shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2001『星の巡礼 イスラエル縦断の旅』Ⅰ

2001星の巡礼 イスラエル縦断の旅』Ⅰ

ギリシャ/アテネイスラエル縦断⇒シナイ半島周回⇒エジプト/カイロ>

 

 

イスラエル縦断にあたって>

創世記に始まり、アダムとイブをエデンの園より追放し、この世と人類を創ったとされる神が指定された旧約の地が、ここ中東にある砂漠の国 イスラエルである。

 

同じ神を信奉するユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地として人類愛を試される地もまた、ここユダヤ人とアラブ人が入り混じるエルサレムにある。

 

神は聖霊の地として、不毛と言っていい赤土の砂漠を選ばれ、信仰の持つ厳しさを示されたといっていい。

現在のイスラエルパレスチナは、旧約聖書の民たちの苦難の歴史をいまに引き継ぎながら、お互いを認めあわず神の理想とする国を達成できてはいない。

 

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             ネゲブ砂漠で (イスラエル縦断中)

 

 そこは、ユダヤ人とアラブ人の反目とジハードと憎しみが渦巻き、力による闘争を繰り広げている悲しみと嘆きの地でもある。

両者間に、赦しと和解と和平が訪れんことを祈りながら、今回は占領地である北はゴラン高原から、南は占領地であったシナイ半島までを縦断踏破し、モーセがイスラレルの民を率いて脱出したエジプトのカイロに至る。

 

世界幾多の国と地域から流入したシオニズム運動参加のユダヤ人たちの建国の息吹を感じる一方、領土を追われ国家を失い、狭い土地に押し込められたパレスチナの人々の苦しみと抵抗と聖戦を肌に感じつつ、歴史をのぞきながら聖書の地イスラエルパレスチナを歩いた。

 

イスラエルの中には、パレスチナ人の自治がなされる地域や飛地があり、その地を訪問するにはそれぞれの検問があるとともに、緩衝としての無人地帯が取り囲み、現在のユダヤ人とアラブ人の不信感を否応なしに見せつけられ、切ない思いにさせられた。

 

《 10月24日 イタリアを立ちイスラエルに向かう    機内泊 》

この《星の巡礼 イスラエル縦断の旅》は、ロシア・ウラジオストックよりシベリア横断鉄道でモスクワに至り、北欧・西欧・東欧よりイタリア・ローマに入り、中東・アフリカを縦断して南アフリカ喜望峰までの旅の途次にある。

途中、全世界が9・11同時多発テロ事件の悲惨さに巻き込まれる中、幾多の厳重な検問を通過する過酷な旅となったが、ようやく中間点であるイスラエルに無事たどり着きそうである。

イタリアでは、第二の故郷であるアシジに立寄りゆっくりと長旅の体を休め、バチカンに立寄ってローマの空港を後にした。

 

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          イタリアでは必ず立ち寄るわが心の故郷アシジの朝靄

                イスラエル訪問前にアシジに立寄る

 

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イタリア・アシジにて聖フランシスコに再会し、     バチカン訪問後イスラエルに向った

 

<ローマを発ち、ロッド・ベングリオン国際空港に飛ぶ>

オリンピック・エアーライン フライト#240 ボーイング737は、夕暮れ直後のローマの空港を30分遅れで離陸し、アテネギリシャ)を経由しイスラレル・テルアビブに向けて、乗客29名を乗せて飛立った。

 

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          ベングリオン空港(テルアビブ・ロッド)着陸直前

 

 

<9・11 アメリカ同時多発テロ事件の影響>

ローマの空港でのパスポートコントロールや、荷物検査が厳しくなかったことに一抹の不安を覚えた。

9・11テロ事件(2001年)のニュースは、ここローマに向かっていたシベリア横断鉄道の列車の中で知った。その後の通過地での厳重なボディチェックや荷物検査になれていただけにローマでの出国検査には、その無頓着さに驚かされたのである。

ましてや搭乗率が20%に満たないことに、ローマよりアテネ経由でイスラエルベングリオン国際空港までの所要時間1時間40分、なおさら不安な気持ちにさせられた。

アテネ空港での乗り継ぎの時間に、ギリシャ民族舞踊団一行が、バイオリンの伴奏で練習を始めた。男女10人が横一列になってスキップを踏むダンスは、ギリシャの村祭りののどかさを表現しており、みな笑顔で楽しんでいる様子である。

一方、真夜中のアテネ空港(ギリシャ)乗継検査場でのセキュリティー・コントロールは、一変して徹底した厳しい検査に変わった。

乗客1人に対して6人の検査官が、帽子から靴先まで金属探知機で念入りな検査、スケッチ用水入れボトルの中身はもちろん、ダイビング用水中カメラはじめバネ式三脚が武器に改造されないかと念入りな検査である。

特に靴底、腹に巻いていた貴重品入れは徹底的に調べられた。

1時間20分の検査時間は、これまでにない最長である。これから世界で一番厳しい臨戦態勢の国イスラエルに向かっていることにある。

乗継空港であるアテネ空港のイスラエル行検査場はすでにイスラエルのテリトリーであるといって過言ではない。

夜中02:00アテネ発ロッド・ベングリオン国際空港行に乗り込む乗客は、ほとんどがイスラエル人であり、ユダヤ人であろうか。ユダヤ人男子がかぶるキッパ(宗教的帽子)や、ハシディック(黒ユダヤ人帽子)・フェドラ(コ―シャラビ帽子)をつけた乗客がほとんどである。

もちろん東洋人はわたし一人であるから異様である。緊張感が走るなかにも、ニューヨークでの仕事仲間のほとんどがユダヤアメリカ人であり、居住区でのニュージャージではユダヤ人に囲まれて生活していた関係であろうか、なにか安心と温かさを感じたものである。仲間意識と、さらに彼らユダヤ人の夢の国であるイスラエルに向かうのであるから当然みな陽気である。

最終チェックは、空港バスで飛行機に向かい、タラップの前に並べられた膨大な乗客の預けた旅行鞄やスーツケースが整然と並んでおり、各人が自分の荷物を取りだし、最終セキュリティ・チェックがなされる仕組みになっている。

二個の荷物が暗闇に光るライトに照らされ不気味に取り残されていた。待機していた爆弾処理車に積み込まれ闇に消えていったときは、背筋に冷たいものが走った。

だが、約30年前、日本人であるアラブ赤軍数人によって、このような安堵に包まれたユダヤ人を乗せた飛行機がロッド・ベングリオン国際空港に滑り込んだとき、銃乱射という悲惨な殺戮の現場に巻き込まれたのである。

 

《 10月25日  ベングリオン国際空港(テルアビブ・ロッド) 》

ここは、1972年(昭和47)5月30夜(現地時間)、元日本赤軍(当時は自称アラブ赤軍)3人は当時のロッド国際空港で銃を乱射、24人を殺害、86人に重軽傷を負わせた事件の現場である。3人のうち2人は銃撃戦で死亡、残った一人が岡本公三である。大学紛争に敗れた過激派は、PFLPパレスチナ解放人民戦線)と連携を強め、国際義勇兵としてPFLPの報復依頼を受けて作戦を実行した。

約30年前の事件であるが、以降の日本人に対する入国審査は厳しさを増しているようである。

ベングリオン国際空港での入国審査の簡素化に反して、その後のセキュリティ・チエックの厳しさには驚かされた。

入国の目的から始まり、職業、何日間どこに誰のところに滞在するのか、どこから入ってどこからどこへ出国するのか、今回の旅行の全日程と、その間の訪問国での滞在の目的、イスラエルでの滞在先の一覧表(予約の有無・連絡先)、知人の有無、お土産・依頼品の有無、パスポート全ページの詳細チェック、なぜその国に滞在したのか・・・等々厳しい尋問が続いた。

