shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2022『星の巡礼 志賀の里 歳時記 』

         『志賀の里 歳時記 2022 短歌集』

 

 2022年(令和4年)、コロナはオミクロンと変種を重ね、ウイルスが人類を翻弄するも、

 人類は、その節制と融和、自由と平等、愛と情けを捨て去り、憎しみと殺戮に踏み

 込んだ年となった。

 ここ志賀の里は、四季の変化のなか、変わらない時の流れに身を任せて平和の中に 

 あった。

 住人であるわたしは、老いの小さい営みにあって、一喜一憂し、体と脳の縮みに、

 緩慢の生を見つめる一年でもあった。

 これは、比良山麓 志賀の里 <孤庵>に住する老人の日記である。

   

            志賀の里 孤庵にて 詠み人 後藤實久

 

 

 

■ 1_01 謹賀新年 Happy New Year ! 令和4年元旦

 

《 新玉に 疫病という 試練受け かすかな望み 冬陽嬉しや 》 實久

  ―あらたまに えきびょうという しれんうけ かすかなのぞみ ふゆひうれしや―

 

 つづく疫病にも慣れてきて、少しは落ちつきがみられるようです。

 与えられた試練に対して、かすかな希望が見えて来る年になりそうです。

 もう少しの我慢、お互い少しでも明るい年にしたいものです。

 

             

 

 

■ 1_02  書初め

 

 正月2日目、熱烈なフアンであるラグビ―大学選手権準決勝二試合を観戦しながら、

 恒例の<書初め>に、少年期を想い、傘寿を迎えての短歌二句を書道半紙に書いてみた。

 

《 鼻垂らし へのへのもへの 墨の香や 叫びしラジオ 慶賀バンザイ 》 實久

  ―はなたらし へのへのもへの すみのかや さけびしらじお けいがばんざいー

 

《 さすらいの 日の暮れゆきし 仮の宿 天を望みて 主待ちてや 》 實久

  ―さすらいの ひのくれゆきし かりのやど てんをのぞみて あるじまちてや―

 

《 こんこんと 舞いし白雪 ゆりしずく  酔い崩れたし 沁み入る友と 》 實久

  ―こんこんと まいししらゆき ゆりしずく よいくずれたし しみいるともと―

 

                       

 

 

 

■ 1_04  雪の森を散策しながら

 

 積雪の森のしじまに誘われて、鹿の足跡を追いながら、正月三日を俳句にしたためてみた。

 

《 抜け出せぬ 温もり笑ふ 花氷 》 實久

 ―ぬけだせぬ ぬくもりわらふ はなごおり―

 お正月の寒気に、温もりのベットから抜け出せず、ぐずぐずしている私を見て、ツララがわらっている。

 

投げ銭の 鬼瓦鳴く 静寂かな 》 實久

 ―なげぜにの おにがわらなく しじまかな―

 初詣で、お賽銭の音が鬼瓦に響いて、周りの静寂を破ったではないか。

 

《 絞りだす 残滓目出度き 発句かな 》 實久

 ―しぼりだす ざんしめでたき ほっくかな―

 発句を作るむつかしさ、絞りだした後の残滓の中に光るものがあるものだ。

 

                         

 

 

 

■ 1_05 天地創造<光あれ>

 

ハイドンの 光の誕生 捧げなば こころ洗わる 来る朝毎に 》 實久

 ―はいどんの ひかりのたんじょう ささげなば こころあらわる くるあさごとに―

 

  志賀の里、令和4年1月5日午前07:08amの天地創造の風景である。

  黒い雪雲から白い雪の妖精が舞い降りる中、ヨーセフ・ハイドン天地創造<HAIDN-CREATION>を

  聴きながら迎えた。

 

             

 

 

 

■ 1_05 古蝋梅の百寿を祝う

 

《 こんにちは 今年も元気 古蠟梅 聖なる笑顔 百寿祝いし 》 實久

 ―こんにちは ことしもげんき ころうばい せいなるえがお ひゃくじゅいわいしー

 

 自然の摂理、それは神の鼓動かも知れない。

 こころの耳をそばたてると、歌声が聴こえてきそうである。

 生きることの喜びを歌うその姿には、厳しい戦いと、自由なる平安が見てとれる。

 今年も生家にあった蝋梅の三代目(移植)が、残雪の裏庭で控えめな色の花を咲かせてくれている。

 初代は、わたしの誕生も見届けているので、100歳を越えていると推測する。

 わたしは親愛の情を込めて、この一世紀を見続けてきた古蝋梅に祝福の口づけをした。

 

               

 

 

■  1_14 志賀の里も銀世界

 

雪の華 しみいる舞いや 志賀の里 触れしわが頬 雫おぼゆる 》 實久

 ―ゆきのまい しみいるまいや しがのさと ふれしわがほほ しずくおぼゆる―

 

    志賀の里は、この冬4回目の白銀の世界、雪の舞を楽しんでいる。

 

                             

               


 

 

■2022_01_17 梅の剪定

 

《 艶やかに 花芽顔出す 梅ありて 恵み豊けき 実り夢みし 》 實久

 ―つややかに はなめかおだす うめありて めぐみゆたけき ものりゆめみし―

 

 小梅の花芽が色付き始め、春の到来を告げている。

 日本には、古来「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺がある。

 小梅の枝に花芽をたくさん付かせ、花を咲かせ、元気な実が付くようにと願い、小枝や暴れ枝の剪定を

 させてもらった。

 人と自然のコラボ、そこに人のエゴと愛を感じる。

 

               


 

 

■ 1_17  震災を鎮魂す

 

《 月日去り 忘れしこころ 痛みてや 遠き彼方に 震災覚ゆ 》 實久

 ―つきひさり わすれしこころ いたみてや とおきかなた しんさいおぼゆ―

 

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、在職していた大学の多くの学生が被災した。水タンクと

 ビニー ルシートを積み、学費免除の書類をもって仲間と駆け付けた記憶が、昨日のように思い出される。

 あれから四半世紀以上たち、被災地は見事に復興したが、痛みはいまなお多くの被災者に残されている

 事を思うと、胸が痛むのである。

 

                             


 

 

■ 1_19  雪に己を見る

 

《 今に生き 雪に遊びし 我おりて 融けゆく姿 また美しき 》 實久

 ―いまにいき ゆきにあそびし われおりて とけゆくすがた またうつくしき―

 

 この冬の雪は、例年に比べて降雪日は多いが、雪解けもはやい。

 朝早く、裏庭に続く雪の林にテントを張り、焚火に鍋を乗せ、山食であるインスタントのチキンラーメン

 を作り、いただいた。 雪融けの情景を、己にかぶせて詠んでみた。

 今ここに、雪の中に遊ぶ自分がいる。雪どけの消え入る姿を己に重ねると、侘び寂の美しさを

 感じるものだ。

 

                             


 

 

■ 1_20  大雪

 

《 白雪の 足跡たどる ときめきに 溶け入る己 子供返りや 》 實久

 ―しらゆきの あしあとたどる ときめきに とけいるおのれ こどもがえりや―

 

 久しぶりに志賀の里は大雪である。

 昨日楽しんだ雪上キャンプの跡にも、沢山の雪が積もった。

 最近の雪はすぐ解けるので、朝早く童心に返って雪中ウオーキングを楽しんできた。

 自然の厳しさに挑戦しようとする心は、老いてもなお奮い立つものである。

 

               


 

 

■ 1_21  雪舞い終えて

 

《 志賀の里 静寂に沈む 雪達磨 雪舞い終えて 森の宴や 》 實久

 ―しがのさと しじまにしずむ ゆきだるま ゆきまいおえて もりのうたげや-

 

《 ハレルヤと 天使歌いつ 光満ち 雪雲去りし グロリアの朝 》 實久

 ―はれるやと てんしうたいつ ひかりみち ゆきぐもさりし ぐろりあのあさ—

 

 ドカ雪に森も驚くなか、雲間に光射し、小鳥たちの歌声も帰ってきた。 

 ここ志賀の里は、雪景色の中に沈んでいる。

 

                               


 

 

■ 1_23  汗する雪掻き

 

《 腹空かし さまよう鹿や 雪埋まり  悲しき声の 響きてわびし》 實久

 ―はらすかし さまようしかや ゆきうまり かなしきこえの ひびきてわびし-

 

 大雪のあと、積雪も減って来たので雪掻きに汗した。

 食べ物を求めて山から下りてきた鹿たちも、収穫なく腹をすかしたのだろうか、鳴きながら山に帰って

 いく悲しい姿に出会った。 志賀の里の住民もこれまで何度も、食料を求めてリュックを背負い、食料

 を買出しに積雪のなか歩いて下山したものである。

 鹿たちにも、温かい家庭と家族が待っていいてくれればと、切に祈るものである。

 

                             

 


 

■ 1_23  ブログ更新 

 雪の多かったこの冬、森の家に閉じこもってブログ2編を仕上げた。

 ぶらりとお立ち寄りいただければ幸いである。

 

 『星の巡礼 ボリビア縦断 ウユニ塩湖に遊び、南米最南端ウシュアイアに向かう』

  https://shiganosato-goto.hatenablog.com/.../01/28/234520

 

           


 『星の巡礼 パタゴニアフィヨルド ー パノラマスケッチ展』

  https://shiganosato-goto.hatenablog.com/.../01/28/235057

 

           


 

 

■ 1_31 今日も新たなり

 

《 新たなる 来る朝毎に 喜びて 迎えし夜明け 29235かな 》 實久

 ―あらたなる くるあさごとに よろこびて むかえしよあけ 29235かな―

 

 人の命には限りがある。

 今朝、美しい29235回目の夜明けを迎えた。

 心して一日を味わいたい。

 

               


 

  

■ 2_02 火星人からの宿題

 

《 夢追いし 子供心に 火星人 出会ってや謎 深まり行きし》 實久

 ―ゆめおいし こどもこころに かせいじん であってやなぞ ふかまりゆきし-

 

 JR湖西線のガード下、早朝の散歩で火星人に出会った。

 彼は、イギリスのSF作家ウェルズの小説「宇宙戦争」のなかにでてくるタコのように細長い手足ではなく、

 より人間に近い手足を持っていた。

 UFOへ帰還のため、近づく列車を待っていたのだろうか、己の姿と謎の記号をガード壁に残して姿を

 消した。

 ただ姿を消す前に、謎が解ければコールサイン20220202を呼び出してくれと言い残した。

 さて、火星人は一体どのような謎を人類に残したのだろうか。

 みんなで考え、推測し、謎を解いてみたい。

  

                             

 

 

 

■ 2_02 UFO地球を去る

 

《 去りゆきし UFO見送る 琵琶の鴨 星の安寧 祈り託せし 》 實久

 ―さりゆきし UFOみおくる びわのかも ほしのあんねい いのりたくせし―

 

 暮色のなか、出会った火星人が乗ったUFOは、琵琶湖に浮かぶ鴨たちと私たちに見送られながら静かに

 地球を離れていった。

 彼らが地球に残したメッセージを解き明かし、彼らに提示できるように急がなければならない。

 それは地球の混沌からの脱出の方策か、それとも光明の告知なのか。

 

  

                                       

 

 

■ 2_07 勿忘草(わすれなぐさ)

 

《 ああ逝きし 勿忘草や 露の華 夢路つきにし しばしの別れ 》 實久

 ―ああゆきし わすれなぐさや つゆのはな ゆめじつきにし しばしのわかれ―

 

 ここ一週間の内に、忘れられない人たちを見送った。

 人とのこの世での出会いは、いくつもの機縁が織りなす露の華のように思えてならない。

 時くれば、姿を消し去るが、それもしばしの別れ、また会えると思うと、魂の交流は永久に続くもの

 であろう。

 

 

                               

 

 

■ 2_09  小春日和

 

《 浮き浮きと 小春日和や 志賀の里 伊吹の雪も 姿かすみし 》 實久

 ―うきうきと こはるびよりや しがのさと いぶきのゆきも すがたかすみし-

 

 老体に小春日和のぬくもりが、心地よい。

 伊吹山の白銀も、空に溶け入って、霞んでいる。

 白雲たちも、浮立つこころを抑え、

 David Foster の<Love, Again>を歌い上げている。

 ここ志賀の里は、小春日和のうたたねの中にある。

 

