『志賀の里 2023歳時記 短歌集』
ーⅡー
■2023_08_01 入道雲に誘われて
《風に乗り 天を翔けたし びわの湖 されど酷暑に 悲鳴上げしや》 實久
―かぜにのり てんをかけたし びわのうみ されどこくしょに ひめいあげしやー
生暖かい風に、したたる汗が混じりサイクリングどころではない。
アンダーシャツを水に濡らし、ヘルメットに保冷剤を仕込むが、
熱風は容赦せずに水分を体から奪っていく。
もちろん途中で引き返したが、入道雲をバックに涼し気な顔で写真におさまり、
せめてもの慰めであった。
老サイクリストには、まだ季節的に少し早いようですね、と病床の若き共にたしなめられた。
■2023_08_02 アベリアの花
《風に乗り 忍びの香 まとわりて 幸せ満ちし 君を識りてや》 實久
―かぜにのり しのびのかおり まとわりて しあわせみちし きみをしりてや―
散歩道で出会った小さな花。 かすかな匂いを風に乗せ、今を生きる己をアピールする姿に出会った。
お互いを認識しあうその時ほど、命触れ合う瞬間はない。
それは人同士でも同じである。 出会い、愛ある美しい瞬間を大切にしたい。
病床の若き友の爽やかなシャンプーの香に包まれた。
■2023_08_03マツヨイグサの残身
《涼し気に 澄まし比良見る マツヨイの 気怠さ続く 夏日終わらじ》 實久
―すずしげに すましいらみる まつよいの けだるさつづく なつびおわらじ―
河鹿ガエルと蝉の大合唱が響くここ志賀の里、酷暑はまだ終わりそうにもない。
耳を傾けるマツヨイグサの涼しげな立ち姿に、夏の朝の気怠さが吹き飛んだ。
彼女たちの表情の達観<残身>に、おのれの愚痴る姿を見てしまったからである。
「わたしたちも暑いのですよ」との、慰めの声に、病床の若き友の声を聴いたようで、
うれしい朝の散策となった。
■2023_08_03 満月への願い
《鈴鹿なる 峰に泳ぎし 満月の 友に分けたし 優しき君を》 實久
―すずかなる みねにおよぎし まんげつの ともにわけたし やさしききみを―
幼少のころから、暗闇に浮かぶ満月は、いつも神秘的であり、いつも見つめ合ったものである。
ただ見つめているだけで、優しく抱かれている母親のような優しさを感じた。
今夜も、変わらぬ優しさたたえる月様に願いを込めてみた。
今なお病床に伏せる若き友に、君の優しい笑顔を見せてやって欲しいと・・・
■2023_08_04 びわ湖の夕焼け
《一瞬に 切取り詠みし 君なれど 認めし互い 今を生きてや》 實久
―いっしゅんに きりとりよみし きみなれど みとめしたがい いまをいきてや―
一コマの映像、それは絵画であり、凝縮された人生である。
そこには物語があり、その時の気持ちを表現しているからである。
このびわ湖というキャンパスに織りなすナチュラル・ペインティングに、
一枚の絵の凄さ<グロリア・栄光>を感じて立ち尽くした。
一瞬、グロリアの大合唱に包まれ、病床にいる若き友の心の輝きを見たような気がした。
■2023_08_05 ツバメの里帰り
《低空の 燕返しや 里帰り 子育て忙し 夏の盛りや》 實久
―ていくうの つばめがえしや さとがえり こそだていそがし なつのさかりや―
近くの水防倉庫の軒下で子育てする燕に見入った。
バッタや、ミミズを運んでいるのか、ヒナは大きな口を開け丸呑みである。
この小さな体で方角を間違えずに、フイリッピンあたりまで里帰りするという。
時速平均45㎞、一日最長300㎞を飛び続ける能力を持つ。
渡鳥が持つ<半球休眠>、脳の半分だけを眠らせ、周囲に気を配って飛び続けながらも
休むことができるという。
どのような小さな弱き生命体にも、生存の権利と、生存のための能力が備わっている
ことを教えてくれた。
病床の若き友も里帰りするという、覚醒していないが、自宅療養に入るとの報せが入った。
大変なことだが、まずは感謝である。
■2023_08_06 時は流れる
《我もまた 時に流るる 息しおり 君と今おる 幸せ満ちし 》 實久
―われもまた ときにながるる いきしおり きみといまおる しあわせみちし―
比良の峰は暮れゆく空の中にあり、山は息づき、夕焼けは風と遊んでいる。
なんと恵み深い一日の終わりであろうか。
自分の心を見つめながら、深々と息をすると、空や峰々の息が体に出入りしているのを感じる。
時は流れ、今この時、すべての生けるものが同じく呼吸をしていると思うだけで愛おしさを感じ、
大きな幸せの中に沈むのである。
病床の若き友も、病院から実家へ帰るという、その知らせに感謝である。
■2023_08_08 UFOか
《UFOを 信じる者の 嬉しきは 見るものすべて 異星からだと》 實久
―ゆーほーを しんじるものの うれしきは みるものすべて いせいからだと―
心ときめく一瞬に出会った。
頭上に揺らめくバットマンか、いや宇宙船か、その飛翔する勇姿に心奪われてしまった。
カラスアゲハと言う大型の蝶々のようだが、この時ばかりは、UFOに出会ったような
衝撃を受け、興奮した。
病床の若き友が、風に乗って会いに来てくれたと思っている。
■2023_08_08 台風接近
《森の中 天蓋満ちし 流れ雲 怪しき動き 風雲告げし》 實久
―もりのなか てんがいみちし ながれぐも あやしきうごき ふううんつげし―
大型の台風が、沖縄付近で迷走し、九州に接近中である。
ここ志賀の里も台風の影響で雲に覆われ、雨を降らせ始めている。
自然の摂理に見る、天蓋を泳ぐ雨雲にも人知を越えたアートを感じるのである。
自然の織り成すアートに、病床の若き友と見入ってしまった。
■2023_08_09 若栗
《イガ栗の 力満ちたる 若き顔 恐れ知らずや 凛々しくもあり》 實久
―いがぐりの ちからみちたる わかきかお おそれしらずや りりしくもあり―
今年は、ここ志賀の里の栗や柿のなり年なのだろう、たわわに実を付けている。
世間知らずの若武者の顔には、力満ち、凛々しさを漂わせているではないか。
彼らも生き抜く使命を立派に果たしている自負を覗かせているように見えた。
若栗が、家庭療養まえに散髪し終えた病床の若き友に見えたものだ。
■2023_08_10 初成りゴーヤ
《ヒグラシの 耐えし夏日に ぶら下がる 初成りゴーヤ 顔涼けきや》 實久
―ひぐらしの たえしなつび ぶらさがる はつなりごーや かおすずけきや―
台風をまえに、ヒグラシ(蝉)も合唱に忙しい。
7月終わりに植えたゴーヤに立派な実がついた。
夏日に耐えながらもそのふくよかな姿を見せている。
一瞬、病床の若い友の血色のいい顔がよぎった。
家庭内介護のプログラムも決まったようだ。
■2023_08_11 ポインセチアの衣替え
《床替えに 髭面の君 笑顔見せ 命溢るる 今を生きしや》 實久
―とこがえに ひげづらのきみ えがをみせ いのちあふるる いまをいきしや―
扇風機の風が、生ぬるい風を攪拌している夏の日が続いている。
我家のポインセチアは、真赤なマントを脱ぎ捨てて、浴衣に衣替え中だ。
彼女も、ここ数年の異常な暑さを感じているようである。
地球温暖化、それは人類の傲慢と贅沢が生み出した、申し子とも言える。
一人ひとりが律して、おのれの豊かすぎる生活を省みたい。
病床の若き友も、病院から自宅への床替えを終えた。
なんと、少し髭ののびた顔には<サンキュー!>を連発してくれているような、
笑顔が見えた。 和馬君、お帰り!
■2023_08_15 ミソハギ(禊萩)
《背比べの 稲穂ミソハギ 比良ふもと 時の流れに 身を寄せおりし》 實久
―せくらべの いなほみそはぎ ひらふもと ときのながれに みをよせおりし―
今朝、台風は紀伊半島に上陸、北西に進路をとり日本海に抜けるという。
昨日は、台風の前の静けさ、晴天に恵まれた。
比良の峰を背景に、田圃の畦道に咲くミソハギが稲穂と背比べをするほほえましい光景にであった。
まとまり咲く小さなピンクの花に、素朴な可愛らしさを感じた。
別名<水掛草>ともいうらしい。 墓石に水を掛けた時に起こる水流紋に似ているという。
昔から墓参りの供花、故人を偲ぶ花として愛されている。
故人を迎えるわたしも、歳をとったものだとつくづく思う今日この頃である。
暴風雨が激しくなってきた。
■2023_08_15 少年の終戦日
《屍の 累々越えし 逃避行 戦闘逃れ 山河臥せしや》 實久
―しかばねの るいるいこえし とうひこう せんとうのがれ さんがふせしや―
今日は、終戦日、我が国が無条件降伏した日である。
1945(昭和20)年8月15日、わが家は、両親の赴任地である北朝鮮に迫るソ連軍を逃れて、
現在の朝鮮半島に横たわる軍事境界線の南側にある小さな村にたどり着いた。
幼いながらもオンドルの家の庭にある井戸水を、夢中になってのどに流し込んだ記憶が残っている。
どんなに美味しかったことか・・・平和をかみしめ、戦争から解き放たれた瞬間であった。
その後、朝鮮戦争にも巻き込まれ、死線を何度も乗越え、日本に帰還したのが小学高学年であった。
人生の冒険は、人によっていろいろである。 だからそれぞれの人生は面白い。
戦争孤児・war orphan (1950_09_28 In Seoul)
(KCM:Korea Computer Mission 提供)
<関連ブログ> 星の巡礼 ≪少年の体験した朝鮮動乱≫
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/12684536
■2023_08_16 お盆の灯り
《招かれて 迎え入れしは 夏の夜や 灯り導く 出会い懐かし》 實久
―まねかれて むかえいれしは なつのやや あかりみちびく であいなつかし―
本の心の風景に出会い、心豊かにさせられた。
提燈の灯りで、先祖への感謝と尊敬の気持ちを現わす日本人の心の優しさが、
今でも受け継がれていることに感謝した。
その温かな灯りは、どこか哀愁や情緒を漂わせて、人のこころ労わり、
慰めてくれるのである。
世界が平和でありますように、人類が安らかでありますように・・・
(お盆それは、故人を迎え、一緒に過ごし、見送る、先祖供養のための夏の恒例行事である。)
村岡商店街(兵庫県)の盆提灯の灯り (8月14日夜撮影)
■2023_08_17 送り火
《送り火に 燃え立つ命 帰り往き しばしの別れ 惜しむ夏かな》 實久
―おくりびに もえたついのち かえりゆき しばしのわかれ おしむなつかな―
友人から、自宅の屋上から撮った送り火<左大文字>の写真が送られてきた。
8月16日の夜に行われる<送り火>は、お盆に帰ってきた死者の魂を現世から
ふたたびあの世へと送り出す行事である。
お盆とは、あの世から一時的に戻ってきたご先祖様の霊を家族とともに迎え入れ、
感謝の気持ちを伝えて供養するという、祖霊信仰が結びついてできた日本の
伝統的な行事である。
■2023_08_19 天への扉
《天蓋に 白雲満る 扉あり 開けてみたし おのれの窓も》 實久
―てんがいに しらくもみつる とびらあり ひらけてみたし おのれのまども―
森の散策、そこにはいつも天への扉が開かれている。 見上げる自分に見つめる白雲が、
おいでよと、誘われている気がするのである。
一度、病床の若き友を誘って、雲の上からお伽の国 地球という星を覗いてみたいものである。
■2023_08_20 精霊宿る老木<アコウ>
『精霊の 宿りしアコウ 迫り来て 友の一颯や われ圧倒す』 實久
―せいれいの やどりしアコウ せまりきて とものいぶきや われあっとうす―
親友が描いた一枚の水彩画の写真が送られてきた。
「アコウの精霊に導かれ、久しぶりに水彩画を描きました。 自宅療養中の若き仲間にも、
老木アコウの精霊が届きますように」との添え書きがあった。
「久しぶりに活きた絵に出会った気がします。凄い、の一語です。圧倒されました!
