2020『星の巡礼 淡路島一周サイクリング老人の旅』①
《第一日目 岩屋⇒由良生石》
2019年3月、びわ湖一周サイクリング時、次なる目標に<淡路島>をあげていた。
1年かけて、サイクルロードの情報の収集・携行品・淡路島の歴史ほか楽しい準備期間を過ごしてきた。
その間に、病床にあった友が、息子さんの誘いで淡路島一周の車の旅に出かけ、その自然の美しさと父子のこころの結びつきを熱く語ってくれたことが決定的な後押しとなった。
また、神話の島としての神秘性にもこころ魅かれていた。
老体に一抹の不安があったが、この世を去った友にもう一度淡路島の潮風にふれ、天地創造なる夕陽を見てもらおうと意を決して出かけてきた。
すべては、<淡路島サイクリングマップ>の取り寄せから始まった。
<淡路島サイクリングマップの取り寄せ>
淡路島サイクリングマップ
下記リンク先のPDFより取りだすことが出来る。
https://web.pref.hyogo.lg.jp/awk12/map.html
(兵庫県 淡路県民局サイト)
<世界一の吊橋 明石海峡大橋>
淡路島一周のサイクリングを始めるには、世界一の吊橋である明石海峡大橋(全長1991m)を渡るか、高速フェリーによる淡路ジェノバライン(明石港―岩屋港 13分)を利用することになる。
今回は老体を考え、輪行袋での淡路島一周スタート地点である岩屋への公共交通機関(フェリー・バス)での移動をあきらめ、車での移動となった。
垂水インターより始まるトンネルを抜けると、突然青空に吸い込まれる世界一の<天空の吊橋>が目に飛び込んでくる。アーチ状の吊橋を上りきると、その先に神話の国<淡路>を見下ろせるのである。
<初めての淡路島は原付オートバイで縦走>
明石海峡大橋には懐かしい思い出がある。 若かりし頃、ホンダ・マグナ50㏄で日本一周ツーリング途上、この原付オートバイで垂水インターより大橋に闖入。 当時はのんびりしていたのだろう、インター入口でのお咎めはなく、マグナ50㏄が250㏄に見間違われての進入となってしまった。
大橋を渡り始めてまもなく、パトカーの呼びかけに停車させられ原付オートバイは通行禁止であることを告げられる。わたしは大橋開通以来、初めての原付自転車での乗り入れと大橋を通行した記録をつくることになってしまった。
それも、大橋は一方通行で、折り返し方法がなく、赤色灯とサイレンを鳴らされながら、これまた大橋初めての原付自転車の最高速度30㎞/hという超低速でのろのろと淡路島岩屋インターへ誘導されたのである。
本当は日本縦断時に<しまなみ海道>をサイクルしたように、瀬戸内海の明石海峡を自転車で渡りたいという夢はあったが、この明石海峡大橋は自動車専用橋でその夢をかなえることはできなかった。
ただ偶然にもあの日、原動機付自転車で渡れたのだから良としたい。
<亡き友と共に淡路島一周>
昨年10月末、自宅療養を続けていたわが友・竹内正照君は、息子さんの運転で淡路島を一周したと、月例友の会の昼食会で目を輝かせ、うれしく語ってくれたものである。
輝かせた目に生きる炎を燃え立たせ、無口は雄弁に変わり、息子さんとのドライブがこの上ない喜びであったことを表現していた。
長距離ドライブの苦痛よりも、父子の無言なる情愛の心地よい交歓に酔いしれていたことを物語っていた。
その友は、この世でのなすべきことをなし終えて昨11月14日召天、帰らぬ人となった。
その彼が体験したであろう淡路島の心温まるサンセット・夕陽の情景をもう一度見せてやろうと遺影(写真)を懐に忍ばせてのサイクリング行となった。
亡き友も仰ぎ見たであろう天地創造―淡路島サンセットラインの夕陽
《無の風に 戯れ遊ぶ 雲遮月 悲しみ深き 君の旅たち》
《時来たり 旅立ちし君 スカウトや こころ清めて 弥栄贈る》
《安かれと 祈りし我に 微笑みて 清けき風に 戯る君や》
《友往きて 残せし香り 白菊の 想いて哀し 君の残像》
<神話の島 淡路島>
淡路島は、古事記・日本書記に出てくる神話<国生み>の島であり、イザナギ(伊弉諾)とイザナミ(伊弉冉)が結ばれて生まれた島といわれる。
その源である淡路島の二か所、ここ岩屋にある<絵島>と、淡路島南西に浮かぶ<沼島>と、西岸郡家にある伊弉諾神宮を訪れてみたい。楽しみである。
