shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

■ 2003 《星の巡礼 バラナシ・ガンガー沐浴巡礼の旅》 

星の巡礼 バラナシ・ガンガー沐浴巡礼の旅》

 

 

 

<わたしはどこから来て、どこへ行くのか>

<わたしはなぜ今、この境遇で、ここにいるのか>

ヒンズーの世界、インドを旅するにあたって人生の命題が頭をかすめた。

そこは輪廻転生、解脱を信じる真剣な祈りと、カースト制度による宗教実践の国インドだからである。

 

まずは、バラナシへ向かうことにする。

 

この旅に出発する直前の2003年2月1日(日本時間)、ミッションを終え地球への帰還途上のスペースシャトル「コロンビア号」が、大気圏への再突入の際、空中分解しインド女性一人を含む宇宙飛行士7人全員が死亡、肉体が消滅し、霊魂は神のもとに召された。

 

この旅で、輪廻転生を信じるインドの人々の死生観に触れることが出来るであろうか。

 

今回のインドの旅の目的は:

  A <インパール作戦インパール南道 戦跡慰霊の旅>であり、

    (バラナシに向かう前に、インパール南道訪問をすでに終えている)

     https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/06/25/111247    


       B    今回の<バラナシ・ガンガー 沐浴巡礼の旅>と続き、

 

       C    最後に<エローラおよびアジャンダー石窟寺院巡礼の旅>で,

      終えることにしている。

 

 

                          Friends Guest House の屋上からガンガーを眺望 (バラナシ・インド)

 

                    インド 星の巡礼ルート

  <A. インパール南道戦跡慰霊➡B.バラナシ/ガンガー沐浴巡礼➡C.エローラ/アジャンダー石窟寺院巡礼>
 

 

 

《ヒンズーの世界 インドへの旅へ》

 

■2月7日 出発の朝 志賀の里 

 

インドへの出発の早朝、零下5度、比良の蓬莱山頂に輝いていた星たちが姿を消し、鈴鹿山系に明けの明星が美しく輝き、東の空は、まさに紅色に変わりつつある。

 

志賀の里のニワトリの鳴き声と共に、村に灯りの点く様は、宇宙に朝露が輝き、命が満ちていくような感動を覚える。

地球総人口64億人(2003年当時)に占めるインドの人口は11億人、中国の13億人に次ぐ人口大国である。

おのれが64億個分の一つの星、小宇宙と思うだけで、今を生きる生命体として覚醒させられるのである。

今まさに銀河鉄道に乗ってインドという大宇宙に飛び立つと想像するだけで、すでに夢の中にある。

 

関西空港行き特急<はるか>は、南に向かい小宇宙である私を運んでいる。

小宇宙であるわたしは、大宇宙であるインドに何を求めるのか。 

大宇宙との出会いが楽しみである。

大宇宙インドにひそむ<梵字密教の神秘>、<輪廻転生の世界観>、<解脱の願望>、<牛の神聖観>と、尽きることのない<異次元の死生観>など、まるで別なる精神世界であり、興味の尽きない大宇宙インドである。

何がゆえに小宇宙は自己の存在を確かめたいのか・・・

宇宙に存在するとは、木立の間を吹き抜けるそよ風のようなものではないだろうか。

優雅な達観、そこに流れる水のような存在、尽きることのない魂の揺らぎと言ってもいいのかも知れない。

 

関西国際空港からシンガポールを経由し、インド・カルカッタに向かうのは、銀河鉄道に代わり、シンガポール航空の最新鋭ボーイング777-200/JUBILEEである。

隣席の老夫妻は、シンガポール港発着の世界一周のクルージング(船旅)参加のため向かっておられるという。

インド・インパールに立寄り、戦跡を訪ねる計画だとのこちらの話には、

「当時、12歳で少年航空隊員になったばかりで、その凄惨なインパール作戦の無謀さを聞いています」と、ワインをかたむけながら、しずかに少年兵の戦争体験を語られた。

 

<ボンボヤージ/素晴らしい船旅を!>と、老夫妻とシンガポールで別れ、

シンガポール航空#SQ416便に乗り継いで、1時間30分のフライトでカルカッタコルカタ)に到着した。

 

この便には、<マザー・テレサ愛の奉仕団>の尼さん一行が同乗、質素な身なりにいつも感銘を受けるものだ。 マザー・テレサの<死を待つ人の家>はじめ各施設の本部<マザー・ハウス>は、カルカッタコルカタ)にある。

 

 

             マザー テレサ                 <死を待つ人の家>

                 (kolkotabenglinfo.com提供)

 

飛行機とは、一つのコミュニティーを短時間で別のコミュニティに運んでくれる便利な乗り物である。 行き先変われば、人種も、言葉も、食事も変わるから飽きることなく、愉快である。

大阪発のシンガポール航空は、ほとんど全員が日本人であり、外国人を見つけるのが困るほどである。 もちろん日本食がサービスされ、機内アナウンスも日本語である。

それがである、乗継のシンガポールからは、日本人はこちら一人ぐらいで、大多数は同じくオリエンタル・フェイスだがシンガポールの言葉を話す華僑たちと、彫が深く眼光鋭いターバン姿に王様髭をはやしたアーリア系のインド人たちにとってかわられるのだから面白い。

 

カルカッタ(カルコタ)経由、列車で第一目的地であるインパールに直接向かうつもりであったが、カルカッタの街の様子に惹かれて、すこしヒンズーの生活に溶け込んで、現代のインドを観察することにした。

 

カルカッタ・サルベーション・アーミGHに泊る>

カルカッタに遅くに着いたため、タクシーに乗り、救世軍経営の<サルベーション・アーミ・ゲストハウス>に連れて行ってもらった。 格安のため旅慣れた西欧人や、バックパッカーに人気がある。

パキスタンバングラデッシュ、インドを旅行して驚かされるのだが、美しい西欧の女子学生たちがゴミダメと言って失礼なゲストハウス(格安宿泊所)で、嬉々として楽しんでいる姿に出会うことは実に愉快である。

ここでも汚れ切ったトイレを数人の女子学生が奉仕清掃しているではないか、すばらしい光景である。

 

                                    日本からの<マザー・テレサ愛の奉仕団>の青年たちと共に

                                         カルカッタ・サルベーション・アーミGHで(帰国時)

 

部屋には、ダブルベッド、椅子、テレビ、天井扇、トイレが付いている。

天井扇は、熱帯夜が続くカルカッタでは必需品である。 また、テレビは、英国のBBCの国際ニュースがみられるからである。

この時期、アメリカは2番目に高いテロ警戒を市民に呼び掛けていた。 アルカイダによる高層ビルをターゲットとした攻撃の恐れがあると、BBCが報じていたからである。

2001年9月11日のニューヨーク・マンハッタンにある貿易センタービル(ツイン・タワービル)が

アルカイダの攻撃により崩壊した事件が頭によぎった。

事件当時、こちらはウラジオストックからモスクワに向かうシベリア横断鉄道に乗っていた。

同じコンパートメントに同乗していた旧ソビエト連邦赤軍の情報上級将校(日本軍担当)であったウクライナキエフ出身の老婦人、ベテラン・コムレッド(同志)ルドミーラ女史から、ロシアの新聞に載っている、ハイジャックされた飛行機が突っ込み、煙が吹きあがっている写真を見せられ、恐怖心に襲われたことをはっきりと記憶している。

 

                                 

                                          9:11テロ・ツインタワー攻撃

                                                       (モスクワの新聞より)

     

              9:11当時シベリア横断列車乗車中

              同室のウクライナ人  ルドミーラ女史と

 

 

<少年に見るヒンズーの商人魂>

カルカッタの街を歩いていて、5歳ぐらいの裸足の男の子が路上でバナナを売っていたので、5Rs.ほど売ってくれと言ったら、少年はきちんと暗算し、バナナの本数を数えて渡してくれたのには驚かされたものである。

さらに、少年は1本おまけしておくと、インド商人の持つ潜在的商才を見せたのである。

 

           

 

インド商人の特徴を、清好延著「インド商人ならこう考えます」で次のように述べている。

インド商人は、ヒンズーイズムによる商人魂のもと、金儲けに徹し、目的達成に対し手段を選ばないという。 徹底した契約社会のもと、ビジネスの約束は必ず守り、良いものなら率直に受け入れる柔軟さがあると。 

絶対に謝らないビジネススタイルは、百戦錬磨のインド式交渉術にあると説いている。

また、勝算の無いビジネスには手を出さない事や、金儲けにこだわる驚異の執着心に、インド商人の心髄があるという。 

徹底した能力主義、卓越した情報収集力、21世紀のグローバル社会はインド抜きで成り立たないことを教えてもいる。

 

2003年当時、現在のアメリカはじめ多くのIT企業が、インド系エンジニアをCEOに迎えるであろうことを誰が予想したであろうか。 グーグルのCEO であるSunda Pichai氏や、マイクロソフトのCEO、サティア ナデラ氏がいる。

 

<鼻をかんだらティシュが真黒>

車の排ガスのものすごいこと、どことなくエジプトのカイロに似ている。

前回のインド訪問は、神聖な牛が優雅に歩く、静かなデリーの郊外だったが、今回は歴史残り、ホコリにまみれたカルカッタの真中に滞在している。

美しい植民地時代のコロニアルな街並みは、薄汚れ、車も市電も、バスも人間までも埃に薄汚れており、その混沌とした自然と人間のコラボから生まれた風景こそが、インドそのものである。

 

<インド経済  ポーターとの会話>

カルカッタ駅でインパールやバラナシへの鉄路(路線図)、時刻表を調べていると、側に黙って座って、語りかけてくるものがいた。

―今、世界は経済破綻をきたしているが、日本の経済状況はどうだね。

―インド経済は、ほかの国と比べたら順調なようだね。

(2003年春、イラク戦争終結し、ようやく世界経済は這い上がろうとしていた)

と答えると、待っていたとばかり、

―インドは活気があるだろう。

と語ったカルカッタ駅で荷運びをするポーターであったことが、とても印象的であった。

 

           

                コルコタ駅のポーターたち

 

GNPの4.4%はともかく、この国インド第二の都市であるカルカッタがこのように無秩序で、ゴミの山に囲まれているのを見ると、経済成長を語っていること自体、何かおかしさが込み上げて来たものであるが、そこには底知れない成長のマグマが渦巻いているように感じた。

この国の経済成長の痕跡は、どこに表われて来ているのだろうか。

この旅の間に、この国の実像に迫ることが出来ることを楽しみにしたい。

 

 

             カルカッタのマーケットでインド伝統服を購入

 

 

<人口から見るインドの将来性>

インドは、2021年現在、人口約13.80億人を有し、中国の14.39億人をここ数年中に抜き去り世界最大の人口大国を100年間は維持すると言われ、消費市場として有望視されている。

