿ってきた。今晩は早く寝袋に潜り込むことになり
そうだ。

 

何かボーイスカウト時代の布天幕を思い出す。
当時のテントは雨に弱かった。フライをしなかったらテントの中に霧雨が舞ったものだ。

雨漏り、浸水と大変だったことを思い出す。

 

 

 

今日は大湫(おおくて)宿本陣跡の小学校校庭にある皇女和宮の歌碑に出会った。

 

彼女は天皇家より将軍家へここ中山道をたどり嫁入りした時に、その心境を詠っている。

 

《 遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりける 》

 

《 思いきや 雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは 》

 

 

 

今日は雨のなか、てくてく17Km、9時間の行程だった。

 

明日11日のスケジュールは雨模様だが細久手宿、御岳宿を経て伏見宿まで行きたい。

 

弥次喜多 ・ 後藤實久 & 田中祥介
 
 

イメージ 2
 
             <中山道でみられる各種の宿場案内図>  (参考資料)
 
至・細久手宿     中山道 美濃 大井宿㊻ 案内図>   至・中津川宿㊺➡
 

 
イメージ 3
 
←至・大湫宿㊼(おおくてしゅく) 中山道 深萱街道筋案内図> 至・大井宿㊻→



イメージ 4

  ←至・御嶽宿㊾  <中仙道 細久手宿㊽と大湫宿㊼ 案内図>  至・大井宿㊻→



イメージ 5
 
←至・伏見宿㊿     中山道 御嶽宿㊾家並み図>   至・細久手宿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<▲23日目の仮の露営地―天神バス停> 中仙道・びわ峠(標高540m)
 
琵琶峠(標高540m)への中仙道は、大雨で滑りやすく危険であり、残念ながら前進を断念することにした。

午後430分、とりあえず飛び込んだ<天神バス停>が、今夜の仮の露営地になってしまった。
大雨でずぶ濡れの服を着替え、バス停軒下に吊るすが、緊急避難ということでバス停占拠を許されたい。

イメージ 1
 緊急避難<天神バス停>仮の宿
 
 
FM GIFU は 只今 大雨警報発令中 山間部での土砂崩れに注意
と注意喚起を流している。 
屋根だけあるバス停は雨風の吹き曝しである。 テントを体に巻き付けて夜を明かすこととなった。



 

《 休養日を木曽路ふるさとユースホステルで取った。

 

今日5月10日、午後から雨の予報、雨の降る前に出きるだけ距離を稼ぎたいので朝5時に出発した。

 

すでに霧雨が降り出しており、喜多さん(祥介君)にも雨天決行を覚悟してもらう。

 

 

 

大井宿から細久手宿までの行程には約13の峠と隠し峠(小)が7つ連なり、その最高峰が有名な琵琶峠540Mである。

 

F氏の調査でも難易度四と報告されている。

 

まず祥介君に後ろから押してもらい登坂を開始したが6番目の坂(上り)で息がきれた。

 

雨に濡れた携行品の重量が重すぎて、砂利や岩石、石畳や山道の土砂流出防止用の横渡しの
丸太に自転車が横滑りするのだ。

 

山中にいるので突破しないかぎり目標の宿場に着けない。

 

雨が激しさを増し、雨具をとおして雨水が体のなかを流れる。記録や写真どころではない。

 

記録ノートの一部は雨に濡れボロボロだ。
覚悟はして準備は万端だったが、津波原発に対して最近日本人がよく使いだした想定外ということか。でも異常な豪雨だ。この状態があと三日続くという。

 

午後4時30分、細久手宿手前の<琵琶峠>にある『天神』というバス停に豪雨を避け飛び込む。

 

瓦ぶきの二畳ほどのスペースだ。ただ東屋風なので霧状の細かい雨が前後左右から襲いかかっくる。

 

まずロープを張り、着ていたすべての衣類を新しいものに着替え、濡れたものを絞って干す。

 

たぶん乾きはしないだろう。

 

あとは風邪をひかないようにあるだけのものを重ね着して体を温める。すでに周囲は暗くなりつつ
ある。

 

寝る準備を急ぐ。夕食はバナナ一本、チョコレート、カステラ2切れ、ビスケット一箱、水一本を祥介と二等分する。

 

このような被災地生活に準じた山の生活のためか祥介君の体重が60キロを切ったとか。

 

雨足がますます激しくなってきた。着ているものも湿ってきた。今晩は早く寝袋に潜り込むことになり
そうだ。

 

何かボーイスカウト時代の布天幕を思い出す。
当時のテントは雨に弱かった。フライをしなかったらテントの中に霧雨が舞ったものだ。

雨漏り、浸水と大変だったことを思い出す。

 

 

 

今日は大湫(おおくて)宿本陣跡の小学校校庭にある皇女和宮の歌碑に出会った。

 

彼女は天皇家より将軍家へここ中山道をたどり嫁入りした時に、その心境を詠っている。

 

《 遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりける 》

 

《 思いきや 雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは 》

 

 

 

今日は雨のなか、てくてく17Km、9時間の行程だった。

 

明日11日のスケジュールは雨模様だが細久手宿、御岳宿を経て伏見宿まで行きたい。

 

弥次喜多 ・ 後藤實久 & 田中祥介
 
 

イメージ 2
 
             <中山道でみられる各種の宿場案内図>  (参考資料)
 
至・細久手宿     中山道 美濃 大井宿㊻ 案内図>   至・中津川宿㊺➡
 

 
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←至・大湫宿㊼(おおくてしゅく) 中山道 深萱街道筋案内図> 至・大井宿㊻→



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  ←至・御嶽宿㊾  <中仙道 細久手宿㊽と大湫宿㊼ 案内図>  至・大井宿㊻→



イメージ 5
 
←至・伏見宿㊿     中山道 御嶽宿㊾家並み図>   至・細久手宿