世界一の吊橋の雄姿<明石海峡大橋> 全長1994m
夕陽を浴びてピンク色に染まる明石海峡大橋を眺めて、その美しさに見惚れた。
美しく、どこが優雅である。
バックパックを背負い世界一周の途上、ユーラシア大陸をまたぐボスポラス海峡大橋(トルコ・イスタンブール)を思い出した。橋は、人類をつなぎ、歴史をつなぎ、愛をつなぐ。橋にはいつも夢がかかっているのである。
話は変わるが、びわ湖にも松尾芭蕉が詠んだわたしの大好きな一句が残っている。
《 比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋 》 (俳諧翁艸)
この夢の鷺の橋が、芭蕉が詠んでから174年後に<びわ湖大橋>として完成している。
夕陽に映える明石海峡大橋(手前淡路島岩屋と対岸明石をつなぐ夢の大橋)
懐かしのボスポラス海峡大橋 芭蕉が鷺の橋と詠んだ夢の橋<びわ湖大橋>
(手前ヨーロッパと対岸アジアをつなぐ夢の大橋)
<岩屋―淡路島一周サイクリング起点に到着>
神戸淡路鳴門自動車道の明石海峡大橋を渡り、淡路インターでおりて、サイクリング起点と決めている<道の駅 あわじ>に到着した。
岩屋で一泊し、水の補給、緊急用食料の調達、サイクル地図や情報を収集。
出発前日、体を休めるため、道の駅近くの丘の上にある日帰り湯<美湯 松帆の郷>につかり、照明に浮かぶ魅惑の明石海峡大橋を楽しんだ。 淡路島一周を成し遂げた折も、同じ湯につかり、老いの体を癒したものである。
淡路島一周サイクリング起点<道の駅 あわじ> 出発前日、体を休めた<美湯 松帆の郷>
明石須磨方面の夜景をバックに着飾った明石海峡大橋 <美湯 松帆の郷>より
■ 1日目 <2月18日> 快晴
<岩屋―東浦―淡路市―洲本―由良―生石(おいし) >
岩屋(国道28)-洲本(県道76)-生石分岐より生石鼻(由良要塞跡)に向かう
走行距離 51KM : 走行休憩時間 11H
△1日目露営地 : 生石山頂「本土防衛由良要塞跡」
06:30 明石海峡大橋をスタートする
<淡路島サイクリストロード 起点>
淡路島サイクリストロード 起点標示は、高速船のりばであるポートビルより南約200m先にある。 一周サイクルロードには岩屋を起点とした同じ地点(距離)標識がたっているので現在地を確認するのに役立つ。 ただし、サイクルロードの時計回りルートにだけ表示されている。 路面にもサイクルサインが描かれているがごく一部に限られている。
<淡路島サイクリストロード 岩屋起点標識> 路面のサイクルサイン
起点 スタート 0km 地点
ゴール 150km 地点
<高速船 淡路ジェノバライン 明石 ⇔ 岩屋>
明石から岩屋への交通機関は、所要時間13分の<淡路ジェノバライン>高速船がある。
5時~23時の間に1~3本の便が出ている。
片道運賃は、大人530円と自転車240円、計770円である。
自転車は輪行袋に関係なく運賃をチャージされる。
岩屋漁港を回り込むと明石行き高速船のり場<ポートターミナル>があり、右手にバス乗り場がある
本四海峡バスのバス停<岩屋ポートターミナル>
<淡路市は子午線の通る町であるー中央標準時 東経135°>
淡路市ー子午線の通る町<中央標準時 東経135°>
《アワイチのサイクルルートを走りながら淡路国の歴史を訪ねたい》
<絵島―国生み神話に伝わる「オノコロ島」・淡路島>
絵島は、国生み神話に伝わる「オノコロ島」伝承の地だとされる場所の一つである。ほかに、明日通過する淡路本島の南西にある沼島もまた「オノコロ島」といわれている。
古事記に出てくるイザナギノミコト・イザナミノミコトによる<国生み神話>で知られ、神々がつくり出した最初の島がここ淡路島といわれている。
絵島「神話オノコロ島」と西行法師の歌碑 神話オノロコ島のもう一つの「沼島」
《千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな 》 西行(山家集)
千鳥の鳴いている絵島の浦の澄んだ月を、波に移してみている。今夜の絵島は
何と美しいことか。 ―平家物語の「月見」よりー