必ず届けます!」と伝えた。
水彩画:「福江島の精霊が宿る樹齢250年のアコウの樹」(画・関本 拓司)
■2023_08_21 今を生きる山百合
《人は皆 運命に生きし 今あるを 忘れおりてや 多忙に任せ 》 實久
―ひとはみな さだめにいきし いまあるを わすれおりてや たぼうにまかせ―
野山に咲く大好きな山百合の種を庭に蒔いておいたら、純白の大輪を咲かせた。
精一杯今ある自分を生きる山百合の凛とした姿にエールを送った。
おのれ独り、背を伸ばし、天に向かって立つ姿に、人のあるべき姿を重ねた。
病床の若き友の<今を生きる>姿に、眩しさを感じた。
■2023_08_22 秋を告げる蝉 <ツクツクボウシ>
《夏を告げ 鳴き叫けぶ蝉 秋迎え 削りし命 称えあげたし》 實久
―なつをつげ なきさけぶせみ あきむかえ けずりしいのち たたえあげたし―
夏から秋へ、季節の衣替えを感じる。
真夏の風物詩、セミの鳴き声に変化が見られるのである。
どこか秋の到来を告げる蝉の鳴き声が混じり、日々増していることに気づく今日この頃である。
リズミカルナな<ツクツクボーシ>のハーモニーが志賀の森に響き、
猛烈な残暑の中にも秋を感じている。
病床の若き友にも、秋を迎える蝉の合唱が聴こえていることであろう。
■2021_08_22 彦星からの返信を待つ
《彦星の メッセージ待つ トキメキの ロマンの夜をや 待つ身苦しき》 實久
―ひこぼしの めっせーじまつ ときめきの ろまんのよをや まつみくるしき―
旧暦七夕に当たる今夜8月22日、午後10時から1時間、彦星(アルタイル/牽牛星)方向に
JAXAの大型パラボラアンテナを向け、40年前、米国スタンフォード大学より送信された
メッセージの異星人からの返信を待つという壮大な実験が行われるという。
地球星に人間と言う生物体がいる限り、大宇宙にはそれなりに異星人がいると信じる
夢多き人がいても不思議ではない。
七夕の彦星にメッセージを送ったという日本的情緒に感動している。
もし40年と言う時空を超えて、彦星(アルタイル)からメッセージが届いてくれたら、
と胸をときめかしながら、ロマンの中に埋没している。
■2023_08_24 名門の復活
《青春に 燃え尽きせしや 球児たち 白球追いし 瞳爽やか》 實久
―せいしゅんに もえつきせしや きゅうじたち はっきゅうおいし ひとみさわやか―
107年前に第二回高校野球で優勝した名門校(当時 慶應普通)が、105回大会で
優勝したことに日本中が驚かされた。
忘れ去られていた名門校が、二連覇のかかった強豪校を下したのである。
決勝戦前、強豪校 仙台育英高校の自信に満ちた落ち着きと安定感に対し、
名門校 慶應高校の挑戦者としての爽やかさが目立っていた。
不思議なことに、決戦の前から強豪の一方的な勝利を予想するものが少なかったことにも、
波乱に満ち、ひょっとしてひょっとするのではないかとの優勝戦への好感度が上がっていた。
わが地元校が、優勝戦で桐蔭に挑んだ雰囲気とは全く違っていた。
試合が始まると、甲子園球場を埋め尽くした観客のほとんどが名門校の関係者ではないかと
疑うほど、球場が割れんばかりの大応援歌に包まれ、応援団のドラムが止むことなく轟き、
まるでサッカー試合のあの怒涛の応援や、阪神タイガーズの六甲おろしのよな応援が
繰り広げられた。
いろいろと批判もあるようだが、高校野球の青春にかけるドラマの真骨頂を見た思いでもある。
高校野球の最盛期、いや転換点を見た思いとともに、球児の長髪にも高校野球の新しい時代の
波を垣間見た。
両チームの健闘を称えたい。
写真: 優勝を喜ぶ慶應高校球児 (www.yomiuri.co.jp提供)
■2023_08_26 登山訓練開始
《今朝も又 琵琶を見下ろす 伊吹山 我を招きて 霞みおりしや》 實久
―けさもまた びわをみおろす いぶきやま われをまねきて かすみおりしや―
秋の伊吹山登山目指して、山歩きの準備をはじめた。
裏山の<木戸比良登山口>より、標高450mのキタダカ谷にある第二砂防ダムを往復して、
転倒・滑落防止のため足腰を鍛えるのである。
百名山完登をなし終え、随分と歳を重ね、すっかり隠居してしまったが、
人生最後の登山を計画している。
伊吹山(滋賀県 1377m)は、百名山完登時の第一座であった思い出の山である。
はたして、伊吹山登山は成し遂げられるのだろうか。
ぼちぼち始めたい。
病床の若き友にも、背後から押してもらおうと思っている。
■2023_08_28 夕焼け
《蝉ミミズ 暑さに命 縮めおり 迎え早しや 夏日悲しき》 實久
―せみみみず あつさにいのち ちぢめおり むかえはやしや なつびかなしきー
この夏の暑さには体も悲鳴を上げた。
残暑を迎え、いまだ夕焼けには涼しさはなく、体のほてりは陽が沈むまで続いている。
また、志賀の里では、例年見られない光景に出会っている。 干からびたミミズが沢山横たわり、
命縮めた蝉が沢山ひっくり返っている姿に驚いている。
そして、赤トンボが例年になくその数を増やしている。
地球の熱帯化により、自然界の法則が狂いだしてきているように思えてならない。
嬉しいことに、ここ志賀の里の水稲の生育状況は順調で、すでに稲刈りが始まったところもある。
■2023_08_29 百日紅泳ぐ
漢詩 《今を生きる》
七言絶句 實久
炎天也涼顔無苦 炎天に苦も無き顔涼しげ也
向天蝉遊独謳幸 天向い幸せ謳う蝉独り遊び
君今此処楽生唯 君今此処唯生きるを楽しむ
蝉は独り天に向かって幸せを歌い、遊んでいるではないか。
ただ今ここを思いっきり噛みしめ、生きている姿に感銘を受けた。
自宅療養で、入浴をする若き友にも、同じく満足しきった顔を見た。
幸せは、いつも身の回りにあることに気づくのである。
感謝である。
■2023_08_30 山百合の表情
《山百合や 時の流れに われと坐し 静寂に沁みる ヒグラシの声 》 實久
―やまゆりや ときのながれに われとざし しじまにしみる ひぐらしのこえ―
野の花にも豊かな表情がある。
晴れた朝の清々しい顔、雨に濡れ頭を下げる顔、水玉を飾って得意げな顔、それぞれに生きる
喜びを現わし、幸せを謳歌しているのを感じる。
その表情には、生への疑いがなく、運命への達観が見てとれて羨ましくも感じてしまうのである。
今朝も、山百合のように、流れいく時のなかに、病床の若き友と一緒に坐ってみた。
■2023_08_31 老ライダー最後の言葉
《風を切り 終えしライダー 老境の 終わり目出度き 言葉響きし》 實久
―かぜをきり おえしらいだー ろうきょうの おわりめでたき ことばひびきし―
ハーレダビッドソンを駆って北海道一周の旅の途上、知り合った10歳年上のライダーがおられた。
以来、鹿児島とここ志賀の里との文通が始まった。
季節変わりの侘び寂を紹介しあい、ライダーの醍醐味と人生を語り合って来た。
その彼も92歳になり、とうとうライダーを卒業せざるを得ない老境に達したとの悲しい便りが届いた。
最後に、和紙に・・・
《おわりも めでたく 候へ》
との自筆の感謝の気持ちをしたためてあった。
わたしも、人生とは、かくありたいと願っている一人である。
慰めの言葉と共に、ライダー人生の完結に弥栄を贈った。
老ライダーの愛に満ちた、充足しきった言葉が、こころに響いた。
■2023_08_31 豊穣の満月<ブルームーン>
《忍び待つ 豊穣の月 雲の間や 命の泉 満ちて宿りし》 實久
―しのびまつ ほうじょうのつき くものまや いのちのいずみ みちてやどりし―
雲間の満月の豊かな光を受け、稲穂は頭を垂れ、秋虫たちはその声を張り上げている。
その情景は、侘び寂の極致を演出してくれていた。
満月のもと、風流に身を任す病床の若き友にも、月光が優しく包んでくれたことであろう。
写真: 志賀の里、8月31日19時28分撮影
■2023_09_01 秋気配
《秋気配 競いて止まぬ 蝉しぐれ 日暮らす我も ひねもすおりし》 實久
―あきけはい きそいてやまぬ せみしぐれ ひぐらすわれも ひねもすおりし―
残暑に、いまだシャワーの爽やかさを感じる今日この頃である。
老いてなお夏の暑さに翻弄され続けている自分を見つめる日々でもある。
その私をじっと見つめる残暑、その残暑を楽しむ蝉しぐれ、そして暑いとぼやくこの老いぼれと、
この三位一体の宇宙にこそ命の輪廻があると思いつつ、睡魔に襲われる日々である。
病床の若き友も、蝉しぐれの調べに、今を生きるおのれを見つめていることであろう。
■2023_09_02 稲穂の気持ち
《刈入れの エンジン唸る 稲穂おり 誰がわがために いのち活かせし》 實久
―かりいれの えんじんうなる いなほおり たがわがために いのちいかせしー
例年になく、ここ志賀の里の稲穂の生育が早いような気がする。
8月末に早くも稲刈りが始まり、その後の刈入れ作業は急ピッチに進んでいる。
猛暑による高温障害が原因だという。
地球の熱帯化は、稲作にも顕著に表れてきているようだ。
稲穂はただ頭を垂れ、活かされるわが命をじっと見つめ、満足しているように見えた。
■2023_09_04 銀輪、風に乗る
《銀輪の 風に遊びて 湖西路を 漕ぎし老体 若き日覚ゆ》 實久
―ぎんりんの かぜにあそびて こせいじを こぎしろうたい わかきひおぼゆ―
曇り空に誘われて、久しぶりに湖西路に自転車を走らせ、湖の風と遊び、汗を流して来た。
JR湖西線<志賀駅>より、白髭神社(高島市)間の往復約30㎞のサイクリング<ビワイチ>である。
すっかり衰えてきた脚の筋力の回復のつもりだったが、自宅前の心臓破りの坂でダウンしてしまい、
病床の若き友に後ろから押してもらって、どうにか帰宅できたのだからお笑いである。
■2023_09_05 懐かしの味<オムライス>
《少年の こころに宿る オムライス 出会い懐かし 幸せ覚ゆ》 實久
―しょうねんの こころにやどる おむれつに であいなつかし しあわせおぼゆ―
湖西路のサイクリングで懐かしいお袋の味<オムライス>に出会った。
あれは昭和28年ごろ、終戦後の少年時代、朝鮮半島から引き揚げてきた当時、日本はまだまだ貧しく、
人々はお互い助け合い、食材を貸し借りしていた。
なかでも栄養価の高かった卵やバナナは入手困難な贅沢品であった。
ただケチャップで味付けした焼き飯を卵で包んだだけのオムライスの美味しかったこと。
また、そのソースが素朴そのもので、絶品であった。
そんな懐かしの<オムライス>に、白髭神社手前(南100m)の豚汁で有名な「白ひげ食堂」で再会し、