これに反して日本の人口は1.26億人(2021・11位)から7500万人(2100・36位)に人口減少し、国力を維持できなく成ると言われているから、インドの隆盛に対し、日本の成熟から衰退の世紀が始まったと云っても過言ではない。

 

      

              ガンガーに集まった巡礼者たち tabikobo.com

 

 

地政学的にみるインドの全方位外交>

地政学的にみれば、インドもまた世界の中心にあり、経済優先を掲げ、多国間主義というべき全方位外交を独立以来貫き通している。

ただ宗教上の理由で分離独立した国境を接するイスラム教国パキスタンは、中国が後押しする核保有国であり、敵対関係にある。

もちろん中国との国境紛争もあるが、ロシアとの友好関係により中国をけん制できており、中国の政治体制が変わり、覇権主義を破棄すれば、経済面での交流が優先され、安定した両国関係が生まれ、世界最大の市場が生まれることになると予想されている。

 

 

<昼食  インドカレーを食す>

インドに来ると、本場の野菜カレーを必ず食べることにしている。

インドにいるという実感が味わえること、世界一美味い日本のカレーの中で日常を送れる感謝の気持ちを確認するためである。

長細く、パラパラのインド米に、味が薄くスパイシーのパンチの効いた野菜カレースープを混ぜて右の指3本で器用に絡ませ、口に運ぶのである。

これこそインドカレーの醍醐味である。

スパイシーの辛さが口中に残る、この刺激こそ脳の回転を良くしてくれる気がするのだ。

塩分を抑えたインドカレーに、今回もさらなる適量の塩を振りかけるが、もちろん店主やウエイターに気づかれないようにである。

―How’s taste?

―Very good!

堂に入ったインドカレー愛好家である。

 

      最初から手づかみカレーはさすが無理、途中から体験手づかみに

 

 

ヒンズー教とは>

ヒンズー教は、バラモン教より聖典や、カースト(ヴァルナ・身分)制度を引継ぎ、土着の神々(多神教)や、輪廻転生・解脱をねがうガンジス川崇拝の方法を吸収した伝統的民族宗教である。

 

多神教という土着の無数の神々のなか、<創造の神・ブラフマー>・<維持の神・ヴィシュヌ>・<破壊の神・シヴァ>を三大神といい、ブラフマーが創造した世界を、ヴィシュヌが繁栄させ維持し、間違った方向へ世界が進めばシヴァが破壊するという。 

ヒンズー教では、世界はこの<創造・維持・破壊>のサイクルで回っていると説いている。

 

           街角のいたるところにヒンズー教の神々の祠がある

 

 

カースト/ヴァルナ/身分制度

カースト(ヴァルナ・身分)制度は、バラモン(司祭)・クシャトリヤ(王族・武士)・ヴァイシャ(一般市民)・シュードラ(奴隷)の4つの身分に分かれる。 この他に制度に入らない人間以下とされるアチュート(不可触民)が存在する。

カースト/ヴァルナ制度は、親から子へ世襲されるもので、生まれた後に努力や善行などで身分を変えることはできないといわれる。

現世の人生で徳を積むと、生まれ変わった時に、より高いカースト/ヴァルナに上がることができるとされているが、カースト(ヴァルナ・身分)は、生まれた後の努力では変えることが出来ないとされる。

 

         

                   アチュート(不可触民)の姿

                      visiomire.com

 

 

<路上に暮らす貧民層>

インドを一人で旅をするときには、沢山の小銭を用意することをおすすめする。

喜捨ドネーション(寄付)・口銭を手渡す相手と、無限と言っていいほど出会うからである。

カルカッタの路上にも、貧しい身なりをした母子や老婆、子供たちが物乞いする姿は傷ましい限りである。 カーストにより身分制が確立し、このカースト制から外れた階層が存在し、それぞれが達観してそれぞれの階層を生きぬいているところに、インドという特殊な人間の坩堝(るつぼ)を見るのである。

インドの貧困率は、1973年の54.9%から、2003年42.0%と改善の兆しにあり、現在の経済成長率からみて、2020年には9%台にまで改善すると言われている。

人口は、2050年までに中国を追い越して世界一になると予想され、貧困の解消も時間の問題である。

インドは市場として、また経済大国としての要素を含んだ最後の大国としての条件を整えつつあることに注目すべきである。

 

 

<インドの都市計画   大英帝国の植民地として>

世界を歩いてみて、英国の植民地であった国々の都市計画が統一規格の下になされていることに驚かされる。

ここカルカッタの街造り(都市計画)も、エジプトのカイロや、ケニアのナイロビと似ているのもうなずける。

ただ、どの都市も広々とした都市計画道路で仕切られているが、町全体は雑然とし、住む人の習慣からかゴミで溢れかえっているから、まだまだ宗主国であった英国の生活水準には追い付いていないということであろう。

ゴミが溢れるのは、なんでも路上に捨てる習慣というか、公共に対する意識の低さにあるといわれ、経済成長と共に国が富めば、改善されていくものと思われる。

 

話は変わるが、宿泊先のカルカッタ・サルベーション・アーミの部屋で荷物を開けて、驚いたことがある。

ペン画用に持参した墨汁のポットが、飛行中の気圧で爆発し、墨が飛び散ってバックパックや衣類に沁みついているではないか。 早く気付いたのが良かったのであろう、水につけて何とかもとに戻すことが出来た。 今後は、ボトル系に液体を入れて飛行機に持ち込まないことにすべき、と反省した。

 

 

■2月9日 カルカッタ(コルコタ)滞在 2日目

 

ここインドはヨガ発祥の地、朝から久しぶりに真向法、柔軟体操、瞑想をおこない心身をほぐした。 カルカッタの路地裏の大樹で鳴く小鳥たちの美しい歌声にこころがなごむ。

テレビからは、インドの民族楽器シタール(Sitar)の奏でる哀愁に満ちたメロディーが魂を揺さぶる。

ここは母なる大地インドなのだ。

その地の気候・風土は様々な人種を生み出してきた。

同じ地球と言いながら、地域において浄土観も、人生観も、宇宙観も異なるのである。 この地でないと味わえない梵の世界、すなわち宇宙があり、空があり、無の世界があるのだから、旅の醍醐味は尽きないといえる。

 

<梵我一如の世界  インド>

自然界の根本原理であるブラフマン(梵)と,人格的な自我の原理であるアートマン(我)との本体が同一無差別であるという世界観、インド哲学の中で,特にウパニシャッドに基づく正統バラモン教の中心思想である。

この宇宙のすべての物は、梵(ブラフマン)から生まれたという思想であり、<梵我一如>すなわち我即宇宙、宇宙即我というヨガの教えの土台をなしている根本原理である。

ここでは日本的な繊細な色彩をほとんど見ることが出来ない。

もしインドに生まれていたら、インド人と同じく梵の死生観にもとづき、梵我一如の世界にどっぷりつかり、時の流れに身を任せていたに違いない。

 

この梵の地に釈迦が誕生し、仏教が育った事を思うと、このインドの地は、哲学的人間を育む気と心とエネルギーが充満しているのであろう。

ユダヤの地に見る、砂漠の気と心とエネルギーがキリストを誕生させたようにである。

また、キリストを信じる貧しき人々に生きる力を与えたマホメットのようにである。

不思議と、貧が人々のこころを洗い清め、生死の意味を与えているといえる。

 

ヒンズーの人々の深遠な目には、死を恐れない平安の光が漂っているように見えるのはわたしだけなのだろうか。 それは、カースト制のもと、貧困から脱却したいという来世を信じる心にありそうである。

ヒンズーの来世はどんなところなのだろうか。

その美しい光に出会えることを祈りたい。

 

        

               梵の世界<ガネーシュ : カーリー寺院>

               The world of 卍 <Ganesh : Kali Temple>

                  Drawing by Sanehisa Goto

                     Feb. 9, 2003

 

 

<破壊と再生の神々>

過去の遺産を食いつぶしたあとに、真心のインドが再生するのであろうか。

街を歩いていると、ヒンズーの神々に導かれて、建設では無く破壊を楽しんでいるような街の様子である。 喧騒の街はうなりを上げ、街路樹は無酸素にあえいでいるように見える。

これもまた、地に還る命の宿命としての諦めと、次なる命の転生、再生への願いであるように見える。

排ガスで真っ黒な街路樹の根元の洞穴にヒンズーの神々が宿り、サイケな赤黄の花輪が飾られ、香がもうもうとたかれ、人々の熱い祈りを一心にあびている光景は、まさに破壊と再生の神々といえる。

 

 

<バリゲートにみる世界情勢 と 青空床屋>

American Culture Centerなど アメリカ関係の建物の前には土嚢が積まれ、インド軍兵士が機関銃を構え、厳戒態勢である。 

アメリカのイラク攻撃の影響が、ここインドの地にも影響を与えているようである。

国家によるテロは、世界を不安な情勢に引きこみ、ここインドも安らかではなさそうである。

 

その物々しい風景とは対照的に、ごみごみした街路の木陰には沢山の床屋というか髭剃り屋がバリカンと髭剃りを手入れしながら、のんびりと客待ちをしている。 のどかにインド髭を整えてもらっているカースト制の上位に位置する男性が目をつぶっている平和な情景は、インド独特な生活習慣を見ている思いである。

 

歩道には転々と牛糞がならび、聖牛がのし歩き、その背にはタキシードをまとったようなカラスが物おじしない態度で人々を平偈している様も、インドにおける梵の世界を覗いているような気がしてならない。

 

デジタル世界から、モノクロ世界にタイムスリップである。

「ようこそ 梵我一如の世界へ」 解脱の瞬間である。

今日は日曜日、英国植民地時代の<Kolkata St. Paul‘s Cathedral>(コルカタセントポールズ大聖堂)で、インドの歴史流転を想いながら、祈祷会に出席した。

 

           

               Pallavi International Hotel Kolkata

 

 

<さばかれる鶏たち>

竹網の大きな半円形の鳥籠に、生きた鶏がぎっしりと詰め込まれ、さばかれ解体される自分の番をじっと待っている。

鬼のように見える人間どもが、鋭いナイフを鮮やかに操りながら、静かに自分たちの内臓を取りだして秤にかけている。

次の番は自分かと羽をバタバタしてその瞬間を待ちながら、恐怖に満ちた目を向けてきた。

死に近づいていることを知った恐怖の表情である。

人間たちの飽くなき食欲を満たすため殺生もまた是とされて、この瞬間を待っているのである。

食欲に愛はまた無力である。

救いは輪廻転生を信じるヒンズー教徒のベジタリアン信仰であろうか。

この人間どもの次なる転生はニワトリ様に決まったような気がしてならなかった。

 

 

