shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2004『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⓸<タシュクルガン/塔什庫爾干⇒ペシャワール/パキスタン>

星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⓸後編 
       星の巡礼者 後藤實久

<タシュクルガン/塔什庫爾干 ⇒ ペシャワール/パキスタン

 

大阪を出て、中国シルクロードを26日間かけて横断、中国とパキスタン国境の街・タシュクルガンに無事到着した。憧れていたタクラマカン砂漠の街々を訪ね歩き、悠久の時の流れに埋没することが出来た。

 

<2020年現在のシルクロードパキスタンの現状と展望>
2020年、ここシルクロードパキスタンルートの重要性は昔も現在も変わりはない。
中国の中共政権が提唱している「一帯一路」構想もまたここパキスタンルートをインフラの最重要拠点として道路整備や、海路の港湾施設に力を入れていることからもわかる。
中国とヨーロッパ最終地であるイギリスとの物流パイプルートとして欠かせないものであり。パキスタンはそのルートの中に組み込まれているからである。


この渓谷の危険なカラコルム・ハイウエイが、現代シルクロード「一帯一路」の主役、それもメインルートとして再レビューしようとしているのである。驚きと共に、中共中国の覇権への進出路の一つになりつつある。
シルクロードパキスタンルートは、物流の大動脈ととともに、現在の施政権のもと統治している広大な西域のウイグル自治区チベット自治区を取り囲む戦略上・安全保障上の万里の長城としての役割も備えているようである。


中共中国にとっては、地政学上絶対に攻略しておかなければならないルートと言える。
黄海に面する天津から北京、西安敦煌トルファンカシュガルを経て、アラビア海の重要港カラチに抜け、石油埋蔵量の豊富なペルシャ湾、さらに海運物流の最重要拠点スエズ運河にでて、すでに手に入れたギリシャピレウス港で荷揚げして陸路で最終地イギリスに向かう陸上ルートと、スエズ運河より大量物流を運べる地中海、大西洋海上ルートという2つのルートを結合することが出来るのである。
大量物流輸送には、海上陸上共に貯蔵拠点が必要になり、将来の兵站としての軍事拠点となりうる場所にロジスティックとしての戦略上の施設が置かれるている。


「債務の罠」といわれるジプチーのドレラ港やスリランカ―のハンバントタ港、ケニアのモンバサ港、ギリシャピレウス港のほかに、すでに天津からの北極航路の拠点として、北海道の港もまた投資先として「一帯一路」の構想に組み込まれているとささやかれている。
中共中国の壮大な全世界的ロジスティックともいえる「一帯一路」の構想が、実に巧妙に大胆に練られていることに注目すべきである。もちろん、南シナ海東シナ海はもとより太平洋への出入り口である尖閣諸島近辺はなにより最重要軍事拠点として押さえておくべきと考えサンゴ礁を軍事要塞化しているのは周知の事実である。尖閣諸島は自国領とみなし毎日欠かすことのない監視艇や軍艦による巡視巡回のルーティンや尖閣の天気予報発表、地図への自国領「魚釣群島」の記載徹底を義務付けている。


中共中国のかかる「一帯一路」構想は、中国14億人の生存権を守るための戦略戦術としてとらえ、断固たる計画実行に徹している。

 

 

f:id:shiganosato-goto:20200429092906j:plain                一帯一路イメージ図 (中国中央TV放映の一帯一路ルートイメージ図をNNAが作成)

 

しかし、「一帯一路」の構想遂行にあたって、世界の工場としての中国の位置づけが揺らぎつつあることも事実である、外貨獲得の目途に一抹の不安定要素が生じ始めている。全世界が米国を押さえて覇権を握り、中共中国が一強になることに懸念を持ち始めたからである。全体主義独裁国家による覇権に対して遅まきながら警戒心を持ち始めたのである。

思うに、一国がこれほどの外貨を稼ぎだしたのは歴史上類を見ないといっていい。この有り余った外貨を全世界支配という覇権に投資投下した国を歴史上これまた見たことがないといっていい。それも遠大な戦略戦術の基本構想のもと、着実に遂行している中共中国を侮ることはできない。心して自由世界を守る気概が求められる時代を迎えたといっていい。

現在の中共中国の権力体制は、権力闘争の中での脆弱さを腐敗闘争や一帯一路構想遂行、
債務破産国の取り込みといった戦略で乗り切ろうとしているようである。しかし、一見、資本帝国主義の拡張主義にも見える共産独裁社会資本主義の覇権は、自由公正に慣れ親しんだ資本民主主義諸国や国民にとっては悪夢の到来と見えているはずである。

中国武漢コロナウイルスの全世界蔓延を機に、多くの国・企業が中国からの撤退をさらに加速し始めていると伝えられている。経済成長率の低下や、GDPの後退は、世界の工場としての地位低下を招き、覇権のための戦略戦術を遅延させ、または頓挫するであろうことも視野に入ってきた。

コロナウイルスは、中共中国存続のターニングポイント(転換期)であるといってもいい。

2020年4月22日現在、コロナウイルスの蔓延が留まることなく、全世界で感染者2,525,000人、死亡者174,000人を超えようとしている。ちなみに日本は、感染者11,000人、死亡者186名で治まっているが、もう一波覚悟する必要がありそうである。<医療従事者ありがとう! 自宅待機実践! 日本がんばれ! 日本がんばろう!>とみんなで叫ぼう !!

 

 

《 8月25日 国境の街タシュクルガンを出発、国境クンジェラブ峠を越えて

      パキスタンへ入る 》

 

タシュクルガン<交通賓館>、朝5時30分起床、まだ夜が明けない。
カラコルム山脈に抱かれたここパミール高地にあって、宇宙のなかでも最も静かな地球の片田舎で朝を迎えているのだ。
吐く息は宇宙に溶け込み、想いをふくらませる。吸う息は、宇宙を体に取り込み、おのれを消し去る。
ただここには己を殺し、無の世界・ゼロの世界が広がっているのだ。


なんと素敵な新たなる朝だろうか。


我魂は空を切り、パミールの風に乗り、自由自在に宇宙を飛翔しているではないか。
ここパミール高地は、意識を集中するだけで宇宙に溶け込むことが出来るパワースポットである。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428170911j:plain

         パキスタンへの国境の街・タシュクルガンのバスターミナル 

 

09:00、外国人旅行客8人(残りの乗客はパキスタン系ビジネスマンや商人22名)を乗せて、タシュクルガンでの出入国手続きを終え、国際バスはパキスタンに向かって出発した。
手荷物や託送品、自転車等はバスの屋根に乗せることになるので、貴重品やカメラ、携帯等精密機器は必ず手元に留めおくことである。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428171231j:plain

    国際バスは、タシュクルガンで出入国手続きを終えいよいよパキスタンに向かう

 

f:id:shiganosato-goto:20200428171435j:plain

         タシュクルガンでの関税手続きを待つパキスタン行きトラック群

 

いまパキスタンへの国境の街・タシュクルガンを出発し、カラコルムの山稜に囲まれたパミール高原にあるクンジェラブ峠(標高4733m)を越え、パキスタンに越境しつつある。
峰々には白銀の雪が光り輝き、ここクンジェラブ峠は雪解け水で豊かな川面がまぶしい。
カシュガルよりパキスタン側国際バス終点・スストに向かう乗客の荷物の重さにあえぎながら、オンボロバスは舗装の山岳路<カラコルム・ハイウェイ>を揺れに揺れて峠を越えている。

カラコルム山脈越えの国際バスの中では、パキスタンの青年たちに囲まれ、政治・文化・国民性・宗教などについて情熱的なディベート(討論)が続く。タブーなパミールカシミールの分離独立、隣接国の領有権主張の話題もここでは自由になされる。パキスタンバングラディッシュの分離独立のいきさつや、日本に期待することなど尽きることがない。
青年たちの国を想う気持ちや、イスラムの世界との協調に対する複雑な気持ちも素直に語ってくれた。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428171629j:plain

     万年雪をいただくカラコルム山脈背景に カラクリ湖(標高3600m)で休憩 

 

雪解け水の溢れた川に車輪をとられたオンボロバスは頓挫して動く気配がない。
車外に出て風の音に耳を澄ませてみた。
峠にこだまする冷たい風が吹き去る音や、太陽がさんさんと光を落すさまは、霊峰の神々が見守るパミールの風景である。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428171812j:plain

           雪解け水の溢れた川に車輪をとられオンボロバスは頓挫

 

f:id:shiganosato-goto:20200428172016j:plain

        クンジェラブ峠付近(標高4500m)で出会ったタジク族の山岳の民

 

