《インパール作戦・白骨街道慰霊に出かけたもう一人の巡礼者・高原竜介氏》 Ⅰ
タム 托鉢修行中の少年僧
2015年12月、旧ビルマ・インパール作戦の退却路にできた白骨街道での慰霊の旅に出かけるにあたって、ブログで『星の巡礼・インパール作戦白骨街道に一粒の供養米をおくる運動』の呼びかけをした。呼びかけに応じて、メールに数名の方から連絡がよせられた。
その内のおひとりに、2016年3月下旬に同じく白骨街道上で慰霊のときをもちたいという高原竜介氏がおられた。
お仕事のためであろうか、一週間の旅程という。飛行時間を省くと、現地滞在は3~4日という短期滞在となるらしい。
インパール作戦退却路にできた白骨街道は広範囲におよぶので、その訪問地を決定するにあたって情報収集に力を入れているとのことであった。
わたしのように引退後、数年に及ぶ計画立案・現地調査・体力づくり・体験野営による縦走登山・情報収集・関係書研究という時間が取れないのであろう。いろいろと助言をもとめてこられた。
先行するわたしは現地情報を写真・記録・スケッチ・手書き地図・交通機関情報など、ブログを通してお知らせすることとなった。
その間のメールのやり取りは、わたしのこころをより一層浄化し、英霊に対する姿勢を深化していったのである。
ここにそのメール交換の一端を紹介しておきたい。
2016年4月10日 高原氏より帰国した旨のメールを受け取った。
カレーミョウより車をチャーターし、アジアハイウエー1号線(インド・ミヤンマー友好道路)を北上、タム北方の村・ミンタを訪問したとあった。
またミンタでであった遺品の写真や、チンドウイン河近くでであった老女の話しとのツーショット写真が添えてあった。 慰霊もすますことができたと、晴れやかなメールをいただいた。
(写真等は下記メール参照)
現在に生きる日本人は、自分の国、いや愛する家族のために自分の命を捧げることができるであろうか。 おなじ問いかけが、70年前の青年たちに突き付けられたのである。
いろいろな意見があることは承知している。
紛争は外交努力による解決を唯一の手段とすべきである。
戦争による解決ほどみにくく、苦痛に満ちたものはない。
しかし政府の努力もむなしく、大半の遺骨がいまだ帰郷することなく、悲しいかな家族のもとに帰ってこれていないのが現状である。
アウンサン・スーチー氏による新政府樹立前後より、両国の一層の交流がすすみ、遺骨収集にはずみがついていることは喜ばしいことである。
わたしは高原氏との交流をとおして、インパール作戦という歴史的時空を超えた同志的シンパシーを感じるのである。
まだ出会いのない巡礼仲間であるが、高原竜介氏に感謝合掌である。
ではもう一人の巡礼者・高原竜介氏とのメール交換をみてみたい。
そもそもの始まりは『供養米をおくる運動』を提唱したことから始まる。
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2015/12/28 9:26 (ブログ再掲)
2016年1月12日より約1ヶ月、インパール作戦に斃れた英霊を偲び、当時「白骨街道」と化した阿羅漢(アラカン)山脈を縦走します。特に、「ビルマ側インパール南道」と「カレーミョ・タム間のカバラ渓谷」を踏破してきます。
■ カバウ渓谷 <カレーミョ⇔インタンジー⇔ヤザジョウ⇔カンパット⇔タム・インド国境>
激戦地であったインド側インパール南道には、2003年2月7日より約1ヶ月慰霊訪問してきました。
いまから72年前、援蒋ルートを遮断する戦略的な目的と全線戦での後退的日本軍の挽回という希望的観測のもと開始されたインパール作戦は、20日分の米を背負って阿羅漢山脈を越えインパールへと進撃を開始しました。
糧食が尽き病に斃れ、撤退路には将兵の屍が累々と続きました。
この撤退路は「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれています。
今回、白骨街道を歩くにあったって英霊に日本の郷土米を届けたいと思います。
こころを同じくする方々の「祈りを込めた一粒の郷土の米」を届けるため、下記の要領で受付けたく思います。
ご希望の方は封筒に「祈りを込めた一粒の米」と「英霊へのメッセージ(呼びかけ)」のいずれか又は両方を同封し郵送してください。
また現地へ写真同行したいという方は、写真(L版)1枚の裏面にお名前とお会いしたい亡き戦友または関係者の氏名等をご記入のうえ、同封してください。 慰霊の際、一粒の米と写真を阿羅漢山脈上の白骨街道に残置してまいります。
申し訳ございませんがその他一切のものを同封しないようお願いします。また、上記以外のご要望はお受けできかねますので何卒ご容赦ください。受付締切は急で申し訳ありませんが、2016年1月7日(木)必着とさせていただきます。
宛先はメールsanegoto1941@yahoo.co.jp にてお手数ですがお問い合わせください。ご高齢になられている関係者やご遺族のみなさんは、若いみなさんの協力・助力を得てください。
注1・ この地図は白骨街道巡礼後一部修正した地図である
注2・ 高原氏訪問のミンタ・MINTAは地図の東北部、タム・TAMUの北に位置する村である
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『一粒の供養米』に対し、日本酒一升・米一升をぜひ持参して欲しいとの申し出が数件あった。遺族や関係者のお気持ちをおもうと当然である。しかし一人旅には限界があり、丁重にご辞退申し上げた。
それにもまして『一粒の供養米』に、「ひとりの知られざる斃れし兵」の思いを重ねて考えたかったからである。
いいかえれば『一粒の米』を「ひとりの兵」にみたて、インパール作戦で散華したひとりひとりの想いを重ねたかったからでもある。
みなさんの想いを大切にしたいため、持参する品々を厳選させていただいた。
お米コンクールで総合部門金賞を3年連続で受賞
比良山系に湧く『天命水』 (フイリピン慰霊の旅・英霊特攻隊員にも捧げた名水)
折鶴 愛用の線香『香樹林』
簡易祭壇に供えた日本からの品々(アラカン山脈白骨街道トンザン街道にて)
《インパール作戦・白骨街道慰霊に出かけたもう一人の巡礼者・高原竜介氏》 Ⅱ
につづく