『星の巡礼 イスラエル縦断の旅』Ⅲ
<エイラットより、シナイ山を経てカイロに向かう>
<エジプト国境の街ターバーより、 ダハブ / シナイ山への巡礼基地へ向かう>
エイラットのイスラエル国境での国境警備隊による厳重な警備と出国審査を終えたあと、エジプト国境での更なる厳しい入国審査が待ち構えている。
入国審査の後、ここ国境から15分ほどのところにあるターバーのバスターミナルから出ているミニバス(トヨタ・ハイエース)で、モーセが十戒を授かったシナイ山への巡礼基地であり、シナイ半島南東部にある観光地ダハブに向かった。
シナイ半島エジプト国境 ターバー入国管理局-にかかるエジプト国旗
<ダハブ ― シナイ山巡礼基地・ダイビング基地>
ダハブは、エジプト・シナイ半島東岸、紅海アカバ湾に面したベトウインの住む砂漠の村である。
また、ダイビング・スポットとして世界的に知られ、多くのヨーロッパの若者が集っていた。ゆったりと流れる時間の中で、観光客もヤシの葉のコッテージに横たわり読書にふけっている。
イスラエルでは味わえない解放感と安心感がここにはある。
ランチは、キャンプに隣接する<モハメット・アリ・ホテル>のカフェテリアでツナ・スパゲティとコークをいただく。紅海の風は肌を撫で、まろやかなまどろみを誘う。イスラエルのあの騒々しい緊張感はどこへ行ってしまったのだろうか。
しかし、平和に見えるダハブのあるシナイ半島(エジプト領)は、第二次中東戦争(1956/スエズ運河をめぐる紛争)、第三次中東戦争(1967/アラブ連合軍のイスラエル侵攻に対し6日間でイスラエルは反撃し、ここシナイ半島・ゴラン高原・ガザ地区・東エルサレムを占拠)、第四次中東戦争(1974/第三次で占拠された各所を奪還するためのアラブ側の起こした戦争でシナイ半島は国連多国籍軍の監視下に入った)という三度の戦争を体験しているのである。
現在ですら、ダハブのあるシナイ半島は、シナイ半島駐留国連多国籍監視団のもとにコントロールされている。
避暑地ダハブに昇る紅海・アカバ湾の朝日(シナイ半島・エジプト)2景
対岸の陸影はサウジアラビア
ここでもシュノーケリング、紅海の可愛い熱帯魚たちを息子からプレゼントされた水中カメラ<Vivitar Water-Proof ViviCam 6200w>におさめた。
世界的ダイビング・スポットである ダハブ(エジプトシナイ半島)で海に潜る
紅海の熱帯魚やサンゴ達
<▼11月1日~11月2日 ダハブ 連泊 Mohamed Ali Camp
「モハメド・アリ-・キャンプ」 1泊20US$ >
《 11月2日 ダハブ ⇔ シナイ山トレッキング 快晴 》
<シナイ山 聖なる日ノ出登山 ツァー代 30£E>
宿泊先である「モハメド・アリ-・キャンプ」 は、ダハブ市街東の海岸アサーラ地区(ベトウイン村)で最も知られている広大な敷地と海岸をもつキャンプ場であり、避暑地としての設備(ダイビングセンター・ガーデンレストラン)や各種ツアーがととのっている。
このイスラエル縦断の旅で最も望んでいた地、モーセが神より授かった「十戒」の地であるシナイ山や聖カトリーナ修道院へのキャンプ企画のツアー(乗合トラック・現地自由行動)に参加した。
旅の疲れをとり、暑さの中での安眠をとるためにここでも贅沢だがエアコン付きの一人部屋で体を休めることにした。とくにキャンプ内にあるスーパーマーケットはバックパッカーにとってはうれしい限りである。スーパーで買い込んだ焼きそばと白ご飯、サラダにコークを持込み、豪華な夕食を楽しんだ。
ここダハブは、聖カトリーナ―修道院への重要拠点であり、十字軍・エルサレム王国によりシナイ山への道として確保されたベトウインの村落であった。
モハメッド・アリ・キャンプで楽しんだ中華の夕べ (ダハブ) 23.50£E
