shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2004『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』①<大阪⇒西安>

星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』①前編 

       星の巡礼者 後藤實久

    <シルクロード踏破 大阪⇒西安

 

<はじめに>

2020年4月15日現在、中国武漢で発生したコロナウイルスが全世界に伝播し、感染者190万人・死者12万人を越えたとWHOは伝えている。
日本でも7つの都府県市に緊急事態宣言が発せられ、感染者7700人・死者110人であると厚生省が発表した。

最近、中国の一帯一路による覇権主義や、ウイグルチベット少数民族弾圧などに関するニュースを目にすることが多い。
その中での今回の中国武漢におけるコロナウイルスの発生である。
コロナウイルス防御の決め手は、手洗い励行、マスク着用、自宅待機により三密<密閉・密集・密接>
という古典的な方法であるという。
行動原則 <ひとからもらわない  ひとにうつさない> を徹底しょう。 

日々拡大するコロナウイルスの感染者に寄り添い、命を顧みず献身的に治療にあたっておられる医療従事者のみなさんに感謝の気持ちを伝え、声を大にしてエールを叫ぼう。
<頑張れニッポン! 頑張ろうニッポン!>

わたしも後期高齢者、みなさんに迷惑をかけないように自宅にこもり、隣接する森の再生のため枝打ち、間引き、蔦の除去に汗を流している。
また、自宅待機要請に、2004『星の巡礼 シルクロード16000㎞踏破日記』の写真やスケッチ、記録ノートを整理することにした。

なかでもシルクロード中国最西端国境の村クシュクルカンで姿を消した「消えたスケッチブック」が現地当局と村民の熱意と好意によって1年後に発見され、ここ志賀の里に里帰りしたエピソードをお伝えし、<シルクロード踏破16000㎞日記 前編> を書き終えることにする。

当時のシルクロード中国を、現在の中国の経済や政治状況を鑑みながらお読みいただければ幸いである。
日中両国の人民による相互理解の上に立って、息の長い友好関係が続くことを祈るものである。

 

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      西の万里長城入口「天下第一雄関」は、シルクロードの要所・嘉峪関にある

 

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            2004『星の巡礼 シルクロード16000km踏破日記』 行程表
                     2004年7月30日~11月13日

 

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        シルクロード16000km踏破ルート地図  (NHK発行地図参照)

 

 

《 7月30~8月1日  船舶・蘇州号 大阪港12:00出航 ⇒ 上海港11:00入港》

 

<蘇州号で上海に渡る>

2004年夏7月30日、少年時代に読んだマルコポーロの冒険と夢に満ちた「東方見聞録」の跡をたどって大阪から蘇州号に09:30am乗船、12:00出航の汽笛を聞きながら、ローマ目指して16800㎞のシルクロード西進をスタートさせた。

 

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               大阪を出航し、上海に向かう<蘇州号>

 

蘇州号は、夏季休暇を日本で過ごした旅行客や中国の修学旅行生でにぎわっていた。
こちらは、昔蚕棚といわれた三等寝室で、中国からの留学生に囲まれ、遣唐使気分である。
船には、日本での勤務を終え、中国経由で帰国するスコットランドのジョンやオランダのポールとの
親交を深め、情報を交換した。

 

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       中国からの修学旅行生との日中交流

 

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             上海港にてジョン&ポールと

 

遣唐使は、荒波の海を帆船で命を懸けて何週間もかかって中国大陸に向かって渡海したのに比べたら、わずか2日半の船旅である。台風接近という悪天候のもと、タグボートに押されて、回転運動を行い、船首を上海に向けた。

 

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       復元遣唐使船               現代の遣唐使船 蘇州号

 