<カーリー寺院での一会一期>

この旅へ出発する直前(2003年2月1日)に起こったスペースシャトル・コロンビア号空中分解で死亡した7人の宇宙飛行士の中の一人にインド系アメリカ人女性のカルパナ・チャウラさんがいた。 

彼女はインドの民族衣装サリーが良く似合っていたことを思い出し、ここカーリーで出会う美しいサリーをまとった女性とだぶらせていた。 

街に飾られた写真の中の彼女の澄んだ瞳に、宇宙が漂っいるように見えた。

 

カーリー寺院への途中、木陰でインドの灼熱を避けて一服していると、隣のオヤジさんがチャーはどうかとすすめる、ああ時が止っている、インドという悠久の大地にいるのだ。

 

裸足の聖者・カーリー寺院では、ヒンズー教徒である巡礼者はみな裸足で聖者カーリー神に対面し、バラモンから額にビンディ(赤い印)をつけてもらっている。 コルコタの街中にも多くの<裸足の聖者>が溢れているところを見ると、靴を買えない貧民もまた住みよい街なのかもしれない。

 

カーリー神は、血と殺戮を好む戦いの神である。

ちなみに、カーリーの夫はシバで、破壊と創造の神であるから夫婦して大変な神々である。

 

 

       戦いの神 カーリー神 (インド神様図鑑より) 破壊と創造の神 シバ神

 

カーリー寺院の参拝者、巡礼者の多いことに驚く。

捧げもの、生贄としての羊に刀を入れる所を目にしてしまった。

宗教は、なぜこのような生命を奪って血の祭祀を行うのだろうか。

旧約の時代から脈々と続いている神と民の<血の契約>を見る思いである。

 

        

              弁財天<サラスバディー>・カーリー寺院

                  Benzaiten <Saras Buddy>

                    Drawing by Sanehisa Goto

                     Feb. 9, 2003

 

 

<前世紀の市電に乗る>

もちろん英国統治時代のポンコツ市電、いや古美術的骨董箱物と言っていい。

耐用年数の10倍は酷使されているであろうか、いや愛用されている昔懐かしいチンチン電車である。

垢とホコリにまみれた解体寸前の車体、なぜかここインドの風景にピタリとはまるアンティークであり、時が止った、埋もれた大陸に迷い込んだ錯覚にとらわれたものだ。

電車は1・2等に別れ、2等運賃2.50Rs.を払って乗ってみた。

 

          

                               コルカタ路面電車 

                                                       (nekomask.houkou-onchi.com/提供)

 

なぜかコルコタの地下鉄はガラガラで走っている。 

同じ路線の上に市電やバスが走っており、運賃は半額ほどなので、どうしても割増の地下鉄は敬遠されているようだ。 地下鉄にはテレビも付いており、どうも金持ちが利用する乗り物のようだ。市電やバスは、時間帯によって鈴なりの人々で危険な乗り物になるのである。

 

 

■2月10日 インド銀河鉄道の旅への出立

 

カルカッタ(カルコタ)から、バラナシに出かける前に、<インパール南道 戦跡巡礼>に出かけてきたことは、先のブログですでに紹介した。

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/06/25/111247 

 

インパールへの途中、ダージリン岳鉄道<トイ・トレイン>のスイッチバックを体験するためである。

今しばらく、わたしにとって待望の銀河鉄道である<ダージリン岳鉄道>に立寄っておきたい。

 

 

ダージリン岳鉄道》

カーリー寺院の参拝を終えて、カルカッタ・シールダ/Sealdah駅19:15pm発の寝台列車

#3143<ダージリン・メイル号>の上段のベッドに落ち着いた。

対面のベッドには、韓国釜山からの卒業旅行中の大学生スヘン君がおり、挨拶を交わす。

 

列車ひとつにしても、中国の列車は、ロシアのシベリア横断鉄道のように広軌で、列車内は広くゆったりとしているのに対して、インドの鉄道は英国や日本のようにビジネス優先で人の寝る所を多くとり、ゆとりの空間を圧縮している。 もっと驚いたのは駅停車中でも垂れ流しのトイレが使えたことである。

 

            インド国鉄 カルカッ・シ-ルダ/Sealdah駅で

 

いよいよ、インド国鉄である銀河鉄道に乗り、<星の巡礼 インド>のはじまりである。

まず、標高2134mにある紅茶ダージリングの里に向かう銀河鉄道ダージリング登山列車>のトイ・トレインを乗りに向かうことにする。

 

                   Darjeeling (ダージリング登山列車体験) 

                  ⇑ ⇓

        Kolkata・Sealdah駅 ⇔New Jalpaiguni<⇔Dimapul⇔(by Bus) ⇔Imphal>

 

                               

              インド国鉄銀河鉄道>のシンボル・マーク

 

 

ダージリンに向かう車窓からの風景>

朝が明けてきた。

インドのベンガル平原の朝は、冷気ただよい爽やかである。

寒さを感じるのも当たり前、列車は、コルカタカルカッタ)より真北、ヒマラヤの麓へ向かって走り続けているのである。

国道をサイケデリックなトラック、それもオレンジ色の車体に荷物を満載し、アメンボのように走り回っているさまは、コルカタカルカッタ)で出会ったサイケな神々の車を見ているようである。

 

             

                   サイケなインド・トラック野郎

 

列車も、カルカッタの市電のような時代物であり、ドアーも自動ではなく、手動であり、乗り降りには自分で頑丈なカギを開けなくては降りることも、乗ることも出来ないから注意が必要である。

 

コーヒーを頼むと、列車内というのに炭火の一斗缶にかけた薬缶からコーヒー(10Rs./30円)を注ぎ、砂糖を入れてくれた。

僻地の海外旅行では、煮沸後の牛乳以外は断ることにしている。 この時も生乳であったので、細菌性の腹痛、下痢を恐れて砂糖だけにした。

 

遠くの林は動かず、こちらをずっと眺めている。

時の流れとよく似ていると思う。 時もまた同じく、遠き未来は微動だにもせず、身近の今という時は矢のごとく過ぎ去って行くからである。

一体どこへ向かって急いでいるのだろうか。

ヒンズーという世界も、遠き林のように、深い眠りの中にあって、ただただ動かず、過ぎ去り行くものを静かにながめているような気がした。

だが、インドの人々は運命に逆らわず、現世での循環(輪廻)を受入れるかたわら、来世での解脱を望む人が多いという。

 

前回旅した中国の田園風景は、荒れ地が多く傷ましい気持ちにさせられ、農民の苦しさが胸を締め付けたものである。 ここインドは、整然と田畑が整理され、ほのぼのとさせられ、安心して眺めることが出来た。

老いたカブト虫のようなオンボロなトラックが、道のデコボコに合わせて上下に跳ねながら走っている様に、なにか昔懐かし少年時代を思い出していた。

烏たちも、たるんだ電線に並んで笑っている。

 

線路横で一人の農夫がしゃがんで用を足している平和な朝である。

朝、5時42分 途中駅停車中の<アラハーバード駅/Alababalor Station>での朝の風景である。

 

立寄り地ダージリンへの乗換駅<ジャルパイグリ駅/New Jalpaiguni station>まで、時間がありそうである。 もう少し車窓からのインドの風景を楽しみたい。

 

太陽は万物を呼び覚ます。

川面に映る太陽でさえ、自分自身の姿をうつすのである。

小さな緑の葉っぱでさえ、あくびをしながら背伸びをし、太陽に向かって両手を上げている。

白鷺が長い首を縮め、長い足を延ばしながら飛びかっている。 牛達が草を食んでいる。

村の住人がマフラをして薪割りをしている。

今日という二度と戻らない<一日という一生>が、命あるもの達に与えられているのだ。

 

大きなお尻をむき出しにしながら、太陽を背にして窪地にかがむ男女が車窓から目に飛び込んできた。 恐らく堆肥としての排せつ物を大地に還している夫婦なのであろう。

歴史的にみて人類は、厠(トイレ)を作る習慣が太古よりあったのだが、排せつ物を堆肥として使用した歴史は、日本にも最近まで存在していたことを知っている一人である。

なぜなら、小学生時代、雪合戦の最中、雪に隠れていた堆肥壺に落ちた経験があるからである。

石炭のダルマストーブに洗濯した衣服を乾かし、その香しい匂いに腕白小僧たちからは、鼻をつまんでからかわれたことを列車に揺れながら懐かしく思い出していた。

 

あらたな<一日一生>が太陽と共に始まる喜びにひたりながら、銀河鉄道は乗継駅<ジャルパイグリ駅/New Jalpaiguni Station>に滑り込んだ。

ここよりダージリン岳鉄道であるToy Train(オモチャ列車)に乗換えて、所要7時間かけてスイッチバックを繰り返し、標高2134mのダージリンに向かう。

 

 

ダージリン登山列車 - トイ・トレイン乗車体験記》

 

ジャルパイグリ駅/New Jalpaiguni Station(乗換駅)09:30am発  

Darjiling/ダージリン16:30pm着

 

運賃は、26Rs.に指定席代16Rs.を加え、計42Rs.である。

チケットはジャルパイグリ駅8番ホームで発売され、ダージリン行トイ・トレンは1番ホームから発車した。

 

       出発前のトイ・トレイン乗車 <New Jalpaiguni Station ⇔ Darjiling

 

トイ・トレインは、ロコ蒸気機関車がひっぱり、窓から真っ黒なススが入ってくるのも懐かしい。 垢まみれの英国植民地時代のアンティークであり、西欧からの観光客は喘ぎながらのぼるトイ・トレンを撮影するために列車から飛び降りてはシャッターを押し、また走って列車に飛び乗るという軽業を繰り返している。 

時速は4~10km/h程だろうか、車窓からのインドの山岳生活の原風景もまた素晴らしい。

豚が群れを成して走り回り、小川では真赤なサリーを来た女性たちが足洗いで洗濯をしている。

 

10:10am トイ・トレインは<Siliguri Junction>駅を通過中である。

 

                             

                                                                  インド婦人・INDIAN LADY

                                                                  Drawing by Sanehisa Goto

                     Feb. 10, 2003

 

このトイ・トレインは、1950年代から使われ、世界的に有名なダージリン紅茶を運んだティー・トレイン(紅茶列車)である。 両沿線に、茶畑の絨毯が延々と続くなか、機関車は汽笛を鳴らしながら牛車の踏切横断に注意を促し、煙を客車に送り込んでくる。

 

ダージリンに70㎞の標識を見送り、イングリッシュ・スタイルの駅舎にある<Darjeeling Himarayan Railway Loco water Pointing>(給水塔)を通過した。

いよいよこれから急勾配にかかる。 ロコモティブの力強い息遣いを体感できる。

 