感激にむせび、目を輝かせたものだ。
次回は、病床の若き友の快復を待って、一緒に食べに来たいものである。
■2023_09_06 虎刈り
《我を待つ 蔦垣あたま ぼさぼさの 入れしバリカン 虎刈りも良し》 實久
―われをまつ つたがきあたま ぼさぼさの いれしばりかん とらがりもよし―
例年の葉刈りも、猛暑のため、今日に延びてしまった。
残暑を避け、朝夕に分けての作業だ。 老いてもなお体を動かせることに感謝である。
急に雨が降り出したので、今朝の作業を打ち切った。
ただ、腕が落ちたのか、虎刈りの蔦たちの渋い顔をみて、病床の若き共に笑われたものだ。
■2023_09_08 秋を迎える夕暮れ
《時忘れ すべてゆだねし 夕焼けに 病の友と みむね仰がん》 實久
―ときわすれ すべてゆだねし ゆうやけに やまいのともと みむねあおがん―
世界のどこを歩いていても、夕焼けは必ず一人旅に付添い、心豊かに迎えてくれる。
さすらう旅人にとって、夕焼けは一服の安堵の酔酒である。
志賀の里で出会う、びわ湖を染める夕焼けもまた一枚の額縁の中にあった。
病床の若き仲間と、<夕焼け小焼け>を声あらん限り歌い、夕焼けと遊んだ。
■2023_09_09 キリギリス
《閉じし目に 耳を澄ませば 秋の虫 沈み往きしや こころ休まる》 實久
―とじしめに みみをすませば あきのむし しずみゆきしや こころやすまる―
残暑も落ちつき、ランニングシャツからTシャツへ衣替えをした。
わが家にもキリギリスの登場である。ここ志賀の里は、河鹿ガエルや蝉たちのコーラスから、
秋の虫たちであるキリギリスや鈴虫・コオロギのシンフォニーに移った。
目を閉じ、静かに耳を傾けながら、病床の若き友と秋の音楽会を楽しんだ。
■2023_09_11 ラグビーワールドカップ 2023パリ大会
《風を切る ステップ軽し ラグビーの 肉弾戦に タックル軋む》 實久
―かぜをきる すてっぷかるし らくびーの にくだんせんに たっくるきしむ―
キックオフ、いよいよ始まった。
アジアを代表して10回連続出場の日本。 前回の自国大会でようやく互角に戦える姿を
世界に見せてくれた。
期待のかかる今回、熱戦を繰り広げ、どこまで強豪チームに挑んでくれるのか、楽しみである。
初戦のチリ戦、チャレンジャーであるチリの切れのいい走り込み、ステップ、果敢なタックルに
拍手を送った。
4年ぶりに楕円形のボールを追いながら、受けて立つ日本チームの緊張感を十分味わった。
42:12 意外な大差の勝利に、イングランド戦への期待がふくらんだ。
さっそく、登山訓練の途中、砂防ダムのうえでスクラムのボール出しの真似をしてみた。
病床の若き仲間に、まるで股覗きだねと笑われてしまった。
(写真は、反転させています。驚かないで・・・笑い)
■2023_09_12 グリーン・カーテン
《影作り 風に踊りし 切り絵窓 われ和ませし 緑豊けき》 實久
―かげつくり かぜにおどりし きりえまど われなごませし みどりゆたけき―
異常な暑さに見舞われたこの夏、少しでも暑さをしのぐために植えた朝顔・ゴーヤ・キューリによる
グリーン・カーテンにも助けられた。
窓額縁の中の切り絵のように、風に揺れ、光透す緑葉に、涼しさを感じたものである。
めっきり涼しくなった朝夕、役目を終えたグリーン・カーテンの影絵を楽しませてもらっている。
病床の若き友も、朝夕の涼しさを感じとってくれていることだろう。
■2023_09_14 ツーリイング
《老いたりし 腑臓に響く バイク音 風と歌いて 雲と戯むる》 實久
―おいたりし ふぞうにひびく ばいくおん かぜとうたいて くもとたわむる
秋空の下、久しぶりに愛車Honda Super Cub 110 Proにまたがって、志賀の里を駈けてきた。
老体に響くエンジンの軽やかな振動に酔い、びわ湖より渡りくる風と歌い、比良の峰に浮かぶ雲と遊んだ。
さあ、帰ったら草刈りをしなくちゃ・・・
■2023_09_19 奉仕デー<草刈り>
《草刈りに 観じしわれも 主の御手に 刈られ往きてや 永遠に安けき》 實久
―くさかりに かんじしわれも しゅのみてに かられゆきてや とわにやすけき―
公道の草刈り奉仕をはじめて幾年月になるだろうか。
老体にはエンジン式草刈り機は重過ぎるようだ。 重力がかかる腰を、さらに草を払うために左右に
動かすのである。今回が最後のご奉仕になりそうだと思いつつ、病床の若き友の声援を受けながら、
感謝を込めて、丁寧に仕上げた。
そろそろ人生の夕暮れが近づいたようである、エンディングノートを仕上げる時のようだ。
■2023_09_20 芙蓉に魅せられて
《麗しの 声掛け芙蓉 忍び来て こころ目結ぶ 愛のたかぶり》 實久
―うるわしの こえかけふよう しのびきて こころめむすぶ あいのたかぶり―
今朝も大輪の麗しき笑顔のお花に声掛けされた。 芙蓉、なんと素敵なネーミングであることか。
しとやかな麗人に語りかけられる散策はひとしおである。
すべての生きとして生きるモノには、そのモノにしか持ちえない個としての魅力を隠し持つものである。
お互いを認め合うとき、生ける喜びを嚙みしめられるのであるから、それぞれが幸せである。
<人も花と同じですよね> 病床の若き友の独り言が聴こえてきた。
■2023_09_22 夕陽に輝く白雲
《切取りし 夕暮れ景色 輝きて 安らぎ満つる わが胸のうち》 實久
―きりとりし ゆうぐれけしき かがやきて やすらぎみつる わがむねのうち―
午後4時ごろの比良山中腹より眺めるびわ湖大橋方面の夕景色である。
この時間になると比良山の西側は山影の世界に入り、
東の空は沈みゆく太陽に反射し、最後の光を放つ。
この一瞬の輝きに、浮世の安らぎを感じるのである。
病床の若き友も、いまの今、輝きを見せてくれている。
感謝である。
■2023_09_22 曼殊沙華
《列車過ぐ 風に交わる 曼殊沙華 この世の出会い 応え揺れおり》 實久
―れっしゃすぐ かぜにまじわる まんじゅしゃげ このよのであい こたえゆれおり―
例年、畦にたわわに咲く彼岸花が、その姿をようやく現した。
JR湖西線を走り抜ける電車が残す微かな風に、揺れて応える曼殊沙華の姿に、
この世の微笑ましい営みを見て、こころが和んだ。
■2023_09_22 刈入れ終える
《垂れし穂に 伝えし平和 来る子らに 喜び満ちし 永遠の日の本》 實久
―たれしほに つたえしへいわ くるこらに よろこびみちし とわのひのもと―
ここ志賀の里では、すっかり秋を感じるなか、低く垂れこめた雨雲を気にしながら、
豊作に感謝しつつ、今年最後の黄金米の刈入れが始まった。
稲作に支えられたこの国の民の穏やかで平和な姿が、永遠に引継がれますように、
病床の若き友と共に祈った。
■2023_09_19 友なる朝顔
《おはようと 振返る顔 涼しげや おのれ沈めし 友なる君に》 實久
―おはようと ふりかえるかお すずしげや おのれしずめし ともなるきみに―
この夏で何代目だろうか、猛暑に耐えて今年も子孫を残し、一生を終えそうだ。
朝、冷静な顔でご挨拶。昼、太陽を避けて体を縮め瞑想に入る。そして日が巡り、子を宿すのである。
おのれの生涯を静かに見つめる朝顔の平常心にいつも心うたれるのである。
■2023_09_25 焼肉バンバン
《焼肉の 煙に咽び ジューシなる 待ちやもどかし 喰いつきおりし》 實久
―やきにくの けむりにむせぶ じゅーしなる まちやもどかし くいつきおりし―
志賀の里、わが家近くの「焼肉バンバン」で、懐かしい昭和の焼肉を楽しんできた。
いつ食べに行っても<これこそMr.焼肉店>と唸らずにいられない。
もうもうと立ち込める煙、冷房から噴き出す蒸気、換気扇の唸り、この雰囲気こそ昭和レトロの
焼肉店なのだ。 肉も良し、たれも良し、おばちゃんも良し。
ここもまた、病床の若き友を誘ってこなくちゃ・・・きっと喜んでくれると思うよ。
■2023_09_25 稲藁干し
《藁干しの 日向ぽっこや 昔見る カマスや草鞋 想い巡らす》 實久
―わらぼしの ひなたぽっこや むかしみる かますやわらじ おもいめぐらす―
昔懐かしい刈入れ跡の<藁干し>、少年時代には当たり前だった風景が、
すっかり田圃跡から消え去っていた。
藁は、蓑(合羽)・包装材(納豆)・掃除機(箒)・カマス(袋)・屋根(藁ぶき)などと
マルチに活躍をしていた昔懐かしいマドンナであった。
温暖化の救世主として、藁製品を復活する声に賛成である。
病床の若き友も、昔の人々の知恵に、賞賛の声を上げた。
■2023_09_27 尻押し
《風に乗り こころ揺さぶる わらべ歌 病の友と 押しくら饅頭》 實久
―かぜにのり こころゆさぶる わらべうた やまいのともと おしくらまんじゅう―
秋空に響く「押しくらまんじゅう、押されて泣くな」、少年時代のわらべ歌が
風に乗って聴こえてきた。
ふと、目にとまった葡萄家族の楽し気な宴に引込まれていった。
病床の若き友と一緒に加わり、歳を忘れ懐かしい<尻押し>を楽しんだ。
■2023_09_28 アゲハ蝶と曼殊沙華
《共生に 助け合いたし 我らおり 祈り合いてや 互い高めし》 實久
―ともいきに たすけあいたし われらおり いのりあいてや たがいたかめし―
曼殊沙華の蜜摂りに訪れたアゲハ蝶は、フォーバリングをしながら、巻き口吻
(こうふん・口先)を長く伸ばして作業中である。
優雅に、風に乗る蝶々も命あるもの、みなと同じく命を繋ぐために真剣である。
曼殊沙華も、子孫を残すために蝶に蜜を提供していることを思うと、
自然界の共生に病床の若き友と称賛の拍手を贈ったものだ。
■2023_10_09 再会
《黄昏の 再会嬉し 子ら迎え その育ちをや 仰ぎ和みし》 實久
―たそがれの さいかいうれし こらむかえ そのそだちをや あおぎなごみし―
《再会の 子らと遊びし びわの湖 時の流れに 老い刻みおり》 實久
―さいかいの こらとあそびし びわのうみ ときのながれに おいきざみおりー
コロナ禍の3年間、大切な家族の往来が中断されていた。
この度、ようやく再会を果たすことが出来、一日をびわ湖のミシガン・クルーズに遊んだ。
■2023_10_10 晩生米(おくてまい)
《晩生米 囲みし仲間 球追いて 激しタックル トライに沸きし》 實久
―おくてまい かこみしなかま たまおいて はげしたっくる とたいにわきし―
ここ志賀の里では、最後まで残っていた晩生米の刈取りが終わった。
