朝6時30分、アテネの国鉄ラリッサ駅近くの東にあるバスターミナルに無事到着した。
アテネの気温は14℃、秋日和。バスターミナルから真南に歩いて約15分、オモニア広場にある地下鉄駅に
向かった。
地下鉄オモニア駅より終点ピレウス駅に到着。(地下鉄0.7€・ユーロ)
5泊6日分のギリシャ滞在費の両替をピレウスのATMと銀行で行った。
10/02~05 アテネ⇒ピレウス港⇒サントリーニ島 4泊5日
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10/10 アテネ発夜行国際バスでブルガリアに向かう 車中泊
10/11~12 ブルガリア滞在 1泊2日
地中海クルーズ 100€
5日分宿泊代 50€
6日分飲食代 120€
観光雑費 40€
■ギリシャ滞在予算 約310€
*********************************
■T/C(トラベルチェック)現金化400US$ =約310€
<旅は予定通りには行かないものである>
人生も旅も常にワンタッチの差で目先の物を逃すことがあるものである。
今朝早くラリッサ駅近くのバスターミナルに着いて、ギリシャでのホステル一泊分の宿泊代を浮かすために船に乗るため、メトロ(地下鉄)でピレウス港に急いだ。
しかし、一足先でピレウス港発の定期航路のフェリーの船尾にある通路が巻き上げられ、出航していくではないか。なんと数分の差で予定のフェリーに乗り遅れたのである。
最善を尽くし、精一杯の努力をしてのことと自分を慰めたが、残念でならない。
ギリシャ初日から船中泊という節約計画が崩れたのだから口惜しいのである。
<別便でサントリーニ島に向かう>
格安の定期航路(15€)を逃し、悔しいが急遽計画を変更して、ピレウス港より幻のアトランティス大陸といわれるサントリーニ島行きの水中翼高速艇<ドルフィン号 50€>に飛び乗ることにした。
不思議なもので、<ドルフィン号>乗船によって、悔しさも運命を大きく変えるエーゲ海の船旅になりそうな気がしてきた。
旅も人生も、あくまでその時の納得と、期待と、夢の持ち方で決まるような気がする。
何はともあれ、今夜は幻の大陸の中心、サントリーニ島で眠ることになったのだ。
またどのような夢を見るのであろうか、楽しみである。
今回のエーゲ海船旅は、サントリーニ島を皮切りに幻のアトランティス大陸の一部といわれる島々を回ってアトランティスの遺跡をたどることにしている。
<水中翼船ドルフィン号>
サントリーニ島の断崖を上って幻のアトランティス大陸の山頂に至る
断崖下のサントリーニ島に着く(乗り逃がした定期船)
<すべての人が憧れる夢の街 フイラー>
水中翼高速艇<ドルフィン号>はサントリーニ島の断崖絶壁下にある港に着く。ロバにまたがり断崖に造られた小径、綴らおりを上り、頂に所狭しと建てられた無数の白亜の家屋とコバルトブルーのドームの丸屋根を持った教会に迎えられるのである。
ここが生涯一度は訪れたいといわれる街、サントリーニ島の<フイラー>の街である。フィラーは白亜の街であり、ポエムの街である。その白亜はエーゲの太陽に照らされ童話の主人公であるわたしを照らし出しているようである。
エーゲ海に浮かぶサントリーニ島断崖につくられた白亜村・フイラー
Sketched by Sanehisa Goto
<▲10月3~ 5日 サントリーニ島ペリッサ 『Villa Holiday Beach』 連泊>
この時期、サントリーニ島は観光客で溢れかえり、中心街であるティラはすでに予約で満室であった。島の中部にあるビーチに近いペリッサなら空き部屋があるということで、素敵なプールのある<Villa Holiday Beach>に宿泊することにした。
ペリッサは、フイラーの街や古代遺跡ティラ、黒砂浜のカマリビーチやペリッサビーチにも歩いていけて便利な位置にある。またフィラーのような喧騒を避けて、静かなサントリーニ島を味わえるのでおすすめである。
サントリーニ島Villa Holiday Beachのプールサイドで日光浴
<アトランティス大陸の赤ワインを味わう>
いまなお息づくサントリーニ島に張り付く葡萄畑、幻のアトランティス大陸のワインの味を伝えているのであろうか。
アトランティスは、少し酸味と渋みのあるワインを古代シルクロードを通って東方に送り出していたと思うだけで愉快ではないか。そう、楊貴妃も又始皇帝とともにアトランティスのワインを味わっていたのだと思えてくるから不思議である。
さっそく、<HATZIDAKIS Santorini―Sigalas SANTOTINI>の2本の赤ワインを手に入れ、酔いて心を和ませ、更なる夢を見させるアトランティスの赤ワインの味を楽しんだ。
サントリーニ島ペリッサの街を背景に
サントリーニ島フイラーの街散策
<サントリーニ島は幻の大陸アトランティスの山々の一つである>
サントリーニ島は再度の訪問である。
サントリーニ島が幻のアトランティス大陸の一部であると確信しているからである。
1992年、20年にわたるアメリカ在住からの帰国時であったから、今回でアトランティス大陸の最高峰に2度登頂したことになる。
紀元前4世紀の哲学者プラトンは人づてとして<クリティアス>と<ティマイオス>の二冊の著書で、アトランティス大陸について次のように述べている。
「アトランティスは、地中海の西の端にある美しく豊かな土地で、黄金を産し、貿易の民が世界中から集まった」と。
この理想国家アトランティスは、大地震と洪水により一夜にして海中に消えてしまったとある。
このアトランティスの実在、それはどこにあったのか・・・わたしもその謎を追う同好者の一人である。
ほかに、大西洋スペイン沖合にあったという説があり、昨年夏(2003年8月)巡礼路<カミーノ・デ・サンチャゴ>を自転車走破した足で、アトランティス大陸が眠っているといわれる地の果て<フィニステーレ>を訪れて、一文を残している。
「わたしの星の巡礼は、ここ<カミーノ・デ・サンチャゴ>を経て、次なる<幻のアトランティス大陸>へと続く。フィニステーレはサンチャゴ・デ・コンポステイラから西へ、大西洋に至る18kmの位置にある。
フィニステーレとは、「地の果て」という意味であり、この先にアトランティス大陸が眠っているのだ。」
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/15074827
