shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2020ブログ『星の巡礼 蔓陀羅山―大塚山散策』

2020『星の巡礼 蔓陀羅山―大塚山散策』
   ―金比羅宮と大塚山古墳を巡る―

 

金比羅宮は、びわ湖西岸真野に広がる丘陵地帯―現ローズタウン―を東西に二分割するように南北に横たわるひょうたん型の小高い山並みの南側の標高184mの曼陀羅山にある。
そして、大塚山古墳は、曼陀羅山より尾根伝いに北へ250mほど先の北側にある標高193mの大塚山にある。

 

           

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                                                             「史跡 大塚山古墳」石碑と

 

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           標高184mの蔓陀羅山 と 193mの大塚山 ルート地図

              (JR湖西線 小野駅付近ー地理院地図より)

 


最初、堅田にあるショッピングモール平和堂の三階のフードコートより眺めた北西に横たわる瓢箪型の山並みにくぎ付けになった。

というのは住宅街の中にひょっこりと2つのコブ(瘤)が突き出ていたからである。

なぜローズタウンという住宅街に、緑樹に覆われた双子の低山が横たわっているのか、俄然興味を抱いたと同時に、その奇妙な瓢箪型の低山に上ってみたいという願望に変わったのである。

 

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                      冠雪の比良山系の前に見える双子の丘陵(左・蔓陀羅山  / 右・大塚山)

            平和堂 堅田店三階より望む (前の広場は、JR湖西線堅田駅前)

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車を走らせると、なんといつも湖西高速道路の真野堅田インターチェンジへの道筋にあったのであるから驚きである。というのは今まで瓢箪型の小高い山並みが目に入っていなかったからである。

ローズタウン入口にあるJR湖西線小野駅の南側幹線道路を西北に進むと、右手にひょうたん型のコブの南側の山である曼荼羅山(標高184m)への階段が見えてくる。


その麓には駐車スペースがあり、階段登り口に石碑「金比羅宮」が建ち、立派な石鳥居が出迎えてくれる。

 

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              階段登り口に立つ石碑「金比羅宮」

 

階段状の参道は、丸太を土止めにする素朴な階段がつづき山頂の金比羅宮へと導いてくれる。階段参道の両側には桜が立ち並び、春爛漫の桜トンネルが待たれる。


なだらかな上り階段と思っていたが、上るにつれて老体に心地よい汗と疲れを感じさせてくれる。

香川県の琴平にある「さぬきのこんぴらさん」で有名な金刀比羅宮の階段を思い出す。

老人が登山靴を履き健康登山をされている姿が、この参道である山道の階段の風景によく溶け込んでいる。


ときどき休みながら後ろを振り返ると、びわ湖の恩恵を受けている湖西の街並みとその背後にそびえる比叡の山並みが、また途中峠からの比良山系の霊仙山から権現山への美しい稜線を眺めることが出来る。

この美しい眺望は、古より保たれていたであろうし、この地の頂にお墓をもうけて先祖を祀りたいと思う人もいたであろうと考えながら、階段を踏みしめて蔓陀羅山の頂にある金比羅宮に立った。

 

この急な階段参道を上ることは、金比羅宮への道として御利益があるのであろう。

蔓陀羅山頂に「金比羅宮」の社殿があり、ご利益のある護符を授ける社務所もある。
古来より海の神様(この地では湖の航海をつかさどる神様であろう)、五穀豊穣、大漁祈願、商売繁盛など広範な神様として、善男善女の信仰を集めて、ご利益を求め多くの庶民が訪れる人気の神社(宮)であり、パワースポットであったらしい。
なかでも金運と縁結びはもちろんだが、縁切りのご利益があるというのだから面白い。
その他、豊作の神、医薬の神、技芸といった音楽芸術の神でもあるという。そのご利益は万能であるのだから、庶民にとってまたとない祈願の地であったに違いない。

 

しかし、豪恕(ごうしょ)上人による「金比羅宮」勧進の主たる目的は、地域の水利の改善による繁栄にあったことは碑文解説に見られるとおりである。  

 

