■<潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km 11日目> 2018年9月11日
― 西海大橋公園 ⇒ 黒島 ― 走行距離 32 km
テントという空間での思索は、豊かなるこころの世界を演出することがある。
テントを出て、東の空を眺めると、豊かな心を照らしみるような天地創造の朝が幕を開けようとしているではないか。
おもわず聖なる世界に迷い込んでいるような、清らかな気持ちに満たされた。
朝焼けを背に、ルーティンの撤収作業を終え、感謝の祈りを捧げ佐世保をへて、黒島の集落へ向かう。
国道202号線が走る真赤な「西海橋」を渡り、かくも有名な日米開戦において打電された「ニイタカヤマノボレ1208」、針尾島の三角無線送信塔を左に見ながら、信号「陣の内町」で国道35号線を左(西)へハンドルを切り、佐世保市に入って行く。
タイヤの低空気圧を心配ながらの走行であったが、ようやくサイクル専門店のある大都市である佐世保に入ったのだ。スポーツデポにサイクルコーナーがあるという情報をえた。もちろんスタッフの適切な作業により適正な空気圧に戻ったことは言うまでもない。旅行中の自転車は、いつも最高のコンディションにしておくべきである。
ここ佐世保でもうひとつしておくことがあった。それは熱い朝食、それもソーセージ&エッグにホットコーヒーを食べておくことである。
<平戸島⇔五島定期フェリー航路の再開および新規フェリー航路の開拓を急げ>
今後、世界遺産・潜伏キリシタン巡礼の連続性からして、平戸島と五島列島間の定期フェリー便の再開を強く望むものである。旧ルートの<生月港⇔五島フェリー航路>の再開と、<津吉港⇔五島フェリー航路>のルート開発新設を提案するものである。
現在地に早岐教会が建てられたのは1931(昭和6)年で、太平洋戦時下においては、異教として軍部の圧迫を受け、空襲の目標になりにくい様に黒く塗られ、戦火から免れた大変貴重な教会であるという。
<黒島集落への入口、相浦のフェリー乗り場へ向かう>
小高い丘に建つ「相浦カトリック教会」が紺碧の空のもと、白い衣をまとい、オレンジ色のベレーを被って、無事の航海を祈っている。また、明治17年ごろの黒島から浅子地域へのカトリック信徒の移住を温かく迎え入れ、見守っているようにも見える。現在、浅子地域には、浅子カトリック教会、神崎カトリック教会、横浦カトリック教会が建つ。
相浦フェリー乗場から黒島へは、黒島客船が「黒島フェリー」を日に往復3便を運航している。
料金は、片道720円に自転車代310円、約50分のクルーズである。
最終便である相浦発17:00、黒島着17:50に乗船することができた。
小高い丘に建つ「相浦カトリック教会」 黒島客船「黒島フェリー」(往復1440 +620=2060)
<黒島集落と潜伏キリシタン>
黒島港ターミナルには、夕方に到着予定なので、フェリーから民宿「つるさき」に電話を入れ、投宿の予約を入れる。
民宿は港ターミナルの近くであろうと勝手に思い込み、後に、島の方や警察にご迷惑をかけてしまうことになるとは、この時はまだ知らずにいた。
フェリーは夕日が沈む、平戸方面に向かって進む。鱗雲がだんだんと色を変え、茜色に染まっていく、夕闇を迎える直前の黄昏の一瞬の美しさにいつも感動を覚える。
黒島港ターミナルの案内地図によると、民宿は港から遠く離れた島で一番標高のある所にあると出ている。陽も沈み、山道も薄暗さが増してきている。灯りのある家に立寄っては、道を尋ねての宿探しである。
この時、立寄った一軒のお宅から、不審者(多分大阪南部の刑務所から脱走した青年)と間違われたのであろうか、長崎県警に通報があり、翌日相浦港にて待ち構えていたパトカーによる厳しい職務質問を受けるというハプニングにつながって行く。
▲11日目宿泊地 黒島の集落・民宿「つるさき」(この旅最初の宿泊施設) 1泊2食付6000円
フェリーが黒島港に着岸してから、途中の明かりのあるお宅で道を尋ねながら、坂を上ること約50分。峠にある蕨(ワラべ)集落よりなだらかな坂をさらに上下しながらすすむと右手に「つるさき商店」があり、路地を入ると
「民宿つるさき」の玄関先である。
はるか水平線に沈んだ太陽の名残に溶け込んでいく夕暮れと、ツクツクボウシの大合唱に勇気づけられて
自転車を押しての到着である。
夕暮れ後の暗いなか無事到着しことのうれしさと、連夜のテント泊からの疲れを癒す宿というだけで、力が抜けていきそうな安心感と脱力感、言葉では言い表せない幸せな気分にひたった。
予約のとき、港でのピックアップをお願いすることもできるとのことである。また港で電動自転車を借りることもできる。
玄関でお声掛けをしたおり、居間兼食堂に掲げられたイエス・キリストと12名の弟子たちとの「最後の晩餐」のダビンチの絵が出迎えてくれた。民宿「つるさき」は、若夫婦と先代夫婦で営まれ、家庭的な民宿なのがいい。
あたたかい言葉に迎えられ、通された部屋の畳の匂い、あの青臭さと、古びた一枚の「最後の晩餐」の絵が、いまだ記憶として鮮明にやどってくる。
テレビ、エアコンがある部屋、コンセントがあり携帯やカメラのバッテリの充電もさせてもらった。近代文明の利器は、わたしのように文明を忘れたような旅を続けるものにとっては、一時のオアシスであり、パラダイスでもある。
夕食は、若主人のさばいた魚づくし、新鮮な海鮮料理に舌鼓を打ち、最後にいただいたヒラメ(白身の魚)の入った味噌汁のうまかったこと、素朴な味がよい。黒島の味と名付けたい。
ただ、「沈黙」のロドリゴ神父やキチジロー、迫害にあっている信徒たちの事をおもうと、このような贅沢な食事をいただいていいのだろうかと反問もした。今回の旅は、出来る限り潜伏キリシタンの信徒、宣教師や神父の苦悩を共有する生活をすることを前提にすることにして、自転車の旅を選択しているだけに一夜の宿であろうともおのれの安易さを責めもした。
この旅最初の民宿「つるさき」(翌朝撮影) 民宿「つるさき」に掲げられていた「最後の晩餐」
この旅最初の晩餐・海の幸 黒島でのご宿泊は民宿「くろさき」へどうぞ
潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km 11日目
につづく