《星の巡礼 : オーストラリア大陸13000KMの旅》
2009/02/01~04/01
後藤實久
by Sanehisa Goto
オーストラリアは、今からたった256年前まで先住民族アボリジニの安住の土地だった。
すでに訪れたユーラシア(アジア・ヨーロッパ)、北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、南極の五大陸を巡り終え、六大陸目であるオーストラリア大陸に、2009年夏である南半球に出かけてきた。
旅人生<星の巡礼>の最後の大陸オーストラリアをいつものリュックを担いでの旅姿で、南十字星に導かれ、風に吹かれ、ユースホステルに泊まりながら、バックパッカー・スタイルの旅を楽しんだ。
オーストラリアは、新大陸でもあり、自然界には固有種も多く、また先住民であったアボリジニの洞窟絵<ロック・アート>など芸術遺産をも、できるだけスケッチに残してきた。
オーストラリア一周をするにも、いまなお忘れられた未開拓なエリアがあり、陸上交通機関も未発達で、ヒッチハイクかレンタカーにより踏破する区間もあり、移動に困難が伴うことを覚悟で出かけてきた。
万一の場合には、飛行機が利用できる安心感もあり、可能な限り陸上の交通機関を利用しての<星の巡礼>に心がけた。
今回のオーストラリアの旅では、残念ながら水害・山林火災という自然災害による停滞・遅延により大陸一周というひそかな目的はかなわなかったが、満足する旅となった。
ここ先住民アボリジニの楽園は、18世紀にヨーロッパの白人が移住し始め、その広大な土地を白人化していく過程の、白人とアボリジニの闘争の歴史が、今なお根深く存在することを知る旅となった。
結果的にオーストラリア大陸の陸路一周20000㎞が、13000㎞と相成ったが、これまた人生と同じく「塞翁が馬」である。
2026年2月末日
志賀の里 孤庵にて

<オーストラリア大陸踏破予定図>

オーストラリア旅日記帳<星の巡礼 オーストラリア大陸>
<Silent in Life>
My life is a journey
I shall converse with God
I exist within His light
unmoved and unwavering
Oh, I rejoice in the silent light
わが人生 旅にありて 神と語らん
み光の中に 我ありて 動じて動かず
ああわれ沈黙の光をよろこぶなり

オーストラリア大陸地図
―右下・タスマニア島―

<オーストラリア国旗>
左上 : 英国旗(ユニオンジャック・英連邦を表す)
6星 : 南十字星(右5星・5州)と+1星(左下・1準州)
■オーストラリア大陸13000mの旅<スケジュール>
期間:2009/2/1~4/1(60日間)
<長距離バス+長距離列車+ツアー>
ユースホステル・ゲストハウス・車/船中泊


<バス・パス利用の仕方>
(長距離バス : グレイハウンド・オーストラリア)
広大なオーストラリア大陸を縦横無尽に走る、バックパッカーにとって便利な長距離バス<グレイハウンド・バス>がある。 格安航空と共に、廉価な交通手段として、バックパッカーや現地アボリジニに広く利用されている。
長距離バスを利用する人たちの為に、<バス・パス>がグレイハウンド社より発売されている。
この旅では、旅程の総距離KMに合わせて、365日間使用可能なパス<Aussie Highlights>をYH会員価格2549$AUで購入した。 料金は2009年2月時点のものである。
この<バス・パス>は、決まったルートではなく走行距離で計算する<キロメーターパス>であり、距離数を格安航空、ツアー、鉄道と互換できる優れものである。
ただし、<バス・パス>を持っていても必ず24時間前迄に予約が必要である。
この旅でも、北西部ルート<パースからダーウインへ>抜けようとして予約をしたが、満員で断られるというハプニングがあった。
予約はグレイハウンド社のWEBサイト、又はグレイハウンド社の予約センターで簡単に予約をすることが可能である。
詳しくは後で述べるが、水害・山林火災による自然災害や、ブッキング(予約)の失敗から、<パースよりダーウイン>へは、飛行機・列車・ツアーを乗り継いでの旅となった。
Greyhound Australia

THE ALL AUSTRALIAN BUS PASS
バス・パス利用
<オーストラリア大陸バス路線図>
バス・パス:使用期間:365日
YHA料金 2549$AU
オーストラリア大陸を一周するためには、長距離鉄道と長距離バスを利用しても、どうしても大陸西部<パース/Perth~ブルーム/Broome>間は交通の便が少なく、長距離バスの本数も減り不便である。この区間は、便数が少なく、予約も取りにくいので、レンタ・カーに頼るほうが早いかもしれない。
拠点の一つであるブルーム/Broomeは、戦前、日本人入植者も多く、真珠養殖事業に携わっていたところでもある。
もちろんヒッチハイクも可能だが、荒野を走る車や、食料を購入する店も少なく、現地当局は無謀を戒める警告さえ出している。オーストラリア大陸は、いまだ未開拓な地が多く、開発には拠点都市方式をとり、点と線を結ぶ開拓方式をとっている現状である。
アメリカ大陸のように陸上交通機関だけでの大陸一周は不可能であり、いまだ一部区間は自力での踏破が必要である。それだけに、オーストラリア大陸は、冒険野郎の夢とロマンをかきたてる最後の大陸ともいえる。

