shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2021『星の巡礼 南奥駈け6泊7日老人奮闘記』①

2021『星の巡礼 南奥駈け6泊7日老人奮闘記』①

   <前鬼口~太古の辻~玉置辻>

 

いまから20年程前、隣人の大峰奥駈け山伏修行経験のあるご老人(先達)の是非との勧めで逆峯(ぎゃくぶ)に挑戦し、吉野より入峯、前鬼口に下山したことがある。

今回、わたしもご老人(先達)の年齢に達し、いまだ約束が果たされていない前鬼口より熊野本宮大社への南奥駈けへ出かけてきた。

 

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        熊野本宮に到着し、大峰奥駈け道踏破を報告する

                              (写真同行のアオハル会メンバーと共に)

 

 ■《 南奥駈け 第1日目 前鬼口から深仙小屋に向かう― 老人11時間コース 》

         5月24日 移動日

           5月25日 南奥駈け第1日目

      

 

第一日目は、前日の近鉄<大和上七駅>から1日1本の奈良交通のバスで夕方6時近くに<前鬼口>バス停に移動し、バス停近くの屋根付きの休憩用の長ベンチで露営。 

ここが、第1日目の南奥駈けスタート地点である。

バス停前の廃業された<かどや>の黄色く塗られた建物が、往時の奥駈け道の賑やかさを偲ぶようにその姿をのこしていた。

わたしも前回の大峰奥駈け<吉野~太古の辻~前鬼口>以来、20年ぶりの再訪である。

 

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   20年ぶりの再訪、前鬼口バス停前にある<かどや>と道路標示<大峯奥駈道>前鬼登山口

 

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           前鬼口バス停前にある長ベンチで露営 05:00スタート

 

朝まで降っていた強い雨も止み、近くのダム湖(前鬼川)も緑を映してスタートを祝ってくれているようである。

今日は、前鬼の小仲坊で昼食をとり、沢から引かれた水を給水したあと、一気に南奥駈けの入口である<太古の辻>に向かって急登する。 そのあと、大日岳をトラバース(山腹を巻く)して、深仙小屋で泊まることにした。

最大重量の15kgを背負っての前鬼口より小仲坊を経由し、太古の辻に至る急登は、今回の南奥駈けの中で一番の高度差(1116m)があり、 縦走初日に老人の体力を奪う難関の一つである。

 

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 朝方までの雨で水量が豊富である       前鬼川(ダム湖)沿いに咲く山ツツジが美しい

 

鬼口バス停から林道車止めを経て、前鬼小仲坊まではなだらかな舗装道が続くが、登山靴では少し歩きづらい。

途中、ダム湖を右手にみながらいくつかのトンネルを抜け、七重滝を過ぎると、登山届ボックスのある林道車止め広場に着く。

 

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              前鬼七重滝を右手にみながら進む 

 

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     林道車止め(ゲート)に登山届ボックスがある 07:50通過   <登山届投函>

 

なお、林道を進むと、立派な小仲坊の宿坊が見えてくる。 宿泊予約は、土日に限られているようである。

この日は、火曜日であり、管理人はおられず無人の前鬼小仲坊である。 

静かなたたずまいだが、古い歴史の中、長年奥駈け修験道を守っておられるのである。

頭がさがる思いである。

 

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     前鬼<第29靡ーなびき> 小仲坊の宿坊とその前にある公衆電話 08:45通過

 

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          給水する ― 沢水を引くホースと貯水タンク(水場)

 

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           水洗便所を利用したら志納箱へ使用代を忘れずに

 

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         登山標識に従って宿泊所前の登山道(階段)を上がっていく

 

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         五鬼熊行者坊住居跡の標識を左に進む(右の階段を上がらずに)

          (道迷い注意)奥駈道標識がないので注意

 

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       自然と涸沢の複雑な登山道に入って行く(必ず標識をチェックすること)

 

真っ白い岩が立ちはだかる涸れ沢歩きと、延々と続く階段はこのルートの疲労度を高めているようである。それに意外と標識を見つけにくいので、道迷いに注意である。

 

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         涸沢の白い岩を越えていく、意外と荒れているので歩きにくい

 

 

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                            標識<登山道・釈迦岳・弥山⇔前鬼>を確認し、従う

 

 

<道迷い注意>

ただ太古の辻直前の涸沢で、修験・第34靡(なびき)<千手岳>へ導く、目立つリボン標識(白リボンの上に赤リボンを二重に巻いた3個の標識)に惑わされないこと。

もし間違って千手岳ルートに入っても、足跡やリボン標識が消えた時点で、元の涸沢に引き返すことである。 反対側にあるクサリの付いた登山路に入り、最期の階段を登りきると太古の辻に出る。

 

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<道迷い注意>写真右の目立つリボン標識は、修験者の往来する<千手岳 第34靡>への入口を示し

                         ている 10;25通過 (写真右下に 千手岳への標識が見て取れる)

 

階段を登りきり、二つ岩を経て、笹漕ぎをすると南奥駈道の入口<太古の辻>に出る。

 

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                                             最期の階段を登りきる

 

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                                                  二つ岩<第33靡>に迎えられる 12:30通過

 

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                                   階段を上り切り、笹を漕ぐと南奥駈道入口<太古の辻>に出る

 

 

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      <太古の辻>尾根道にある南奥駈道入口と前鬼下山口 14:00/14:30 休憩

                             前鬼小仲坊からの急登は老体にこたえた

 

<強風に咆哮する深仙避難小屋 ― 深仙の宿>

最初の夜は、深仙避難小屋泊である。

太古の辻より、大日岳を巻き(トラバース)し、少し北に向かったところの鞍部にある。

20年前、前鬼口に下りる前に最期の水を補給した懐かしい水場である。

当時、600mlペットボトルを一杯にするのに、45分程かかったことを鮮明に覚えている。 貴重な一滴水であり天名水であった。

大日岳を巻くと、鞍部にある深仙の宿には、手前(南側)に非難小屋があり、奥に潅頂堂(指導者の位を授ける儀式が行われるお堂)が目に飛び込んでくる。 その背後には巨大な四天石が屏風絵山水画のようにそそり立っている。

そしてその背後に釈迦岳が、遠くには大台ケ原山を中心として台高山脈が貴婦人のように横たわって、柔らかい峰々の豊かな曲線を現わしている。

 

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     大日岳<第35靡>の山腹を巻き今夜の山小屋/深仙の宿(避難小屋)に向かう

 

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            大日岳の巻道を下ってくると眼下に深仙避難小屋と

               潅頂堂が迎えてくれる 16:00到着

           (背後に四天石、さらに釈迦岳1799mがそびえる)

 

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     童話の世界を演出するキュートな深仙非難小屋とフォークの木が迎えてくれた

 

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          深仙非難小屋の中には味のある囲炉裏が待っていてくれた

 

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              深仙の宿から眺める神々が住む大台ケ原の峰々

 

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 深仙宿 <第38靡―なびき> 潅頂堂前に美しいシルエットを見せるテントと背後の四天石

 

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              潅頂堂前の広場から200m先にある貴重な水場

             四天石の巌から染み出す香精水

   香精水(天命水とも呼びたい)は、修験者や奥駈け者の命を潤してくれる命の水である

 

深仙の宿に着いてみると、午後4時ごろであったがすでに2張のテントが潅頂堂前に美しいシルエットを見せていた。 ティピー型テントの青年は、あと二日かけて熊野本宮を目指すとのこと、健脚である。 バーナーで夕食を作りながらその意気込みを語ってくれた。 もう一つの橙色のモンベルの一人用テントは、吉野を目指す中年の男性である。

 

こちらも前鬼口からの長い登りを上がってきただけに、老体が疲労で溶け入りそうである。 力を振り絞り、避難小屋の一角にわがテリトリーを設け、就寝の準備にとりかかった。

懐かしい水場も訪ね、20年ぶりの再会を喜び、巌から染み出る香精水と言われる天名水をわけてもらった。 ここも<新宮山彦ぐるーぷ>による心優しい水汲み場が出来ており、大きな受け鍋は満水状態で迎えてくれた。

 

鞍部にある深仙の宿からみる夕暮れの山並みは絶景である。 

 