全外国人ではなさそうで、無作為に抽出されたものに対してであるらしい。この飛行機に関しては、外国人はわたし一人であり、その上日本人であったことから尋問に全力が注がれているような雰囲気であった。

その間も、待合所ではトーラー(ユダヤ教聖典)を声高に朗読する人々がいたり、警察犬を先頭に空港施設の隅々を点検しまわる兵士の姿が目に付き騒然としていた。

また、やたらと青年男女が軍服に身を包み、機関銃を手に持っている姿が目に付き、臨戦態勢の国であることを痛感させられた。

また、空港をでたら地対空ミサイルの地下壕が目に付き、平和な空港のイメージが吹っ飛んでしまった。

厳しいパレスチナ問題を抱えての皆兵的な防衛意識というより、2000年近く離散していたユダヤ民族が国家をようやく手に入れ、新国家建設の意欲がその情熱となって溢れているようにも感じられた。

 

街は掘り返され、赤土がむき出しになっており、アラブ風の古い家が壊され、天高くビルディングがあちこちに建設中である。その赤土の埃をまき上げ走るバスの乗客の3分の2は、ここでも戦闘服を着て銃を手にした青年男女である。たぶん高校生か大学生であろうか、彼らは軍服姿で授業を受けたり、遊びに行ったり、仕事をしたりと国土防衛に24時間体制で対処しているようである。

みなはちぎれんばかりの若さと熱気を戦闘服にみなぎらせ、与えられた任務に忠実たらんとする姿と決意を見せているのである。国を守るという、常に備えている姿に感動と感銘を受けるとともに、自由と平和の重みをかみしめているイスラエルの若者にふと不憫を感じた。

紫の花を咲かせているブーゲンビリアが、若者たちの気概に応えるように乾燥した赤い珪砂の土に耐えてその美しさを見せている。その根元には一本のチューブが引かれ水滴を落している姿は、人間を信じる純粋なる思いが伝わってくる。

水一滴が絶えることがないことを信じて蜜柑の樹や、ポプラの木が生きているように、イスラエルの青年たちもまた地の一滴を信じ祖国を守っているように映った。

 

イスラエル縦断の旅>

このイスラエル縦断の旅は、イスラエル全土を、4つのエリアに分け、北部はティベリア、中部はエルサレム死海エリアはエン・ゲティ、南部はエイラット、エジプトに返還されたシナイ半島エリアではダハブを宿泊拠点として、それぞれの旧約の世界とイエスの足跡をたどる。

北部ティベリアからは、ゴラン高原ガリラヤ湖・カペナウムの山上の垂訓の地を巡り、

中部エルサレムでは、ベツレヘムヘブロンを訪ね、

死海エリア・エン・ゲディでは、浮遊体験やクムラン渓谷のトレッキングにチャレンジし聖書の世界に迷い込み、

南部エリア拠点エイラットでは、エジプト入国ビザ取得・紅海遊泳・ヨルダン越境・ネゲブ砂漠でのラクダツアーを行い、

シナイ半島エリア拠点ダハブでは、紅海に潜り、聖カトリーナを訪ね、モーセが「十戒」を授かったシナイ山に登って創世記の朝日と対面する。

 

そして、モーセのエジプト脱出行とは逆に、シナイ半島西側およびスエズ運河東岸を北上し、この旅の最終地エジプトのカイロへ抜ける。

まずは行程表を見ておきたい。

 

             2001『星の巡礼 イスラエル縦断の旅』 行程表
       <ギリシャ/アテネイスラエル縦断⇒シナイ半島周回⇒エジプト/カイロ>
       
   行程日 都市(通過・拠点)名             訪問(観光・宿泊▼)先
       

10/24 Th

イタリア・ローマ空港発オリンピア航空    飛行機代 324900L
       
10/25 F イスラエル・ロッド ベングリオン空港着 バスでナザレに向かう
  ナザレ (マリア)受胎告知教会  
       
10/26 Sa ティベリヤ    
    ゴラン高原 ▼Meyouhas Youth Hostel
    ガリラヤ湖 サンタマリア号
    カペナウム 山上の垂訓の丘
10/27 Su   タプハ(トレッキング) パンと魚の奇跡の教会
  ナブロス/ジェリコ 癒しの地<カナンの地?> パレスチナ西岸エリア
       
10/28 M エルサレム ゲッセマネ ▼Citadel Youth Hostel
10/29 Tu   岩のドーム/オリーブ山 聖墳墓教会
    ダビデの墓 最後の晩餐の地
    鶏鳴教会 ペテロ協会
    シオン山 主の祈り教会
    ゴルゴダの丘 嘆きの壁
  ヘブロン アブラハム墓所 パレスチナ直轄地
  ベツレヘム 聖誕教会 パレスチナ直轄地
       
10/30 W エン・ゲディ 死海浮遊・トレッキング・休息 ▼Ein Gedi Youth Hostel
       
10/31 Th ネゲブ砂漠 ギブツ集落 ▼Eillat Youth Hostel
  エイラート アカバ エジプト入国ビザ取得
       
11/01 F 国境ターバー通過 シナイ半島東岸南下 ▼Mohamed Ali Camp 
11/02 Sa ダハブ シナイ山ツアー 30£ エジプト入国/タハブ着
    砂漠駱駝ツアー 聖カタリナ教会
    紅海シュノーケリング マシュラバ・リーフ
  ムハンマド・アリ・キャンプサイト(Single w/AC 20US$)  
       
11/03 Su ダハブ 14:00発(エル・シェイク経由) シナイ半島周回長距離バス 65£ 
11/04 M ➡カイロ 03:30着(▼バス車中泊 イースト・デルタ・トラベル社

11/05 Tu

11/06 W

    ▼Cairo International Youth Hostel
        Scheduled by Sanehisa Goto

 

 

 

《ティベリアを訪ねてーイスラエル縦断の旅スタートの街》

テルアビブ郊外のロッド・ベングリオン空港より、イスラエルの北方の街であり、このイスラエル縦断の旅の出発点であるティベリアの街へバスで向かった。途中、イエスが育ったナザレに立寄り、聖母マリアがイエス誕生を告げられる<受胎告知教会>を訪ねた。

 

<ナザレ散策>

受胎告知教会の地下に洞穴(礼拝堂)があり、天使ガブリエルがこの場所でマリアに現れ、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」と告知されたと、新約聖書ルカによる福音書1:26~31に登場する。

ここイスラエルのナザレの地にもイタリア・アシジと同じ糸杉が迎えてくれた。

昨日、アシジで聖フランシスコに再会し、今日は受胎告知のあった、イエスの育ったナザレを歩いているのである。なんと心躍る二日間なのであろうか。

 

歴史的にナザレもまた、7世紀にはムスリムイスラム教信者)に占領されたあと、11世紀には十字軍の侵攻と崩壊と再建を繰り返された。その後オスマントルコ支配下に置かれながら、フランシスコの修道士のナザレ居住を許され多くの教会が建てられた。現在はクリスチャンとムスリムが半々住む静かな街である。

 

ナザレは古き良き静かな歴史の街である。それに反してイスラエルという国は若い国である。

アラブに囲まれたイスラエルは、たえず緊張感に満ち、生き抜く力を蓄えているようである。

そのような新しい国造りに励む若いイスラエルを、受胎告知教会の庭に立つマリア像は静かに見守っているように見えた。

 

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                     ナザレの受胎告知教会とマリア像

 