登山鉄道と言えば、アルプスを縦横断するスイス氷河鉄道はじめ、台湾の阿里山森林鉄道、ニュージランドのトランツ・アルパイン鉄道、ペルーのマチュピチュ登山鉄道やカナディアン・ロッキーのスパイラル・トンネル路線ほか、日本では箱根登山鉄道、JR木次線奥出雲、JR豊肥本線阿蘇などのスイッチバックを懐かしく思い出していた。

 

ヒマラヤン鉄道ダージリン路線は、標高2134mに向かって、上って行く。

ロコモティブ・登山列車は力強く、足が地についている安定感があり、何とも頼もしい。

ロコモは勾配を上る時にその真価を発揮してくれる。

もちろん、力尽きてその急勾配をのぼれず、バックしだすことがある。 この世もおしまいかと思う瞬間、止ってくれた時の頼りがいのあること、その安堵感は抜群である。

われわれの登山列車<トイ・トレイン>も、時々故障で止まって修理したり、岩に車体をぶつけたり、先程のバック事件があったりと、山岳アドベンチャーを十分に味あわせてくれた。

時間を気にせず、乗客をも気にせず、あるがままにおのれをコントロールするロコモティブが、どこかやんちゃ坊主に見えてくるから微笑ましい。

 

                             ダージリンに向かう蒸気機関車<トイ・トレイン>故障修繕中

 

                                          ダージリンに向かう蒸気機関車<トイ・トレイン>

                 Steam locomotive heading to Darjeeling <Toy Train>

               Water Painting by Sanehisa Goto

                                                                   Feb.10 2003

 

 

 

                                                   ダージリングは標高2300mの山岳村落である

 

                                    カンチェンジュガ峰 8505mを背にダージリングの紅茶畑 Ⅰ

                                 Darjeeling tea field with Mt.Kangchenjunga peak in the back

                                         Sketched by Sanehisa Goto

                                                                              Feb.10 2003

 

                                  カンチェンジュガ峰 8505mを背にダージリングの紅茶畑 Ⅱ

                                  Darjeeling tea field with Mt.Kangchenjunga peak in the back

                                    Water Painting by Sanehisa Goto

                                                                              Feb.10 2003

 

                                                   茶畑(ダージリング紅茶)続くダージリン

                                         Tea plantation (Darjeeling tea) Continued Darjeeling

                 Water Painting by Sanehisa Goto

                                                                               Feb.10 2003

 

 

■2月11日 ダージリン

 

ロコモティブ(機関車)愛好者として、7時間ものヒマラヤ・カンチェンジュガ山麓スイッチバック3か所にループ1か所という<Himarayan Railway Loco Line>は、夢ではなく現実であるという事実に興奮を抑えられるものではなかった。

 

山岳風景は、2001年に旅したネパールのイラム(紅茶イラム・ティーとして有名)と同じ標高(2300m)で、気候も同じであり、見渡す限りの茶畑が緑の絨毯としてダージリンの丘陵を波立たせていた。

 

私にとっての銀河鉄道<ギャラクシー・スーパー・トレイン>である<ヒマラヤン・トイ・トレイン>は、今まさにヒマラヤの上空を翔け上っているのである。

闇夜の天空に星降る如く、機関車の吐きだす石炭の火の粉が、まるで天の川や流れ星のようである。

なんと素晴らしい宇宙ショーを鑑賞しているのであろうか。

やはりダージリンを目指し、銀河鉄道である<ヒマラヤン・トイ・トレイン>に乗れたことは、鉄路乗車マニアにとっての夢を叶えた瞬間でもあった。

 

           ダージリンのゲストハウス<TOWER VIEW>で休憩

 

興奮冷めやらない体を、ダージリンの<Tower View Guest House  250Rs.>のベットに沈め、うとうとしている間に朝を迎えてしまった。

 

                                               ダージリンで出会った卒業旅行中のY君と


 

 

■2月11日  ダージリン➔ ジャルパイグリ駅/New Jalpaiguni 

 

晴れ渡った天空に雪を頂いた世界第3位のカンチェンジュガ峰(標高8586m)が美しい雄姿を見せてくれている。 写真、スケッチと忙しい朝だ。

カンチェンジュガの雄姿との再会は2001年のネパール・イマル・ゴルゲ村訪問時以来である。

 

『星の巡礼・カンチェンジュガ山麓ゴルゲ村に中村天風師の足跡を訪ねて』①~②

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/13630225

 

最初のカンチェンジュガ峰との対面は、精神世界への誘いであったが、今回は銀河鉄道であるトイ・トレインによるカンチェンジュガ峰への銀河鉄道の旅である。

 

       

               ダージリングよりカンチェンジュガ峰を望む

              View of Kanchenjuga peak from Darjeeling

 

      

              ダージリングからの風景・Darjeeling landscape

 

 

復路は、往路のノンビリイズムから一転、危険極まりない、肝を冷やすようなジェットコースター的オンボロ・バスのの大暴走である。

 

カンチェンジュガ峰の山麓ダージリン、高度2134mから一気にカーブを切りながら下るガタピシ・バスだから、横腹に痛みを感じるほど両手・両足で踏ん張り続けることとなった。

無謀運転なる絶叫ジェットコースターではないか。 

乗客の青ざめた必死な形相のなかにも、体験の喜びを味わう奇声が終点まで続いた。

 

バラナシ訪問に先立って、ここに<インパール南道 戦跡慰霊>と<ダージリング登山列車の旅>を終えることにする。

 


 

■2月17日 ダージリンよりコルカタより戻る

 

インパール南道 戦跡慰霊の旅、ダージリン登山鉄道の旅を終え、約26時間の長距離列車(ディマプールカルカッタ/コルコタ)の旅を同室(コンパートメント)のマニプール舞踊団の皆さんと共に過ごすこととなった。

彼らは、アーリア系でなくビルマ系山岳少数民族の人々であり、2016年に訪問したビルマ(ミヤンマー)のタム村で出会った人々に似ていたのには、驚くとともに、親しみを持った。

(2022年現在、アラカン山脈に分布する山岳少数民族は、長年のミヤンマーからの独立を夢見て山岳ゲリラを展開しているが、近年の軍政による民主化弾圧のため、彼らは民主化闘争の最前線に立たされ、軍部との戦闘に巻き込まれ、本来の独立運動と異なる闘争を続けているようである)

 

                      ディマプールよりカルカッタへの列車にてマニプール舞踊団の皆さんと

 

舞踊団員のうち、月光姫、浄霊妃、ゴアティ妃という<梵の世界>で演ずる役者の皆さんが、熱っぽく<演劇と梵天>について語ってくれた。

 

すべての人の動きは、梵(宇宙)のなかでの役割として、その使命を果たしているという。

役者として神の示されたシナリオに従って、それぞれが自分の役割を演じきらなくてはならないのだ。 いかに苦しくとも、笑顔をもって演じ切ること、それが幸せとして観客に伝達する役者の使命であり、神との契約であるという。 

梵の神の発する<命がけで演ぜよ!> という言葉に、<命がけで生きよ!>という人生のモットーを重ねることが出来る。

                                         

                                   梵天の印―インド古代宗教で世界創造の神として尊崇された神

 

 

<国境の山岳民族の独立悲願>

少し離れたコンパートメントにおられた年配のご婦人が父から聞いた話として、こちらが日本人であることを知ったうえで次のような話をして下さった。

インド・ビルマ国境の北方、インパール近くの山岳地帯にいた彼ら少数民族は、かねてから独立志向が強く、機会があれば独立を望んでいたという。

しかし、英国支配にあったインド・ビルマにはその力はなく、長年山岳民族は帰属先の無い難民のような生活を強いられてきたそうだ。

1944年、日本軍のインパール作戦に備えて英印軍がインパールを要塞化したおり、各山岳民族は

日本軍の侵攻を、独立のチャンス到来ととらえて、日本軍への協力姿勢を表明しようと準備していたという。

しかし、インパール南道の戦跡慰霊でも見たように、激戦はあったが、英印軍の巧妙な引込み作戦により、日本軍は疲弊させられ、自軍からの兵站も絶え、敗退させられている。

情況を見ていた山岳民族は、決起の前にその夢を打ち破られたと、幼い彼女に生前の父は残念であったといつも語ってくれたという。

 

この話を聞いて2016年訪問したアラカン山脈の南に居住する山岳民族チン族の青年が、ヤンゴンに向かうバスの中で、ミヤンマー軍と戦うゲリラであるという告白に、その勇気ある精悍な青年の顔を想いだしたものである。

 

平和な時の流れに沈んでいる日本人には理解できないかもしれないが、国を追われた多くの少数民族が、いまなお苦難の中にアイデンティティを認められず流浪の生活を強いられ、母国の敵とみなされ、難民として、非国民として、差別の対象になっている。

 

インパール南道 戦跡慰霊を終え、ディマプールより乗った銀河鉄道(インド国鉄)は、いま約36時間にも及ぶインド東北部横断の旅を終えようとしている。

この列車は、ヤニプール舞踊団の皆さんとの談笑が尽きないなか、コルカタ・シールダ駅に到着した。

 

コルカタ・シールダ駅近くのタイムスター・ホテル/Timestar Hotelに荷を解き、バラナシへの準備をすることにした。

 

さっそく、混沌のカルカッタ/コルカタの路地裏にならぶ定食屋に飛び込んで、カレーをかき込んだ。

 

               カルカッタ/コルカタの飲食街

 

▼ 2/17~18 タイムスター ホテル/Timestar Hotel連泊

  Sudder St. near Indian Museum(シングル・バス・シャワー・トイレ・TV付 @175Rs.)

