shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行50 <伏見宿50⇒加納宿53>Ⅳ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 51
   <同志社ローバースカウト創立50年記念事業 てくてくラリー通信記録>


 
25日目―④ 中山道ラリー<伏見宿㊿ ⇒大田宿51 ⇒鵜沼宿52 ⇒加納宿53 
              25.0km/10.5H>  512
 
 
鵜沼宿52>     日本橋より徒歩総距離 615㎞ 地点  (立寄り地含む)
 
中山道にある                <うとう峠一里塚>は、「うとう=謡」とも書くらしい。
<うとう峠一里塚>は、江戸の日本橋から続く中山道に備えられた里程標で、ちょうど100里、約400㎞の地点にあることを示している。
人生でいうと、何歳とか何年とかその人の歩んだ時間を刻んでいるといっていい。しかし、そのほとんどの人が何歳という直線的時間の経過をカウントして人生を過ごすことはないといっていい。
人それぞれに、与えられた人生を己の歩み方で進み、ゴールに到達する。 そこには同じ時間的経過でも、それぞれによって異なる。
だから人生は面白いのである。
 
現在、われわれ弥次喜多日本橋から615㎞地点にいるのだから、中山道100里(約400㎞)地点を、寄り道という215㎞オーバーをしながら歩んでいることになる。 弥次喜多は貪欲に寄り道しているのだ。
これまた中山道の歩き方の一つと言えよう。
だから旅も人生と同じく面白いのである。
 
 <鵜沼宿への入り方>
天気が良ければ、木曽川の対岸の山の上に渓斎英泉の描いた浮世絵に出てくる<犬山城>の雄姿を見ることができるはずだが、低く垂れさがった雨雲にさえぎられていた。
英泉の描いた浮世絵は、犬山城から鵜沼宿方面を描いているが、城にしても、木曽川にしてもデフォルメされたその雄大さに驚く。
 
木曽川沿いの中山道(県道207)から鵜沼宿に入ってくると、信号 <鵜沼中山道で国道21を横切り、   大安寺川にかかる<大安寺大橋>を渡ると鵜沼宿である。
一方、旧中山道の<うとう峠>を下ってきたときも、同じく信号<鵜沼中山道>を右折して、<大安寺大橋>を渡って鵜沼宿に入って行く。
 
美濃国各務郡鵜沼村は、現在の岐阜県各務原市にあたる。鵜沼宿は、総戸数68軒、旅籠25軒 中山道52番目の宿場である。
 
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渓斎英泉画 中山道 「木曽街道六十九次・鵜沼」
 
信号<鵜沼中山道>から大安寺大橋をわたって鵜沼宿に入ると、まず常夜灯が迎えてくれる。
そのすぐ近くに石碑<ここは中山道鵜沼宿 これよりうとう峠>が建ち、鵜沼宿側の<うとう峠>入口になっている。
その先右手に<二宮神社>があり、鳥居の右手に<芭蕉句碑三基>が並んでいる。
 先の<大安寺川橋>からは、木曽川対岸の山手にそびえる犬山城を遠望できるという。残念ながら今日は曇り空、霞みの中に犬山城は身を隠している。
 犬山城平山城であり戦国時代の後期に尾張守護代の尾田家によって築城され、1617年以来、犬山藩三万五千石の成瀬正成(家老)の居城となった。

 

 
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                 犬山城
 
信号<鵜沼中山道>から大安寺大橋をわたって鵜沼宿に入ると、まず常夜灯が迎えてくれる。
 そのすぐ近くに石碑<ここは中山道鵜沼宿 これよりうとう峠>が建ち、鵜沼宿側の<うとう峠>入口に
なっている。
その先右手に<二宮神社>があり、鳥居の右手に<芭蕉句碑三基>が並んでいる。
 先の<大安寺川橋>からは、木曽川対岸の山手にそびえる犬山城を遠望できるという。
残念ながら今日は曇り空、霞みの中に犬山城は身を隠している。
犬山城平山城であり戦国時代の後期に尾張守護代の尾田家によって築城され、1617年以来、犬山藩三万五千石の成瀬正成(家老)の居城となった。


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          鵜沼宿東口 常夜灯 
 
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  「  ここは中山道鵜沼宿 これよりうとう峠」の石碑


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           二宮神社の石鳥居に向かって右側に三基の芭蕉句碑


芭蕉句碑左から:

 
《 汲溜の 水泡だつや 蝉の声 》    芭蕉
 
《 送られつ 送りつ果ては 木曾の秋 》    芭蕉   
 
《 ふぐ汁も 喰えば喰わせよ 菊の酒 》    芭蕉


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                  鵜沼宿 町屋館
 
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                  鵜沼宿 旧武藤家住宅


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             鵜沼宿脇本陣に建つ<芭蕉句碑> 
 
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                    中山道 鵜沼宿脇本陣
 
  <鵜沼宿脇本陣 芭蕉句碑>
 
《 ふく志るも 喰へは喰せよ きく乃酒 》
《 汲溜の 水泡だつや 蝉の声 》
《 送られつ 送りつ果ては 木曾の秋 》
 
芭蕉の句を口ずさみながら、歩みを続けると中山道である国道21号線は、名鉄各務ヶ原線とJR高山本線
に挟まれながら西へと向かう。 また、この辺りは後鳥羽上皇鎌倉幕府方との合戦があった
承久の乱>の歴史的合戦場として知られている。
高校の歴史では、「承久の乱とは、鎌倉時代承久3年(1221)に、後鳥羽上皇鎌倉幕府執権北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱であり、承久の変または承久合戦ともいう。
日本史上初の朝廷武家政権の間で起きた武力による争いであり、朝廷側の敗北で後鳥羽上皇隠岐に配流され、以後、鎌倉幕府では北条氏による執権政治100年以上続いた。北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。」と習った。
 
 <JR蘇原駅>あたりで中山道は国道を離れ旧街道へ入って行く。
 
小雨がまた降り出した。時間も夕暮れの5時に近く、今宵の露営地を探すことにした。
予定である<加納宿>は明日になりそうである。
 
名鉄<六軒駅>の近く、竹林寺の向かいに<六軒の一里塚跡>の碑が建つ。 
日本橋から103里(約412km)の地点である。
各務ヶ原市役所(かがみがはら)から少し先にある神明神社に今宵の露営地にさせていただくためお願いする。
神明神社の社殿をお借りして床づくりを始めた。
小雨はまだ降り続いており、雨音が社殿にも忍び入ってくる。
今宵は、神々と語り明かすことになりそうである。


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         六軒一里塚跡(江戸から103里)
 
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          今夜お世話になる神明神社馬頭観世音菩薩

 寝る前に、小雨に濡れた体を温めるため近くにある<日帰り温泉美人の湯かかみがはら
800円>に飛び込んだ。
 旅の疲れはいいものである。そこには温泉の湯があり、安眠をむさぼる寝床があるからである。そして、また明日の未知なる旅という希望と夢が、そこにあるからである。 
人生そのものではないか。
 
  日帰り温泉美人の湯かかみがはら>   800
 岐阜県各務原市蘇原申子町1-1   TEL:058-380-2622 

          
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                 <美人の湯 かがみがはら>