                             


 

 

■ 2_16 盆梅に魅せられて

 

《 幾百年 命継ぎにし 盆梅の 愛でる心に 花も咲きにし 》 實久

 ―いくひゃくねん いのちつぎにし ぼんばいの めでるこころに はなもさきにし―

 

《 対峙せし 小さき巨樹 盆梅の いまを生きてや 足るを教えし 》 實久

 ―たいじせし ちいさききょじゅ ぼんばいの いまをいきてや たるをおしえし―

 

 長浜の盆梅展、盆栽の魅力に浸ってきた。

 老体を巌の如くにして、盆栽に託し、新たなる花を咲かせている姿は実に美しい。

 この生命溢れる尊い盆梅に対峙したとき、己のこころが震えるのを感じた。

 帰りには、長浜名物<鯖そーめん・焼鯖寿司>にも出会えて、近江路を楽しんだ。

 

 

                           

 

 

 

■ 2_18 我家の寒梅

 

 この冬、志賀の里は何度も美しい雪世界に沈んだ。

 今朝は、銀世界を背景に蝋梅の花を投げ入れながら、

 同志社創始者 新島襄作 詩吟『寒梅』を声高らかに詠じた。

 清々しく、爽やかである。

 

 庭上の 一寒梅           ていじょうのいちかんばい

 笑って風雪を侵して開く         わらってふうせつをおかしてひらく

 争わず又力めず           あらそわずまたつとめず

 自ずから百花の魁を占む           おのずからひゃっかのさきがけをしむ

 

                               


 

 

■ 2_20 一杯機嫌の狸親爺

 

《 人びとに 感動呼びし 祭典の 平和の陰に 火薬匂いし 》 實久

 ―ひとびとに かんどうよびし さいてんの へいわのかげに かやくにおし―

 

 裏庭の雪をかぶった狸親爺が語りかけてきた・・・

 「冬季北京オリンピックは、今日で終わるのだね。 平和の祭典の陰に、戦争への導火線がくすぶる

 なんて 人間の狡猾さを見る思いだよ。 人間には、しっかりしてもらいたいものだ。」

 いつまでも世界が平和でありますように!

 

                               

 

 

 

■ 2_23  浮雲に抱かれて

 

浮雲に 我重ねしや 根無し草 行けど行けども 道果てずして 》 實久

 ―うきぐもに われかさねしや ねなしぐさ いけどいけども みちはてずして―

 

 浮雲に、若き放浪時代の自分を重ねることがある。

 その浮雲の下で、旅路を終えた釣り船が、びわ湖のさざ波を聴きながら、平安の眠りの中にいる。

 このような光景に出くわすと、安らかな気持ちになり、人生の重荷から解き放たれ、こころ豊かな自然人

 に還るのである。

 

                               


 

 

 ■ 2_24  びわ湖畔 松の浦浜の夕焼け

 

《 コロナ禍に 怯える日々や 浜に出で 皺顔伸ばし 夕陽染めにし 》 實久

 ―ころなかに おびえるひびや はまにいで しわがおのばし ゆうひそめにし―

 

 春を待つびわ湖 松の浦の夕焼けは美しい。

 三日前、老体にコロナ三回目ワクチン接種(ファイザーで統一)を終えたあと、松の浦の夕焼けを

 楽しんだ。

 接種の8時間後、注射した辺りに鈍痛と、腕の上げ下げに少々の痛みを感じたが、36時間後の現在は

 平常の健康状態に戻っている。

 ワクチン接種可否についての議論があることは承知しているが、老人の一日も早いコロナ禍終息を願っ

 てのご報告である。

 ここ松の浦は、子供のころ江若鉄道(現在のJR湖西線)に乗って、よく泳ぎにきた懐かしい琵琶湖畔に

 ある浜である。

 <写真奥の山並みは、比叡山です>

 

                               


 

 

■ 2_24 春陽のもと

 

《 さんさんと 春陽注ぎし  温もりの 浮き立つ君や 姿優しき 》 實久

 ―さんさんと はるひそそぎし  ぬくもりの うきたつきみや  すがたやさしき―

 

 平和の象徴、オリーブの葉に春陽が注がれ、その幸せな顔を太陽に向けている姿は美しい。

 生けるものとして、共に今の幸せを噛みしめているなか、ウクライナが侵略されるという悲しい出来事が

 起こっている。

 人類の英知が崩れ去っていくのであろうか、悲しいことである。

 

                             

 


 

■ 5_07 吟行サイクリング

 

《 囀りに 春眠覚ゆ びわ湖岸 絶えぬ砲声 彼の地の果てに 》 實久

 ―さえずりに しゅんみんおぼゆ びわこがん たえぬほうせい かのちのはてに―

 

 久しぶりに吟行さいくりんぐに出かけてきた。

 新緑のびわ湖に抱かれて、戦雲におおわれたウクライナに想いをはせつつサイクリングに汗をかき、

 テントにもぐり込んで短歌を詠んできた。

 お目を通していただければ幸いである。

 

      

 

 

 

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 ■ 6_16 神秘なる花 オクラ

 

《 神秘なる いのち輝く オクラ花 いづこから来て いづこへ去るや 》 實久

 ―しんぴなる いのちかがやく おくらばな いづこからきて いづこへさるや―

 

 ここ淡湖(あわうみ/びわ湖)も梅雨に入ったようである。

 この世の平和を願って、オクラも大輪の花を咲かせた。

 神の創造物はみな素晴らしい。

 「君はどこから来て、どこへ去るのか」と、

 禅問答を楽しんだ。

 

                                       



 

■ 6_17 カブスカウト歓喜の歌聴く茄子かな

 

《 梅雨空に 紫染めし 長ら顔 おっとり聴きし 歓喜の歌や 》 實久

 ―つゆぞらに むらさきそめし ながらかお おっとりききし かんきのうたや―

 

 今にも降りそうな曇り空に、紫のマントが良く似合う茄子君、

 窓から流れ来るベートベンの第九<歓喜の歌>におっとり顔

 で耳を傾けている姿が、カブスカウトに似て素敵だ。

 

                             


 

 

■ 6_17 妖艶なる君や花菖蒲

 

《 紫を 羽織りし菖蒲 艶かし 永遠に変わらじ 君の姿や 》 實久

 ―むらさきを はおりしあやめ なまめかし とわにかわらじ きみのすがたや―

 

 小雨降るなか、色鮮やかな菖蒲の立ち姿に魅入ってしまった。

 永遠に変わらない清き艶めかしさは、天なる贈物であろうか、素敵である。

 

 

                                           

 

 

 

■ 6_22 紅を差す姫たち-サクランボ

 

《 サクランボ  しぼめる頬に 紅差して  淡海の里  乙女かしまし 》 實久

 ―さくらんぼ しぼめるほほに べにさして あわうみのさと おとめかしまし―

 

 この季節、サクランボが輝く季節である。

 <山形産佐藤錦>の乙女たちが、ここ淡海の里にやってきた。

 紅差す顔を美しく輝かせ、生きる喜びを謳いあげているではないか。

 生きとして生けるものが、声を上げる素晴らしい季節である。

 

                             


 

 

■ 6_23 梅雨期の草刈り

 

《 梅雨迎え 草刈るこの身 傘寿越し 響くエンジン 聴きて嬉しき 》 實久

 ―つゆむかえ くさかるこのみ さんじゅこし ひびくえんじん ききてうれしき―

 

 梅雨を迎え、背伸びを競うように、雑草君達もエネルーギ爆発である。その生命力には驚かされる。

 こちらも草刈り機を出して散髪をしてやるのだが、老齢になってもエンジン音にこころ揺さぶる

 万年青年である。

 

 

                             

 

 

 

■ 6_24 子供を奪われて

 

《 罪もなき 子ら殺されし 彼の地にて 救い求めし マリアの涙 》 實久

 ―つみもなき こらころされし かのちにて すくいもとめし まりあのなみだ―

 

 平和が崩れ、この日で4か月が過ぎた。

 攻め入ったものの論理に、子供の命を奪う権利はない。

 いまも、子供の命が奪われ続けていることに涙する人のなんと多いことか。

 しかし、戦争反対の声が薄れつつあることも確かであり、憂いるものである。

 (写真は、竹の寮ブログより)

 

                                                           

 


 

■ 6_24 『短歌集 霊山縦走』

 

 老いを受入れ、ロングトレイル(縦走登山)を卒業するにあたって、長年親しんだ<比良比叡トレイル>

 の絶景写真に、短歌を添えて、思い出『短歌集 霊山縦走』としてしまっておきたいとおもう。

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/.../06/24/065500

 

 

2022『星の巡礼 比良比叡トレイルの風景』

 

<比良比叡トレイル>の風景 ―ロングトレイル卒業を記念してー 短歌集『霊山縦走』 Tanka Collection "Sacred Mountain Traverse" Tanka is Japanese short poem. 詠み人 後藤實久 by Sanehisa Goto 老いを受入れ、ロングトレイル(縦走登山)を卒業するにあ…

 

 

 


■ 6_25 命溢れる葱再生

 

《 葱髭の ゆかしき姿 宿り来て この世の光  命与えし 》 實久

 ―ねぎひげの ゆかしきすがた やどりきて このよのひかり いのちあたえし―

 

 ネギの根っこに、白髭が生きいきと付いているではないか。 まるで自分の無精ひげを見ているよう

 である。 子供のころのように、切り落とした根っこを土に戻すと、光を浴びた命が再生しだした。 

 語りかけながらの水やりが楽しみな朝である。

 

                       

 


 

■ 6_25 <インパール南道 戦跡慰霊の旅>

 

《 涙せず 見れぬ殺戮  ひとの業  ひたすら祈り  赦しこいしや 》 實久

 ―なみだせず みれぬさつりく ひとのわざ ひたすらいのり ゆるしこいしや―

 

  古い旅日記<インパール南道 戦跡慰霊の旅>をまとめてみた。旧日本軍のエッセンスが詰まった

  <インパール作戦>を取り上げ、書きながら約76年前の旧態依然たる作戦をとっているロシア軍の

  ウクライナ侵攻をだぶらせた。

 

  

 

 

  人間の欲望には、尽きる所がないようです。

  人類は、あくなき戦争により問題を解決してきたといっていいでしょう。

 

 

 

■ 6_26 老ゆるとはいいものである。

 

《 歳背負い  集いし健児  京の杜  備えよ常に  こころ忘れじ 》 實久

 ーとしせおい つどいしけんじ きょうのもり そなえよつねに こころわすれじ―

 

  61年の歴史をもつ同志社ローバーOBOGの集いに顔をだし、老友と青春の花を咲かせ、豊かな時の

  流れに沈んできた。 この秋、宇多野に全員集合、楽しみである。

 

 

                       

 

 

 

■ 6_26 命の共生

 

《 もぎ取りし 水も滴る いのち味 ほろ苦き君 われと語りし 》 實久

 ―もぎとりし みずもしたたる いのちあじ ほろにがききみ わ れとかたりし―

 

 今朝のサラダは、もぎ取りたての胡瓜、ピーマンとミニトマトたちである。包丁を入れず、そのまま

 かじると、命したたるみずみずしさと、ほんのりとしたほろ苦さが口に広がる。

 お互いをかみしめ、噛みしめられる幸せな一瞬である。

 

 

                       

 

 

 

■ 6_29 うたた寝のデッキ

 

《 微睡みに 渦巻く血潮 瞼裏 戦い無き世 待ちて止まずや 》 實久

 ―まどろみに うずまくちしお まぶたうら たたかいなきよ まちてやまずや―

 

 梅雨明けだという。さんさんと注ぐ太陽のもと、久しぶりにデッキチェアーに横たわり目を閉じた。

 瞼裏に真赤な太陽が、まるで血潮のように広がっていき、彼の地の鮮烈な戦場の情景が満ちていった。

 知恵ある人類が、自滅の道を歩みだしたような気がしてならない。

 

 

                                     

 

 

 

■ 6_30 この素晴らしき造形

 

《 見よやこの  バッファロー顔  汚れなき  幼子来たり  われに微笑む 》 實久

 ―みよやこの ばっふぁろーがお よごれなき おさなごきたり われにほおえむ―

 