<蘇州号船内生活>

ランチ、700円の中華定食(四川風麻婆豆腐・チンゲン菜・五目スープ・米飯・烏龍茶)を堪能した後、約束していた英国青年キパー君とディナーを共にすることになった。
彼は英国の教師協会に属し、協会から派遣されて岐阜県立大垣北高校で英語の教師を三年間勤め終え、母国英国への帰路にある。
上海から、北京を経由し、ウランバードル(モンゴル)よりイルクーツク(ロシア)に入り、シベリア横断鉄道にてモスクワへ、その後リトアニアポーランドハンガリー・フランスを経て帰宅するので、青年時代の夢が実現するという。
英国の青年は、かかる派遣制度を利用して、いまなお全世界へはばたき、当地の歴史・生活習慣・人的交流などをとおして己を磨く修行をするようである。それは幾世紀にも及ぶ、長きにわたる英国の海外統治の歴史によっているのであろう。
「わたしは日本がだいすきです。」 この一言に彼の東洋的神秘性を見ることが出来る。

 

夜、メインホールに哀愁に満ちた中国の歌曲が聞こえてくると、中国の若者たちが曲に合わせて歌い出す。
若者の熱気、天を衝く歌声、歌には国境はなく、自由と平等を謳いあげている。

色とりどりの女子学生の下着が、通路の手すりに花のように咲きほこっている。
おおらかである。共産主義の国の青年たちも、自由主義の国の青年も、主義主張を論ずることもなく若者独自の世界を演出しているのである。

 

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                 上海入港の蘇州号にて 

 

シャワー室で、下着を手洗いし、汗を流す。
21時45分消灯。中国青年4人と相部屋。 そのうちの一人は、立命館大学衣笠校舎で国際経済を学ぶ留学3年生。広東に夏休み帰省するという。


現在、共産中国は鄧小平のもと改革解放経済を推し進め、2004年現在、名目GDPは16.8%(2819億US$)であり、イタリアを抜いて世界第6位の経済規模になっている。
更なる飛躍を目指して、欧米日の経済政策や科学技術を学ばせるため多くの留学生を派遣している。国を代表している中国の若者たちは、すべての行動や会話の中に明確な計画と信念を見て取ることが出来る。
富国強兵を国家目標に掲げた日本の明治初期の青年たちの気概に似ている。


中国には青年たちの夢が詰まっている。将来どのような国になっているのだろうか。

 


《 上海 - 8月1日 晴れ 》

5時45分蘇州号船内起床。
上海港に近づきつつあるのだろうか、海水に黄河の砂が混じり泥色に変色している。
船の甲板では、中国式ラジオ体操 太極拳が始まった。
上海の摩天楼を眼前に眺めながら港に入って行く。
入管を済ませ、港近くにある浦江飯店に宿をとった。

▲浦江飯店 : 上海市黄浦路15号 TEL21-63246388 ドーム100元(1600円)

        アスター・ハウス・ホテル(Astor House Hotel)

浦江飯店(Pujian Hotel)は、外国人にはAstor House Hotelとして有名であり、
典恵的クラッシック英国調内装で、重厚な雰囲気に満ちた品格あるゲストハウスである。
このホテルは、バックパッカー用として5人部屋を提供、今晩の宿泊者は、私以外全員英国青年であった。
過去にバートランド・ラッセル卿(1931)、映画王チャップリン(1936)、グラント大統領(876)、アインシュタイン博士(1926)が宿泊した時の写真が飾られた上海でも老舗ホテルである。
隣の青年は、同じ蘇州号でやってきた英国ヨークシャ出身で、明日は香港に向かって出立とのこと。

 

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上海・浦江飯店(Astor House Hotel)のドームに宿泊

 

宿のドームに荷物を置くと、ネオンに輝く上海の夜の街に出かけた。
南京西路の歩行者天国は、人があふれ、そぞろ歩きを楽しむ人々に向かって、香濃い夜の蝶たちが
声をかけてくる。ここは上海の租界があったところである。ニューヨークのマンハッタンにも劣らないハイライズビルディングに目を見張った。特に、街の夜景がファンタスティックである。