大陸一周の鉄道がない <オーストラリア大陸鉄道路線図>

Adelaide➡Perth<Indian Pacific号>
アデレード➡パース<インディアン パシフィック号>
Adelaide➡Alice Springs<The Ghan号>
アデレード➡アリススプリング<ザ・ガン号>
<オーストラリアという国>
日本の約21倍の面積をもつオーストラリアの地理・歴史・自然・将来展望に目を向けておきたい。
《野に臥して 南十字星 追い求め オーストラリア 訪ね歩きて 》實久
-のにうして みなみじゅうじせい おいもとめ おーすとらりあ たずねあるきてー
<地理的成り立ち>
オーストラリア大陸は、地球上で最も古い地殻をもつ大陸の一つであり、その起源はおよそ5億年以上前にさかのぼる。 かつては南半球に存在した超大陸ゴンドワナの一部であったが、約1億年前に分裂・独立して現在の位置に漂着したといわれる。

(wikipedia)
2億年前(三畳紀)の世界図
南半球<ゴンドワナ大陸 / Gondwana>
北半球<ローラシア大陸 / Laurasia>
地形の大半は乾燥・半乾燥地帯で、中央部にはグレート・サンディ砂漠、グレート・ビクトリア砂漠などが広がる。 一方、東部にはグレート・ディバイディング山脈が連なり、東海岸地域は比較的湿潤な気候を示しいている。
地殻変動が少なく、古い地層が風化してできた平原が広がるため、独自の動植物相が発達した。
カンガルーやコアラ、カモノハシなど、オーストラリア特有の生態系はこの地質的背景に支えられているようだ。
多くの固有動物が生息し、これらの動物の多くは有袋類または単孔類に分類される。
<オーストラリア大陸 固有種>
野生動物注意区間標識 コアラ カンガルー

ウオンバット クオッカ カモノハシ

ハリモグラ エミュー タスマニアデビル
<先住民アボリジニ と 白人入植者の歴史的推移>
オーストラリアの先住民族アボリジニは、約5~6万年前に東南アジア方面から海を渡ってこの大陸に到達したと考えられる。 彼らは「ドリームタイム(夢の時代)」と呼ばれる神話世界を中心に自然と調和した文化を築いてきた。
アボリジニー芸術<洞窟アート> アボリジニー文化体験村にて
一方、1770年にイギリスのキャプテン・クックが東海岸を「ニューサウスウェールズ」と名付けて領有を宣言し、1788年に囚人を送る流刑植民地が建設された。 これがヨーロッパ人の本格的入植の始まりである。
その後、土地の収奪や伝染病の拡大により、先住民アボリジニの人口は激減した。 さらに20世紀前半まで同化政策が実施され、子どもたちが強制的に白人家庭に引き離される「盗まれた世代(Stolen Generations)」の悲劇を生んだ。

<アボリジニの民族旗>
- 黒: アボリジニの人々を表す
- 赤: 赤い大地、彼らが流した血を象徴する
- 黄: 生命を与え、守る太陽を意味する
1967年、国民投票によりアボリジニが国勢調査に正式に含まれるようになり、2008年にはラッド首相が連邦議会で公式に謝罪を行うなど、和解の動きが進んだ。

1800年中頃のアボリジーニのファミリー 現代のアボリジーニのファミリー
<日本との歴史的関係>
19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本人は真珠採取や鉱山労働のためにオーストラリア北部や西部へ渡航した。 先でも述べたが、特にブルーム/Broomeには多くの日本人が居住し、真珠産業を支えたことで知られる。
第二次世界大戦中は日本軍によるダーウィン空襲(1942年)などを経て敵国関係となったが、戦後は急速に関係が改善した。 1957年には日豪通商協定が締結され、日本の高度経済成長を支える鉄鉱石・石炭・天然ガスなどの主要供給国となった。
現在では経済・観光・教育など多方面で交流が進み、オーストラリアは日本にとって資源・安全保障両面で極めて重要なパートナーである。
<自然の宝庫としてのオーストラリア>
オーストラリアは、地球上でも有数の自然遺産国である。 代表的な世界遺産には、これから案内する世界最大のサンゴ礁<グレートバリアリーフ>、聖なる一枚岩ウルル<エアーズロック>、タスマニア原生地域、カカドゥ国立公園などがある。
また、動植物の約8割が固有種であり、長い孤立の歴史が独特の進化をもたらした。
しかし、この旅でも遭遇した森林火災はじめ、水害、干ばつ、サンゴ礁の白化など、地球温暖化による環境変化が深刻化している。 こうした自然災害への対策と、再生可能エネルギーの推進が急務となっている。
<オーストラリアの将来展望>
21世紀のオーストラリアは、多文化社会としての成熟と、資源依存からの脱却をめざしている。
ヨーロッパ系住民に加え、アジア・中東・アフリカからの移民が増加し、英語を共通言語としながら多様な文化が共存する社会が形成されつつある。
経済面では、鉱物資源への依存を減らし、教育・IT・医療・観光など知識産業への転換を図っている。 また、地球規模の気候変動問題に対しても、太陽光発電やグリーン水素開発など、持続可能なエネルギー技術で世界をリードしようとしている。
地理的にも戦略的にもアジア太平洋地域の要となるオーストラリアは、今後も日本をはじめとするアジア諸国との協力を深化させながら、「自然と人間の共生」という未来像を追求していくであろう。
オーストラリアを「多民族国家」として見つめる視点は、とても重要である。
地理や資源だけでなく、先住民アボリジニの精神文化、移民社会の葛藤と共生の歩み、アジア特に中国との関係など、オーストラリアの抱える課題は多方面にわたっている。
では、バスと列車、空路と移動ツアーによるエキサイティングなバックパッカーの旅《星の巡礼 オーストラリア大陸一周 60日間 13000KMの旅》にご一緒したい。
■2月1日 日本出発
遠く奥びわ湖に霞む伊吹山の見送りを受け、オーストラリアに向け列車の人となる。
《冬日なか 裏地球へと こころ飛び 旅立ちの日や 夢広がりし》實久
ーふゆふなか うらちきゅうへとこころとび たびたちのひやゆめひろがりしー
《夢追いて 翔けし大陸 膨らみて リュック担ぎし 巡礼の旅》實久
ーゆめおいて かけしたいりく うくらみて りゅっくかつぎし じゅんれいのたび―
《旅立ちの しばしの別れ 比良の雪 我を見送り 春待ちにけり》實久
―たびたちの しばしのわかれ ひらのゆき われをみおくり はるまちにけり―
旅たちの日、ここ志賀の里は豪雪に見舞われJR湖西線は一部運休、堅田駅からの乗車となった。 これから向かうオーストラリア・メルボルンは、気温42℃、熱中症による死者40数名という。
南北半球の違いによる宇宙の不思議、これまた<星の巡礼>の醍醐味である。
数時間で真冬から真夏へ、東京成田でのフリースにダウン・スタイルから、ケアンズ空港での半袖・短パンへの衣替えも旅の妙である。