 太陽の恵みに応えるように次から次へと生まれ来る茄子(なすび)たち。今朝の茄子君は間延びした

 バッファローの顔にそっくり、ユーモラスである。 

 出会いに感謝である。

 

                       


 

 

 ■ 7_01  アサガオの子や、初めまして

 

《 コンニチハ  待ちに待ちにし  君なれど  この日迎えて  愛満つるなり 》 實久

 ―こんにちは まちにしときの きみなれど このひむあえて  あいみつるなり―

 

 孫が送ってくれた卒園式記念のアサガオの種が、神秘的な命の芽を出した。 この子たちが生きている

 奇跡に、命の尊さをみる思いである。

 

                         


 

 

 ■ 7_02 少年(スカウト)時代

 

《 テント張る  鉄路響し  雄松崎  想い出集う  スカウト時代》 實久

 ―テントはる てつろひびきし おまつさき おもいでつどう スカウトじだい―

 

 老いの朝、湖岸を走る電車の響きがここ山手の我が家に心地よく聴こえてくる。

 1916(大正5)年、ここ志賀の里にある近江舞子浜、雄松崎で日本ボーイスカウトの初野営が持たれた。

 いや日本初の組織的なキャンプがもたれたと云ってもいい。

 ボーイスカウト京都第11団少年隊の団委員長 高田芳二氏も<京都少年義勇団>の一員として、

 この初野営に中野忠八氏の指導のもと、実弟久留島秀三郎氏(元日本連盟理事長)に引率され参加して

 いる関係で、よくこの地で野営をしたものである。

 近くを走っていた江若鉄道ディーゼル音を聴きながらテントを張ったことを、現在のJR湖西線を走る

 電車の音と重ね合わせて、懐かしく思い出したのである。

 

                         

 

 

 

■ 7_03 天地、花を咲かせし

 

《 小鳥鳴く  緑濡らせし  天地の  歌届けよと  花を咲かせし 》 實久

 ―ことりなく みどりぬらせし あめつちの うたとどよけと はなをさかせし―

 

 久しぶりの雨に、乾燥した土が湿り、樹々が喜びの声を上げている。 

 天地の恵みに花が咲き、この世の幸せをみる思いである。

 

                         


 

 

■ 7_05 今に生きる雨蛙

 

《 今を生く 鳴きて振向く 雨蛙 生かされおりし 君追うわれも 》 實久

   ―いまをいく なきてふりむく あまがえる いかされおりし きみおうわれも―

 

 散歩の道すがら、一匹の雨蛙さんにであった。 グエッグエッと鳴きながらこちらを振り向く面玉の

 動きの愛くるしきこと、ついわれを忘れて後を追った。

 君も生かされ我も生かされている、すばらしい時間が流れた。

 

                       

 

 

 

■ 7_07 台風、温帯低気圧に変わる

 

《 梅雨明けや  棚田影する  琵琶の雲  七夕揺れし  吹き来る東風に 》 實久

   ―つゆあけや たなだかげする びわのくも たなばたゆれし ふきくるこちに―

 

 短い梅雨に、恵みの雨をもたらした台風が、温帯低気圧に変わって、七夕を境に本格的な夏日がやって

 くるという。 その瞬間の雲の変化をとらえることが出来た。

 

 

 

 

■ 7_09 安倍晋三氏、凶弾に倒れる

 

《 崩れ墜つ  ああ逝きし君  道半ば  空しきこの世  見果てぬ夢や 》 實久

 ーくずれおつ ああいきしきみ みちなかば むなしきこのよ みはてぬゆめや―

 

 輪廻転生に触れたこのブログ 《星の巡礼 バラナシ ・ ガンガー沐浴巡礼の旅》を書き終えようとする

 とき、2022年7月8日午前11時30分ごろ、 日本の政治家 安倍晋三氏が凶弾に倒れたとのニュースが

 飛び込んできた。  

 こころから哀悼の意を表するものです。

 

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/07/09/090642

 

 

 

 

 

■ 7_10 小細降る雨の中に、幻の城を見る

 

沖島や  小細降る雨  影残し  幻の城  安土が如し 》 實久

 ―おきしまや こそぼふるあめ かげのこし まぼろしのしろ あずちがごとしー

 

 びわ湖に浮かぶ沖島が小雨降るなか、その影を浮かび上がらせ、まるで幻の城のある安土の山に見てきた。

 参議院選挙の投票を終えての朝の散歩は、時を越え戦国武将 織田信長公と対峙する楽しい時間でも

 あった。

 

                         

 

 

 

 ■ 7_13 君香しきクチナシの花

 

《 お目文字の  君香しき クチナシの  こころ焦がすや  情熱の華 》 實久

   ―おめもじの きみかぐわしき くちなしや こころこがすや じょうねつのはな―

 

 今年もまた、ここ志賀の里は、山梔子(クチナシ)の花が、その華麗なる姿を見せる季節を迎えている。 

 クチナシの花も神の創造物、なんと素晴らしい命の造形ではないか。

 さっそく華麗なる姿を飾ってみた。 

 

           



 

 ■ 7_18 孤高なる楽しみ

 

《 一筋の  糸に伝わる  駆け引きや  尋ね来し君  われ釣なんと 》 實久

 ―ひとすじの いとにつたわる かけひきや  たずねきしきみ われつりなんと―

 

 今にも雨が降りそうなびわ湖で、釣り人が魚との戦いに挑んでいる。 彼が祈りを込めて釣り上げよう

 とする竿の先に、偽物か本物かを確かめようとする魚がいる。 

 一瞬の駆け引きにかける両者の息をひそめる呼吸が聴こえてきそうだ。

 

             

 

             

 

 

 

 ■ 7_19 悠久なる母の愛

 

《 老いてなお  称え詠わん  母の愛  ホタルブクロの  花ささげなん 》 實久

   ―おいてなお たたえうたわん ははのあい ほたるぶくろの はなささげなん―

 

 亡き母の116回目の誕生日が近づいて来た。

 わたしたちの今あるを感謝し、白髪のよく似合った亡き母に、

 慈しみぶかく咲く真っ白な蛍袋の花をささげた

 

 

 

 

 

■ 7_25 蜻蛉の変身-羽化

 

《 羽化の君  おのれ越えたり  大変身  殻に別れの 人生航路 》 實久

   ―うかのきみ おのれこえたり だいへんしん からにわかれの じんせいこうろ―

 

 夏だ。今まさに古い衣を脱ぎ捨てて、己の姿にデビュー(羽化/うか)した瞬間の蜻蛉(トンボ)に

 出会った。 オツネントンボだろうか。

 生き抜くとは、大変な努力のあとの解放感を味わい、自由という競争を味わい尽くすことであろうか。

 

                                       



 

 ■ 7_26 陽炎(かげろう)に背伸びして

 

《 涼風に 背を伸ばせしや 老いの夏 今日も揺蕩う 陽炎のなか 》 實久

 ―りょうふうに せをのばせしや おいのなつ けふもたゆたう かげろうのなか―

 

 カジカと蝉の大合唱、ここ志賀の里も夏の盛りを迎えた。 猫じゃらし達も陽炎のなか、

 時の流れに身を任せているように揺れている。 

 さて老いの夏をいかに乗り切るか・・・

 

 

                         

 

 

 

■ 7_27 貴婦人来訪

 

《 おいでやす  網戸叩きし  貴婦人や キュウリ抱え かぶり付きおり 》 實久

   ―おいでやす あみどたたきし きふじんや きゅうりかかえ かぶりつきおり―

 

 蒸し暑い夕方、一匹の大きなカブト虫さんがわが家を訪問してくれた。

 その重厚な体を光沢ある茶褐色のマントに包んだ貴婦人の来訪に、さっそくわが家のキュウリをとって、

 接待した。 

 彼女が上品さをかなぐり捨て、野生の本能でキュウリにかぶりつく姿に生きる力を感じたものである。

 食べた後は、尻をだして土に潜り込む貴婦人の姿が滑稽である。

 その内、休息をとってもらったら自然の森に送り届けよう・・・

 

                         


 

 

 ■ 7_30 母子の愛

 

《 迷子なる わが子求めし 哀語聴く 再会果たし 一礼せしや 》 實久

   ―まいごなる わがこもとめし あいごきく さいかいはたし いちれいせしや―

 

 どこからやってきたのだろうか、わが家の地下室に生後1週間ほどの可愛らしい子猫が迷い込んできた。

 母ネコが外でしきりに子供に呼びかけ、子猫もそれにこたえるようにか細き泣き声で応えている。

 そっと、子猫を外に出してやると、母ネコは愛おしく頬なめずりをし、子猫の首根っこをくわえて、

 こちらを向いて<ありがとう>とお辞儀をしながらゆっくりと立ち去って行った。

 

                         



 

■ 8_02 大好きな紫衣―茄子の華

 

《 優雅なる むらさき衣  茄子の華   独りたたずむ  蝉しぐれかな 》 實久

   ―ゆうがなる むらさきごろも なすのはな ひとりたたずむ せみしぐれかなー

 

 蝉しぐれのもと朝の水やり、気品に満ちた茄子衣(なすごろも)に見入った。奥に秘めた芯の強さを隠し

 持ち、艶やかさを抑えている姿に心惹かれたのである。

 

                         



 

 ■ 8_04 老友が入院するという

 

《 夏の日の 祈りて巡る 走馬灯 分かちあいたし 友の痛みや 》 實久

   ―なつのひの いのりてめぐる そうまとう わかちあいたし とものいたみや―

 

 歳老いるとは、その瞬間に生きるということである。 友が、手術を受けるということを聞いた時、

 びわ湖の空に浮かぶ入道雲を眺めながら、友との懐かしき、遠き想い出が走馬灯のように駆け巡った。

 共に、今に生きることに感謝しつつ、手術の成功をこころから祈った。

 

                                

 

 

 

■ 8_09 カジカ蛙の美しい合唱

 

《 河鹿鳴く 渓谷深し  比良の郷  蝉とのコラボ 木霊しおりて 》 實久

   ―かじかなく けいこくふかし ひらのさと せみとのこらぼ こだましおりて―

 

 ここ志賀の里は比良山系東山麓にあり、伏流水から湧き出る幾筋もの渓流がびわ湖に注いでいる。

 これらの渓流は棚田の引水として利用され、稲が育つ頃には沢山のカジカ蛙の二世が渓流にその美声を

 木霊する。

 朝方と夕方、蝉と河鹿蛙のコラボによる合唱は、びわ湖バレイに響き、壮大な立体音響となってここ志賀

 の里を覆いつくすのである。

 毎日、暑い日が続いている、お互い健康には気を付けたいものである。

 

                       



 

 ■ 8_19 青春にかける高校球児

 

《 熱闘に 一投一打 球追いて 翔けし青春 いま老いてなお 》 實久

    ―ねっとうに いっとういちだ たまおいて かけしせいしゅん いまおいてなお―

 

 この夏も、高校球児が甲子園を沸かせ、多くの感動を呼んでいる。

 いまから100年前の1923(大正12)年、第9回高校野球京滋予選が、滋賀代表 彦根中学(現彦根県立

 東高校)と京都代表 京都一商(現京都市西京高校)の間で行われた。

 16歳で出場していた私の叔父の彦根中は、惜しくも京都一商に14対8で敗れ、甲子園出場が叶わず、

 夢と消えたのである。

 その落胆ぶりは、帰宅途中の列車からの轢死という悲しい結果を遺している。

 わたしは、高校球児の真摯なる一投一打に、青春のすべてをかけた重みと覚悟を共有しながら応援を

 続けている。

 がんばれ高校球児! 彦根球児、近江高校

 

 写真は、第11回大会(1925年8月18日)兵庫県西宮市の阪神甲子園球場の風景、第4日の旧満州代表

 大連商業―長野商業の試合(www.asahi.comより)

 

                       

 


■ 8_22 窓辺の朝顔

 

《 同じ世で いのち継ぎにし アサガオや 永遠に寄り添う われら変わらじ 》 實久

 ―おなじよで いのちつぎにし あさがおや とわによりそう われらかわらじ―

 

 卒園の記念にと植えた朝顔が美しく花咲かせ、その清純で優雅な容姿を窓越しに見せている。

 命継ぐ大切さを厳粛に受け止め、奢ることなく永遠に継ぎたいものである。

 

                                 



 