地下鉄に乗って「上海站售票処」へ、北京行切符の予約購入に出向いた。
電車の乗車口に殺到する風景、降りるに下車できない人の垣根、人間のるつぼである中国にやってきたという実感がわいてきた。無秩序の中に一定の暗黙のルールがあり、その定石を知れば案外スムーズに時の流れに乗ることが出来るのである。
わたしのような放浪人間には、案外と居心地が良い環境である。

 


上海市内観光― 8月2日 晴れ 》

 

シルクロード横断旅行のユーラシア大陸東の入口が上海なら、シルクロード西の出口はイタリアのローマである。いよいよ16800㎞という途方もない陸路を電車やバス、船を乗り継いで向かうのであるから興奮を抑えきれないでいる。

 

上海租界であるBUND(バンド)>
早朝、かっての上海租界であるBUND(バンド)に向かう。
中国や東南アジア、世界各地に散らばる華僑たちの朝の日課、公園や空き地に集まっての太極拳や刀舞踊、瞑想などがグループ別に熱心に行われている。
中でも、太極拳は宇宙と一体となる流れの中で、呼吸法による命を無にし、想いを無くし、静かにゆっくりと宇宙に溶け込んでいくさまが好きである。

丁度、朝日を浴びたBUND(バンド)の摩天楼や、欧米の進出による100年の歴史を刻んでいるであろう円柱やロマネスク朝の建物が光り輝いているさまはなんと優雅に見えることか。ここは本当に中国なのだろうかと疑ってしまう。
欧米各国は、未開であったこの地に競って文明の花を咲かせたのである。

天高く宙に舞うカイト(凧)が朝日を浴びて自由に大空を飛翔するさまは、中国という覇権に生きたこの国のこれからの姿を現しているようにも見える。

日本は、過去に中国との間に悲しい一時期を持った。上海事変勃発の折、わたしの叔父は陸戦隊として上海出兵にあたって支那兵(当時公称)から投げられた手榴弾によって、片足を無くしている。

平和な時期に中国におられる幸せを、決して中国や中国人を悪く言わなかった叔父に報告した。

朝の散歩、BUNDから帰り、朝食をとる。 お粥に餃子と万頭、実に懐かしく、美味しい。 世界中を駆け巡って、どんな田舎にもある中華料理店に助けられたものである。安くて、美味しく、ボリュームがあって、食べ残しは持ち帰れる中華料理はアドベンチャートラベラーにとって最高のパートナーである。

 

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        上海租界であるBUND(バンド)  Sketched by Sanehisa Goto

 

< 上海博物館 観賞 >  (入館料20元)
西安への予約切符について確認の電話をすると、明日の寝台列車の切符が取れたとのことで、上海滞在を1日早く切り上げることになった。

出発前に、ぜひ「上海博物館」を観賞しておきたく出かけた。

博物館で出会った漢詩『雨水酔草』、なんと素晴らしい情緒たっぷりな四字漢字であろうか。雨しぶきに濡れ、ほろ酔いの体を草に伏して、この世の夢を楽しんでいる情景を詠んだのだろうか。
青年時代に味わった泥酔にかまけて彼女の柔肌のぬくもりが伝わる膝枕に伏したあのときのときめきを思い出した。
博物館では、やはりシルクロード関係の絵画や彫刻、陶器、彫塑、玉に観賞時間を費やした。

 

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 ラクダにまたがるペルシャ商人        玉(ギョク/ヒスイ)による「神人」

 

シルクロード西方からやってきたラクダにまたがるペルシャ商人や、友人のつくるトンボ玉(京瑠璃玉)の
源流といわれる7000年の歴史を持つホータン玉や博物館のイメージシンボルになっている中国玉器である「神人」に見入った

菩薩像の微笑みに魅せられて筆を走らせた。

 

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           「菩薩」上海博物館  Sketched by Sanehisa Goto

 