(左)アトランティス・エーゲ海説 (サントリーニ島衛星写真 Wikipedia)
(右)アトランティス・大西洋説
南北が逆、右にアメリカ・左にアフリカとなっている
わたしはここサントリーニ島がアトランティス山の頂であったと固く信じる一人である。
<アトランティス山に輝いたであろう真紅の太陽がまぶしい。いま、BC1500と同じアトランティスの朝を迎えている。近くの山影はイオス山であろうか。
わたしはいま2004年10月3日朝6時58分、アトランティスの最高峰サントリーニ山 海底抜2800m(標高280m)の山頂で、真北にあるイオス山に向かって坐り、瞑想の中にいる。気功により約3500年前の太陽エネルギーを取り込んでいる。3500年前、アトランティスの住民もまたこの太陽の神を拝したに違いない。>
夢想するアトランティスの島々 <エーゲ海に顔を出すアトランティス大陸の山々の頂>
西(左)より、フォレガンドロス島・ミロス島・キモロス島・スキノス島・
サントリーニ島・イオス島・アナフイ島
夢想するアトランティスの山々
<サントリーニ山 2800m と イオス山 2500m>(予測海底抜)
<幻のアトランティス大陸 上陸記念碑>
サントリーニ島の砂浜は、黒砂をひき詰めている。
夢想するわたしは、ここアトランティスの黒い砂浜に小石の記念碑を描き、アトランティス訪問の証とした。中央に十字架、その周りにスター・ムーン・フラワー・ドッグ・ハート・AT(アトランティス)を配し、ハートで取り囲んだ小石の標(しるし)を黒砂の上に描いた。
幻のアトランティス大陸 上陸記念碑 (サントリーニ島カマリの黒砂浜にて)
サントリーニ島ペリッサの黒砂浜 <Perissa Beach>
ああきみ 幻の大陸 アトランティスよ
君いま 息をひそめ ここエーゲ海の
静けき深海に沈みて 息をひそめおる
ドルフィン号のわれ きみの呼吸に没し
サントリーニ島に その姿をのぞかせて
時を越え われを迎えんとするを喜ぶ
アトランティスのわれに寄せし魂の鼓動
きみわがこころに響きて 姿をみせんとす
ドルフィンに背負われしわれ興奮を隠せじ
わがこころの宇宙にきみ来たりて歌いて
われに夢を叶えさせたまえと祈りてや
君に会えしこの日を 共に喜びて祝わん
サントリーニ島ペリッサに建つドームを持った聖堂
Sketched by Sanehisa Goto
フィラーの街を望むペリッサの聖堂
《 詩 ああわが麗しのアトランティスよ! 》
ああ麗しのアトランティスよ
この日を幾度夢見たことか
君 青きエーゲ海の日差しあび
柔肌のうすき感触にときめきし
わが心捧げし君に 心満つるなり
祈りし息吹に 君恥じらいて笑う
アトランティスを飲みしエーゲの海よ
君の微笑みに心満つるなり
わが心に生き続けしアトランティスに
わが心捧げしに君応えて迎えし
エーゲの海に顔を出せしアトランティス
峰なるサントリーニ島を創りおる
われいまここに立ちて アトランティスに
親しみを込めて挨拶するなり
ああわれいまアトランティスの山頂
サントリーニ島におりて至福なり
キクラデス諸島Selihos Island に沈む夕日
<詩 ああアトランティスよ!>
ああ麗しのアトランティスよ!
この日を幾度夢見たことか
初秋の柔らかい日差しを浴び
われ胸をときめかして切なり
柔肌のなめらかなる感触に
恥じらいて息吹き交わし
君我にすべてを与え給い
君に我こころを捧げしや
エーゲよ アトランティスよ
君を想うこころ深きこと
エーゲの蒼き心に似たり
今宵の宴を共に祝わん
紺碧のエーゲに顔出せし
アトランティスの峰々よ
海に沈みし幻の大陸よ
親しみ込め挨拶するなり
フルガンドロスの島民にして
オレンジがよく似合う女神は
我を幻の大陸に導くなり
幻のアトランティス大陸 サントリーニ・ペリッサビーチより夕陽観賞
<のんびりした島内バス>
ここペリッサからフイラーの街へは、歩いての散策も楽しいが、島内バスに乗るのもいい。時刻表もなく、いつやってくるかもわからないバスを待つのも人生にあってもいい。
ペリッサの街角にあるバス停<メガセコリ>で、葡萄畑を駆け抜けてくる潮風やエーゲの太陽と戯れながら、日向ぼっこのバス待ちである。
このバス停近くにアトランティスのパンの匂いを運んでくるベーカリーがあり、特大のドーナツとコーヒーで朝食とした。
フイラーの街のスケッチをしながら散策したあとは、可愛い熱帯魚たちに迎えられてレッド・ビーチでシュノーケリングを楽しんだ。トロピカルフィッシュたちは恐れを知らず、わが手に接吻をしてくれるのだからその愛苦しい仕草にアトランティスの海に顔をつけて長い間、見入ってしまった。
導かれたシュノーケリング・ポイントのあるこのビーチを<Atrantia SANE Private Beach>と名付けることにした。
その付近の略図スケッチを載せておくことにする。
この<SANE Beach> への行き方は、Red Beach行島内バス(0.9€)で < アクロティリ/Akrotili /ギリシャ正教会前>で下車し、徒歩でレッドビーチ駐車場に向かう。この駐車場に面した略図の中のⓍ印が<SANE BEACH>である。
Red Beachはタツノオトシゴの形をしたサントリーニ島の尻尾の南側に位置する。
Ⓧ印が<命名:SANE BEACH>
< 古代遺跡ティラ / Ancient Thira トレッキング >
古代ティラ / Ancient Thiraは、幻のアトランティス大陸のサントリーニ山(海底抜2800m)の頂上にある。
そう、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島の一番高い所(海抜280m)にある遺跡である。
紀元前9世紀頃ドーリス人によって築かれた古代遺跡だと言い伝えられている。
紀元前4世紀のプラトンも又その著書で幻のアトランティス大陸のことを述べているように、すでにその500年も前の古代遺跡が今目の前に、それも海底ではなく島の頂にその姿を見せているのだから<アトランティスの存在>を信じる、夢おおき者にとっては興奮の一瞬である。
古代ティラへは、宿泊先である<Villa Holiday Beach>から歩いて片道約1時間半のトレッキングである。多くのバックパッカはサントリーニ島の北側にある賑やかなイアやフイラーの街からやってくるので、バスや乗り合いタクシーやバギーを利用するようである。
古代ティラ遺跡へのトレッキング・マップ
幻のアトランティスの古代遺跡ティラ?