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                 蔓陀羅山頂にある 「金比羅宮」全景

 

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    金比羅宮                     社務所

 

ここは蔓陀羅山という。 山の名がいい。

 

しかし、なぜ天台宗の高僧である豪恕(ごうしょ)上人がこの山を開山し、蔓陀羅山と命名したのだろうか。
金毘羅宮の左横に、ここ蔓陀羅山を開いた天台宗の高僧の法名「探題前大僧正豪恕」と彫られた石碑が建っている。
探題(たんだい)とは、探題職のことをいい、座主が万一の場合、この探題職の順位で次席の者が上任することになっている。
座主の次の位にあった大僧正がこの山を開いたと思うだけでも、いかにこの蔓陀羅山が生活に密着した重要な地であったかが推測できる。


日本史から見て、飛鳥時代の667年、ここ近江の地には飛鳥から移ってきた天智天皇が営んだ「近江大津宮」があり、一時短期間だが日本の中心であった。
ここ蔓陀羅山近くには多くの古墳が散在している。

 

とくに有名なのは、ここ小野の里には同時代607年 聖徳太子の命により、遣隋使として活躍した小野妹子の墓があることである。 小野妹子神社の後ろには、妹子と関係があるといわれる唐臼山古墳(大和朝廷の官人だけが造営を許されたという)もある。是非立寄ってみたい。 (所在地:滋賀県大津市水明1丁目)


わたしは現在、日本書記に出てくる天智天皇の都「近江京」のあった近江国滋賀郡(現大津市・旧志賀町)に居住しているのだから興味が尽きないのである。
この地、大津京のあと平城京平安京へと移り、日本の歴史は連綿と続き、現在に至るのである。
実に、歴史は面白い。
その歴史の中に生きており、そしてそのいにしえの中心に立っているのだから愉快である。

 

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 墓碑「探題前大僧正豪恕」            豪恕上人に関する解説版    

 

 

ここ蔓陀羅山から南西の彼方に天台宗総本山である延暦寺がある比叡山の雄姿を見ることが出来る。
また眼下に堅田の街やびわ湖にかかる「びわ湖大橋」を一望できる。

石碑の横にある案内板には次のように解説されている。


「碑文について
 豪恕(ごうしょ)上人 = この山(蔓陀羅山)に金比羅宮を開基した人,
 上人は愛知郡泰荘町の出身
 比叡山延暦寺で修行し寛政七年(1179年)大僧正
 となられました。 碑文に「探題」とあるのは延暦寺
 の座主に次ぐ高い位のことです。
 上人は、水脈や水利に造詣が深く字に秀れ、上人の書
 を家に貼っておくと火災除けになると評判でした。
 昔から(ここ真野)普門村は水利が悪く経済的にも苦しいので
 上人に依頼し溜池を含め色々と世話になったと
 いわれます。 また将来も水に恵まれ水利の向上が図ら
 るよう見晴らしがよく由緒ある蔓陀羅山山頂に
 「金比羅宮」を勧進し社を建て、地域の繁栄を祈願
 したと伝えられています。  文責 中野清明」 (一部抜粋)

 

 

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蔓陀羅山山頂より びわ湖大橋方面を眺める                          

 

 

金比羅宮」のある蔓陀羅山は、南北にある双子の山の南側にある。
金比羅宮を右へ回り込んで下っていくと、北側にある大塚山へ向かう尾根に出る。
尾根に出る前に、ローズタウンに下りる作業道路があり、その手前に電波塔が樹立する。
この尾根からは東西にローズタウンの街並みが見渡せる。 

 

その尾根の鞍部に、豪恕(ごうしょ)上人が
地域繁栄を願って手掛けた水利事業の遺産として現代に受け継がれ、上人の偉業を形にした巨大な2基の貯水タンクが設置され、地域の水利の便に供されている。
また、地理院地図をみると双子の山の周辺に9個の溜池が確認できる。
いかにこの周辺が大昔から水利の便が悪かったかが分かるのである。