奈良時代には淡路島にすでに「淡路国」が置かれ、畿内(都周辺)から阿波(徳島)に通じる「南海道」(現在の国道28号線の一部)という重要なルート<由良港―洲本―三原―賀集―福良港>があった。
淡路島の東岸は、大阪湾・紀淡海峡に面しアップ&ダウンの少ないサイクルロードである。この日も美しい白雲の間からさんさんと南国のような陽光が白浜に差し込んでいた。 快適な広々としたサイクルルートに沿って棕櫚、蘇鉄、ヤシの並木がつづき、アロエの赤い花たちも情熱的に歓迎してくれる。
日本縦断の時に走った宮崎の日南海岸を思い出していた。
<淡路島東岸の典型的なサイクルルートの風景>
<明石海峡公園沿いのサイクルロードを南下する>
<淡路夢舞台>あたりの広々としたアワイチサイクルロード
<似てるね、淡路島は琵琶湖の双生児か―比較してみよう>
ダイダラボッチ伝説を学生時代に聞いたことがある。確か柳田邦夫著「ダイダラ坊の足跡」 に出ていたが、ダイダラボッチとは<大太郎法師>で、その巨人の馬力で土地移しをやったという話(伝説)だったと思う。そこでは近江の土地(びわ湖)を掘った土で富士山を作ったという伝説であった。
しかし今回、淡路島一周サイクリングをするにあたって島の地図を眺めることが多く、その都度前回走ったびわ湖の形と類似することが気になっていた。
形を逆さにしたり、周囲の距離、面積(大きさ)を比較してみても類似点が多いのだから驚きである。
淡路島がびわ湖の姿に似ているのは、ダイダラボッチ(巨人)が作った島であり、湖であるという伝説を作りあげても面白そうである。夢を語り伝えるのは愉快である。
面積で比較すると、琵琶湖 669㎢・淡路島 593㎢であり、周りの距離ではびわ湖189km・淡路島150㎞で淡路島の方がわずか小さいが、ほぼ同じである。
また地図を見ると、淡路島の南に浮かぶ神話の島である<沼島>が、びわ湖の北にある<余呉湖>に不思議なほど同じ位置にあることに気づかされるのである。
☟余呉湖 ☟沼島
淡路島 びわ湖 逆さ淡路島
<道の駅 東浦ターミナルパーク>
「アワイチ」である国道28号線を南下、あたたかい陽光を浴びながらペダルを踏んでいると東浦漁港につづき「道の駅 東浦ターミナルパーク」に着く。しばしの休憩、WCを済ませ、水・飴・チョコを補給。 ここにはレンタサイクル<Bicycle Hub Awaji>がある。
出迎えのロンドン紳士と 東浦漁港
標識「道の駅 東浦ターミナルパーク」で左折 「道の駅 東浦ターミナルパーク」
<宿泊温泉情報―「東浦サンパーク」>
国道28を道の駅より南へ進むと、久留麻の信号の手前にあるコメリの横を入って行くと「東浦サンパーク」に出る。宿泊3200円より、日帰り湯730円。
<西日本最大の縄文集落佃遺跡>
ここ東浦には、西日本最大の縄文集落佃遺跡(つくだいせき)があり、淡路島にはすでに今から約2500年前人の営みがあった。
遺跡からは、竪穴住居跡や丸木舟の一部が発見されているという。
淡路島には佃遺跡をはじめ、縄文集落が20ほど残っているから遺跡発掘に興味のある研究者には夢の島である。
さらに弥生時代には淡路島の至る所に水田跡があったことが分かっている。 そして、豊作を神に祈ってお祭りをする際に使われたと思われる銅鐸がたくさん出土している。
もし時間が許し、体力があれば立寄って見てはいかがだろうか。
日本の原風景に出会えるかもしれない夢の島でもある。
道の駅・東浦ターミナルパークをでて、巨大な白亜の観音様の激励を受け、海風に押されながら淡路市を目指す。
巨大な観音様の出迎えを受ける
<由良方面を望見しながら、東浦の街を駆け抜け淡路市に向かう>
淡路と洲本の中ほど、安乎に「シーアイガ海月」がある(情報:宿泊4100~・日帰り湯600円)
明日走る由良からの<水仙ライン>には、コンビニや食料調達の店がないので洲本のイオンに立寄り、食料を購入する。
南国の太陽はまぶしいので、ダイソーではサングラスを手に入れることにした。
洲本のイオンで食料購入 大浜海浜公園の美しい松林と砂浜(洲本) WCあり
洲本から由良に向かって断崖道路(県道76)となる 大浜公園先より洲本城址に立寄る
<淡路島の代表的な城 洲本城>
洲本の大浜公園をでて、県道76を南へ少し走ると、右山手へ入ると、洲本城への急な坂道がある。