<日独共同レスキュー作戦 ― 怪我の老婦人を救出 - 古代遺跡ティラにて>
古代遺跡ティラから下山途中、フランスの老婦人が石に転び、右足の膝を岩にぶつけて大きな裂傷を負っていた。まずドイツ人夫妻が気づき、夫人がレスキュー要請のため麓に下山。ご主人が傷口にペーパタオルを当て、ビニール袋を巻いているところに行き会わせて、助力を申し出た。
携行していた救急袋から殺菌用のイソジンきず薬で傷口を消毒し、念のため滅菌用キシロA軟膏を塗布、新しいペーパタオルに置き換えて、バンダナを三角巾にして固定。
レスキュー隊は結局救助に来ず、通りかけのドイツ人青年も参加、老婦人を抱え上げて下山することになった。
彼女の重たいこと、か細き男性たちはすぐに息切れし、交代で背負うことになったがこれまたすぐギブアップ、どうにか時間をかけてバス停まで下山することが出来た。
迎えに来ていた老婦人の妹さんや本人からのお礼の言葉に、「サントリーニ島は幻の大陸と呼ばれており、そこに行き交うわれわれも又、アトランティスの子孫と思えば、互いに助け合った心に残るストーリが出来ましたよ」と答えて、お互いの労をねぎらって別れたのである。
フレンチ、ジャーマン、ジャパニーズ、グリークの飛び交うなか、意味不明の会話もイングリッシュでようやくまとまるのだから、意志疎通は不便なものである。しかし、いまなお言語は民族統一のシンボルであり、国家間の障害として残された課題でもある。
1世紀ほど前、世界中の人々にとって「第2言語としての共通語」となるべく作られた人工言語としてのエスぺラント語が文化人の間で真剣に学ばれた時代があったことを亡き母から聞かされたことがある。国家の枠を取り去り、人類平等の原則は言語からなされるのであろう。
古代遺跡ティラ下山途中、負傷されたフランスの老婦人をみなで救助
夢想アトランティスの風景 <アクロティリよりManolas/Oia/Firaの各街を望む>
Sketched by Sanehisa Goto
< 10月5日 サントリーニ島滞在最終日 雲棚引き 風強し>
①10月5日分宿泊費(15€)追加支払いを済ませること
②ミコノス行船便の予約とスケジュール確認(10月6日)
➂デポジット(5€)・パスポートの返却を受けること
④荷物のパッキング/日本への郵送便の発送
⑤<Sunrising Trecking>の実施
<サントリーニ島 Sunrising Trecking >
サントリーニ滞在最終日を迎えることになった。約6㎞のショートコースだが、サントリーニに別れを告げるにあたって、雲棚引く魅惑的な朝日を配する静かなコースを歩くことにした。
ペリッサにある<Villa Holiday Beach>を朝早くでて、島を北西に向かって横断し、島の西側の坂を下るとMegalo Choriの街に着く。三叉路を南西に道をとり<Caldera Beach>で島を横断し、Red Beachの入口の
<Acrotili>に到着する。約2時間のトレッキングコースである。
帰路はのんびりと島内バスを利用した。<Acrotili ⇒0.9€⇒ Megalochori乗換 ⇒0.9€⇒ Perissa>
<サントリーニ最後の昼食を楽しむ>
サンライズ・トレッキングを終えるころ、ペリッサ・ビーチ近くでロスアンゼルス在住の動物病院を経営する青年、小笠原君に出会い、お互いアトランティス大陸を追い求める同好の士であることに意気投合、ペリッサビーチに並ぶ <Bar Restrant ATLAS> で昼食をとりながら自説を交換することになった。
幻のアトランティスのビールに見立てたBeer<Mythos>で乾杯、夢見る若きアトランティスターに祝杯を挙げた。
世界には<幻のアトランティス大陸>を追い求める夢想者が数多くいるのである。
アトランティス大陸が地穀変動でエーゲ海に没していったという一説を確立しているここサントリーニ島で、
エーゲ海説を信じる青年と出会えたことに感謝したものである。
<Bar Restrant ATLAS> で昼食(Perissa Beach)
<10月6日 強風のため出航取止め>
朝早くからここサントリーニは、強風が吹き荒れ、波浪が高いため、
船会社より今朝出航の便はキャンセルするとの掲示があった。明日同時刻に出港するとのことである。
数百名の団体乗船客は、それぞれの宿泊先にもどって行ったが、わたしは乗船予定のBlue Star Naxos号をスケッチしたあと、強風を避けるため英国人のバックパッカーのカップルとギリシャ人中年夫婦の5名と共に、フェリー乗場の待合室で一夜を過ごすことにした。
夕食は、港にあるレストランに5名で出かけ、ギリシャ夫婦がすすめる郷土料理<ムサカ>を堪能した。
待合室には屋根はあるが戸がないので寒くなりそうだ。それぞれマットをひき、雨具を着込み、防水カバーをかけたスリーピングバックにもぐりこみ、旅談議に花を咲かせながら夜を過ごした。
このような自然災害による緊急舎営もまた楽しいものである。
特にフェリーによる移動には、暴風によるキャンセルも計算に入れて行動計画を立てるようにしている。
<迷子の子犬ちゃんに鼻をなめられ・・・>
幻のアトランティスは、天候の変わりやすい大陸であったようである。
昼間は地中海気候により紺碧の青空から降り注ぐ太陽熱は体を焼くほど温かく、夜は涼しく、雨の日は寒ささえ感じる。
ピンキーと名付けた可愛い子犬もまた寒さを避けるため、舎営するわれらバックパッカーの寝袋に潜り込もうとしては、鼻をなめて品定めをしている。多分、飼い主の布団で一緒に寝ていた習慣からであろう。
しかし迷子になって一度も洗ってもらっていないのか臭い、可愛いがとても臭い。
「一日も早い飼い主に出会えますように、アトランティスの子犬ピンキーよ 君の一生に豊かな愛がいっぱいありますように・・・」
《 10月7日 サントリーニ島 ⇒ ミコノス島・デロス島 フェリー移動 晴れ・波浪高し 》
<サントリーニ島より、アトランティス遺跡があるとされるミコノス島・デロス島にわたる>
今日は、波浪もおさまり、天気も回復したことで出航するという。
この船に乗るために2日間も待ったことになる。最初に乗船したかった日は定期運休日、二回目は暴風雨による欠航と、フェリーや船による移動はゆとりあるスケジュールでないと大変である。
カナダのカップルは、フェリー欠航により、エアーチケットのキャンセルも出来ず途方に暮れていた。
ミコノス行きフェリ―は火木休航以外、毎朝1便である。
サントリーニを07:30出航する<Blue Star Naxos号 14.10€>、経由地Raposに10:30に寄港し、11:00出航の<SeajetⅡ号 12.40€>に乗換えて、ミコノス/Mykonosに11:40に入港する。
ミコノス島では、キャンプ場でツエルト(簡易テント)に潜り込む計画を立てている。
寝袋から起き出し、出航前のサントリーニの波止場を早朝散策。
Blue Star号の満艦飾の旗がエーゲ海の青空に映え、これから向かうミコノス島の古代アトランティスの遺跡へ夢を馳せる。
エーゲの風は西から東へ吹き流れ、わたしはシルクロードを東から西流れてゆく。
いつかまた、どこかでアトランティスの風と交わる日を夢見ながらアトランティスの子犬・ピンキーと
別れた。
あさひに輝くサントリーニ港を散策
サントリーニ港レストランで朝食(背後にフェリー・ブルースター)
< アトランティスの山々よ さらば・・・>
いままさにエーゲの海に映える真紅の太陽は
古代の神々に 朝のお告げを伝えんとする
オレンジ色の一筋のひかり わが胸を射抜きて
アトランティスの温かき太陽を浴びて満ち
3000年前の息吹でわが体は膨らみて飛立つ
エーゲに沈みしアトランティスを船で越え
いままさに古代遺跡ミコノスに向かわんと
われ ここサントリーニに別れを告げるなり
<幻のアトランティス大陸を求めるラ・マンチョのごとし>
サントリーニ島を後にするブルースター号の力強い航跡に、夢を実現していくパワーとエネルギーを感じる。
いまここエーゲ海で、消えていったアトランティス大陸に夢を馳せるおのれの情熱と、航跡の力強さを重ねるのである。