<列車で西安に向かう> ―上海より西安行車窓記―

上海博物館より、浦江飯店にもどりリュックを担ぐと、西安に向かう夜行列車に乗るため、地下鉄で西安駅に向かった。
上海駅 第7待合室で、T138次16:19発 西安行を待つ。
さっそく、盗難防止にとリュックを待合室の長椅子に鎖で結び付けていると、家族連れの中年男性がこちらを見てにっこりと笑っている。 列車T132 で中国東北部遼寧省大連(旧満州)行きに乗るという。
戦前の日本からの満州開拓民の家族のイメージが重なって、なぜかこの家族に対して親しみがこみ上げてきた。
相手も、日本からの初老のバックパッカーに興味を持ったのか、いろいろと中国国内の情報を伝え、楽しい時間を共に待合室で過ごした。

東南アジア諸国や、インド・ネパール・ブータンに見られる水田の風景に比べ、中国の田園地帯に見られる水田は、整然と田植えがなされ、日本国内でみられる田圃と見まがうばかりに手が入っている。
先進国への仲間入りを目指している共産中国は、政経を分離し西欧の資本と技術導入を国を挙げて積極的である。
世界の工場として、その低賃金の労働力を提供し、今後世界中から多くの製造工場を誘致することであろう。徐々に、経済発展の自信を持ちつつある中国は、より高い目標をたてている。その発展のシンボルである中国全土に張めぐされているインフラ、鉄道と高速道路の整備があげられる。
中国は現在、ITをはじめより高い目標を達成する意欲に燃えているようである。
近い将来、経済レベルはアメリカに迫るであろうと予想されている。

車窓より移りゆく農村風景、そこには支那といわれた貧しい農家が消え去りつつある。それは、今乗っている寝台列車(硬座臥―三等寝台)でさえ、日本のものよりも快適に思える。それは日本の狭軌と中国鉄道の広軌の差によるのかもしれない。とにかく住空間が広く、清潔なのである。数年前まで座席に痰壺があった時代は過ぎ去ったようである。乗車している乗客もみな豊かな表情である。
車掌や警乗員の帽子に光るいかつい中国共産党の徽章をのぞいて、ここが共産主義の国であることを忘れさせてくれる。

駅弁を買ってみた。 二段式弁当で、ご飯はパラパラの日本でいう外米、水っぽくおこげ交じりの飯に、野菜の煮物、卵焼き、厚揚豆腐料理である。15元(約290円)

スケッチ「上海租界であるBUND(バンド)」を仕上げていると、彩色をじっと見つめる向かいの席の5歳くらいの女の子に気づいた。目を合わせると、にっこり笑いをかえす可愛い少女である。
ひと塗りひと塗りに目を輝かせ、自分の考えを伝えてくる。
ここに赤、ここに緑と・・・絵はその一言に応えるように仕上がっていく。
少女の歓びは、頂点に達した。スケッチと少女が溶け合った瞬間であり、少女が画に魂を吹き込んでくれた瞬間である。
愛とは語り掛けであり、愛とは興味であり、愛は次なる魂の世界を作り上げてくれる。


少女から大切な深い愛を教えられた。

 

 


《 8月3日 上海⇒西安行  列車T138 寝台硬臥中段#19  5:00起床 晴 》

 

<天人一人有>
寝台車の厠(かわや・便所・トイレ)に貼られた標示「天人一人有」、意味は理解できなかったが、自分なりに解釈してみた。
なんと素晴らしい厠(WC)の使用表示ではないか。 トイレに天と人を結びつける豊かさは、中国古来の思想からきているのであろう。
人類は、地球星の至る所で、その環境に合わせて自分たちの智慧を表現し、お互いの愛の形を姿に現してきた。 悩みや、権力や、喜びをも何らかの形や言葉にして、その影を残してきたのである。
漢字の意味を考えてみるのも面白い。
いつか「天人一人有」とトイレの関係の本当の意味を知りたいと思っている。
多分、使用中、中に人がいますという表示だろうが・・・