夕暮れのひと時を楽しんでいると、釈迦岳方面から真赤なヤッケに身を包んだご婦人が単独で小屋に向かって下りてこられた。

老人がひとりすでに小屋泊を決めていることを知って、テント泊から小屋泊に決めたと、笑いながら屈託なくおっしゃる。 「これで安心だわ」と、もし小屋が無人ならば危険回避のためテントを張るつもりだったようである。 

栃木から来られた中年のご婦人で、単独山行それもロングトレイルの奥駈けを楽しんでおられるようである。 山小屋のルールも熟知され、固形アルコール・バーナーで湯を沸かしレトルト食品での夕食を手際よくかき込み、明日は前鬼口へ下山するとのことで、寝袋直行である。 

爽やかな山女である。

 

ただこの夜は、深仙の宿が風の通り道の鞍部にあって、一晩中強風が吹き荒れ、すさまじいまでの咆哮に浅い眠りになってしまった。 

このことが、先々の睡眠不足による歩行中の居眠りにつながってしまい、午後2時ごろにはリュックを降ろし、ツエルト(簡易テント)を張って、早々と寝袋に潜り込む習慣になってしまった。

 しかし、この習慣ががかえって老人による南奥駈け踏破成功の要因になったのだから、人生は何が良くて何が悪いか分からないものである。

 

 

■《南奥駈け 2日目 深仙避難小屋より持経小屋へ向かう  老人8時間コース》

  5月26日 南奥駈け2日目

 

玉置神社に向かう青年が、早朝3時半、強風の中テントを撤収し、ヘッドランプをたよりに南奥駈けに向けて出発する姿が非難小屋の窓から確認できた。

こちらも水場で香精水(天名水)を給水し、大台ケ原の峰々に上がる天地創造の朝陽を拝し、今日一日の無事を祈って、念願の南奥駈けへと向けて出発した。

 

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            大台ケ原の峰々に上がる天地創造の日ノ出

 

    《 静寂なる 聴き耳たてし こころ内 奥駈け厳し 熊野の峰や 》 實久

       ―しじまなる  ききみみたてし こころうち 

                     おくかけきびし くまののみねやー

 

太古の辻に戻った。

この先、南奥駈道は私にとって未知の世界である。

一歩踏み出して、白ヤシロの純白のたわわなに咲き誇る花に迎えられた。

先を急ぐと今度は真赤な石楠花のプロムナードが続き、天空の園に迷い込んだよう

である。

 

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                 大日岳を巻いて太古の辻に向かう

 

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    <太古の辻> 未知の世界であり、恐れ多い南奥駈道にこれより分け入る 06:00スタート

 

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            一面の<白ヤシロ>の花は緊張感をほぐしてくれる

 

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  蘇獏岳ーそばくさたけー<第32靡>標高1521mより大日岳越しに釈迦岳を眺める 06:30通過

 

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                                           石楠花岳前後は、花盛りの石楠花のプロムナードが続く

 

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                     石楠花岳1472mの山頂 07:00通過

 

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               これから向かう熊野の峰々が神秘的に霞む

 

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    <天狗山1536m> 南奥駈けの安心安全のシンボルである<新宮山彦グループ>設置の標識

                    天狗山  08:20通過

 

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                  嫁越峠1351m 09:40通過

 

「嫁越峠は、昔大峰山全山が女人禁制のころ、十津川村から北山村へ嫁ぐ花嫁のために、人の通る幅3尺だけ女性の通行が許された場所と言われている」(新宮山彦ぐるーぷ記)

地図に出ている嫁越峠から前鬼へ下るルートをエスケープルートとして挙げていたので、下山口を探してみたが見当たらなかったことを記録しておきたい。

 

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                                              奥守岳<第27靡―なびき>1476m 09:00通過

 

 

 天狗の稽古場という背の低い笹が一面に生える高原というか草原にでた。 倒木が格好の休憩場所を提供してくれている。 歩いてきた天狗岳方面を眺めながら一服である。 

行動食であるチョコ・干しブドウ・ビスケット・マヨネーズを放り込み、水を含んだ。

幸せな時が流れる。 

風に戯れ、雲間から漏れ出る陽光をさんさんと受けている。 

小鳥たちも老人の周りに集まりおしゃべりに忙しい。

この辺りは電波が届くと云ことである。 さっそく、休憩を利用して明日は大雨の予報なので持経小屋に停滞・連泊することをラインで送信する。

 

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                                天狗の稽古場 1443m 10:10/10:30 休憩 

 

 

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                                               地蔵岳/子守岳<第26靡>1464m  11:10  通過

 

老体を引きずって修験の道を歩きだしたということは、今回をもって長年のロングトレイや登山という山の学校を卒業するときがきたことを示している。 この南奥駈けでは、安らぎある時を持ち、神仏と共にゆっくりと大地を踏みしめながら歩きたく思っている。 命あるすべてのものに感謝しながら・・・

この世に生を受けて80年、物心ついてボーイスカウト運動に出会い、自然や野山とかかわる生活が始まり、神秘のベールに包まれた山に限りなく魅了され続けてきた。

 

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                     般若岳<第25靡>1328mより 涅槃岳の前方に広がる熊野の峰々を眺める

 

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                                                         <滝川の辻> 標高1317m 11:35通過

 

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                乾光門<第23靡> 標高1317m 

 

 

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              涅槃岳<第24靡>標高1376m 13:30通過

 

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           奥駈道も時として優しい顔を見せーなだらかな尾根伝いを進む

 

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                   阿須迦利岳1251m 15:35通過

 

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         ロープに掴りながらエッジを歩き         鎖場を下りて持経小屋に向かう

  

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                                    下っていくと鞍部に<持経小屋>の屋根が見えてくる

 

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持経宿<第22靡>小屋 2連泊お世話になる16:00到着       持経小屋は水場に向かう林道に接する

 

<持経小屋に体を休める ― 連泊>

長期天気予報により、5月27日が大雨による大荒れな天気になることを知っていたので、計画通り<新宮山彦ぐるーぷ>の皆さんのお力添えにより運営管理されている素晴らしい山小屋<持経小屋>に連泊させてもらうことにした。

 

大好きな囲炉裏で火を焚き、煙に咽びながら人里離れ、ただ一人残り火を眺める幸せを味わった。

翌朝11時、大雨のなか、吉野に向かう順峯でも、熊野に向かう逆峯でも早い人ではそろそろここ持経小屋に到着又は通過する頃である。 囲炉裏に薪を足し、冷えた体を温めてもらいたいと部屋を暖めて待つことにした。 

大雨に体を冷やし、一心不乱に次の目的地に向かう人もあろうし、雨を避け同宿する人もいるかも知れない。また雨に濡れた体を温めたいと暖を求める人がいるかもしれない。

まずは、客人を迎える準備を始めた。

絨毯に散乱している枯葉の屑を掃き集め、囲炉裏の周囲に座布団を敷き、火を起こし、朝から集めておいた雨水を入れた薬缶を沸騰させ、手折った一枝を瓶に差しいれて心静かに客人の来訪を待った。

誰一人立寄ってもらえなくても、心地よいひと時をと、維持管理に努めてこられた<新宮山彦ぐるーぷ>の皆さんの気持ちが伝わるようにと一日主(あるじ)のこの老人は考えたのである。

しかし湿った薪からでる煙は容赦なく涙を誘い、涙目をこすりながらお接待の準備をしているということが、この奥駈けでの一番の教えではないのだろうかとふと考えさせられた。

と同時に、かかる素晴らしい魂を癒す小屋を多くの人々に提供し続けられている<新宮山彦ぐるーぷ>のお一人お一人の心意気が伝わってきて、ただただ感謝の気持ちで一杯にさせられた。

 

雨垂れの響くなか、一句詠んでみた・・・

 

《 霞み立つ雨 矢の如く落ち来たり 弧庵の屋根を 叩きて止まぬ 》 實久

  -かすみたつあめ 矢のごとく 落ちきたり

                         こあんのやねを たたきてやまぬ― 

 

《 囲炉裏火に 心躍りし なみだ目や 幽玄知りし 奥駈けの宿 》  實久

  -いろりびに こころおどりし なみだめや

                         ゆうげんしりし おくかけのやど―

 

《 静寂なる 聴き耳たてし こころ内  奥駈け厳し 熊野の峰や 》   實久

  ―しじまなる ききみみたてし こころうち 

                                                               おくかけきびし くまののみねやー

 

 

 

