shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

『インパール作戦退却路・アラカン山脈白骨街道における露営・慰霊紀行』⑬

インパール作戦退却路・アラカン山脈・白骨街道・慰霊地の巡礼記 11
 

 『タム-パレル道・白骨街道慰霊』2

先ず、タムの街の概略図を再掲しておく。

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国境橋で写真同行のみなさんとインパールをめざした弓第33師団第33歩兵団ほかの亡き将兵
鎮魂に黙祷をささげたあと、国境第二ゲートのあるタム郊外ナパロン村に向かった。
 

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国境橋で、弓第33師団第33歩兵団(右突進隊)山本支隊の英霊に祈りをささげた

国境橋よりタムにむかって坂を上り三叉路を東へ向かうと、約800m先の橋の端に検問所がある。外国人に対するパスポート検問である。ここでも友好的であった。やはりインパール作戦70周年慰霊のことを告げ、できればインド/ミヤンマー国境第二ゲートのあるタム郊外ナパロン村を訪問したいことを願いでると許可してくれた。


検問所のある橋、カンギワー川をわたり約2kmのところにナパロンの村がある。


ナバロンの村は、入口に屋台がならびにぎやかである。タム行の三輪乗合バス(200k20円)が客待ちをしている。満員(8人)になり次第タムに向けて出発するらしい。


屋台をぬけるとインド商人の店が続き、そのさき国境第二検問所がある。検問所を抜けるとインドの街モーレ・Morehである。現地人には日常的往来が自由である。外国人はここ第二検問所より越境することは出来ない。


インド商人の出入りがはげしい。ミヤンマー人のインド越境は自由であるが、インド側での検閲が厳しいそうである。麻薬密売人や小数民族の独立活動家の出入りを厳しく摘発している。写真を撮るのもはばかれるほど緊張感が張りつめている。


国境は麻薬の通路でもあり、麻薬撲滅の横断幕や警告板が目立つ。
 
 
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 タム郊外ナパロン村にある国境検問所第二ゲート前の賑わい(インド側はモーレ)

国境の金網から緩衝地帯をへてインド側モーレ/morehの街がみえる。機関銃を構えたインド国境警備隊員がパトロールしている。なぜか国境緩衝地帯はどこでもゴミで埋もれ、治外法権地帯であることを物語っている。


無法地帯であり、危険地帯なのである。その無法地帯である国境の橋で鎮魂慰霊を行ったことを思い出していた。


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 インド/ミヤンマー国境の緩衝地帯(インド側のモーレの町が見える)

帰路、お世話になった各検問所に立寄り、差入れをおこない感謝の気持ちを伝えた。検問所の警備員に見送られ、無事タム=パレル道での慰霊を済ませた。


タムの街に戻り、中心街マフラー通りを散策した。ナパロン村行き三輪乗合バスの乗り場を確認したり、カレーミョウ行ミニバス乗場でチケット(4000K08:30毎日発)を購入したり、ATMのあるAYA-BANKで現地通貨を引き出したり、屋台で串焼きを食べたり、マーケットでお土産のロンジや手織りのマフラーを見つけたり、豚や羊の頭がならぶ屋台を見ながら70年前の現地生活を思い描きながら散策をした。
 

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 タムのマーケット(朝市)
 
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マーケット近くのナパロン行き三輪乗場
                                           

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カレーミョ行きミニバス乗場(タム中心街)
 
70年前もおなじく平和な生活をしていたタムの人々には、突然インパール攻略にむかう弓第33師団の兵士の進軍に、また退却時の無残な将兵の姿に驚きを隠せなかったことであろう。


しかしいま、タムの町は戦火の跡もすっかり消え去り、カバウ渓谷の平和な中堅都市としての役割を果たしているようである。


タムの街からは阿羅漢山脈は見えない。もし阿羅漢山脈を望見したいならば、地図を参照に出かけて見てほしい。カンギンワ川/Kan Gin Wa Riverの川畔まででかければ遠くに阿羅漢山脈の嶺が西方にみえる。
 

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国境を流れるカンギワー川より阿羅漢山脈を望む(タム郊外)

インパール作戦退却時、白骨街道と化したカバウ渓谷の平原に広がる田畑を見ながらアジアハイウエー1号線を南下し、カレイーミョにむかった。

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タム滞在中、兄弟が岡山大学の大学院で機械工学の研究をしているという定食屋(ゲストハウスより南に約250mにある)の主人・Mr. Zaw Phone Wai((ゾー・ポウ・ウエイ氏・35歳)に出会い、食事ごとにお世話になった。彼から色々な情報をえた、謝意を述べたい。


今回入域した旧ビルマ西域に広がるアラカン山脈、チン高地、カバウ渓谷では、一人として外国人に出会うことが無かったが、アジアハイウエー1号線をインパールより国境を越えてカレーワに向かう
世界一周のサイクリスト・アメリカ・アリゾナの青年、John君にであって親交をもった。
まだまだ外国人のミヤンマー西域への入域は、情報不足からか危険視されているのであろう。
バックパッカーを受け入れる環境づくりはまだまだこれからのようである。

羅漢山脈やチン高地は世界の秘境から、いままさに目を覚ます曙の中にあるようだ。


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 世界一周のサイクリスト・アメリカ・アリゾナの青年、John君 (アジア・ハイウエー1号線にて)


 
 
次回は、少数山岳民族であるチン族のみなさんの山岳都市ハカ / HAKAHを紹介したい.