西安駅に着いて、次なる目的地である「蘭州」行の切符を予約する。
<8月5日 列車T52/3 西安12:52発 ⇒ 蘭州20:23着 硬座 270元>


< トンボ玉とシルクロード
わが朋友に、琥衆を号するトンボ玉(京瑠璃玉)作家がいる。
彼の依頼もあり、シルクロードにおけるトンボ玉のルーツをたどる使命もおびている。
エジプトや、ペルシャ・サザン朝を発して、カジュアル・ホータン・西安と渡り、日本に渡来したトンボ玉技法は、奈良正倉院平等院の台座に散見される。
トンボ玉のルーツをさかのぼり、トンボ玉の根源に触れ、永遠の光と命を友に持ち帰ることもシルクロード踏破の一つの使命である。

 

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      琥衆作とんぼ玉(京瑠璃玉)          サザン朝とんぼ玉 5~6世紀 中東地域 


< 砂漠とシルクロード

シルクロードは、遊牧民が住する果てしない砂漠の道であった。
平山郁夫画伯の日本画に見るように、夕日に照らされた隊商がラクダとともに月明を引く幻想の世界である。
今回、一度は訪れてみたかったタクラマカン砂漠

サハラやゴビ、ナムビア砂漠の地で天の川を見上げた時の感動がいまだ忘れることが出来ない。

中国唐の詩人 白楽天白居易―はくきょいーの号)も「花を香ぐ」と謳いあげている。

 

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       月明の砂漠 平山郁夫

 

シルクロード、それは果てしない砂漠の道である。
夕陽に照らされ隊商がラクダと共に影をひく。

 

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      タクラマカン砂漠の隊商  クチャ(輪台)近辺   Sketched by Sanehisa Goto

 

西安(Xi an - 長安 )とシルクロード

シルクロードは、長安に始まり長安に終わると古人は言う。今日の西安である。
日本では、遣唐使や仏教僧の往来により、大唐の都 長安をモデルに平城京平安京が造られた。
長安は、2000年の間、秦の始皇帝前漢武帝武則天、唐の玄宗楊貴妃など、歴史上のヒロインを輩出し、多くの物語を今に伝えている都であった。
この長安西安)が、シルクロード東の起点であり、天竺まで仏教の経典を求めて旅に出た三蔵法師である玄奘が出立した地でもある。
また、西安と日本との交流も古く、遣隋使や遣唐使が派遣され、日本の国づくりに多大の影響を与えた。

その西安は、陝西省省都で、関中平原の真ん中にあり、人口約700万人の大都会である。
南に横たわる秦嶺山脈からの風が吹き込み、空気は乾燥している。

 

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        長安城南門 (西安) シルクロード東の拠点 Sketched by Sanehisa Goto

 

シルクロード東の起点であり、入口である西安には、上海より列車に乗り、北京経由で到着した。
西安での8月3日~6日間の3泊の滞在先は、西安国際ユースホステルである。

 

    △ 8月3~6日  西安滞在先 「西安国際ユースホステル」5連泊 
 西安邦院国際青年旅舎」Xi’an International Youth Hostel

  西安市南大街里西順城巷甲2号   地下五人部屋ドーム @20元X2泊=40元

 

西安国際ユースホステルは、古典中国の宮殿風「大海鮮飯店」の一部で、ドミトリーとしてバックパッカーに開放している。

同室のムスレムのモハメッド君と意気投合、立派なムスレムである。彼の意見「将来、ユダヤ教イスラム教・キリスト教は必ず平和と自由と愛のもと、平等な暮らしができることを信じている」と。 わたしも同感であることを伝え、互いに平和と平等に向かって努力をすることを誓い合った。
現在、彼は西安大学のドクターコースに在籍し、歴史学と考古学を研究中とのことである。
宗教を認めない共産中国での勉学の困難さを克服しているその姿勢に確信に満ちた強い意志を感じた。
彼は、授業料に回すため、生活費節約のためここユースホステルを仮の住居としているという。