 ■ 8_24 サングラスで変わる風景-戦争と平和

 

《 ハレルやと 仰ぎし稲穂 青空に 平和祈りし いのち見るかな 》 實久

 ―はれるやと あおぎしいなほ あおぞらに へいわいのりし いのちみるかな―

 

 実りの秋が近づいた。

 びわ湖西岸、お隣の街、お米どころの高島平野では稲刈りが始まったそうだ。

 ここ志賀の里の稲穂も青空のもと、その時を待っている姿に、ほのかな感謝の気持ちが湧いた。

 サングラスをとってみた風景のなんと素晴らしいことか、この世の平和な表情のひろがりを見た。

 

           


 

 

■ 8_28 蝉に慰められ

 

《 夏惜しむ いのち見つめし 蝉どもも クラシック聴く 老い慰めし 》 實久

 ―なつおしむ いのちみつめし せみどもも くらしっくきく おいなぐさめし―

 

 盛夏過ぎ、秋風を楽しむ。

 蝉たちも今生の夏を惜しんで、今を楽しみながらクラシックを聴く老人を慰めてくれているではないか。 

 哀愁を感じる季節も近い。

 

                                     



 

■ 8_30 紅萌える瞼裏

 

《 虚いて 紅萌ゆる 瞼裏 広がりて我 融け失せなんと 》 實久

 ―うつろいて くれないもゆる まぶたうら ひろがりてわれ とけうせなんと―

 

 これから雨が続くという。

 太陽のもと、別れゆく時を惜しむ蝉しぐれを聴きながら、日光浴の瞼裏に広がる紅(くれない)に、

 幸せがゆっくりしみ込んでいくのを感じる。 

 これまた生かされる喜びの一瞬である。

 

            立山連峰縦走時出会った雲海を染める朝焼け

 

 

■ 9_01 まほろばの里に誘われ

 

まほろばの 姿なき世や 重ねきて われをいざなう 空蝉の声 》 實久

 ―まほろばの すがたなきよや われをいざなう うつせみのこえ―

 

 朝一番、厠(かわや・トイレ)に立ち、河鹿蛙の第一声を聴くや、素晴らしい倭の国・大和の宮殿で

 優雅に、和歌に興じる自分がいるではないか。 寝ぼけ頭は、階下からのピアノの音でわれに返って

 しまったが、忘れてなるものかと、急いで書きとめた。  

 ※まほろば=美しい所、 空蝉(うつせみ)=この世

 なぜか、五島列島で出会った牛君の顔が宿った。

 

                         

 

 

 

■ 9_03 鉢植え菜園、猿軍団に襲われる

 

《 すきっ腹 抱えし猿や 降り来たり  食べ尽くせしや  見る影もなし 》 實久

 ―すきっぱら かかえしさるや おりきたり たべつくせしや みるかげもなし―

 

 比良猿軍団の来訪で、鉢植えの残りミニトマト、キュウリ、ナスビを喰いつくされた。

 秋のお山もいまだ食料不足なのか、鹿や猪に加えてお猿さんも田畑を人間とシェアーしだしたようである。

 共生の大切さもわかるが、お百姓さんの畑への浸入だけは防ぎたいものだ。

 

                     



 

 ■ 9_05 森の音楽鑑賞

 

《 妖精の 奏でし調べ 子守歌 こころ沈めし 樹々のまにまに 》 實久

   ―ようせいに かなでししらべ こもりうた こころしずめし きぎのまにまに―

 

 台風を迎えるつかの間、森に入って寝そべり懐かしのメロディー<Time to say goodbye>

 (サラブライト・マン)に聴き入った。 何事にも縛られない時空の中で、森に溶け込み、

 己からの離脱をしばし楽しんだ。

 

             



 

■ 9_07 毛虫騒動

 

《 命継ぐ  桜むしばむ  毛虫をや  哀しき命  摘み葬りし 》 實久

 ―いにちつぐ さくらむしばむ けむしをや かなしきいのち つみほうむりし―

 

 毎春、美しい花を咲かせる吉野桜が玄関先にある。

 ここ数年、9月の桜葉に群がり、命を繋ぐ毛虫が大繁殖するようになった。 最良の対策は、浸食枝を

 切取り、焼却することだという。 

 毛虫の命を奪ったうえ、桜も見る姿がない。 哀しみを抑える時間が続いた。

  

 

 

 

 

 ■ 9_08 幸運を呼ぶキチョウ

 

《 蝶の舞  ほのぼの嬉れし  過ぐる日や  幸せ遊ぶ  秋の白雲 》 實久

   ―ちょうのまい ほのぼのうれし すぐるひや しあわせあそぶ あきのしらくも―

 

 ぼんやりと流れゆく白い雲を眺めていると、カップルの黄色い蝶々が秋風に身を任せ、仲良く

 バタフライ(舞い)を楽しんでいる光景に出くわした。 見ているだけで過去を思い出し、幸せが

 広がった。 

 幸運を呼ぶキチョウというらしい。

 

    

 

 

 

■ 9_11 中秋の名月

 

《 淡の湖  あふるる障子 月の影 老いの眺めも 今日の身ありて 》 實久

 ―あわのうみ あふるるしょうじ つきのかげ おいのながめも けふのみありて―

 

 ここびわ湖も 美しい中秋の名月を映して 障子を明るく照らし出している。

 急ぎ写真機を取りだして外に出て月を覗いた。

 この美しさを愛でるのも 今日を生かされているからだと思うと

 老いもいいものだと思った。

 

 

                                             


 

 

 

■ 9_15  秋のバーベキュー延期のお知らせ

 

《 無情なる  コロナ蔓延  老を撃ち  楽しみ延ばす  バーベキューかな 》 實久

    ―むじょうなる ころなまんえん ろうをうち たのしみのばす ばーべきゅーかなー

 

 まだまだ暑さが続いていますが、みなさんお変わりありませんか。10月1日に予定していた、

 楽しみのバーベキューをもう少し先に延ばし、様子を見たいと思います。

 コロナ禍の鎮静化にもかかわらず、高齢者への直撃が増大しているからです。

 アーバイン組・つくし野組・城陽組・向島組・志賀組、各組家族それぞれ高齢化が進んでいますが、

 今のところつつがなく日常を送っているとの報せに安堵しています。

 どうか、お体を大切にされ、再会を楽しみにしたいと思います。

 

                             

 

 


 
■ 9_20 60年ぶりの青春

 

 宇多野ユースホステルに集ったオールド・スカウト約50名が、同志社ローバースカウト隊60周年を

 祝った。 わたしも20歳の青年から数えて、80歳の傘寿を迎え、感無量な時間を、老兵たちと一緒に

 楽しい時間を過ごした。 孫世代の現役ローバースカウトとの交流に、夢ある語りを聴き、幸せの

 なかにひたった。 

 老兵との楽しい語らいは、いつも変わらぬ詩情に満たされるものである。

 幸せなスカウト人生であったことに感謝した。

 

《 無の風の こころ吹き抜く この世にて 童心学ぶ 老いて笑顔や 》 實久

   ―むにかぜの こころふきぬく このよにて どうしんまなぶ おいてえがおや―

 

《 都なる 歴史たゆとう 宇多野にて 老兵叫ぶ 同志社カレッジ 》 實久

   ―みやこなる れきしたゆとう うたのにて ろうへいさけぶ どうししゃかれっじー

 

《 じじばばの 久闊を叙し おいおまえ 薬片手に 孫の話や 》 實久

   ―じじばばの きゅうかつじょし おいおまえ くすりかたてに まごのはなしや―

 

《 遥けきや 血潮躍りし ローバーの 隣りの鼾 老いの秋かも 》 實久

   ーはるけきや ちしおおどりし ろーばーの となりのいびき おいのあきかも―

 

             

 

        



 

■ 9_20 大型台風14号通過

 

《 暗黒に 光求めし 急ぎ雲  乗りて彷徨 わが旅路かな 》 實久

   ―あんこくに ひかりもとめし いそぎくも のりてさまよう わがたびじかな―

 

  大型台風14号の影響が、少なからんことを祈っている。

   ここ志賀の里は、お昼現在、台風の余波である強風が吹き荒れ、JR湖西線は<和邇近江塩津間>が

  不通となっている。 びわ湖バレーも強風のため営業中止。 湖西道路(高速)は、減速通行可能。

  写真は、現在のびわ湖の様子で、黒雲は南方向に急いで動いている。

 

           

 

 

 

■ 9_24 秋山の幸

 

《 コンニチハ  振向きしわれ タイムスリップ  勝ち栗の顔  少年の日や 》 實久

   ―こんにちは ふりむきしわれ たいむすりっぷ かちぐりのかお しょうねんおひや―

 

 比良の山も、山の幸である団栗や栗の実がたわわである。

 熊は冬眠に備えて山の幸を漁り、鹿は増えすぎて人間とのバトルに戦々恐々である。

 イガ栗が落ちる音に振向いた時、ふと少年時代の頬張った勝ち栗を懐かしく思い出した。

 

                         



 

■ 9_24  草刈りボランティア・デー

 

《 響けやと 懐かしき歌 草刈りの  エンジン合わせ  リズムとりしや 》 實久

   ―ひびけやと なつかしきうた くさかりの あえんじんあわせ りずむとりしや―

 

 晴れ渡った秋空のもと、溝掃除と草刈りの奉仕、久しぶりにひと汗かいた。

 草を刈りながら、昔懐かしい青春の歌である<大学サークルの歌>を歌っていた。

 先日、仲間よりこの歌には楽譜が無いということを聞き、是非、音符に起こしておきたいと

 思い立ったからである。

 しかし、わたしは音痴、音程の狂った楽譜では、かえって迷惑、いかがなることだろう。

 

 

       

 

 

   

■ 10_01   幻の楽譜-同志社大学ローバースカウト隊々歌-

 

《歌おうよ 古き都の この京で 行くぞわれら 同志社ローバー》

 ―うたおうよ ふるきみやこの このきょうで いくぞわれら どうししゃろーばー―

 

 草刈りをしながら高らかに歌っている同志社ローバースカウトの隊歌に、楽譜がないことに不思議さを

 感じたものである。作詞者によると、この曲には楽譜が無いという。この隊歌が出来た当時、歌唱指導を

 していた仲間に独唱テープを送ってもらい、協力を得て採譜してみた。

 歌い方は曲にこだわらず、今まで通りに自由に、おおろかに、高らかにうたうとよい。

 しばし、青春時代を謳いあげてみたい。血潮踊るではないか。

 

                         

 


    

■ 10_01  『星の巡礼 インドの旅 スケッチ展』

 

《 ガンガーに  祈りてやわれ  来世の 解脱求めて 沈めてみたり 》 實久

   ーがんがーに いのりてやわれ らいせいの げだつもとめて しずめてみたりー

 

 インドは、<喧騒と貧困の国>の時代から<ITを支える国>へと変貌を遂げるなか、ガンジス川への

 信仰が脈々と受け継がれている<神々と信仰の国>でもある。

 渦巻く人間の大海の中で、不変の生き様をさらしている不思議な情熱を感じる国であり、人を避けて

 旅することが出来ないインド、そこでは旅人を惹きつけてやまない不変なるサイケな流転に出会う。

 インド、そこで出会った<梵我一如の世界>をスケッチ・ドローイング・挿絵として、旅日記に描き

 残してきました。 ご鑑賞いただければ幸いです。

 

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/.../09/30/234850 

                                       



 

■ 10_04 比良の夕暮れ

 

《 比良匂ふ  金木犀の  隠れ香や  ラジオ悲しき  明日は煙ると 》 實久

   ―ひらにおふ きんもくせいの かくれかや らじおかなしき あすはけむると―

 

 稲穂刈りが終った、静かな野道から比良の峰にかかる夕焼け雲を眺めていると、どこからか金木犀

 匂い香が忍び来た。

 明日は雨だと悲しげに語るラジオの声が耳に残った。

 

 

         

 

 

 

 ■ 10_05 オンシジュームの輝き

 

《 普遍なる  命尊き  この花も  幾年重ね  輝きおりし 》 實久

   ―ふへんなる いのちとうとき このはなも いくとしかさね かがやきおりし―

 