幼いイエスが伝道を始められるまでの約30年間両親と過ごし、育ったナザレの敬虔な雰囲気あふれる街を散策したあと、乗合バスで50分ほどにある今回の旅のイスラエル北部拠点ティベリアに向かった。

イスラエルの乗り物は、路線バスのほかにシェルートというミニバスがあり、行先は番号で表示され、例えばティベリア行はプレートに800とナンバーだけが書かれている。注意して乗車したい。

 

ナザレからティベリアへの路線バス#431、待つこと2時間超。隣のアラブ君がじっと待つ忍耐には驚いたものである。誰も文句も言わずただただ待っている。誰一人立ったり座ったりしないなか、短気な日本人はイライラが嵩じてきて、ミニバスのシェルートに乗り換えたほどである。

イスラエルの時間は大河のようにゆったり流れている。4000年の間ただただ耐えたユダヤ人は時間という大河に逆らわない<なるようにしかならない>という楽観的な民族と言っていいのだろうか。

ナザレの街には信号が一つもない。なぜこのような非合理がまかり通るのであろう。車は、お互いに譲らないので止まった状態、交差点は特にひどい。不思議なことに怒鳴りあうこともなく、警笛も鳴らされることはない。ここイスラエルでは、日本では出くわさない情景に多々出くわすことになる。

排ガスだけがもうもうと立ち上がる様にもみな無頓着であるから呆れてしまった。

 

<ティベリア滞在>

ティベリアに着いたら、公園の広場で子供たちがフェスティバル開催中、日本の運動会のように賑やかな声が行き交っている。300人はいるのであろうか、踊ったり、歌ったり、風船を飛ばしたりと賑やかである。異常なのは、子供たちを守るように多くの兵士が配置され、機関銃がにらみをきかしている風景である。

やはりティベリアもまた戦時体制下にあることを気づかされる。

 

ティベリアは北部の拠点都市、大変な人出、騒音、汚物で埋まり、まるでゴミ箱に放り込まれたように感じた。

やはり、聖フランシスコは豊かな緑の地アシジにあるがゆえに聖人としてあがめられ、イエスはこの騒然の中で神の子となられたことが理解できるような気がした。例えれば、泥の中の蓮の花がイエスであれば、清流の中に咲く清貧なバイカモ聖フランシスコといえる。

 

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                 ティベリアの中心街

 

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             ガリラヤ湖 (背景の高地がゴラン高原

                    Sketched by Sanehisa Goto

 

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           ガラリア湖に浮かぶ<サンタ・マリア号>

 

<▼ ティベリア  MeyouhasYH  ユースホステル連泊  18US$ VISA払い>

 

 

 

《10月26日 ティベリア2日目  快晴 28℃》

 

星に導かれて、とうとうガリラヤ湖にやって来た。

北斗七星の7番目の星はガリラヤ湖に発し、ガリラヤ湖北極星と私を結んでいる。

エスは今から約1970年前、このガリラヤ湖で人々に教えを説き、人々を苦しみから救われた。人々はイエスを神の子として受け入れ、付き従った。その宣教は、新約聖書のマルコの福音書第1章に詳しく書かれている。

第1章17節に「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしよう。二人はすぐに網を捨てて従った」という有名なイエスの言葉がでてくる。

 

エスの教えに聴き入った群衆と共にここガリラヤ湖にいることにいたたまれず、早朝、水と食料と懐中電灯を入れたリュックを担いで、宿泊先のユースホステルを抜け出し、瞑想するためガリラヤ湖畔に向かおうとしたが、各出入り口の戸はテロ警戒のためか、頑丈なロックチエーンで閉められ断念せざるを得なかった。

いたし方なくユースホステルのバルコニーから眼下のガリラヤ湖と、天空の星座を見ながらこの日記を書き、瞑想にふけることにした。

当時の群衆の一人として、イエスの教えに聴き入り、お魚のおすそ分けにでもあずかるという気分にさせられている自分に満足した。

 

早朝のガリラヤ湖は、神の恵みを受けてまぶしいほど朝日を照り返している。

おじいさんが静かな湖に釣り糸を垂らし、一匹の猫が魚のおすそ分けを待っている。その魚はセント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペトロの魚)という。名の由来は、十二使徒の一人ピーター(ペテロ)がガリラヤ湖で釣りをしていると、口に銀貨をくわえた魚が釣れた事から来ている。

おじいさんは、1匹を腹をすかした猫に、1匹を私に、残りのすべての魚をガリラヤ湖にレリースして、にっこり笑って帰って行った。餌は食パンを丸めたものである。

スケッチし終えたセント・ピーターズ・フィッシュを、わたしもガリラヤ湖に返してやった。

セント・ピーターズ・フィッシュは、「ありがとう」と湖面を跳ねたあと、ガリラヤ湖奥深くの我が家へ帰って行った。今頃、今日の出来事を家族に聞かせていると思うと温かい気持ちにさせられた。

 

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          定番魚料理<セントピーターズフィッシュの唐揚げ>

 

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            セント・ピーターズ・フィッシュ

            Sketched by Sanehisa Goto

 

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             セントピーターズフィッシュ料理の看板の前で

 

 

<セント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚)

セント・ピーターズ・フィッシュは、ガリラヤ湖で獲れる白身魚である。焼くか揚げて塩とレモンをかけて食べる。

聖書(新約マタイ伝17:24)の中で、神殿に納める税についてイエスは次のように述べている。

ある日、神殿の集金人が弟子のペテロのところに納入金の集金にやって来たとき、イエスは弟子ペテロに「この世の為政者は税金を誰からとるのか。自分の子からか、それとも他の人たちからか」と尋ねた。ペテロ曰く「ほかの人たちからです」と。「それでは子は納めなくてよいわけだ」とイエスは言った。

すなわち、神の子イエスは神殿に納める税など支払う必要がないと言っている。

しかし、イエスは集金人の顔を立てるため、先程述べたようにペテロに魚を釣らせたところ、口に金貨をくわえた魚が釣れたので、問題を起こすことなく税金を納めたという話である。金貨をくわえた魚が、セント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚)といわれる。

 

イエス・キリストガリラヤ伝道の本拠地として有名なカペナウムの街がガリレヤ湖北西にあったが、歴史のある期間、廃墟となっていた。

その廃墟になったと言われるカーペナウムに是非行ってみたかったので、ティベリアから船で向かうため船着き場に行ってみると、朝8時出航の船は乗船者が少ないので欠航するという。いたし方なく徒歩とバスで向かうことにした。今日は金曜日(安息日前日)なので、午後2時から一切の交通機関が止ってしまうので、早く戻らねばならない。

ティベリアから09:30発カペナウム行きのバスに乗るが、帰りが心配である。カペナウム発の帰りの最終は12:30という。

 

 

カペナウムからの帰り、セント・ピーターズ・フィッシュ(びわ湖のブラックバスとそっくりな淡水魚)を積んだトラックがあったので写真を撮っていたら、運転手が帰ってきて「これは俺の魚だから俺の許可をとっていない」と言い出したので、魚に写真を撮ってもいいかと尋ねたら「いいよ」と言ってくれたから撮っていたのだと言い返したら、大笑い。

ユダヤ人はおっかないほど大声でまくしたてるが、相手が分かれば、急に親しくなり、楽しくなるのである。

 

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             今朝ガリラヤ湖で獲れたセント・ピーターズ・フィッシュ

 

 

<カペナウム遺跡散策>

カペナウムは、イエスガリラヤ宣教の本拠地であったことで有名であるが、その後7世紀からながい間廃墟となっていた。19世紀になってフランシスコ修道会の発掘によって現在の街になった。