  Tottee-lane, Kolkata (Calcutta) 700016 India

 

 

 

■2月18~19日 カルカッタ/コルカタ滞在

 

<2/18 予定表>

HotelMomo Plaza Eastern Railway Computerized Reservation Office(バラナシ行切符予約)

Bank両替フリーマーケット(列車用行動食購入)インド博物館Hotel

 

<バラナシ行寝台車予約>

2/19 コルカタ/Howrah駅発13:15pm 2/20バラナシ/Varanasi着08:25am

急行列車 SL2 ・ 列車番号#3049  寝台車 Sleeper Upper Seat   18H/774km

 

朝4時目を覚ます。

天井扇が、ゆったした動きで部屋に満ちた生温かいベンガル風を追い出している。

銀河鉄道(インド鉄道)ベラナシ号の時刻表とにらめっこ。 すでにベラナシのガンガー河畔にこころは飛んでいる。

 

今回のバラナシへの旅では、人間の煩悩として、因果報応からの輪廻転生を見てみたい。

ただ仏陀である釈迦は、因果報応は説いているが、輪廻転生は説いていない。

後の弟子たちがヒンズー教の輪廻を仏教に持ち込んだと思われる。 

しかし、一人の人間としてこの世の苦しみから脱して、転生を夢見るのは一つの救いであったに違いない。

さて、このバラナシ、ガンガーの河畔でいかなる結論になるのか、輪廻転生に向き合ってみたい。

 

まずは、ダージリング、インパールで伸びた頭髪や髭を剃って、ガンガーでの沐浴に備えて、身だしなみを整えた。 

しかし、凄い土ほこりと、人間の作り出す強烈な生ごみ特有の匂いがこの街には沁みついている。 文明どころではない、混沌とした梵の世界で散髪をしているような錯覚に陥った。

 

            カルカッタ(コルコタ)路地裏の青空床屋で髭剃り中

 

 

バックパッカーのインド旅行>

インド旅は、バックパッカーである限り、鉄路とバスの旅をおすすめする。

バックパッカーとして、インド鉄路・バスの旅での注意点をいくつか述べてみたい。

 

  • 手指の汚れ対策

真っ黒に汚れるので、雑菌の付着を落すため消毒剤いりウエットティッシュ、手袋や薬用石鹸を携行するとよい。 取れにくい汚れは、ミカンの内皮などでこすると取れやすい。 

  • トイレ対策

まずは、乗物に乗る前に、腹の物を排出しておくよう心掛けておくこと。 排出困難な時は、軟化剤や浣腸により強制的に排泄することにするとよい。 前夜から、水分摂取を抑えることも実行した。 トイレに駆け込んでも、所によっては、心理的に受け付けず、無理なことがあることを覚悟しておくことである。 特に、長距離バスでは注意を要する。

乗車中の尿意は、列車はいいが、バスの場合は早めに運転手に告げておくこと。

適当な地形や、村の青空トイレを見つけて止まってくれる。

もちろん草原であったり、板がかかった野壺や、時には麻布で覆ったところもあるが、ほとんどは青天井である。

とくに女性は、巻きスカートを持参することを進める。たいがいの猛者は尻丸出しで堂々としたものである。 かえってインド的で、大陸的でいい。

余談だが、女性用として、土のなかから竹筒が突き出していたが、どのように使うのであろうか。

原っぱにバスが止ると、男女とも腰をかがめて堂々とやっていらっしゃるから、臆することなくトライして欲しい。

ただし、われわれ日本人バックパッカーは、行為前に土を掘るか、事後に石を積むとか何か工夫をして欲しいものである。

  • 土ほこり、排ガス対策

   マスク、バンダナの携行・着用、のど飴やガムを噛み唾液で雑菌を喉にとどめず、たえず流し込

むようにした。 ほとんどのバスやTukTuk(三輪タクシー)は、オープン・エアーで走るので

気を付けたい。

  • 携行食品対策

長距離の鉄路やバスに乗ると、2日程まともな食事をとることが出来ないことがある。 それだけインドは広大で、1~2日の乗車に見合った携帯食を準備しておくとよい。

バナナ・リンゴ・ミカン・ビスケット・ミネラルウオーター・ピーナツ・ガム・チョコ・のど飴などを持参した。 果物は完熟した物よりも少し青味のあるものが長持ちし、果肉が崩れず、腐らない。

食事としてではなく、山での行動食と同じく栄養・エネルギー補給するつもりで口にするとよい。

もちろん、長距離移動中の乗り物では、車中泊にあたって、総合ビタミン剤・カルシウム・鉄分などを含んだ栄養食品を口にした。

 

 

以上、4対策さえしっかりすれば心地よいバックパックを楽しむことが出来る。 水はインドどこでもミネラルウオーターを手に入れることが出来るので心配はいらない。 熱中対策も慣れれば湿度の高い日本に比べれば苦にならないが、さすがに44℃という猛暑では、汗の滴りにサングラスが落ちて破損したほどであった。

 

 

<現地ツアーの参加の仕方>

旅行会社のツアーに参加すれば、至り尽くせりのサービスを受けられるが、バックパッカーは可能な限り簡素な旅スタイルを望んで、現地の案内人を探すことになる。 例えばTukTuk(三輪タクシー)の運転手や、親しくなった現地の友人と交渉して、プライベートな現地ツアーを企画する楽しみがある。

相手は個人ガイドとして、いろいろ世話をしてくれ、こちらのスケジュールに合わせてくれるうえ、

公式ツアーの1/3程の出費で済むのがいい。 さらに、相手によるが、プイライベートガイドなので友情が芽生えることも嬉しい。 時には、家庭に招待され、宿泊も進められることがある。 

一人だけの現地に溶け込んだツアーになること請け合いである。 ただ仕組まれた犯罪もあるので十分なる警戒心はいつも忘れないことである。

ただし、トラブルを避けるため、事前に現地の物価や、目的地の明確な指定、支払い条件など契約条項を決めて、メモにし相手の同意とサインをとっておく配慮が必要である。

トラブルほど後味の悪いことはない。

満足するガイドであり、こちらがハッピーであれば、定額チップ以上のものを渡す心遣いも必要である。

 

 

<インドは英国植民地であった>

インドは<イギリス領インド帝国>として、約150年(18世紀中頃~19世紀後半)にわたって英国の植民地であった。

世界中に散らばっているイギリス領であった国々を旅行していると、植民地当時の都市計画がまず目を引く。

広い道路に、街路樹が配され、ほとんどがプラタナスジャカランダであり、中央分離帯も設けられている。 植民地に必要であったかと思うのだが、驚くべき生活の利便性が図られ、将来を見据えた都市づくりをしていたことが見てとれるのである。

解放後の独立した国であっても、現状を維持する能力に欠ける国が多く、荒れるに任せている状態である。

生活向上を目指す市民の理念がない限り、結局もとの大地に戻っていくのは致しがたいことであるのかもしれない。 

インドは、英国より独立後、発展途上国として約11億の人口を食べさすために、英国の遺産を食いつぶし、なりふり構わず国づくりに励んできた古くて若い国である。

ようやく、国際社会でのインドの位置付がなされ始め、IT分野等での頭角を現してきていることは喜ばしい限りである。

 

 

<路上の風景 と 梵の世界>

路上に置かれた腰掛に座って散髪をしてもらっていると、どうしても視線が路上に向くのである。

ここにはまた別な混沌とした梵の風景である<真理の世界>が広がっているように見えた。

足がグニャグニャに折れ曲がったイザル老人、 象のように真っ黒に汚れた足にまとわりつく皺、捨てられたごみに混じって人糞の髑髏、蝿で真っ黒に見える鶏の内臓、ひん曲がったリークシャの車輪、 片手でポンプを操り水浴びしている子供の周りをうろつく不気味なカラスたち、TukTuk(三輪オートバオ)の吐き出す排ガスの幕、手でサリーを釣り上げてあるく若き女性の足首、歩道を走り回るオートバイ、ときどき口角を引っ張る髭剃りの汚れきった指・・・

すべてがインドという梵の世界の風景にみえてくるから不思議である。

 

                           

                                                              インドのカラスはスマートである

 

ちなみに、髭剃り付き散髪代は20Rs. (60円)

何といっても丁寧であり上手なこと、水・ハサミ・カミソリだけでのプロ以上の技術である。

実に爽やか、気持ちがいい。 それに、ひと時の真理の世界である<梵の世界>を垣間見せてくれたこともあって、チップをはずんだ。

 

                    カルカッタ・近くの定食屋のご主人と息子さんと

 

 

行きつけの主人と息子の待つ定食屋で、早めの夕食をすませ、混沌とするカルカッタコルカタ)の時の流れに身を沈めている路地裏に分け入り、つかの間、スケッチの世界に溶け込んだ。

一台のクラッシックカーが、車体の軋みを奏でながら、けたましくクラクションを鳴らし駆け抜けていく様は、旧主国英国のグラスゴーの古い下町を彷彿とさせた。

 

                                   コルカタ・タクシー(1978年型アンバサダー・クラッシック)

                                                   Kolkata Taxi (1978 Ambassador Classic)

                  Drawing by Sanehisa Goto

                                                                     Feb. 19, 2003

 

             

                   コルコタ路地裏 定食屋

                                                       Back alley of Kolkota set meal shop

                  Sketched by Sanehisa Goto

                     Feb.19 2003

 

 

 

コルカタの沐浴場・ガート>

コルカタの列車駅シールダから、西へ約1.5kmにある南北に流れるフーグリ川にも3か所のガートがあり、沐浴する人々をみかける。

フーグリ川も、バングラデシュ国境のガンジス川よりベンガル湾に流れ込む聖なる川の支流である。

宿泊先のタイムスター ホテル/Timestar Hotelは、ちょうど駅と川の中間点にあり、フーグリ川沿いは素晴らしい散策路である。

沐浴をする人のかたわらで、体を洗ったり、洗濯をする人々で白い石鹸の泡が見られる。

対岸は、コルカタの西市街が広がり、バラナシ行列車の発着駅ハウラ駅/Howrah Sta.があり、フェリーがひっきりなしに人々を運んでいる。(フェリー片道2.50Rs.)

フェリーには鈴なりに人が詰め込まれ、無数の命が一つの籠に投げ入れられたように、人間の存在を無視した塊として扱われているように見受けられた。

インドという母なる大地はすべての命を育み、太陽もまた手助けする輝きを送り続けているようだ。

まるで、未知なる星の、時の流れに乗っているような気持ちにさせられた。

 

 

<洗濯物がインド色に染まった>

埃にまみれ、垢のこびりついた、いかにもインド風混沌なる、汚れが目について来た。

衣服はじめ、靴下、帽子、リュック、タオル、ハンカチと、その他のすべてを部屋備え付けのポリバケツに突っ込んで足踏み洗濯である。

仕上がった洗濯物は、インド色に染め上がった。 

その内、自身も梵天の人(現生の利益を求める人ともいえようか)に仕上がるような気がしてきた。

ただただインドの土に染まれば、ここインドが世界であり、宇宙であると云える。

自分を消し、あきらめ、受け入れることもまもた良しである。 簡単なようだが、どっぷり漬かるとは、悟りに近い心境といえよう。

洗濯物がインド色に染まっていくのを見て、おのれを洗濯物に置きかえてみたのである。

人生は、すべてをあきらめたところに幸せが訪れるともいえる。

あきらめず、欲を出して失敗することの何と多かったことか、今思えば懐かしい想い出である。

 

何も欲せず、何も持たず、何ものも求めず、ただただ清貧に甘んじる姿は、カンジ―翁の生き様に見られる究極の<ヒンズーの理想>の姿でもある。

 

                                         

                                              フーグリ川で沐浴する人々(コルカタ

 

 

<安宿の喧騒>

夜のとばりが下りると、ここ安宿街(Tottee-lane, Sudder St. near Indian Museum)にあるTimestar Hotelの住民が帰って来て、それぞれのルームにあるテレビが最大のボリュームで競い合い、夜の狂乱の幕が切って落とされた。