モハメッド・アリ・キャンプ企画のツアーのうち、キャンプと聖カトリーナ修道院間の往復ツアー(現地での自由行動が条件)に参加、前夜よりヘッドライトを頼りに巡礼団や観光客に混じって単独でシナイ山に登るため、山頂前の山小屋で仮眠をとった。
シナイ山頂では、日の出とともにモーセが十戒の石版を授かったシナイの山の不思議なほど神々しい朝日を迎えた。わたしをはじめ、巡礼者である多くの老若男女が溢れる涙を拭うことなくその瞬間に立ち会ったのである。
シナイ山への登山の入り口に聖カトリーナ修道院が建つ。 旧約聖書「出エジプト記」には、モーセがシナイ山(神の山ホレブ)で燃える柴を見、その柴の間から神の声を聴いたと記されている。シナイ山麓に位置する聖カトリーナ修道院は、この「燃える柴」があったとされる場所に建てられている正教会最古の修道院(ユネスコ世界遺産)である。
シナイ山オーバーナイト・トレッキング
Sketched by Sanehisa Goto
夜10時頃、聖カトリーナ修道院を出て、モーゼが十戒を授かったシナイ山へ向かう
寒さを避けるため毛布を借り小屋で日の出を待つ
朝4時半ごろシナイ山の夜が明け始める
夕方にモハメッド・アリ・キャンプ前を出発したツアー(乗合バス)は、聖カトリーナ修道院に着くと、巡礼団や観光客はヘッドライトをたよりにそれぞれシナイ山に向かうが、ラクダ道コースと近道の階段コースに分かれる。
階段コースは、3750段といわれ、結構疲れるので休憩を適時とることと、水・ライト・防寒具・行動食を小型リュックに携行することをおすすめする。聖カトリーナ修道院からシナイ登山は3時間ほどかかるので体調を整えておきたい。
階段コースをたどり標高2285mのシナイ山(別名ガバル・ムーサ)に着くが、途中、時間調整と寒さを避けるため毛布(1枚5£E)を借り、山小屋で過ごすことになる。
ご来光を迎える前からシナイ山頂の小さなレンガ造りの礼拝堂を中心に、立錐の余地のないほどに巡礼者であふれた。
狭い岩山の山頂に300人はいるだろうか、足の踏み場もなく、鈴なりである。闇が明けゆく情景に息をのんでいるとモーセに語りかけたおなじ神の声が響いた(ように)、荘厳な瞬間を迎えた。
ここシナイ山は、今から4000年前、モーセが神よりイスラエルの地を授かるための契約<十戒>を授かった場所である。
巡礼者をはじめ、多くの人びとは胸の前に手を合わせ、瞬きすることなくこの一瞬の旧約の世界に溶け込み、聖なる感動にひたった。
シナイ山頂からの聖なるご来光(聖なる日ノ出)を拝する
シナイ山頂の礼拝堂の周りで日の出を迎える巡礼者
ダハブのベドウイン村にある「モハメド・アリ-・キャンプ」に戻る
ダハブ出立の朝、犬友シャルル君達の見送りを受けた
モーセは、エジプトのファラオ・パロのもとで奴隷のように虐げられていたイスラエル(ヘブライ・ユダヤ)人を救う使命を神から与えられ、約束の地カナン(ヨルダン川東岸)を目指してエジプトを脱出した時の指導者であり、引率者である。
旧約聖書の中で、エジプトを脱出し、シナイ半島を40年間放浪するイスラエルの民を導くモーセは、シナイ山にさしかかった時、苦しむモーセに「神に対して絶対の服従を誓うなら、その所有する全土をイスラエルに与える」 と神は語りかける。
現在のイスラエル人もこのモーセの時代とよく似た第二の帰還を果たそうとしているのである。モーセの40年というシナイ半島彷徨の末ではなく、約2000年間のディアスポラ(離散)という国を追われての国家再建である。イスラエル人の建国の情熱と祈りは、モーセにも劣らない真剣なものであるように思えた。ユダヤ民族の存亡をかけた戦いをしているのである。
Bible map <イスラエルのエジプトからの出エジプトとカナンへの入国>より
エジプトのラムセス①を出立した一行は、③海が割れた<葦の海>(現在のスエズ市・紅海スエズ湾か)を渡り、シナイ半島北側を横切り、カナンの地にあるネボ山⑮に直接向かわずに、シナイ半島を逆時計周りに南下し、シナイ山⑧で十戒を授かって北上、現在のエイラット⑪から40年間の放浪のあと、最終ヨルダン川東岸のカナンの地⑰に到着する。