カペナウムの背後の丘の上に「山上の垂訓」を述べられた場所があり、山上の垂訓教会が建っている。

 

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                       カペナウム遺跡

 

 

ガリラヤ湖 - イエス・キリスト宣教の地 - 山上の垂訓協会>

ここガリラヤ湖は、イエス・キリストがいろいろな奇跡を起こされながら神の教え(宣教)を宣べ伝えられた地である。

イエス・キリストガリラヤ湖の一望できる山上で説教された<山上の垂訓>がマタイ伝5~7章に書かれている。

この間イエス・キリストは、ガリラヤ湖北西のカペナウムに起居し、船(サンタマリア号)を湖に浮かべ、

「悔い改めよ。天国は近づいた」(マタイの福音書4-17)と湖岸の聴衆に教えを説いている。

また。ここガリラヤ湖の宣教で、イエスガリラヤ湖の漁師であったペテロとアンデレの兄弟と、ヤコブヨハネの兄弟の4人をはじめ生涯の弟子(12人の弟子)を決められている。

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイの福音書4-18~22)と誘われている。

 

山上の垂訓は、わたしたちへの教訓でもあるのでいくつか書きだして心に留め置きたい。

山上の垂訓は、八角の<山上の垂訓教会>の壁にラテン語で書き記されている。

 

<山上の垂訓 - 新約聖書マタイの福音書5章~7章>

 

「心の貧しい人は、幸いである。天国はその人たちのものである。」

「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」

「腹を立ててはならない。」

「姦淫してはならない。」

「復讐してはならない。」

「敵を愛しなさい。」

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。」

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」

「天に富を積みなさい。」

「明日のことで思い悩むな。」

「人を裁くな。」

「求めよ、さらば与えられん。」

 

<山上の垂訓の丘を歩く>

山上の垂訓の丘を歩きながら、喜太郎の<古事記>、エンヤのアルバムを聴き、瞑想にふけった。

今朝、カペナウムを訪ねるため、ティベリアからカペナウム行きのバスに乗ったが、運転手のうっかりミスでカペナウムを通過してしまい、随分走ってから告げられた。

こちらの確認でようやく気付いたのであろう、随分とのんびりしていたのには驚いたものである。パレスチナとの闘争でピリピリした都市部とは違い、地方は案外平穏であり日常の生活をうかがい知ることが出来た。

カペナウムに戻り、山上の垂訓教会に立つには、瓦礫の赤土の丘陵地を歩いてのトレッキングとなった。しかし幸運にもこのガリラヤ湖を眼下に歩く道は、イエスの歩かれた野道と一緒であることに気づき、わたしの内なる興奮は否応なしにも高まった。

わたしは今ただ一人、イエスと共に山上の垂訓の丘を歩いているのである。

ゴラン高原からの清い風が、ガリラヤ湖にさわやかに流れているではないか。

バスの運転手に感謝である。「イエスが歩かれた丘を歩いてごらんなさい」と私を連れて行ってくれたに違いない。

清々しく、幸せであった。

 

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                 ガリラヤ湖の闇夜を照らす光明の月 

 

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           カペナウムの小高い丘に建つ山上の垂訓教会で

 

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         山上の垂訓協会からガリラヤ湖・カペナウム/タプハの街を見下ろす

 

<タプハ ― パンと魚の奇蹟教会>

山上の垂訓教会のあるカペナウムから5分ほどのタプハ村に、イエスがこの地ガリラヤ湖で起こした奇跡に基づいて建てられた<パンと魚の奇跡の教会>が建つ。イエスの宣教を伝えている福音書は、イエスが5つのパンと2匹の魚で5000人を満腹させたと書かれている。(新約聖書 マタイの福音書14章14~21節)

 

カペナウムの小高い丘に建つ<山上の垂訓教会>から<パンと魚の奇蹟教会に足を延ばし、五千人のパンの奇蹟が行われた場所(この一帯をタプハと呼ぶ)を、聖書物語を思い出しながら歩いてみた。(ヨハネによる福音書6章4-13)

 

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       パンと魚の奇蹟教会              パンと魚のモザイク

 

ゴラン高原に立つ>

カペナウムの山上の垂訓の丘を訪ねたあと、ゴラン高原に足を延ばした。

ゴラン高原は、従来、ガリラヤ湖の北東に広がるシリアの領土であり、レバノン・ヨルダン・イスラエル及びシリアの国境が接する。

イスラエル第三次中東戦争(1967)で、北方の領土に対する脅威であったゴラン高原のシリアの砲台を占領し、実効支配をつづけ、その後(1981)併合して現在に至っている。

イスラエルにとって、ゴラン高原は、戦略的にはもちろん、ガリラヤ湖に流れ込む水源地としての大きな価値を有する生存権確保の地でもある。

ゴラン高原では、多くのキブツ(共有財産方式集落)やモシャブ(個人資本色の強い集落)が建設され、現在も併合が進められている。

 

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            世界の火薬庫の一つと言われるゴラン高原に立つ

 

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     ガリラヤ湖周辺トレッキング         ゴラン高原の地図 (Asahi Student News)

 

 

ヨルダン川

ゴラン高原ヘルモン山を源流とするヨルダン川は、ガリラヤ湖にそそぎ込み、ヨルダンとの国境を流れ、死海に注ぎ込む全長約425kmの内陸河川である。その流域は豊かな緑に恵まれているが、取り巻く丘陵や山岳地帯は乾燥した砂地や岩石のころがる不毛地帯である。

 

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              ゴラン高原に発するヨルダン川

 

 

ゴラン高原に思う「平和の願い」>

この荒涼とした赤き砂地のゴラン高原にも2月から3月にかけて緑の中に野花が咲くという。

国境のない紺碧の天空に吸い込まれて飛翔する自分を想い描いていると、地球に存在する自分が小さく見えてくるから不思議である。人類は戦いをやめず、平和を犯しあって己のテリトリーを広げようとする。そこには不安と、神をも恐れない欲が渦巻く汚い地球があるに過ぎない。

 

ご存じだろうか、ここゴラン高原には、聖書の時代5000年のルーツをもつ人類に平和の象徴・ワインを提供し続けてきた世界最古の産地の一つがある。ゴランのワイン生産の起源は、世界に散らばるユダヤ教徒向けの聖酒としての<コーシャ・ワイン>である。現在ではゴラン・ハイツ・ワイナリー産の<ヤルデン ピノ・ノワール>が有名である。

 

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              GOLAN HEIGHTS WINERY YARDEN Pinot Noir

 

 

イスラエル支援ボランティアーエズラ作戦>

ゴラン高原より戻り、ティベリアの街では、世界各地から集まった老若男女の<イスラエル支援ボランティア>のグループに出会った。

これらボランティア達は、イスラエルに献身するボランティアを支援する団体<エズラ作戦>等によって運営されている。

街角でボランティアを終え、帰国前のアメリカ人・リタイアグループ3人から、ボランティアの動機について聞いてみた。

彼らはユダヤ人ではなく、アメリカ人だという。リタイア―(引退)後、イスラエル建国の役に立ちたく<イスラエル支援ボランティア>に参加して6年目、コロラド・ニュージャージ・サウスカロライナ各州から参加しているという。

支援プロジェクトは色々あって、自分たちは医者だったので、医療現場での支援にあたったとのこと。衣食住の支援があり、ボランティア後イスラエル各地を旅行して帰国するのが楽しみだという。

