shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行68 <鳥居本宿62⇒武佐宿66>Ⅳ

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 69
 
 
● 30日日目―③ 中山道ラリー
 
       <鳥居本宿63 ⇒高宮宿64 ⇒愛知川65 ⇒武佐宿66>
              24.0km/10..5h   517
 
 
  編み笠・合羽・天秤をかついだ近江商人銅像をみながら五箇荘の閑静な住宅街を通過すると、
  東海道新幹線をくぐり<武佐宿>に入って行く。そこには<奥石神社>が迎えてくれる。
 
  ここから現在の安土町を離れ、近江八幡市武佐に入って行く。
 
 
 
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奥石神社 
 
 
    旧中山道の街道沿いに、<鎌若宮神社>、秀吉の祐筆であった建部伝内ゆかりの寺<東光寺>、    
    <武佐神社>を経て、<高札場跡の碑>、<本陣跡>に至る。

    本陣跡の前あたりに<町屋 大橋家>、<旅籠 中村屋>と続き、国道421号線をまたいだところに
    道標<いせ三な口ひの八日市道>(伊勢水口日野八日市道)と、向かいの長光寺前に
    <愛宕山の常夜灯>がある。
 
    ここ武佐宿で同志社ローバースカウト創立50年記念中山道てくてくラリーに区間参加する隊員・梅田幹人君
    と519日に合流することになっている。
    当初、中山道てくてくラリーは多くの仲間と共に歩く計画であったが、ラリー直前の311に発生した
    「東北大震災」により、急遽変更し、代表者だけが震災支援バナー「がんばれ東北」・「がんばろう日本」を
    掲げ、震災支援カンパを募りながら実施することとなったことはすでに申しあげたとおりである。
 
    弥次喜多の休養と、時間調整のため今夜と明日の夜は、露営から解放されてベットの上で安眠を貪る
    こととなった。
    ここ武佐宿には、明後日の519日朝830分に、区間参加隊員・梅田氏と合流することになっている。


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武佐宿 高札場跡


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武佐宿 脇本陣


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武佐宿 本陣跡 


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<▲30-31日目夜 弥次喜多 帰宅してリラックス>  休養・調整日 5月17~18日

 

 

 

《 満月に 完歩夢見る 願いかけ 弥次喜多はやる 心抑えし 》  實久

 

《 とうとうゴール地点である三条大橋が射程範囲に入る近江八幡・武佐宿に到着した。

 

  19日朝9時頃、ここ近江鉄道武佐駅で梅田氏と合流し、草津宿まで歩く。

 

  弥次喜多も仲間が増え大喜びだ。

 

  今日は不知哉川(いさやかわ)の河川敷サイトを午前6時半に出発。

 

  途中、中山道をそれて多賀神社を参拝する。

 

  『伊勢へまいれば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の子でござる』 

 

  弥次さんの曾祖父は近江商人縮緬問屋として手広く営んでいた。

 

  絶頂期にはここお多賀さんの馬頭人をつとめた程であった。

 

  また成功した近江商人の慣例であった財産の地元への寄付行為もなされた。

 

  彼の場合は彦根市民病院の敷地を寄付している。


 

  しかしかかる繁栄は関東大震災による売掛金の未回収により長くは続かなかった。

  栄枯盛衰を見てきた天秤(てんびん)の里、豊郷・五箇庄を南下し愛知川宿を経て武佐宿に到着。

 

  途中、雨に出くわし弥次喜多は濡れネズミだ。

さて、19日に待ち合わせるとなると18日は調整日として休養することとし、弥次喜多は志賀の里、

 

  生駒の里にそれぞれ帰ることにした。母ちゃんに甘えたい。

本日の行程は、24km, 10時間30分であった。19日は武佐宿、守山宿を経て草津宿まで歩きたい。


 

いよいよ最終章だ。
東北大震災応援隊もその任務を終える時が近づいてきた。
<がんばれ東北>  <がんばろう日本> 
祈りが届いていることを願うばかりである。 

 

おやすみ。 弥次喜多こと 後藤實久&田中祥介 》



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       祈 り

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       感 謝
 
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 いつも喜んでいなさい
 
 
      

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 につづく