shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行66 <鳥居本宿62⇒武佐宿66>Ⅱ

2011星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 67
 

 ● 30日日目―①  中山道ラリー 
        <鳥居本宿63 ⇒高宮宿64 ⇒愛知川65 ⇒武佐宿66>
         24.0km/10..5h   517

 <扇塚>先にあるセブンイレブンで、熱いコーヒーで朝食を済ませ、多賀道を進むと 
 <高宮宿 常夜灯>に迎えられ、1624年に建てられた<多賀大社の大鳥居>をくぐる。
 
   中山道から少しそれるが、<多賀大社>(往復約10㎞)に立寄ることにした。


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  <高宮宿 64> 中山道てくてく 日本橋から総徒歩距離767km(立寄り先含む)
 

       高宮宿は、多賀大社門前町として栄え、
       《 お伊勢へ参れば、お多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる 》
         と唄われ賑わった総戸数835軒・旅籠23軒の中山道64番目の宿場である。
         
         高宮布または近江上布という麻布の生産地であり、近江商人が全国に行商販売した   
         重要品目のひとつであった。
 
         旧中山道である多賀道を進み<近江鉄道>を越えると旧庄屋横に高宮神社があり、 
         境内に芭蕉句碑が建つ。
 
《 をりをりに 伊吹を見てや 冬ごもり 》  芭蕉
 
         高宮神社前には、<旧近江商人 布惣跡>がある。
         その先にある多賀大鳥居をくぐり、鳥居上川(太田川)に沿って東へ、多賀大社
         向かう。


イメージ 1
高宮宿の町屋 宿駅<座・楽庵>
 
 
イメージ 2
芭蕉句碑「をりをりに」のある高宮神社 
 
       <高宮布の布惣跡>
 
          高宮布は高宮の周辺で産出された麻布のことで室町時代から貴族や上流階級の贈答品として
          珍重されていた。
         高宮細美とも近江上布とも呼ばれ江戸時代になってからも高宮はますます麻布の集散地として
         栄えた。
         現在五つの蔵が残っており当時の高宮嶋の看板も現存している。
 
 多賀大社
 

        「お多賀さん」の名で知られる大社で、祭神である伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と

         伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)の二神を両親として、天照大神八百万の神々を
         生み出したと古事記(日本の歴史)で伝えられている。

 

   いのちを生むといえば、百人一首に見られるようにそこには男女の情を詠った幾多の古典

         文学をこの国は残してきた。

 

 
        好きな一句を載せておきたい。
 
       《 ちはやぶる 神の持たせる いのちをば 
                        誰がたまにかも 長くほりせむ 》 柿本人麻呂
           ―神が支配する命なのだから 君以外のだれのために 長生きしたいと願うだろうか―



イメージ 4

 

 多賀大社から引き返して<多賀大社大鳥居>に戻った。

 

    旧中山道に戻ると、右手に芭蕉の紙子塚>、<高札場跡>、<脇本陣跡>、<問屋場跡>

   を巡りながら、天皇滞在にあたって命拾いした      止鑾松(しらんのまつ)のある<円照寺>に至る。

 

   円照寺の向かいに<本陣跡>、<脇本陣跡>があり、その先に犬上川が流れている。

  中山道は、犬上川にかかる<高宮橋>(無賃橋)を渡って、愛知川宿に向かう。

 

 
芭蕉の紙子塚> (かみこづか)

 

 《 たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子 》  芭蕉

 

 貞享元年(1684)の冬、縁あって小林家三代目の許しで一泊した芭蕉は、自分が横になっている姿を

   描いてこの句を詠んだ。

   小林家は新しい紙子羽織を芭蕉に贈り、その後、庭に塚を造り古い紙子を納めて<紙子塚>と名付けた。

 (高宮宿街づくり委員会)



イメージ 5
芭蕉の紙子塚>のある小林家跡
 
 
イメージ 6
 高宮宿本陣跡

イメージ 7
三光山 円照寺  (寺門奥に二代目止鑾松が見える)

イメージ 8
犬上川<高宮橋・無賃橋>を渡り愛知川宿へ
 
 
 
 
 

      につづく