shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2021星の巡礼 『レルヒ中佐 十勝岳に立つ』

2021星の巡礼 『レルヒ中佐 十勝岳に立つ』

北海道の友人から同人誌「文芸北広島 第37号」が届いた。

 

 

友人とは、2004年4月ニュージランドにあるユースホステル<Auckland International Youth Hostel>で同室だった北海道在住の矢野達雄氏である。以来、俳句仲間として文通を続ける同好の士でもある。

今号には、1912年武官として北海道旭川駐屯地に派遣されていたオーストリア陸軍レルヒ中佐が、活火山である十勝岳に登頂し、その美しい山容をドイツ語で書き記した紀行文を翻訳し、紹介している。

その美しい自然描写には人間味あふれ、躍動感に満ちた生き物たちが描かれ、盆地に横たわる旭川(陸軍第7師団)を眺めては感嘆し、北海の大地を走る汽車の力強さを謳いあげている。

 

わたし事だが、レルヒ中佐が十勝岳に立ってから、奇しくも95年後の2007年同じ日に百名山登頂途次、雨の十勝岳にわたしも立っていたことを想い感無量である。

北海道に住む彼だからこそ、その郷土愛を生きいきと翻訳できたと思っている。文学的感受性の豊かな翻訳に敬意を表したい。

ここに翻訳者の同意を得たので、レルヒ中佐の十勝岳登頂の紀行文を日本近代史の1ページとして紹介しておきたい。

 

《 世紀越え  雪の便りの  十勝岳  語り継ぎしや 美々しき日本》

 

 

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               《文芸北広島 第37号》

 

 

紀行文 『北海道の火山(十勝岳)』  

 作者 オーストリア陸軍レルヒ中佐   翻訳者 矢野達雄(文芸北広島同人)

「文芸北広島 第37号」より

 

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                 ー1-

 

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                  ー2-

 

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■日本スキーの父  テオドール・フォン・レルヒ 

Theodor Edler von Lerch, 1869/8/31-1945/12/24

1920年大正9年)3月27日に、北海道大学スキー部が積雪期の十勝岳初登頂したと日本登山史に記録されているが、その8年前の1912年に武官として北海道旭川駐屯地に派遣されていたオーストリア陸軍レルヒ中佐本人の十勝岳登頂に関する紀行文が残されていたことになる。

日本登山史における貴重な新資料であるといえる。

 

レルヒは、日露戦争ロシア帝国 に勝利した日本陸軍 の研究のため、1910年に交換将校として来日。八甲田山の雪中行軍で遭難事故おこしたばかりだったこともあり、日本陸軍アルペンスキー創始者マティアス・ツダルスキーの弟子であるレルヒのスキー技術に注目。その技術向上を目的として新潟県高田(現在の上越市)にある歩兵第58連隊の営庭や、高田の金谷山などスキー専修員にスキー技術の指導をおこなった。このことが、日本での本格的なスキー普及の第一歩とされている。Wikipedia

 

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   1911年(明治44年)のレルヒ中佐

 

十勝岳(とかちだけ・2077m)

十勝岳(とかちだけ・2077m)は、北海道の中央部の美瑛町上富良野町新得町にまたがる活火山であり、十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰である。日本百名山に選定されている。

 

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        雨雲に煙る十勝岳連峰の主峰 十勝岳(標高 2077m 百名山        

 

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                ガスに煙る十勝岳山頂付近

 

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        レルヒ中佐から95年後の2007年 百名山十勝岳 2077m>に登頂する 

 

 

 

 

              『レリヒ中佐 十勝岳に立つ』

 

                       完