一年のうち最も季節の移り変わりを感じる時でもある。
ワールドカップラクビ―2023の善戦が、目の前の日干し藁のスクラムに、
その余韻を残していた。
そこには、ラガーシャツの襟を立てた病床の若き友が、楕円球を追って
タックルする姿もあった。
■2023_10_11 田仕舞い<モミ焼き>
《秋天に 龍煙立ちし 田仕舞いの モミ焼き長閑 賛歌満ちおり》 實久
―しゅうてんに りゅうえんたちし たじまいの もみやきのどか さんかみおり―
ひとの命を繋ぎきた米の刈入れを終え、のどかな田圃跡では、脱穀後のモミ焼きが見られる。
平和な時の流れに、病床の若き友とともに感謝した。
■2023_10_13 病床の若き友の覚醒を祈りつつ
《朗らかに 産声あげて この日まで 導きの道 涙尽きじや》 實久
―ほがらかに うぶごえあげて このひまで みちびきのみち なみだつきじや―
お誕生日おめでとう! <絆の祈り>参加者一同
病床の若き友 和馬君の覚醒を信じ、賛美の詩と短歌をここに贈る
越えきし野山 見かえれば
まよえる時は 連れかえり
なやめる時は はげまして
導びきのみち 涙つきじや
■2023_10_12 白茄子
―秋茄子は、嫁に食わすな―
《丸顔の 命見つめる 秋茄子も 無の風受けて 穏やかなりし》 實久
―まるがおの いのちみつめる あきなすも むのかぜうけて おだやかなりし―
「おいしい茄子を嫁には食べさせたくない」という、姑(いゆうとめ)の意地悪な気持ちを
現わしていると思っていたが、以外にも嫁の体を気遣っての心優しい気持ちもあることを知って、
ほっとさせられたことを覚えている。
秋茄子は、美味であるため過食してしまいがちであるが、特に女性にとって体の冷えは健康に
よくないため、子供を生んでほしい嫁に茄子を食べさせすぎてはいけない、
という戒めであるという。
今夜は、病床の若き友と、七輪に炭をおこし、秋茄子を焼き、田楽味噌をのせ秋の味覚を楽しみたい。
■2022_10_14 秋陽愉しむ鶏頭たち
《無心なる 生きざま認む 花おりて 何故に急ぐや と尋ねられし》 實久
―むしんなる いきざまみとむ はなおりて なぜにいそぐや とたずねられし―
厚手のふわふわなガウンを羽織り、優雅に秋陽を愉しむ鶏頭たちに出会った。
おしゃべりに夢中なのか、生きる今を楽しんでいるのであろうか、自分たちの世界に夢中である。
動かずに時の流れに生きる彼女たちに、足が地についていない人間はどのように映っているのだろうか。
それぞれに与えられた幸せに満足するのも、大切な生き方なのかもしれないと、
病床の若き友と語り合った。
■2023_10_15 昼夜逆転
《歓声に ハカの威圧や 飛び散りて 楕円のパスに 血潮沸きにし》 實久
―かんせいの はかのいあつや とびちりて だえんのぱすに ちしおわきにし―
4年に一度のこの時期、週末の昼夜が逆転する現象が起こる。
ワールドカップ・ラクビ―観戦は、ワインを片手に至福な時間が流れるのである。
日本のリーグ戦敗退は悔しいが、対戦相手であったアルゼンチンが、ウエールズに勝利し、
準決勝に駒を進めた。
また、世界一位のアイルランドに挑戦したニュージランドのオールブラックスが辛勝し、
準決勝でアルゼンチンと激突することが決まった。
今夜も、イングランド対フイジー、フランス対南アフリカとの好ゲームに魅せられることであろう。
ラクビ―ファンにとって、まだまだ眠れない嬉しい週末が続きそうである。
病床の若き友の「もうお昼過ぎですよ!」の声に、「もう少しタックルの夢見させてよ・・・」
写真 : ワールドカップフランス2023 日本代表 (共同配信)
■2022_10_15 たくましき生命―祈り
《人みな はかなき命 背負いてや 今を生きるに おのれ尽くせし》 實久
―ひとはみな はかなきいのち せおいてや いまをいきるに おのれつくせし―
毛虫にやられ丸坊主になった桜の木、秋空のもと、若葉は成長し、何を訴えることもなく、
命を繋いでいる。
ただそこに存在する無言の君に向き合うだけで、君は生きる力を与えてくれるのである。
想い、祈り合い、言葉を掛け合うだけで、そこには目に見えない心が通じ合い、
エネルギーの交換が出来るのだから、生きるとはドラマである。
<人はなんで生きるのか> トルストイの問いを、病床の若き友と考えてみた。
■2023_10_17 楕円の球に魅せられて
《血潮満つ 年老いてなお 追いし球 タックルも良し フレンチの秋》 實久
―ちしおみつ としおいてなお おいしたま たっくるもよし ふれんちのあき―
《時差ボケに 悩みし秋陽 うららかや 飛び交いし球 夢うつつかな》 實久
―じさぼけに なやましあきび うららかや とびかいしたま ゆめうつつかな―
今朝も、時差に悩まされ、昼近くの目覚めとなった。
ワールドカップラクビ―2023フランス大会の準々決勝2試合の死闘に、ラクビ―の心髄にふれ、
その余韻に耽っている。
鍛えた肉体の激突、息詰まる知略・謀略・戦略、応援歌と怒号、まさに王者の死闘であった。
とくに地元フランスと南アフリカの準々決勝、わたしの心に残る名勝負となった。
ラクビ―ファンの冥利に尽きた。
■2023_10_18 木洩れ日
《木洩れ日に 浮き立つこころ 翔けし森 手を取り合いて 踊り舞いしや》 實久
―こもれびに うきたつこころ かけしもり てをとりあいて おどりまいしや―
木洩れ日、それも<天使の梯子>に出会った日は、こころ爽やかである。
こころ洗われ、初子(ういご)のような気持ちになるのだから不思議である。
この世にはいまだ汚れを知らない世界があるのだ。
そこにはエンヤ(アイルランドの癒し系歌手)の世界が広がり、病床の若き友と
手をつないで森の中を翔け回った。
■2023_10_19 光り受け
今に生き ここで咲く
みよこの顔 きみの顔
光り受け 美しき姿よ
ああ 出会いて嬉し
■2023_10_22 鳶(トンビ)舞う
《只々に われを見つめて 語りたし 鳶輪を画く 秋の白雲》 實久
―ただただに われをみつめて かたりたし とんびわをかく あきのしらくも―
一対一で向き合うとき、そこには一瞬の語らいがあり、求め合うものがある。
今朝も爽やかな白雲を背景に、何を語りかけたかったのだろう、
一羽の鳶がわたしを追いかけるように輪を画いていた。
出会いとは、いや認めあう瞬間って、気づき合う事なのだと知った。
そこに、君がいるから・・・、今朝も出会いに感動した。
■2023_10_23 病床の若き友を見舞って
《平安に 体ゆだねし 君なれど 悔しさ滲む 目尻の涙》 實久
―へいあんに からだゆだねし きみなれど くやしさにじむ めじりにのなみだ―
秋晴れの清々しい風に導かれ、自宅療養中の若き友を訪ねてきた。
この5月に昏睡状態になり、集中治療室に入ったということをローバースカウトOB仲間から知らされた。
その後、父親と山科会長から、昏睡からの脱却・覚醒への祈りに参加して欲しいとの願いを受けて、
仲間による<絆の祈り>の輪を広げ、朝七時それぞれが、その場での祈りを実践してきた。
多くの人、仲間の祈りがあって、奇跡的に自宅療養にまで回復したが、いまだ覚醒に至っていない
という医者の判断である。
現在、父親の呼びかけで、彼を知る友人・仲間による、覚醒のための刺激を実施されている。
ご自宅を訪問するとご両親と妹さんに出迎えられた。
彼は、奥の部屋、バリアフリーの完全介護設計の部屋で眠りの中にあった。
しかし、ガリバーが手足を縛られているように、たくさんの生命維持装置の管に縛られた彼の姿には、
なにか神々しささえ感じられ、威厳に満ちていた。。
「生きろ、生きてくれ!」 仲間一人一人の願いを込め、ふたたびそっと少しぬくもりのある手を
握りしめた。
病床の大男の固く結んだ左目の目尻にうっすらとにじんだ涙を認めた時、
すべてを感じとっている若き仲間の無念さが伝わって来た。
そして感謝の気持ちが伝わって来た。
「ありがとう和馬!」 再度、手を握りしめ、また会う日まで、別れを告げた。
<関連ブログ> 2023『星の巡礼 病床の若き友を見舞って』
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2023/10/24/060854
■2023_10_25 光あれ
《すすき立ち 温もり残す びわの湖 いのち尊き 光り満ちにし》 實久
―すすきたち ぬくもりのこす びわのうみ いのちとうとき ひかりみちにし―
今朝も、琵琶に昇る光に、深け往く秋を感じた。
悠久の光りには、望みという温もりがあり、安堵に包まれた。
かすかな温もりは生きる喜びを伝えてくれているようだ。
病床の若き友の手の温もりをふと覚えた。
■2023_10_26 秋のコラボレーション
《わびさびの こころ重ねし ススキの穂 風に舞いてや 友を癒せし》 實久
―わびさびの こころかさねし すすきのほ かぜにまいてや ともをいやせし―
志賀の里は、美しい秋のファッションショーで賑やかである。
ススキとブタ草のコラボ、清楚と野生の対比、面白い構図となった。
<わび・さび>を好む私たち日本人が、秋の野山に群生し、物憂い様子で白い穂を風に揺らす
ススキの立ち姿に、儚さや寂しさを見出すのだからその感性の素晴らしさに驚嘆する。
病床の若き友のこころを、ススキの無我の境地に重ねてみた。
■2013_10_30 命立つ―力芝
《命燃ゆ 天に吼えなん チカラシバ 御手に委ねし こころ豊けき》 實久
―いのちもゆ てんいほえなん ちからしば みてにゆだねし こころゆたけき―
チカラシバは、<猫じゃらし>よりも男性的で、天に向かって立つ姿は生きる力、
いやおのれを曲げない力強さを感じさせてくれるのである。
芝のように地中深くまで根を張り、引き抜こうと思っても引き抜けない逞しさがあり、
<力芝>と書く。
ここ志賀の山里は、秋の空に向かって立つ野草たちが一番輝く季節を迎え、にぎやかである。
今朝も、病床の若き共に、チカラシバたちのエールを届けた。
■2023_10_31 左官屋さん
《汗かきて 心地よき 目地治し 日毎の棲み家 労わり嬉し》 實久
―あせかきて ここちよき めじなおし ひごとのすみか いたわりうれし―
築後30数年経つと、家まわりも老朽化し、破損亀裂が目立ってきた。
今日は、駐車場の角石の目地の補修にとりかかり、まず亀裂部分の目地を剥がし、即乾性の
インスタント防水セメントを流し込み、指とコテで仕上げた。