昼間の喧騒が、そのまま住空間に持ち込まれるのである。

これまた<梵天の世界>の延長なのだろうか。

 

考えるに、自己の権利の主張、行使と言っていいのであろう。

自分の観たいTVの音声を聴きたいために、周囲に勝る音量にするものだから、互いに交差しあって、雑音と化し、深夜から早朝まで続くのである。

お互い静寂で、豊かな眠りを求めると言った、正常なルールは無視されるのである。

というよりも、この狂騒にこそ、ヒンズーの世界観が隠されているような気がするのだ。

この名ばかりの安ホテルは、定住者がほとんどを占めており、宿泊者用の部屋はどうも2~3室のようである。

天井の隙間から、生活音である夫婦喧嘩の怒鳴り合い、赤ちゃんの泣き声、そこにTVやステレオ、ラジオの音声が混じりあっての狂騒に、読書はもちろん寝ること許されないのである。

まるで映画館で、同時に4~5本の映画を観ているような、ヒンズー世界外からの異邦人には感じられた。

今自分は、ヒンズーの世界にいるのだと言い聞かせ、落ち着かせた。

 

シャワーの音や、コーランを唱える声までが、天井を伝って聞こえてきた。 いつこの狂乱は終るのだろうか。 自分から飛び込んだヒンズーの世界、ここまで強烈な印象を与えられるとは思いもよらなかったのである。

ただただ苦笑いしながら、この祭りの喧騒を楽しんでいるもう一人の自分がいるのも確かであった。 バックバッカーは時として、いやほとんどが試練と忍耐と現実のなかに、喜びと真実を見つけ出す行動者であると云える。

 

           

                   コルコタの路地裏の風景

               The scenery of the back alley of Korkota

                    Drawing by Sanehisa Goto

                      Feb.19 2003

 

 

         

                 コルコタ路地裏のヒンズー寺院

              Hindu Temple in the back alley of Kolkota

                  Drawing by Sanehisa Goto

                      Feb.19 2003

 

 

■2月19日  バラナシ―に向かう

 

 

すべてのパッキングを終え、安宿街<Sudder St.>に出る。

プーんと鼻をつく人間の匂い、路上に散乱する野菜の切れ端、それを喰いちらすインドカラス、ニワトリの白い羽が朝日を浴びて輝いている。 トウモロコシを運んでいる大八車のきしむ音が耳に残る。

何もかも生きるための朝一番の営みである。

生きるとは、エネルギーとパワーが生み出され、また消費されるという神聖な行為である。

10億の人間が生み出すエネルギーとパワーは、ヒンズーの世界を支えている現実なのである。

 

<束縛のニワトリと自由を謳歌するカラス>

予約してあるバラナシ行の列車に乗るため、コルカタ・ハオラ駅/Haora Sta.に向かう途中、青空のニワトリ市場の光景に見入った。

ようやく明けかけた太陽の光が、竹籠に入れられたおびただしい中ビナの悲しげな瞳を照らし、哀愁に満ちた世界を表現している。

両足を縛られ、見た目、純白の絨毯のように狭い空間に押し込まれている。

これから、自転車に吊るされ、買い取られていき、大きく育てられて、人の胃袋におさまるのである。 ここにも一羽づつに与えられた宿命があり、輪廻転生の片りんに触れたような気がした。

 

自転車に逆さ吊りされたニワトリたちが悲しげな<ニワトリ行進曲>高らかに合唱すると、これをあざ笑うように、インドカラスたちが「自由あるわれらを見よ」と、勝どきを上げている。

 

ブリキ缶で燃やす生ごみの臭いと、赤い火がちょろちょろと踊っている。

横のシバ神は、今日も厚く化粧され、真赤な紅が鮮やかに浮き上がり、黄色・赤い・白い造花の大輪がささげられている。

シバ神の首にかけられた花の飾りが、薄暗い祠の中で、生きている蛇のように見える。

足を引きずったやせ細った老人が、頭を下げ、行き過ぎさった。

いまもここインド・カルカッタで、ヒンズーの世界が目の前で、時の流れのように滔々と生き続けているのを感じた。

 

<マザー(テレサ)ハウス>

マザーテレサは、欲望を捨て、神の子として仕えた勇気ある女性である。

人はみな、自分の使命よりも生きることに固執し、欲望から脱することができないでいる、凡人である。

ただ黙して、愛のため、人のため尽くすためには何度自分を脱する必要があろうか。

 

1997マザーテレサ没後も、彼女がインドで始めた救済活動は、シスターが引継ぎ、世界中から集まるボランティア(奉仕者)が参加し、今でも活動が続いている。

「カリガード(死を待つ人たちの家)」での入浴・食事の介護や、洗濯をはじめ、「ダヤダン」での脳・身体障害者への食事・沐浴・リハビリ、「プレムダン」での病人の世話、「シュシュババン」での孤児の世話、という活動を続けている。

MOTHER HOUSEへの行き方は、シールダ駅前の南北に走る<アチャラ・プラフラ・チャンドラ・ロード>を南(左)へ約1.5㎞先右側にある。

詳しくは、下記に問い合わせることが出来る。

CEC海外ボランティア  e-mail: info@cecj.net

 

        

              マザーハウスの入口にある案内標識

 

 

<夜行列車と上段ベッド>

世界どこででもだが、長距離夜行列車の旅では、必ず最上段の寝台ベッドを予約指定することにしている。

バックバッカ―のモットーである<格安シンプル旅行>に徹するためだけではない。

寝台車の中で最上段の運賃が一番安いということに尽きるが、ただそれだけでもない。

2段ベットでは、昼間走行時上段ベッドを収納してしまうので不可能だが、3段ベットでは最上段を固定している場合がほとんどである。

何といっても昼間でも潜り込んで寝ることが出来るし、プライベートな時間を確保できるのである。

ただ、三段ベットの最上段となれば、上り下りにそれなりに腕力が求められるということだろう。またご婦人には少し酷かもしれない。

最上段ベッドで欠かせないのがアイマスクである。 深夜を除いてたいてい車内灯によって眠りを妨げられるからである。

 

    

           インド国鉄 <カルカッタ・ハウラ―駅発バラナシ行列車>

        Indian Railways  <To Varanasi train from Calcutta Howrah Station>

                 Drawing by Sanehisa Goto

                    Feb. 19, 2003

 

 

<インド列車時刻表は修正して使用すべし>

 日本の列車・電車運行の正確なことは世界でもよく知られている。

だが、一歩外へ出れば正確な時刻表に慣れ切っている日本人にとっては、時刻表の不正確さに嘆き、戸惑うことになる。

列車が時間通りにピタッと停止線に止まり、スーッとドアが開くことは、インド流列車列運行にはないということである。 そこにはインド流の時間が存在し、インド風列車観があり、梵の時間と言っていいのか、時間を超越した諦めというか、いや時間との一体化、すなわち時間を追いかけるのではなく、時間にあわせる生き方があることを教えてくれるのである。

この旅行でも時間に縛れる日本人の生き方が、自分だけの時刻表を作らせてしまったから恐ろしい。

列車に乗ったら、ノートに書き込んだ通過駅名と予定通過時間の下に、通過駅の確認と、正確な通過時間を書きこむことによって、時間差を計算し、自分だけの時刻表を作りだしていくのである。 最終到着駅の予定時刻を算出したり、遅延列車そのものの時刻表を作って楽しむのもインド式乗り鉄の魅力かも知れない。

時間の中に生きるとは、川の流れに身を任すことに似て、インドの人々のように時間を気にしない事である。

インドでは、時間を忘れ、列車やバスの旅を楽しもうではないか。

 

▼2/19  バラナシ行寝台列車  車中泊

 

 

■2月20日

 

バラナシ行列車 #3049 コルコタ・ハオラ/Haora 2/19  20:21発

  バラナシ/Varanasi 2/20  08:25着予定

                     (約1時間30分遅延)    10:02 到着

                     切符代 @900Rs.  所要時間:約13H

 

ヒンズー教の大聖地であるバラナシに向かって夜行列車は走り続け、途中駅バクサー/Buxarを06:40amに通過中である。

 

いよいよヒンズーの世界、輪廻転生の世界の中心地バラナシにはいる。

最上段の寝台に横たわりながら、携行した三島由紀夫著「暁の寺」に目を通した。

阿頼耶識にみる唯識論>に次のように書かれている。

  • 世界は、これを現在の一刹那の断面に置いて考える。
  • 我々の世界構造は、無限の数の刹那の横断面を、即ち輪切りにされた胡瓜の薄切りを、たえず忙しく貫いては捨てるような形になっている。
  • 輪廻転生は、死によって向かえるのではなく、世界を一瞬一瞬新たにし、かつ一瞬一瞬廃棄してゆくのである。
  • 巨大な迷いの華を咲かせ、かつ華を捨てつつ相続させるのである。
  • 唯我とは、我々の現在の一刹那において、この世界なるものが、すべてそこに現れている、ということに他ならない。
  • 一刹那の世界は、次の刹那には一旦滅して、また、新たな世界が立ち現れるのである。

 

以上に見るように、作者の云っていることが、形になって伝わってこないのである。 云われてみれば当たり前であり、神はこのように人間の言葉で語られるような複雑なことは言っていないと思う。

それこそ愛ある人生を生き、死を全うすれば、受け入れてくれると言ってくれているのである。

 

ただただ愛に生き、死んで永遠の命を得て、蘇えるというキリストの世界を、ヒンズー教の<人は死後、肉体は滅んでも、魂は再生し、生まれ変わる。 この生死が、解脱がない限り永遠に繰り返される>という輪廻転生の解釈を重ねながら、インド大陸の曙を車窓から見続けた。

 

                                       カルカッタバラナシへの列車で オランダからの青年たちと

 

                     

                 バラナシ駅・VARANASI STATION

 

 

▼2/20~   バラナシ<Friend‘s Guest House> 連泊

       D18/7A1 Ahilya Bai Lane, Dashashwamedh Ghat, Varanasi 221001

 

                     

                                            日本人に人気なバラナシ<Friend‘s Guest House>

 

                Friends Guest Houseの屋上からガンガー眺望

 

 

■2月21日 バラナシ   快晴 

 

バラナシの早朝、コルカタカルカッタ)のあの灼熱の気怠さはどこに行ったのかと思われるほど、ひんやりしたバラナシの朝である。

さっそく滞在先の<Friend‘s Hotel>の屋上に駆け上がり、ガンガー川を見下ろしながら日課としている<ゆらぎの瞑想>に入った。

 

                           

                        ガンガーに昇る太陽

 

 

<ゆらぎの瞑想―いまここの気(宇宙)を取り入れる>

今いるここ、この自然・宇宙の気を体内に取り込み、溶け入るために、滞在する各地で<ゆらぎ瞑想>をすることにしている。

<ゆらぎ瞑想>は、青年時代から続けており、矢山式気功法から学んだと記憶している。 ここでは少し自己流にアレンジさせてもらっているので、ご了承願いたい。

 