14:00クンジェラブ峠(標高4733m)の国境を越えるとパキスタンである。
また眼前に広がるカラコルム山脈の南東の150㎞ほど先に世界第二の高峰<K2>標高8611mがそびえる。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428172147j:plain

       クンジェラブ峠(標高4733m)の国境 中国側からパキスタンに越境中

 

多くの乗客はパキスタン人で、乗りなれた路線なのであろうか緊張している外国人旅行者に比べるとリラックスしている様子が伝わってくる。ハミウリを食べ、種を窓からポイ捨て、笑い声での近況報告と賑やかである。
それに比べて、外国人旅行客は緊張をとこうとしない。ここパミールカラコルムで隣接する国同士の国境に関するパミール紛争の中にあるという不安定要素があることを意識しているからである。
しかし人の好いパキスタン人乗客は、外国人にハミウリや果物を差し入れ、友好ムードを盛り上げ、緊張感を忘れさせてくれるのである。

 

<フランス人とパキスタン人との習慣の違い>
カラコルム山脈越えの国際バスでの席を決めるのに、少し傲慢で戦闘的なフランス人青年は、女性が優先して席をとるべきだと主張、一方パキスタン人乗客は荷物が大きいので女性よりも荷物を優先すべきだという。
このままだと、ののしりあいに発展し、せっかくの天空のバス旅行も台無しになってしまうので見かねて仲裁に入った。白人青年は<I don’t care, he is a bad Pakisutani !>と、若さというのは情熱的ですばらしい。
もちろん青年は大荷物の乗客に席を譲ってくれて落着した。

峠に向かって高度はどんどん上がっていく。税関のあったタシュクルガンの標高がほぼ1100mであったから、峠4733mまでの4時間の間に標高差3600mを上りきるのである。外国人旅行客の中には、めまい、頭痛、吐き気など高山病の症状に苦しむものも出てきた。


ただ途中の1時間ほどの川への脱輪によるハプニングは、わたしにとって高山病に順応する訓練時間になったようである。しかし、標高3000mあたりから少し息が苦しくなってきた。

パミール域内に入ると、紛争地帯として当然だが、公安当局のパスポート検査が厳しくなってきて、緊張感が走る。わたしが車窓から国境の表示の石柱の写真を撮っていたら、近くの席の婦人が指をXにしてーNO PHOTO-のサインを送ってきた。 車外では、国境警備隊員の厳しい掛け声が飛び交う。

銀嶺の山並みは、カラコルム山脈である。世界で2番目に高いK2(標高8611m)が連なる。
白銀は何時の時代も人々を魅了してやまない。あの美しい雪が解けて流れる川は白濁であり、神々しい。
沈黙と悟りの山の厳しい姿をカラコルム山脈にみてとれる。
わたしはいままさにカラコルムの峰々に抱かれていることを実感した。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428172455j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428172644j:plain

        <THE KARAKORAM HIGHWAY>カラコルム・ハイウエー付近地図とメモ
                   パキスタンシルクロード

 

ここクンジェラブ峠を通る一本の道が中国カシュガルよりパキスタン・スストへ延びる<THE KARAKORAM HIGHWAY>である。ここカラコルム・ハイウエーは、シルクロードの生命線であり、もっとも危険に満ちた断崖絶壁につくられた山岳道路である。
フンザへの途中、カラコルム・ハイウエーの一部が崖下に崩落し、ブルドーザーが出動、大規模な道の付け替え緊急工事が行われた。その間、われわれはただただ開通を待つしかなく、渓谷ハイウエーの危険性
を目の当たりにしたのである。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428174209j:plain

             カラコルム・ハイウエーの崩落現場

 

f:id:shiganosato-goto:20200428174355j:plain

        カラコルム・ハイウェーの一部が崩落し、復旧を待つ人たち

 

f:id:shiganosato-goto:20200428174600j:plain

               垂直の岸壁に張り付いているカラコルム・ハイウエー


5:00pm パキスタン入国管理局に到着し、35中国元を支払いパスポートの入国スタンプを受ける。ちなみにパキスタン人は20Rs.(約0.3$)、外国人は250Rs.(約4.3$)<当時のレート:1US$=58R/ルピー>
であった。

パミール高原にある国境から何時間かかったのであろうか。
フンザ渓谷を流れるフンザ川を見下ろしながら迫りくる夕陽の中カラコルムハイウエイは標高を少しずつ下げていくと、午後7時頃国際バスの終点であるスストに到着した。
入管でのいたって簡単な入国手続き済ませ、カリマバード・フンザへ行く中国カシュガルからの外人組5人の青年男女に加わり、オンボロミニバスに収まる。スストからカリマバード・フンザまで一人100Rs.(ルピス)である。
ここスストは時差の関係か、まだ明るさの中にあった。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428174825j:plain 国際バス終点スストで各行先別にミニバスに乗り換える

 

オンボロミニバスは、闇の中に心細い灯火がまばらにかがやく小さな村に停まった。
この峰々に囲まれた暗闇に沈む村が、今晩から世話になるカリマバードにあるフンザ村である。
近くを流れるフンザ川のさざれ音が谷間にこだまして心地よい。
バスの周りには、ゲストハウスの客引きが集まっている。フンザに逗留するカシュガルからの外人組と何人かの乗客が、それぞれにゲストハウスを決め引き取られていった。


<▲8月25日夜  カリマバード『 OLD HUNZA INN 』に投宿 >

21時過ぎに到着したので、谷間にある暗くなった村の情景はよく分からないが、山間に映える月がこの世のものとは思えない哀愁を帯び、冷たさの中にもほんのりとした温もりを投げかけてくれていた。

ゲストハウス<オルド フンザ イン>での遅めの夕食はバイキングで、ほうれん草の炒め物・トマトの酢の物・マッシュポテト・コーンスープ・米飯・コーヒーをいただく。すべてが家庭的で落ち着く宿である。
2人部屋では、これから中国カシュガルに向かう大阪枚方からの大学生T君と同室。隣室には岐阜からの世界一周中で同じく中国カシュガルに向かう若い夫婦が泊っていた。
この時は分からなかったが、ここフンザ宮崎駿監督の<ナウシカの谷>の撮影現場として有名であるらしく、日本の旅行客が沢山訪れるパワースポットであるという。

正式にはフンザ郡カリマバード村というが、ここではよく知られた<フンザ村>と呼んでいるのでお許し願いたい。

 

フンザ  8月26日 カリマバード・カラコルムパミールパキスタン

 

朝目覚めて、石やレンガを積み上げ泥を塗りつけた4畳半ほどのコテージにある窓から外を眺めて、横たわるカラプシ山が一枚の額縁(窓枠)に収まっているのに驚嘆した。山の神に出会ったような神々しさに体が震え、こころ打たれた。
服を着替えるのも忘れ飛び出してスケッチにとりかかった。

「消えたスケッチブック―シルクロード中国」後の第一作目である。
横長の和紙を使った中国編スケッチ紙に変わって、カシュガルで手に入れた薄手の模造紙にスケッチする。紙質の違いによって色使いも色質も変わってくるから、その変化に驚くと同時に、予期しなかった色彩の豊富さに喜んだものである。
おなじ紙でもその性質によって、その特質を最大に引き出してやると、思いがけない特徴というか、才能を引き出してやることが出来るものである。
この紙の持つ特徴を生かしたスケッチが出来上がることに期待した。
最終地ローマまでは長い、素晴らしい相棒が出来たことを喜んだ。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428175138j:plain

            カラプシ山 (7788m) と 「OLD HUNZA INN」全景
     フンザ(カリマバード・パミール)は、切り立つカラプシ山を背後にした山岳村落である
                 Sketched by Sanehisa Goto

 

スケッチの右手のコテージの上階が宿泊部屋である。
まるでマチュピチュの天空の都市に滞在しているような雰囲気・錯覚に落ちいった。
それだけ天空に近いのである。
ここ「OLD HUNZA INN」は、標高2400mにあり、夜は急激に冷え込み、朝からは太陽の温かさに衣服を一枚づつ脱いでいくことになる。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428175508j:plain

            雪をかぶったカラプシ山 (7788m)と  ―フンザでー

 