体が動くかぎり、親しんだ家屋のほころびをわが手で労わってやりたいと思っている。
次は、障子張り、デッキの防腐剤塗り、枝切り、溝さらい、枯葉による土づくりなどの
軽作業が年末まで続く。
今日もまた、ありがたいことに健康に恵まれ、病床の若き友の励ましを受け、心地よい汗をかいた。
感謝である。
■2023_11_01 幸せな集い
《触れ合いて 響きしこころ 幾年ぞ 夜汽車に映る 古き友顔》 實久
―ふれあいて ひびきしこころ いくとしぞ よぎしゃにうつる ふるきともがお―
コロナ禍が落ち着き、3年ぶりに旧友が集った。
自営の友は、その厳しい自営のための戦いを切り抜け、逞しさの中にもすこし疲れを見せていたが、
乗越えた自信をのぞかせ、安堵の顔を見せていた。
一方、組織に労する仲間たちは、みな少し小太りしただろうか、幸せをかみしめた柔和な笑顔が
印象的であった。
仲間と言っても、脂の乗り切った初老から、老いを見つめるわたしの年代まで幅が広いが、
それぞれに与えられた役目を、責任を果たしている姿には、自信と落着きが見られた。
幸せは、おのれが見つけるもの、お互いの生き方に温もりある幸せを望みたいと願ったものである。
こころの友は、わたしの光る宝である。
今朝も、朝日を浴びた花水木の赤い実が幸せをかみしめていた。
■2023_11_01 目覚め
《気を吸いて 来る朝毎に 満ちし愛 道を追いてや 老いを見つめし》 實久
―きをすいて くるあさごとに みちしあい みちをおいてや おいをみつめし―
日毎の夜明けには、それぞれにメッセージが込められていると思う。
好きな賛美の一節がある・・・
《来る朝毎に 朝日と共に 神の光を 心に受けて 愛のみ旨を 新たに悟る》
何と素晴らしい栄光に満ちた、愛ある世の再確認を歌っていることか。
新たなる朝に、新たなる命を見出す・・・老いるとは素晴らしいことなのである。
病床の若き友に、み光がさんさんと注がれますように・・・
■2023_11_03 ホトトギスの魅惑
《想いだす 若き心に 悩みしや 魅惑に弱き 膝の温もり》 實久
―おもいだす わかきこころに なやみしや みわくによわき ひざのぬくもり―
肉厚の花びらに、ムラサキの斑点を散りばめ、日陰で醸し出す雰囲気は魅惑的であり、ゴージャスである。
青春時代に味わった<秘めた恋>が蘇って、一瞬ドキッとした。
どこか心惑わす雰囲気が伝わって来た。 くわばらくわばらである。
でもホトトギスの華麗さに見惚れてしまった。
病床の若き友に、こころの動きを見られたようで老人も照れてしまった。(笑い)
■2023_11_04 志賀の里の<隠れ家>
《化粧せし 美しき星 輝くも 砲声止まぬ 地おもい悲し》 實久
―けしょうせし うつくしきほし かがやくも ほうせいやまぬ ちおもいかなし―
晩秋の三連休の初日、秋空のもと、紅葉に誘われて、びわ湖岸沿い、長めの散策に出かけてきた。
帰路、広大なびわ湖を眼下に、のんびりと走り去る列車を眺め、遠く鈴鹿の峰々を遠望できる
<隠れ家>で遅めのランチをいただいた。
隠れ家のような<Café Koan>は、国道旧161号線の<びわ湖バレイ入口>より北へ約300m先の
びわ湖側にあるコンテナ造りの可愛いお店である。
ハムサンドとアップルジュース、ソーセージサンドとレモネードをそれぞれいただいた。
機会を見て、病床の若き友にも、この雄大な景色をぜひ満喫してもらいたいと思っている。
■2023_11_05 秋桜の立ち姿
《コスモスの 淡き衣や 薄日着て 夢謳いつつ 永遠に溶けにし》 實久
―こすもすの あわきころもや うすびきて ゆめうたいつつ とわにとけにし―
秋の残り陽に顔を向け、その温もりを一身に体感しているコスモスの姿は、
まるで老いた己を見ているようで、ほのかな哀愁の中に安堵の気持ちが流れた。
なんと素敵な立ち姿であろうか。
病床の若き友に「背筋を伸ばさなくちゃ」と声を掛けられた。
■2023_11_06 老いる自然の姿<Amazing grace>
《時迎え おのれ見つめる 老いの身に 素晴らしき主の 恵み深しや》 實久
―ときむかえ おのれみつめる おいのみに すばらしきしゅの めぐみふかしや―
曇り空の下、葉脈を見せ、吹き抜ける風を楽しむ老葉に出会った。
日に日に透けゆくわれを重ね、その美しき老い往く姿に、何とも言えない親しみを感じた。
老いるとは、身の軽きをまとい、枯れ往く時を楽しむことにあり。
その光り輝く姿、素晴らしき主の恵み<Amazing grace>に出会った恵みの晩秋である。
■2023_11_02 晩秋のナナカマト
《この世にて 今に輝く ナナカマト ただただ己 見つめおりしや》 實久
―このよにて いまにかがやく ななかまと ただただおのれ みつめおりしや―
百名山を駈け、紅葉に迎えられた日々が懐かしい。
曇り空のもと、晩秋に一段と輝くナナカマト、赤い実をつけて華麗なる姿を見せていた。
短い陽の中に、美しい姿をみせるナナカマトと心かよわす時の、なんとこころ穏やかなことか・・・。
生きとして生きるもの、老いるとは、静かな穏やかな時の流れにある。
病床の若き友の真紅に燃え立つこころを見た思いである。
■2023_11 ツワブキ爛漫
《日陰なる 可憐いずこや ツワブキの 大輪面に われを見よやと》 實久
―ひかげなる かれんいずこや つわぶきの たいりんづらに われをみよやと―
玄関わきにある黄色い花が、紅葉の妖艶に負けじと、競っているから可笑しい。
日陰で謙虚に咲くイメージのあるツワブキが、これ見よと真黄な花を一斉に咲かせた。
今朝も病床の若き友と、このひと時を彼女たちと話し合えて幸せである。
■2023_11_09 山歩き
《おのれ観る こころ響きし 落葉音 彷徨う人の 旅路浮かびし》 實久
―おのれみる こころひびきし らくようおん さまようひとの たびじうかびし―
ここ志賀の里は、比良・蓬莱山麓に原始の森が広がる。
落葉を踏みしめる微かな足音を楽しみながら、径なき道をさまよう様は、元トレッカーにとって
至福な時間である。
知らずのうちに、詩吟<太田道灌蓑を借るの図に題す>を大声で吟じていた。
木霊する森に、病床の若き友のかすかな、心地よい寝息が聴こえてきた。
■2023_11_10 華麗なる落葉
《出会いとは 摩訶不思議越え いまここに 向きあい嬉し 心通いて》 實久
―であいとは まかふしぎこえ いまここに むきあいうれし こころかよいて―
最後の美しい黄金色に染まりゆく君に出会いて、君の華麗なる輝きを称えたい。
この一瞬の舞台に立つ君と僕、一期一会という出会いに感謝したい。
■2023_11_11 <比良おろし>と<熟し柿>
《バリカンの 唸りし朝や 熟し柿 鳥に託せし 子ら安かれと》 實久
―ばりかんの うなりしあさや じゅくしかき とりにたくせし こらやすかれと―
志賀の里は、夜半にかけて冬の風物詩である北風<比良おろし>の強風が吹き荒れた。
食べごろに熟した柿、小鳥の訪れを喜ぶ柿、子孫を遠くに運んでもらいたい柿と、
共生のうつくしい季節であるが、強風に熟し柿も、随分と落柿した。
いよいよ寒き冬の夜なべに突入である、灯油の備蓄も終えた。
病床の若き友が、散髪をしたとの報せがあり、爽やかな表情に若者の生きる力を見た。
わたしもバリカンで丸刈り、散髪をしてさっぱりした。
■2023_11_12 柿喰う鵯
《来冬に 吹き荒れし里 比良おろし 熟柿啄む 鵯おりて》 實久
―らいとうに ふきあれしさと ひらおろし じゅくしついばむ ひよどりおりて―
ここ志賀の里では、比良おろし<比良八講>と言う北風が吹きだすと、残っている熟し柿も強風に
落されてしまう。
その前に鵯(ひよどり)たちは、柿を喰い栄養を貯えるのに忙しい。
あと幾つ残っているだろうかと、首を回して数えている姿が可愛い。
冬を越すとは、小鳥たちにとっても大変なことなのである。
病床の若き友と、双眼鏡をのぞき、野鳥観察を楽しんだ。
■2023_11_13 ムラサキシキブ
《ムラサキの 醸す色艶 美しき 葉隠れ顔に 式部おりてや》 實久
―むらさきの かもすいろつや うつくしき はがくれがおに しきぶおりてや―
志賀の里は、雲間から陽射す、ピリッと冷たさを感じる朝である。
初冬の陽ざしの温もりに、ひょっと覗き見する、丸い小顔に目が止った。
葉隠れから顔をだす、なんと清楚で、上品なムラサキシキブなのだろうか。
そこに十二単を着飾った、聡明な紫式部が立ちつくしているように見えたから不思議である。
病床の若き友と、ムラサキシキブの色艶に見惚れてしまった。
■2023_11_14 紅きマント羽織りて <老杉>
《生きるとは 苦難の旅路 背負いてや 喜び分かち 今おるを謝す》 實久
―いきるとは くなんのたびじ せおいてや よろこびわかち いまおるをしゃす―
志賀の里には、神々が集合する樹下神社があり、老杉が鎮座する。
神社は1578年再建とあるから、少なくとも樹齢400年の老杉であろうか。
天を突く老杉は、急なる寒さ到来に、紅葉のマントを羽織り、悠然と時の流れに
身を任せている。
沈思のなかに、強固な意志を見せる姿には、神々しささえたたえている。
今朝も、老杉に挨拶を交わし、親愛の抱擁を交わしてきた。
もちろん病床の若き友にも、老杉のパワーを送った。
初冠雪の比良の峰は、雲の中にあり、その姿をいまだ見せていない。
■2023_11_15 枯葉絨毯<志賀清林パーク>
《冬空に 子らの叫びや 清林の 枯葉絨毯 駆けっこ嬉し》 實久
―ふゆぞらに こらのさけびや せいりんの かれはじゅうたん かけっこうれし―
志賀の里にある公園<志賀清林パーク>の休日には、たくさんの家族連れで賑わう。
ここ志賀の里にある我らの村<木戸>は、大相撲の行司の始祖と言われる志賀清林の故郷である。
また、豊臣秀吉が木戸銭をとって相撲興業をすることを認めた最初の地であるともいわれる。
志賀清林は、奈良時代の726年、近江国から朝廷に出仕し、相撲の技四十八手と礼法と
「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手を制定する事を聖武天皇に奏上した人物とされている。
病床の若き友と、この枯葉絨毯で、車いすラクビ―を楽しむ日を楽しみにしている。
■2023_11_16 焚火
《比良の山 冬来たりなん 雪の華 何をか語らん 焚火囲みて》 實久
―ひらのやま ふゆきたりなん ゆきのはな なにをかかたらん たきびかこみて―