<持経小屋にて 雨を楽しむ> 

長期予報通りに豪雨である。 窓から眺める緑の樹々がシャワーを浴び生きいきと背伸びをしている。

一幅の写実的な窓画が、壁一面に埋め込まれ、躍動し、深呼吸をしている。

今回の南奥駈けのスタート地点、前鬼口からの林道トレッキング、前鬼・小仲坊からの急なる涸沢と階段の連続に体はすでに疲れ切っている。

雨降る樹林の窓画は、疲れた老人のこころを癒してくれた。

 今日一日、雨宿りをしながら体力を回復させ、まだまだ続く南奥駈け縦走のための体力づくりにとここ持経小屋に連泊することにしている。 

老体の雨天行動時の疲労は、意外と厳しい。 

雨の中を縦走することは想定内であるが、休養をとっても食料等を勘案して、十分熊野本宮まで行きつけると判断した。

 

この時点では、まだゆとりある判断をしていたが、行仙小屋以降、老体からくる一日の行動に制約がくわえられるとは考えもしていなかったのである。

1日の行動は、朝3時に起床し、パッキング後、夜の明けかける5時に露営地を出発するのだが、老体の体内時計は午後2時ごろになると睡魔が襲い来るうえに、足が前に進まないことが分かった。

行仙小屋からは基本的なコース・タイムの半分しか消化できないことに気づかされたのである。

 老体には、日毎に想像を超えた疲労が蓄積されていくことになる。

 食料や行動食、それに非常食の再配分を考え、行動日の2日延長を決めることにした。

4泊5日を6泊7日にと最終的に2日延長することになる。 不思議なことに老体は、疲労度に合わせて体の方が適量の食事を受け付けなくなることである。 

多分、疲労からくる少食は、精神力の衰えや、縦走踏破という重圧からも起因しているのではないかと考えられる。

 

<ただ独りの贅沢な山小屋滞在>

鬼口より深仙小屋を経て、この持経小屋にいたる2日間、深仙小屋での同宿者以外、南奥駈けでは対向者にも追抜者にも出会うことがなかった。 わたしはいまただ独り南奥駈道を独り占めにしているのである。 それも持経小屋を一棟丸ごと借り上げているのである。

なんと贅沢なことか。

太古の山に息づくナラやブナの大樹から落ち来る大粒の雨垂れが、山小屋のハット(屋根)を叩いて響く雨滴音となって、囲炉裏に燃える薪の炎を踊らせているさまは、まさに幽玄の世界である。

 

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         持経小屋にかかる幽玄なる窓画<雨煙る森の妖精たち>

 

まるで仙人となって雨に煙る山に溶けいるおのれの老体を見ているようである。

森林劇場での独り芝居、一人観客に酔って、過ぎゆく時間を囲炉裏の残り火を楽しみながら、じっくりと味わった。

 

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               囲炉裏の火踊りに合わせ心も揺れる

 

ここ持経小屋には、一枚の額が掛かっている・・・

 

《心静如太古》心静かなること太古の如し

 

五言律詩『醉眠』

唐庚(とうこう・北宋1070~1120)

 

山静似太古 (やましずかなること たいこににたり)

日長如小年 (ひはながくして しょうねんのごとし)

餘花猶可酔 (よか なおようべし)

好鳥不妨眠 (こうちょうも みんをさまたげず)

世味門常掩 (よみには もんつねにおおい)

時光簟已便 (じこう てんすでにべんなり)

夢中頻得句 (むちゅう しきりにくをえたり)

拈筆又忘筌 (ふでをとれば またうけをわする)

 

山は静まりかえって、大昔のようだ

一日は、一年に感じられるほどに長い

散り残った花は、なお酒の相手によく

鳥のよい鳴き声も、眠りを妨げることもない

門を閉ざし、世事とは関わらず

竹のむしろが心地よい季節である

夢の中で、頻りに詩句が浮かんだが

筆を執ってみると、すっかり忘れている

 

山中に閑居して悠々自適に過ごす情景であり、一切のこだわりを捨て、世俗を離れ、悟りを開いたことすらも忘れ去ったと詠っている。 わたしの今の心境を詠ってもいる、心地よい響きである。

 まさに今ここに在る情景を静かなる心境で謳いあげている。

何度も口ずさみ、詩吟としてこの静寂の中で高らかに吟じてみた。

 

 朝食もまたいい。 残った菓子パン<ミニスナック・ゴールド>をコッフェルに千切って投げ入れ、干しブドウとチーズ、チョコレート、マヨネーズと水を加え、煮込むと風味豊かな栄養満点のフランス風朝食が出来上がった。

仙人らしからない朝食だが、険しい南奥駈けの行場のような鎖場をこなすには必要な食事である。

燃え木の芳香、いや煙に咽びながら食するのもまた野生的であり、原始的である。

 

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持参した薪でも使えるチタン火起し台            フランス風残り物朝食

 

強い雨は、大自然の音をひときわ際立たせる。 

雨脚の強弱に加え、音間隔にもリズムがあり、寝袋にくるまって大自然による交響楽演奏の旋律を味わっている。

樹間に見える薄暗い光でさえ、神の監督する一瞬の照明である。

命ある一つのこころが、この刹那の至福を口ずさむとき、わたしも又、自然という大劇場に配置された小道具にしか見えないものである。

なんと素晴らしい大宇宙の演出なのであろうか。

いまここに、すべてが大自然の営みの中に埋没し、一つに溶け合って姿を消すとき、その存在は現世を離れ、異次元を彷徨するのである。

わたしも又、異次元を浮遊し、彷徨ている気持ちにさせられた。

 

 大雨で、持経小屋近くの水場のある林道の崖からは数か所より鉄砲水が噴き出しており、水汲みは危険である。

新宮山彦グループの皆さんが汲み置いてくれている5月3日付(3週間前)の10Lポリタンクが残されていた。使わせていただくことにして、薬缶に移して湯沸かしをした。 

注意書きにもあったが古い日付の取り置き水は煮沸することが肝要である。

 昨夜から降り続いている雨は、正午近くになってもさらに激しく降り続いており、雨雲の真っただ中にあるようだ。

気圧計をみると898HP(ヘクトパスカル)を示し、グラフは降下から水平、すなわちこれより気圧(天候)の回復が見込まれることを示している。たぶん夕方までには雨雲から抜け出すことを物語っているようだ。

 持経小屋はまだまだ南奥駈けの入口に過ぎず、ゴールの熊野本宮神宮はまだまだ先である。まずは食糧計画の修正にとりかかり、今の食料でもゴールまで持たせることは可能であると出たことは先ほども述べた。

あとはここから玉置神社までの水(3~4L)を背負わなければならない。 こちらの方が、体力的に困難さを感じさせた。

 囲炉裏の煙に咽び、雨上がりの後の強風の雄叫びに怯えながらペンを走らせたている。

この大自然の中でただ独り囲炉裏の残り火をながめる幸せを、想っても叶えられない多くの山男たちに代わって享受したい。

 

一歩でも、無心になってゴールの熊野本宮に近づきたい。 

今はただそれだけが願いである。

 

 この大自然たる大峰奥駈道に入峯し、その険しさに接し、おのれの小ささと無力さに気づかされるとともに、自然の中に住することは、偉大な力によって守られ、導かれていることであることを知らされる。

たとえ気づきが無くても、この大峰奥駈道を歩くすべての者の命に対し、平等に守りの力が働いているということを実感するのである。

 

<ストック修理と修繕>

昨日、証誠無漏岳にかけらえた鎖場を下る時、危険を回避するため、ストック2本を先に着地付近に落としたが、1本がヘッドの方から岩に激突し、グリップが吹き飛んで破損したのである。 ヘッドから延びるグリップ紐も失われストックとしての体をなさなくなった。 

老体を支える絶対的必需品であるストックの破損は、ロングトレイルでは致命傷になりかねない。

今日は、雨宿りの山小屋で失われたヘッドと紐を復元修理することにした。

マット用ゴムバンドをガムテープでグリップに固定して紐とし、ヘッドはガムテープ巻き付けて復元、当面の四輪駆動歩行に支障をきたすことのないようにした。

結果は、ゴールである熊野本宮まで持ちこたえ、そろって無事帰宅できたことを喜んでいる。

またこの事故による教訓として、かかる鎖場では、今後必ずストックはリュックに収納し、身から離さないことにした。

 

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                                               囲炉裏の横でストックの修理・復元作業