フンザ村に泊まる日本からの旅行客が多いのであろうか、村民や子供達も日本人に好意を寄せ、とても親切である。このパキスタンの北方、カラコルムのいまだ国境が定まらない紛争エリアに日本人の若者が集まる桃源郷があったのである。驚きである。
World Wide MANGA(漫画)はすでに全世界で認知されている。なかでもJapanese MANGAは世界中の若者たちの人生観・世界観に取り入れられているのである。
MANGAはすでに友好・反戦・LOVEPEACE・友情・自由平等といった世界平和の価値基準の物差しの一つに認知されているようである。
MANGAは確実に人類平和に、また明るい未来に貢献しているといっていい。
そこには壁も、差別も、強制も、無視も、悲観も・独裁もない公平公正な自由なる世界を求める人々の叫びと、魂があるからである。

 

<ああわれいま フンザ渓谷におりて>
     詩 後藤實久

 

ああわれいま パキスタンの北方
フンザのカリマバードにおりて
<オールド フンザ イン>に坐す

神の誘いたるこのひとときに
一番鶏(とり)の声渓谷に響き
静寂(しじま)心に忍びよりぬ

魂の浄化なるを覚えし そのとき
命ある蝶 羽ばたきしかすかな音
渓谷を揺らしパミールの風と化す

残りし月 まさに天空に消えんとし
わが魂目覚めてや 我を見つめし
ああわれいま まさに宇宙に溶解す

(2004/8/26 04:45 Hunza Valley)

 

f:id:shiganosato-goto:20200428185402j:plain

         <スケッチと詩>  パミールの山々の夜天に輝く星座たちと上限の青い月
             -2004/8/26 05:20am カリマバード フンザ パキスタン
                    Sketched by Sanehisa Goto

 

 <われいまパミールの風となりて>
      詩 後藤實久

ああわれいま宇宙の中心におりて
神の声響きしフンザ渓谷に
わが魂を震わせ共鳴せんとす

高鳴りゆく心の鼓動 霊峰に響き
神々の山に擁かれて無になりしは
パミールの風となりて悠久に宿る

ああわれいま 悠久の風になりて
パミールの峰々に舞いて充足す
ああわれいま夢みし我を見下ろす

(2004/8/26 06:15 Hunza Valley)

 


<Becoming the wind of Pamir>
    Poem by Sanehisa Goto


Ah, now I ‘m in the center of the universe
In the Hunza valley, the voice of God
Shake my soul and resonate

The high-pitched heartbeat echoes in the sacred peak
Held in the mountains of the gods
Become the wind of Pamir and stay forever

Ah, now I'm in the wind of eternity
Satisfy by dancing to the peaks of Pamir
Ah, now dreaming down on me

 


<オールド フンザ イン>の朝食は、06:30メインロッジで始まる。今朝のメニューはハム&エッグ・チャパティ・ミルクティーである。アウトドア―での朝食は、白銀に照り返る紅色<モルゲンロート>の太陽が美しくもあり、眩しくもある。赤く染まりゆく峰々に取り囲まれているだけで幸福感が高まるこの贅沢は、決して日本の山では味わえない心地よさである。

このあと、ウルタル氷河トレッキングへ向かう途中の村の激しく上りゆく石段でスケッチをしていると、村の子供たちと友達になり十八番(おはこ)のスカウト・ソングとインディアン踊りを教えることとなった。
世界の僻地どこへ行っても子供たちは天真爛漫、天使であり、親友である。
ここパミールの高地で声高らかに「ヤヤヨーヨーユピユピヤー」を歌い、「ワンリトル ツーリトル スリーリトル  インディアン」を踊りながら子供たちと山の神に向かって祈り、村を練り歩くのである。
大人たちもぎこちない手のふり、腰ふりで飛び込んで踊りだした。まるでお祭りのようだ。
最後に、みんなで坂本九ちゃんの<SUKIYAKI SONG>を大合唱・・・


子供達の天使の声が、パミールの風に乗って峰々を駆け巡ってゆく。


こころ豊かで、幸せいっぱいの笑い声がパミールの山に木霊(こだま)して、フンザの谷に満ちて跳ね返ってきた。踊り歌い終わって、子供たちに素敵な時間をもてたお礼にと、親善を兼ねて日本から持参した消しゴム付き鉛筆をプレゼントさせてもらった。


小さな思いがけない贈物に子供たちはまたまた天使の笑顔を返してくれた。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428185820j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428185858j:plain

               フンザの星の王子様や王女さまとピース


<ウルタル氷河での出会い>
ウルタル氷河は高度3000mを超えており、高山病の走りである軽い頭痛と動悸に加えて、息苦しさも覚えだしたので大事をとって途中まで引き返して、先ほどの村でスケッチを仕上げていた。
ここへ星の王子様ともいうべき中学2年生のサジアット・アリ君が学校帰りに声かけてくれた。サジ君は初老の爺さんがスケッチしているのに興味をもったのであろうか、なかなか離れようとしないのである。
声を交わすうちに、こちらが高山病になってアルタル氷河のトレッキングを断念して下山してきたことを話すと、自分がガイドを引き受けるから是非再挑戦してはとすすめる。
高山病は、症状が出てきたら標高を下げることで回復するものである。
登山経験の長いわたしは、アンデスの山やクスコ、キリマンジャロケニア山、スイスアルプス、チベット・ラサほか標高4000m以上の高所で高山病を経験していたので、今回も高度を下げすでに回復していた。
高山病は経験度数によって、軽度で治まるといわれている。

サジ君は、まず家に帰って両親にわたしを紹介し、氷河トレックをガイドすることを告げ、了解をとってくれた。わたしのリュックを担ぎ、わたしの症状をいたわりながらアルタル氷河をトレックして無事下山するまでケアーしてくれたのである。


出会いとは不思議なものである、友情と信頼が生まれればそこに同志的な絆が生まれるから世の中は面白い。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428190222j:plain

             フンザ渓谷を背景に若きガイド・サジ君と

 

f:id:shiganosato-goto:20200428190432j:plain

          ウルタル氷河への途次、ウルタル山(標高7358m)が顔を見せる

 

f:id:shiganosato-goto:20200428190617j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428190710j:plain

           ウルタル山スケッチ2点 と 山麓に棲む小鳥<ASSEPA>

 

フンザ 8月27日 晴れ》


フンザ愛好懇親会>
昨夜は、わがキャビンに日本からの滞在者が集まり、葡萄酒で仮称<フンザ愛好懇親会>が開かれ、若き青年たちの人生観を拝聴させてもらった。
A氏は大型キャンピングカーで約3か月<新潟⇒ウラジヲストック⇒イルクーツク⇒モンゴル・ウランバードル⇒中国⇒パキスタン⇒イラン⇒ギリシャ⇒ヨーロッパ>を走破しているとのこと。
B君は、京都北山在住、就職1年後に離職し、世界一周旅行中であり、C君とD君は就職先決定後の卒業旅行としてここフンザに長期滞在しているという。

酔いから、人生の先輩として失敗からの戒めを多分語ったのであろうか・・・記憶がうすい。
人生のほとんどを目覚めることなく何となく生きたことへの反省や、
物事にあたる時、意識を集中せず認識が甘かったことへの反省とか、
物事に愛情をもって接したきたのだろうか、
信じるものをもって自分の信念を貫いただろうか・・・と反省しきりであったと思われる。

旅は不思議なものである。非日常としての心底にわだかまっていた人生への難題・苦悩を、くりかえし反芻することが出来るのである。

さあ、旅をつづけて本当の自分をながめ、ありのままの自分を探してみようと・・・

求めている宝は、自分の中に隠されていることに気づくであろうと・・・


青春の特権は、悩むことである。
人生の終わるまで青春である。
青春を忘れたときに老化が始まると・・・

 

と・・・フンザの夜が更けゆくなか、青年たちと語り明かした。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428191057j:plain

         ウルタル山(標高7388m)  ゲストハウス<OLD HUNZA INN>より
                  Sketched by Sanehisa Goto


<中国カシュガルからの外人組の解散>
中国カシュガルから一緒だった国際バス外人組5人(フランス・スエーデン・イングランド2・日)はここフンザから別々のスケジュールをとることになり、それぞれのスケジュールに従うことになった。
中でもパキスタン系英国人スハン君(ロンドン大学の医学部で研修医として勤務)との別れは、価値観を共有し、人間愛を感じる仲間だっただけに、中国トルファンで知り合ったフランス人教師アロン氏と共に、このシルクロードの旅で忘れえないこころの友となった。


フンザの朝>
今朝もここフンザ渓谷にイスラムコーランがスピーカーから流れ、川の流れる音に混じってこだましている。
静かだがどこか温かみのある土の匂いに包まれて、時の流れに横たわり、ゆっくりと流されている気分である。目を閉じるとスーッと土の中に引き込まれていく・・・
ここフンザは、世界の平和がパミールという器の中にきゅっとパックされたような山村である。
ネパールで過ごしたアンナプルナやカンチェンジュガの山村を懐かしく思い出していた。