羽田発~成田行JAL3006便
ボーイング737-4000

ジェットスター航空
ケアンズ行Eチケット
<Narita 2/1 20:10発➡2/2 04:50着 ケアンズ/Cairns>
▼2/1 機中泊
■2月2日 ケアンズ散策 & オーストラリア大陸一周の準備
20:10 成田国際空港を飛び立ったジェットスター航空 JQ26便は、翌朝05:20ケアンズ空港に到着した。
《母娘して ケアンズ向かう 夏姿 トロピカルなる 機上の花や》實久
ーおやこして けあんずむかう なつすがた とろぴかるなる きじょうのはなや―
《憧れの ジェットスター 空を翔け カンガルー待つ オーストラリアへ》實久
ーあこがれの じぇっとすたー そらをかけ かんがるーまつ おーすとらりあへ―
ケアンズは、時間がゆっくり流れ、雨雲が低く垂れさがり、灰色の世界が広がっていた。
生暖かい風が、雪に見舞われていた志賀の里からの旅人を優しく迎えてくれた。
ただ、汗したたる蒸し暑さには閉口である。
ここは南半球、日本のとは真逆、冬慣れの体が暑さを迎え入れるには時間がかかりそうである。
散策の白人の太った体を見ていると、ここはアジアでありながら白人の国なのだと実感。
先住民アボリジニーたちは、肩身の狭いおもいで同居させてもらっているように見えた。
ケアンズの海は、泥状の濁り海であり、美しさに欠ける。
一方、各ホテル、宿泊所、家庭には青く澄んだプールが備わり、芝生の緑にマッチさせて素晴らしい。
ここケアンズは、みな半ズボンに、半袖姿、昨日までの日本の雪景色がうそのようである。
オーストラリア大陸一周を目指す計画を果たすためには、どうしても<パース➡ブルーム>間の
バス事情を知るために、近くのグレイハウンド/Greyhound Bus Terminalに出かけてきた。
当初、オーストラリア大陸一周は、バスの乗り継ぎによる陸路踏破を目指していたので、まず
<アデレード/Adeleide➡パース/Perth➡ブルーム/Broome>の長距離バスの運行状況を調べてみた。
この間の長距離バス定期便は廃止されたとのことである。
廃止された区間の距離(Km)も、グレイハウンド・バスによるツアー距離として換算されるとのことであった。
ツアーによるキロ変換は、<アデレード/Adeleide➡パース/Perth>間で、10000kmのツアー<9泊10日>に変わるとの説明である。
ただ、それも季節的催行というから、現地アデレードのグレイハウンドの事務所に出向いて確認せよとのこと、不安定極まりない大陸的曖昧さ、甚だ心もとない応対であった。
以上の事情により、旅の初日からしてオーストラリア大陸一周のバスによる踏破は不可能となってしまった。
結局<アデレード/Adeleide➡パース/Perth>間は、現地パースでのローカルバスの運行状況を確認の上、決めることにした。
▼2/2 ケアンズ宿泊先<Blue View-Backpackers> 連泊

キッチンでクッキング ハムエッグ・スープで朝食
<Blue View-Backpackers>のRoom34, 明日<シュノーケリング・アクティビティ>を一緒するユダヤ人青年たちと同室である。
白人に比べ、東洋人は若く見えるらしい。
「貴方の年齢は、何歳ぐらい?」
「何歳に見える?」
「48歳?」
「なぜ、そう思うの?」
「僕の父さんと同じ50歳くらいかな?」
「67歳だよ」
「だったら二段ベットの上段はだめだよ、僕の下段のベットと替わってあげるよ。」
「ありがとう、大丈夫だよ、老人もエクササイズが必要なんだ」
「本当に大丈夫?」
何と気持ち優しい、いたわりの気持ちを持つユダヤ青年たちだろう。
何年か前、イスラエルを縦断したときに味わった、ユダヤ人の国を愛し、その絆の強さに触れた感想を青年たちに語って聞かせたものである。
2001『星の巡礼 イスラエル縦断の旅 1000km』Ⅰ
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2023/12/06/214904
2001『星の巡礼 イスラエル縦断の旅 1000km』Ⅱ
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2023/12/08/121251
もう一人の同室者は、オーストラリアの青年である。
「たくさんの外国の青年が、この国にやってくるのに、何も自分の国を知らないなんて、そこで休暇を取って自分の国を回っているんだ」と・・・
青年たちが、自分の国に興味を持ったり、ほかの国の歴史に触れたり、ユースホステルはその学びの宿でもある。
■2月3日 ケアンズ <クルーズ参加>
<朝のケアンズ散策>