福音教会派のクリスチャンであり、聖書に出てくるイエス・キリストの宣教の道をたどるのが至福の時間だという。

<I SERVED IN ISRAEL>ロゴの入ったTシャツを見せて、写真に撮ってくれという。

好々爺の嬉しそうな、ボランティアをおえ幸せそうな顔が印象的であった。

エズラ作戦>は、里親・キッズ・フードバンク・ホロコースト生存者・新移民ウエルカム・大工・テロ被害者・救出・医療・ボランティア・希望の糧・災害ほか多くの支援プロジェクトを用意している。ほかにボランティアやプロジェクトを支援する献金も受け付けている。

 

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          イスラエル支援ボランティア参加のアメリカの老戦士たちと

 

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               イスラエル支援ボランティアのTシャツ 

 

 

<十分の一税・献金> 

ユダヤ人やキリスト教徒等が宗教組織や祖国を支援するため支払う、ある物の十分の一の部分のことをいう。

アメリカに在住していた時、多くのユダヤアメリカ人と接したが、そのほとんどの友人がユダヤの国イスラエルに対して毎年<十分の一献金>を送金していたことを覚えている。

これらの世界中からのユダヤ人による献金は、イスラエル防衛・移民促進・国家財政・共同体支援・教育医療等に回され、イスラエル国の発展維持に使われている。

 

紀元前1世紀ごろ、ここパレスチナの地に形成していたユダヤ人国家は、ローマに征服され世界中にディアスポラ(離散)した。 

以来ユダヤ人は、2000年近く統一した民族集団を持たず、ヨーロッパを中心に世界中に移住し、離散した。

彼らは、ユダヤ教信者又はユダヤ人の親を持つユダヤ人として、ディアスポラ以降世界各地で共同体を形成し、タルムードを中心にユダヤ教の信条と秘儀を厳守してきた。

その後、彼らは各家庭を中心に、ユダヤ人コミュニティーを作り、信仰を守り、迫害に耐え続けていたが、19世紀からシオニズムイスラエルの地パレスチナに故郷を再建する)運動がおこり、パレスチナの地にユダヤ人の帰還が始まった。

結果として、20世紀に入りパレスチナへのユダヤ人の流入が止まらず、パレスチナのアラブ人とユダヤ人の対立は収拾がつかなくなった。

1947年、国際連合パレスチナ分割決議がなされ、翌年ユダヤ人国家「イスラエル」の独立宣言がなされた。

 

その誕生間もない新国家形成を援助するため、世界中のユダヤ人の多くが<十分の一献金>運動に参加し、その献金額は莫大な額となり、中堅国の国家予算に匹敵するとも言われている。

世界の各国に定住するユダヤ人の職業である医者・弁護士・学者・貴金属ブローカー・世界有数のIT起業家はじめ、ノーベル受賞者が多いことからもわかるようにその献金能力の高さがうかがい知れる。

イスラエル建国に反対したアラブ諸国との数次にわたる戦争にあたっても、小国であるはずのイスラエルが勝ち続けているのも世界中の仲間からの浄財による圧倒的な最新兵器の保有と、敵地に囲まれた兵士の祖国防衛の意識の高さにあるといえる。

このイスラエル縦断旅行でも、各地でイスラエルの決死の防衛姿勢を度々目撃することとなった。

そこには<選ばれた民族の存亡>を自覚した全国民いや全ユダヤ民族の決意がみなぎっているからだとみた。

現在も、休むことなくパレスチナの砂漠を緑に換える運動が、祖国防衛のかたわら続けられている。

その情熱と理想郷の建設と祖国防衛にユダヤ人の心髄と覚悟を見た思いである。

 

《10月27日 土曜日 ユダヤ教安息日  ティベリア2日目 快晴 》

 

ティベリアでの滞在先である<メヨウハス・ユースホステルMeyouhas Youth Hostel>は、ほぼ街の真ん中にあり、どこへ出かけるのにも便利である。お世話になるドミトリーは二段ベットが3台、6人部屋である。(ドミトリー朝食付1泊@18US$ VISA使用)

バス停にも近く、正面にはスーパーもあって便利である。

ユースホステルの朝食は、ハム&エッグ、チーズ、コーヒー、ミルク、イチゴジャム、ロールパン2、ヨーグルト、野菜サラダ(トマト・キューり・ピーマン)であった。

この朝食で、イスラエルに来てはじめて沢山の小さい蝿に襲われたというより、刺された。多分、老バックパッカーが発する長旅の匂いに対して食いついてきたのであろう。今日はどうしても温泉につかり体をきれいにしたいものである。

 

今日は、ユダヤ教安息日・シャバット(ユダヤ人の安息日で、ユダヤ教の存続の源泉)である。ユダヤ系の商店はみな閉まり、あの騒然とした街中は静まり返り、シナゴークヘ急ぐ正装の数組のユダヤ人家族と、観光客のみが目に付く静かな土曜日の朝である。

ユダヤ教が6000年近く保たれてきたのは、この安息日・シャバットを中心にトーラやタルムードの戒律を守り、学んできたことにあるといっていい。

 

朝食のあと、ガリラヤ湖の遊覧船<サンタ・マリア号>に乗って、湖上よりイエスの奇跡をたどった。

まず驚いたのは、乗船場の周りには鉄条網をはりめぐらせた高い塀が立ちはだかり、スタッフ全員がラフな格好にむき出しのピストルを太い皮ベルトに、無造作に突っ込み、乗船客を出迎え、案内してくれたことである。パレスチナとの緊張関係がひしひし伝わる場面である。

日本のような安全と平和は、ここイスラエルにはないことが分かる。自衛こそビジネス成立の最大の要件であるといっていい。08:00出航というが、いつになることかのんびりしたものである。

昨晩、深夜まで隣のドミトリーに泊っていた高校生たちが大声で激論というか、推測だがタルムードを輪読しながら、各自が意見を述べ戦わせていた。

お陰で寝不足である、サンタ・マリア号の出航までこちらは居眠りである。

 

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      ガリラヤ湖上体験乗船―イエスが湖上より宣教したサンタ・マリア号         

 

 

ガリラヤ湖に学ぶ>

ガリラヤ湖には多くの高校生が聖書やタルムード研究を兼ね、修学旅行に来ていた。もちろん世界各地にあるユダヤ人学校の生徒たちである。彼らは大切そうにタルムート(ユダヤ教徒の生活・信条がおさめられている聖典)を手に、このヘブライ語で書かれた貴重な教科書を開きながら、引率のラビ(ユダヤ教聖職者)の解説を真剣に聞き、生きた勉強に励んでいた。

<Gods always with us>とラビはしめくくり、サンタ・マリア号は帆先をティベリアの港に向けた。

船を下りる直前には、一列になって全員手をつなぎガリラヤ湖に向かって祈りをささげる姿こそ、次世代のユダヤ人を育てる教育の原点であるように思えた。

この祈りの隊列越しにカペナウムの街を望見していたら、背後に鋭い視線を感じた。生徒を守るために乗船していた若い兵士の銃口がこちらに向けられていた。彼は唯一人のアジア人に警戒心を怠っていなかったのである。一瞬緊張が走ったが、若き同胞である生徒を守ろうとする兵士の心情を理解することが出来たので畏敬の念を持つとともに、静かに心を落ち着かせることにした。

 

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                                     ガリラヤ湖に降り注ぐ天使の梯子(はしご)に迎えられる

 

 