世界の至る所で、かかる愛に満ちた小さな山村に出会えるわたしは幸せである。

 

<自由を愛するカップル>
ここフンザで、群馬出身のTさん達と出会って、魂の響きを感じた。
パートナーと二人旅、彼らの長期滞在しているゲストハウスのサンデッキで、フンザ渓谷を見下ろしながら原始チャパティを馳走になる。何とも言えない煙の臭いが残る質素な味がいい。


ボーイスカウトのキャンプで手作りしたあのツイスト、棒に練ったメリケン粉を巻き付けて焚火に立てかけて作るインディアン・パンの煙のしみ込んだ塩味を思い出していた。懐かしい味にここフンザで出会ってスカウト時代を思い出したのである。


パートナーとは、いつからか二人で旅を続けるようになっていたという。
タイで中古自転車を購入し、カンボジアベトナムラオスを通って中国を横断し、カシュガルからパキスタンに入ったとのこと。11回もパンクしたと明るく笑い飛ばしていた。

自由気ままに旅する、彼らにとってあるがままの人生なのであろう・・・

 

<蝿のパラダイス>
蝿も棲まなかったタクラマカン砂漠からやってきて、パキスタンの<蝿/ハエのパラダイス>に驚かされる。
なんと天真爛漫、自由な蝿天国だろうか。蝿と共存する人間たちの辛抱強さ。食べ物や飲み物に群がる蝿、口にも鼻にもべとべとと群がる蝿たちに、はじめは苦戦したが、不思議なもので1日もたてばなれるものである。
蝿といえば、南米のブラジルの首都・ブラジリアで出会った光景が鮮明にやどった。シュラスコ(ブラジルのBBQ)をするので精肉店に肉を買いに出かけたときに目撃した光景である。それは肉にたかった蝿で真っ黒な塊、最初それが肉だとは思ってもいなかったが、店主が蝿を手で払うと肉が現れたからびっくり仰天したものだった。吊るされた肉の塊全部が真っ黒だから異様であった。

 

パミール高原での休養>
7500m級の峰々を、ゲストハウスの寝室から観賞しながら三日間の休養をとり、心身共に気力充実。これから始まるパキスタン縦断の体力を養うことが出来た。
明日、8月28日カラコルムハイウエーの次の村・ギルギットに向かう予定である。
パッキングを終え、ゆっくりと体を休めることにした。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428191419j:plain

          ラカプシ山(標高7788m)   ゲストハウス<OLD HUNZA INN>より 

                    Sketched by Sanehisa Goto

 


《 8月28日 フンザ ⇒ ギルギット バス移動 》

 

10時30分頃、バスでギルギットに到着し、宮崎駿監督の「風のナウシカ」の風景の中にたたずむゲストハウス
< NEW TOURIST INN >に投宿した。
バラ園のなかのBBQテーブルで親子丼と生暖かいコカ・コーラをいただいた。甘すぎる親子丼に、砂糖味を押さえるため少し多めの塩をくわえてみた。これで日本人の口あうことをオーナーに伝える。
しかし大阪港からの蘇州号で食べた日本食以来の久しぶりの親子丼、美味しくいただいた。
この親子丼からしても、やはりパワースポットとしての「風のナウシカ」に詣でる日本人青年男女が多いことがうかがい知れる。

 

<冒険野郎4人組と満月観賞>
日本からのキャンピングカー(大型トラック改造車)の4人組も遅れて合流し、ナンガパルパット山(標高8126m)の上に輝く満月を観賞しながらシルクロードでの体験談や国境越えのエピソードに花を咲かせた。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428191716j:plain

      キルギットの南にそびえるナンガパルバット山(標高8126m)の白銀が満月に輝く
      Sketched by Sanehisa Goto カラコルムハイウエー/ラキオット橋ふきんより)

 

トラック(改造キャンピングカー)野郎の4人組は、トラックを改造したオーナー(52歳)とその友人が、インターネットで<ユーラシア大陸横断後、アフリカ大陸西海岸を縦断して南アフリカケープタウン・ゴール>の隊員を2名募集して編成されたチームだという。

それも2年がかりだそうだ。なんと気宇壮大な冒険野郎たちであろうか。野生の匂い、いや強烈な汗の匂いを発散させる4人組である。

旅をしていると、その旅人にあった旅スタイルに出会い、その都度くすぐられ刺激を受けるものである。


旅は、その人の人生、そう生き方そのものなのである。 愉快である。


キルギットは、ナンガパルバット山(標高8126m)登山のベースキャンプの村として賑わっているが、観光のための滞在としてはいささか退屈する。もちろん長期滞在し、山の景色を楽しむのもよい。
スケッチをしながら白銀の峰々を楽しんだので明日8月29日、キルギットを離れ、大都会ラーワルピンディに向け出発することにした。

近くの青空市場にお土産を探しに行ったあと、日本人観光客が多く訪れるパワースポット<風のナウシカ>といわれるキルギット渓谷を散策し、スケッチを描き上げた。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428192416j:plain

         お土産屋がならぶキルギット・フンザの<MADMA MARKET>
                   Sketched by Sanehisa Goto

 

< 風のナウシカに遊ぶ - 風の谷フンザ
宮崎駿監督作品<風のナウシカ>撮影現場は、フンザ・キルギット村のキルギット渓谷にある。キルギット川はフンザ川の支流であり、フンザ渓谷の峻険な断崖と違って、平和で幻想的な渓谷である。
わたしも風のナウシカになってパミールの天空を飛翔し、そそり立つ多くの霊峰の白銀に照り付ける太陽の温みを全身に浴びてみた。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428192638j:plain

       『風のナウシカ風景』 ギルギット川よりラカポシ山(標高7788m)を望む
                   Sketched by Sanehisa Goto


《 8月29日 キルギット ⇒ ラーワルピンディ   バス移動 》

 

朝8時のバスは、フンザ川にかかるラオキット橋付近で休憩し、外国人観光客のために真正面にそびえる8000m峰ナンガパルバット山(世界9位/標高8126m)を見せてくれた。ここラオキット橋はナンガルバットの登山口でもある。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428192912j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428193015j:plain

      フンザ川ラオキット橋からのナンガルバット山(世界9位/標高8126m)スケッチ2点

 

<再度のカラコルムハイウエーでの崩落事故>
ブナール村を過ぎチラス村の手前で滑落があり、全車両が3時間にわたって通行不能状態になる。この時間を利用し断崖より流れ落ちてくる温水(ダクパニ/硫黄泉水/約48℃)で汗をぬぐうことにした。
外国人の海パン姿にパキスタン人は目を白黒させ、呆れている。
こちらは、思いがけない温泉にパキスタンで出会い感激である。

カラコルム・ハイウエーに沿って流れるフンザ川は氷河が溶けて白濁色している。この川に魚は住めるのであろうか。それが棲んでいたのである。バスに川魚を売る12歳の行商人BARHAT SHAH君がいて、今朝川で獲ったという網籠に入っている川魚を見せてくれた。
スケッチさせてもらっている間に、魚について詳しく説明してくれるのだがイスラミックなのでわからない。ここも筆談で理解を深めた。そのときの筆談スケッチがある。
それによると魚のことを<FISH=KOHISTAN>といい、フンザ川で獲った<MACHILI>という鱒の一種であるという。 

 

f:id:shiganosato-goto:20200428193212j:plain

             フンザ川で獲れた<MACHILI>という鱒の一種

 

ブルドーザーによる約3時間の修復後、バス1台分の崖棚の仮設の細道を片手運転で上下交互に通過し始めた。窓から見るに、崖側の谷底には、急流のフンザ川が流れ、吸い込まれていきそうである。


現地の人々は慣れたものである。修復なるまで文句も言わず、イスラムの普段着ガラベイヤ(ワンピース型)
をたくし上げ、しゃがんで(男子しっこスタイル)飽きることなく工事を見つめている。


カラコルムハイウエーでの2度目の崩落経験で、おおよその修理回復の時間が分かっているので、温泉シャワーを浴びたり、フンザ川の魚をスケッチしたりと、かえってハプニングを楽しんだものである。
それもここはパキスタンの危険地帯と聞いていたノーザンエリアである。かえって人手がはいらず厳しい天然の自然が眼前に広がる素晴らしいフンザ渓谷に魅了され、時間のたつのさえ忘れた。

 

《 8月30日  ラーワルピンディー 到着 》

 