オーストラリア国旗はためくケアンズの街 ケアンズの浜どり
YHの芝生に遊ぶ、人に物おじしない小鳥たちのおおらかさにも驚きである。 人との共存を楽しんでいるようである。

プールサイドで朝食

figbird pied heron イシチドリ
<ケアンズの小鳥たち>
■《Green Island Cruises & Outer Barrier Reef》参加
<グリーン・アイランド・クルーズ & 外溝バリア・リーフ>
Great Adventure社催行 (168+環境税5=173$AU)
双胴船に乗り、10:30ケアンズを出港し、1時間のところにあるGreen Islandを目指す。
さらに沖に向かって1時間、12:30にアクティビティの行われる<洋上プラットホーム>に到着した。
バイキング・ランチを供され、シュノーケル、ダイビング、水上ウオークに参加でき、潜水艇にも乗れる。
もちろんシャワーも利用できる。
15:30の帰路につくまでの約3時間のシュノーケリング・アクティビティを楽しんだ。

Great Adventure<Reef King>号

<Reef King>号 Great Adventure乗船者の列
久しぶりの船旅である。
潮風に身を任し、体を太陽にさらす、至福の時を楽しんだ。
双胴船の波を切る心地よい振動に酔いながらの日光浴もいいものである。
大気の汚染もなく、その紫外線の強さに帽子を目深にかぶっての船旅を満喫した。
同室のイスラエルからの若き友人たちも船旅を楽しんでいた。3か月の兵役を終えての旅行、視野を広げるための旅だという。 新国家イスラエルを支える愛国的ユダヤ青年達の聡明な国家観、もう二度と故郷を見放さないという決意をみなぎらせている。
周囲をパレスチナ・アラブに囲まれ、4000年にも及ぶディアスポラ(民族離散)からの再建に、青年たちの顔は輝いていた。
ディアスポラは、それぞれの時代に征服者によって、離散させられた民族のことである。
ユダヤ人のディアスポラ(民族離散)は、歴史上今なおその悲惨さを伝えられている教科書といえる。 ここでは、少しユダヤ人の民族離散について触れておきたい。
(2026年2月現在の、イスラエル・パレスチナの血で血を洗う醜い戦闘が、一日も早く集結し、相互理解のもと永久平和がパレスチナの地に訪れることを祈っている。)
■<ディアスポラとは>
ディアスポラは、ある民族が故郷を離れて世界各地に散らばり、居住することを指す。 特にユダヤ人のディアスポラは、紀元前から繰り返されてきた歴史的な出来事として知られている。 祖国を追われ、異郷での生活を余儀なくされたユダヤ人たちの苦難と、それでもなお信仰と文化を守り抜いてきた強い意志が、ディアスポラの歴史には詰まっている。
<ディアスポラの始まり>
ユダヤ人のディアスポラは、紀元前6世紀にバビロニア捕囚によって本格的に始まった。 古代イスラエル王国が滅亡し、多くのユダヤ人がバビロンに連れて行かれたのが最初でる。
<ローマ帝国による追放>
その後、紀元1世紀にローマ帝国によってエルサレムが破壊され、さらに多くのユダヤ人が故郷を追われた。 これにより、ユダヤ人は地中海全域、そしてヨーロッパ各地へと散らばっていくことになる。 彼らはそれぞれの土地でコミュニティを形成し、独自の文化や信仰を守ってきた。
(ここオーストラリアにも多くのユダヤ人コミュニティがあり、2026年のオーストラリア・シドニーのボンダイビーチでハヌカ祭を祝っていたユダヤ人が襲撃され多数の死傷者が出たとの報道がなされた。)

アクティビティの行われる<洋上プラットホーム>
<水中アクティビティ / シュノーケリング>
バリアーリーフの熱帯魚、トロピカーナとの対面は長年の夢であった。
その夢成就を願ってプレゼントしてくれた息子からの最新のウオータープルーフ・デジカメ<Vivitarを使用して、念願の熱帯魚の接写に挑戦した。

使用した水中カメラー<Vivitar:Vivicam6200w>
Water Proof
6.0MEGA PIXELS、 2.0“LCD MONITOR, ④XDIGITALZOOM

ライフセーバー<救助員>のシリンダー(圧縮空気)を背負っての水中巡回
<初挑戦 ー 水中カメラで撮った熱帯魚たち>



全員セフティジャケット着用の上のシュノーケリング

船上ランチ バリアリーフの洋上に翻るオーストラリア国旗
バリアーリーフのサンゴ礁の水深は浅いので、全員ライフジャケット着用でのシュノーケリング
もちろん北風の強風による荒波から身を守るためでもある。

シュノーケリング・アクティビティ・プラットホーム
シュノーケリング完全武装
《ケアンズの 波に翻弄 シュノーケリング 熱帯魚追う サンゴ礁かな》實久
ーけあんずの なみにほんろう しゅのーけりんぐ ねったいぎょおう さんごしょかなー
《神秘なる トロピカーナ 追い求め グレイトバリア リーフ覗きおり》實久
ーしんぴなる とろぴかーな おいもとめ ぐりとばりあ りーふのぞきおり―

