shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

中山道徒歩旅行78 <大津宿69 ⇒ 京都三条大橋・最終地>

2011『星の巡礼中山道てくてくラリー・550km徒歩旅行』 79
 
 
●34日目(最終日)―①  中山道てくてくラリー  
 
                   <大津宿69・長等公園 ⇒ 京三条大橋・最終地>
                                                          15km/6h    520 


 
同志社ローバースカウト創立50年記念 <中山道てくてくラリー> 最終日を迎えた。
34日目最終露営地 大津宿長等公園を5月21日8時30分出発する。
快晴、さわやかな朝である。
弥次喜多として、二人して苦難を乗り越えた喜びが、喜多さんの写真からも、弥次さんの日焼けから
伝わってくるようである。 
到着前に正装した弥次喜多のスカウトのユニフォーム姿が凛々しい。
 

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最終露営地 大津宿長等公園にて
 

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        到着前に正装した弥次喜多のスカウトのユニフォーム姿が凛々しい


 
 
<大津宿 中山道69次・東海道53次 最終宿場>
 
 
 大津宿は、東国からの京への玄関口であり、地政学的にも戦略上古代から要衝であった。とくに、
今歩いている中山道は、東海道草津宿で合流して大津に至るという大動脈である。
 
大津宿は歴史に翻弄され、歴史を眺めてきた静かにたたずむ宿場であり、総戸数3650軒・
旅籠71軒という大きな宿場でもあった。 
現在も大津は、静かな落ち着いた独自の生き方をしている点では昔と変わらない。
 
その当時の宿場の賑やかさは、広重の浮世絵<木曽海道(中山道)六十九次之内 大津>にも
表現されている。
 
大津宿をでて、逢坂の関を越えて京へ向かうのである。
 
東北地方からの米や耕作物、特産品が海路、敦賀を経由し、びわ湖を縦断して大津に荷揚げされ、
牛馬で京大阪へ運ばれる情景もまた、広重の浮世絵に描かれている。
 

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歌川広重画 中山道<木曽海道六十九次之内 大津>
中山道69次 大津宿から琵琶湖に浮かぶ沖島を望む)
 
 
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歌川広重画 <東海道五十三次之内 大津>
東海道53次 大津宿より逢坂の峠を越える牛車)

 
<大津聖マリア教会>に立寄り、弥次喜多による<中山道てくてくラリー>道中の無事に感謝するとともに、東北の震災地で今なお全身全霊で被災に立ち向かっている方々の奮闘に限りない恵みがあるように祈って、最後の旅路に着いた。
 
2011521858分、<大津聖マリア教会>正面の宣教用掲示板に掲げられていた聖句を胸に刻み、被災し昇天された多くの方々の復活を願ったものである。
 
《 わたしはよみがえりであり 命である。 わたしを信じる者は、 たとい死んでも生きる 》
 ― ヨハネによる福音書11-25 ―
 

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         大津聖マリア教会の聖句を胸に、京三条大橋へ足を向けた

 
大津宿から京へ抜ける逢坂に建つ<關蝉丸神社上社>、<逢坂山太子堂>にも無事の帰京を報告した。
 
逢坂を上りきると逢坂山關址の石碑と逢坂常夜灯、そしてその石碑を取り巻く歌碑が歓迎の唄声を
弥次喜多に贈ってくれた。
 
特に<關蝉丸神社>に祀られている芸能の祖神とあがめられる、琵琶の名手・蝉丸がびわを奏で、
和歌を詠いながらのお出迎えである。
 
 
<歌枕・逢坂山の歌碑>
 
 《夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ》 清少納言『後拾遺集
 
夜がまだ明けないうちに、鶏の泣き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ(あなたには絶対逢ってあげませんよ)
 
《名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人にしられで くるよしもがな》 三条右大臣後撰集
 
―恋しい人に逢える「逢坂山」、一緒にひと夜を過ごせる「小寝葛(さねかずら)」、その名前にそむかないならば、逢坂山のさねかずらをたぐり寄せるように、誰にも知られずあなたを連れ出す方法があればいいのに・・―
 
《これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関》   蝉丸後撰集
 
―これがあの、京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うという有名な逢坂の関であることよ―
 
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      逢坂山關址と逢坂常夜燈     歌枕・逢坂山の清少納言の歌碑


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       三条右大臣の歌碑                 蝉丸の歌碑 
 
 
 
逢坂山の関、そこに意外な人が弥次喜多を出迎えてくれていた。
 
いや、弥次喜多にとって予期しない出迎い人であった。
 
 
 
同志社ローバースカウトOBOG仲間のウエルカムバック・サプライズであったのである。
 
創立50年記念Tシャツを着た<中山道てくてくラリー>支援本部長村田氏が、仲間を代表して
出迎えてくれたのである。
 
中山道69次最後の区間をサポートしてくれるのである。
 
弥次喜多は、その喜びにすべての疲れを忘れ、胸を張ったものである。

 
絆ある仲間はいいものである。
 
そこには安心と信頼と安堵がある。
 
 
 
昨日、浜大津で迎えてくれた同志社ローバースカウト創立50年実行委員長田中夫妻をはじめ、中山道てくてくラリー最終地三条大橋で迎えてくれている多くの仲間がいることに深い絆を感じるものである。

 
かけがえのない素晴らしい仲間に感謝である。


江戸時代には、ここ大谷逢坂の関から追分にかけて土産物を売る商店や茶店などが立ち並び、京を出立する旅人や京に上ってきた旅人の人間模様で大変な賑わいであったという。
 
古来東海道中山道を行き交う旅人は、この地で休息をとり、走り井の清水でのどを潤し、<走り井餅>を腹に納め、<大津絵・算盤・針>といった名産品を買い求めたのである.
 

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走り井の月心寺

 
大津追分にある<大津絵発祥の地>は、逢坂山の関から1里(約4㎞)京都側に下ったところで、
現在の山科に入る前にある。
 
ここ街道筋にある大津追分(山科追分)は、大阪、奈良方面から伏見を通ってやってくる旧奈良
街道(旧伏見街道)がここで東海道中山道)に合流する分岐であり、交通の要衝であった。
 
「追分」とは、諸国の産物が行き交いその荷馬を追い分ける所からこの地名が由来したという。
 
 現在の東海道は国道1号線として、京阪電車京津線と並行して走っているが、旧東海道(旧中山道)は、逢坂の関の分岐で右へ入り、下っていくので注意が必要である。

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   大津追分にある大津絵発祥の地碑

 
三井寺観音(参拝)道>
 
出迎えの村田氏とわれわれ弥次喜多は、大津追分から下って山科へと入った。
 
その先に、大きな石柱に<三井寺観音道>(参拝道)と書かれた道標が目に付く。
 
この道は、現在の山科疎水が通る山を越えて大津に向かう<小関越え>との分岐であり、旧東海道
大関(逢坂の関)越えと西近江への小関越えの二つに分かれて大津宿に向かうことができたのである。
 
三井寺観音道は、三井寺への参拝道としてはもちろんだが、小関道として旧東海道の迂回路、間道、
西近江への近道として利用されたのである。
 
 昨夜、中山道てくてくらりー最後の露営地となった長等公園の近くに<小関越え>の京への大津側上り口が
あった。
 
ここ重要分岐には、<定飛脚問屋>が置かれていたという。
 

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          三井寺観音(参拝)道と旧東海道との分岐道標 
  
      (中山道てくてくラリー最終区間エスコートしてくれた村田氏)
 
 
 

 につづく