<満月のカラコルムハイウエー 17時間アドベンチャーラリー>
29日朝8時30分キルギットを出発したラーワルピンディー行長距離バスは、30日深夜2時30分終着のバスターミナル・ラーワルビンディーに到着した。
実に17時間にわたる<冒険カラコルムハイウエーラリー>が終わった。助手の助けもなく一人の運転での長距離ドライブである。それも断崖絶壁のハイウエーを、である。


このNADLの公共バスの運賃はエアコンなしで320Rs.(¥640) エアコン付きで600Rs.(¥1200)なのだ。世界で最も乗りごたえのあるスリルに満ちたバス路線の一つといえる。
更なるスリルを求めるとしたら、インド東北部コヒマからインパールを経てビルマ国境への山岳道路であろうか。険しい渓谷に、懐かしい思い出が頭をかすめた。


<2004年当時為替レート : 1US$=58Rs. / 1Rs.≒¥2 >
終点のラーワルビンディーに到着した時は、足腰ががたがたで、頭はくらくら、何ともハードなオーバーナイトバスライディングであった。

 

<▲AL AZAD HOTELに投宿 - ラーワルビンディー>
夜中2時半、オートリ―クシャの紹介でハチ・チョークにある<AL AZAD HOTEL>にチェックイン、
シングルルーム#301、バストイレ付、100Rs.(¥200)、天井扇あり、賑やかな街中にある。

朝寝ていたら、開かれた窓からの排気ガスで息苦しくなり目が覚めた。黒い煙を吐いて沢山の車が走り回っている。この状況を打開するため1957年新首都をイスラマバードに建設し、遷都した程である。
しかし排ガスの主役はSUZUKI・HONDA・NISSANTOYOTAのマークをつけた日本の中古車達であるからため息が出る。中古車輸出にも排ガス規制を施して、相手国のことを考えて輸出すべきでないだろうか。

それこそ温暖化対策に責任を持った国であるといえるのではないだろうか。

ラーワルビンディーの北に隣接する首都イスラマバードを歩いてみた。
この日の(8月末)の気候は、うだるように暑く、湿度が高く、快晴が続き、最高気温42℃に達していた。

うだるような暑さに、大好きなソフトクリームが10Rs./¥20で食べられるからうれしい。中国ではミネラルウオーターより安いビールを沢山飲んだので下腹が出て困ったが、ここパキスタンではソフトクリームで腹が出てくるのではないかと心配である。

イスラマバードは、銃を持った警備員が立つ豪邸がめだつ近代都市である。銃を持った警備員がいる家といえばイスラエルエルサレムを思い出す。イスラエルの場合は、パレスチナとの紛争が絶えず、その理由が分かるが、ここイスラマバードは治安が悪いからなのだろうか。
隣国のアフガニスタンは反政府組織タリバンとの間に紛争が続いているため、多くのタリバンが国境を行き来する無法地帯が存在している。
ここイスラマバードから西に向かい国境のハイバル峠を越えるとそこは戦闘地域・アフガニスタンである。

あのパミールの静寂、人と自然の一体感はどこへ行ってしまったのであろうか。
一晩で異次元の世界に迷い込んだように、ここはイスラムの生存パワーが渦巻く欲望の都市である。


おのれの欲を達成するために、大切な心を汚してしまっているように見えてならない。

 

これは人類不変の欲望の姿であることには変わりはないが、せっかく美しい星に生を受けながらなぜ己を汚してしまうのだろうか。


生きるとはかくも厳しく汚いのであろう。


今日も又、騒音と、スモッグと、汚物を垂れ流し、人々は先へ先へと急いでいる。
激しい雨が降りだすと同時に、人々が同じように一斉に走り出した。見事である。


なぜ人間は同じ価値観、同じ行動規範に縛られようとするのだろうか。
雨に濡れ、雨を楽しみ、雨を謳いあげることは難しいのだろうか。

人間とは、一体何者なのだろうか。

気づきは一瞬の中に存在する。その気づきに気づくために、たえず目を覚ましている必要がある。この雨で人々は何に気づくのだろうか、と一人考え込んだ。

ここパキスタンは、アツラーの教えを信奉するイスラム教を国教とする国である。この国は、英国連邦の一つであったインドのヒンズー教より分離独立し、ムスリムとして神に帰依した人々によって成り立っている。

 

イスラムの戒律>
陽が暮れる午後8時半ごろになると、女性が姿を消し、男性ばかりになり、非イスラムである者には異様に見える。
しかしこの生活習慣にはイスラムの戒律である<神への絶対的な服従>が求められている。
ハラール<許された行為・物>とハラーム<禁じられた行為・物>という規範に従って生活する。
<禁じられた行為・物>としてよく知られているのは、豚肉、アルコールを口にしない。
② 礼拝の規律 : 1日5回約5分の礼拝をすること。礼拝の仕方も細かく決められている。
③ その他の規律 : 異性との接触は望ましくないとの考え方・大浴場を避ける・右手優先使用・
           犬に近づかない・偶像崇拝禁止・ラマダーンで断食する習慣ほか

 

<土に生きるイスラム国―パキスタンの人々>
土に生き、質素に生きるイスラムパキスタンの人々はとても明るく素朴である。国全体が1947年の独立以前の英国の統治時代の建物などを大切に残し使用ているように、行く先々で英国の匂いが残っているのである。まるで独立前のぬくもりを大切にしまい込んでいるように、そう英国の統治時代をなつかしむように、すべての思い出を箒で優しく掃くように慈しんでいるように見える。
パキスタンより再分裂して独立を果たしたバングラディッシュを訪ねた時もまた同じ雰囲気を漂わせていたことを思い出し、懐かしいノスタルジーにひたったものである。
素朴な、純粋なパキスタンイスラムの人々に比べ、イランを含めた西側中東の石油を産する豊かなイスラムの国の人々とは、明らかに生活や表情の豊かさに異いがあるのである。

 

<インダス平原、インダス川流域に花開いたインダス文明
パキスタンという国土の大半は、インダス川の流域にできた国である。インダス川流域は、世界最古の四大文明の一つであるインダス文明を生んだことでよく知られている。
これから訪れるインダス文明の遺跡であるモヘンジョダロハラッパ―もここインダス川扇状地パキスタンの地で生まれた。
しかしイスラムの国パキスタンの人々には遺跡文明の恩恵を受けることなく、懸命に生きるためにその日の生活に追われているように見受けられる。学校教育の貧困も、インダス文明の偉大さを学び現代に生かす工夫を教えることなく、また生かすことなく終わっているように見えて残念な気がする。
先に見た山岳地帯の壮大なスピルチュアル・ロマンと、ここインダス平原に花咲いた古代ロマンという二大観光資源を生かす日が近からんことを祈るものである。

インダス川は、今日も歴史に逆らうことなく滔々と、力強く流れている。

今日も又、パミールの地に発したフンザ川もインダス川となってアラビア海に流れ込んでいるのである。


インダス川の流れは、どこか栄枯盛衰という人類の歴史の流れと似ている。

 


《 8月31日 普通列車でタキシラに向かう 》 
 <ラーワルピンディー07:05発⇒タキシラ07:45着 10Rs.>

 

パキスタン・レイルウエー/Pakistan Railwayに見る英国の現地植民主義>
英国の植民政策は、現地の特徴を生かし、積極的に取り入れるという姿勢であるといえる。
列車を走らせる軌道にしても広軌で、母国英国と同じく車内はゆったりとしている。また、惜しみなく現地の発展のため多くのアイディアと技術と資金を提供し、先進的な技術を残している。不幸な時代ではあったが、日本の植民政策も英国式を導入し、台湾、満州、朝鮮における農業や産業振興に最新の技術と莫大な投資と人材支援を実施した。中でも典型的な殖産に情熱を注いだのは後藤新平による台湾の現地主義であろう。台湾近代化の基礎をつくった日本統治の成功例であるといってもいい。
英国は、すべての統治したエリアの近代化はもちろん、現地人を留学させ人材育成に力を尽くしている。
第二次大戦後、英国より独立した多くの国・地域が英国との良好関係を維持し<英連邦>(現在パキスタンはじめ16か国)を結成しているのである。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428193606j:plain

         インダス平原を流れるインダス川サッカル橋より下流をもぞむ

 

ガンダーラハラッパー、モヘンジョダローの遺跡を回ってみてはじめて古代文明の中心の一つがパキスタンの地であったことに気づかされる。
しかし、遺跡に残る先進文明と、現在にみる後進性とのギャップに戸惑うことさえあるのはわたしだけだろうか。
パキスタンの人々は人が良く、フレンドリーである。多くの出会った人々の善良さに一抹の不安も残るが、アツラーの教えに帰依する姿に、幸福の原点が見えてくるようである。