グレイト・バリアフリーの美しい夕暮れを見ながら帰途に就く
名残り惜しいグレイト・バリアフリーを後にして、さわやかな夕風に吹かれながら双胴船<Reef King>号はケアンズ港に戻った。
▼ケアンズ2日目宿泊先 <Blue View-Backpackers>連泊
■2月4日 <ケアンズ3日目>
<ケアンズ散策>
雨の中、ケアンズの街を散策。
世界に散らばる英国が支配していたインドやケニア等で見られる英国風植民地都市計画、道幅は驚くほど広く、信号のある交差点の代わりにロータリー、その周りにユニオンジャックと南十字星を配したオーストラリア国旗と・・・英連邦であることを気づかされる。
散策は、白い家が目立ち、どことなくガランとした大陸的空間を感じる英国植民地の都市計画に準じた、規格化された町並みが続く。
山脈が海岸近くまで迫っている島国である日本の景色とは全く異なり、遠くの山並みが、町並みを低く溶かし込んでいる風景は、ここオーストラリアが大陸であることを示している。

南国の街 ケアンズ
途中、旅行会社に立ち寄り、<アデレード➡パース>間の長距離列車の情報と、タスマニア島の宿泊・観光情報を仕入れた。
チケット購入のため、午後4時半ごろケアンズ駅に出向いたが、すでに営業終了という、大陸的な時間感覚に唖然とした。 ここはオーストラリア大陸であることを肝に銘じたのである。
<Freemason/フリーメイソン>
ケアンズの散策で、気になった建物に出会った。
<Freemason Council in Cains>、フリーメイソン・ケアンズ支部が、物語の中ではなく、この目の前に堂々と看板を掲げ、実在していたことに驚いたのである。
ノンフィクションの書籍で、読み知っていたが、これほど明さまに存在表示をしているのに出会ったのは初めてである。
フリーメイソンには「自由、平等、友愛、寛容、人道」の5つの基本理念があり、団体としての秘性が高く、その内部を覗くには至難の業といわれる結束を示してきた。 フリーメイソンリーから派生した団体として、ロータリークラブ(創始者:ポール・ハリス 米国人)や、ライオンズクラブ(創始者:メルビン・ジョーンズ 米国人)があり、ボーイスカウト(創始者:ロバート・ベーデン- パウエル卿 英国人)も数えられる時があるようである。 これらの団体は、フリーメイソンリーによって組織されたという。
フリーメイソンリーとは「全人類の兄弟愛という理想の実現」「文明というものがもつ真正で最高の理想実現」等を目的にする友愛団体のことである。

フリーメイソン・コイン フリーメイソン国旗・紋章

ケアンズ・フリーメイソンズ・センター
<コウモリの大群>
ユースホステルに戻る夕刻、空が暗くなるような小鳥たちの群舞に驚いたものである。 後で分かったことだが、この大群は小鳥ではなく蝙蝠だと知って、これまた驚きの連続である。
最初、カラスだろうと思っていたが、よく見ると羽をもったネズミではないか・・・ 両足をしっかり後ろに出して水平飛行、急降下を繰り返す自由自在な飛行にはすっかり鳥であると思った。
コウモリは、オーストラリア原産の森の樹々の種や花粉を広めることによって、オーストラリアのエコシステム上重要な役割を果たしているようである。ケアンズには、コウモリの好物であるマンゴの樹が多く、その個体数も多いという。

空を埋め尽くす 蝙蝠の大群
雨季のケアンズ、しとしと降る雨だと思っていると、急にバケツをひっくり返したような土砂降り、と思ったらカラッと晴れる、降り方にはリズムがあって面白い。 人々も慌てず、傘もささず雨を楽しんでいるようである。
雨のおかげでケアンズの街の緑が鮮やかで、美しいのである。
《リズムなる 雨脚たたく ケアンズの カジュマロの樹に 夏影深し》實久
ーりずむなる あまあしたたく けあんずの かじゅまろのきに なつかげふかし―
<ケアンズ/Cains➡タウンズビル/Townsville>移動
だが、この雨は南へ向かう予定を狂わせるほどの被害を南部で起こしていた。
ケアンズから、タウンズビルへ向かう約350kmのすべての交通機関がストップしてしまったのである。
結局、残念ながら陸路での完全一周は途切れるが、旅程もあること、復旧を待つ時間はないのでカンタス航空/Qantas Airways#QF2307により空路<ケアンズ➡タウンズビル>へ飛ぶこととした。
バックパッカーの旅には、スケジュール通りに行かない予定変更というスリルと困難が伴い、その場をいかに切り抜けるかという決断が、そして冒険が要求されるから愉快である。
ここに人生と同じく、旅にもスリルと面白さがあるのである。
この<オーストラリア大陸一周の旅>の旅立ちの街ケアンズでの予定変更は、かつて経験したことのないことに、いささかショックでもあった。

ランチのラーメンスープ
<憧れのプロペラ機>
Qantas QF-2307便は、今は懐かしいプロペラ機、それも10人乗り、双発ターボー<セスナ>である。
これまでに2度乗った懐かしいプロペラ機種である。
最初は、ネパールでダージリンよりの帰途、カトマンズまで乗った機種であり、二度目はアフリカ・ジンバブエ<ハラーレ➡ビクトリア湖>便であったから、そのプロペラ機の再会を喜んだものである。
ジェット機の世の中で、プロペラ機はノスタルジーをかきる少年時代のヒーローであった。
ターボプロペラ機は、轟音を轟かせ、室内のエアコンと交わって、ジェット旅客機とは一味異なる味わいを演出してくれるのである。
窓からは、道路を寸断させた雨雲がどす黒く渦巻き、空路でさえ危険な状態を見せている。眼下には、グレイト・バリア・リーフが色鮮やかな海底を浮き上がらせていた。
海水の色が、緑の七色に映える様は、世界一のサンゴ礁として世界遺産に認定された所以であろうか、実に美しい海の色である。