 

 

<なにかお役に立ちたい>

持経小屋に連泊することになり、自身の山行で初めての連泊を経験することになった。

このゆとりある機会にできる範囲のボランティアに励んでみることにした。

囲炉裏とその周辺の清掃と整理整頓

床の掃き掃除と敷布のゴミ拾い

古い汲み置き水の煮沸 (煮沸後、日時を書きおく)

手洗い水の追加(雨水)

水場からの給補水(2Lペットボトル)

その他、新宮山彦ぐるーぷの皆さんの管理が行き届いており、お手伝いすることはほとんどないと言ってよかったが、少しでもお手伝いできたらと実行することにした。

 

<持経小屋の水場紹介>

5月27日 4:00pm 雨が小降りになって、強風が吹き始めた。 

『天地自然の目や耳を相手に真実に生きようとする心構えは大切といえる』

一日中降った大雨の後、強風が吹き、樹木の雨滴を振るい落としている。 樹木の枝や葉は、その都度その按配に身を任せ、風と一体となり何事もなかったように、爽やかな笑顔だけを覗かせている。

雨を恨み停滞を良しとしない己の小ささ、自然の中にいながら自然になりきれない己の煩悩に気恥ずかしさを感じさせられる。

それ雨や、それ風やと処しないと前に進めない己の弱さ、自然に溶け込めない高齢たる己の修行の足りなさを痛感させられるのである。

一方、大地に足を付け、根を張ってただただ直立している樹々の方が、科学文明に犯された動く人間よりも精神的にも打ち克っていることに気づかされる。

 

夕方になって、丸一日降り続いた雨が止んだ。

持経小屋横の林道を約400m下っていくと、左手に二つの滝が交わる水場に出る。雨後の水量の豊富さと、その勢いに圧倒された。 この水場が、南奥駈道における水補給の重要な拠点である。

これまた、<新宮山彦ぐるーぷ>の皆さんにより給水施設がもうけられ、危険を冒さなくても済むように配慮されている。 その心遣いに感謝した。

 

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          小屋前にある水場へ400mの標示           水場の滝と給水施設

 

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             持経宿周辺案内図 (新宮山彦ぐるーぷ作成)

 

<持経小屋を去るにあたって>

無人小屋の戸締り確認 ― 戸や窓などからの風雨の浸入を防ぐ

・囲炉裏残り火の完全消火の確認 ― 灰の中の残り火は意外と寿命が長いので注意

・後片付け・清掃 ― 来た時よりもきれいに!

・感謝 ― 備付けノートに記帳・小屋利用に対する志納(2000円以上)・

      電灯/チャージ代金の納入

・次なる滞在者への配慮 ― 薬缶に白湯を作りおく(囲炉裏使用時/伝言板

      日時記入)・出来る範囲の水汲み

      (今回は2Lボトル1本分/伝言板に日時記入)

 

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               メルヘンの世界を演出してくれた囲炉裏

 

 

 

<南奥駈けを歩くにあたって ー 老人の体力づくり>

南奥駈け約60㎞を踏破するには、老人にとって体力と筋力が求められる。

ロングトレイル踏破経験を多く積んできたつもりだが、南奥駈けにおける道中での食料や水のデポ(残置補給)が不可能である。

すべてをリュックに詰めて背負って歩くことになる。

通常のロングトレイルでのリュック総重量9~10kgに対し、南奥駈けでは平均総重量が13~15㎏となる。

特に食料と水の占める割合が大きい。 老人の肩、腰、膝、脚にかかる重量は、奥駈け成功のカギを握ることになる。

奥駈け踏破計画は、80歳記念として決めていたので、体力づくりには力を入れてきた。

特にアップダウンの繰り返しの多い南奥駈けトレーニングとして、脚を鍛えるためスクワットとつま先立ち、階段や坂道の上り下りに力を入れ、日課に入れて繰り返した。

更に体感を安定させ、重いリュックを背負えるように、スカウト仲間より贈られたパーソナル・ジムで筋力づくりに励んだ。 さらにリュックを担ぎあげる瞬発力向上のため腕立て伏せによる筋力アップに努めた。

 しかし、南奥駈け中、老化による膝の痛みや、筋力低下による筋の断裂、マメが潰れての歩行困難という心配事がつきまとったものである。 更に、水を含めた最大重量である15kgのリュックを担いで、この老体が全行程(当初の5日)を歩き切れるかという不安がたえず襲ってきたものである。

 奥掛け実行の日が近づくにしたがって、階段の上り下り、雨の日などの室内の10000万歩きでは、階段が壊れ床が落ちるからやめて欲しいと苦情を言われるほど徘徊して回り、体力づくりに邁進した。

 結果、体力がつき、食事が進み、体重も70kg近くになってしまい、リュックを担ぐと85kg近くの総重量が肩腰足にかかることになり、あわてて減量に苦心したものである。

 出発の1か月前から、15㎏のリュックを担いで裏山である比良山麓でアップ&ダウンを繰り返し、重さに体を慣らす訓練も実施した。

だが、その重さを実感すればするほど、この歳で行くべきでないとの内なる声が聴こえてくるのである。

万一の場合、命を落とし人様に多大の迷惑をかけるからやめろとの声も加わるのである。

 もう一方の私は、老体にあった歩き方に徹し、日程を決めずにあるがままに歩き、疲れる前にツエルト(簡易テント)に潜り込めば奥掛け踏破を成し遂げることが出来る、と確信していた。

最後まで迷いに迷ったが、気合と共に飛び出した。 

そしてすべての準備に自信があったことと、行程表の時間に縛られることなくリラックスしたチャレンジが、かえって楽しい奥駈けとなって、ゴールの熊野本宮に到達できるという確信に満ちていた。

 鍛えた体が、この南奥駈けでアルファー米、チキンラーメン、ビスケットなどの超軽量食料だけで15kgの重量リュックを担いで歩いたのだから驚きであり、感謝である。

 

 

<パイプフレームの威力>

実際に歩いてみて、リュックの構造が体に与えるダメージを軽減することを知った。

今回のロングトレイル・奥駈けにはUSA1989年製<CAMP & TRAILS>社のパイプフレーム・バックパック40~60Lを使用した。

パイプフレームは重心を上げ、ヒマラヤの荷揚げシェルパ―が使用し、体力消耗を防ぎ、より重量物を担げるように設計されている。

パイプフレームは、肩・腰・額の三点分散によりさらに重力を開放できる利点がある。 額を使う方法はネパールの多くのシェルパ―が利用しており、参考に取り入れてみた。

 

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                      パイプフレームの背中側            額による重力軽減の訓練

 

 

■ <南奥駈け 第3日目 持経小屋より行仙宿小屋へ向かう 老人8Hコース>

        5月28日  豪雨荒天 停滞待機 持経小屋連泊

         5月29日  南奥掛け 3日目

  

 

雨で停滞・連泊した日は、行程消化日として数えないことにした。

南奥駈けを実際に歩いた日だけを行程日数として数えることにする。

 

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          2晩お世話になった持経小屋を後にする 05:00 3日目スタート

 

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           三叉路右折してすぐ左手より林道を離れ南奥駈道に入る  

 

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           三叉路を右折すると、すぐ左手より南奥駈道に入る

 

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    伝法輪岳(左)と倶利伽羅岳(右)間に、本日の目的地である行仙岳1226mが見える

 

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            楢ノ巨木に歓迎されて(平治の宿手前の森)

 

3日目に入ったら、老体は疲労気味なのか歩行速度が鈍り、上りごとに休憩が増えてきた。

 

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          中又尾根分岐1186m 06:15通過        平治宿<第21靡> 06:40/07:05 休憩

                      <新宮山彦ぐるーぷ>管理

 

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               整理整頓されている平治小屋内部       平治小屋の向かいの沢側(西)に水場有(5分)

 

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           轉法輪岳1281m 08:00/08:15 休憩        倶利伽羅岳 1252m 09:15/09:45 休憩

 

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    原始の森の雰囲気を醸す南奥駈道        怒田宿<第20靡> 11:40/12:00 休憩

                            直下に白谷トンネルが通る(R425)

 