映画<十戒> モーセに率いられて<葦の海>を渡るイスラエルの民(地図③)
<▼11月1~2日 ダハブ ― モハメッド・アリ-・キャンプ連泊 1泊20£E >
人間が住めそうもない過酷な環境に住みついて、その運命に甘んじている人間たちがいる。それはベトウインの民である。
彼らは不毛の大地、照り付ける日光のもとラクダや羊など少数の生き物と共に生き続けている。文明に取り残され(いや、文明を拒否し)、土に交じり合ってその生命を全うするのである。
人は、人間として生を受けるが、自分の意志ではなく、その生まれる場所、時間、時代、国、性別、両親でさえ決められて生まれてくるのである。
この世に生を受けた生き物は、誕生の環境的条件をどのように享受したらよいのであろうか。
生命誕生と神の導きは一体であるように思えてならない。
選民としてのユダヤ民族もまた神の導きに従い苦難の道を歩んでいくのであろう。
神の示された道に従うベトウインとユダヤの民に違いはない、みな神の子である。
ダハブ出立の朝、仲良しの犬・シャルル君立ちが見送ってくれたが、なかなか離れようとしない。しばらくの間、お互いの目を見つめあい別れを惜しんだ。
《 11月3日 ダハブより終着地エジプト・カイロに向かう 長距離バス65£E 》
シナイ半島最南端の港町シャルム・イッシェーフ(シャルム・エル・シェイク)経由カイロ行長距離バスは、岩山と砂漠をぬいながらの道を一日4便、55£E、途中検問を数か所通過、所要約10時間のスエズ湾に沿って、モーセのシナイ放浪とは逆のコース(時計回り)を北上する。
ただ、一部の区間と運河橋以外、バスからスエズ湾やスエズ運河をほとんど見ることはできないのが残念である。
シャルム・イッシェーフは、第2・3次中東戦争でシナイ半島(エジプト)を占領したイスラエルが開発した高級リゾート地として有名である。
シナイ半島南端高級リゾート地<シャルム・イッシェーフ>
モーセ軍団が南下したシナイ半島西南部の車窓風景 <シャルム・イッシェーフ⇒スエズ間>
スエズ運河東岸(シナイ半島)よりエジプト内陸部・アフリカ大陸方面を望む
途中、エジプト軍の統治下にあるシナイ半島では検問所でエジプト兵によるパスポートチェックを何度も受ける。
バスの切符の検札も、検問所ごとに受けるが、検問所の兵士にイスラエル兵のような緊張感はなく、ローカルな日常的な雰囲気が漂っている。おそらく、イスラエルとエジプトではパレスチナに対するお互いの政治的距離感によるものと思われる。
スエズ湾に、スエズ運河通過前の貨物船がその通過順番待ちの群船団(グループ)を形成し、壮観であると同時に、平和である長閑さをあらわしている。
一方、シナイ半島西岸を北上中、ザトールという街のサービスエリアのTVで、タリバンの指導者オサマ・ビン・ラディンがジハード(聖戦)を叫んでいた。今なお、中東は世界の火薬庫としてのプレゼンスを発しているようである。(トイレ使用料:0.5£)
イスラエルは、1948年の建国以来、シナイ半島に中東戦争をとおして関わってきている。
なぜこのような人の住めないような砂漠地帯に攻め入り、占領と撤退を繰り返しているのであろうか。
現在、国連平和維持軍の駐留によりイスラエルとエジプトは分離され、戦闘を中止しているが、実際イスラエルのシナイ半島占拠の理由はいくつかあるようである。
それは、シナイ半島に石油の埋蔵があること、広大なシナイ半島をアラブ諸国との緩衝地帯にしたいこと、紅海の航行の自由を確保すること、スエズ運河の支配権の確保などが考えられる。
シナイ半島のイスラエル占拠地には、すでに鉄塔を建て、電気柵を張り巡らせ、道路をつけ、海水を飲料水に換え、ソーラパネルとパラボラアンテナを設置したキブツ(集団農場)村を点在させている。