初冠雪を迎えた比良の麓に、友夫妻を迎え、焚火を囲んで久闊を叙し、ソフト・マシュマロや、
ソーセージを焼きながら青春にかえって談笑に燃えた。
薪が燃え立ち、うごめく炎の舞は、いつも心暖め、魅惑の世界へ誘ってくれるのがいい。
老いの身も、この時ばかりは、久しぶりに青春の炎に満ち満ちたものである。
■2023_11_17 小さなわが子 <雨蛙>
《君もまた 我家の子なる 雨蛙 穏やかな顔 我を癒せし》 實久
―きみもまた わがやのこなる あまがえる おだやかなかお われをいやせし―
志賀の里は、雨雲の中にある。
我が家にはもう一人、冬眠の準備に忙しい家族がいる。
ニホンアマガエルという、季節や環境で体の色を変える忍者である。
初冬、彼女は緑色から灰色に衣替えをし、冬眠の準備に入るのである。
今朝も、濡れ縁から隣家で鳴く仲間に合わせて、体に似合わない鳴き声<グエッ・グエッ>と、
愛の輪唱交換を楽しんでいた。
そこには穏やかな、いつも変わらない、平和な顔のわが子がいた。
■2023_11_18 我家の柿暖簾
《冬日浴び 吊られてはしゃぐ 柿暖簾 正月待ちて 指数えおり》 實久
―ふゆびあび つられてはしゃぐ かきのれん しょうがつまちて ゆびかぞえおり―
少年時代の家々の庭の真中には必ず柿の木が1本あった。
それも渋柿が大半であったと記憶している。 子供たちは木登りをおぼえ、得意げに柿を採ったものである。
オヤツであるとともに、保存食として、また正月の飾りに使う干し柿にするためである。
恒例の昔懐かしい、夜なべの<干し柿づくり>を手伝った。
病床の若き友も、手にへばりついた渋に、手をグッチョパーしてはしゃいでいた。
■2023_11_19 華麗なる乙女<金魚草>
《優雅なる 金魚の舞や 和みおり 華麗に泳ぐ 初冬の空に》 實久
―ゆうがなる きんぎょのまいや なごみおり かれいにおよぐ しょとうのそらに―
ここ志賀の里、透き通った青空から、さんさんと冬日が降りそそいでいる。
上品ないで立ちで、ちょっぴりお喋りな金魚草が、温もりに向かって背伸びしている。
金魚草を、欧米ではミツバチが ドラゴン(竜)に飲み込まれている姿から<スナップドラゴン>
というから面白い。
草食系と肉食系では、平和的・戦闘的イメージとして対象を見るのであろうか。
病床の若き友と、われわれは草食系、それとも肉食系か論じ合ったものである。
「やはり金魚草だね・・・」
■2023_11_20 <沈黙の調べ>
暮れゆく初冬、独りたたずむ影姿、悠久の時を見おる
何を想い、何を思いしか、君に問いて、君を見上ぐる
沈黙の調べ流れ来て、こころ踊らす君に、只々感嘆す
ああわれらいま、和して響きて、ともに祈りあいしや
―病床の若き友を想いつ―
■2023_11_22 幻想の伊吹山
《なぜ登る そこに山あり と言いしが ロマンに溺る おのれおりてや》 實久
―なぜのぼる そこにやまあり といいしが ろまんにおぼる おのれおりてや―
今年に入って、最後の登山にと裏山で足腰を鍛えてきた。
百名山完登の最初の山、伊吹山への再登頂を人生最後の登山と決めていたからである。
紅葉の季節を迎え、登山道の再確認をしたところ、ルートが大雨による崩落で登山禁止であることを
知って愕然とした。
伊吹山ドライブウエーも、あと数日で閉鎖するという。
急ぎ伊吹山頂に向かって車を走らせた。
残雪の急登を山頂へ、霧の中にあった念願の<伊吹山頂1377m>に立つことが出来た。
山頂下に立つ観音菩薩さんが、豊かな登山人生を称えてくれていた。
有難いことであり、幸せをかみしめた。
■2023_11_23 我家の黄葉<借景庭園>
《こころ満つ 黄葉景色 冬時雨 きみ潤おいて われ癒せしや》 實久
―こころみつ こうようげしき ふゆしぐれ きみうるおいて われいやせしや―
志賀の里の我が家のデッキから眺める黄葉は、いま一番の輝きを放っている。
衣替えの自然の姿には、老いの妖艶ささえただよい、その魅力を最大限に見せてくれるのである。
観ていて惚れ惚れする季節である。こころ満ちるひと時に感謝したい。
病床の若き友のこころにも祈りに乗せて、黄葉の景色を届けた。
■2023_11_24 夕陽に輝く鱗雲
《紅の夕焼け小焼け 陽が暮れて カラスも帰る 今宵沈みて》 實久
―くれないの ゆうやけこやけ ひがくれて からすもかえる こよいしずみて―
昨夕、志賀の里は鱗雲に紅の夕陽が映え、幻想の世界に沈んだ。
病床の若き友と、大正時代のロマンあふれる童謡、中村雨紅の<夕焼け小焼け>を輪唱した。
■2023_11_25 温もり伝わる紫婦人―アキギリ<秋桐>
《老いてなお こころ潤おす 秋桐の 笑顔豊けき 君や愛しき》 實久
―おいてなお こころうるおす あきぎりの えがおゆたけき きみやいとしき―
今朝は、小雨が降るなか冬日射す<狐の嫁入り>のなか、遅めの目覚めとなった。
この世にムラサキの花<アキギリ>が存在する、なんと魅惑的で慈愛に満ちた花でろうか。
紫の花の色が、桐の花とそっくりである。
豊かな散策で出会った、野に咲く、気品に満ちたぬくもりのあるアキギリの姿に一目惚れである。
今日も楽しく、心豊かな時間を過ごせそうだ。
こころの響き合い、それが出会いであると思う老いの日々がうれしい。
病床の若き友にも、この潤いある花を、祈りと共に届けた。
■2023_11_27 寒の月
《月満ちて 星燃え出ずる おいお前 君輝きて われ輝きし》 實久
―つきみちて ほしもえいずる おいおまえ きみかがやきて われかがやきし―
10数年前、ユーコンの川下りで出会った、寒空の星たちとコラボする美しい満月に、
ここ志賀の里で昨夜再会した。
その感動は、わたしの心の中に、神話<満月と私>として、いついつまでも宿っている満月と星たち、
わたしとの関係である。
満天の星たちが、満月の月あかりに負けじと輝き歌う様は、
永遠の命あるものへの教訓<メメント・モリー>「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」を
思い出させてくれるように思える。
月は、わたしをはじめ、この世のすべてを見つめ、眺め、記憶にとどめているのだ。
語りかけは、わたしにとって<生の証>である。
■2023_11_28 光あれ
《忘れおる 永遠に注ぎし わが光 気付きて生きし いまを喜ぶ》 實久
―わすれおる とわにそそぎし わがひかり きづきていきし いまをよろこぶ―
旧約創世記にある<命与える光>を今朝も享受していると思うと、万物を構成するちっぽけな己にも、
燃え立つエネルギーを感じた。
光りを貫く釣り灯篭を見ていると、そこに<命与える光>である原始の光を強く感じるのである。
病床の若き友にも<命与える光>が、同じくさんさんと降りそそいでいるのだ。
感謝である。
■2023_11_29 <大津絵>
《冬陽浴び 駈けし近江路 大津宿 侘しき手酌 大津絵笑う》 實久
―ふゆびあび かけしおうみじ おおつしゅく わびしきてじゃく おおつえわらう―
江戸時代、東海道五十三次・大津の宿場の土産・護符として人気のあった戯画・風刺画ともいわれる
<大津絵>を、後の時代に継承したいと長年研鑽を積んでいる親友 篠田常生君から、
恒例の<現代大津絵展>への案内があり、さっそくオートバイを飛ばして鑑賞してきた。
なお、現在 大津市歴史博物館にて、12月3日まで<現代大津絵展>が開催中である。
現代大津絵展にて
<関連ブログ> 2020『星の巡礼 大津絵の世界に遊ぶ』
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2020/12/12/114328
■2023_11_30 白茶花
《再会の 笑み柔らけき 里の村 待ちて焦がれし 茶花絡みて》 實久
―さいかいの えみやわらけき もりのなか まちてこがれし ちゃばなからみて―
なんと爽やかな朝であろうか。 朝陽の温もりのなか野路をゆっくりと歩いて来た。
路傍にひっそりと忘れさられ、侘しく咲くお茶の白花に再会した。
存在に目を止める、そこに会話が始まる。
互いに認め合うとき、そこに温もりが伝わる。
お互いのこの一年の身の上を短く語り合い、しばし見つめ合う沈黙を楽しんだ。
病床の若き友のこころに咲く純白の茶花が、今朝もまぶしく輝いていた。
■2023_11 <葉っぱ>との出会い
《色付きて おのれに沈む 葉っぱおり 問いかけ嬉し この世知りてや》 實久
―いろづきて おのれにしずむ はっぱおり といかけうれし このよしりてや―
森の陰から顔を出し、冬日の中に輝く黄色い葉っぱに出会った。
互いにその存在を認め、「こんにちは」と挨拶を交わし、認め合った一瞬を君も、わたしも楽しんだ。
この世から忘れ去られ、枯れ往く葉っぱが、はじめて語りかけられたのであろうか・・・
その輝きが、あたたかい微笑みに見え、慈しみのこころに満たされた。
■2023_12_01 ススキ舞う
《流るるに ススキも舞いし 綿雲の 寄添いあいて 見つめ合いしや》 實久
―ながるるに すすきもまいし わたぐもの よりそいあいて みつめあいしや―
早いものである、令和5年(2023)も師走を迎えた。
冬空に漂う綿雲に寄り添い、ススキ達が優雅に北風と遊んでいる
風流のなかにも、メロディ―が聴こえてきて一枚の切り絵になる瞬間である。
病床の若き友と、いつまでも飽きることなくススキと綿雲の舞に見惚れた。
■2023_12_02 びわ湖の水位低下
《雨乞いの 生贄描く ナスカ絵に 琵琶の水減り 重ね嘆きし》 實久
―あまごいの いけにええがく なすかえに びわのみずへり かさねなげきし―
近畿の水がめであるびわ湖の貯水量が減り、湖岸の生態系が変化し、
下流地域の日常生活にも影響が及ぶという。
正常水位は、水際が葦のところまであるのに、現在は約65㎝低下し、
危険水域にある。
自然との共生では、人間の豊かさを抑える痛みも必要でありそうだ。
アンデスでの雨乞いの儀式に出会った日を想いだしていた。
ペルーのナスカの乾燥した地に描かれた地上絵は、雨乞いの生贄として
描かれたものではないだろうかと、病床の若き友と語り合った。
■2023_12_02 野のバタフライ<白蝶草>
《沈黙の 天の創りし 姿おや 蝶足らんと 飛翔夢見し》 實久
―ちんもくの てんのつくりし すがたをや ちょうたらんと ひしょうゆめみし―
志賀の里は、淡い薄日のなかに、眠けさめやらない日曜の朝を迎えている。
命与えられ、蝶が舞うように、人知れずに野に咲く白蝶草は、清楚であり、華麗でもある。