<下痢について>

行仙岳山頂を目指し、急登していたとき、無意識のうちに何かが漏れた。

前兆として腹に痛みが一瞬走ったが、気にせず急登に挑戦し続けていたのである。

しかし、漏れはコントロールされることなくすでに下着を汚していた。

それ以上の悲惨さから抜け出すために、斜面に踏ん張りながら下半身を太陽にさらし、大自然の協力を得て処分・処置にとりかかり、下痢状態から抜け出すことに成功した。

 

実は、生水による細菌性下痢症状は、海外で豊富な経験を積んでいたのである。

メキシコのユカタン半島メリダでは、コカ・コーラに入っていた氷から最悪の下痢症状、その後の旅行継続が不能に陥ったほどであった。 

また、ネパールでのゴレパニ・トレッキング中にも歯磨きに使った数滴の水から細菌性下痢に見舞われている。 

最近ではマダガスカル島でのバス移動中にゲリラ的下痢に襲われ、バスをストップさせ民家のトイレに飛び込んでいる。 乗客の皆さんは、みな笑顔に、あきらめ顔で待ってくれていたものである。

世界中至る所で下痢旅行やトレッキングを続けてきたのであるから、突発性下痢には絶対的自信があるから心強かった。

このような時は、間髪入れずに携帯している薬を口に放り込むことである。 海外での場合は主治医に処方してもらった抗生物質を使用するが、国内では市販薬<ストッパー>と<正露丸>を救急用品袋の中に入れ、必ず携行している。

 

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                                          薬袋には持病薬・栄養剤・下痢止めなどを入れ歩いている

 

特に、南奥駈けの給水は、水場の少なさから携行日数が長くなること、各小屋の置き水や雨水を利用させてもらう機会が多いことがあげられる。 各小屋の置き水にはかならず集水日が記入されているので、3日以上たった置き水や雨水を利用させてもらう場合は、念のため煮沸して使用すべきである。 

水に難儀する奥駈け縦走中の者にとっては、置き水の有難さは、まるで救い主に出会った心境ではある。 しかし、置き水利用の場合は、自己責任であることを各小屋にも表示されていることを肝に銘じるべきである。

 

わたしも置き水を利用させてもらっている一人であり、煮沸をしたつもりだが十分な殺菌には至っていなかったのであろう。 この後も、玉置神社の社務所前の沢水や、最終露営地である<六道の辻/金剛多和>近くの沢水は、煮沸することなく美味しい生水をいただいた。 

日本の軟水は世界一美味しいのである、特に地下水である<深仙宿の香精水>などは、天命水と呼びミネラルウオーターとして有難く飲ませていただいている。

とにかく日本の水、特に沢水は美味しいのである。

日本の水に勝る水は世界中探してもないのである。

われわれひとり一人には、日本という美しい自然の環境を守る使命がある。

 

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       持経小屋の水場(2日目)            玉置神社社務所前の水場(5日目)

   

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     金剛多和近くの水場(6日目)                        とにかく日本の新鮮な沢水は美味しいのである

 

では、続けて行仙宿山小屋に向かうことにする。

 

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                            行仙岳に向かう途中下北山村方面の美しい谷と峰々を望む

 

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                      行仙岳<第19靡>標高1227m 細菌性下痢に苦しみながら到達した 12:20登頂

 

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          三叉路分岐 (⇑行仙岳 ⇓行仙小屋 ⇑国道425)12:45

          国道425への大事なエスケープルートの下山口でもある 

 

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            三叉路を下っていくと行仙宿山小屋が見えてきた

 

<3日目の山小屋泊は、行仙宿山小屋である>

行仙宿山小屋は、南奥駈道と浦向道の合流する分岐<佐田の辻>にある。

また行仙宿山小屋には、<新宮山彦ぐるーぷ>の管理棟があり、現地本部的な役割を果たしている。もちろん水場も、南側の谷を10分下ったところにある。

 

エスケープを考えた時もあった>

ここ行仙小屋で、老人は途中棄権と下山誘惑にかられた。 

それもこれ以上進むと2日間水無しのコースであり、エスケープするルートが無いという極限のところである。

随分とこころが揺れた。

行仙小屋の整備と物資や置き水・薪補充に来られていた管理者である「新宮山彦ぐるーぷ」の皆さん4人と出会ったときである。

リーダーの方から、老人としてこの先の奥駈けで注意しなければならない箇所、鎖場やガレ場、水場などをうかがっている時である。

リーダーの最後の言葉、『80歳とお聞きしましたがご無理なされない方がいいですよ。もしよければ林道に車を止めていますから、ご一緒に下山し、お送りしますよ』と言っていただいた。

 わたしが逆の立場であっても同じ言葉を相手に発したことであろう。

老体を引きずって奥駈けを歩くということは、それなりの理由と覚悟があってのことであることは彼にもわかっていただけに、理解者としての愛情あふれる言葉をかけていただいたのである。

 考えた末に伝えた言葉は、『お誘いのお言葉に深く感謝します。やはりこれから先二度とこれないと思うと、今を大切にして先へ一歩を進めたいと思います』 と。

ご高齢でもあるリーダーは、『では、まず鎖場のある地蔵岳を越えておかねばなりませんね。 重たい荷物はロープで先に降ろすこともできますよ。 垂直の鎖場は確実に足場を見つけて下りれば危険は回避できます』と。

ほかの会員の皆さんからもいろいろとアドバイスをいただいた。 

会員のご婦人にいたわりと感謝の言葉をお伝えしたところ 『楽しんでやっておりますのよ』 と小屋の周りの清掃や整備に汗しておられた。

そして、『ここに汲み置いた水がありますから、どうぞご自由にお使いください』 と水と戦う老人に優しい一言をかけていただいた。 感謝であった。

奥掛けを歩いた人は、一滴の水の大切さを身に染みて知っているからである。

 別れの時、リーダーの方が『われわれは、新宮山彦ぐるーぷの実働部隊の主力で、8人ほどでやっているのです』と、そして、最後に『若い人が少ないこのグループもわれわれの代で終わるかもしれません』 と寂しげに言われたことが印象に残った。

この素晴らしい<新宮山彦ぐるーぷ>の活動存続のため何かお手伝いすることはないかを考えていきたいと思う。

 

 行仙小屋には、すでに近隣の山岳老人会男女7人がおられ、リュックを置いて行仙岳登山に出かけておられた。

下山され、ストーブを囲んで焼肉パーティがあり、親睦を図られるとのことであった。

お話によると、年に数回1台の車に乗って、目的の山の近くまで行き、山に登ったあと、山小屋で一夜のパーティをして親睦を図っているとのお話であった。

 

こちらは、翌朝早く出立するので、焼肉をすこしよばれ、山の話をしてその場を離れることにした。

軒下で露営し、皆さんの親睦を邪魔しないように心掛けた。 山小屋での過ごし方にもいろいろあるものである。

修験の道である奥駈けで行を積み、疲れた体を休める小屋でもあることを思うといささか場違いなところに居合わせたようである。

それとも、すでにこの山岳老人会は予約をとっておられたのかもしれない。 予約なしの私こそ無礼であったかもしれないと反省している。

 

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   行仙宿山小屋 標高1110m 14:00到着                  行仙宿山小屋の ストーブ・囲炉裏エリア 

            

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<佐田の辻>南奥駈道と浦向道の分岐に建つ行仙行者堂      水場は南側谷を下りて10分

 

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                    行仙宿山小屋周辺広域図 <新宮山彦ぐるーぷ>製作

 

 

<南奥駈け 第4日目 行仙宿山小屋より香精山に向かう 老人9.5Hコース>

  5月29日 南奥駈け 4日目 

 

南奥駈けの4日目からゴールの熊野本宮までの間、ツエルト(簡易テント)による3日間の露営が始まる。

最後の二日間は、ツエルト泊に加えて、全量の水を背負うことになる。

もちろんここ行仙小屋から玉置神社までの二日間もまた同じく全量の水を背負うことに変わりはない。

いよいよ老人にとっての南奥駈け最難関の行場にとりかかるのである。

今まで以上に忘れていた若き血潮がたぎり、魂の昂揚を感じるのであるが、さて老体が精神についていけるかどうか怪しいものである。

成功かどうかは、南奥駈けの後半にあり、と言い聞かせて己に喝をいれた。

 

行仙小屋から、玉置神社まで通常なら1日行程である。

途中で一泊する南奥駈け者は、今までに一人もいないことは調べて分かっている。

かえって行仙小屋と玉置神社間でのツエルト泊を紹介しておきたいと思う。

 