世界遺産 モーラ・モラドウ遺跡・ジャンディアール寺院跡 / タキシラ>
 Jandial Temple-world heritage /Taxila


タキシラはガンダーラ最大の都市であり、都市国家が成立していた。またクシャナ王朝時代には<一大仏教センター>として栄え、ギリシャとローマの造形とインドの思想哲学を融合させた仏教美術が発展した。

YH前で客待ちしているリークシャと遺跡巡りの料金交渉、いいから乗れという、やはり料金を聞いておかないとトラブルのもとであるといったら、笑って350Rs.という。これで安心してジャンディアー遺跡めぐりにでかけた。
森林のない広大な丘陵地帯に曲線を描きながら道が続く、と一人の男が突如あらわれ、リークシャを止めて管理人だといって、一応の説明をしているようだがどうも胡散臭い。こちらも現地の会話はわからないまま、先に進む。
インダスからの爽やかな風の中をインダス文明に触れながら歩いてみたくなったので、リークシャを下りて歩くことにした。
遺跡跡でスケッチをしていたら、パキスタン公共TVクルーが、世界遺産であるモーラ・モラドウ遺跡を撮影のためやって来た。
彼らは日本からのわたしが座り込んでスケッチしている情景を撮影に加えたいのであろうか、英語でインタビューのためのマイクを向けてきた。
「どこから来たのか?」
インダス文明ガンダーラ文明をどう思うか?」と・・・

 

f:id:shiganosato-goto:20200428193930j:plain

      モーラ・モラドウ遺跡 (タキシラ・ガンダーラ) Sketched by Sanehisa Goto
      紀元3-5世紀頃に建てられたストウバー(スケッチ中央)と僧院からなる仏教遺跡

 

f:id:shiganosato-goto:20200428194129j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428194211j:plain

          モーラ・モラドウ遺跡 (タキシラ・ガンダーラ

 

f:id:shiganosato-goto:20200428194422j:plain

           モーラ・モラドウ遺跡 (タキシラ・ガンダーラ)を巡る 

 

<インタビューに答えて、インダス文明ガンダーラの仏像について>
中高校での世界史で習った<インダス文明>の現地に立って、偉大な母なる川<インダス川>の豊かな平原に芽生えたインダス文明勃興の必然性を見ることが出来たことと、インダス文明の人類に果たした役割や歴史を高く評価されるべきであること。
また歴史的にカラチをはじめ多くのオアシス都市が、シルクロードの大切な中継点として東西交易の中継点であったこと、マケドニアアレキサンダーの東方遠征の中継点であったことなど東西歴史の交差点でもあったことなどを話した。
さらに、インドで誕生した仏教が東方に伝播布教の基地としてパキスタンガンダーラが、仏教史にあっても重要な役割を果たしたことについて触れた。
特にガンダーラ仏像に興味あることを伝えた。
なぜかと聞かれて、インドで誕生した原始仏教では仏像は見られず、四方を見渡すブッダの知恵の目が描かれた<ストウパー>が立てられた。その後、仏教はガンダーラを経て東方へ向かうが、ここガンダーラではじめて仏像が生まれるたこと、そして、中国を経て日本に向かう途次、ギリシア・ローマ的な表情のガンダーラの仏像は、東洋的柔和な仏像に変化していったことに興味を覚えると答えた。


最後の問いは、「パキスタンをどう思うか、一言でいえば・・・」である。

「国民は現状に満足し、案外幸せかも ー パキスタンは人々にとって悠久なる夢の国かもしれない」と・・・

 

f:id:shiganosato-goto:20200428195112j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428195136j:plain

  ガンダーラの仏立像(東京国立博物館蔵)          弥勒菩薩広隆寺蔵)

 

         f:id:shiganosato-goto:20200428195553j:plain

              典型的なガンダーラ坐像 (後藤蔵)

 

f:id:shiganosato-goto:20200428200014j:plain

       ジャンディアール寺院跡 (タキシラ・ガンダーラ) Sketched by Sanehisa Goto

 

f:id:shiganosato-goto:20200428200150j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428200315j:plain

左)ジャンディアール寺院跡 (タキシラ・ガンダーラ) 

右)クシャナ王朝 紀元2世紀 (発掘品はタキシラ博物館展示)

 

リークシャで世界遺産であるテキシラの遺跡をはじめ、テキシラ・ユースホステル近くのタキシラ博物館で各遺跡から出土した発掘品を観賞した後、モーラ・モラドウ、ジャンディアール、シルカップ、ビール・マウンドほかの遺跡をを回ったが、あまりの暑さにテキシラ駅にある冷たい地下水(井戸)でパキスタンの青年たちと水浴びを楽しんだ。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428200608j:plain

        暑い! テキシラ駅の地下水で水浴びをパキスタン青年たちと楽しむ

 

f:id:shiganosato-goto:20200428200907j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428201144j:plain

         昼食は街角のセルフサービス揚げパン屋さんで  (テキシラ・ガンダーラ

 

f:id:shiganosato-goto:20200428200952j:plain

               テキシラの街角・揚げパン屋さん家族

 

<▲8月31日宿泊先 タキシル・ユースホステル 300Rs. > YH Taxila
ジャンディアール寺院跡を巡り、スケッチをしてタキシルの街に戻り、タキシル・ユースホステルでの連泊を予定していたがダブルルームしか空きがなく、それも300Rs.(600円)という。ユースホステルでの300Rs,は高いので、一泊だけにしてペルシャワールに移ることにした。

 

            f:id:shiganosato-goto:20200428201532j:plain

              Taxila Youth Hostel (Asian Hotel に併設)

                     TAXILA-Pakistan

インド帝国の残滓> 

歴史を刻んだ年代物の天井扇が、がたがたと軋みながらゆっくりと生ぬるい空気をかき混ぜている。多分ここタキシラも統治者英国人の避暑地であったのであろう。 このユースホステルの部屋を見ていると、英国人好みの天井が高い部屋は、暑さを逃がすように広々としている。全体にがっしりとした造りである。
いまから60年前まで、英国人は海外植民地でその優位性による絶対的権力をもって支配を続けていた。
周囲の貧農にあえぐ現地人をしり目に最高の贅沢を享受していたのであろう。
この部屋も又、彼らの支配地での栄光への策略と祈りの場であったのであろうか。かれらは遠く母国から離れ、支配地の人民を酷使して搾取しながら何を神に祈っていたのだろうか。
人間が人間を支配し隷属させ、そこから得られる欲望の成就、それらは神の許しであったのであろうか。

闇にくれた窓の外には満月顔の大きな月が微笑みかけている。広々とした庭は頑丈な高い塀に囲まれ、月の光に美しく照らされている。
いま真夜中3時、タキシラのユースホステルの一室で、支配され<インド帝国>に組み込まれたイスラムの人々の悲哀を考えながら、支配者英国人のこころを考えていた。

その英国から自転車で世界一周している大英帝国の末裔である青年・ダン君がこのYHに泊まっているのだから、歴史の流れを感じた。
今でも、西欧の青年は、リュックにパンを詰めて野宿しながら、世界を駆け巡っているのである。

 

<真夜中のヤモリとの対話>
うす暗い裸の丸い電球の側に寄り添うように一匹のヤモリがじっとこちらの様子をうかがっている。彼もまた今この時、わたしと一緒に、命に生きているのである。何を想い、何を考え、息を殺してこの宇宙に生きているのであろうか。彼にも生きる目的があるのだろう、家族もいるのであろう。彼はこの部屋に住みつき泊まる人々を観察し続けているのである。
暑さになかなか寝付けないでいる。ヤモリ君は同じ姿勢で息を凝らしてこちらを観察している。
遠くで一番鶏が鳴きだした。
こちらが一番鶏の鳴き声に気をとられている間に、ヤモリ君はその姿勢を少し動かしたようだ
赤い手足に少し白みを帯びたピンク色の斑点がある。

 