西安国際ユースホステルの地下1階110号室、入って奥の二段ベットの上段が、西安での居住空間である。頭上30㎝の天井扇がうなる中、決死の昇降を繰り返すこととなった。
隣にあるリビング・ルームではテレビが置かれ、「サッカーアジアカップ準決勝」二試合が行われ、多国籍宿泊者の応援合戦が繰り広げられていた。
<日本vsサウジアラビア>、<中国vsイラン>の両試合とも延長戦となり、PK戦での決着という壮絶な戦いとなった。中でも<中国vsイラン>のシルクロード国同士の戦いは、激しい肉弾戦であり、消耗戦を繰り広げ、両国応援団の熱き絶叫が夜遅くまで響き渡った。
アジアで覇権を争う中国とイラン、それも今夜はサッカーによる代理戦だけに両国応援団も一歩も引かない。その異常な雰囲気を、フランス・ソルボンヌ大学院・中国考古学専攻のヌボール君と一緒に固唾をのみながら見守った

 

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                  西安国際ユースホステル

 

西安国際ユースホステル近くの鐘楼より西へ1筋目を下ると屋台が延々と並び、シシカバブを焼く香ばしい匂いが流れるなか、たくさんの市民がそぞろ歩きを楽しんでいる。中国では人の群れる様に出会うたびにその生きる力、熱気、エネルギーを感じたものである。その人の流れは、大河のうねりとして迫ってくる。

小物屋が集まる、一本の細長く人の肩が触れ合う路地を歩くのも中国の宇宙観にひたれる瞬間である。


裸電球の光は、路地の隅々までは届かず、片隅に吊るされた竹籠の住人である鉄仮面のコオロギが、差し込まれた一本のキュウリを不愛想にかぶりついている。食べ疲れては、チロリンチロリンとチェロを弾いては、流れゆく人の群れを引き付ける様は、まるで山水画に描かれた仙人のようである。

さらに横の狭い路地に足を踏み入れると、そこには貧民窟のようなすえた匂いの中に、人懐っこい笑顔、声高な笑い、小さな幸せ、干された洗濯物、かじられた大根の切れ端、穴の開いたぼろ靴下が捨てられている。そして路地を抜けると高級マンションの世界が広がり、ベンツが走り、高級品で身にまとった夫人が闊歩している。

ここにも清潔な街路の陰に、苦悩と貧困、喘ぎ、悪臭、いざり、物乞いが見え隠れする中国の現在の影がある。

 


《 8月4~5日 西安 快晴 本日のスケジュール:兵馬俑

 

<ミニバスで兵馬俑に向かう>

西安駅広場東側より、路線バス#306・#307 <兵馬俑>行が出ている。
路線バスに乗るつもりだったが、ミニバスに声を掛けられ5元で兵馬俑へ行くという。
安さに負けて、飛び乗ったがなんとすでに定員の倍のすし詰め、外人と見て取ったのか、運転手席の半分に座らせてくれた。
今度は、高速道路に入ったらおんぼろのミニバスは、時速100kmの猛スピードで突っ走るのである。
それも、急停車したと思ったら乗客の半分を降ろすのである。何が起こったのか一瞬わからなかったが、
どうもその先で警察の検問があるようで、定員オーバーをごまかして通過、移動してきた乗客を再び乗せて発射オーライである。


それは西遊記に登場する孫悟空の活躍である軽業を見る思いであった。
これこそ中国ビジネスの真骨頂といえようか。庶民の生きるための知恵なのであろう。

秦の始皇帝は、中国4000年の歴史にあって、紀元前221年この地に初めて統一国家「秦王政」を作り上げた。
西安の近郊で、秦の始皇帝を守る地下軍団の杭である兵馬俑が1979年に発掘されたときの新聞発表は世界中に衝撃を与えたものである。


その時に受けた興奮を今も覚えている。
ニューヨークタイムズが、その第一報を伝えた時、わたしはマンハッタンのオフィスで人類史上、大きな遺産の発見となった兵馬俑の発掘を祝ったものである。
その25年後、シルクロード西進時、現場の地下に立ってその兵馬俑のパノラマの壮大さに度肝を抜かれた。