なぜかエーゲの海の風に向かって、ミュージカル<ラ・マンチャの男>でドンキホーテが歌っていた<見果てぬ夢>のメロディーを口ずさんでいる。 <見果てぬ夢を見、見果てぬ夢を求めん・・・>、幻のアトランティス大陸を求める探究者とドン・キホーテを重ねたものである。
航跡の先、ミコノス島でアトランティスの古代遺跡をみる夢が叶う気がしてきた。
<ブルースター号に揺られて>
The Blue Star/ブルースター号のアトランティスの海をけやぶるエンジンの振動が心拍音のようにリズミカルに体に伝わってくる。何事もあるものとぶち当たる時、ある種のハーモニをつくり出す。
このハーモニの心地よさにより、人間はそのハーモニの一部となっておのれの実在を忘れ天空に遊ぶとき、
人生に豊かさを感じるものである。
旅も、人生もまた然りである。
<▲10月7日 ミコノス島への中継点ロドス島で天候悪化
ロドス・アパートメント・ホテルに緊急投宿 15€>
-Philip Rooms Apartments―
乗継港Rodos/ロドス島に到着したが、ミコノス方面の時化(しけ)が激しく、乗継予定の<ブルースター・シージェットⅡ号>は、欠航するとのアナウンスがなされた。
一応キャンセルし、明日朝9時の別便で出航することになるという。
エーゲ海での天候不順による乗船キャンセルは、これでサントリー島出港時に続き二度目のため、ここロドス島からピレウス港にもどろうと船会社に掛け合ってみたが、すでに満席で乗船券を保持している者のみの乗船が許されるとのことである。
二回の欠航で、旅行日程の変更が生じたことを訴え、とりあえずピレウス行きフェリーに乗せ、乗船手続きをとらせてくれるように要望したが、当然ながら乗船名簿にない者は乗せられないという。
欠航による金銭的ダメージは保険会社に申請してくれと言われ、せっかくの古代遺跡デロス島を見逃すのもあきらめきれず、天候に従ってアトランティスの旅を続けることにした。
旅行会社発行のスケジュールでは考えられない自由な計画変更ができるバックパッカーの旅を続ける理由がここにあるのである。
二日続けての野宿は、長期のシルクロード旅での体にさわるので、港近くのアパーメント・ホテルに飛び込み宿泊代の交渉である。格安を信条とするバックパッカーにとっては、いかなる時でもプライス・ネゴシエーションが至上命題である。
30€を半額の15€にしたと喜んだが、実は大きなホテルにもう一組の3人だけ、アパートメント・ホテルのオーナーにかえって歓迎され、手作りの赤ワインや、油漬けのオリーブをご馳走され面食らったものである。
今夜は嵐のお陰で、熱いシャワーを浴び、柔らかいベットで寝られるのだから、バックパッカーにとってはこれまた良しである。
緊急投宿となったロドス港街をフェリー・AQUA JEWEL号船上より望む
《 10月8日 ロドス島 ⇒ ミコノス島 にフェリーで渡る 》
<人生色々 夫婦の形>
今朝は、昨日の暴風雨と打って変わって晴れ渡り、ロドス島の峰に真赤な太陽が昇り始めた。
デロス島へのフェリー<AQUA JEWEL号>に乗船し、最後尾のデッキに陣取ってロドスの港町をスケッチしながらアトランティスの船旅を楽しんだ。その傍らにはヨーロッパやアメリカからの観光客がエーゲ海の美しさに声をあげていた。
船旅は、一定の空間・時間を共有するソサエティー(社会)であり、ゆっくりと隣人を観察し、わが人生を顧りみるための鏡でもある。
右隣の夫婦は、一言もしゃべることなく酒の匂いをエーゲの海風になじませながら、二人だけが背負ってきた人生をのぞかせている。ご主人は酒焼けの赤ら顔にむけ缶ビールを何本も空けている。時々奥さんが飲みかけの缶を取り上げるが、ご主人はなすがままに任せている。
奥さんもまた、ザックから小瓶のウイスキーをとりだして飲みだしている。その匂いが海風に乗って隣の私の鼻腔を刺激する。ウオッカ―かブラジルのピンガーか、強烈なアルコールの匂いにわたしも酔いの気分が加わる。
夫婦は、酔っぱらうでもなく、騒ぐこともなく、ただ憧れであったエーゲの海に迎えられその人生の重荷をおろしてくつろいでいるように見える。海風に身を沈め、時の流れに身を任せる夫婦の姿に、人生の深さを感じたものである。
左隣の高齢夫婦は、楽しくよくおしゃべりし笑い、互いに認め合う仲のいいおしどり夫婦のようである。わたしから見て模範的な人生を送られてきたように見える。
それぞれの人生は一冊の本にまとめられ、その内容は様々であり、読まない限り表紙のタイトルを見て想像するだけである。
それぞれの夫婦には、それぞれの物語があり、一つとして同じ物語はないのだから人生は面白い。
コーヒーを飲んでおられるご夫婦も、アルコールをたしなんでおられるご夫婦も、エーゲのさんさんと降り注ぐ同じ日光を浴びている姿に、不思議と人生への愛着を漂わせ、周りの者を幸せの虹の中に誘っているようである。
いま、フェリー<AQUA JEWEL号>に同乗しているわれわれは、幻のアトランティス大陸の中心、そう、エーゲ海に浮かぶキクラテス諸島のヘソといわれるロドス島近海を航行しているのだから、運命共同体といってよいのである。
この海域を中心にアトランティス大陸は大陥没後、多くの山頂を島として残し、海中に沈んだとされる。
ミコノス島が見えてきた。
フェリー<AQUA JEWEL号> ミコノス入港
<詩 ロドス島よ>
われいまここ幻のアトランティス大陸におり
神の創りたもうたエーゲの海を航海している
夢にまで見たアトランティスに沈みし大陸よ
君も我も同じ太陽の光浴びて、われ幸せなり
君無限の空間にありて、同じ空間の我を抱き
神の創造せしプラ―ネットで共に遊ぶを喜ぶ
Rhodes !
We are here on the phantom Atlantis continent
I am sailing the sea of Aegean that God made
The continent that sank into Atlantis, I had dreamed
You and I will be happy in the same sunshine
Being in an infinite space, holding me in the same space
Happy to play together on God's creative planet
<ミコノス島 と パラダイス・ビーチ>
ミコノス島には、裸体主義共和国とも呼べる、ヌーディストたち憧れのビーチ、世界的に有名な<パラダイスビーチ>がある。
いま私は人種の垣根を超えた多くの裸体に囲まれ、エーゲ海の潮風に吹かれ、幻のアトランティスの砂浜に横たわっている。
見せるヌーディストたちは、見られる快感を楽しんでいるのであろうか。圧倒され、着衣のままでいる者に対し軽蔑の眼差しを向けてくる。
こちらもいっぱしのヌーディストだと自任しているが、流儀の違いに違和感を持つものである。こちらは、人の好奇な目にさらされることなく、大自然の中で着衣を脱ぎ捨て、裸体になる解放感である<自由を満喫し、宇宙と一体になり、幸せにひたる>ナルシスト的ヌーディストなのである。
しかし、人間の裸体は美しい。
神の創りたもうた芸術作品であることに間違いはない。
内なる違和感をもちながら多くの裸体に囲まれ、たった一匹海水パンツをはいたチンパンジーのようにビーチベットに体を横たえて、エーゲの白浜に打ち寄せる波の音を楽しんだ。
仰ぐエーゲの青空は、時空を越えてアトランティスの青空なのである。
これまた美しい。
《 ▲ 10月8日 ミコノス島 パラダイス・ビーチで露営 》
<パラダイス・ビーチで野宿>
今夜は、緑豊かなアトランティスのミコノス(山)の麓に広がるエーゲ海に面する<パラダイスビーチ>で露営することにした。
二本の木立ちにロープを張り、蚊よけのためシーツをロープにかぶせ、枕元にペットボトル・ヘッドライト・ストック(自衛用)おき、寝袋カバー(ゴアテックス)にもぐりこんだ。
アトランティス(エーゲ)の潮騒に満ちたパラダイス・ビーチに独り伏して、樹々の間から漏れ来る悠久の星たちの輝きを眺め、犬たちの遠吠えに耳を傾けていると、太古のアトランティス大陸にタイムスリップしていく。