<核保有国同志の隣国インドとの関係>
永年、大英帝国の植民地であった<インド帝国>は、インド・パキスタンバングラデシュ(旧東パキスタン)・ミヤンマー(旧ビルマ)・スリランカ(旧セイロン)で構成されていた。
第二次大戦後の1947年、このエリアを植民統治していた英国から念願のヒンズー教国とイスラム教国の二つの国として、イギリス連邦自治領として独立する。しかし、独立と同時に1947年早くもカシミール帰属を巡って第一次印パ戦争が起こっている。
両国はこれ以降、インドの共和国独立やインドの東パキスタン内政干渉(東パキスタンバングラディッシュとしての独立)などことあるごとに紛争や戦争によって決着を付けてきた経緯がある。
1974年のインドの核実験成功以降も、カシミールアフガニスタンイスラム過激派や中国の分離独立要求など複雑な紛争地域となっていく。
パキスタンは通常兵器で圧倒的な優位性を持つ核保有国とみなされるインドに対し、戦力のバランスをとるために核弾道搭載可能な中距離弾道ミサイルの開発に着手し、1989年に成功する。
1998年には北朝鮮からミサイル<ノドン2号>を輸入し、インドのニューデリーを射程におさめる中距離弾道ミサイル実験に成功する。その直後核実験に成功し、第6番目のインドに続き、パキスタンは第7番目の核保有国になって今に至っている。

パキスタンとインドの両国関係は、見てきた通り<核による恐怖の均衡>でかろうじて安定が保たれているのである。

タキシラ・ユースホステルの隣室に、自転車で世界一周している英国人青年ダン君でペルシャワールからやって来ていた。ここタキシラの物価の高さについて二人とも不満に思っていた。
例えば、YH一泊300Rs. 遺跡入場料200Rs. テキシル博物館200Rs. オートリ―クシャ350Rs. 野菜チョーメン(昼食中華)160Rs. 夕食250Rs. マッカウリ90Rs. 今日一日の合計1550Rs. 日本円で3300円となり、おなじパキスタンの北東部フンザでの一週間の生活費に匹敵するのである。
ダン君の泊まったゲストハウスを紹介してもらい、ペシャワールに移動することにした。


《 9月1日 ペシャワール


パキスタンの列車、三等車でタキシラよりペシャワールへ移動>
世界遺産の弊害である物価高は、わたしのようなワンゲル的旅人の懐を直撃するものである。
しかし物価高に目をつぶりさえすれば、人々の優しさ、フレンドリーなもてなしは心に響いてくる。
テキシラの駅長に見送られた列車は、09:53静かにペルシャワールに向かって動き出した。
発車時刻は09:30であったから、すでに23分の遅れである。
最初、時間通りに乗車した時には誰も乗っていなかったが、その後乗客が集まり始め、だいたい車内が込み合ってきたごろを見計らっての発車である。
ペシャワール駅到着も12時から1時の間という。1時間のゆとりをもっての運行に、パキスタン人の生活のリズムを知ることが出来る。
南米ブラジルにいたときに、<アテ・ア・マーニャ!>というブラジル的生活のリズムに慣れるのに苦労した時のこと思い出していた。それは、<また、あしたね!>という、今日はこれでいいじゃないか、また明日ねという・・・日本人の物差しが通用しない世界が現実にあるということである。
みんなも遅延を知っていて、ゆっくり集まるし、列車も又ゆっくり集まる乗客を待って出発するという悪循環というが実に合理的な秩序に合わせてしまっているのだ。
それでは、はじめから遅延時間に時間表を合わせたら解決すると思うのが日本人的発想なのだが、また同じく30分遅れになってしまうのだから、郷に入れば郷に従えとの格言こそが旅の醍醐味といっていい。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428201902j:plain

            テキシラよりペシャワールに向かうパキスタン三等列車

 

ペシャワール行きの三等車両に乗車、ボックス型で6~10人掛け、座席は板張り、天井扇が音を立ててうなっている。この車両は、支配者英国人用ではなく現地人用であったと思われる。
治安が悪いのであろうか、鉄道警備員が同乗、このペシャワール線がアフガニスタンとの国境に近いペシャワールに向かうからであろう。
すでに戦闘地域であるアフガニスタンとの国境に近づいているのだ。
車窓から見るパキスタンガンダーラ地方の農村風景がゆっくりと流れていく。朝11時45分、 <Attock City Junction>で列車待ち、プラットフォームに乗客が出て風にあったっている。ガンダーラ平原の日差しが一段と厳しくなってきた。すれ違う列車がゆっくりと入ってきた。
売店で、ランチ(20RS.)として<揚げ豆・フライドポテト・リンゴジュース>を買って戻る。

列車の窓枠にこびりついた黒く光る薄汚い垢がまるで英国統治のインド帝国からの独立を果たしたパキスタンの苦難を物語っているようである。
支配者であった英国に対する怨念のシンボルのようにも見えるし、圧政に対する無言の抗議のようにも見て取れる。しかし、独立から約半世紀、パキスタンは立派な独立国家であり、この垢のある戦前の支配者であった英国の列車、それも怨念の垢のついた列車を排して、新しい自国製の列車に変えて初めて、真の精神的独立を果たしたといえるのではないだろうか。
一日も早い時期に無気力さを示すこの垢を消し去ってもらいたいと願うひとりである。

昼を過ぎた。じりじりと気温が上がって、毛穴から汗が噴き出てきた。天井扇は音だけが響き渡り、熱風だけが集められて頭に吹きかかる。
それにしても到着時間を大きく過ぎている。一向に目的地・ペシャワールに到着しない。
トイレの汚れた水をハンカチに湿らし、首にあてて冷やすが効果なし。

それを笑うように大きなネズミが足元で見上げている。


1:30pm<Charsadda Staiton>を通過、1時間30分の遅れである。
窓枠や木製座席など、触れるものすべてが熱をおびているから、呆れるばかりの熱さである。 

<タキシラ ⇒ ペシャワール>の列車は、3時間のところを5時間もかかって雨交じりの熱射のなかようやくペシャワールに到着した。

<▲9月1日 ペシャワール・ツーリスト・イン・モーテル 宿泊>
サイクリスト・ダン君の紹介してくれた『PESHAWAR TOURIST INN MOTEL』に飛び込んだ。
空には暗い雨雲がおおい、風が砂塵を巻き上げ、雨に砂が混じって地上にたたきつけ、あたりが一面土色になる。


《 9月2日 ペシャワール2日目 》

 

アフガニスタン国境・ハイバル峠に向かう>
ハイバル峠は、アレクサンダー大王マルコポーロ三蔵法師玄奘や多くの隊商の往来、ギリシャ文明をはじめ多くの文物がここハイバル峠を越えてこの地にやってきて<ガンダーラ芸術>の花を咲かせた。
また、ハイバル峠は<シルクロード峠>としても、玉(ぎょく)・パッチワーク・絨毯・絹といった贅沢品や羅針盤・印刷術・製紙・絹機織などの技術がこの峠を越えて伝播した。
わたしも<シルクロード峠>としてのハイバル峠に是非立ちたくて、ここペシャワールにやって来たのである。

7世紀の求道僧であった三蔵法師玄奘が中国、ウズベクスタン、アフガニスタン経由でパキスタンを訪れた時も、ここハイバル峠を越えてペシャワールガンダーラに至っている。
玄奘がこの地を訪れた時には、ペシャワールガンダーラで栄えた仏教文化は最盛期を終えていたようである。
わたしも宿泊することになったペシャワールは、アフガニスタンへの入口であるハイバル峠の麓にあり、アフガニスタンの主要民族であるパシュトウン人が多く住んでいる街である。

ハイバル峠一帯の治安は悪く、取り締は厳しいようである。また外国人に対する警戒心も強く、いつ襲撃されるかもしれないのでハイバル峠には近づかないようにと、昨日チェックインするとき、ホテルのフロントでオーナー<ミスター・ハーン>から注意を受けた。

 

           f:id:shiganosato-goto:20200428202453j:plain

          ペシャワール・ツーリスト・イン・モーテルのオーナーであり、

       アフガニスタン国境偵察隊の隊長として案内・運転をしてくれたミスタ・ハーン


ホテルのオーナー<ミスター・ハーン>からさらにパキスタンアフガニスタン国境の状況を聴くために、隣の部屋に泊まっていたフランス人フランソワを誘ってオーナーを訪ねた。
まず、オーナーは、イスラムの教えから話し始めた。
アツラーの神は、すべてをわれわれムスリムイスラム教徒)に与えたもうた、とおっしゃる。食べ物はもちろんお金、衣服はじめ何もかも神は贈物としてムスリムに与えたのだと。だから我々ムスリムは、現状に満足しているという。
それに反して西洋人は、何もかも不足していると愚痴を言い、次から次へと物欲をエスカレートさせ、不満を持ち、敵対し、欲望を満たそうとするように映るという。だから西洋人の神は、彼らを満足させられずにいると説く。
説教は高まり、ムスリムであるオーナーはさらにおっしゃる・・・
世界がアツラーの神のもとに帰依するならば、平等・自由・平和は、はるかに早く実現し、世界は一つになれると、力説する。