 我家のオンシジュームは、ここ8年間、12月から1月にかけて咲く冬の花であると思っていた。

 ところが、今年は9月末に花芽を付け、現在、美しい花を咲かせているから驚いている。

 シダとの混植で環境に変化があったのだろうか、温暖化による異変なのだろうか、それともあとのない

 短き命に花を添えているのだろうか。

 

                                       



 

■ 10_06 気品に満ちた花に魅せられて

 

《 呼びかけし 豊けき姿 芙蓉花 心高鳴り 定かならずや 》 實久

   ―よびかけし ゆたけきすがた ふようばな こころたかなり さだかならずや―

 

 ゴミ出しのあと、気品に満ちた真白き芙蓉の花が、「この神々しさを見よ」と語り来た。

 人のこころに宿るであろう、汚れ無き純白の姿をである。

 この美しさに、自然なる創造の今に生きる極を見た思いである。

 

 

             

 

 

 

■ 10_07 雨垂れの音

 

《 軒打ちし 心染入る 雨垂れや 過ぎ去りし日々 おのれ見つめし 》 實久

   ―のきうちし こころしみいる あまだれや すぎさりしひび おのれみつめしー

 

 久方の秋雨、樹々や野草の歓びの囁きが聴こえてくる。

 軒を打つ雨滴音も静寂を破り、こころに響いてきます。

 まるで禅寺に坐り、おのれを見つめている自分がいるようです。

 

                                         



 

■ 10_08 自転車野郎

 

《 翔けし風  押さるるままに  放浪の  眠りし野宿  ヒマラヤの峰 》 實久

   ―かけしかぜ おさるるままに ほうろうの ねむりしのじゅく ひまらやのみね―

 

 風に乗り世界を翔けてきたサイクリング車<ワイルド・ローバー号>。

 ギア―も2段しか使えず、ボディーも老化が目立ってきた。わが分身に、わが老体を乗せてもう一度

 風を翔けたいと、雨音を聴きながら手入れに汗した。

 戦友の錆びに、おのれの老いを重ねながら、ヒマラヤ山麓を駈けた懐かしい日々を思い出し、互いを

 称えあった。

 

                                     



 

■ 10_09 友の退院を祝う

 

《 友戻る  嬉しき報せ  満月や  秋桜踊る  我こころ内 》 實久

   ―とももどる うれしきしらせ まんげつや こすもすおどる わがこころうち―

 

 コスモス揺れるここ志賀の里で月見満月を愛でていると、友からのメールに『無事退院』との四文字が

 踊っていた。 満月も友の退院を祝って、微笑んでくれているようだ。

 月はいつもひとり一人の一生を静かに見守ってくれる自然界の親といってもよい。

 わたしは月が好きだ。

 

 

                                           

 

 

 

■ 10_10 懐かしき稲木干し

 

《 肩を組み  エール送りし ラガーたち  琵琶のフィルド  稲木スクラム 實久

   ―かたをくみ えーるおくりし らがーたち びわのふいるど いなきスクラム

 

 ここ志賀の里で、いまはほとんど見られなくなった稲木干しに出会った。

 1980年代まで日本全国で見られた稲木干し、どこか長閑な立ち姿に、少年時代に親しんだ昭和の風景を

 重ねた。 まるで、ラクビ―試合前のラガーの円陣に似て、こころが踊った。

 稲木(いなき)とは、稲などの穀物や野菜を刈り取った後に束ねて天日に干せるよう、木材や竹などで

 柱を作り、横木を何本か掛けて作ったもの。

 

                                   

 

 

 

■ 10_10 秋の湖西を駆ける

 

《 グローバル  駆けしローバー  夢追いて  老いてなおタグ  組みし我らや 》 實久

   ―ぐろーばる かけしろーばー ゆめおいて おいてなおたぐ くみしわれらや―

 

 共に世界を駆けたサイクリング車「ワイルド・ローバー号」の修理を終え、今日は試乗の日、雨明けの

 サイクルロード<ビワイチ>志賀-北小松間約20㎞を試走してきた。

 再生なった「ワイルド・ローバー号」の元気に、老いの肉体が追い付かず、チンタラチンタラ漕ぎで

 申し訳なかった。 これからは「ワイルド・ローバー号」の背に、老体を乗せてもらい、新しい発見を

 してみたい。

 JR湖西線北小松駅>前、「ひろせ寿し正」でのサーモン定食の美味しかったこと、これまたランの

 醍醐味である。 帰路では、長距離サイクリストのパンク修理のお手伝いが出来、喜んだものだ。

 

                                   

 


 

■ 10_13 華麗なるプリマドンナ

 

《 見よや君  麗しき歌  木霊して  世々に生きにし  いのち溢ふるる 》 實久

   ―みよやきみ うるわしきうた こだまして よよにいきにし いのちあふるる―

 

 野外オペラの開演である。

 薄目を開け、聞き入ってみた。

 比良の山に木霊するプリマドンナ秋桜女史>の高らかな歌曲が聞こえてきた。

 そこには一生で一番輝くプリマドンナの毅然とした姿がまぶしく、生き生きとしていた。

 私たちもまた、いまこの一瞬を生きているのですよ、と・・・

 

                                   


 

 

■ 10_13 実りの秋

 

《 いにしえの  知恵絞りしや  柿の味 今を潤す  贅沢遺せし 》 實久

   ―いにしえの ちえしぼりしや かきのあじ いまをうるおす ぜいたくのこせし―

 

 我家の渋柿も色づき始めた。

 季節の味である干し柿の皮むき、紐吊るしも近い。

 納豆、豆腐、干し柿、味噌、醤油、ぬか漬、・・・日本人の自然食品や発酵食品との共生が素晴らしい。

 それぞれに個性があり、それぞれの個性に応じた味を楽しませてくれるのがいい。

 うま味、しぶ味、にが味、滋味と、伝統の味は日本の宝であり、誇りである。

 

 

                                   

 

 

 

■ 10_15 夕暮れのひと時

 

《 この星の  変化なる色  彩どりて  こころ残せし  琵琶の夕暮れ 》 實久

   ―このほしの へんげなるいろ いろどりて こころのこせし びわのゆうぐれ―

 

 友の好きなグラデーションの夕焼け風景である。

 この日の夕方も、びわ湖は空と一体となってグラデーションの風景に溶け込んでいた。

 釣人のシルエットが沈みゆく夕闇に吸収され、溶け込む瞬間であり、

 自然の醸し出す色彩の素晴らしさに声を上げる瞬間でもある。

 

                       


 

 

 ■ 10_21 秋空のもと、ドライブを楽しむ

 

《 秋雲に  遊びしわれも  メタバース  時代の流れ  迷い道かな 》 實久

あきぐもに あそびしわれも めたばーす じだいのながれ まよいみちかな―

 

 久しぶりの3泊4日、所用を兼ねてのドライブである。

 高齢者用《落葉マーク》を貼り、安全運転を心がけ、東に向かって高速道路を走る。

 渋滞もなく、連綿と続く、素晴らしい秋雲の浮遊を楽しむ。

 まるで、メタバース(仮想空間)の世界である。

 漁港にも立寄り、潮風に鍛えられた漁船の逞しい野郎どもの歓迎を受けた。

 気分転換、日常からの離脱、長い人生に必要な息抜きである。

 

             

                      

               

 

 

 

■ 10_21 伊良湖岬灯台

 

《 虚無僧の  無言の光  きらめきて  フェリー守りし  防人しおり 》 實久

   ―こむそうの むごんのひかり きらめきて ふぇりーまもりし さきもりしおり―

 

 浜松での所用を終え、帰路は未踏の渥美半島に足を踏み入れ、伊良湖岬に立寄り、伊勢湾フェリーで鳥羽

 に渡ることになった。

 地の果てに孤立、暗闇照らし航路を示す灯台に、孤高の虚無僧のごときシンパシーを感じると共に、

 多くの車を飲み込み、波を蹴立てて進むフェリーの勇壮なる姿にも母性愛を感じたものである。

 

 

                               

 

 

 

■ 10_22 フェリーからの情景

 

《 秋空に  蹴立てし波や  雲コラボ  揺り篭遊ぶ  赤子なりしや 》 實久

   ―あきぞらに けたてしなみや くもこらぼ ゆりかごあそぶ あかごなりしや―

 

 母なるフェリーは、揺り篭のような心地よい振動を伝え来る。

 蹴立て切り裂く舳先の波、スクリューの残す航跡、母なるフェリーの安定感、つかの間の大好きな船旅を

 楽しんだ。

 フェリーからの情景は、とにかく雄大である。 自然に抱きしめられている解放感に、悠久なる自由を

 感じるのである。

 

                               

 

 

 

■ 10_23 伊勢志摩に遊ぶ

 

五十鈴川  玉砂利鳴きし お伊勢さん 横丁抜けてや  夫婦岩かな 》 實久

   ―いすずかわ たまじゃりなきし おいせさん よこちょぬけてや めおといわかな―

 

 2000年の歴史を有する日本人の<こころの故郷>と言われる「お伊勢さん」。外宮のあと、五十鈴川

 身を清め、内宮を参拝。

 <おかげ横丁>をひやかした後、二見ケ浦の夫婦岩に立寄るという伊勢志摩の定番コースを回った。

 身近な伊勢志摩のはずだが、中学以来、二度目の訪問であることに驚かされた。

 記憶の中のお伊勢さんや夫婦岩が、意外と質素なたたずまいであり、想像していた権威の威光よりも

 親しみを持って接することが出来たことに、心がなごんだ。

  

                           

 

   

 

■ 10_24 志摩英虞湾を後にする

 

伊勢参り 英虞の日ノ出や メザシ喰い さすらい終えし 旅がらすかな 》 實久

   ―いせまいり あごのひのでや めざしくい さすらいおえし たびがらすかな―

 

昔の人達の一生一度の夢であった「お伊勢参り」を終えて帰路についた。

旅路で出会うすべてが一期一会、しっかりと写真機におさめ、わがこころに刻んだ。

先人の教訓<旅は人生そのもの>のように、 想像し、感じ、触れ、見つめ、澄まし、そして、受け入れることであろう。 朝食に出たメザシ、その塩辛った事、決して忘れないだろう。

わたしも、人生という旅に生きた<旅がらす>であったと言えようか・・・

自分に対する最高の誉め言葉である。

 

                

 

 

 

■ 10_26 団栗男爵

 

《 見よや美を 個なる造形 麗しき 天を仰ぎて 上げしハレルヤ 》 實久

   ―みよやびを こなるぞうけい うるわしき てんをあおぎて あげしはれるや―

 

 もうすぐ子供たちが待っているハロウィーンがやってくる。

 旅から帰り、久しぶりの朝の散歩の道すがら、素敵なパンプキンに目鼻、ウイッチ口を彫刻しなく

 ちゃ・・・と、思わせるような団栗男爵に出会った。

 何と素敵な姿であり、輝きであろうか。

 創造主の美は、人間をはじめすべて命あるものに対して、平等に与えられていることに驚きの声を上げた。

 

 

                                   

 

 

 

■ 10_27  秋桜コーラス隊

 

秋桜の 歌飛び交いし 青き空 力の限り 生きしこの日や 》 實久

   ―こすもすの うたとびかいし あおきそら ちからのかぎり いきしこのひや-

 

 青く澄み渡った秋空に向かって 謳いあげている秋桜たちのコーラスに、びわ湖の浜に坐って、

 一緒に歌った。 美しい聖歌隊は、スカウト・ソング<歓喜に寄せる歌>を高らかに謳いあげ、

 この世に生きる喜びに、共にひたった。

 

                             

 

 

 

■ 10_28 渋柿のオブジェ

 

《 立ち姿 はい並んでと すまし顔 渋柿もまた 甘顔せしや 》 實久

   ―たちすがた はいならんでと すましかお しびかきもあた あまがおせしや―

 

 干し柿づくりの前に、剪定を兼ねて枝切りし、自然のままの姿を楽しむために、オブジェとして

 飾ってみた。

 それぞれの立ち位置に、それぞれの顔が整然と並ぶ姿に、人の世も同じだと含み笑いしたものだ。

 

 

                         


 

 

■ 10_30 素晴らしき志賀の朝

 

《 秋翔けし 天地創造 びわの里 老いも燃ゆるや 静寂なるかな 》 實久

   ―あきかけし てんちそうぞう びわのさと おいももゆるや しじまなるかな―

 