洲本城址の石垣は見事である。
洲本城は標高135mの三熊山頂に建っている。淡路水軍として活躍した安宅(あたぎ)氏によって築城された。洲本港を見下ろし、遠くは友が島水道を挟んで紀伊の山々が霞んで見える。
大阪湾を見渡すことのできる洲本城は、由良城・炬口(たけのくち)城とならんで、淡路水軍の根拠地であった。
その後、天下統一を目指す秀吉は安宅氏を滅ぼし、洲本城をして淡路島全島を支配させた。
また1615年には、大阪の陣で功績のあった徳島藩主蜂須賀氏に加増され、洲本城を政治的に利用した。
洲本城(復元) 立派な洲本城の城壁
<淡路島と信長の天下統一への道>
天下統一に立ちあがった織田信長は、 中国地方の毛利氏との決戦に備えて、秀吉を大将に 進撃を開始させる。この時、秀吉は瀬戸内海の制海権を持つ毛利水軍を撃破するため、 淡路島への攻撃を始める。
1581 年、秀吉は、敵対する淡路島の武士をすべて攻め滅ぼしてしまうのである。
この洲本城は、安宅(あたぎ)氏の主城で、ほかに淡路島には岩屋城、安乎城、炬口城、由良城、猪鼻城、白巣城、湊城の全部で8つの城があった。
洲本城でも見られるような立派な土塁や城壁がいまでもいくつかの城跡でみられる。
<案内板より抜粋>
県道76にもどり、由良に向かうが、歩道はなく車道との共用道路を走ることになるので車には十分な注意を要する。
ヘルメット、後方点滅灯、サイドミラーを確認し、路肩走行を心がける。
友ケ島水道にうかぶ白雲に春の訪れを感じながら南下を続ける。
洲本城址より紀淡海峡先の和歌山の峰々を遠望 県道76(海岸道路)を由良に向かう
▲ 1日目露営地―生石公園・由良要塞(標高118m)
県道76の由良生石(ゆらおいし)分岐で、真っすぐ進む<アワイチ>(淡路島一周サイクルロード)と、左折して今夜の露営地に向かう生石公園道路に分かれる。
分岐を左に進むと、急登し山頂の要塞跡<1日目露営地>にでる。
分岐<由良生石>を左折、今夜の露営地に向かう 生石公園第二駐車場展望台に設置されているスタンプ
露営地(生石山標高118m)への急登を手押しで上る 設営前に要塞跡を下見散策する
☝生石山第一砲台(第二駐車場) <由良要塞全容図>
1日目露営地は地図左の<生石山第一砲台>付近でテントを張る。
<生石山第一砲台跡>
設営完了 <生石山頂・由良要塞跡にて> 夕食準備
<ペリー来航 と 松帆台場(砲台)の備え>
ペリー来航を機に幕府は、開国し、貿易を強いられる激動の幕末が始まっていた。
幕府や諸藩は、外国艦船に対する海防の強化に迫られ、幕府は、江戸品川に「お台場」を築造する。
徳島藩の支配下にあった淡路島では、淡路の由良・洲本・岩屋に「台場」を築造し、武士だけではなく、島内の百姓の若者を訓練して警備につかせたといわれている。
<大阪湾・京阪神を守る由良要塞―生石山>
明治政府は、日清戦争を機に和歌山県加太から由良にかけて要塞(砲台)を建設した。京阪神を 防衛する大きな使命をにない、陸軍要塞としては、 東京湾要塞に次ぐ重要な地点と位置づけられた。
ここ由良には、要塞司令部が置かれ、生石山砲台や関連施設が建設された。
敗戦後、アメリカ軍の命令により、由良要塞の施設は爆破されたが、砲台跡は今も見ることができる。
諭鶴羽山439m方面に沈む夕日 <生石山頂より> 夕焼けに染まる紀淡海峡
すでに太陽も沈み、強風が吹き始めた。
深夜は厳しい寒さになりそうである。 ラジオ・ヘッドライト、水、ホイッスル・スティック(獣撃退用)・小用袋とカイロを準備し、眠りについた。
《ああわれいま淡路島 由良要塞に臥して》
ああわれいま由良要塞におり
亡き将兵と共に臥して
ワインを献じ 霊を慰める
強風 われを明治に誘いて
心躍らし 敵艦隊遅しと
遥かなる友ケ島と交信す
灯火信号ありて
「われら意気軒昂なり」と
漆黒の紀淡海峡 黙して眠らず
ああわれいま由良要塞に臥し
英霊と同じ風を味わい
国防の要塞で心躍らすなり
2020『星の巡礼 淡路島一周サイクリング老人の旅』②
《第2日目 由良生石⇒明神の浜》
につづく
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淡路島観光協会<淡路島おもしろマップ>