アフリカ・エジプトへのスエズ運河橋にさしかかったようである。バスは検問所で停車、乗客全員が荷物をもって整列させられ、徹底した携行品点検である。
そのあとバスは、この年2001年10月に日本の援助で開通したカンタラにある「スエズ運河橋」(エジプト‐日本友好橋)を渡ってアフリカ大陸に入り、カイロに到着する。
<スエズ運河橋―エジプト・日本友好橋>
従来フェリーでスエズ運河を往来していたが、日本のODA(無償資金協力)によりアジアとアフリカをつなぐスエズ運河橋が、この年(2001年10月)に<中東和平の架け橋>として完成した。
この記念すべき真新しい運河橋を渡ってカイロに向かう日本人の一人となった。
スエズ運河に架かる<エジプト・日本友好橋>(スエズ運河橋)を渡る (ODA)
旧約聖書・出エジプト記に出てくるモーセ指導のもとでのイスラエル人エジプト脱出、シナイ半島放浪の逆ルートをたどってエイラットよりシナイ山(神よりモーセが授かった十戒)に立寄り、今回の<イスラエル縦断の旅>ゴールのアフリカ・エジプト・カイロに入った。
約10時間に及ぶ砂漠走行のあと長距離バスは早朝カイロに到着した
この地から、神の導きによりモーセ率いるイスラエルの民はエジプトを脱出した
<▼ 11月3~6日 カイロ・インターナショナル・ユースホステル
カイロ連泊 1泊25£E>
《 11月4~6日 カイロ滞在休息 イスラエル縦断を終える 》
ここエジプト・カイロは、今回のイスラエル縦断の旅の終着点であると共に、モーセのエジプト脱出の出発点でもある。
エジプトは、モーセがイスラエル人(びと)を親として生まれた地であり、イスラエルの民がカナンの地に向かって出立した地である。
詳しく言えば、モーセ率いるイスラム人(びと)が、エジプト脱出の出発地としたのがラムセスである。ラムセスは、カイロから南へ車で30分の距離にある古都メンフィスであった。 古代エジプト古王国時代の首都として栄えたが、今は荒廃した村が残っているだけである。
エジプトは、現在のイスラエルという国やイスラエル人(びと)が存在する基(もとい)でもあるといってもいい。
モーセの祖ヤコブと共にエジプトに移り住んだイスラエル(ユダヤ・レビ)の民の子孫は、エジプトの地に満ち、その勢力は強くなった。恐れたエジプト王パロは、彼らを監督し,重い労役を課し苦しめたが、それにまして彼らはますます増え続けたので彼らの新生児の内、男の子はナイル川に投げ捨てるように命じる。
神は、ユダヤ(レビ・イスラエル)の民の新生児(ういご)を助ける印を教え、過ぎ越すのである。エジプトびとの新生児はみな死に絶え、パロは主の怒りを恐れてイスラエル人(びと)のエジプト脱出をモーセとアロンに許すのである。
モーセは、イスラエル人(びと)を引率して、シナイの砂漠地帯を南下し、シナイ山で神との約束<十戒>の啓示を受け、その後40年の歳月(エジプト脱出の苦しみを忘れないため)を経て、約束の地<カナン>に帰還するのである。
いまなお、ユダヤ教では聖書での神との約束に従って、これまたエジプト脱出の苦しみを忘れないため<過越祭ー過ぎ越しの祭り>が続いてる。
旧約聖書・出エジプト記によると、これらのイスラエル人(びと)は430年間エジプトに住み、モーセによってエジプト脱出をはかったイスラエル男子成人は60万人であったと記されている。ほかにイスラエル人女子、子供に加えておびただしい家畜類も一緒に脱出移動したとあるから、その集団の規模の大きさに驚かされる。
この脱出した大集団が、神より約束されたカナンの地にたどり着くのに40年間、今回たどった逆ルートの砂漠地帯を彷徨し、帰還するのであるから、想像を絶する民族大移動を成し遂げたのである。
モーセの率いるエジプト脱出前後の詳細は、旧約聖書の出エジプト記第11~14章に出てくる。特に、過ぎ越しの祭りの意味や、なぜ目的地カナンへ直線的に短時間で向かわなかったのかなどについて詳しく書かれている。