 身も引き締まる冷たさに、秋の深まりを感じる朝です。

 琵琶に昇る朝日も、静寂の中にその温もりを老いた体に伝え来るのを感じます。

 

 

       

 

 

 

■ 10_31 ハロウイーンを祝う

 

《 命もて 愛を注ぎし 君たちに 感謝伝えし 目鼻飾りて 》 實久

   ―いのちもて あいをそそぎし きみたちに かんしゃつたえし めはなかざりて―

 

《 野菜たち 口を勝ち取り かしましや 踊り狂いて 今日を祝いし 》 實久

   ―やさいたち くちをかちとり かしましや おどりくるいて けふをいわいしー

 

 農家を訪れ、収穫の野菜を分けてもらった。

 野菜にもそれぞれ自己主張があって、個性豊かであり、語りかけに人格を感じるのである。

 今日は、古代アイルランドケルト人に起源があるとされる、欧米でいう収穫祭、

 ハロウィーンである。  

 せめて、柿の種で顔を飾り、感謝の収穫祭を祝った。

 韓国ソウルでのハロウィーンの悲劇、多くの若者たちの死に哀悼の意を表します。

 

 

     


 

 

■ 11_01 現代大津絵展ご案内

 

《 滑稽な ユーモア溢ふる 鬼念仏 偽善見るなり わが表裏 》  實久

   ―こっけいな ゆーもああふる きねんぶつ ぎぜんみるなり わがおもてうら―

 

 来る2022年11月8日(火)より13日(日)まで、大津市歴史博物館で恒例の「現代大津絵展」が

 開催されると、親友から《鬼念仏》を配した一枚の葉書が届いた。

 今年はどのような大津絵に出会えるかと、楽しみである。

 興味をお持ちの方は、是非立寄って観賞してみて欲しい。 大津絵という風刺や教訓画に出会って、

 思わず安堵したり、笑いだしたり、思案すること請け合いである。

 人間の一断面を切り取った戯画に向き合って謎解きをするのも楽しいものである。

 

                                 

 

 

 

■ 11_01 干し柿づくり本番

 

《 渋とれば 甘味増せし 寒の日や 干し柿歌う 軒の下かな 》 實久

   ーしぶとれば あまみませし かんのひや ほしがきうたう のきのしたかなー

 

 ここ志賀の里も、朝夕の寒さが身に染みてきた。 今朝は、小雨が舞っている。

 干し柿づくりの季節がやってきたのだ。 渋柿の皮を剝いていると、柿の渋で指が粘つく。

 この渋<タンニン>が、寒気に触れてオブラートに渋を包みこみ、絶品の干し柿の滋味を醸し

 出すのである。

 昔の人の知恵には、いつも驚かされるものだ。

 

 

                             

 

 

 

■ 11_02 ネパール紀行

 

《 わが命  無の風舞いて  嶺をこえ  アンナプルナに  こころ残せし 》 實久

   ―わがいのち むのかぜまいて あんなぷるなに こころのこせし―

 

 もう20年も前のネパールつれづれ紀行であるが、変わらぬヒマラヤの美しい峰々をまとめてみた。

 満天の星空のもと、神々しく純白に光り輝く霊峰ヒマラヤに息を止め、山の神々との交信を楽しんできた。

 山麓に営まれるネパールの人々の質素な生活、素朴な色彩の神が宿る寺院での祈り、村人の持ち寄る

 野菜であふれるバザールの賑わいに触れ、

 心をときめかしながらネパールの限りない豊かなメッセージを、体いっぱいに受け止めてきた。 

 ネパール、アンナプルナ展望の写真やスケッチを楽しんでいただければ幸いである。

 

  https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/11/02/075757

 



 

■ 11_03 野美人

 

《 出会いてや 君ら何處から 来しか問い われを思いて 頭掻きにし 》 實久

   ーであいてや きみらどこから きしかとい われをおもいて あたまかきにし―

 

 人に知られることなくひっそりと野に咲く小さな命ある花に出会っては、その可憐さに声を上げ、

 見惚れることの多い志賀の里である。

 今日出会ったマルバルコウは、茎はつる性で、ヒルガオ科に属するという。先祖は、熱帯アフリカ原産

 というから、そのルーツ・ジャーニを思うとき、ふと日本人の複雑なルーツを思い起こしてしまった。

 ルーツ探しは、ミステリアスな物語が複雑に絡みあって、興味が尽きないものである。

 

                                 


 

 

■ 11_03 四国遍路に付添って

 

《 ありがたや  高野の山の  岩かげに  大師はいまだ  おわしますなる 》  御詠歌

   ―ありがたや こうやのやまの いわかげに たいしはいまだ おわしますなる―

 

 この連休をはさんでパートナーの四国巡礼をサポートしてきた。

 3年目の今回は、第61番 香園寺をスタートし、第88番 大窪寺で結願成就。

 南海フェリーで和歌山に渡り、高野山 奥の院で結願報告・祝福を受け、四国八十八ケ寺巡拝を終え

 させていただいた。感謝合掌である。

 

                               

 

 

 

■ 11_09 艶めかしき皆既月食

 

《 神秘なる  皆既月食  艶めかし 化粧に浮かぶ  姿や怪し 》 實久

   ―しんぴなる かいきげっしょく なまめかし けしょにうかぶ すがたやあやし―

 

 暗闇のなか、まだ温もりが残る地球星の大地に横たわり数世紀に一度の一瞬に立合った。

 地球が太陽の光を遮り、地球の影が月に重なる天体現象、志賀の里時間の19時10分から約30分間、

 織田信長公も見たであろうと言われる442年ぶりの天王星をも隠す《天王星食+皆既月食》という

 天体ショーを写真機・双眼鏡・ヘッドライト・スケッチブックをもって緊張しながらも楽しんだ。

 天頂付近に白く光る帽子をかぶった赤銅食の皆既月食が、東の暗闇にふわっと浮かんでいる姿は神秘的で

 あった。しかしいつものあの大きな満月と違って、非常に小さく見えた。

 あまりの小ささと、夜空に沈む赤銅食のため、古い写真機には残念ながら収まらなかった。

 ただ、双眼鏡で覗いた隠れ姿の月様を脳裏に刻み込んだ。

 カメラにおさまった1枚の写真<皆既月食の軌跡>も紹介しておきたい。

 (皆既月食の写真は、京都新聞社提供)

 

                       

 

                        

 

■ 11_09 純白の令嬢-茶々花

 

《 純白の  似合いし茶花  藪のなか  安らぎ与ふ  見惚れし我に 》 實久

 ―じゅんぱくの にあいしちゃばな やぶのなか やすらぎあたふ みほれしわれに―

 

 どこか親しみを覚える丸顔のお嬢さんに、清々しい朝の散歩の道すがら、呼びかけられた。

 それは、藪の中に隠れ咲く純白のドレスに身を包んだお茶の花である。 多分、先人の茶畑が原始に

 帰って野生化したのであろう。

 その気品を失しなわず、今に残しているその姿に見惚れた。

 

                       

 

 

 

■ 11_12 《短歌でたどる遍路八十八ケ寺》

 

 ここ数年続けた付添い遍路で詠った短歌に、ひとり歩き同行二人でいただいた納経帳にある般若心経の

 世界を加えて、<短歌でたどる遍路八十八ケ寺>としてまとめてみた。

 ご鑑賞いただければ幸いである。

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/11/12/060014

 

     卍01 霊山寺 りょうぜんじ <発願の寺>

《 発願の  こころ忘れじ  霊山寺  潜る仁王門  力満ちきし 》  實久

   ―ほつがんの こころわすれじ りょうぜんじ くぐるにおうもん ちからみちきし―

 

     卍88 大窪寺 おおくぼじ <結願の寺>

《 結願の  同行二人  大窪寺  心経満ちし  般若の世界 》  實久

   ―けつがんの どうこうふたり おおくぼじ しんぎょうみちし はんにゃのせかい―

 

 

 

 

■ 11_13 雨に煙る比良の峰々

 

《 幽玄の  煙る峰々  志賀の里  鐘の音流る  生命継ぎしや 》 實久

   ―ゆうげんの けむるみねみね しがのさと かねのねながる いのちつぎしや―

 

 山煙る。

 山は雨水を蓄え、この地を潤し、生命の源となる。

 山が煙る時、その幽玄なる山は、静寂に包まれ、

 無言の中に、その偉大なる存在を現わすのである。

 今朝もまた、志賀の里は、寺院の鐘の音が響く悠久の営みの中にあった。

 

 

             

 

 

■ 11_15 切り絵

 

《 静寂にて  影絵残せし  桜葉の  おのれ見つめし  別れの時や 》 實久

   ―しじまにて かげえのこせし さくらばの おのれみつめし わかれのときや―

 

 自然なる切り絵の陰影に、教会堂の美しいステンドグラスを重ねた。

 虫たちに身をささげた桜の葉は、落日のびわ湖を眺めながら、静寂を前に落葉前の己を、慈しみをもって

 見つめていた。

 命散る前の美しい一瞬である。

 

           


 

 

 ■ 11_16 白銀の儀仗兵―シロガネヨシ(白銀葭)

 

《 天を突く シロガネヨシの 儀仗兵 パリコレクション 見るが如しや 》 實久

   ―てんをつく しろがねよしの ぎじょうへい ぱりこれっくしょん みるがごとしや―

 

 天に向かって背伸びする儀仗兵、シロガネヨシ(白銀葭)の見事な白銀の衣装に、パリのファッション

 ショーをここ志賀の山里で見ているような錯覚に陥った。

 華麗なる立ち振る舞いに歓声を上げた。

 

                                         

 

 

 

■ 11_17 やって来た渡り鳥―マガモ

 

《 渡り来し シベリヤの民 マガモをや びわ湖迎えし 恵比寿顔にて 》 實久

 ―わたりきし しべりやのたみ まがもをや びわこむかえし えびすがおにて―

 

 びわ湖の冬の風物詩である渡り鳥がやって来た。

 厳冬をさけてシベリヤからやって来たマガモたちは、安堵の地であるびわ湖の冬日を楽しんでいた。

 マガモの仲睦まじきおしどり夫婦の姿を、この冬も見られると思うだけで心温まるのである。

 

 

 

 

 

 

■ 11_20 遠方、インドより友来る

 

《 友来る ガンジ―の息子 びわの湖 戦い無き世 共に祈りし 》 實久

   ―ともきたる がんじーのむすこ びわのうみ たたかいなきよ ともにいのりし―

 

 インドで学校経営をし、日印の人材交流に務める若き友人Mr.Ashok Shankar Palanisamyが、

 ここ志賀の里を訪ねて来てくれた。これから先、日印の政治経済におけるパートナーとしての役割分担と

 提携は、より一層緊密になること必定である。彼のような若きインドの頭脳、リーダシップに期待する

 こと大である。

 

                             


 

 

■ 11_22  05:42 笑う上弦の月

 

《 月様の  顔なき姿  笑いおり  君宿りてや  われくすぐりし 》 實久

   ―つきさまの かおなきすがた わらいおり きみやどりてや われくすぐりし―

 

 澄み渡った夜空、天空に浮かぶ上弦の月さんに呼びかけられた。

 出合の一瞬のこころの動き、今を共有する者同士のこころの響き合い、おのれのこころに月さまが宿った

 瞬間である。

 豊かな時間が流れた。

 

                                   

 

 

 

 

■ 11_23 山の隠れ家

 

《 隠れ家に  忍び入りてや  悪ガキの  宝隠せし  探偵ごっこ 》 實久

   ―かくれがに しのびいりてや わるがきの たからかくせし たんていごっこ

 

 蔦がまとわりつき、ひっそりとたたずむ廃屋の小屋に、夢が詰まっているような気がした。 脳裏には、

 いろいろな空想や推理が駆け巡り、朽ちかけた小屋に出会って少年のように興奮したのである。

 

                       

 

 

 

■ 11_24 光る狐目

 

《 狐目の  光り宿りし  冬の陽に  安らぎ溢る  子供返りや 》 實久

   ―きつねめの ひかりやどりし あきのひに やすらぎあふる こどもがえりや―

 