夢の中、アトランティスを彷徨っていると、懐かしき一番鶏の響きに目を覚まされ、緩慢な目覚めに今日の幸せをかみしめるのである。
幻のアトランティス大陸の中心地といわれるミコノス島パラダイス・ビーチで野宿
<日本こそヌーディスト王国 と わたしの裸体論>
現在は数えるほどになった混浴風呂は、昔、日本の各地で見られた。
日本の混浴は、究極のヌーディスト・クラブといってよいと思う。
素っ裸で大自然と一体になり、心の洗濯をする爽やかさ、一度味わえばとりこになること間違いなしである。
日本における混浴は歴史的に古く<風土記>にすでに記述され、江戸時代の銭湯は混浴であったことはよく知られている。
いま、ミコノス島のパラダイス・ビーチで多くの裸体に囲まれ、あまりの大胆さに圧倒されながらパンツをはいたチンパンジーは、少なからず違和感を持つのである。
なにも他人の目にさらされる快感を加味しなくても、深緑や海風や太陽の恵みを得るためのヌードもまたあるということをお伝えしたい。
混浴やヌーディスト・ビーチは、他人という集団のなかに溶け込む一種の勇気がいるが、一人ぽっちのヌードは究極の裸天国と言っていいのである。
これこそお勧めするヌード、いや裸体による太陽の下での精神的解放健康法である。
登山やサイクリング、ロングトレイルの行き先々で人目に触れることなく太陽の恵みを得るため裸体になったものである。みなさんもぜひ裸体に挑戦してみて欲しい。
必ずや、太陽の子になった時の健康的爽快さに目覚めること間違いなしである。
ヌード、そう裸体は、人間本来の原始の姿、何物にも束縛されず、抑圧されず、心の自由を勝ち取るための方法の一つである。自己内面の表現としてのヌード(裸体)、その裸体の素晴らしい解放感を味わって見てはいかがだろう。
《 10月9日 世界遺産 古代遺跡デロス に立つ 快晴
▲ベースキャンプ・ミコノス島 》
<幻のアトランティスでオリオン座に出会えてうれし>
パラダイス・ビーチで露営、朝方、小用に起こされ星空を仰ぎ見ると、我を見つめるオリオン座が頭上にあり、静かに語りかけてきた。
<いつも私を認めてくれてありがとう>、オリオン座のこの一言に都市伝説である幻のアトランティス大陸にまたもやタイムスリップしてしまった。
このオリオン座の存在は、アトランティス大陸が地上に現れていた頃、紀元前9000~900年頃であると考えると、今から約11000~3000年前のオリオン座に出会えたことになり、興奮したものである。
何といっても、わたしはオリオン座のベデルギウス星に生を受け、地球に派遣された宇宙人・オリオン星人(だと仮定する者)なのであり、わが誕生星を仰ぎ見ているのであるから望郷の念に駆られるのも不思議ではない。
そう、あなたもわたしも死後、それぞれの生まれ星に帰還し、きらきら星<星の王子さま・星の王女さま>になると思えば、この私の空想も理解してもらえると思っている。
夢は大きく楽しい方がいい。
わたしたちがどこから来たか、考えただけで人生豊かになるといえるものだ。
2004/10/09 05:46 AM ミコノス島パラダイスビーチの天空に輝く上弦の三ケ月の位置
ーちなみにオリオン座の左上の星が1等星のベテルギウスであるー
<無重力の世界 ― 真っ裸でスノーケリング>
ここパラダイスビーチの爽やかな朝、ヌーディストたちは、一匹のモンキーを除いて、若きも老いもみなカップル、みなノーパンで泳いでいるが・・・何かあったらと老婆心ながら心配になる。
こちらは、魚と会話を楽しみたいのでみなと同じく、この時ばかりは素っ裸になってシュノーケリング・・・
海に潜ると、先の海面を泳ぐ真っ白な太った豚、いや中年の肥満男性が平泳ぎ、その股間に垂れ下がり揺れる一物のなんとだらしない、勢いのない軟体物を目撃、そのショックに魚君達との楽しい会話も吹っ飛んでしまった。
でも、裸はいい。
真っ青な海や空のもと、青いキャンバスの中で太陽のもと素っ裸で過ごす。この解放感、無重力感、幸福感は、一度味わえば決して忘れられない。衣服を身に着けたチンパンジーは、その窮屈さ、束縛感にストレスのため毛が抜けるといわれている。
裸に自信のない方は、素っ裸になって、家の中で一日を過ごしてみてはいかがだろうか。異次元の世界があなたを魅了すること間違いないと断言する。
もちろん、家族の了解のもと、ルールに従って・・・
さあ、神の与えたもうた原始の姿、裸を楽しもう!
あなたの人生の見方・過ごし方が大きく変わるかもしれない・・・
幻のアトランティス大陸であったというミコノス島で、深夜の星の観察をしたあと、いつの間にか夢の中に誘われていたが、小鳥たちの歌声に目を覚ました。
西の空には太陽にとってかわられる今にも消え入りそうな上弦の三日月が<またお会いしましょう>と別れを告げている。
目覚ましに、海に飛び込んでシュノーケリング、お魚さん達と朝のご挨拶。
今日は、ここ幻のアトランティス大陸といわれているミコノス島をトレックしたあと、待ちに待ったロドス島に渡って世界遺産・ロドス古代遺跡をゆっくりと見て回ることにしている。
< ミコノス島トレッキング・散策 >
パラダイス・ビーチから、ミコノス港までの往復約8km、1時間40分のミニトレッキングを楽しんだ。パラダイス・ビーチを出て、海岸沿いに西へ向かうと今朝潜ったシュノーケリングスポットを経由して峠にむかい、スーパー・パラダイスビーチへと下り、ミコノスの街に入って港に着く。
道中にはミコノス特有の風車群が迎えてくれる。時を忘れて座り込み、ミコノスの港と街をスケッチに仕上げた。
ミコノス島の風車群に迎えられ早朝トレック
ミコノス島ミニトレッキング・コースマップ
夢想アトランティスの村 <ミコノス島の現風景>
Sketched by Sanehisa Goto
<友と驚きの再会>
トルコ・カッパドキアで知り合ったユダヤ人青年エドワードと、ここミコノスのヌードビーチ<パラダイスビーチ>で偶然出会った。お互いの無事を喜び、コーラと赤ワインで乾杯。
互いのアトランティスへの憧れを知り、盛り上がったものである。
この世に偶然は少なくないが、すべての条件がそろわないと起こりえないから、この再会も不思議である。
幻のアトランティス大陸を追い求めて、ここエーゲ海のミコノスに来ていなかったら・・・
フェリーが欠航していなかったら・・・
ここパラダイスビーチで露営していなかったら・・・
すべて細い糸に結ばれ、導かれなかったら起こりえない奇跡に近い出会いに驚いたのである。
旅も人生も、細い糸で結ばれていると思うと、その時々を大切に味わいたいものである。
デロス島は、エーゲ海のほぼ真ん中にあり、ミコノス島の北4㎞先(フェリーで約30分)にある無人島で、1990年世界遺産に登録された。
ミコノス島に立寄ったのは、ここドロス島にある世界遺産の古代遺跡を見学するためである。
デロス島は、太陽の神アポロンと月の女神アルテミスが生誕した地として、また私的には<幻のアトランティス大陸の遺跡>として注目している島である。
古代ギリシャにあっては、宗教とエーゲ海貿易の中心地として繁栄し、紀元前100年ごろに滅ぼされたが、
島内には多くの貴重な遺跡が残っている。アトランティス論者にとっては、アトランティス文明の繁栄をうかがい知ることが出来、一度は訪れてみたい島である。
アポロン神殿のあるデロス島は、大勢力ペルシャ帝国軍の来襲・侵攻に危機を感じたエーゲ海に点在する小勢力約200のポリス(アポロンを信仰する都市国家)が、アテナイを盟主として結んだ軍事同盟<デロス同盟>の締結の地・本拠地として世界史的に特筆される場所でもある。
いま幻のアトランティス大陸の中心、デロス島の古代遺跡に立っているというだけで、タイムスリップして、約13000年前のアトランティスの住民になったような気分になっているのだから、アトランティス大陸探究者にはこの上ない喜びである。
デロス島古代遺跡 ライオン像(レプリカ)の前で (実物はデロス考古博物館にあり)
幻のアトランティス大陸の遺跡ともいわれる<世界遺産・デロス古代遺跡>で
デロス古代遺跡 (幻のアトランティス大陸遺跡?)