その子孫がいまディアスポラ(離散)後、約2000年近くの時を超えてイスラエルに帰還し、再び国を再建しているのだから、歴史は繰り返されているといっても過言ではない。
イスラエル縦断最終地カイロ郊外のピラミットとスフィンクス前で旅の無事を祝う
エジプトの修学旅行生たちとピラミットの前で、笑顔は平和のシンボルである
モーセ率いるイスラエルびとのエジプト脱出を見守ったであろうスフィンクスにも
イスラエル縦断踏破を報告する
神との約束を守り続けるユダヤの民の波乱に満ちた苦難の地を歩いてきた。
旧約聖書の一字一句が、現代に続いている道として、いまなお生きいきと残されていた。
そこに住む人たちが、祈りに生き、神の言葉を信じて生活している風景は、力強く、誠実である。
解釈の違いで、歴史の見方も異なり、すべてにおいて旧約の世界がいまなお現存し、争いも継続しているようである。
現在の和平へのプロセスは、旧約聖書的でないのかもしれない。
イエスが一生を過ごした砂漠の地、シオニズムを掲げるユダヤの民の地を歩けたことに感謝したい。
いつかパレスチナの地に平和が訪れることを切に祈りつつ旅を終えたい。
このブログは、天に住する父母と、病床におられる竹中のり子姉に贈ります。
2020年聖誕日・クリスマスに、 志賀の里にて
完
<参考資料> 「星の巡礼 イスラエル縦断の旅」の経費から旅を振り返る。
この参考資料での経費は、2001年当時の物価であり、為替レートであることを申し添えておきたい。
2001『星の巡 イスラエル縦断の旅』 日程と経費明細 | ||||
日程 | 都市名(▼宿泊先) | 経費明細 | 料金 | 日本円 |
10/24 | イタリア/ローマ空港 | 飛行機代 < ITL=0.06円> | 324900ITL | 19500円 |
▼機内泊 | ||||
10/25 | ロッド空港 | 両替T/C <200.00US$x124円> | 740.00NIS | 24800円 |
コカ・コーラ <1NIS=33円> | 5.50NIS | 182円 | ||
テルアビブ⇒ナザレ | バス代 | 32.00NIS | 1056円 | |
ナザレ⇒ティベリア | バス代 | 18.40NIS | 607円 | |
▼Meyouhas Youth Hostel | 18US$X4泊X124円=2232円 | 18US$ | 2232円 | |
10/26 | ランチ(菓子パン/オレンジ) | 16.00NIS | 528円 | |
ティベリア⇔カーペナウム | バス代往復11.70FinX2 | 23.40NIS | 772円 | |
ティベリア | アイスクリーム | 7.00NIS | 231円 | |
温泉入浴料 | 63.00NIS | 2079円 | ||
夕食(中華料理) | 175.00NIS | 5775円 | ||
チップ | 4.00US$ | 132円 | ||
▼Meyouhas Youth Hostel | ||||
10/27 | <ガリラヤ湖> | 遊覧船代 | 8.00US$ | 992円 |
ランチ(菓子パン/オレンジ) | 15.00NIS | 495円 | ||
ティベリア⇒エルサレム | バス代 | 43.00NIS | 1419円 | |
▼Jerusalam Youth Hostel | 宿泊代3泊X@43US$ | 129.00US$ | 5332円 | |
タクシー代(宿泊先探し) | 60.00NIS | 1980円 | ||
10/28 | エルサレム⇒ヘブロン | 乗合バス代 | 30.00NIS | 990円 |
ヘブロン⇒ベツレヘム | 乗合バス代 | 17.00NIS | 561円 | |
ランチ(バナナ/コーク/ピタ) | 7.00NIS | 231円 | ||
オレンジジュース | 2.00NIS | 66円 | ||
ベツレヘム⇒エルサレム | 乗合バス代 | 12.00NIS | 396円 | |