 基本姿勢である両足を肩幅で立ち、両手を両脇に添えて立つ。

両足は大地に踏ん張り掴むような感じでしっかり立ち、つま先立てて、両手を上げ、

力を抜いて両側にストンと落とす(3回)

 基本姿勢で力を抜き、両手を左右にぶらりぶらり振り、

左右の手を交互に右左の肩を自然な力で軽くたたく(各3回)

 基本姿勢で、両手を上げながらゆっくりと息を吸い上げ、

時間をかけ息を吐きながら両手を左右にゆっくりと下げる(3回) 

この時、太陽があれば薄目をあけ、薄目からの太陽を呼吸(息)と共に体内を

循環させるとより効果的である

④ 基本姿勢である仁王立ちのまま体全体から力を抜き、両手は脇に垂らし、

   1.踏ん張っている両足裏から全宇宙の気を鼻からゆっくりと吸い上げ

   2.気(息)を意識しながら足裏両足背骨頭頂へとゆっくりと持ち上げ、

   3.   頭頂で気(息)を止め、今度はゆっくりと息を口からはき出しながら、

                  気(息)を意識して下げていく

     頭頂顔面胸及び両手両足足裏へ気を導き、大地(宇宙)に

     気(息)を戻す(3回)

   4.最後に感謝の合掌をもって終える

 

<ゆらぎ瞑想>は、腹式呼吸を応用した立禅呼吸法である。 鼻からの吸気で、一時的に気(息・宇宙)を体に充満させ、宇宙に成りきったあと、ゆっくりと時間をかけ口から吐きだし、絞りだして己を宇宙と合体(合一)させる、ことを意識するところにある。

<ゆらぎ瞑想>前後に、坐禅や瞑想をくわえると、さらなる精神面における宇宙との合体(合一)意識を高めることが出来る。

 

          フレンドリーゲストハウスで瞑想の時間を持つ    バラナシ

 

 

瞑想の時間を過ごした後、Friend Guest Houseを出てガート<Dashashwamedh Ghat>(ghat/ヒンズー教徒の沐浴や祭礼の場)に向かった。

 

      フレンズ・ゲストハウスのオーナー・ジョニーパパとガンガーの日ノ出を待つ

 

 

すでに多くの沐浴者や拝礼者がガートに集まり、神聖な日の出を待ちながら、ご来光の恵みを得ようと<招来の歌>を歌っている。

ガートに接するヒンズー寺院からは、バラモンが信者に説教をしている低い声が聴こえてくる。

寺院の前にある祠には、男女が抱き合っているような真紅の厚化粧した像が微笑みながらガートに集まった老若男女を見つめている。

 

              ヒンズー教寺院<Sri Varahi Devi Temple>  バラナシ

 

 

ガンガーの聖なる風景に見入っていると、ゲストハウスで手配した手漕ぎの木製ボートが近づき、乗舟する。 ガンジス川を漕ぎのぼること約10分、叢林に顔出す真赤な太陽に向かって停舟する。 この日の日ノ出時刻は、午前6時35分であった。

ガンジス川の東岸は、昇りくる太陽をさえぎる一切の山や森がなく、地平線からゆっくりと聖なる光を放ちながらその神秘な命を見せてくれるのである。

 

                                        ご来光に満たされたいとガンガーに集まる巡礼者たち

 

いまこの時間、わたしはガンガーに坐し、神聖な太陽の光を全身に浴び、輪廻転生解脱のヒンズーの世界にいるのだ、と言い聞かせた。

左手をガンガーの水に手を浸し、右手で合掌し、感謝の祈りを捧げた。

 

                ガンガー(ガンジス河)に浮かぶ 

 

流し灯篭を商う、ヒンズーの婦人が操る一艘の小舟から、蘭の花と点火されたロウソクが供えられた小さな浮き皿を手に入れ、関係する物故者への慰霊を込めながら、静かにガンガーに流した。

 

        ガンガーで流し灯篭を売るヒンズーのご婦人 と ガンガーを流れ下る皿灯篭

 

 

<ガンガーの畔で>

いよいよ待ちに待った日輪(ガンガーに昇る太陽)をこの目で拝することになった。

聖なるヒンズーの地バラナシで、ガンガー畔で太陽のエネルギーに相まみえるのである。

ヒンズーの祈りの歌声が、ガンガーにある各ガートから、また沐浴する老若男女から流れ出し、東から厳かにインド平原を照らす聖なる太陽の光が、ガンガーの川面に満ちながら、荘厳なメロディーとなってガンガーを満たしていく。

太陽の光が、ガンガーの川面に広がっていく中、沢山の花びらと燈明をのせた白いお椀(皿灯篭)が流れてくる。

生ぬるい風に乗って死体を焼く煙と、臭いが鼻腔の奥まで忍び込んでくる。

今もまた、喜怒哀楽の、いや苦しい人生を終え、天に旅立つ多くの人々がいるのである。

 

                ガンガー河の夜空(バラナシ・インド)

              Night sky of the Ganga River (Varanasi, India)

                  Drawing by Sanehisa Goto

                     Feb. 21, 2003

 

                  バラナシ・ゴールデン寺院

                                                                  Varanasi Golden Temple

                                                                Drawing by Sanehisa Goto

                       Feb. 20, 2003

 

 

ヒンズー教の聖地とインダス川崇拝>

ヒンズー教の聖地は、多くがガンジスの源流域にあるが、インドのバラナシこそ、ヒンズー教徒にとって特別な聖地であろう。 インド各地から聖なるガンジス川で沐浴するため、いや<死ぬための聖地・死んでからの聖地>であるバラナシへ巡礼者が押し寄せているほか、遺体までが運ばれているのである。

 

実際、ガンガーのガート(ガンジス川の沐浴・祭礼場)で荼毘に付した遺灰や遺骨、いや半焼の遺体をガンジス川に流している光景に出会う。

今日もいろいろな出会いがあった。

ガンガーの川辺で絵を描いていたら、斜め掛け袋にノートや文房具をいっぱい入れた一人の少年が絵をほめてくれた。 ちょうど、小型ノートが切れかかっていたので分けてもらった。 少年の感謝に満ちた、嬉し気な笑みがわたしのこころを爽やかにみたした。

ここガートで、一人旅だという日本からの娘さんに出会い、輪廻転生について話を交わした。

なんと勇気ある一人旅であろうか。 混沌の世に咲く蓮の花のように清く映った。

それぞれの出会いが、爽やかに感じるのはなぜだろうか。

 

 

 

■2月22日 バラナシ3日目 快晴

 

ガンガーで、太陽を迎えるヒンズーの歌声と銅鑼の音が、ガートに隣接するフレンド・ゲストハウスのわが部屋に流れてきた。

ベッドに資料を開け、次なる目的地であるデカン高原にあるアウラガバードの情報に目を通した。

アウラガバードは、エローラ石窟寺院やアジャンダー石窟寺院の仏教遺跡のベースキャンプである。

 

アウラガバードの情報メモ>

ユースホステルあり、駅より2.5km(リークシャ利用)

・Manmad駅より、South Central Railwayに乗り継いで、アウラガバードに列車で行ける、

   路線バスも面白そうである

ゲストハウスは駅北側、エローラ・アジャンダー各洞窟へのミニバス・ジープの手配便利

・ビービカ・マクバラ寺院(タージマハルの姉妹寺院)に近し

アウラガバード仏教窟院群(北3㎞、第3僧院・第7寺院) 懐中電灯必要

エローラ洞窟行バスMTDC(ホリデイ・リゾート前より出発 09:30始発―17:30最終)

・アジャンダー洞窟行バスITDCC(駅前バス停より出発 30分に1本あり)

 

ガートに出かけ瞑想していると、突然銅鑼を鳴らし、チャントするヒンズー巡礼団の一行に取り囲まれた。 驚いていると、声を一段と振り上げるのである。

後でわかった事だが、聖なるガンガーが祀られている神に向かって尻を向け瞑想していた。 そう、わたしはガンガーの神になりきっていたのである。

 

                   

                  ガッドにある<ガンガーの神たち>Vijayanagaram Ghat

 

                                           ヒンズー教の神々 <シバ神のシンボル:リンガー>

                                                   Hindu gods <Symbol of Shiva: Ringer>

                 Drawing by Sanehisa Goto

                      Feb. 22, 2003

 



西のガンガー、そこには地平線に沿って低木が一直線に南北に、ガンガーに沿って線を引いたように生えている。

その線上に、太陽が紅射す様子には、天地創造を思わせる厳粛さが漂う。

鳩が飛び交い、ガンガーに魚が跳ね、人々は心の癒しを求めて沐浴し、半眼を開け瞑想に耽っている。

ここがヒンズー最大の聖地、バラナシである。

 

                                             

                ガンガーの夜明け The dawn of Ganga

                                                                     Drawing by Sanehisa Goto

                      Feb. 22, 2003

 

 

<ガンガーに身を沈め 解脱の聖水にひたる>

聖なる太陽の光に照らされた裸身は、ガンガーの風に触れると神聖さを覚え、パワーが伝わってくる感覚に包まれる。

すこし苔むして滑りやすい石の階段を下りていくと、一歩そして一歩、少しづつ神の領域に近づくのであろうか、聖なる太陽とガンガーに手を合わせ、おのれが消えていくような感覚に沈んでいく。

 

                                           

                               ガンガーの祈り Ganga prayer

                                                                  Drawing by Sanehisa Goto

                     Feb. 22, 2003

 

ガンガーの深みに身を沈め、ガンガーの神に身を任せると、神々しい温もりが身を包み、ジャスミンの香が心身を満たした。

その刹那、聖なる花が流れ着き、身にまとわりついた。 そこには永遠のともし火がともされ、力弱く揺れていた。

もう一度、ゆっくりとガンガーに身を沈め、神の愛にひたった。

多くのヒンズー巡礼者と共に沐浴をもち、すべての人に安らぎと希望を与える神の愛を感じるひと時を持った。

ハレルヤの言葉を残して、沐浴を済ませた。

 

バラモンから解脱の印を受ける>

ガンガーでの沐浴を終え、石段を上ると待っていたバラモンから祝福を受けた。

<God bless you>という言葉を、バラモンは「あなたはガンガーの沐浴によって迷界及び輪廻転生から解脱したことを証明し、祝福します」とたぶんヒンズー語でまくしたてたうえ、わたしの額におごそかにガンガーの水で溶いた乳白色の土(たぶんガンガーの底に堆積した人骨灰)を真一文字に横に引き、その上に真紅の丸点(ビンディ/ティーカ)を人差し指で塗りつけた。

