shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

潜伏キリシタンの里探訪 自転車巡礼 日記―㉒

2018『星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅630km』 日記㉒

                         

■<星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅 14日目-②>  20189月14
    ― 平戸島・春日集落 ⇒ 佐世保港 ―        走行距離  20 km

 

<紐差カトリック教会>   (ひもさし・長崎県平戸市紐差町1039

雨降る県道19号線を南下、獅子町で県道60号線に入り、南東へ4kmほど走ると、平戸市からの国道383号線に出る。
平戸方面に200mほど行くと信号「紐差・ひもさし」交差点があり、素議鳴神社を回り込んでいくと白亜の「紐差カトリック教会」の正面に出る。

カトリック信徒、かくれキリシタン仏教徒が混在する紐差に禁教解禁後1885(明治18)年、旧紐差教会が建ったとき、十字架が建っても迫害がおきないのでカトリックになるかくれキリシタンもあったが、仏教徒の集団改宗により明治初期に洗礼を受けたという人々が多いという。

現在の紐差カトリック教会は、1929(昭和4)年、紐差の町を一望する高台に、教会堂設計で著名な鉄川与助によって建てられた。
東洋でも指折りのロマネスク様式の大規模な天主堂で、旧浦上天主堂が原爆によって倒壊した後は日本最大の天主堂といわれた。

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          ロマネスク様式の紐差カトリック教会


 
<平戸・津吉出港 1600佐世保入港 1645      津吉商船 ・コバルト21/ 片道料金1650+自転車210


紐差カトリック教会から平戸島を南北に縦断する国道383号線を南下、平戸ふれあいバス停「前津吉」より東へ入り、県道60号線を走ると、佐世保港に向かうフェリー乗場に到着する。


以前は、平戸島より五島に向かうフェリーがあったが、現在、五島への直通フェリーはない。不便だが、佐世保港を経由することになる。
快速艇コバルト21(津吉商船)の客室に自転車を積込み、黒島と高島の間を抜けて、わずか45分で佐世保港に入港する。


ここ佐世保港は、五島への中継地であり、泊地である。雨の中、建設解体業を営まれている池田さんのご案内で、佐世保港に近いカプセルホテル 『サウナサン』 を紹介していただく。

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        津吉港へは国道383・前津吉より東に向かう

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     津吉港⇒佐世保港へ向かう高速フェリー<コバルト21>
        
 なぜか平戸島より、五島直行のフェリーがないとのこと、不便である。

 


▲14日目 「カプセルホテル・サウナサン」 投宿    長崎県佐世保市塩浜町6-15
                                通常基本料金  3240円 (サウナ入泉料込)


佐世保では、まず雨に濡れた体を温めるため銭湯(公衆浴場)探しをはじめた。観光案内所で紹介された「徳の湯」の場所を尋ねた紳士が、池田正喜さん(エムアイ興産社長)で、雨のなかでの露営を心配されたのか、自ら「サウナサン」に案内して下さった。


そのご親切に感謝する一方、お話になった建設解体物のリサイクルに伴う化学物質の処理方法や経営理念に感銘を受けたものである。


池田さんの話題にすっかりはまりこんでいる間に、サウナサンのカウンターで今夜の宿泊を頼みこまれているではないか。
今夜は、ここカプセルホテルに泊まり、体を休めよとの老人を労わってのことのようだ。またまた、あたたかい出会いに感謝であった。
有り難いことにサウナ(風呂)は24時間いつでも利用でき、食事もできるのである。
疲労も蓄積してきたのだろうか、エアコンの効いたカプセルの中で安眠をむさぼった。

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            カプセルホテル・サウナサン・佐世保




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■<星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅― 15日目―①>  2018915
      ― 佐世保港 ⇒ 上五島有川港 ⇒ 崎浦五島石集落 ―        走行距離  3km

 