白い4枚の花弁に、長いオシベで着飾った姿は、うるわしのプリンセスそのものである。
君はなぜいまここにいて、なぜ君は命の花を咲かせているんだい・・・・・
病床の若き友も、わたしたちにも似ているんですね、といって目を細めた。
■2023_12_04 柿の目の憂い
《柿の目に 光りし輝き われ見つめ 浮世の知恵に 流されるなと》 實久
―かきのめに ひかりしかがやき われみつめ うきよのちえに ながされるなと―
食べごろの甘柿に包丁を入れた。現れた柿の表情に目を見張った。
この目の輝きに、君は何を思うかと…柿の種の目が問いかけてきたからである。
人間は、先入観に惑わされ、本質を見失う動物であると・・・
柿の種に猫の目を見た時、そこにおのれを見透かされている澄んだ目を意識し、
心うちを覗かれたように感じたものである。
しかし、病床の若き友に、生あるものすべて、こころの目を持っているのですね、
と教えられ、はっとおのれに気づかされたのである。
それは・・・・
■2023_12_05 黄金の輝き<銀杏>
《人の世の 愛に満ちたる 過ぐる日や 葉っぱのフレディ 散り舞い往きし》 實久
―ひとのよの あいにみちたる すぐるひや はっぱのふれでぃ ちりまいゆきし―
滋賀京都県境<途中越え>の麓にある還来神社(もどろぎじんじゃ)を、黄金の社に染める銀杏の大樹が、
その葉を散り急がせ、鮮やかな舞いを見せていた。
そう、葉っぱのフレディの華麗な旅立ちである。
今年も、おおくの友が、再会を約してこころ豊かに旅立っていった。
落ちゆく黄金の葉の舞にも、それぞれの表現があって、見送るこちらを癒してくれた。
なんと素敵な散り仕舞いであろう・・・
■2023_12_06 巌の姿<竹生島>
《遥かなる 歴史に浮かぶ 竹生島 君に会いたき 巌おりしや》 實久
―はるかなる れきしにうかぶ ちくぶじま きみにあいたき いわおおりしや―
ぴりっと寒い朝の散歩に出かけてきた。
琵琶の歌う、心地よいささ波に耳をかたむけながら歩いていると、どっしりと腰を据えた
大きな岩が目に入った。
北の空一杯に広がる、遥かなる白雲を見つめる岩姿に、達観した巌の物に動じない姿があった。
奥琵琶湖に浮かぶ<竹生島>を、その巌の姿に重ねていたのである。
病床の若き友と、この巌も、びわ湖40万年の歴史に翻弄されてきた竹生島の遠景を仰ぎ
見てきたのであろうか、と語り合った。
■2023_12_07 鎮魂のリース
《清き暮れ 虚しきこの世 繰り返す リース憂いし 愚かなりしを》 實久
―きよきくれ むなしきこのよ くりかえす りーしうれいし おろかなりしを―
クリスマスを祝う季節を迎え、比良の蓬莱山を映す玄関の扉に飾った。
たくさんの命を奪い合う戦いがつづき、硝煙の止まない一年であったことにこころを痛めるなか、
<荒んだこころに、あたたかい一筋のともし火がありますように・・・>と
鎮魂のリースでもある。
■2023_12_09 こころを結ぶ水
《さらさらと 流るる水の 清くして 愛語送るや 祈り伝えし》 實久
―さらさらと ながるるみずの きよくして あいごおくるや いのりつたえし―
《岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水は流れる》 作者不詳
水それは、体内の65%程を占め、同じく地球の65%程を占めるという。
水は毛細血管のように地球の隅々まで行き渡り、手を水につけて祈ると、その祈りは水を通して
相手に伝わると信じている一人である。
海外にいる家族や、友人との心の通いも、水に託して送り届けている。
日本人は、昔から水が、清らかで聖なるものとして敬って来た。
山々を縦走した時、砂漠を横断した時、その一滴の水に助けられたことに感謝したものである。
我々は、水なくして生きられない。 水は、日々感謝したいものの一つである。
びわ湖に流れ込む比良山系の水は、宇治川を下り、太平洋に達し、潮に乗って世界各地の友人を訪ねて
くれる。 また、蒸発した水は、雲となり、国境を越え、雨を降らせて飲み水となり、世界に散らばる
仲間にメッセージを届けてくれるのである。
■2023_12_10 石の一生<流浪の皺>
《共鳴の こころ疼きし 流転石 老いの皺みて 互い憐れむ》 實久
―きょうめいの こころうずきし るてんせき おいのしわみて たがいあわれむ―
今朝、志賀の里は曇り空の中にある。
昨夜の仲間との飲み会での楽しい会話を思い出しながら歩いて来た。
ここ志賀の里、びわ湖岸<松の浦>で、流転のうちに姿を磨き、風貌を形作って来た一塊の石に
声をかけられた。
出会いの最初の印象は、カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路850㎞を踏破した際、
巡礼者の印としてリュックにくくりつけた<帆立貝>を思い出した。
さらに、ケニア・ビクトリア湖畔から眺めた雪を頂いたキリマンジャロのシルエットを
思い出したのである。
なぜこの老石は、こちらに声掛けしたのであろうか。
多分、おなじく流浪で見に付けた独り旅の醸し出す老いの皺に魅了されたからだろうと納得した。
出会いに感謝し、温もりのともし火残る我が家に招き入れ、賓客として逗留願うことにした。
病床の若き友といい、出会いとは不可思議なものである。 感謝である。
■2023_12_11 びわ湖を見下ろす散歩道
《吟ずるに 暮色愉しむ びわの湖 教えられしや 老いの幸せ》 實久
―ぎんずるに ぼしょくたのしむ びわのうみ おしえられしや おいのしあわせ―
黄砂を含んだ霧に薄暗かった空も明け、夕焼けに染まりゆくびわ湖も輝いていた。
我家より、びわ湖への散歩道は、一気に高度を下げて、駈け下りる。
上がる時は、心臓破りの丘にと早変わりするのである。
一日一度は、この坂を往復して足腰を鍛える目標を立てたが、老いと共に計画通りにはいっていない。
かえって、見えなかった景色を楽しめるようになってきたことを喜んでいる。
それは、上りのゆっくりした歩みに合わせて、呼吸を整え、漢詩を吟じながら、坂を上りきるのである。
頼山陽作「不識庵機山を撃の図に題す」など、天空をにらみ、気を吸い、情景を描き、腹から
ゆっくりと声を絞り出し尽くすのである。 爽快である。
病床の若き友も、急坂上りに汗をかきながら、背後から押してくれた。
■2023_12_12 純なる白椿
《凛として 寒に添えたる 白椿 こころ射止めし 純なる顔や》 實久
―りんとして かんにそえたる しろつばき こころいとめし じゅんなるかおや―
こころを突きさす純白の椿、この世と思えない無垢な姿を見せていた。
《庭上の一寒梅 笑って風雪を侵して開く 争わずまた努めず 自ずから百花の魁を占む》
隣で、後輩の病床の若き友も、共に詠じてくれた。
雲の間から、顔出す冬日を見上げながら、それぞれの顔が輝いていた。
■2023_12_13 沈みゆく森
《沈みゆく 森のファンタジー われ招き 霧をまといて 幻見せし》 實久
―しずみゆく もりのふぁんたじー われまねき きりをまといて まぼろしみせし―
今朝、志賀の里は霧の中にある。
吸い込まれるように霧の森を歩いていると、タイタニックのあの調べに包まれた。
ピアノのあの旋律が、沈みゆく森をさまよう己を吞込んでいくではないか。
沈みゆく世界のなんと静かなることか、四万十川上流の滝壺にカヤックで沈して、
無音の世界に没したあの一瞬のバラ色のファンタジーにひたった。
■2023_12_14 <流れ星>
《野に臥して 仰ぎし夜空 星流れ 短き運命 識りて慰さむ》 實久
―のにふして あおぎしよぞら ほしながれ みじかきさだめ しりてなぐさむ―
三大流星群の一つ<双子座流星群>を観察するため暗闇に臥して、
オリオン座の南側を一瞬にして流れ去る、<流れ星>たちを見送った。
<流れ星>の携えきた、夢あるメッセージを想い描きつつ、
燃え尽きる流れ星の運命のはかなさに心を寄せ、おのれを重ねた。
<流れ星>ショーで冷えた体を、熱い風呂であたため、ベッドにもぐりこむ、
瞼に浮かぶ<流れ星>がいつまでも消えず、夜空の星たちと遊んだ。
写真 <ふたご座流星群>ウエザーニュース提供
■2023_12_15 達磨さん
―はくいんげ しゅじょうほんらい ほとけなり このみすなわち ほとけなりやと―
小雨の中、立寄った樹下神社、花梨(カリン)が、音もなく目の前に落下した。
その姿に、坐禅する禅僧の姿、そう瞑想する達磨を見た思いである。
鋭い眼光を持った白隠禅師の『達磨図』がよぎり、その立派な鼻に一瞬にして魅了された。
出会いは運命である。 大切にしたい。
白隠禅師の「白隠坐禅和讃」からは、多くの学びをえている。 感謝である。
■2023_12_16 家路
《笹の陰 ふところ終い 家路へと 思えば今日も 永遠に光りし》 實久
―ささのかげ ふところしまい いえじへと おもえばけふも とわにひかりし―
残光に遊ぶ笹の陰に、迫りくる寒気が漂い始めた。
襟を立て、温もり残るわが家へ、薄れゆく影を踏みながら家路を急ぐ・・・
今日と言うひとときも、陽は落ちて永遠の中に沈んでいった。
比良の峰にドヴォルザークの新世界<夜の世界>のメロディーが木霊した。
―遠き山に 陽は落ちて 星は空を ちりばめぬ―
病床の若き友と、スカウト時代の愛唱歌を、そっと口ずさんだ・・・
■2023_12_17 幽玄
《幽玄の 世界に沈む 謡聴き 触れし魂 今を彷徨う》 實久
―ゆうげんの せっかいにしずむ うたいきき ふれしたましい いまをさまよう―
小雨降る京の都、御所の向かいにある金剛能楽堂に出かけ、古典芸能である謡を鑑賞する機会に恵まれた。
長年、稽古に励んでいる仲間が所属する金剛能楽<朋曜会>の発表会に誘われたのである。
駈けつけた仲間と共に、能楽堂に響き渡る言霊、朗々とした謡を楽しませてもらった。
囃子方によるパンチの効いた演奏に励まされる謡、ひと時の幽玄なる世界に迷いこんで、
番囃子「黒塚」の語りに聴き入った。
古典芸能の世界は厳しいと聞く。その上達には、弟子が師匠からその技芸をいかに盗みとれるか、
稽古後の血のにじむ反芻にあると云われる。
おのれを磨く、大変な道を精進する仲間にエールを送った。
■2022_12_18 心の響き
《彷徨いて 仰ぎし森の 杉木立 天使の歌声 われらに満ちし》 實久
―さまよいて あおぎしもりの すぎこたち てんしのうたごえ われらにみちし―
