shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行59 <関ケ原宿 58⇒鳥居本宿62>Ⅱ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 61

 
29日目―② 中山道 
          <関ヶ原宿58 今須宿59 ⇒柏原宿60 ⇒醒ヶ井宿61 ⇒馬場宿62 
         25.0km/11h    516 
 
 
<今須宿 59>     弥次喜多日本橋より徒歩総距離730km  (立寄り地含む)
                               中山道 日本橋より114/456km

 

今須宿は、中山道美濃路、美濃十六宿の最西端の宿場であり、総戸数344軒・旅籠13軒の中山道
59番目の宿場である。

 

ここ今須宿は、妙応寺の門前町として発達し、さらに街道が整備されると 商業地としても賑わったが、
明治以降は東海道線が通りながら駅が 無かったため山間の静かな里へと変わり、現在に至っている。

 

東海道新幹線をくぐった先、旧中山道から脇道に入ったところにある小さな公園の中に、常盤御前
の墓>がある。

 
常盤御前の墓>

 

都一(みやこいち)の美女と言われ、16歳で義朝の愛妾となった常盤御前は、義朝が平治の乱で敗退すると、

敵将清盛の威嚇で常盤は今若・乙若・牛若の三児と別れ一時期は清盛の愛妾にもなった。

 

伝説では、東国に走った牛若の行方を案じ、乳母の千草と後を追ってきた常盤は、この地で土賊に
襲われて息を引き取るが、哀れに思った里人が、ここに葬って塚を築いたといわれる。

 墓には、2基の歌碑が建つ。

 

 

 

《 義朝の 心に似たり 秋の風 》  芭蕉 (左句碑表)

 

《 げに風の音も澄みけり 秋の松 》  春香園 (左句碑裏)

 

《 その幹に 牛も隠れて くらかな 》  化月坊  (右句碑)

 

  
常盤御前の和歌を一句のせておきたい。

 《 君をおきて 仇し心は なけれども 浮名とる川 沈みはてけり 》 常盤御前



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常盤御前の墓と句碑 


 

<今須の一里塚跡>  中山道 日本橋より114里・約456     
           南塚が復元されている。
 
 
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今須の一里塚跡114


常盤御前を後にして、当時は茶店があったであろう険要の地・今須峠を越え、<今須の一里塚>を眺め

ながら下ると、今須小学校にある<今須宿本陣跡>、問屋場跡>、<常夜灯>を経て、国道21号線と
JR東海道本線を横切り、楓並木を進み、再度踏切を越すと柏原宿の街並みに入って行く。

 

JR東海道本線の山中踏切を渡るとき、すれ違った精悍な列車顔、いつも弥次喜多に声援を送って
くれるのである。


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 山中踏切で出会った東海道本線の精悍な列車顔

今須宿に入り、町屋に混じる<問屋跡>を経て、なお進むとを芭蕉の句碑>に出会う。


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今須宿問屋跡 
 
 
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ざらし芭蕉道<奥の細道>と芭蕉句碑


 

今須のこの辺りが、旧中山道奥の細道美濃路・旧東山道)の分岐である。

 

中山道と交差する国道を渡ると、[おくのほそ道 芭蕉}の石碑と並んで句碑が建つ。

 

 

 

《 正月も 美濃と近江や 閏月 》      芭蕉

 

《 年暮れぬ 笠着て 草履はきながら 》   芭蕉

 

 

 

芭蕉は貞享元年(1684年)秋に母の墓参で江戸から生まれ故郷の伊賀上野を旅する。
東海道を通り、伊勢神宮伊賀上野西行を慕って吉野山の庵に、そしてここ近江路・美濃路
通り熱田神宮を参って再び伊賀上野に戻っている。

 
 
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 同志社ローバー創立50年記念オフィシアルTシャツを着て今須宿を行脚中