双発ターボー<DASH8-400型> (ケアンズ➡タウンズビル)

ジンバブエ・ハラレよりビクトリア・フォールに向かうプロペラ双発ターボー<DASH8-400型>
■2月5日 <タウンズビル> 水害による待機
陸路による<オーストラリア大陸一周>を目指しての第一歩が、空路に変更とは、この先が思いやられるというものである。 それもまた、荒天によるためであるから悔しさがにじむ。
このほかにも、南北アメリカ一周の旅でも同じ挫折感を味わっている。
南米から、中米へ向かう際もカヤックによるパナマ地峡のジャングル通過が、荒天による危険性から断念させられ、空路<コロンビア ➡ パナマ>へ飛んだ苦い経験が想いだされた。
旅も人生と同じく、戦争や、疫病、天災、事故などにより、いついかなる時に、旅の方法・目的先を転換しなければならないのである。 落ち着いて対処することが求められる。
日本という島国から、オーストラリアという大陸に来てみて感じるのは、そのだだっ広さだろうか。何処か気の抜けたようなゆったりと流れる時間であろうか、とにかく大陸的広大さに飲み込まれている自分がいることに気づいた。
Townsille/タウンズビルまで行けば、バスが動いているかもしれないと、先を急いで来てみたが、「水害により道路はいつ回復するかわからない」という、覚悟はしていたが、ここタウンズビルで完全な足止めを食らうこととなってしまった。
まだ本格的にオーストラリア大陸一周への旅立ちもできていないというのだから、先のスケジュールは立たず、時間的にオーストラリア大陸一周は難しい事態に陥ってしまった。
バックパッカーにとっては、セオリー通りなのかもしれないと思えば、じたばたせずこの大陸国のノンビリイズムに巻かれるのも人生の教訓と受け止め、与えられた時間を大切に使うことにした。
<旅が人を育てる>
タウンズビルでの<次なる展開>への希望は断たれ、宿泊先<Globetrott Backpackers Hostel>には、身動き出来なくなった各国からの多くのバックパッカーと共に籠城することになってしまった。
ドーム同室者は、イギリス人3名・ベルギー人1・日本人1の計5名である。 若者の生態観察といっても、日本の若者と同じく、働いてはその金で世界を放浪する彼らは、自分に適する職があれば世界どこであろうとも、現地にとどまり働き、貯金しては、また次へと歩く姿は、バックパッカー的<渡り鳥>といっていいだろう。
ドイツ発祥のワンダーフォーゲル<渡り鳥>運動にも似ているが、バックパッカーには現代のニーズを採り入れたそれなりの時代性が見て取れるのである。
バックパッカーとワンダーフォーゲルとの違いを、災害による通行止めという待ち時間を利用し、ここバックパッカーズ・ホステルで、今少し考察しておきたいと思う。
<旅スタイルとしてのバックパッカー>
ムーブメント(運動)としてのワンダーフォーゲルとの違いに触れておきたい。
現代のバックパッカーと、ドイツ発祥の青年運動<ワンダーフォーゲル>は、一見似ているようで、成り立ち・目的・価値観に明確な違いがある。 それぞれの特徴を比較しながら、分かりやすく整理してみた。
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旅スタイル
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ワンダーフォーゲル
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現代のバックパッカー
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成立
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1901年ドイツの青年文化運動
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1960年代以降の個人旅行文化
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目的
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自然回帰・精神修養・仲間との連帯
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自由な個人旅行・冒険・自己探求
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旅のスタイル
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徒歩・キャンプ・グループ行動
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個人行動が中心(交通手段も多様)
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世界観
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素朴・節制・ロマン主義的
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実用的・多様・現代的
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技術との関係
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近代文明への批判的態度
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デジタル技術を積極活用
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文化的側面
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民謡、文学、焚火文化
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SNS、国際交流、都市観光も可
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まとめていえば・・・
ワンダーフォーゲルは、自然回帰・仲間・精神性 を重んじるドイツの青年運動(ムーブメント)であり、現代のバックパッカーは、個人の自由・多様性・国境を越えた冒険 が中心の旅行スタイルであるといえる。
じたばたしても始まらないと覚悟、ただただ脱出ルートを探ることにした。
▼2/5 タウンズビルでの宿泊先 <Globetrotters Backpackers Hostel>