 

しばらく痩せ尾根に咲くツツジの花を愛でながら進むと、双子の北側の山、史跡・大塚山古墳のある大塚山に出る。

 

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     電波塔群        双子の山をつなぐ尾根道    お山はすでに春、ツツジが咲いていた

 

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        水利対策の真野配水場の巨大貯水タンク (双子の山の鞍部)

 

 

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           大塚山に向かう尾根より西側の夕日に沈むローズタウンを望む

 

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                     南側の堅田の街並みを望む

 

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                東側の小野・ローズタウン・びわ湖を望む

 

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              大塚山の「和邇大塚山古墳」より蔓陀羅山を望む

 

古代のロマンの詰まった古墳に興奮を抑えられない。
この大塚山に古墳という花が咲いていたのである。古墳の根が1500年近くもこの地に張っていたのだからワクワクするのも当然である。
エジプトの砂漠の地でピラミットをスフィンクス越しに見上げた時のワクワク感が蘇ってきた。
古墳物語が頭をよぎり、ページを忙しくめくりだした。
まず歴史の事実を見ておきたい。

 

和邇大塚山古墳」(わにおおつかやまこふん)

双子の山の北にある大塚山は、南にある蔓陀羅山より9m高い193mの標高である。
この大塚山に約1500年前に造られた古墳がある。

 

和邇大塚山古墳」は、滋賀県大津市小野朝日2丁目、丘陵地の大塚山頂にある。
紀元後500年ごろの造営で、墳丘は鍵穴型の前方後円墳であるという。


古墳の規模は、二段構築の後円部が50m径X8m高、前方部が30m幅X5m高であり、全長約72mという。
1988年の発掘調査で、石室は、竪穴式石室といわれ、すでに発掘・破壊されていたといわれている。
また、出土品として、中国製青蓋盤竜鏡・硬玉製丁字頭・碧玉製管玉・鉄剣・太刀・斧・甲冑類・土師器などが出土したことが伝えられている。
現在、志賀町は合併し大津市となっている。

 

志賀町教委員会によれば、

 

「(和邇)大塚山古墳は、志賀町の最南端、大津市との境界線上に南北に横たわる蔓陀羅山の最高所(標高191m)に所在する全長約72mを測る前方後円墳である。
前方部を南東に向け、その側面を小野集落およびその沖合の湖上からよくとらえることが出来る。
封土は二段構成で、前方部の先端は、バチ形に開く。 墳庇斜面の各段には、表面を人頭大の礫を敷き詰めて土止めしている。
だが、埴輪は設置されなかったようである。
古墳の埋設施設は後円部中央にあるが、すでに明治40年に地元の人により発掘され破壊されている。
礫床の上に作られた粘土棺であったようである。
4世紀後半から5世紀初頭頃に造営されたものと推定される。 

平成2年3月 志賀町教育委員会

 

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石碑「史跡 大塚山古墳」           「史跡 大塚山古墳」解説版            

 

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石碑横にたたずむ無縁墓     大塚山山頂にある一級基準点・三級水準点に出会ってほっとする

 

金比羅宮のある蔓陀羅山から大塚古墳のある大塚山に向かう尾根の枯草の上に仰向けになって暮れゆく冬空を眺めると、ハミングを口ずさみながらゆっくりと東に向かう風に出会った。


風は時間の流れに逆らわず、比叡の峰から琵琶の湖(うみ)に向かってスローモーションを見るようにその翼を上下させている。わたしのこころに手を振りながら風は、歴史の彼方へといざなってくれている。

空を見上げると、雲隠れしている太陽も仲間に入れてくれといっているようだ。

 

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わたしは、この一瞬を切り取った風景が好きである。
風に揺れた一枚の枯葉が、落ちてわたしの頬に触れた。
人生での出会いにぬくもりを感じる瞬間である。


生きるとはなんと神秘的で、神々しいことだろうか。

心地よい散策を終えて帰路に着いた。