秦の始皇帝は在位15年で没したが、地下の兵馬は紀元前221年より、現代の2004年の約2225年間始皇帝を守り続けているのだから、その権威の継続に驚かされ、権力の絶大というかその権力への執念がうかがい知れる。

古代中国の宇宙観である「天は丸く、土は四角」を、銅車馬が物語っているのだから壮大である。また、始皇帝は永遠の魂を信じていたように、わたしもまた、人間は星の王子さま・星の王女さまとして地球での勤めを終えれば、魂となって自分の星に帰っていくと信じている一人である。

 

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          2225年間、兵馬俑始皇帝を守達り続けている兵士達

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                 <秦始皇兵馬俑参観留会>スタンプ

 

<激辛ラーメン 1.5元 と 漢詩

兵馬俑の観賞を終え、博物館の建物を出て、バス通りを右へ100mほど行ったところで、しきりに笑みを浮かべ、手招きしているラーメン屋の女将さんと目が合った。
まだ朝食をとっていなかったお腹は、しきりと激辛ラーメンを所望、お陰で中国本場のラーメンを、汗をふきふき香辛料の効いた激辛のハッカ味を楽しむこととなった。
シルクロードの東の入口でラーメンを食べたというだけで、孫悟空になった気持ちだから不思議なものである。すでに絹之道を一歩踏み出しているのだ。


興奮冷めやらないなか、朝の激辛ラーメンを食べ、兵馬俑の近郊を散策し、秦の始皇帝の墓陵を訪ねたおり、石榴の実を愛でながら、絹之道<シルクロード>へ発つよろこびを漢詩金玉佝編「王維渭城」に託して吟じ、シルクロード出立にあたりスケッチに漢詩を書いてみた。

 

「王維渭城」漢詩金玉佝編       

渭城朝雨 浥軽塵客    渭城に、朝降った雨が 客の塵を軽く濡らし
舎熟石榴 色新功書   屋敷の石榴も熟し、功書色新たなり
更盡酔酒 西出陽芖   酒に酔うままに 芖の陽のもと西へ立たんとする
無故人我 長安音惜   人われなきゆえに 長安の音を惜しみながら
歩訪霊魂 発絹之道   霊魂を訪ね歩くため いま絹之道を出発する

 

 <歩訪霊魂 発絹之道>

  改詩 後藤實久

古城の跡に 小雨煙る朝が訪れ
人は自然に親しみ 心軽やかなり

舎殿の跡 周りには石榴実り
青色から黄、橙と色新しくある

昨夜飲みし酒の酔いいまだ残り
陽の昇る様を西に映る陽光で知る

今はなき昔人の心 我を包み込み
長安の昔 懐かしき都を思い出している

これからの霊魂を求めての歩みを
この西安から絹之道に入らんとする

 

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        「王維 渭城」 改詩 <歩訪霊魂 発絹之道> By Sanehisa Goto 


兵馬俑の付近には熟した実をつけた石榴の果樹園が目を引く。
始皇帝が自分の墓と定めた農村の小道の両側に石榴がたわわと実をつけているさまは、詩を詠み、絵をかき、書を遺す雰囲気を醸し出している。

《 精華池に 熟し楊貴妃 石榴かな 》  實久
―せいかちに じゅくしようきひ ざくろかなー

 


<16年後、中国政府「デジタルシルクロード」を提唱>

この「シルクロード踏破16800㎞」を仕上げていた2020年1月のNHKの日曜スペシャル番組で、中国はファーウエイの5G を中心とした新たな「デジタルシルクロード」を提唱し、関係各国とスマートシティ構想の提携を進めているという内容の特集を組んでいた。
現在、中国共産党の指導のもとにある中国は、中華思想(世界の中心)の再確立と覇権を目指しており、近年の世界の工場として蓄積した潤沢な外貨でAIや電気自動車、5G、ロボット、ドローンなどを育成し、世界市場いや世界制覇に着手していることがうかがえ知れる。