 優しい初冬の陽を狐の目に宿して、懐かしい少年の日々に遊んだ。

 子供のころに指を折って遊んだあの狐目に、悠久なる太陽を取り込んで見たのである。

 遠い彼方に埋もれていた少年のこころが蘇ってきて、温かい気持ちにさせられた。

 

                       



 

■ 11_25   同志の死を悼む

 

 今朝一番に、同好の会であるOGOB会幹事長からの連絡で知って、驚きを隠せないでいる。

 風を切ってサイクリングを愛した男、仲間を笑顔で包み、長身を少し曲げてスイートボイスで語りかけた

 伊達男、国際会議場の運営方として気候変動枠組条約第13回締約国会議及び京都議定書第3回締約国会合

 成功に尽力した君、多くの想い出を有難う。

 安らかにお眠りください。謹んで哀悼の意を表します。弥栄

 

            君を偲びて、短歌を捧げる・・・    詠み人 後藤實久
 
      《微笑みの 甘いマスクに 光り受け 淡路駈けしや 夢を背負いて》
       ーほほえみの あまいますくに ひかりうけ あわじかけしや ゆめをせおいて―
 
      《岩倉の 比叡望みし 会議場 世界平和の 願い守りし》
        ーいわくらの ひえいのぞみし かいぎじょう せかいへいわの ねがいまもりし―
 
      《労わりの 心優しき 君なれど 男のロマン 熱く語りし》
        ―いたわりの こころやさしき きみなれど おとこのろまん あつくかたりし―
 
      《情熱を 語りし君の 熱き日を 想いて悲し 君の無き世や》
        ―じょうねつを かたりしきみの あつきひを おもいてかなし きみのなきよや―
 
      《”先輩”と 優しき君の 肩たたき 振り返りてや 笑顔忘れじ》

          ―せんぱいと やさしききみの かたたたき ふりかえりてや えがおわすれじ―

                            

          

 

 

 

■ 11_26 覗き見のびわ

 

《 覗き見の  こころ踊りし  琵琶の島  若き血潮に  コロンブスおり 》 實久

   ―のぞきみの こころおどりし びわのしま わかきちしおに ころんぶすおり―

 

 昨日、親しいカップル二組を迎えてBBQランチを楽しんだ。

 迎える前の軽い朝の散歩で、左手を丸めて朝焼けに浮かぶ沖島方面の琵琶湖をこっそり覗いてみた。

 そこには見果てぬお伽の国が、美しい箱庭のように広がっていた。

 まるでコロンブスアメリカ大陸を発見した時のような興奮が、体を襲った。

 まだまだ血が騒ぐという、おのれのなかの若さに驚いたものだ。

 

 

                       

 

 

 

■2022_11_26 炭火を囲み

 

《 温もりの  互い見つめし  バーベキュー  喜怒哀楽の  話焼きしや 》 實久

   ―ぬくもりの たがいみつめし ばーべきゅー きどあいらくの はなしやきしや―

 

 友を迎えて暖かい炭火を囲み、友情を温め合った。

 スカウト時代は、火起こし名人だったが、歳をとると雑念と合理性に毒されて手を抜くのであろう、

 なかなか上手くいかないものである。

 BBQの匂いに誘われ、人生話に花が咲き、泣き笑いのなか、幸せをかみしめあった。夫婦だけでは味わえ

 ない、スパイスの効いた、心に響く数々の体験談を聞き、こころに涙を宿した。

 友とは、有難い存在であり、自分の鏡でもある。

 友情を大切にしたい。

 

 

                       

 

 

 

■ 11_27 額縁の中の景色

 

《 慈しむ  この世の生の  衣替え  おのれと重ね  燃え立ちおりて 》 實久

    ―いつくしむ このよのせいの ころもがえ おのれとかさね もえたちおりて―

 

 志賀の里には湖西道路が南北縦に走っている。

 その隧道では、四季折々の景色を切り取った風景画を愛でることができる。

 散歩の度ごとに、自然の衣替えを見るのが楽しみである。

 それは、人間の衣替えと季節を一にしていることに何か親しみを感じるのである。

 今朝も、名画を観賞した。

 

             

 

 

 

■ 11_28 水盆の彩どり

 

《 盆水に  重ねて映える  心うち  一滴水に  侘び寂を見し 》 實久

   ―ぼんすいに かさねてはえる こころうち いってきすいに わびさびをみし―

 

 志賀の里に湧く泉、水盆の見事な彩どりに日本庭園の美しさを見た。

 散歩の途中、こころを豊かにしてくれる一杯の清涼水をいただくことにしている。

 この盆水に、四畳半の茶室を連想し、人の道を染める清水をかみしめた。

 この素晴らしい自然のオモテナシに、何時も心が癒され、豊かな気持ちにさせられるのである。

 感謝である。

 

 

                       

 

 

 

■ 12_01  老友の凄技-扇鶴

 

《 和みきし 老友の技や  扇鶴  若き手さばき マジシャンのよう 》 實久

   ―なごみきし ろうゆうのわざや おうぎつる わかきてさばき マジシャンのよう―

 

 一枚の折り紙が、目出度き扇のなかの鶴に変身、それも80歳に近い老友の作品である。

 一辺13㎝程の四角形が、これほどの複雑な、緻密な折りをなすのだから、驚嘆に値する日本の技である。

 正月の祝膳の箸置きに使わせてもらうことにした。

 

 

                     

 

 

■ 12_05 悲しい吊るし柿

 

君恋し  甘き干し柿  待ち焦がれ  故無き腐り  悲しき冬や 》 實久

   ―きみこいし あまきほしがき まちこがれ ゆえなきくさり かなしきふゆや―

 

《 暖冬に  落ちし柿見る  悲しきや  ドーハの歓喜  われを慰む 》 實久

  ―だんとうの おちしかきみる かなしきや どーはのかんき われをなぐさむー

 

 早朝、ワールドサッカーのスペイン対日本戦は<ドーハの歓喜>に再び沸いた。

 我家の二度目の吊るし柿は、前日までの暖冬のため、ほとんどが落下、悲しい結末となった。

 落下した干し柿でジャムを作りながら、<ドーハの歓喜>に慰められている。

 

 

 

 

 

■ 12_05 懐かしの一品

 

《 久方の  味や呼びにし  山彦の  臥せし峰々  招きて止まず 》 實久

    ―ひさかたの あじやよびにし やまびこの ふせしみねみね まねきてやまず―

 

 サッカワールドカップ下剋上に興奮冷めやらない。

 日本の綺羅星は言うまでもないが、劇的な韓国の勝利、ブラジルの第一次リーグでのカメルーン戦での

 敗戦… サッカーファンにとってはこれ以上の演出はない。

 録画による試合観戦後の空腹を満たすのが、ロングトレイル縦走や登山時の定番食であったチキン

 ラーメンである。

 比良比叡縦走を最後に、無性に食べたかった戦友であるチキンラーメンを口にし、懐かしき山々が呼ん

 でいるようで、ダブルに血が騒いだ。

 

 

 

 

 

■ 12_04 鱗雲に身を預けて

 

《 刈跡に  寝そべり遊ぶ  志賀の里  雲に変化し われ見下ろせし 》 實久

    ―かりあとに ねそべりあそぶ しがのさと くもにへんげし われみおろせし―

 

 刈った稲跡の田圃に体を横たえ、冬空を見上げていると、鱗雲がかぶさって来て、はるか遠い心象風景に

 引きこまれていく自分に気づき、ふと生きている不思議さを感じたのである。まるでわが身が鱗雲になっ

 て、冬空に浮遊する幸せな瞬間を味わった。

 

                                 



 

■ 12_06 万両の赤い実

 

《 赤き実に 百千万両  見とめしや  笑う門にも  福来りしと 》 實久

    ―あかきみに ひゃくせんまんりょう みとめしや わらうかどにも ふくきたりしと―

 

 正月を祝う頃になると、金運・幸運を呼ぶと言われる万両の赤い実が葉陰から顔を出す。

 その恥じらいの姿に、何とも言えない親しみを感じるのである。

 

                               


                                       

 

■ 12_08 引っ付き虫-オオオナモミ

 

《 また君か  引っ付き虫に  ご挨拶  命継ぎたし 必死の君や 》 實久

    ―またきみか ひっつきむしに ごあいさつ いのちつぎたし ひっしのきみや―

 

 引っ付き虫がズボンにぶら下がって、我家を訪問することは良くあることである。

 その生命力に何時も感心しながら、一つ一つ引き離しながら挨拶をするのが常である。 

 「君たち、凄いね!」

 命とは、引継ぐことであると教えられた。

 

                             

 

 

■ 12_08  大津絵カレンダー届く

 

《 大津絵の  ユーモア隠す  言霊に  鬼も念仏  光見ゆなり 》 實久

   ―おおつえの ゆーもあかくす ことだまに おにもめんぶつ ひかりみゆなり―


 友人の丹精込め、手作りされた2023年度の大津絵カレンダーが届いた。

 さっそく飾りつけ、正月の準備を始めた。

 やはり、この年のテーマとして取り組んだという<鬼の念仏>、迫力が漂う。

 特に、鬼の目に魂が入っていて、生きているのが凄い。

 また、先にいただいた絵皿の<鬼の念仏>は、手触りからくる

 その生きいきとした感触に鬼の正体を見たようで、興奮を覚えた。

 益々の精進を祈るものである。

 影ながら声援をおくりたい。

 

                                     


 

 ■12_09  招福干支来る

 

《 招福の 言葉嬉しや 干支雛の キュートな仕草 こころ癒せし 》 實久

    ―しょうふくの ことばうれしや えとびなの きゅーとなしぐさ こころいやせし―

 

 友人夫妻より、薬師窯の古林恩羅院製作のキュートな招福干支さん達が、志賀の里にやってきた。

 何と素敵で、可愛らしいことであろうか。 志賀の里の我が家が急に賑やかになった。

 さっそく飾って楽しんでいる。

 

                                   

 

 

■ 12_10  サッカーの心髄を観た

 

《 我忘れ  球の流れに  血が騒ぎ  共に上げしや  平和のうねり 》 實久

   ―われわすれ たまのながれに ちがさわぎ ともにあげしや 平和のうねり―

 

 ブラジル対クロアチアのサッカー試合は、

 国の、チームの、個人の、そしてサッカー選手としての誇りを見せてくれた。

 

 フォーメーションの流れからのチャンスに、全世界が沸き、

 全員で押し上げる時の、個の全身全霊での力の出し切り方に己を重ね、

 瞬時の球への神業的な対応に感動を覚えた。

 これはもう一つの考える塊であり、行動する塊のぶつかり合いであった。

 

 その流れ、刺激的なパスコースにどよめき、一つのシュートに天を突く大歓声である。

 両チームの素晴らしさはもちろんだが、なかでも守護神であるキーパーの冷静さと心理戦が勝敗を決した。

 サッカーの申し子と言われるネイマールが、PK戦で見せた天に祈る姿は何時までも心に残るであろう。

 両チームの激闘、いや平和の姿に感謝したい。

 

                       


 

■ 11_10   野花さん「君の名は?」

 

《 聖なりし  小さき命  冬日向  見落せし君  詫びて問いしや 》 實久

   ―せいなりし ちいさきいのち ふぃゆひなた みおとせしきみ わびてといしや―

 

 木戸川の堤に咲く野の花に「君の名は」と聞いてみた。

 彼女は「わたしはクローバの仲間なのよ」と言う。

 さっそく図鑑を調べたが、見当たらない。どうも白詰草(シロツメグサ)の花が成長した姿ではないかと

 推論した。さて「君の名は?」

 

                         


 

 

12_12 母校を訪ねて
 

《良心の 時を継ぎにし 同志社の 今昔蒼然 落葉舞いてや》 實久

―りょうしんの ときをつぎにし どうししゃの こんじゃくそうぜん おちばまいてや―

 

5年ぶりに母校 京都薩摩藩邸跡に建つ同志社を訪ねた。

前回は喜寿の年、クラブ発足当初からの仲間と誘い合わせて記念写真を撮ったものだ。

卒業して60年、あの若き血潮も、夢追い終えて静かなる日々を愉しんでいる。

感謝である。

 

 

 

■ 11_13  カブスカウト—全員集合

 
《手をつなぎ サーサみな来て 歌おうよ 元気なカブに 合わせ吠えるや》  實久
 ―てをつなぎ さーさみなきて うたおうよ げんきなかぶに あわせほえるや―
 
 小雨降る冬空のもと、赤ら顔の元気なカブスカウトが全員集合。
 誘われて古田誠一郎作「仲良しの輪」を一緒に大きな声で歌ってきた。
  遠い少年時代に迷い込んだ・・・・懐かしい!
 