Sketched by Sanehisa Goto
世界遺産・デロス古代遺跡
<ピレウス港に戻る>
デロス島で野宿し、幻のアトランティス大陸の遺跡であると思っている<古代ロドス遺跡>をゆっくりと味わいたいのだが、世界遺産であるがゆえに観光客の滞在(オーバナイト)は認められず全員島から退去しなければならない。
望み叶わず、フェリーでミコノス島にもどり、ミコノス港を14:30出航、ピレウス港に19:00入港のフェリー<BLUE STAR ITHAKI号>に乗船した。
今日もまたエーゲ海、そう幻のアトランティスの海はコバルトブルーをたたえ、地中海の淡い太陽の光を照り返している。
この海底に沈んでいるアトランティス大陸に別れを告げ、再会を約した。
船上から望む島々の白亜の家屋が、まるで青天にかがやく星のように白く輝き、メルヘンの世界を見せてくれている。
美しい世界の海を何周したことだろう、船旅を愛する者としてここエーゲ海の旅を第一にお奨めする。この海には、島々に伝わる神話・古代遺跡・栄枯盛衰の歴史・交易の交差点としての繁栄と歴史のロマンとが満ち溢れ、豊かな天空・天海が心身を癒してくれること間違いないからである。
太陽が近い、ゆっくりと肌を焼くこともお忘れなく・・・
<ギリシャの若者の憂い>
フェリーの舷側に陣取り、エーゲの海に沈んだとする幻のアトランティス大陸に別れを惜しんでいると、二人のギリシャ青年が語りかけてきた。
アテネ大学の大学院に在籍し、現代経済学を修めているといい、現在の財政状況からギリシャ経済を憂いているという。
彼らもまた古き時代の遺産を経済や生活の基盤として甘んじている自分たちの国を何とか国際競争力のある生産性ある工業国に変革すべきだという考えのようである。
現在、ギリシャは経済の停滞により国際収支が悪化し、国家経済の破綻が目先に見えてきた危機の中にある。
<ギリシャはこのままだと経済的に破滅に向かって進むだけである。技術立国である日本を見習いたいので、どのような方策がわが国には残っているか話を聞きたい>と、真剣なまなざしを向けてきた。
青年たちの苦悶が、国家の衰退に対する言いしれない不安と、国家救済への非力に悩んでいる様子である。
こちらの考えを参考までに二人の青年にぶち当ててみた。
日本の技術や、欧米の産業に対抗するだけでなく、ギリシャ独自の環境と文化をコアとした産業育成に力を注ぐべきではないかと提案してみた。
①カルチャー産業 ②リフリッシュ・リゾート産業 ➂ 環境・産業廃棄物処理産業
⓸クリーンエナジー産業 ⑤フレッシュ・ウオーター産業(海水を真水変換)
彼らが20年後、どのようなリーダーに育ち、この国の経済のためどのように貢献しているであろうか。楽しみがまた一つ増えたような気がした。
ミコノス島より西へ航行、シロス島に立寄り、さらに観光客で賑わったフェリーは、ピレウス港に向かって青年たちの憂いを乗せて航路にもどった。
シロス島の港街 エルムポリスに寄港
< ▲ 10月10~11日 アテネ Students & Traveler’s INN Youth Hostel連泊 Room#42 >
幻のアトランティス大陸を求めたエーゲ海探検クルーズも、ピレウス帰港で終えることになった。
また機会があれば、消えた大陸といわれ、南半球ニュージランド付近に眠るムー大陸にも出かけてみたい。
ピレウス港に帰港
Sketched by Sanehisa Goto
Sketched by Sanehisa Goto
《 10月11日 アテネ散策 曇 日差し強烈 》
ピレウス港より地下鉄に乗ってアテネにもどり、予約しておいたユースホステルに投宿。
アテネ滞在時間が短いため、次のシルクロード通過国であるブルガリアへの列車予約を済ませたあと、パルテノン神殿の周りを散策し、悠久なる太陽の沈み行く時の流れに、ここパルテノンの丘にたたずんで、古代ギリシャの遺した神話に思いをはせた。
アテネ滞在中は、パルテノン周辺のトレッキングやスケッチをしたり、横町に入ってはイカスミのスパッゲッティやトロピカル・フルーツを食べ歩いて体力回復につとめることにした。
<アテネ ⇒ ソフィア行 国際列車2nd Class予約 アテネ駅窓口購入VISA使用 22.55€ >
10/12 Athinai(アテネ)07:45発<列車#70 7.55€> ⇒ Thessaloniki(テッサロキニ) 14:30
/ 22:04発 ⇒ Sofia(ソフィア・ブルガリア) 翌日10/13 0727着<列車#460 15.00€>
パルテノン神殿、これまでに4度も訪れている。
この壮大なドーリア式建造物の最高峰である円柱神殿の前に立つと、世界の中心としてギリシャの果たした文明の成熟度を目の当たりにする。それもパルテノン神殿が出来た紀元前447年ごろ、日本は中国の呉越、春秋時代の歴史書に<倭人>として紹介される小国であった。
古代ギリシャ時代にアテナイのアクロポリスの上に建設され、アテナイの守護神であるギリシャ神話の女神アテーナを祀る神殿として建設された。
パルテノン神殿は、すでに立ち寄ったトルコ・イスタンブールにあるアヤソフィアと同じく数奇の変遷を経て現在に至っている貴重な人類の遺産である。
その後のペルシャ戦争にて破壊された後に再建され、6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ、マリア聖堂となったという。
また、オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられ、アヤソフィアと同じく神殿内にはミナレットが設けられた。
1687年、ベネチア共和国とオスマントルコが戦った際、オスマン帝国が火薬庫として使用していた旧パルテノン神殿は、ベネチア共和国の砲撃により一部破壊された。崩落した壁画や、絵画は持ち出され、現在大英博物館に保管されている。
1832年、ギリシャは英国・フランスなどの支持を得て独立し、パルテノン神殿の再建が進められている。
10月11日午後6時53分、パルテノン神殿より、列柱回廊に向かう途中の小高い丘より、素晴らしい夕日を観賞しながら、パルテノンの栄枯盛衰に馳せてみた。
そして、そのパルテノン神殿を脳裏に残すために、沈みゆく夕陽を背景にした神殿をスケッチするために先に歩を進めた。
沈みゆく太陽に映えるパルテノン神殿
Sketched by Sanehisa Goto
<時の流れにパルテノン神殿の声に耳を傾けて・・・>
ただ時が2500年ほど流れたに過ぎない。宇宙創成からすれば一瞬に過ぎない。
ここパルテノン神殿の建つアクロポリスで、古代ギリシャのポリス国家のリーダーたちは夕陽を見ながら何を考えていたのだろうか。
太陽は西に沈み、天空は茜色に染まり、アクロポリスの森に棲む小鳥たちは、一日の営みを終えようとしている。オリーブの枝にはたわわなにオリーブの実が垂れ、犬の遠吠えがここパルテノンの列柱にからみあって夕闇を迎えようとしている。