わたしとフランス人フランソワは、オーナーのお説に反論せずに聞いた後、イスラム教がいまだにその教えを守り、幸せを噛みしめているムスリムが多いことに納得するところがあった。現実にムスリムの総人口は15億人超といわれているところからもオーナーの説が間違っているとは言えないからである。

オーナーは68歳、丸坊主で精悍な顔をもつムスリムである。
オーナーは、ここペシャワール・ツーリスト・イン・モーテルに、パキスタン人・アフガニスタン人・イラン人は絶対に泊めないという。欧米人と日本人だけにのみ解放しているとおっしゃる。前説と真逆の信念を披露して齟齬がないようである。
精力絶倫のオーナーは曰く「人生は女あっての人生だ」と、どんでもない性生活の自慢話になりオーナーの独演会である。
オーナーが山賊の頭に見えてきた。
ようやくハイバル峠の治安の話になり、是非ハイバル峠を通ってアフガニスタン側に入ってみたい希望があると伝えると、案外あっさりと俺に任せておけという。オーナーの話というか説教を辛抱強く聞いたことへの返礼であったようである。

<ハイバル峠越え>
昨夜のオーナー・ミスターハーンとの約束で、待ち合わせ時間にフロントに下りていくと、すでにハイバル峠への手配が出来ているという。
裏庭には、15年前の中古、いやポンコツの三菱ランサー、といっても原型をとどめない代物である。バンパーが飛び散り、ライトなく、方向指示器はえぐられ、車体はぼこぼこ、これで走るのかと疑った。
思わず乗る前から身の危険を感じたものである。ただ一つ救いがあったのは、オーナー自ら運転、案内してくれるという。
ということで、今日一日アフガニスタン越境は、ポンコツ車とミスター・ハーンに命を預けることとなった。

 

ただミスター・ハーンから出発にあたって、次の指示事項に従うことを宣誓させられた。
① 安全に努めるが、相手(アフガンゲリラ・パキスタン警備兵)次第では銃撃を浴びることもあること
② ツアー中は絶対司令官(ミスター・ハーン)の指示・命令に従うこと
③ 相手の攻撃に対して身の安全を守るため最善は尽くすが、命の保証はしないこと。
④ 写真は極力撮影しないこと。(使用車・ガードマン・機関銃・警官・軍人・国境付近・軍事関係ほか)

 

丁度この時期、日本人教師がアフガニスタン国境を越えようとしてアフガンゲリラから銃撃され死亡したというニュースがTVで流れ、現地のアフガン越境非正規ツアー業者に危機感が走っていたのである。

いざ出発となって初めて、どこから現れたのかバンダナを頭に巻き、サングラスをかけ、黒づくめの戦闘服を着た旧ソ連製カラニシコフ機関銃を持った警護スタッフが現れたのには度肝を抜かれた。
ラニシコフ機関銃はソ連による1989年アフガン撤退時に残され、流されたものであるという。

そうなのだ、これから第一線の戦場に偵察に向かう斥候隊の一員であることを知った。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428202202j:plain

                ハイバル峠のパキスタン側歓迎塔

 

f:id:shiganosato-goto:20200428202340j:plain f:id:shiganosato-goto:20200428202804j:plain

左) ハイバル峠からアフガニスタンに入った小高い丘の上から、アフガン側のハイバル峠ハイウエー

           その先にアフガニスタン国境管理棟を遠望する


右) アフガニスタン国境偵察隊の隊長と案内・運転をしてくれたミスタ・ハーン

           アフガニスタン国境を越境した地点で

 

アフガニスタンとの国境であるハイバル峠への広くゆったりしたアスファルト道路をポンコツ車<三菱ランサー>に乗った自称・アフガン国境偵察隊は、旧ソ連製の機関銃を持った護衛に守られて、うなりをあげて走り続けている。
パキスタン側のパスポートチェックポイントからアフガン国境であるハイバル峠まで約3kmと聞いていたが、緊張感からか非常にながく感じた。
標高1070mにあるハイバル峠は、青空のもと乾ききった砂岩の山々がまぶしく反射して目に入ってくる。
石積みの上に泥土を塗った家の周りに、わずかにかたまってところどころに生えている乾燥した草木の緑が緊張感をほぐしてくれる。
カーブを切り、シフトを低速にチエンジするごとにポンコツ車のマフラから漏れる排ガスが車内に充満する。
後部座席に陣取っている護衛の機関銃の銃口がバックミラーにちらつき、アフガン紛争の緊張感が伝わってくる。
英国統治時代の残滓である長方形のコンクリートブロックがガードレールの代わりに谷側に設けられ、ハイバル峠まで続く。時速制限40(km/H?)の標識が、味気ない不毛の地色に一輪の花として鮮やかに咲いているように見える。
アフガニスタンは昔からシルクロードとして、現代ではヨーロッパ・中東・中央アジア・南アジア・中国などを結ぶ交通の要所として位置し、国際関係史や地政学的な特殊性から各国が支配下の置こうと侵略を繰り返してきた。
しかしその都度、アフガニスタンの山岳民族の根強い抵抗にあい、不安定のなかいまだその独立性を維持している。英国でさえアフガニスタンを一時保護国としていたにもかかわらず、<インド帝国>の構成員にできないほど複雑な経緯を持っていたのである。
アフガンの歴史は、他民族の侵略の歴史であり、ペルシャアレクサンドロス大王による支配、イスラムやモンゴルによる侵略が続いたあと、アフガニスタンに統一王国が誕生し、第二次大戦では中立国として立場をとった。その後、クーデーターが起こり王政から共和制に移行し、この年(2004年)、アフガニスタンははじめて正式に国名を<Islamic Republic of Afghanistan―アフガニスタン・イスラム共和国>としたのである。
1979年2月、イラン革命がおこり、同年10月ソビエット連邦は、イラン革命に触発されアフガンにできたイスラミック革命政権によるソ連内のイスラム国への飛び火を恐れてアフガニスタンに侵攻したといわれている。
その後の流れは、アフガンに侵攻占領したソ連赤軍に対しての山岳持久戦により追い出し、その後タリバン政権を打ち立てた。
しかし政変は安定せず、2004年当時タリバンはゲリラ化し、米軍の支援を受けた政府軍とたたかうとともに
2001年9月11日のイスラム過激派アルカイーダによるアメリカ同時多発事件の首謀者オサマ・ビンラディンタリバンがかくまったことからアメリカ軍のさらなる干渉・攻撃を受けることとなった。

ここハイバル峠は、タリバンにかくまわれたオサマ・ビンラディンアフガニスタンタリバンアジトに行き来するルートであるという情報を持っていた米軍特殊部隊やCIAが逃避ルートとして監視を強め、ゲリラ・タリバンと対峙していた危険地帯であったのである。

今ここ危険地帯を、緊張感をもってハイバル峠へ向かっている。

国境緩衝地帯であるハイバル峠では、小高い丘からアフガニスタン側の風景を眺めることが出来た。
実はこの度のシルクロード踏破の正規のルートは、ここハイバル峠を越えて、<アジアハイウエーA1>
を進み、アフガニスタン横断ルート<ハイバル峠(アフガニスタン国境)⇒カブール⇒カンダハール⇒ヘラート⇒(イラン国境)⇒テヘラン>を経て、終着駅であるイタリア・ローマに到着するはずであったが、アフガニスタンの内戦のため残念ながら、カラチからテヘランへの南ルートをとることになったのである。

どうしてもここハイバル峠をシルクロードの一里塚として目に焼き付けておきたかったのである。

近い将来、アフガニスタンに平和が訪れた暁には、是非シルクロードアフガニスタン<アジアハイウエーA1>を横断してみたいと思う。

 

f:id:shiganosato-goto:20200428203452j:plain

     < シルクロードのハイライト> ハイバル峠を越え国境緩衝地帯をアフガニスタン側に下っていく車

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

この項を描き上げている2020年4月28日現在、中国武漢で発生したコロナウイルスは、
全世界への伝播を続けている。
日本  感染者数      13385   死亡者数   2906   退院者数 2905  
世界  感染者数  3000000   死亡者数  210000     

医療従事者のみなさんありがとう!
心から感謝しています、ありがとう!

世界のみんな、がんばろう!
世界のみんな、がばれ!

日本のみんな、がんばろう!
日本のみんな、がんばれ!

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

       『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⑤ 
           
    < ペシャワール/パキスタン ⇒ クエッタ/パキスタン・イラン国境>

                につづく