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     東の空に光明が射し始めた、4日目04:45出発    4日目の最初の難関・笠捨山の急登が始まった

 

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            笠捨山巻道<電源巡視道>は無視して直進 05:10                    

 

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                 笠捨山 への途中、振り返った美しい峰々

 

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                             茶臼山1181m(中央)と笠捨山1353m(右端)眺めながら笠捨山頂に向かう

 

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               笠捨山<第18靡ーなびき>標高1353m                             笠捨山頂1353m  08:15登頂

 

<笠捨山の由来>

この山には、太古からの原始林があったそうで、あまりにも寂しい山越えに西行法師がを捨てて逃げたとか、修験者が越えてきた峰々に感激してを脱ぎ捨てたとか山名の由来には多々あるようである。

 

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                                   笠捨山標高1353m より、老人を待つ玉置山1077mを望む

 

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                                      地蔵岳手前の高圧電線下で行仙岳を振り返る 09:30/09:45 休憩

 

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         休憩で口にする行動食(ビスケ・チョコ・氷砂糖)の美味しいこと

 

 

<難所 槍ケ岳-地蔵岳 修験者の行場であるクサリ場を越える>

心して挑み、そして安寧-無事でこころ安らかな状態ーをえたい。

いよいよ地蔵岳の行場<クサリ場>に足入れである。

山に向かって一礼して入山した。

 

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                  槍ケ岳直前のクサリ場(上り)①        槍ケ岳<第17靡>1168m 10:15通過

 

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      地蔵岳への鎖場②(上り)                       地蔵岳への鎖場③(上り)  

 

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                           <迷い道>地蔵岳上りの途中迷い込むしっかりしたエッジ小径

               しっかりリボンや標識を確認すること

           確認できないときは最後のリボンまで引き返すこと

 

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  クサリ取付に貢献された方を偲んで           地蔵岳山頂までなお難所が続く

 

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  地蔵岳山頂 標高1250m 10:52登頂 ー  山頂前後の過酷なクサリ場での安全を見守る地蔵尊   

 

 

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                    地蔵岳下りクサリ場➀

             

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                   地蔵岳下りクサリ場②

 

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                    地蔵岳下りクサリ場③

        

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             地蔵岳下りクサリ場④ 11:15クサリ場終了

 

地蔵岳のクサリ場での緊張感から解放され、今夜の露営地<香精山>に向かう。

振り向いて、クサリ場を危険なく安全に越えさせてもらったことに感謝し、

山の神に一礼した。

 

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              石柱<地蔵岳参道>と左端に<水場 15分>の標識有

 

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                  尾根を進み香精山の露営地に向かう

 

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    菊ケ池<第15靡> 12:10通過          拝返し<第14靡> 12:13通過

 

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 修行中の山伏(修験者)一行を見送る 法螺貝が峰々に響き渡る様は荘厳であり、覚悟を誓っているようだ

 

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      檜之宿跡 12:30通過          香精山に建つ高圧鉄塔をくぐると山頂である

 

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              香精山<第13靡>標高1121m 12:40登頂 (三角点有)

 

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      ツエルト設営と同時に昼夕食準備                                    熊から食料を守る樹上保管法      

 

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 ツエルト(簡易テント/重量360g)で体を休める             汗したTシャツ/手袋/下着/靴下などの日干し

 

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            香精山露営地 南奥駈けに設営した今夜の仮の宿

 

 

<南奥駈け4日目露営地 香精山頂付近にて>

 いま、わたしは行仙小屋と玉置神社の中間点である香精山頂近くの露営地ツエルト(簡易テント)の中の寝袋に潜り込んで書いている。

老人にとっては、一日の行程とされる行仙―玉置間を歩き切れずに、中間点で露営することにあいなった。

この間、もちろん水場は無く、3.5Lの水を背負って玉置神社までの2日間を歩かなければならない。

しかしこの日、水に関して致命的な間違いを犯してしまった。

二日間水場なしの歩きであるため、水使用の食事は避け、行動食だけで乗り切る予定を立てていたのである。

ここ香精山露営地に着き、ツエルトを設営し終えた時、無意識の内にアルファー米をコッフェルに入れ、水を注ぎ、固形アルコールストーブの上に乗せてしまっていた。

この一瞬の行為で、大切な水約300mlを一気に昼夕食用に使ってしまったから大変である。

 

翌日、玉置神社に着いた時には600mlペットボトルに2口分の水しか残っていなかった。

縦走者としては完全な失敗を犯したのである。 緊急・遭難時の水の備えがなかったからである。

ただ救いであったことは、気付け般若湯<命の水>として持参していた300mlボトルに半分の液体が残されていたことである。

般若湯<命の水>の作り方 : ウイスキー3:高麗人参酒3:氷砂糖2:蜂蜜2 

 

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    玉置神宮までの中間点 香精山露営地で、水袋約1Lとボトル600ml ー1本が残っている

 

<奥駈けは、老人にとって水との二人三脚>

行仙小屋の手入れや置き水、薪補充をされた後、<新宮山彦ぐるーぷ>の皆さんが下山されるとき、リーダーの方からお声がかかった。

念を入れて「玉置神社までは水場がないので水袋やボトルを満タンにして持参してください」と言われた。

この区間は、鎖場や、急登り、急下りが多くある南奥駈けの中でも最難関区間である。 重量リュックからくる疲労を回避し、危険をできるだけ避けるため、リーダーが勧めてくれた4L以上の水携帯を守らず、最低の3.2Lに減らしたのである。

そのことをすっかり忘れていたのであるから、やはりボケ老人の欠陥、致命的なミスが出てしまったのである。

 途中、水場標識がいくつかあった事を思えば、体力のある年齢層には水不足は解決できるはずである。

老体に蓄積された疲労は、水場へ降りてまた登ってくる気力を失せさせていることである。

南奥駈けは、老人にとって体力と気力、いや精神力との戦いの連続と言ってもいい。

 その精神力との戦いをものともせず修行を続けられている若き山伏の一行とすれ違った。

法螺貝を吹き、息を乱さず、各靡(なびき)で修験する姿には、純なるものがある。

手を合わせ見送る己も又修験者の一人と思えば、水に悩んでいる己の軽率さが分かるというものである。

でも、水は大切である、こころしたい。

 

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                 持経小屋の水場で給水

 

この老人にとって、奥駈けは水との二人三脚と言って過言ではない。

リュックの重さは、水の量と正比例するからである。

言い換えると命の重さもまた水の重さと正比例すると云える。

「人生は旅であり、修行である」と古人はいう。

「重荷を背負う」ことから人生も、旅も、山登りも始まるのである。

 

 

大峰山75靡―なびきー自身の根源に還り修行する立寄り地をいう>

吉野・熊野間の大峯山中に祀られ、神仏が宿るとされた道沿いの拝所・行場を靡(なびき)と呼ばれる。

古くは宿と呼ばれ、120宿あったといわれているが、近世以降には、75の靡(なびき/宿)に減少したといわれる。

大峰奥駈修行は神変大菩薩の足跡を踏みしめながら自身の根源に還り修行するといわれ、その道中にある75靡(なびき) と呼ばれる霊場を巡り、碑伝(ひで)というお札を納め勤行祈念するという。

 大峰奥駈けの修行の一部である<前鬼~熊野本宮>間の29靡(なびき)の行場は、出来る限り写真で紹介している。

 

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             奥駈け修験道では、靡(なびき) と呼ばれる霊場を巡り、

                碑伝(ひで)というお札を納め勤行祈念する

 

 

<日程が遅れていることを連絡>

大雨による行程の遅延、老人性歩行の限界等による日程延長を自宅にいるパートナー知らせておく必要がある。

特に老体が無事であること、健康状態良好であること、日程延長に対しての食料は十分であることなどを伝えることにした。

これまた<新宮山彦ぐるーぷ>が作成されているイラストマップの電波情況に従って、スマホの電源をONにして、メールを打ち込み、電波のキャッチと共に自動的に送信できるようにセットした。

この南奥掛けにおけるスマホのバッテリチャージもまた<新宮山彦ぐるーぷ>のご厚意による各小屋に設置されたソーラーパネルによる充電設備により解決された。

感謝してもしきれないほどの感謝である。

 

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     各小屋に設置されている太陽光による電灯・充電システム <写真ー深仙宿>

                (設置者・新宮山彦ぐるーぷ)

