shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

潜伏キリシタンの里探訪 自転車巡礼 日記―㉖

2018『星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅630km』 日記㉖

                         
■<星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅 18日目>  20189月18
    ― 荒川温泉 ⇒ 久賀島・旧五輪教会 ―           走行距離  27km

 

福江港へ向かう>

迷いに迷った福江港への輪行ルートは、体力の温存とルート短縮を優先し、国道384号線による福江島一周ルートではなく、福江島を横断している県道27号線ルートを走ることによってスケジュール調整を図ることになった。

迎えにきた渡船に乗込む磯釣り客たちと共に、早朝の「民宿きはらし荘」から、握り飯を受取り、女将さんに

見送られ旅路についた。

0924am、猪掛峠(150m)を越え、自転車で4kmほど下って行くと国道384号線と合流し、福江港へと向かう。
福江港には09:40am着。コンビニ・ポプラで久賀島行食糧として、豚生姜弁当・おむすび弁当2・菓子パン2・
五島牛乳などを調達する。


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              天地創造          荒川漁港のを蓋う鱗雲

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  福江島を横断する県道27号線を福江港に向かう       民宿「きはらし」女将さん特製のオニギリ(昼食)

  
福江港久賀島・田ノ浦港>        木口汽船・ シーガル号乗船  (乗船券780円+自転車420円)

 

久賀島にある旧五輪教会を訪れるため、福江港より出航の木口汽船所属のシーガル号(19トン)に乗船する。シーガル号は、第1桟橋より乗船し、船上での乗船券等の支払いとなっている。

久賀島・田ノ浦港へは日に3便の往復便がある。福江港より第2便1205出航のシーガル号に乗船し、

20分で田ノ浦港1225に入港する。

 

シーガル号は、小型船である。波に合わせて揺れるさまは、300年ほど前、外海(そとめ)からの迫害逃避キリシタンが藩政策の移住キリシタンとして小舟に乗り、ここ久賀島へと不安な航海を続けたと思うだけで、その難儀さが忍ばれる。

信仰とは難儀さに耐え、耐えることにより深まり、殉教へとつながっていく。

この久賀島でも多くの殉教者をだしている。

 

田ノ浦瀬戸を通るシーガル号から真っ白な浜脇カトリック教会が目に飛びこんでくる。

田ノ浦港は、ひなびた漁港も兼ねているようであり、多くの出迎えの車が県道に縦列駐車している。港構内には椿マークの久賀タクシーが、ツアーに参加している観光客を出迎えている。



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          福江港に戻って久賀島行 シーガルに乗船 (1号桟橋) 

 
久賀島・田ノ浦港 ⇒ 旧五輪教会へ向かう>


旧五輪教会のある久賀島五島列島の中ほど、少し南にあり、久賀湾が中央部に入り込み勾玉や
ドーナツ型の島である。

県道167号線が島の大動脈として田ノ浦港から南西より北東に向かって縦断している。


のどかな田ノ浦港を後にして(12:25)県道167を東へ向かうと、その先の左側に田ノ浦瀬戸を見下ろす浜脇カトリック教会とマリア像が建っている(12:45)。うす緑色の尖塔にある十字架が青空に屹立している真っ白な
聖堂が静謐さを感じる。


<浜脇カトリック教会>      長崎県五島市田ノ浦町254


この場所に、1881(明治14)年に建立された最初の天主堂は潮風に晒されて痛みが激しく、1931(昭和6)年
五島では最初の鉄筋コンクートの教会が建立された際に解体され、現在の五輪地区に旧聖堂として移築された。
これから訪問する旧五輪教会である。


藩の移住政策に身を隠し、迫害を逃れ、あるいは安住の地を求めて外海(そとめ)や黒島の各集落から
移住した潜伏キリシタンのの子孫の多くが漁業によって生計を維持しているという。

すでに久賀タクシーであるワンボックスカーが駐車していて、ガイドさんが観光客に潜伏キリシタンの歴史を
説明していた。


今日も、暑さ厳しく、体温をおとすため教会堂の手前にある手洗いでTシャツを水で濡らしたあと、峠を越え
久賀湾に面した久賀集落をへて、カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂に立寄り、旧五輪教会に向かった。


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       田ノ浦瀬戸を見下ろす浜脇カトリック教会
 
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                    久賀島観光地図
 
 
カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂>


県道167号線は、久賀湾沿いを走る快走路である。途中に「カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂」がある。

弾圧時代、20平方メートルの牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の

聖地である。


江戸幕府からキリスト教禁教政策を引き継いだ明治政府により、1868(明治元)年、この地で久賀島内の
信徒達が捕えられ、残酷な責め苦を受けた。後に五島くずれ(迫害)と呼ばれ五島における弾圧のきっかけ
ともなった出来事である。彼らは自らカトリックの信仰を表明したために捕えられたもので、12畳ほどの
狭い牢に200名余が押し込められた。


男女を問わず牢から引き出され、子どもまでも厳しく棄教を迫られ苦しい拷問を受けた。信徒達は8ヶ月に
わたりこの状況を耐えしのんだが、飢えや病、拷問のために39名が死亡し、出牢後の死者3名を加えると
42名の信徒が命を落としたといわれている。棄教を迫られても信仰を守り抜いた「殉教」であった。


明治政府になっても当初、禁教政策を引き継ぎ、潜伏キリシタンへの迫害・弾圧がなされ、殉教者をだして
いたということを知り、心が痛む。

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 途中、「カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂」に立寄る                カトリック牢屋の窄殉教記念碑と墓地  

 
<旧五輪教会>              長崎県五島市蕨町五輪


先に訪問した浜脇カトリック教会でも紹介したが、1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、

五輪地区に移築された。
この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市

移譲される事になり文化財として保存されたという。


この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない孤島の中の孤島であり、旧五輪教会への

入口である蕨集落より約4.4KMの山道を進むことになる。自転車でのひとり旅、奈留瀬戸を左手に見ながら
心細くペタルを踏み続けると駐車場につく。


自転車もまた、ここ駐車場に止め、ここからは海岸へ急な坂を下り、海沿いの堤を歩いて湾奥深くに隠れ建つ

旧五輪教会に向かうのである。
ここが、世界文化遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ木造の旧五輪教会である(13:00)


旧五輪教会は、1881年に竣工、1931年に移築されたものである。

潜伏キリシタンが身を潜めた、地の果てに建つ教会堂といった雰囲気である。



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       奈留瀬戸に面した蕨(わらび)集落
 
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      蕨集落より細い山道、旧五輪教会は南下4.4km


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          海岸におり立つと、正面左に旧五輪教会が見えてくる

 

        

 

星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅 19日目

2018年9月18日 ― 久賀島・旧五輪教会 ⇒ 福江港               
につづく