この今と、パルテノンの過ごしてきた時々の空間とは何も変わらないのであろう。ただ人のみが生まれては消え去るという悠久な時の流れが滔々と流れているに過ぎない。
ここにはただ時空の静寂のみが漂っているに過ぎないのである。
わたしもまたその時空のなかに存在している一つの命に過ぎないと思うとただただわびしさに包まれた。
これからも歴史の彼方に残るものは、われわれ人間ではなくパルテノンの丘に残る神殿のマーブル(大理石)の列柱だけであると思うと歴史の悲哀を感じるのである。
この夕陽の沈んだ後に残された紅(くれない)に染まったパルテノン神殿に、古代ギリシャ人の魂の声を聴くことが出来るような気がした。
風に乗って、静かに哀愁を帯びたハープの音色がパルテノン神殿の影と重なり、その多難の歴史を見る思いである。
列柱間より悠久の太陽が差し込んでいるパルテノン神殿
修復中のパルテノン神殿にて パルテノン円柱回廊のテラスで夕食
《 10月12日 ギリシャ・アテネ⇒ テッサロニキ⇒ ブルガリア・ソフィア
シルクロード移動日 》
<アテネを去る朝>
パルテノン神殿近くにあるユースホステル・ルーム#42で目覚める。
今日は、アテネを後にしてブルガリアへのシルクロードの旅を続ける日である。
アテネの中心、ラリッサにあるアテネ駅より、行先テッサロニキまでの520㎞、約5時間の列車の旅である。
シャワーを浴び、ドーナツとコカ・コーラで朝食をとり、地下鉄メトロで<シンタクマ⇒ラリッサ>へ移動する。
アテネの朝は、夜明け前から始まる。朝市に並べられた魚やイカ・タコ・ナマコなど、その磯の匂いが少年時代に嗅いだ懐かしい匂いと重なった。
話は少年時代にもどるが、小学校2年生の時であろうか、朝鮮戦争も峠を越え連合軍が共産軍の釜山包囲網を押し返そうとしていた時、われわれ家族は日本へ引き上げる前、ソウルより釜山に疎開してきていた。
いつも腹を空かせていた少年は、よく釜山近くの磯に出かけ、ウニやナマコ、サザエを獲って腹を満たしていた。その時の磯の匂いをここアテネで体感し、何とも言えない小さな幸せを思い出したのである。
ギリシャもまた、日本と同じく魚貝を愛し、食する文化をもつ国なのである。
ギリシャの烏賊炭(いかすみ)の料理は世界の一品、一度食すると病みつきになること請け合いである。
ぜひ試してみていただきたいものである。
シンタクマ駅はアテネの中心にあり、BGMで流されているクラッシックの曲が静かに流れ、気分爽快である。さすがは観光客をもてなす遺跡に生きる観光立国である。
朝6時半、夜空は明けきらず、星たちが忙しく朝化粧をしている。その顔は粉で真白くなり、その姿を青空に消していく。
メトロで移動したラリッサ駅は、列車ジャック(乗っ取り)を警戒してか、異常なほどの荷物検査が厳しく行われていた。オリンピックを無事終えたが、いまだテロの兆候があるのであろうか国境に向かうラリッサ駅は特に厳重であるようである。
その厳重な警戒をよそに、各国からの観光客は、カフェテリアに溢れ、ホームには列車待ちの客で長蛇の列である。混雑を極める駅に溢れるタクシーの列に動きはなく、ただ客待ちの運転手は退屈げに、次の列車の到着を待っている。
アテネ(ラリッサ)鉄道駅
<一匹のシェパード>
これから同じ列車に乗るのであろうか、一匹の立派なジャーマンシェパードが待合室の長椅子に繋がれて、リードを相手に飛びついたり、噛んだり、足でけったり、抱え込んだり、じっと見つめたり、耳を傾けたりといろいろな表情を見せてくれている。
彼もまた、いまここギリシャのアテネで、わたしと共に時を、生を享受していると思う(認識する)だけで仲間に見えてくるのだから心が和む。
認識は、すべてを温かく、一つのハートに結び付けてくれるから私にとって大切な行為である。
まるで自分をこのシェパードのなかに見るようである。
自分の世界にどっぷりと浸り、不変の生き方に従い、今日も与えられた単純な生活を繰り返し、喜びのなかに感謝する・・・しかし、そこにも喜怒哀楽があり、悩みや苦しみがあるのだから、生きるとは自分の思い通りにはいかないものである。
しかし、人生は面白いと言い切りたい。
そこには自由があるからである。
<元スーパーマン・スター クリストファー・リーブ氏のこと>
現在の世界情勢や、現地の天気、トピックスという旅に必要な情報を得るため、現地新聞の英語版を購入して目を通すことにしている。
この日のギリシャの英字紙<ATHENS NEWS>のコラム欄に、2日前の10月10日に他界した元スーパーマン・スター(クラーク・ケント)であるクリストファー・リーブ氏の写真が掲載されていた。
落馬事故による脊髄損傷により車椅子に頼る彼は、頭を丸め、喉から呼吸用チューブと食事用チューブをぶら下げ、頭を車椅子のアームで固定した姿である。彼の側には奥さんが付き添い、その視線の先に穏やかな笑みを浮かべ、最悪のコンディションにもかかわらず、幸せいっぱいの元スーパーマン・スターの姿がある。
新聞社はアテネオリンピックに協賛した彼を称え、たえず障害とたたかい、たえず彼が障害者として口にしていた「ちっぽけな人間でも、ここまでの善なることが出来るのだと報せ、人類に勇気を与えたい」という彼の思いから、あえて闘病中の写真を載せたそうである。
ふと数年前に召天した妻のことを思い出していた。彼女もまた難病に苦しみ回復の見込めないなか、元気な人間であるわたしを常に勇気づけてくれていたことを、である。
恢復を見込めない病める人間は、すでに神の懐に抱かれているのであろう。すべての言動に神の意志を見て取れるような気がしたものである。
<アテネ ⇒ テッサロキニ行列車の車窓から>
列車はギリシャの村々をぬいながら、北にむかって走り続けている。
コットンが純白の花をたわわに咲かせ、車窓の額縁に次から次にその優雅な姿をはめ込んでいく。
ギリシャ中部辺りは低山がつづき、トンネルの暗さと、平野の明るさがつづくので、まるで童話の世界をさまよい歩いているような豊かな旅情に引き込まれる。
トンネルごとに、次なる景観いや物語を期待しつつ、トンネルを抜けるのである。
この列車はLAMA駅に停まった、どうも各駅停車のようである。
車窓からの圧巻は、コットン畑に浮かぶオリンポス山(Mt. Orympos 2917m)の雄姿である。
ギリシャ神話の神々が集い棲んだという、切り立った峰々が眼前に広がっている様は壮観である。
<ギリシャ女性に日本名をつける>
「わたしに日本の名前を付けてもらえませんか」
それも漢字でお願いしたいという。
国内旅行を楽しみながらテッサロニキアの友人宅を訪問するという25歳のギリシャ女性・アシタバシア嬢、
(翻訳家)の丁寧な申し出を受けることになった。
向かいの席に座りながら、スケッチに忙しいわたしを観察し、日本人だと知っての願いなのであろう。
『 アシタバシア ⇒ ① 明日橋 亜 ②明日葉 史亜 』