 

 

■<南奥駈け 第5日目 香精山露営地より玉置神社に向かう 老人8時間コース>

  5月30日 南奥駈け 5日目

 

深夜、寝袋に潜り込み日記を書き綴っていると、急に暗闇の笹をかき分けて近づく音がある。

とっさに、樹上においたリュックの中の食料が狙われているのではないかと疑った。 まず防禦用として寝袋横に置いてあるストックを引き寄せた。 万一の時は戦い、追い払わなければならない。

獣の臭覚は鋭い。 味付きアルファー米やチキンラーメンの匂いは、風に乗って拡散され動物たちにその位置を知らしめるのである。 ツエルトやテント宿泊時には、寝所から少なくても100mは離れた樹の高い所に置くことにしている。 

しばらくすると、あの暗闇を引き裂くようなピーという鹿の鳴き声がした。 仲間に知らせ、呼び寄せる鳴き声であることが分かり、少しは気をゆるめた。 こちらもお世話になっていることを伝えるため、緊急非常用のスカウト・ホイッスルをピーと鳴らしてみた。

そのやり取りを繰り返すと、鹿と人間のコミュニケーションが成立したのか鹿たちも敵でないことが分かって闇に消えていった。

熊でなかったことに胸をなでおろし、熊野の奥駈けの闇の中におのれを沈め、朝を待った。

 今朝も、すべての出発の準備を終え、闇が光に溶け込んだあと玉置神社に向けて行動を開始した。

 

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       熊野の杉林に光がさす            玉置神社に向けての出発は万全である

 

大峯奥駈道/熊野修験 と 三井寺

南奥駈道を歩いていると<大峯奥駈道 三井寺>の標識を多く目にする。

滋賀県大津市長等にある天台宗総本山<三井寺>(長等山園城寺)の法印権大僧都増誉が寛治四年(1090)白河上皇の熊野御幸において先逹を務め、初代熊野三山検校職に補任され、白河に聖護院を創建して以来、三井寺は大峰奥駈修行を取り入れてきているという。

 

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                 <大峰奥駈道 三井寺>の標識

 

<南奥駈け と 新宮山彦ぐるーぷ>

現在の南奥駈道でその存在を確立しているのが、奥駈道をボランティアで維持管理され、標識設置等により奥駈けを踏破するトレッカーに安全安心を提供されている<新宮山彦ぐるーぷ>であろう。

この南奥駈け踏破の計画を立てる以前から<新宮山彦ぐるーぷ>の名前は聞いていた。

 

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          安全安心の基本情報を提供してくれる<新宮山彦ぐるーぷ>の標識

 

それは今から20年程前、隣人の大先達の話を聞き、発憤して大峰奥駈けを歩いたことがある。 当時はほとんどの逆峯奥駈けは、吉野から入り太古の辻から前鬼へ下っていた。 その先に続く南奥駈道は、情報が少なく計画の立てようがなかったという記憶がある。 

当時の南奥駈けは 山伏と言われる修験者が入るだけで、一般の者にとっては非常な勇気がいったのである。

大峯奥駈け道は、女人禁制で、険しい山中で修行する山伏(修験者)の世界と思われていた。

隣人の行者であった大先達も、12歳の少年航空兵として鹿児島の鹿屋で特攻訓練をうけ、終戦直前の先輩兵の連日の特攻出撃を見送ったお一人である。

特攻で散って行かれた諸先輩の御霊を安んじるために、同じ志賀の里に居を構えられ、比良山系の蓬莱山(西方浄土)に向かって祈りを捧げておられた。 また若いころから大峰に山伏として籠り修行を重ね、特攻で知った少年時代の人間の儚さや煩悩と向き合ってこられたのである。

このように山伏や修験者のための南奥駈けとして一般的にとらえられていたのである。

 その吉野・熊野を結ぶ修験修行、その道である大峰奥駈道のうち、忘れ去られていた南奥駈け<太古の辻~熊野本宮約45㎞>の整備・保全・開拓という地道な活動と、南奥駈道の復活・再興を目指して活動を続けてこられたのが<新宮山彦ぐるーぷ>である。 

 地道な活動の中でも、<刈峯行>は特筆すべき活動として称えられるべきである。 それは登山者であれば分かることだが、人の往来が無く、手入れをされない登山道は草が生え、自然と消滅していくものである。

南奥駈けの荒廃・消滅を防ぐために会員と賛同者有志だけで、数年もの長時間をかけて草刈りをし、南奥駈道を守ってこられたのである。

そのほか、小屋の再建・管理・運営はもちろん、水場の整備、鎖の設置や南奥駈道の保全に尽くされてきたことは、<新宮山彦ぐるーぷ>のホームページでその栄光と苦難の歴史を知ることが出来る。

法灯も、道が立たれれば消え去るのと同じく、この南奥駈けを守られるみなさんの心意気を考えると法灯も又燃え続けるのである。

そのご苦労にたいし、南奥駈けを歩かせていただいた者として、こころから御礼と謝意を述べさせていただく次第である。

 

現在、南奥駈けの現地生情報は<新宮山彦ぐるーぷ>のFACEBOOKでなされている。 出かける前には是非立寄って見て欲しい。

水場情報、小屋情報、危険情報など必要な情報に新たな登山計画と工夫が見つかるものと思っている。 

同時に情報を正しく理解し、安全安心の奥駈道踏破にこころしたい。

修験道の厳しい行場であることを肝に銘じ、山を汚さず、感謝の念をもって真摯に己に向き合い、歩きとおしたい。

 

一歩を進めて、玉置神社に向いたい。

 

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                          貝吹之野  06:05通過                   塔の谷峠 06:15通過

 

古屋の辻<21世紀の森下山口>で、南奥駈け日程延長に伴う、病院の予約延長等の連絡を取るため、スマホを取りだし留守宅にメールを送った。 健康状態を示す写真付きにしたのはもちろんである。

 

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   古屋の辻<21世紀の森下山口>06:55/07:15休憩          古屋宿<第12靡> 07:25通過

 

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            蜘蛛の口                    稚児の森

 

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          県道と合流  08:15                        奥駈けトレイルラン中の愛知の谷川さんとエール交歓

 

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                                                                    水吞金剛

 

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                       花折塚 10:00通過

 

<花折塚>

村の説明によると、「片岡八郎は、大和葛下郡片岡ー今の奈良県王寺町ーの人で、後醍醐天皇の元弘元年ー1331ー、大塔の宮が賎をさけて山伏姿となり十津川に来られた時のお供9人の一人である。 宮の玉置通過の際、玉置庄司の兵が道をふさいだが、八郎は矢田彦七と共に宮の出迎えが聞き入られず反抗したので八郎戦死し、彦七はこの事を宮に申し上げた。 八郎の屍はここに葬り、墓前を通る人々が花を供えたので世にこれを花折塚と呼ばれた。」                 

 

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              展望台 11:00/11:15 休憩 (水・自販機なし/WC・東屋あり)

 

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                   餓(かつえ)坂を上って行く

 

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                                                       玉置山<第10靡> 標高1075m 12;00登頂

 

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       玉置山頂にある鐘の音は、ゴールの熊野本宮を目指している私の玉置山到着を知らせてくれる

 

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   世界遺産 玉置神社案内図 (引き沢水ー水場は、社務所前、手洗い左手、池に面している)

 

<玉置神社参詣・境内散策・給水>

玉置神社は、熊野三山奥の院である。

熊野杉の巨木がそびえる中、静かなたたずまいを見せる玉置神社に参詣し、ここまでの無事に感謝、熊野本宮までの二日間の安全を願った。

社務所前の沢水をいただいたあと、夫婦杉・神代杉からパワーをもらい駐車場に向かった。

       

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   玉置山頂から玉置神社に向かう参道下山口     玉置神社社務所前の水汲み場に出てくる

 

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                  玉置神社本殿

 

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       夫婦杉・玉置神社           神代杉(推定樹齢3000年)・玉置神社

 

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  明朝、玉置辻への奥駈道下山口を確認       玉置神社の裏鳥居をくぐり駐車所に向かう

 

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 参道に立ち並ぶ熊野三山奥宮・玉置神社の幟旗     参詣者を迎える玉置神社大鳥居(駐車場)

    

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  日曜で満車の玉置神社駐車場に到着 12:30      駐車場入り口にある食堂売店<栄山>

