2019『星の巡礼 熊野古道小辺路縦走』―老人山行の一考察―①
<わたしと熊野古道>
遥かにみる熊野の峰々は、静寂の中にその美しい山稜の曲線を重ね合わせて眠るがごとく横たわっている。
朝日に照らし出され、峰々をおおう雲海に紅色が混じりだすと、立ち並ぶ熊野の杉や、桧の間からの木漏れ日が一変してその山容を変える。
天からの清楚な歌声が響き渡り、呼応するように地の命がその幸せを謳いあげるのである。
小辺路、時を経て天空をつく防風林としての巨木杉
2005年熊野古道<大峰奥駈け>を歩きはじめて、ずいぶんと月日が過ぎ去った。
熊野詣については歴史や文学をかじっての常識の範囲内で知っていたが、修験者としての古老である隣人との出会いによって大峰熊野の持つ意味合いがわたしの中でひとつの形となって蓄積していった。
2005年最初の熊野古道<大峰奥駈け縦走>
<姉妹巡礼路―熊野古道とカミーノ・デ・サンチャゴ>
その時の旅日記はブログに書き記しているので覗いてみてほしい。
サンチャゴ・熊野古道 姉妹巡礼路シンボルマーク
蟻の熊野詣にみる平安文学のノスタルジーではなく、自己を見つめながら古道を歩いた庶民の純粋な願いに惹きつけられるのである。
そして、古の旅人と同じように熊野を歩きながら己の世界を描くとき、埋没する心象風景が今いる熊野の原風景に溶け込んでいくのに気づかされるのである。
時は流れてもその興奮は、同じく伝わってきて、尽きることがない。
<現在、「中山道てくてくラリー」ブログ中>
ブログ先:中山道徒歩旅行①
現在ブログ掲載中の<中山道てくてくラリー>ペナント
大峰熊野への入峰は、雨の季節に入ることだけは避けたかった。
5月から6月にかけての好天の天気予報に誘われて、雨に見舞われることなく念願の小辺路縦走を無事終えることができた。
小辺路全体のルートの特徴は、大小5つのピーク(山頂や峠)をアップダウンする厳しいルートであると先に書いた。
お陰で、小さな雑貨店で猛暑に耐え切れず、アイス最中を口にしたり、毎回の乾パンやインスタントの食事を、定食屋さんで生姜焼きを口にして粗食からの気分転換を図ることができた。
小辺路でいただいた生姜焼き定食
また野に伏して疲れ切った体を、温泉で癒されることもあった。
(十津川温泉・昴の郷―すばるのさと)
小辺路には、現在でもいくつかの村落が現存し、暮らしや村民に接することのできる生きたルートでもある。各村民の旅人への接待として目を引くのが整備された水場―オアシスーであると言ってよい。嬉しい限りである。感謝したい。
小辺路村民のオモテナシである水場<オアシス>
また、行政も快適な小辺路縦走を提供するために数多くの立派な標識をはじめ案内板や東屋、公衆トイレの設置に力を入れているのが目を引く。これまた感謝である。
それもきれいに整備管理されているからうれしい。
水場も、4日目の果無峠以外は十分な飲み水を提供してくれる。
4日目の水場は、果無峠直下にある観音堂の引水にだけ頼ることになるが、十分な水量があり心配はいらない。
小辺路で目につくのは、「熊出没注意」の標識である。出会うことはなかったが、鈴の携行か、ラジオの音量を上げて歩くようにと注意喚起している。鈴をストックのホルダーに付けて歩いた。
小辺路でみかける<危険・クマ出没>警告
また、シカによる食害を防ぐためのネット柵を多く見かけた。
実際、ある露営地ではツエルトを覗きに来た鹿と目を合わせた。
鹿は縄張りを持っているのであろうか、テリトリーに入ってきた敵を見張るのも彼らの習性であり、
役割でもあるようで、夜のあいだ中、ピイッ・ピイッと鳴きながら仲間に報告しているているよう
である。
いや、闖入者であるこちらに警告しているようにも見える。
果無村の入り口には、獣除け木戸が設けられていた。
老人山行の一考察―②
につづく