小雪ぱらつくなか、森に誘われ、分け入って来た・・・
体を横たえた杉の枯葉絨毯はパリッとすこし音を立てた。
土の温もりがかすかに体に伝わってくる・・・
見上げる杉木立は、宇宙への入口、まるで天蓋である。
目を閉じてみる、そこはもう永生の世界に早変わり・・・
調べも清らかな、こころに響く、つきない命をたたえる天使の歌声がひろがった。
病床の若き友にも、天使の歌声を届けた。
―げにも生きるとは ただならじ 後ろの物を うち忘れ
前なる物を 望みつつ いざためわらで 奮い立たん―
■2022_12_19 寒気団南下
《琵琶に見る 鏡のごとき 静水に 武蔵のこころ 映しおりてや》 實久
―びわにみる かがみのごとき せいすいに むさしのこころ うつしおりてや―
比良の峰にも、ようやく冠雪をみた。
鏡のごときびわ湖の水面も寒波の予兆を悟り、ささ波が立ちだした。
ここ志賀の里も、ようやく年の瀬の厳しい寒さに向かっているようである。
宮本武蔵の機熟の心境を詠んだ情景「寒流 月を帯びて 澄めること 鏡の如し」を、
病床の若き友と、ここびわの湖で体感した想いである。
■2023_12_21 駈ける
《母なりし 慈愛あふるる びわの湖 サイクル駈けし 日々懐かしき》 實久
―ははなりし じあいあふるる びわのうみ さいくるかけし ひびなつかしき―
寒気団を迎える前のびわ湖は、晴天に恵まれている。
爽やかな汗をかきながら、湖岸で自転車を走らせてきた。
新春耐寒びわ湖一周サイクリングに備えての第一歩を踏み出した。
びわ湖の水も、澄み切った青空でおおわれ、その奥に光る小石を揺らしていた。
想い出に生きる、これまた老人の哀愁に満ちたロマンである。
恒例の新春びわ湖一周サイクリングを前に、病床の若き友と衰えた
脚力を鍛えるためトレーニングはじめた
■2023_12_22 石組
《石もまた 形変えての お目文字に 残りし姿 いま生きおりし》 實久
―いしもまた かたちかえての おめもじに のこりしすがた いまいきおりし―
あたたかい冬陽ではあるが、厳しい寒さのなか襟を立て、近くの歯医者に立寄った。
先にご紹介した、志賀の里<木戸>にある、老杉が鎮座する樹下神社は、正平3年(1348年)に、
木戸城主佐野豊賢により創祀された。
その樹下神社(14世紀)の石垣に、クスコで見られるインカ(13世紀)の石組に見劣らない姿を
見つけて、こころ踊らせた。
直角にこだわったインカの石組に対して、原石の姿を生かした樹下神社の石組に日本の美が見てとれる
のである。
病床の若き友に、わたしたちも何か残したいものですね・・・と思案顔で問いかけられた。
<関連ブログ> 2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』Ⅰ
樹下神社の石組 ペルー・クスコで出会ったインカの石組
クスコで見られるインカ(13世紀)の幾何学的
石組剃で刀の刃でさえ差しこめない隙間で有名
■2023_12_23 緑の絨毯<休耕田>
《鋤鍬を 待ちて久しや 休耕田 向こうのお山 エール送りし》 實久
―くわすきを まちてひさしや きゅうこうでん むこうのおやま えーるおくりし―
北陸方面は大雪だという。 志賀の里は浮雲の間から、冬陽がさんさんと降りそそいでいる。
寒空のもと、ここ志賀の里でも、急に休耕田が目につきだした。
田畑を耕す人口の高齢化が叫ばれる中、田畑が休耕に入っているようである。
休耕田を覆うグリーンカーペットの、生産の喜びを待望する姿に、侘しさの中にも温もりを感じた。
原始の姿に戻る前に、人の手を入れてやりたいものである。
病床の若き友は、スカウト・ソング<むこうのお山>(アメリカ民謡・中野忠八作詞)を歌って、
グリーンカーペットにおおわれた休耕田にエールを送っていた。
―向こうの お山に 黒雲かかれば 今日は来そうだ 大夕立ー
■2023_12_24 メリークリスマス!
I wish you and your family great happiness. S. Goto
《人の世の 戦い尽きぬ クリスマス 何を生みしか 憎しみの果て》 實久
ーひとのよの たたかいつきぬ くりすます なにをうみしか にくしみのはて―
ベツレヘム・聖誕教会にて <生誕教会>洞窟跡にあるイエス生誕飼い葉桶
■2023_12_26 <漬物>という作品
《友漬ける 姿嬉しき 青菜の 沁いる香り 仄かなりしや》 實久
―ともつける すがたうれしき せいさいの しみいるかおり ほのかなりしやー
暮れに、山形から手作り作品<青菜漬>(せいさいづけ)が送られてきた。
作者は、これまた長年のスカウト仲間で、旅を愛するバックパッカー、芭蕉翁を敬い、
風流な俳句を作り、畑で野菜作りに励む自由を愛する男である。
自然を愛し、個性豊かな仲間が作った<漬物>という作品からは、発酵による野菜の
持つ香が匂いたち、食欲をそそった。
それ以上に、みずみずしい色彩が日本的であることに歓声を上げた。
醗酵食品である漬物は、<香の物>として茶の湯でも親しまれてきたというから、
これまた大和的である。
漬物を仕込む友の姿がふと浮かんだ。
友はいいものだ。
■2023_12_27 宝物―ペティナイフ
《友よりの 気持ち嬉しき 年の瀬に 飾り眺むる 鹿柄ナイフや》 實久
―ともよりの きもちうれしき としのせに かざりながむる しかえないふや―
今年、我家の宝物に、また一つ手作りのペティナイフが加わった。
刃渡り4cmのペティナイフが、鹿角の柄におさまる忍びのナイフに、
4色の皮紐がついた洒落者である。
もちろんナイフは、山登りなど野外で使える優れものであるから嬉しい。
それもイニシアル付きである。
それにもまして、何よりも嬉しいのは、製作者がこよなく山を愛し、自転車を溺愛する、
神戸須磨に在住の、スカウト時代からの同好の士であり、手作りというハートフルな
プレゼントをしてくれたことである。
友の気持ちをいついつまでも大切にしたい。
今年も多くの仲間との再会を果たし、
長年の友情を確かめ合う素晴らしい一年であったことに感謝したい。
<関連ブログ> 2023『星の巡礼 頬杖の刻ー短歌集』
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2023/07/16/172501
■2023_12_28 迎光<82年目の暁>
《目覚めよと 来る朝毎に 光あり 歳老いてなお われ励ませし》 實久
―めざめよと くるあさごとに ひかりあり としおいてなお われはげませし―
夜が明けるさまは、実に感動的である。
《そこに光があった》天地創造の瞬間である。
光りのもとに生を受け、29930日目の記念すべき82回目の朝を迎えた。
餅つきのあと、産婆さんが駆け付ける前に、自力でこの世に産声を上げたという。
今朝の志賀の里の暁は、ケニアの赤道直下にある野生動物<アンポセリ国立公園>の
サファリ・キャンプサイトで遭遇した猛獣・チーターとの攻防の朝に似ていた。
早朝、キャンプサイトの外回りを散策していて、チーターに追いかけられ大木の枝に逃れ、
スタッフに助けられ、こっぴどく叱られたものである。
病床の若き友も、先日10585日目の29才の誕生日を迎えた。
誕生、それは輪廻転生ともいわれるが、魂の永生の一表現としてとらえてみたい。
誕生とはそもそも哲学的である。
多くの友からの誕生メッセージや、Messengerがあり、心に沁みいる朝となった。
こころから感謝申し上げます。
迎光<82年目の暁> 志賀の里 孤庵にて
ケニア<アンポセリ国立公園>サファリの暁。猛獣除けの棒切れをもって散策中・・・(笑い)
■2023_12_29 年末大掃除
《汚れとる 心や嬉し 大掃除 元気印に 感謝しおりし》 實久
―よごれとる こころうれしや おおそうじ げんじじるしに かんしゃしおりし―
彦根にある墓の掃除をはじめ、暮れの大掃除に汗をかいた。床を拭き、ワックスを塗って、磨き上げ、そして溝の落葉拾いである。やはり歳である、疲れからの心地よい仮眠は、夕暮れまで続いた。
年末の大掃除にも、役に立っている健康に感謝である。
■2023_12_30 <釣り灯篭>
《空のなか 坐禅勤むる 僧に問い 賜わる一喝 おのれ見よやと》 實久
―くうのなか ざぜんつとむる そうにとい たまわるいっかつ おのれみよやと―
除夜の鐘まであと一日、寒き冬の闇に光る<釣り灯篭>の優しい輝きに、豊かな時の流れを感じた。満月のもと、黙して語らず、沈思する修行僧<釣り灯篭>に問うてみた。
「吊るされし一生、汝なにを想いしや」 「・・・・・」
沈黙のなかに、<喝、おのれを見よ!>やと・・・病床の若き友と、広大無辺なる宇宙にただよう我らを認めた瞬間である。
■2023_12_31『志賀の里 2023歳時記 短歌集』
比良山系 蓬莱山麓に棲んで34年、山里にある<孤庵>での日常を通して、志賀の里の四季を詠んだ短歌集『志賀の里 2023歳時記』を綴ってみました。
老体を山里に没し、びわ湖や比良の峰、天空に輝く星たちや月、野に咲く花たちとの対話を通しておのれを見つめた短歌集です。 一老人の山里に生きる歳時記に目を通していただければ幸いです。
志賀の里<孤庵>にて 2023年12月30日 一老人
■2023_12_31 大晦日の朝
《ひとはみな 異なる旅路 歩めども 普遍なりしや 望みと愛は》 實久
―ひとはみな ことなるたびじ あゆめども ふへんなりしや のぞみとあいは―
今年最後の朝を迎えた。多くの人が戦いで命を落とした悲しい年であった。
気候変動に対処できず消えゆく島を救えそうもない年でもあった。
人間のエゴ・傲慢・無智・無関心が人のこころを蝕んだ一年となった。
2023(令和5)年、最後の朝、曇天のなか一瞬、変わらない地球の美しい朝焼けを見せてくれたのが、
せめてもの慰めである。
来る年が、お互いを認め、希望ある、愛ある年でありますように・・・
『志賀の里 2023歳時記 短歌集』
志賀の里 孤庵にて 詠み人 後藤實久
完
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<関連ブログ> 2023『志賀の里 2023歳時記 短歌集』Ⅰ
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2023/12/26/215252
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