                           日曜営業

    

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    食堂・売店<栄山>のご自慢ー牛丼         <栄山>のご主人 栄山さん

     温かな白飯の牛丼、幸せを味わう      ”皆さんのお立ち寄りをお待ちします”との伝言

 

この日は日曜日である。 玉置神社周辺は、コロナ禍から逃れ新鮮な山の空気を求め、また熊野三山奥の院の御利益を願って多くの参詣者で賑わっていた。 

奥駈道でも、十津川や下葛川から国道425を利用し、葛川トンネル付近に駐車し、ハイキングを楽しむ人にも多く出会った。 

奥駈者であるわたしも久しぶりの現世の牛丼やビールという般若湯を口にして、幸せを味わった。

また<めはる寿司>も購入し、行程延期の食料に追加させてもらうことにした。

 

<玉置神社第二駐車場の草地が今夜の露営地である>

駐車場に着いて昼食を食堂売店<栄山>でとり、今晩の露営地を探した。

しかし、森の中は藪蚊であきらめ、第二駐車場に緑の草地を見つけてツエルトを張ることにした。

玉置神社第二駐車場は、第一の西側へ下りたところにあり、静かで草地があるのがいい。

そして、人目をはばからず濡れタオルで汗に汚れ、臭いを発している体を拭けるのがいい。

行仙小屋で補充した水はほとんどなくなっていたが、玉置神社の社務所前にある水汲み場で沢水を調達できたので5日ぶりに体を拭くことにした。

 

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  玉置神社第二駐車場の草地にツエルトを張る      5日ぶりに濡れタオルで体を拭く老人

 

<奥掛け老人デイリー・スケジュール 『歩き8時間ルール』>

この旅の奥駈道挑戦も、己が生きているという証を立てるためである。 

80歳になっても、まだまだ生きていることに満足できずに出かけてしまった。

出かけるには出かけるで、家族はもちろん周囲の皆さんに迷惑をかけてはいけない事を肝に銘じている。

老体である限り、無茶は禁物である。

この奥駈けでは、マイペースを守った。 朝3時という早起きに合わせて老人独自のスケジュールを組んだのである。

 

03:00  目覚め・日記・瞑想・テント内での柔軟体操

03:30  パッキング(行動用衣服への着替え・防寒用ダウン・空気枕・寝袋・

             寝袋カバーの収納/マット・グランドシート・テントの収納)

04:30    リュックへの詰込み・行動装備の点検・サイト復元清掃・ラジオ体操・

             自我流太極拳・感謝の祈り・本日の行程表(距離&所要時間)のチエック・

             気温&気圧P/H&高度の記帳

05:00    露営地スタート(ヘッドランプ不要の明るさまで待機)

          1時間毎に5~10分の小休憩の厳守(急登中は随時立休憩・給水)

07:00    1回目大休憩・1/2朝食(ビスケット4枚・チョコ・干しブドウ・

     マヨネーズ・水)

10:00     2回目大休憩

11:40   昼食準備(チキンラーメンに水を加えてリュックのサイドポケットに

              放り込み水調理/約15~20分)

12:00      昼食 

13:30   この時間より歩きながら露営地探し開始

14:00     一日の行動を打ち切ってツエルト(簡易テント)設営

16:00  温夕食(固形アルコールバーナーによる味付アルファー米+

              1/2チキンラーメンの調理)

      老人として十分な夕食の量であり、時には夜食や朝食に回すこともあった。

       翌日の行程表の研究(鎖場・急登・急降下・崖/ガレ場等危険地帯・距離・

               所要時間)・記録記帳

18:00  就寝(寝袋に入る)

00:00     疲れた体は真夜中に必ず目を覚ました。この機に日記・記録を記帳。

 

この一日の老人スケジュールでもわかるように、奥掛歩きの平均時間は、1日約8時間である。

この 『歩き8時間ルール』 を守ったおかげで、当初の4泊5日を延長し、6泊7日という長丁場をこなす体力を温存できたと思う。

膝故障や怪我をはじめ豆一つ作らずに踏破できたのである。

青春時代、登山と言えば1日12~15時間歩きは平気であったことを懐かしく思い出していた。

今回の南奥掛にしても、もし若ければ、2泊3日と約半分以下の日程で歩き終えていたことは確かである。

 

帰宅した時、確認した残食料は、アルファー米/チキンラーメン各1食分・氷砂糖5個・干しブドウ少々・ビスケット8枚と遭難時の非常食3日分に相当する栄養価が残されていた。

ただ、老人であっても当初の計画を変更することは無謀であることを知っておいて欲しい。

今回の変更も、以下のすべての条件をクリアできたところから決断したことであることを申し添えておきたい。

 

➀ 南奥駈けの数か所でスマホによる家族との連絡が取れ、安否確認と許可をとった事

② 食料が充分であったこと(疲労した体の食欲減退にもよるが)、

③ 天気に恵まれ露営に支障がなかったこと、

④ コースタイムにとらわれずマイペースで歩きとおしたこと、

⑤ 健康に恵まれ身体的不都合がなかったこと、

➅ この機会を逃しては二度と奥駈け挑戦はないという覚悟と、

⑦ 先達との奥駈け完全踏破の約束を果たすという強い意志等

によるものである。

 

 

 ■<南奥駈け第6日目 玉置神社から六道の辻/金剛多和に向かう 老人8時間コース>

  5月31日 南奥駈け 6日目

 

最後まで迷った<玉置神社~熊野本宮>の行程である。

調べた情報のすべてが玉置/熊野間は1日行程である。

たとえ後期高齢者(ブログで知った最高齢76歳男性)でも、玉置神社から熊野川を渡って熊野本宮に、その日の内にゴールしているのである。 

しかし、今まで歩いてきた5日間の南奥駈けの経験からして、この老人の玉置/熊野間の1日行程は不可能であることは分かっているが、どうしても常識である<1日行程>にとらわれ、こだわり続けていたのである。

 

昨日、玉置神社より行仙小屋に向かっておられた同年代と思われるご老人に出会ったときに交わした会話を思い出していた。

わたしが「高齢のため鎖場の多い地蔵岳を慎重に越えたものだから、昨晩は香精山でツエルトを張ったんです。行仙小屋から玉置神社まで2日もかかっているんですよ」

と話すと・・・

ご老人も、「お互い高齢ですから無理をせず、安全を第一にゆっくりと歩きながら奥駈けを楽しみましょう。 わたしも熊野本宮からここ玉置神社まで二日かけて歩いているんです。」と・・・

 

この言葉を思い出したことにより、老人に重くのしかかっていた迷いを一気に吹き消してくれたのである。

今朝、玉置神社の第二駐車場の露営地を出発するときには、玉置神社/熊野本宮間を2分割し、その中間、<六道の辻にある金剛多和 第6靡>で露営することを決めていた。

 

重石が取れたように今朝は晴れやかである。 

第1駐車場からみる高野山からの小辺路の峰々も朝日を受けながら清々しい姿を見せてくれていた。

3年前、2019年5月に小辺路を歩いた時、 伯母子岳より望遠した大峰熊野の峰々の神々しさを懐かしく思い出していた。

 

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  高野山(右端)から続く小辺路の山並み、中央に伯母子岳がそびえる (玉置神社駐車場からの展望)

 

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     熊野古道小辺路・伯母子岳から遥かなる大峰熊野の峰々を眺めたことを懐かしく思い出した 2019/5/29

 

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             5日目露営地である玉置神社駐車場をスタート 05:30

 

玉置神社社務所前の水汲み場で2日分の水を補給して、玉置辻に向かって下りだした。 熊野本宮までの行程を2日間かけて歩くという決断をしたことにより若干重荷が軽く感じるのである。足取りも軽やかである。

 

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 昨日確認しておいた下山口より玉置辻へ向かう         玉置辻への奥駈道を下る

 

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鳥居の立つ舗装道<玉置辻>に出る 07:35  

鳥居をでて左側にわずかなテント地(サイト)があり、左側に大森山への奥駈道入口がある

 

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       玉置辻の鳥居をくぐってすぐ道路右端の奥駈道に入って、大森山に向かう

        標識<熊野三山入口>と<新宮山彦ぐるーぷ>を確認の事

 

 

        2021『星の巡礼 南奥駈け6泊7日老人奮闘記』②

           <玉置辻~熊野本宮>につづく

     https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/06/15/230303