エルサレム市街地図 | 20.00NIS | 660円 | ||
夕食(チキン/ライス/スープ) | 33.00NIS | 1089円 | ||
▼Jerusalam Youth Hostel | ||||
10/29 | エルサレム | テレフォンカード | 57.00NIS | 1881円 |
ダビデの墓(入場寄付) | 10.00US$ | 330円 | ||
ダビデの墓ガイド料 | 20.00US$ | 660円 | ||
ガイドチップ | 10.00NIS | 330円 | ||
エルサレム旧市街道案内(少年チップ) | 2.00US$ | 248円 | ||
鶏鳴ペトロ教会入場料 | 6.00NIS | 198円 | ||
旧市街⇒オリーブ山バス代 | 20.00NIS | 660円 | ||
オリーブ山⇒▼YHバス代 | 10.00NIS | 330円 | ||
夕食(中華料理) | 38.00NIS | 1254円 | ||
▼Jerusalam Youth Hostel | ||||
10/30 | エルサレム⇒エンゲディ | バス代 | 59.00NIS | 1947円 |
ダビデの滝トレッキング入域料 | 17.00NIS | 561円 | ||
死海浮遊体験 | 1.50US$ | 186円 | ||
▼EinGedi Youth Hostel | 夕食付宿泊代 | 46.00US$ | 5704円 | |
10/31 | エンゲディ⇒エイラート | バス代 | 53.00NIS | 1749円 |
▼▼エイラートYH2泊分夕食付前納 | 392.00NIS | 12936円 | ||
ランチ(中華料理) | 390.00NIS | 12870円 | ||
コーク | 12.00NIS | 396円 | ||
有料トイレ | 1.00NIS | 33円 | ||
カメラフイルム40枚X4 | 112.00NIS | 3696円 | ||
▼EinGedi Youth Hostel | 両替(30US$) | |||
11/01 | ラクダ―ツアー | 44.00US$ | 5456円 | |
ツアー参加往復タクシー代 | 20.00NIS | 660円 | ||
ラクダ―ツアーチップ | 35.00NIS | 1155円 | ||
ランチ(ツナフィッシュサンド/コーク) | 26.00NIS | 858円 | ||
<イスラエル> | イスラエル出国税 | 68.00NIS | 2244円 | |
エイラート⇒タバTABAH | エジプト入国税 <1US$=5.6£E=124円> | 25.00£E | 3100円 | |
<エジプト> | エジプト<両替250US$X5.6£E> | 1400.00£E | 31000円 | |
▼Mohamed Ali Camp | 20US$ | |||
11/02 | ダハブDahab | シナイ山ツアー(乗合バス往復代) | 30.00£E | 1680円 |
絵葉書マウント・サイナイ | 5.00£E | 280円 | ||
ランチ(スパゲッティ・コーク) | 10.00£E | 560円 | ||
夕食(中華料理) | 70.00£E | 3920円 | ||
▼長距離バス車中泊 | ビスケット/飲料水ほか | 19.00£E | 1064円 | |
11/03~06 | ⇒カイロ着(11/03) | 長距離バス代 | 65.00£E | 3640円 |
<モモハメド・アリー> | ランチ(スパゲッティ/コーク) | 10.00£E | 560円 | |
夕食(中華料理) | 23.00£E | 1288円 | ||
▼Mohamed Ali Youth H. | 宿泊代25£EX4泊 | 100.00£E | 5600円 | |
by Sanehisa Goto |