Globetrotters Backpackers Hostel
■2月6~8日 <タウンズビル/Townsville> (水害による待機)
<God bless you、Chris!>
同室のベルギー青年クリス、今朝早く旅立っていった。
荷物の少ないこと、小さなサブザック一つで身軽である。 多分着替えや食料は持参していないのであろう。
身軽に旅をする、バックパッカーとしての私のモットーだが、長期の旅となると、健康のことを考え、着替えや薬、緊急食や水を背負って歩くことになる。
今朝は、早くから目が覚め、ベルギー青年クリスの行動を知らずのうちに観察していた。放浪する若者たちの旅立ちの姿をである。
山小屋の出立の時のように、サブザックの中をチェックし、ベッドの下を覗き、トイレの中をチェック、ポケットに手をやり、ベッドカバーを元に戻し・・・と、若者としては見直したものである。
若いクリス君は、海外に出るとこれだけの細心の注意とマナーがなければ、旅は続けられないことを知っているのだろう、どこか若者に対する尊敬の念というか、バックパッカーとしての連帯感が生まれ、好印象を持った。
たいていの若いバックパッカーは、自由奔放、退出時のベッドの周りの乱雑さには、いつもその礼儀なさに心を痛めていたからである。
旅の日常を見ていると、無秩序で行き当たりばったりに見えるが、押さえるところは押さえ、マナーはマナーとして守っている姿勢や、別れに交わした、固く熱い握手などは、一人の青年の情熱が伝わり来て、頼もしくも紳士としての範を見た思いで、愛おしい同志に出会った観に駆られたものである。
<タウンズビル散策―先住民アボリジーニの人たち>
散策を兼ねて、グレイハウンドのバスターミナルに立ち寄り長距離バスの運行状況を確かめるが、豪雨による道路寸断は早期に解決できそうもなく、予定は立っていないとのこと。
ネットで航空会社を当たるが、みな満席だという。
一抹の不安を抱えながらも、街の様子を見て歩いた。
多分、先住民族であるアボリジーニの人たちであろうか、道路のあちこちに寝転がっており、一見してホームレスと思われる人々が多く目につくのである。
一様に太った人が多く、職もなく、虚ろな目でこの東洋人に物乞いをしている様は、哀れというよりも、みじめな姿である。
戦後まもなく日本にも浮浪者が、金を恵んでくれと手を差し伸べていた光景を、この現代において目の当たりにして、いささかショックを受けた。
オーストラリアへ出国前に読み漁った資料集のあの華やかなオーストラリア大陸の夢ある紹介の裏を、現実に目の当たりにしてオーストラリア政府による先住民族アボリジニに対する、働く意欲をそぐ現金バラマキ政策を見る思いで、悲しい思いにさせられた。
オーストラリアでは、先住民アボリジニを、尊称《フアースト・ピープル アボリジニ》と呼んでいることをあとで知った。
<タウンズビルー街の形>
英国植民地の典型的な都市計画に基づく道路幅の大きいこと、横断するだけでも大変である。特に、海岸沿いの道路は大きく造られ、その遊歩道の素晴らしいことに目を見張った。これらの道を維持できるのだから富める国なのであろう。
日本の23倍という広大な国土、その広々とした空間は、歩いていて寂しささえ感じる。あまりにも人が少なく、ビジネスが成り立つのであろうかと。
ただ、観光資源開発は、ものすごい勢いで進んでおり、観光誘致も成功し、雇用も生み出しているようだ。
<タウンズビル脱出計画>
豪雨による道路寸断の復旧が見られず、陸路南下を目指すこちらも、グレイハウンド・バスが動かずお手上げである。 このシーズンは雨季であり、雨の多いことは予定済みであるが、このままでは道路復旧までここタウンズビルに足止めになる恐れがある。
バックパッカーの旅には、つきものの旅程変更がかくも早く訪れるとは驚きであるが、またまたジェットスターによる空路<タウンズビル➡シドニ>への脱出を検討することにした。
結局、オーストラリア大陸バス南下は、机上の空論に終わり、空路南下となりそうである。
旅の最初から、大幅なスケジュール変更は、広大なオーストラリア大陸の気候の変化による不可抗力の出来事であると考えを切り替え、脱出に全精力を出し切ることにした。
今までの<星の巡礼の旅>では出会わなかったハプニングである。
《雨や雨 降りて止むなし ああ無情 今朝も恨めし 大陸の朝》 實久
ーあめやあめ うりてやむなし ああむじょう けさもうらめし たいりくのあさ―
最後の最後まで諦めきれずに、空路でひとっ飛びするのが悔しくて、再度グレイハウンド・バスターミナルに立ち寄り、道路の回復状況を確認し、バス運行の再開を尋ねてみた。
意外と水害による被害が甚大で、バス会社としても運行開始のめどが立たないとのことである。
ブリスベンをとばし、シドニまで空路で向かうことに最終的に決めた。実に悔しい、豪雨のため陸路南下ができず、3日も待機したことにである。陸路がふさがれている限り、列車客も、バス客もみな空路に殺到したのだから、納得はしているのだが・・・。
ベルギー青年クリスの初日に空路で次の目的地へ向かったのは、賢明な判断であったことに気づかされた。
どうにか、次の航空チケットを取ることができた。
2/9 Jetstar Airways #JQ913便
<Townsville 09:20発 ➡ 12:55着 Sydney>
Sydney International Airport着
限られた日程、それも旅の途中での天候不良による3日間の停滞は、それこそ悶々とした時間を過ごすこととなった。
タウンズビル3日目の今日も、大雨である。

雨の状態を調べにタウンズビル港に立ち寄る
滝のような豪雨が何日も続くものだとただ感心しきりである。 そのとどまるところ知らない大雨に恐ろしささえ感じる。 日本の梅雨など可愛らしいものである。
ただただ、ホステルにこもって、この夏登山予定の剣岳、持参の新田次郎著<剣岳点の記>を繰り返し読みふけった。
山男の辛さ、山の天気の変わり方、吹雪への対処の仕方ほか山登りの技術を吸収させてもらった。 立山・剣岳付近の地図も書き上げ、そのルートをいろいろ探った。 この夏の剣岳登山が一層楽しいものになりそうである。