ガリラヤ湖で泳ぐ>

サンタ・マリア号を下りたあと、とうとうガリラヤ湖で泳いだ。あのイエスの弟子たちが恐れた暴風のガリラヤ湖で泳いだのである。

ユダヤの住民や観光客が体力づくりのためか、イエスの教えを肌で感じるためか、また瞑想をしているのか多くの人がガリラヤ湖の水中歩行を楽しんでいる。

少し濁ったガリラヤ湖に起こる波の音を聴きながら、紺碧の青空に溶け込んで、背泳ぎを楽しんだ。

対岸の坊頭山であるゴラン高原の山々は、紫の夕陽に照らされて、静寂の中で同じく瞑想をしているように見える。

ガリラヤ湖畔で白い半月が残るガリラヤ湖ゴラン高原をスケッチしながら、イエスが宣教された約2000年前の歴史の日差しを楽しんだ。

しかし、聖なるガリラヤ湖もまた、多くの観光地と同じく湖岸のゴミの山には目を覆いたくなるほどであり、痛ましい限りである。

いつものようにささやかな湖岸のボランティア清掃、少しはおのれの心の掃除が出来たようで、軽やかになった。

 

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      ガリラヤ湖畔より紫染まるゴラン高原を遠望    ガリラヤ湖畔で2000年前の歴史の日差しを浴びる

 

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                             ガリラヤ湖畔より対岸のゴラン高原をスケッチ

 

 

ガリラヤ湖の温泉>

ティベリアの街より20分ほど南に行ったガリラヤ湖畔にある温泉に出かけ、泳ぎによって冷えた体を温め、長期の旅行での疲れた体を癒した。

今日は金曜日で午後4時までの営業であるという。(入浴料57FINとロッカー代’7FIN、計64FIN)

ユダヤ教安息日前日で、あすの土曜日(安息日)に備えているようである。

ここティベリアの温泉は、多くのヨーロッパの温泉と同じくプール型で水着着用である。

 

屋内・屋外温泉プールとサウナで構成され、古風なレンガ造りの建物の中の各施設は清潔であり、明るい。

温泉は地元の交流の場でもあり、プールサイドでファッションショーが行われていた。飛び入りの肥満のおばさん達にみな手をたたいて爆笑、若い娘さんたちも美しい姿態を輝かせてのオンパレード、天真爛漫な民族性に大喝采である。

イスラエル全土の戒厳令的な生活の中で、人々はこの国の建国に自信と夢を託し、ひとり一人が役割を自覚しているようであり、笑いとユーモアが満ちていた。

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                     Hamei Tveria Hotspring                        ティベリア温泉の施設・温水プール

 

ガリラヤ湖は、海抜マイナス213mにある淡水湖であり、わたしの住むびわ湖によく似ていて懐かしい。湖面の波紋は、平常は穏やかであるが、荒天時の波高は最高で1.5mを越えるらしく、八講降しのびわ湖によく似ている。

またびわ湖(674km2)も<びわのうみ>というように、かなり小さいここガリラヤ湖(166km2)も聖書では<ガリラヤ海―Sea of Galilee>と呼んでいるのも、その歴史の深さを感じる。

更にガリラヤ湖に棲むセント・ピータ―ズ・フィッシュは、びわ湖に棲む外来魚ブラックバスにそっくりであり、これまた親しみ深いものがある。

2000年ほど前、イエスはここガリラヤの地を宣教の地として選ばれ、山上の垂訓を述べられた。

弟子たちが小さな船に乗りガリラヤ湖を渡り、カペナウムに向かっていた時、強風に煽られ船が沈むほどであった。そのような時イエスは湖上を歩かれて近づき、

「恐れることはない。わたしだ。」<ヨハネ福音書6章16~21>

 といわれ、恐れる彼らを勇気づけて、無事カペナウムに導かれたとある聖書の一説を思い出していた。

 

ここティベリア温泉を中心とした避暑地は、昼間の32℃から夜間の3℃と、特に夜は涼しい。ゴラン高原に展開する国連平和維持軍の将兵が休暇を楽しむ姿が多く見かけられた。

 

夕食は、久しぶりに栄養をつけるため中華料理を食べにティベリア市内にある<文茗閣>に出かけた。

メニューは、ビーフ・チャイニーズベジタブル炒め、ポークのスイート&サワー、フライドライス(炒飯)、セント・ピーターズ・フィッシュの唐揚げ、エッグスープと豪華である。もちろん食べきらないので残りをテイクアウト、夜食に充てることにした。

 

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ガリラヤ湖畔に面したティベリアの街     ガリラヤ湖上のサンタ・マリア号にてティベリアを背景に

 

<▼10月25~27日 ティベリア滞在  Meyouhas Youth Hostel連泊  ドミトリ1泊18US$ >

 

 

 

《 10月28日 エルサレムをベースに旧約の地巡礼 ヘブロン/ベツレヘム散策 》

 

エルサレムに向かう>

エルサレム行バス(バス#963 エリコ経由)は、夕闇迫るヨルダン川の流れを紅く染め、対岸のヨルダンの村々の灯火が点き始めている風景を見せてくれる。

またバスは、ティベリアとエルサレムの中間、Nabulus/ナブルスでトイレ休憩、途中沢山の防禦用半地下トーチカや検問所を通過、臨戦態勢のイスラエルの国を守る姿勢と覚悟を見せられる。

 

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           イスラエル全土でみられる防禦用半地下トーチカ

                                           

現在のイスラエルは、主権と生存権を認めないアラブ諸国との本格的戦争は避けられてはいるが、いまなおイスラエルの独立を認めないパレスチナとの臨戦体制下にあることには変わりない。

 

すでに述べたように、1947年国際連合パレスチナ分割決議を成立させたのに応じ、シオニズム運動はイスラエルの独立宣言に引き継がれる一方、分割に反対する周辺アラブ諸国パレスチナに侵攻し、第一次から第四次中東戦争へと発展していった。

その後、アラブ国家との戦争は避けられ、非政府組織であるパレスチナ解放機構PLO)などとのゲリラ・テロ戦争へと変化してきている。

イスラエルは、徴兵制のもと臨戦態勢下にあるのである。

<注 : 2020年11月末現在、アラブ諸国の一部、UAEアラブ首長国連邦)やスーダンサウジアラビアは、アメリカの仲介によるイスラエルとの技術提携を求めて国交正常化を持ち始めている>

 

 

天地創造の地、パレスチナ

そこは地の塩を囲む、赤い砂の世界である。

過酷なまでに人を寄せ付けないこの不毛の地に、人の精神だけで生きてきた時の流れがいまなお脈打ち続けている。

純粋にしてすべてをもぎ取られたような涸れ果てた地の底から、沸き起こる純粋な光が神々しさを醸し出している不可思議な地である。

小さな一粒の赤い砂、手植えされた緑の葉っぱ、砂漠にしみ込んで消えゆく引かれた一滴の水、そこに降り注ぐ一条の太陽の光、一陣の風に舞う砂埃、目に飛び込む一瞬の砂漠の風景にここパレスチナの流れゆく時の豊かさとともに、不毛のなかにみなぎる宗教性を感じる。

不毛の土地でありながら、そこには慈愛に満ちた神のあたたかい導きを感じるのである。

 

いま、ティベリヤからバスに揺られて緑豊かなヨルダン川の西岸<ウエスト・バンク>を南下し、飛び地であるエリコを経てエルサレムに向かっている。

 

<エリコ・Jelichoという聖書の街>

バスは、ここウエスト・バンク、パレスチナ自治地区であるエリコの街に立寄り、エルサレムに向かって走り出した。

いまから3000年も前、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、シナイ山モーセ十戒を授かり、モーセの後継者ヨシュアの指揮のもと、シナイ半島の砂漠を40年間彷徨したあと、神によって約束された待望のここカナンの地に入った。

ここエリコは、街の周りを7回ラッパを吹いて回ったら城壁が崩れ落ちたという有名な<エリコの戦い>の舞台である。

旧約聖書ヨシュア記6章3-5)

 

