shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行48 <伏見宿50 ⇒加納宿53>Ⅱ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』
   <同志社ローバースカウト創立50年記念事業 てくてくラリー通信記録>

 (お詫び:ブログ新旧移行に伴う技術的問題により、広告・案内等と文書・写真が重複しています)
 
 
25日目―② 中山道伏見宿㊿ ⇒大田宿51 ⇒鵜沼宿52 ⇒加納宿53>
           25.0km/10.5H  512


 
伏見宿㊿>  日本橋より徒歩総距離 590km (立寄り地含む)
 

伏見宿にある一本松公園の大きな東屋の土間で雨の一夜を過ごし、ここ伏見宿での十返舎一九
『木曽街道続膝栗毛』 の主人公弥次さん喜多さんと時空を超えた空想上の出会いをはたした。

ふと京都三条大橋西端南側に、これから旅立とうとする弥次さん喜多さん銅像が建っているのを
思い出しながら、眠りに落ちた。

朝、テントから顔を出してみると、3日間降り続いていた雨は小休止なのか、雨だれの音も消え、さわやかに
出発の準備を終えた。 

512日朝6時、ここ伏見宿より今夜の露営地・加納宿に向かって約10時間半、25kmの行程を歩き出した。

北アルプスを愛するものとして忘れられない修行僧               播隆上人の名号碑であえる『南無阿弥陀佛』と刻まれた石碑が、ここ伏見宿の西に建っている。
槍ヶ岳登山のたびに、山岳信仰を実践した              播隆上人が厳しい修行をした岩窟の前を通ったものである。
そのたびに槍ヶ岳を開山した上人に頭をたれ感謝の気持ちを伝えるのが常である。

伏見宿は、総戸数82軒、旅籠29軒、 江戸から中山道50番目の宿場であり、伏見宿に集められた年貢米や茶、生糸、瀬戸物、煙草が桑名や名古屋、四日市へ舟で運ばれた物資の集散地であった。

名鉄八百津線の陸橋を渡ったところの伏見公民館の前の植え込みの中に丸石に刻まれた<本陣跡>の碑が建つ。
 
さらに伏見宿の町屋をみながら進むと、JR太多線を越えて<大田宿>に入っていく


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播隆上人の足跡をたたえた紹介板

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  歌川広重画 中山道 『木曽海道六拾九次之内 伏見』
 

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伏見宿の町屋
 
 
子規句碑  《 すげ笠の 生国名のれ ほととぎす 》  子規

 

 

 

木曽川日本ライン)にかかる<太田橋>手前の今渡という町で、この中山道てくてくラリーでの最初のパンクに見舞われた。パンク修理には自信があったが、どうしても空気が抜けるので、大田宿<中山道会館>の右側にある「三品サイクル店」(みしなサイクル:美濃加茂市太田本町4-4-33 : 
0574-25-2028)のご主人、プロにお願いして修理をしていただいた。

 

<東北がんばれ>のバナーに賛同され、修理代を寄付するとのこと。お言葉と、お心に感謝し、募金箱に入れさせていただいた。 まだ、小雨がぱらついている。


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                子規句碑<すげ笠の>
 
 
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         「三品サイクル店」のご主人の協力をえる
 
 
 
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最初のパンク
 

 

これより、木曽川今渡の渡し場跡>近くにある、太田橋を渡り、太田宿に向かうことになる。


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<大田宿51>   日本橋より総徒歩距離595km 地点    

 

 

 

今渡神社を過ぎ、龍洞寺、浅間神社の先にある木曽川の太田橋を渡ると中山道の難所といわれた
木曽川の渡し跡>がある。
難所といわれるゆえんは橋の手前にある石碑<今渡の渡し場跡>に次のように書かれている。

 

「木曽のかけはし、太田のわたし、碓氷峠がなくば良いとうたわれた、中山道三大難所の一つ」と
言われていると。


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大田宿 <木曽川今渡の渡し場跡>の石碑
 
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中山道 大田宿 大田の渡し 
 
 
木曽川の太田橋を渡り大田宿に入っていく 
 
木曽川太田の渡し跡>の先に、江戸より94里の< <木曽川今渡の渡し場跡>の石碑>がある。
 


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  大田宿 古井の一里塚                      

 

 
<古井の一里塚>をあとに、日本ラインを左手に見ながら西へ歩みを進めると江戸より
中山道51番目の宿場<大田宿>に入っていく。

 

伏見宿で出会った<播隆上人の名号碑>、その播隆上人の墓が祐泉寺横の<太田稲荷>境内
にある。

 

また、祐泉寺の境内には、尊敬する芭蕉の句碑も建つ。

 

《 春なれや 名もなき山の 朝がすみ 》  芭蕉

 

 

 

祐泉寺の先に<旧太田脇本陣林家住宅>があり、公開されている。
その先、右手に<福田家本陣跡>の門のみが建つ。

 


  大田宿は、総戸数118軒、旅籠20軒であり、中山道三大難所の一つ<太田の渡し場>があった
  宿場である。

 

  広重の浮世絵も、<太田の渡し場>の風景を描き、木曽川を行き交う小舟が忙しそうに旅人を
  渡している。

                                            
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大田宿 播隆上人の墓がある祐泉寺
 
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大田宿 播隆上人之墓