アシタ <明日=FUTURE/未来=DREAM/夢>
バシ <橋 =RAINBOW BRIDGE/虹の橋=DREAM/夢>
明日橋 亜 : いつも未来を見つめ、現世から来世へ虹の橋を架ける仕事につくという。
現在の翻訳もまた虹の架け橋的な夢のある仕事だといえる。
明日葉 史亜 : 摘まれても摘まれても明日になったらすぐに伸びだす
<明日葉(アシタバ)> の 葉のように「強い繁殖力・生命力」もち、
旺盛な活動力を持っている人間で ある。
二つの漢字名をつくってみた。本人は何度も口ずさみ、名前の由来を聞いては考え込んでしまっている。
熟考のすえ、<明日葉 史亜/アシタバシア>と名乗ることにしたと顔を輝かせながら答えてくれた。
「ミスター有難う、東洋の神秘性を見る思いです。漢字という日本名の由来からして何と素敵な命ある名前をいただいたことでしょう。Thanks again !! 」
旅での<一期一会>は、こちらも、また相手にとっても小さい出会いかもしれないが、大きな人生に相対峙するチャンスになることもあるといえる。
人生80年としたら、29820日の命を過ごすことになる。
<一期一会>に学び、残された日々に生かしたい。
<豪勢な夕食で祝杯をあげた>
憧れだったギリシャの地を列車に揺られてその山野の情景を楽しみ、同乗の人々との温かい交流を持ちながらの6時間ほどの列車の旅は、テッサロニキ駅でブルガリア・ソフィア行の国際夜行列車に乗り換えるのである。
ギリシャとの別れの夕食を、テッサロニキ駅の食堂でバックパッカ食ではなく、すこし豪勢なメニューにした。特大のフランクフルトソーセージ2本とライス付きのギリシャ風野菜煮込みセットを注文、9€(1300円)の夕食である。白ワインのコーク割で乾杯、ギリシャと共に幻のアトランティス大陸に祝杯をあげた。
<ソフィア⇒ブカレスト 国際夜行列車の予約を入れる>
ソフィアへの乗継列車は、今夜(10月12日)遅く22:04に、ここテッサロニキ駅を出発する。
待ち時間の間に、国際列車切符売り場で<ソフィア⇒ブカレスト>の乗車券を予約購入することにした
予約日 10月14日 (VISA 決済 52€)
SOPHIA(ソフィア・ブルガリア) ⇒ BUCALEST(ブカレスト・ルーマニア)
10/14 19:30発 ⇒ 10/15 07:30着
2nd class Sleeping Train#382 Wagon#471 Seat-Sleeper#21
《 10月13日 ブルガリアの首都 ソフィア 》
<旧共産主義国への越境にあたって>
10月12日 テッサロニキ駅22時4分発の列車は、ブルガリアの首都ソフィアに翌日13日朝7時5分に到着する。
深夜2時、大粒の雨が列車の天蓋をたたいている。湿った夜風が、コンパートメントの上段ベットに這い上がってきた。どうもギリシャと旧共産国ブルガリアの国境に着き、ブルガリアの国境出入国管理官が乗り込んできたようである。
軍靴の床をたたきつける音が嫌に大きく不気味に聞こえてきた。
国境管理官の威圧的な声が、ひときわ甲高く聞こえる。
乗客は下段ベットに坐らされ、薄明りの列車灯に照らされ、まるで囚人のように怯え切って呼び出しの順番を待っのである。
何とわびしく不安な時の流れであろうか。
国境越えのパスポートコントロールは、旅人をチェックする現代の関所である。国籍・氏名・年齢・性別・入国の目的・滞在日数・滞在先・連絡方法の確認を行い、最後に旅人の服装や荷物・人相や挙動を観察して彼らの眼鏡にかなえば、スタンプをパスポートに捺してくれるのである。
わたしは一度、先の旅の国境越えで逮捕され、強制的に連行され、豚箱で一夜を過ごしたことがある。
その時は、ドイツ・ベルリンからオーストリア・ウイーンへの夜行列車の旅で、途中のチェコスロバギアには下車しないのでチェコのビザは必要ないとおもい乗車していたのである。
しかし、深夜国境越えで乗り込んできたチェコスロバギアの入国管理官(軍人)は、列車に乗っていたバックパッカー男女数人をビザなし違法越境という理由で逮捕、下車させたのである。
みなで飛行機と同じく通過地のビザなし通過と同じであると主張したが認められず、一夜を鉄格子のはまった殺風景で、無味乾燥な拘置所で過ごすことになった。
翌朝、何の説明もなく荷物とパスポートを渡され、ソフィア行別の列車に乗せられ、一件落着となった経験がある。
旅をするとその国の政治情勢により思わない事件に巻き込まれたり、容疑をかけられることがあることを知っておくとよい。この時も共産圏諸国が崩壊して間もなくのころで、なお国境管理の組織や制度が完全に西欧化していなかったところに、認識の違いが露呈したに違いないと思っている。
またうがった見方をすれば、この時の旧共産国の官憲は、西欧化になじめず旧態依然の官僚的傲慢さを残していたと思えるのである。
いかなる旅でも、情報収集を第一とし、自己判断・自己都合で物事を安易にすすめることの危険性を理解しておくべきであろう。
<アイデンディティ 一体わたしは何者なのか>
旅においての身分を保証するものはパスポート以外にないと云っても言い過ぎではない。
国内においては運転免許書や健康保険証などがあるが、これらは国内での統一された制度においてのみ有効であり、国外では紙切れであるにすぎない。
是非ともパスポート(旅券)の海外においての重要性を認識して、取り扱いに気を配り、厳重保管することが最重要である。
特に旧共産圏の国を旅したり、政情不安な国を旅するときはパスポートはあなたの命より大切なものであることを知っておいて欲しい。
パスポートを持たない(不携帯の)あなたは、誰も、あなたですら己のアイデンディティ(identity=自己証明 )を明らかにすることが出来ないのであるから注意したい。
とくに、むやみに他人にパスポートを見せたり預けたりは、余程の理由がない限りしてはならない。窃盗にあったり、強奪にあったりして、先の旅が中止になったり、複雑な現地でのパスポート再発行という手続きをとることになるからである。
パスポート紛失に備えて念のためコピーを数枚とり、数か所にわけて保管することをおすすめする。
一番狙われるのは意外とポーチに入っているパスポートであろうか。よくポーチのチャックが開いている場合があるが、ほとんどがぴったり体を寄せてくる人込みでの場合が多い。
このシルクロードでは、首掛け巾着に入れて持ち歩いている。すこし面倒な方法ではあるが腹巻ポケットもいい。
列車の外の雨は一層激しさを増し、尋問の様子が雨音にかき消されるほどである。
また乗客の一人が「お前は何者だ」と尋問されているのだろう。
その人の不安な気持ちが伝わってくるのであろうか、緊張に体がこわばっている。
そして、何事もなかったように列車が動き出した。
定刻07:05を少し遅れてソフィアの駅に着いた時には、雨は止んでいた。
列車は、「シルクロード16000㎞踏破 バルカン半島ブルガリア」に入った。