 

 

■ 12_14  散髪屋さん

 

《ここ切るよ・・・それじゃ虎刈り! すまん、すまん!と 散髪屋さん》實久

 ―ここきるよ それじゃとらがり すまんすまんと さんぱつやさん―

 

  ここ数年、手入れをしなかった杉の木が背を伸ばし、日当たりが悪くなってきた。

 久しぶりにヘルメットをかぶり、脚立に上って、電動鋸で散髪をしてやった。

 危険を伴う作業だけに、疲れがどっと襲って来たが、それにもまして刈り終えた喜びと、杉君との会話を

 楽しんだ。

 

         

 

 

■ 12_15 白椿と蜂

 

《無心なる 母の乳飲む 蜂ありて 君を抱きしむ 白椿花かな》 實久

 ―むしんなる ははのちちのむ はちありて阿きみをだきしむ はくちんかかな― 

 

 冬日向、尻隠さず無心に蜜吸う蜂君の無邪気さに、慈愛のまなざしで我が子を見守る母親の姿を見た。

 なんと平和な瞬間であろうか。 

 共生の素晴らしさ、信頼に満ちた情景である。

 

     

 

 

■ 12_16  一本のターザン・ブランコ

 

《やんちゃなる ターザン飛びし ジャングルの 雄叫びあげし かの日懐かし》 實久

 ―やんちゃなる たーざんとびし じゃんぐるの おたけびあげし かのひなつかし―

 

 一段と寒さが厳しくなった冬空のもと、びわ湖岸にぶら下がった一本のロープに、少年時代に愛読した

 月刊誌<冒険王>に載っていたターザンの姿が宿った。老いるとは、なんと素晴らしい追憶の旅なのだろうか。

 幸せである。

 

       

 

 

 ■ 12_17  ちょっと山歩き

 

《雪空に 紅葉残る 衣替え 東風唸る比良 熊潜りしや》 實久

 ―ゆきぞらに こうようのこる ころもがえ こちうなるひら くまもぐりしや―

 

  比良の蓬莱山を目指して<木戸登山口>をスタートすると、

 キタダカ道の最初の砂防ダムにでる。 ここはわたしのお気に入りの山歩きコースである。

 遠くのびわ湖大橋を見下ろし、冬空に突きでた比良の峰を仰ぎ見る絶景の休憩ポイントである。

 ダムの上で寝そべり、大自然に抱かれながら紅葉の中に沈んだ。

 昼からは雨に変わるという。 お腹もすいて来た。

 急ぎ、下山した。

 

     

 

 

 ■ 12_18  葉牡丹の入場式

 

《春よ来い 早く来いよと 葉牡丹の 祈りし顔や ウクライナ向き》 實久

 ―はるよこい はやくこいよと はぼたんの いのりしかおや うくらいなむき―

 

 正月を飾る葉牡丹が、その出番を待っている姿に出会った。

 まるで、春の選抜高校野球選手権に臨み、緊張した選手たちの隊列を見ているようで微笑ましい光景である。

 春を迎える笑顔、それは平和な時の流れの風物詩である。

 

     

 

 

■  12_19  融雪剤の季節到来

 

《少年期 声を張りあげ 待ちし雪 変化の姿 美しきかな》 實久

 ―しょうねんき こえをはりあげ まちしよき へんげのすがた うつくしきかな―

 

 朝、小雪が舞った。 見上げると比良の山も雪帽子をかぶっていた。

 ここ志賀の里は、降雪、積雪の季節を迎える。

 比良山麓の里には多くの急な坂が延びており、積雪時の車の移動が難しくなるので、凍結防止剤を撒く

 必要がある。

 自然の脅威を乗越える工夫の一つであるが、これから長い冬と共に生きることになる。

 春が待ち遠しい。

 

 

 

■ 12_20 プロ囲碁棋士合格を祝う

 

《運命なる プロ棋士祝い 贈りしや 初志貫徹と 不撓不屈を》 實久

 ―さだめなる ぷろきしいわい おくりしや しょしかんてつと ふとうふくつを―

 

 「この度、息子は日本棋院関西総本部院生研修を無事終了し、囲碁棋士初段に合格しました。 これからは関西

 総本部所属の<プロ棋士>として、対局していくことになりました。」

 との便りが届いた。

 大変な道を歩くことになるが、自分の好きな道、苦しくても、精一杯やってくれることを願っていると、

 締めくくっていた。

 人の一生、運命はその人にしか背負えないものである。

 頑張ってほしい。

 親の、子を見守る姿は実に美しい。

 

 

 

■ 12_21  干し大根

 

《寒風に 大根干せし 冬日向 衣変えてや 沢庵なりし》 實久

 ―かんぷうに だいこんほせし ふゆひなた ころもかえてや たくわんなりし―

 

 志賀の里の冬の風物詩のひとつに、干し大根がある。

 寒風を体いっぱいに浴びて、皺を増やしながら体内の水分を取り去っていく様は、ひとの老いの中に滋味を

 貯える姿に似ているものである。

 干し大根さんは、沢庵令夫人に変身するのである。

 

     

 

 

■ 12_22  主人を待つ椎茸

 

《待ち姿 愛しき君や 丸顔の 出会いて嬉し 忍びの森や》 實久

 ―まちすがた いとしききみや まるがおの であいてうれし しのびのもりや―

 

 明け方まで、随分と雨が降った。 大雪にならずに安堵している。

 志賀の里では、森の中での椎茸栽培を愉のしむ人達がいる。

 今朝も雌雉の、おっさんのような鳴き声<グエッ、グエッ>につられて、森に入った。

 美しい丸顔を向ける椎茸が、ひたすら主人を待つ姿の愛らしさに見入った。

 

        

 

 

■ 12_23 ストリーム・流れ

 

《流れゆく 一滴の水 苦もあれど すべて飲み込み 大海成りし》 實久

 ―ながれゆく いってきのみず くもあれど すべてのみこみ たいかいなりし―

 

 大昔の流れが今でも生活の一部として立派に息づいている。

 比良山系からの水流は、山麓の村の生活用水として、大根を洗い、米を洗うのである。その水は、養殖池として

 鯉を囲い、流れ出て水田を潤し、びわ湖に貯水され、都市部である京都・大阪へと流れ下って、大海へと旅立つ。

 あたかも一滴の水に、自分自身の歩みを見る思いである。

                  

        

 

 

■ 12_24 火床づくり

 

《深々と 降る雪眺め 冬籠り 焚火踊りや ドンドン楽し》 實久

 ―しんしんと ふるゆきながめ ふゆごもり たきびおどりや どんどんたのし―

 

 今朝の志賀の里は雪化粧、きれいだ。

 一斗缶の火床は、寒い冬の日の焚火になくてはならない必需品である。

 さっそく缶切りで天蓋を切取り、壁面に電動スクリューで風穴を開けた。

 ときどき焚火踊りを眺めながら、寒い冬に耐え、春陽を待つことになる。

 

 

 

■ 12_24 シルクロード・スケッチ展》ご案内

 

《絹之道 一片の月 夏の影》 實久

 ーきぬのみち いっぺんのつき なつのかげー

 

《一粒の 砂にも神の 夏日あり》 實久

 ーひとつぶの すなにもかみの なつびあり―

 

 2004年7月に日本を出発、上海からゴビ砂漠タクラマカン砂漠シルクロードをたどり、中東から

 ヨーロッパまでのおよそ100日間の旅をしたときに画いたスケッチ作品です。

 ブログ『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』より、各地で描いたスケッチを取り出し、

 今回ようやく《シルクロード・スケッチ展》を開催する運びとなりました。

 シルクロード沿線諸国の人民による相互理解の上に立って、息の長い友好関係が続くことを祈りつつ、

 ご一緒にシルクロードの旅を楽しんでいただければ幸いです。

                  2022年12月クリスマスイブ  志賀の里 孤庵にて 後藤實久

      

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/12/24/195739

2022《星の巡礼  シルクロード・スケッチ展》

 

 

 

 ■ 12_25 平和の祈り

 

《柿の子や 聖誕祝い ハレルヤと 響きし郷で 平和祈りし》 實久

 ―かきのこや せいたんいわい はれるやと ひびきしさとで へいわいのりし―

 

 メリークリスマス!

 たわわなる残り柿に、志賀の里のクリスマスツリーに見立てて愉しんできた。

 キリスト生誕を祝う柿さん達の歓びの合唱が、ここ比良山麓の志賀の里に、平和を祈って響き渡った。

 

 

 

■ 12_26 いのち継ぐ―コセンダングサ

 
《命継ぐ 尊き姿 出会いてや 謎解き多き おのれ重ねし》 實久
 ―いのちつぐ とおときすがた であいてや なぞときおおき おのれかさねし―
 
 細雪降る、暮れも近づくなか、その一瞬の出会いを、息をひそめて待つ命に出会った。
 なんと機能的な美を備えた姿なのだろうか、シンメトリックな厳しい姿に感動を覚えた。
1つの花弁に25もの子を宿し、動物の毛や、ひとの服に引っ付いて移動し、その場所に定着し繁殖する
 頼もしい生き物―引っ付き虫の一種、コセンダングサの種である。
 
        花、自然のクローズアップのようです
 
 
 
■ 12_27 ススキに己を重ねる

 

《君もまた 時の流れに あると識り 嬉しくもあり 侘しきもあり》 實久

 ―きみもまた ときのながれに あるとしり うれしきもあり わびしきもあり―

 

 雪の重みに頭を垂れながらススキ達は、このまま立枯れていく。

 その端正な立ち姿を越冬させ、次世代の誕生を待ちながら姿を消していくのである。

 われわれに人生があるように、彼らの一生もまた、普遍なる時の流れの中にある。

 嬉しくもあり、侘しくもある。

 

雪、自然の画像のようです

 

 

■ 12_28 足長爺さん

 
《己とは 何者問いし 影なれど 流れし時に 飲まるる我や》 實久
 ―おのれとは なにものといし かげなれど ながれしときに のまるるわれや―
 随分と、冬陽の影が長くなってきた。
 分身なる影に、もう一人の己を見ている自分がいることに気づかされるのである。
  長い影に、己の時の流れが詰まっているような気がした。
 老いのなか、君はだれかと問う冬のひと時、29565日目を迎えた。
 感謝である。
 
        アウトドアの画像のようです
 
 
 
■ 12_29 哲学する椅子
 
《われは何故 生きしかと問う 我なれど 遠く求むる はかなき夢や》 實久
 ―われはなぜ いきしかととう われなれど とおくもとむる はかなきゆめや―
 
 たくさんの誕生メッセージをいただき、有難うございました。
 みなさんお一人お一人に感謝しながら散歩していると、
  寒空のもと、独り坐して対岸の近江富士を見つめ、坐禅する鉄骨椅子に出会いました。
 そこに修行僧の厳しさと、思索する孤高の哲学者の姿をみたのです。
 人はみな同じく孤独の中に坐し、哲学する生き物であることに、あらためて気づかされました。
 この世から姿を消すまで、おのれを見つめていくことになりそうです。
 よろしく、励ましてください。
 
 
   自然の画像のようです
 
 

■ 12_31  年暮れのシンフォニー

 

《風流に 奏でしシンフォニー 虫どもの こころ癒せし 命の歌や 》 實久 

 ―ふうりゅうに かなでししんふぉにー むしどもの こころいやせし いのちのうたや―

 

 ここ志賀の里では、のどかな段々畑に朝日が射しこむとき、虫たちが眠りから目を覚まし、新年の

 シンフォニー<第九>の練習に余念がない。

 厳冬の土の中でヒメコオロギが、リューリューと弦を引く調べには、来る年の平和を願う熱い祈りが

 こもっている。

 今年最後の心温まる虫たちの演奏に、ウクライナの人たちに心を寄せながら聴き入った。

 来る年が平和でありますように!

 

       

 

 

            2023年が平和で愛多き年でありますように!

 

 

           『志賀の里 歳時記 2022 短歌集』