マルコポーロ時代の、シルク(絹)による世界市場獲得に変わって、現代シルクロードの「一帯一路」による 、スマートシティというインフラ整備の投資もまた、シルクロード的発想によるのだから、中国から世界への挑戦の姿勢はいまだ続いているといえる。

シルクロード<絹の道>は、繭から吐き出す糸で織った絹を胡の国(えびす・西方民族)に運び、天馬<天駈ける馬>が欲しかった中国皇帝との交換から始まった交易の道である。
その交易の道シルクロードは、絹からデジタルに受け継がれているのだから、その交易の内容が変わっても、シルクロードの役割は変わっていないようである。

ちなみに、現在の<天架ける馬>天馬はイランのペルシャの遺跡ペルセポリスでお目にかかれるし、<天架ける馬>と思われたダチョウはアフガニスタンパキスタン東北部パミール高原を源流に、シルクロードを経由して長安に届けられた。

 

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                  天馬<天架ける馬>二頭の馬浮彫
         (イラン ペルセポリス アケメネス朝ペルシア 前522-前465年)

 

西安  食品市場での光景>
兵馬俑の帰り、食品市場に立寄った。
ダッグ(鴨)の頭、スッポンの甲羅と手足、鯰(なまず)、鶏の脚、蛇(へび)、ハクビシン、イタチ、田螺(たにし)、蛙、カタツムリ、泥鰌(どじょう)、ネズミ、アナグマ、コウモリが所狭しと重なり合っている。
また水槽には生きた彼らが頭をもたげ、必死に「わたしたちを助けてー」と叫んでいるように見える。
目と目が合って、親しみを感じるが、かれらは胃袋におさまるのを待っている哀れな生贄なのである。
蛙の大きいこと、良くもここまで大きく育てたものである。コオロギの巨大さにも驚かされた。

ウサギ、ガチョウ、しゃも、鳩、鴨、ハクシビンや蝙蝠(コウモリ)たちも狭いゲージに押し込められ、動きもままならずこちらに向かって助けを求めている。中には元気なのがいて檻から脱出しようとチャレンジし続けている。
その空しい動きに反して、人間の生存への貪欲さを見る思いであった。


かれらの生きている匂いがいつまでも消え去ることはなかった。
かれらは中国14億人の胃袋を満たすのである。

しかし、現在2020年4月、彼らは人間にコロナウイルスという細菌で復讐しているように見えるのである。

 

SARSと野生動物>
中国では古来、野生動物を珍味として食する習慣がある。
SARSが流行った2003年、わたしは青島から北京、西安重慶武漢黄山、桂林に旅した時、桂林の屋台で食べた肉炒めによって痰の絡む咳、高熱、吐き気と悪寒に襲われ、現地の病院に入院することなく、急遽香港経由日本に帰国した。
その足で自宅近くの総合病院にて受診、重度急性肺炎と診断され、即入院した。CT検査に映し出された両肺は右肺が100%真っ白の影、左肺が90%白い影であった。医者によると完治する見込みのない症状であったという。
わたしは死を覚悟し、頭を丸めて入院療養に入ったが、医師団の懸命な治療により奇跡的に命を取り留め、退院にこぎつけたのである。
その後、屋台で食べた肉炒めが、SARSの病原因といわれたハクビシンではないかと疑っている。

2020年4月現在、全世界に蔓延しているコロナウイルスの病原体が、野生動物であるコウモリともいわれているが、それであればSARSと同じく、すでに抗体があるはずだが、SARSと異なり対処法がないといわれ、新型コロナウイルスとして医療崩壊を起こしている。
一説には、バイオテロに使われる細菌が漏れ出たとの報道もある。
一日も早い終息を祈るものである。

あの市場で出会った哀れな動物たちの視線がいまなお脳裏に焼き付いている。


食品市場の帰り、西安城南門にある「西安中國書海芸術博物館」に立寄った後、西安駅で8月7日の<蘭州⇒張液>間の硬臥(三等寝台)の切符予約をした。

 

 

 

      星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』②前編 

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                に続く