佐世保港 800上五島有川港 1035   九州商船フェリー「なみじ丸」     料金2940円+自転車810


カプセルホテル・サウナサンより自転車で5分、佐世保港・鯨瀬フェリーターミナルに着く。
九州商船のカウンターで乗船券と自転車搬送料を3750円で購入、「フェリーなみじ」(1150トン)に乗船。


デッキに出て潮風に吹かれながら、小舟に身を隠し、迫害から逃れ、迫りくる移住先の島影を注視する潜伏キリシタンの心情を思い描いた。
五島の島々に移住したほとんどの潜伏キリシタンはここ佐世保や相浦あたりの入江から、ここ黒島の南の海上を航海して、苦難を乗越えて移住先である平戸島生月島・五島にたどり着いたに違いない。


上五島に近づくにつれて、五島列島江ノ島・平島・頭ケ島と中通島が目に入ってきた。同じ風景であるこの逃避先であり、新天地であった島々を、移住キリシタンもまた目にしたと思うだけで、不安と安堵に満ちた情景が浮かび上がってくる。

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        佐世保港・鯨瀬ターミナルビル  
 
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        佐世保―五島フェリー航路図


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   移住キリシタンにとって移住先であった五島列島江ノ島・平島・頭ケ島と中通島を遠望する(右より)

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     「フェリーなみじ」 佐世保港上五島有川港
 
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            上五島有川港ターミナル


 
上五島地区のキリシタンの歴史>


上五島地区のキリシタンの歴史は、1797年五島盛運が大村藩主大村純尹に農民の五島移住依頼し実現したことに始まる。
当時大村藩では、経済安定のため人口増加を抑えるための間引きが強要されていた。キリシタンたちは間引きの罪を犯しくなかったことと、1657年に起こった「群崩れ」といわれるキリシタン迫害以来、厳重な禁教令の最中であったことから、大村藩外海地方のキリシタンたちは喜んで五島へ移り住んだ。


外海地方では「五島へ、五島へ、皆行きたがる。五島は優しさ土地までも。」と言う俗謡が流行ったが、「五島は極楽、来て見て地獄。」と歌ったのは皮肉にも五島に移り住んだ移住者であった。
その様な厳しさの中でキリシタンたちは秘密裏に信仰を守るため、潜伏キリシタンとして教会暦に添って神に祈り、互いに助け合い、そして子供たちに洗礼を授け、信仰の灯火を口伝えにより子孫に引き継いだ。


1865年大浦(長崎)での信徒発見により長崎周辺、外海、五島、平戸、生月に多くのキリシタンの存在が確認された。250年の間、潜伏して信仰を守ったことは、世界宗教史にとって驚きの出来事であったのである。


上五島地区の潜伏キリシタンも信仰を表明したものの、1868(明治元)年浦上四番崩れに始まった厳しい迫害が上五島地区にも及んだ。しかし、1873(明治6)年この迫害に対して外国からの非難と圧力が高まり、明治政府はキリシタン禁教令を解くことになった。

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      西海国立公園を走り、頭ケ島カトリック教会へ向かう(県道62

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                 上五島西海国立公園


<頭ケ島カトリック教会へ向かう>           


有川港ターミナルを後にして、県道62号線を東に向かうと、西海国立公園に入って行く。素晴しい「崎浦の五島石集落景観」を観賞し、赤色の「頭ヶ島大橋」を渡って、坂を登りきったところに「頭ケ島カトリック教会・PARK& RIDE」などの標識が立っている。


この三叉路を左に下って行くと海に向かって建っている「頭ケ島カトリック教会がある。教会への車の直接乗り入れは禁じられており、上五島空港内にある駐車場に車を停め、教会への直行シャトルバスを利用することになっている。


自転車の場合は、三叉路の誘導員の許可をもらって下ることができるが、急な上りを考えて県道に駐輪させ、徒歩で急坂を往復することにした。

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                  崎浦の五島石集落景観  (五島石の塀)




                            
星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅― 15日目―②
2018年9月15日 ― 上五島・ 崎浦五島石集落 ⇒ 頭ケ島カトリック教会                                                                
につづく