走行距離 35 km
テント泊は、日が暮れる前に設営し、日没とともに就寝、朝5時30分には行動を開始するという健康的なスケジュールに従う。
睡眠は8時間から10時間、日常では考えられないことである。新しいエネルギーに満ちて有川港の露営地を出発する。
いまだ眠りから覚めきらない有川湾に紫の朝焼けが美しい。
国道384号線の青方峠を越えると、県道170号線との交差点に出る。交差点を右折、北方向へ400mのところに上五島町(中通島・若松島)にある17のカトリック教会の一つである「カトリック青方教会」がある。
さらに、自転車を走らせ、県道170号線を北上すると奈摩の街と漁港の先に奈摩湾が見えてくる。
奈摩の街を左にハンドルを切ると「冷水天主堂」へ、右に向かうと「青砂ケ浦教会」が奈摩湾をはさんで向きあっあうよに建っている。
1960(昭和35)年から1970(45年)にかけて近隣の巡回教会から転居した信徒達や、特に「上五島洋上石油備蓄基地」となった折島教会(折島集落)からの集団移住者が上五島町の中心である青方地区に急増したために建てられた教会である。
青方カトリック教会
ただいま上五島・県道170号線を北上中
冷水天主堂は、トンガリ帽に十字架をのせた、木造の柔らかさをかもす愛らしい教会堂である。
冷水教会は青砂ケ浦天主堂より先立つこと3年、1907(明治40)献堂式が行われた。設計施工は近くの丸尾郷出身で、多くの教会建築を残した鉄川与助による。当時27歳、独立後の第一作目の教会であった。青砂ケ浦教会の赤レンガ造りにたいして、純然たる木造建築である。
冷水では「五島崩れ」(迫害事件)が起こったとき迫害を受けた信徒は、逃れて戻ってくることはなかったという。現在の冷水のほとんどの信徒は、迫害後、近辺や平戸や下五島などから移住してきた人々という。
奈摩湾を西から見下ろす木造の冷水教会
奈摩湾を見下ろす小高い丘に建つ教会堂であり、赤レンガの重厚で優雅な姿を見せる国指定重要文化財である。
この地も外海の集落から弾圧を逃れてきた移住者が住み着いた所で、その子孫たちによって教会は守られているという。
この日は日曜日、鐘楼の鐘の音が奈摩湾に響き、多くの信者の方がミサに来られていた。
いま、鐘が揺れ9時のミサ開始を告げているのであろうか。櫓ふうの鐘楼に吊るされた青銅の鐘が前後に揺れ、その鐘の音は番岳や高慰斗山に響き、奈摩港の満潮を引き寄せているような情景である。
奈摩湾を東から見下ろす赤レンガ造りの青砂ケ浦天主堂
<縦断路・国道384号線を南下>
青砂ケ浦天主堂を訪れた後、もと来た県道170を引き返し、青方より国道384号線を南下、下五島である福江島へ渡るため奈良尾港をめざす。この国道384号線は海岸線を走る快走路で、景色を楽しみながら適度な坂を越え、トンネルを抜けるという変化にとんだサイクリングロードである。途中には休憩のための東屋や公衆トイレも備わっている。
国道384号の海岸線を走る快走路を南下
国道384号線を奈良尾港に向かって快走中、いや跡継次トンネルへの坂を自転車を押しあがっているとき、後方から筋肉隆々、精悍なサイクリストが追いつき、声をかけてきた。
国道384号線/跡次トンネルで野村浩氏と
<奈良尾生コン サイクリスト・野村浩氏との出会い>
奈良尾生コンを経営されている野村浩氏である。
病気をされたのがきっかけで、上京の息子さんが残していったロード・バイクに乗って一週間に2回<青方⇔奈良尾間往復60km>を実行し、体力回復に努めておられるとのこと。
サイクリング旅のいいところは、道中出会うサイクリストたちと冒険や夢を語り合い、情報を交換するところにある。
その後、サイクル途中、自動車から奥さんと共にエールを贈られまたまた感動、老人のペタル漕ぎが軽くなったことはもちろんである。
<潜伏キリシタン と 平家の墓>
国道384号線沿いには、複雑に入江が入り組んでいる。外海の各集落から移住してきた多くの潜伏キリシタンたちは、近くに3つの潜伏キリシタンが禁教解禁後建てた教会堂(続浜ノ浦・焼崎・猪ノ浦)があるように、入江が多い島影に息を潜めて集落をつくったのであろう。
また、近くに「平家の墓」があるという。平家の落ち武者も又、弾圧を受けた潜伏キリシタンのように、厳しい源氏の追討から逃れるため、また身を隠す場所としてこの地を選らんだのであろうか。時代は異なるが、何時の時代も潜伏キリシタンと平家の落ち武者に見られるように、弾圧や迫害からの逃避には共通点があるようである。
国道384号の海岸線を走る快走路を南下すると、前方右側に若松瀬戸の笛吹浦から入り込んだ入江の水面に美しい姿を映している中ノ浦教会がある。特に、対岸(国道384)からの風景が、水鏡に映したように簡素で美しい佇まいである。
ここ中ノ浦の信徒の祖先は、寛政年間(230~241年前)に入村藩外海(そとめ)の黒崎集落から移住した人たちである。
桐古里、宿の浦に於ける明治初年の「五島崩れ」(迫害)は、当時伝道士として活躍したガスパル与作の出身地が桐の浦であったことから、真っ先に主だった十数入が捕らえられ算木責めの拷問を受けたという。
「この教会は、激しい弾圧を経験した信徒たちの五島で一番美しい聖堂をつくりたい」という願いを形にしたものであると言われている。
中ノ浦カトリック教会
<奈良尾港ターミナルへ>
中ノ浦教会を後にして、国道をさらに南下、きつい上り坂の白魚峠(標高110m)を下る、と国道は五島灘を見ながら延びている。 眼下にある奈良尾中学と高井旅海水浴所場へとのびている県道22号線との三叉路にでる。この三叉路より150m先の国道に面してサイクリスト・野村浩氏が経営する「奈良尾生コン」がある。
さらに2.5kmほどで国道384号線の終点、奈良尾港ターミナルに到着する。
ひと汗流そうと丘の上に立つ奈良尾温泉に向かおうとしたが、現在改装中で来年リニューアル・オープンするとの
情報、残念ながら断念する。
岸壁には新造船の大型フェリー、九州商船の「椿丸」が出迎えてくれいた。1599トン、最高速力20ノット、旅客482名、8トントラック18台を載せて奈良尾港と福江港間、約35kmを1時間で結ぶという大型高速フェリーである。
入港までのしばらくの間、五島の海風に吹かれながら、「隠れキリシタン」について思いを巡らせた。
九州商船フェリー椿丸<奈良尾15:15出航⇒福江16:20入港>
明日からのここ下五島の福江島、奈留島、久賀島への準備として、潜伏キリシタンの集落に関する情報収集や、食料品などの購入に走った。港の近くには、港ターミナル内に観光案内所や歩いて10分以内に五島観光歴史資料館やコンビニ「ポプラ」、弁当屋さん「Hotto Motto」がある。
港ターミナル内には、市民のジョギングやウオーキングの場となっている五島港公園があり、外灯や水場、トイレが完備されている。隣接して屋根つきの駐車場もあり、雨天の場合の露営地としての条件を備えている。
福江港ターミナル駐車場の軒下をお借りする
につづく