shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行64 <関ケ原宿 58⇒鳥居本宿62>Ⅶ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 65



 
<▲29日目  5月16日露営地―不知哉(いさや)川の河川敷に設営>
 

 
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              不知哉(いさや)川の河川敷で露営
 
《 とうとう琵琶の地に入った。

   祥介曰く、京の味がすると。 
   そう、なんとなくすべてに華やかさという味なる風が吹いている。
   醒ヶ井の西行水を口にしたとき、関西の味を感じた。

   今晩は彦根を流れる不知哉(いさや)川の河川敷にあるゲートボール場にテントを張っての一泊だ。
 昨晩と同じく曇り空、星の観察は諦めた。  <不知哉(いさや)川 = 現在の芹川>
 
  今日も暑い一日、どうしても冷たい飲み物に手が出る。
  120円でビールが自販機で買えるのだから、弥次喜多はドイツなみにぐいぐいといってしまった。

   いま村田君というライダー(オートバイでの野宿組)が差し入れを持って訪問してくれた。
  日本一周したおり鹿児島で事故を起こし、現在リハビリ中とのこと。
  テントを見たので無性にしゃべりたくなったとのこと。
 互いの体験談や工夫、情報交換をして別れた。趣味の一致する友とは良いものだ。
 
   年代を越えてなんとも言えぬ親近感をもつ。
 
 
  近場の中山道にも素晴らしい宿場がある。
   ぜひ足を運んでみられたらどうかと紹介する。柏原宿とそれに続く醒ヶ井宿だ。
   前者は景観保全、後者は水を配した宿場演出が中山道というノスタルジーに見事に調和し、
 訪れた者にその魅力を充分に堪能させてくれる宿場である。
 
 
  今日は、ほかに常盤御前の哀しい墓に出逢った。
 
   都一(みやこいち)の美女であった彼女は16才で源義朝の愛妾となり、義朝が平治の乱で敗退すると、
   敵の清盛の威嚇で今若、乙若、牛若の三児と別れ一時期は清盛の愛妾になったと言う。
 
   牛若を案じ、乳母の千種と後を追って、墓のあるここ(関ヶ原山中町の峠)で土賊に襲われ息を
 引き取った。
 
 哀れにおもった山中町の里人がここに塚を築いたという。
 
    芭蕉の一句が心に染みる、
 
  『義朝の こころに似たり 秋の風』  芭蕉 
    
 
    関ヶ原首塚といい、常盤御前の墓といい、今日は多くの無情なる風がわれわれ弥次喜多のこころ
    中を吹き抜けて行った。
  明日はさらに京の華やいだ空気が濃くなる。
 
    都を恋い焦がれた昔人の気持ちが分かるというものだ。
 
 
 
   《ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の 寝物語も しのぶばかり》  太田道権

 
   ではわれわれ弥次喜多も一句、

 
   《 帰り来て 眺むる杜鵑花 裏伊吹 》     弥次さん・實久    (杜鵑花―さつき)
 
   《 皐月風 田植忙し 不破の関 》       喜多さん・祥介
 
 
  いよいよ都人(みやこびと)に変身しなくちゃ。
 
   本日は関ヶ原を朝630分にスタート、今須宿、柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿をへて鳥居本宿に
   午後548分に到着。
 
   行程は約25km11時間を要した。 おやすみ   弥次喜多こと後藤實久&田中祥介  》