その瞬間、法螺貝がボーッボーッ、ボーッとなったような気がしたが、真意は確かでない。 たぶんわたしの気持ちの高揚によるものであったに違いない。

背後の<ガンガーの神・ガンガーの母>に合掌し、ダシャシャワメッド・ガート/Dashashwamedh Ghatを後にした。

 

 

      バラモン Vijayanagaram Ghat-Ganga River                               ビンディを額に受ける

 

 

   《ガンガーに 祈りてわれを 来世の 解脱求めて 沈めてみたり》 實久

 

 

           ガンガーの太陽に祝福を受ける、神秘的である

 

 

<ビンディ/Bindu 又は ティーカ/Tika  額の赤い点>

ヒンドゥー教では眉間は特別な場所とされており、物事の真実を見極める第三の目とも言われている。 ガンガーにつかり、沐浴を終え、ガンガー(ガンジス川)を上がると、ガンジスに浸かったことにより輪廻転生から解脱したという証明として、ビンディを額に塗ることを生業としているバラモンの僧がいる。

バラモン喜捨し、願い出ると紙切れに手書きの沐浴証明書なるものを書いてくれた。

ビンディはティーカとも呼ばれ、聖職者や、巡礼者が額につけている。

ガンジスの沐浴については、日本人の間でも賛否があり、人間の死体を流すガンガーは非衛生的であり、細菌性感染症等に犯されると言われている。

沐浴するかどうかは、自身にその覚悟を問うことをお勧めする。

 

        バラナシ<フレンド・ゲストハウス>屋上で ちびオーナーに祝福される

 

 

<輪廻転生と解脱  バラナシ ヒンズーの聖都>

ヒンズー教では、死んだら輪廻転成し、前世と同じく大変な苦痛が永遠に続き、その苦痛に耐えなければならないといわれている。 その苦痛から解放されれたいためにガンジス川のバラナシで沐浴するとされ、死んだ者は、ガンガーに流されることによって輪廻転成の苦しみから解き放たれると考えられている。

バラナシは、シバ神の聖都であり、霊的な光(Kashi)に満ちた街である。

ただし、輪廻転生から解脱する資格のある人だけが火葬され、遺灰をガンジス川へ流されるというからここにも不平等がある。

バラナシのガンジス川(ガンガー)付近には、遺体だけでなく死期の近い人が死を待つために滞在する施設も散見できるし、そう願う人たちの亡骸が運び込まれて、ガンジスの河畔にいるだけで荼毘に付された亡骸の煙を体一杯にあびるのである。

また、バラナシで沐浴のためガンジス川につかると、遺体や遺灰、遺骨が交じり合った川の水を頭からかぶり、ヒンズー教の世界を垣間見られるという。 そこでは現世と来世の交叉したヒンズーの世界を体験することが出来ると言われるが、残念ながら、わたしにはその境を見ることはできなかった。

 

           ガンガー(ガンジス)の聖なる朝日は今日も変わらず昇りくる

 

遠く源流であるヒマラヤの雪解け水がガンガー(ガンジス川)となり、湾曲する畔にバラナシが三日月形に配置され、ちょうど太陽の出づる方向を眺める絶好の地形となっている。 バラナシの街はガンガーの西方に位置し、ガンガーの川面に映る太陽の神々しい光を見られるのである。

ここバラナシは、カーリ女神の良人シバに奉献された街だと言われ、ヒンズー教徒にとって『天国の主門』であると今も考えられている。

このガンガーの水を浴びれば(沐浴)、来世の至福は居ながらにして、生きて得られるという。 わたしもガンガーの誘いに応じて沐浴をした人間である。 来世は必ずや至福な場が提供されると信じることにした。

さて、なぜ来世にしか至福は与えられないのであろうか。 現世では至福はえられないのだろうか、不思議である。 現世はすべて諦め、苦悩に耐えなければならないならば、生は受けずともよかったはずである。 しかし、これだけは生まれた限り変えることが出来ないのである。

祈りをもって心を清め、水をもって身を清める沐浴というヒンズーの儀式は、ここバラナシにやってきた者として当然なことのように思われる。 しかし、不思議と沐浴をする瞬間まで、沐浴は絶対しないと自分で決めていたにもかかわらず、なんの抵抗もなくガンガーに身を沈めたことを後になって自分自身驚いたものだ。

しかし、沐浴からくる功徳であろうか、精神的清々しさと、安らかさに満たされたことは確かである。

 

      

            ガンガー沐浴風景 バラナシ <Vijayanagaram Ghat>

 

バラナシは、精神性を高め、苦悩から離脱させてくれる神聖な場所である。 しかし、ガンガーのすべてが汚いのである。 この汚いガンガーに身を沈めると自分が蓮の花のように清らかに感じるのだから不思議である。 ここバラナシは、人の汚さを全部集めたような場所である。そのような場所だからこそ心の神聖さが花咲くと言っていい。

ガンガーには、すべてが浮遊し、流れ、淀んでいる。 岸に流れ着いた浮遊物、焼けきらない焦げた肉片、排せつ物、遺灰などに混じり、流し灯篭の赤い花だけが際立ってその美しい姿を見せる。 そのすべてが、ガンガーに浮遊し、溶け合っているのが、ヒンズーの世界であるように思えた。

宿に帰って、穴という穴はもちろん、体の隅々を薬用石鹸で洗いつくし、薬用アルコールで消毒させてもらったことを書き添えておく。

 

      

         <Vijayanagaram Ghat> ガンガー河畔にあるバラナシの街

 

                            ガンガー水上巡礼船乗場 <Vijayanagaram Ghat>

 

<厳しい食事の制限>

カースト(ヴァルナ・身分)の違う人とは一緒に食事をしてはならない、不浄な左手ではなく右手で食事をすること、牛は破壊の神・シバの乗り物で神聖視され食べてはならない、などヒンズー教には多くの戒律がある。

また、輪廻転生の考えから「生き物は、先祖の生まれ変わりかも知れない」ことから基本的に食べない人(ベジタリアン)が多いようである。

 

 

<人生を変えるヒンズー6カ条の教え>         

『心 が変われば    態度が変わる       
態度 が変われば  行動 が変わる
行動 が変われば  習慣 が変わる     
習慣 が変われば  人格 が変わる
人格 が変われば  運命 が変わる
運命 が変われば  人生 が変わる』

 

心理学者ウイリアム・ジェイムズも同じことを言っている。

『心が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる』

 

話は変わるが、少年時代に入隊し、生涯、自分自身に<ちかい>、実行を求められるボーイスカウトの<おきて>や<モットー>、<スローガン>もまた、人生を変える教えであると云っていい。

わたしもまた、<ちかい・おきて>のもとボーイスカウトであったことを誇りにしている。

 <人生を変えるヒンズー6カ条の教え> を知り、ふとボーイスカウトの<3条のちかい>と<8条のおきて>を思い出していた。

 

 

<ナマステ/NAMASUTEの国 インド>

ナマステは、サンスクリット語でインドやネパールで挨拶として使用されている。 互いに助け合う精神の上に成り立つインドでは、<ありがとう>を伝える風習がないようである。

日本的感謝を意味する<ありがとう>の代わりに、広義の<ナマステ>、感謝を含めた「おはよう・今日は・今晩は・さようなら」として使うようであり、非常に便利な言葉である。

合掌の姿は、ブッダによる仏教布教(大乗・小乗)と共にインド以外にも伝播していったようである。

 

 

ヒンズー教の大聖地 バラナシを去るにあたって>

宿泊先のフレンド・ゲストハウスの一階に、日本語による「ゲストノート」が備えつけられ、情報ノートとしての役割を果たし、それぞれのインド観も書き残されている。

ヒンズー教の大聖地 バラナシを去るにあたって、後に続く日本の若きバックパッカーにメッセージを残すことにした。

 

銀河鉄道<輪廻転生号>に乗って、ここ地球星のバラナシに、おのれの来世を確かめにやってきた老バックパッカーから、未来を生きる若きバックパッカーにメッセージを送りたいと思います。

わたしはここ地球という星に、奇しくも生命を与えられ、ここガンガーに昇る同じ神聖な太陽を約22000回拝してきました。

そして、機縁とは魔訶不思議なもので輪廻転生を解脱せんがために、ここガンガーに集ったあなたと私が、今生で一番近づいた場所でもあります。

それもここバラナシのフレンド・ゲストハウスという屋根の下に集ったという機縁は、偶然ではないような気がしてなりません。

人の一生は、劇中のヒロインのように演出された台本通りに、演じられていると思います。

それも一つの法則、神の支配する宇宙の営みの一員として与えられた使命・役割を忠実に実行しているということです。

しかし、生きるとは大変むつかしいといえます。

人はなぜ、ただひとり孤独のなかに生きようとするのでしょうか。

ひとはなぜ、複雑に生きようとするのでしょうか。

人は自分で内なる自分の役割を知り、見つめなおす必要がありそうです。

なぜなら不確実な未来の滅びに備えることが、今の不安を取り除く唯一つの安心だからです。

自分の内なる魂にひそむもう一人の自分に、素直に向き合って話しかければ喜んで道を示してくれると思います。

また、ちっぽけな存在でしかない自分を発見し、涙することもあるかもしれません。

喜びと感謝に出会えれば、すでに生まれ変わったもう一人の自分に出会っているのです。

自信と勇気を持たれんことを願いつつ、小さな挑戦に挑まれる若き後輩にエールを贈ります。』

 

 

 ■2月23日  バラナシ ➔ アウランガバード 列車移動

 

フレンズ・ゲストハウスのオーナーであるMr.Jonny-papa と息子Raja、その孫の三代に見送られ、バラナシ―を去り、エローラとアジャンダーの石窟寺院のあるアウランガバード/Aurangbadに向かった。

 

 

<追記 訃報>

輪廻転生に触れたこのブログ 星の巡礼 バラナシ ・ ガンガー沐浴巡礼の旅》を書き終えようとするとき、202278日午前1130分ごろ、 日本の政治家であり、元総理大臣であった 安倍晋三氏が凶弾に倒れたとのニュースが飛び込んできた。

こころから哀悼の意を表するものです。

 

《崩れ墜つ  ああ逝きし君  道半ば  空しきこの世  見果てぬ夢や》 實久

 ーくずれおつ ああいきしきみ みちなかば むなしきこのよ みはてぬゆめや―

 

 

 

    

 

 

       《星の巡礼 バラナシ ・ ガンガー沐浴巡礼の旅》

                 後藤實久記

 

                 

       本稿は2003年当時の時刻表・物価等で記るされていることを留意願います。

 

 

 

                               次回 《星の巡礼 エローラ・アジャンダ石窟寺院巡礼の旅》

                                        に続く

               現在 作業中

 

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<関連ブログ>

 

shiganosato-goto.hatenablog.com