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       ヨルダン川西岸を染める聖なる夕焼け (ウエスト・バンク・エリコ)

 

 

エルサレム到着>

エルサレムのセントラル・バス・ステーションでは、発着するすべてのバスを利用する乗客に対して、空港で行われるX線検査ではなく、より丁寧確実な手/目/鼻/耳を使っての徹底したマンツーマンの手荷物・身体検査を受ける。

バス停を出た時には、すでに夜9時ごろになり今夜泊るユースホステルを探すのも億劫になって来たので、タクシーの運転手に頼んでみた。連れていかれたのはユダニズム(シオニズム)の世界連盟が運営する宿泊施設でユースホステルと同じく世界中のユダヤ青年に安全な宿泊施設を提供している。もちろんユダヤ人以外の宿泊も大歓迎であるが、わたしのエルサレムでのスケジュールを聞き、旧市街にあるシタデル・ユースホステルを紹介するという。

 

エルサレム巡礼の前に、ヘブロンベツレヘムを訪問することにしてエルサレムでの滞在先であるシタデル・ユースホステルエルサレム旧市街アルメニア人地区・ヤッフォ門から約5分)に荷物を置き、ヘブロンベツレヘムに出かけることにした。短期間のエルサレム滞在になるため、同室者に気を使わなくてもいいように部屋はシングルルームとし、次なる旅先であるアフリカ縦断に備えて体を休め、アフリカ行きの準備に備えることにした。

朝食付き1泊43US$で、シングルルームといっても、ドームである4人部屋を借り切るだけのことであるが、久しぶりに広い部屋に一人寝である。

 

このYHの部屋から旧エルサレムを取り囲む城壁が見える。ライトアップされ美しく、聖書の世界にいることを実感させられる。しかしできれば、わたしにはイエスの生涯最後のエルサレムという暗闇と静寂の舞台設定が欲しかった。

 

<▼10月28~29日    エルサレム  

             シタデル・ユースホステル連泊  シングル@43US$>

 

ヘブロンベツレヘムの街は、エルサレムやエリコと同じくヨルダン川西岸地区パレスチナ自治区/ウエストバンク>にあり、1967年の第三次中東戦争以来イスラエルの占領地となっている。

現在、エルサレムヘブロンベツレヘム・エリコを含む西岸地区は、イスラエル軍パレスチナ政府によって統治されており、多くのイスラエル軍兵士よってパトロールされている。

 

エルサレムからは、アラブバスが運行されており、北西にあるセントラルバスステーションのヤッファ通りに面するバス停のバス#23に乗車(5NIS)し、約1時間30分でヘブロンに着く。

また、ダマスカス門を出たところからもヘブロン行ミニバスが出ている。

 

ヘブロン散策― 旧約聖書・マクペラの洞窟>

エルサレムから一歩郊外に出るとイスラエル軍は臨戦態勢である。ヘルメットをかぶり、重機関銃を構え、装甲車で停止線をつくり、引き金に指をかけている。アラブ・パレスチの襲撃(テロ)に備えているのだろうが、実に生々しく、緊張感が走る。

平和な日本から来た者にとっては異様に感じるが、ここ聖書の地は、旧約の時代から緊張の中に平和が保たれてきたのである。

パレスチナ側の心情も痛いほど理解できる。

再度、ユダヤ民族のディスポラス(離散)の歴史をのぞいておきたい。

エス誕生の1世紀ほど前、支配者ローマに反乱してユダヤ民族は追放され、ディアスポラ(離散)を余儀なくされた。このユダの地(イスラエル)を離れ、世界中に散らばったのである。

1945年シオニズム運動のもと、2000年程前のパレスチナの地への帰還を国際連合の決議によって認められたが、その間エルサレムや各聖地を守り続けてきたのは、ユダヤ民族無きあと祖国としてきたパレスチナの国であり、パレスチナ人であった。いくら祖父の地であるといって帰還してきたユダヤ人に、これまた彼らの祖父の地を明け渡す理不尽さに抵抗するのは当然であるとパレスチナの人々は考えているのである。

この両者の当然の主張が、相譲ることのできない不審と憎しみと戦いを続けさせているのであり、交わることのない主張が存在し、終わりなき敵対が続いているように思える。

ユダヤ人の理不尽なパレスチナ帰還、イスラエルの建国は、反対にパレスチナ人のディアスポラス(離散)を引き起こそうとしていると、パレスチナ人やアラブ諸国は危惧しているのである。

 

エルサレムを離れると、瓦礫と岩がゴロゴロした赤い丘が続く。このような荒れた土地だからこそ人々は神にすがったのであろう。イエスがこの地に生まれたことが当然なように思えてならない。

自然との熾烈な戦いのない豊かな地にイエスが誕生することはなかったといえる。

 

ヘブロンは、パレスチナ政府の管轄下にあり、ヘブロン出入りの車やバスはイスラエル軍によって厳しくチェックされる。

ヘブロンには、イスラエル最初の族長アブラハムの墓がある。

アブラハムは、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者であり、「信仰の父」とも呼ばれる。ユダヤ教イスラム教、キリスト教の祖であり、預言者であり、聖人でもある。

旧約聖書『創世記』23章8-9節におけるマクペラの洞穴の記述は、妻サラを埋葬するためにアブラハムがマクペラと呼ばれる地を含んだ畑をヘト人エフロンから買い取ったとある。

「民族の父母」と呼ばれるアブラハム、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、レアの6人が埋葬されており、「マクペラの洞窟」はユダヤ教第2の聖地であり、キリスト教だけでなく、イスラム教徒からも聖地とされ、巡礼者があとをたたない。

 

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イスラエル軍ヘブロンへの検問所  ヘブロン市街への緩衝地帯を抜けて<マクペラの洞窟>へ向かう

 

緊迫したイスラエルパレスチナの争いのなか、どこから迷い込んできたのか真っ白い鳩がアブラハムの墓の上にとまっているのに出会った。緊迫した情勢の中にものどかさと、融和を求めるしるしに見えた。アブラハムやその家族の墓を管理するのはパレスチナ側で、中ではイスラム教徒もユダヤ教徒も共に詣でているが、礼拝所はそれぞれ別々になっている。

 

アブラハムの墓のあるマクペラの洞窟の周りは、誰も住まない死の街だが、追い出されたパレスチナ人の家にイスラエルの旗がひるがえり、電気屋が商売を始めている。入植は危険だが、ユダヤ人はこの危険こそ国のためだとの考えから、どんどん入植を進めているのが現状である。ユダヤ人のイスラエル建国への想いは、入植という形で拡張されて行っているように思える。

 

無人である緩衝地帯<死の街>をとおり、アブラハムの聖所に向かっている時、若いイスラエル兵の一隊が私を取り囲み、「よくここまでたどり着きましたね。ここからは私たちがあなたを守ってこの緩衝地帯を通過します。これは私たちの役目であり、義務です。」と、声をかけてきた。

さっそく防弾チョッキを着せられ、各人自動小銃を構え、先頭の指揮官、わたしを中に前方・後方の左右に兵士4人が守り、後方に無線機を持った兵士の6人の構成である。たえずテロによる狙撃を警戒しての前進防禦の姿勢である。緊張感に解放されたとき、すでにアブラハム墓所である<マクペラの洞窟>の入口に立っていた。

 

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               ヘブロン・マクベラの洞窟付近地図

 

 

人が生活している、人がそこにいる、それだけで人間というのは安心感にひたれる。

戦場や国境の無人地帯ほど不気味さを感じ、不安を感じる所はない。この世から人間が消えてしまったような無が支配する空間といえる。これは山や氷河や海上での孤独感とは違って、生命の鼓動を感じることのできない虚無の世界であるといえる。

