shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行52 <美江寺宿55⇒関ケ原宿 58>

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 53
   <同志社ローバースカウト創立50年記念事業 てくてくラリー通信記録>

(お詫び:ブログ新旧移行に伴う技術的問題により、広告・案内等と 一部文書・写真が重複して
     います)
 
 
 
   28日目  中山道てくてくラリー  美江寺宿55 ⇒赤坂宿56 ⇒垂井宿57 関ヶ原宿58 > 
                 20.0km/11h    5月15日


 
美江寺宿を出発>

 
美江寺宿で休養をとり、温泉につかって疲れを癒すことができ、清々しい気持ちでわれわれ弥次喜多
関ケ原宿に向かって出立した。

 
美江神社にある復元・高札場前の露営地でのテント泊に謝意を示したあと、美江寺観世音道に並ぶ
美江寺宿<本陣跡>(山本家)、<美江寺先手観音像>に立寄り、先に歩を進めると、            揖斐川の鷲田橋を渡る。

イメージ 1
美江神社高札場前の撤収
 
イメージ 2
美江寺観世音にご挨拶して出発
 
イメージ 3
松並が続く昔の美江寺観世音道
 

イメージ 5
 
揖斐川にかかる鷲田橋をわたる


 
鷲田橋の先にある古い町並みが残る<呂久の集落>の端に、            和宮記念公園<小簾紅園>がある。
 
和宮揖斐川を渡たる御座船で己の境遇を詠った和歌がある。
 
《 おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ
 
 
 
和宮降嫁については、この中山道てくてくラリーに幾度となく取り上げてきたが、ここ呂久川(揖斐川)渡船での和宮の心境を見ておきたい。和宮降嫁は公武合体という日本の歴史のエポックの一つ
として記憶にとどめておきたい。
 
 
 
瑞穂市の解説版<小簾公園・おずこうえん>(和宮遺跡)によると、

 
『金紋先箱を先頭に、警護の武士団や、色鮮やかな装束の宮中人の絢爛豪華な大行列が延々と続いた。
 
 公武合体のために仁孝天皇の第八皇女和宮が、徳川14代将軍家茂に嫁ぐため、中山道を御降嫁され
 た時の様子は想像を絶するものであった。
 
    惜まじな 君と民とのためならば
 
           身は武蔵野の 露と消ゆとも
 
 
 と悲壮なご決意をされた宮は、文久元年(18611021日京都を出発され、同1026瑞穂市呂久
 の呂久川(現在の揖斐川)を御座舟でお渡りになられた。その時、対岸の馬淵孫右衛門の庭に
 色麗しく紅葉しているもみじをお目にとめられ、一枝お望みになった。
 これを舷に立てさせられ、玉簾の中からあかずにご覧あそばされ
 
    おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 
 
   人なつかしく こがれこそすれ
 
 
 
 とご感慨をお詠いになられた。』



イメージ 6
呂久の集落に入る
 
イメージ 7
古い街並みが続く呂久集落
 
 
イメージ 8
        
        
和宮記念公園<小簾紅園>
イメージ 9
      揖斐川呂久渡船場