小学1年生の時、日本への引揚げ前に経験した、北朝鮮に侵攻され廃墟となったソウル(京城)を彷徨した時も死の街を歩いた。また世界各地を回りながらそれぞれの国境を徒歩で横断するときの無人地帯の不気味さを思い出していた。

 

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   無人緩衝地帯の不気味さ       マクペラの洞窟(ヘブロンアブラハム・モスク 

 

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    マクペラの洞窟にはアブラハムや妻サラ、家族の墓がある          アブラハムの聖所

 

             

アブラハムの墓では、警戒のイスラエル兵も銃をおき、防弾チョッキを脱ぎ、キパ(ユダヤ教男子の帽子)をかぶり墓に詣でていた。墓所では、神のもとジューイッシュもムスリムも、クリスチャンも平等公平であり、それぞれの信仰を邪魔しないという暗黙のルールが成立しているようである。

この日、アブラハム墓所には観光客はわたし一人であり、ムスレムの行者数人がコーランを唱え、瞑想にふけっていた。

どうも現在のイスラエルパレスチナ関係の険悪化から観光ツアーは組まれていないようである。

この時期のただ一人の観光客として、イスラエルパレスチナ両サイドからそれぞれの歓待を受けていたようである。また両サイドからそれぞれの和平願望の度合いを伝えるため、好意的待遇を与えてくれたのであろう。

 

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      ヘブロン旧市街入口             ヘブロン旧市街市場

 

アブラハム墓所にぬかずいたあと、イスラエル小隊による6人の護衛を受け帰路に就いた。

ヘブロンの旧市街を散策し、ヘブロンよりベツレヘムの街に乗合バスで向かった。

しかし途中、道路がバリケートで封鎖されているということで、バスは通過できないとのことである。乗客は降ろされ、シェルートという乗合ワゴンでヘブロン脱出ということになった。

 

ベツレヘム散策―イエス生誕地>

西岸地区(ウエストバンク)にある飛び地・パレスティナ自治区ベツレヘムへは、ボーダライン(イスラエルパレスチナの境界線)を越えて旧市街に、われわれの乗ったシェルート(乗合ワゴン)は入れないということで、乗客は降ろされた。

ヘブロンと同じく入域するためにはイスラエル軍の厳重な検問を受け、緩衝無人地帯を歩いて行くことになる。

 

私はいま緩衝無人地帯、戦闘地区の最前線にいて、いつ狙撃されるかもしれないと思うだけで恐怖を感じる。この荒涼とした無人地帯が、もし登山中であれば冒険心をかきたてられるであろう。人間さえいなければ、ここパレスチナの地も蜜に溢れた桃源郷であろうと思う。人間の存在は、愛と共に醜さをもたらすものであることを強く感じた。

 

蝋燭の光が揺れるこの薄暗い<聖誕教会>が、イエス・キリストが生まれた飼い葉桶のあった聖なるところである。あの東方の博士たちがラクダに乗り、流れ星に導かれて、この地にやってきて幼子イエスに拝したように、わたしも又東方日本よりやってきてこの聖なる場に座ってしばし瞑目した。

外の騒しさは消え、静寂だけが漂っている。ヘブロンアブラハムの墓の物々しい警戒に比べたら、ここ聖誕教会の聖なる地にはほとんど人影無く、だれでも自由に詣でることが出来た。

 

ここベツレヘムは、ヘブロンと同じくパレスチナ自治区が統括管理しているが、その治安に驚くほどの違いがあるのには驚かされた。

 

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           ベツレヘムパレスチナ自治区)のメインストリートで

 

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    パレスチナ武装闘争民兵募集の貼紙          聖誕教会のメンジャー広場にて

 

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     聖誕教会             洞窟跡にあるイエス生誕飼い葉桶

 

聖誕教会の入口付近に馬小屋として使われた洞窟があったといわれ、現在はベツレヘムの星を配した祭壇が置かれ、イエス生誕地であることを示している。

燭台の上の蝋燭の炎が揺れ、その前にある飼い葉桶に生誕のイエスが寝かされたのである。

子供のころ教会学校ではじめて聞いた、あの清らかな主イエス降誕を祝う讃美歌(109)とオルガンの音が、こころに響き広がって行った。

久しぶりに、清々しい<無の風が>体を吹き抜けていった。

 

「きーよしこの夜 星はひかり すくいーのみー子は まぶねーの中に ねむりーたもうー いーとやーすくー」

 

イスラエル兵による厳重な警戒のもとにあるヘブロンやベツレムヘムの散策で、おおくのパレスチナの住民にであった。露店でバナナを買ったとき、貧しい服装のパレスチナの主人は東洋からの客人と知って<Welcome to Palestine !>といい、代金を受け取ってもらえなかった。多くのパレスチナの人々は人懐っこく、純真な人びとである。いつの世も政治と民衆は切り離してみることであろうか。

乗合バスでも、運転手の手渡してくれたヒマワリの種を口に含んで、バスの窓から殻をお互い吹き飛ばしては友情を深めたのである。

しかし、ヘブロンにしても、ベツレヘムにしても大きな街であり、雑然とした街並み、騒然とした賑やかさに少し失望させられたことも事実である。ひっそりとした聖書的静寂さと人々の生活を想い描いていただけに、願望に過ぎなかったことに気づかされた。

 

ヘブロンベツレヘム訪問を終え、アブラハムの墓では帽子をかぶれと警備のイスラエル兵士に言われ、聖誕教会では帽子を脱げといわれた真逆の指示に、いまだ真意を計りかねている。帽子を脱ぐと云うことは聖なる場所では当然のマナーと思うがいまだその意味を解しかねている。これまたテロへの警戒からか。

 

ヘブロンベツレヘムというパレスチナ自治区への路線バスは、その時のイスラエル・パレスチニア間の政治情勢やテロによる騒乱などにより突然の運転休止が度々行われる。代わりに乗合ワゴンが地区別に乗客が集まり次第出ているから問題はない。

またバス路線には、緊急突発時に備えて脱出路があり、道路がバリケートやブロックでふさがれたり、爆弾による道路陥没を避けるための裏道が完備している。ただ慌てることなく乗客と同じ行動をとっていれば安心である。道なき道を脱出することになるが、これまた問題はなく、心配することはない。ここはパレスチナなのであり、すべて覚悟して行動すればいいだけである。

 

危険を感じたといえば、ヘブロンアブラハムの墓に向かう道中の無人地帯であろうか。この無人地帯を抜けなければイスラエル兵が占拠しているアブラハム・モスク・エリアに入れないのだから、覚悟が必要である。この緩衝・無人地帯の向こうに護衛のイスラエル兵が迎えてくれたことは先に述べた。イスラエル兵に迎えられるまで、死の恐怖を感じたといえば大げさだが、猫一匹の動く音に肝を冷やしたり、こわれた窓からの狙撃におびえて軒下を縫って歩くのだから、まるで真剣な戦争ごっこである。

住民の強制退去によって出来上がった無人地帯は、住民の生活があっただけに、その廃墟は空虚な空間として無機質に残された遺跡の静寂さが漂う。不気味であり、おのれの足音にも冷汗をかいたが、イスラエル兵の小隊に出迎えられた時には、こころから安堵したものである。

 

では、ベツレヘムを後にして、乗合ワゴンでエルサレムに戻ることにする。

 

夕方、嘆きの壁に出かけ、広場のうしろに座ってユダヤ教徒の敬虔な祈りの場に接した。

 

 

             

                 

            『星の巡礼 イスラエル縦断の旅』Ⅱ

              <エルサレム旧市街を歩く>

                   に続く