雨の中、タウンズビル散策

雨の中、シーカヤックを楽しむ住民


タウンズビルの花達
<南京虫 / シラミ君との出会い>
インドネシアや、バングラデッシュ方面を旅した時に必ず出会った、人の生血を吸うあの南京虫にここ文明国オーストラリアでも出会って、愕然とした。 赤茶けた姿を、ナップザックの上を這いまわっている姿に出会ったからである。
幼少時代、日本の敗戦で、朝鮮半島より帰還船で日本へ上陸した際、上陸地・下関港でのノミやシラミを除去するため頭から真っ白な粉・DDT/殺虫剤を浴びた経験をしている。それだけに、南京虫・ノミやシラミに対してはナーバスなのである。
南京虫が人の生血を吸って膨れ上がり、つぶした時のパッチっと言って噴き出す血のすさまじさをいまだ記憶に残している。
▼2/8 <Globertrotters Backpackers Hostel> 連泊
121 Flinders St. East Townsville 4810 Free:1800-008-533

■2月9~11日 シドニ滞在
2/9 空路<タウンズビル/Townsville➡シドニ/Sydney>移動
予期しない豪雨による道路寸断により、タウンズビルに3日間囚われて待ちに待った朝である。
6時に起床し、最後のパッキング。
手配のタクシーに揺られ、運転手の身内話を聞きながら、タウンズビル空港に向かう。
彼は、1999年ごろ静岡に住んでおり、ある大手自動車メーカーの社長令嬢と結婚し、一人娘を設けて8年間の結婚生活に終止符を打って、母国オーストラリアに戻って、ドライバーをしているとおおらかに語ってくれた。
その娘が18歳になり、今年のミス・ジャパンに出場する予定だと嬉しそうに語り聞かせてくれた。<名前は、シェリー・UNOというんだ・・・>と。
Jrtsta#JR913便を待つ間、搭乗口のそばにある子供用飛行機玩具に興味をもってスケッチを始めた。昔懐かしい幼児用三輪乗り物、足でペタルを踏むと進んだり、バックしたりと夢中で遊んだ、あの乗り物である。

タウンズビル空港の遊具
<上空から洪水の酷さを見る>
大陸一周を目指してオーストラリアに入って、ケインズでのスキューバダイビングの1日以外、降り続いた大雨は、今日まで10日ほど降り続いている。
オーストラリア大陸北東部を襲った豪雨は、道路を寸断し陸上交通の麻痺・遮断という最悪の状態を作り出していた。
上空より地上を観察してみると、大陸をおおうその濁った水面の広がりが見え、その下に川や道路が水没し、蛇行する曲線が見て取れる異様な光景である。

旅を阻んでいる水害に見舞われた大地の惨状
脱出中の ジェットスター航空機上より
■2月10日 <シドニ到着> 小雨後晴れ
12:55 Jetstar #JQ931便は定刻通りシドニ空港に到着した。
まずは、今夜お世話になる<Sydney Central Youth Hostel / シドニ・セントラル・ユースホステル>にシャトルバスで向かう。
さすがに世界一だとの評判のユースホステルだけあって、世界各国からのホステラーであふれかえっていた。設備も、キッチンも整っており、快適なシドニ滞在になりそうである。
陸路でのオーストラリア大陸一周の計画は、天災によりすでに断たれたが、先へ進むのがバックパッカーの真骨頂である。 街の旅行社に飛び込みグレイハウンドの《バス・パス/ Bus Pass》で<Sydney/シドニ➡Melbourne/メルボルン>間を予約した。
シドニ滞在中の<半日ブルーマウンテン・ツアー>も予約することにした。
《予約》 Greyhound Bus <2/12 15:00発 Sydney ➡ 2/13 06:15着 Melbourne>
ユースホステルに戻り、夕食の支度である。 モダンなキッチンでの自炊料理は、ハーブ入り肉太のソーセージをボイルし、焼きめしに半熟の卵を添え、ヤサイサラダに赤ワインと豪勢である。
オーストラリア到着以来、初日のグレイト・バリア・リーフでのシュノーケリングを除いて、豪雨による道路水没という天災に見舞われ、飛行機での脱出を祝っての晩餐である。
▼2/10~11 <Sydney Central Youth Hostel> 連泊
11 Rawson Place, Haymarket, NSW, 2000

Sydney Central Youth Hostel ロビー
■2月11日 シドニ散策 2日目
今日は久しぶりに、天災の洪水や山火事を気にせずに一日ゆっくりと散策を楽しむ時間を持った。
ここシドニは、Queen Victoria Bulding や Sydney Town Hall に見られるように、本当にオーストラリアなのだろうかと目を見張る光景である。 まるでロンドンの街である。
今朝は、Darling Hurst ストリートを南北に歩きながら、英国風のどっしりとしたダーリンハースト裁判所、ナショナル・アートスクール、シドニ・ユダヤ人博物館を経て、エリザベス・ベイハウスを巡った。
シドニは、イギリスで見られる都市の風景そのものである。
英国人は、世界制覇・植民地経営にあたって世界中に英国のデプリカを造ったといっていい。 都市計画から、インフラに至るまで、道路の形状から始まり、交通標識までそっくりそのまま持ち込んだといっていい。
ケニアのナイロビも、インドのカルカッタでも、ニュージランドはもちろん英国の植民地はみなイギリス人のノスタルジーを反映している。
まるで日本の植民地のシンボルであった南方諸島や満州などで見られた鳥居によってアイデンディティを示しているようにである。
Darling Hurst のこの辺りは、ロンドンで有名な娯楽街キングス・クロス/Kings Crossと言っていいのだろうか、ショーガールや男色系映画館が立ち並ぶシドニーの夜の街、下町である。
帰路は、ロイヤル・ボタニカルガーデンや、セントメリーズ大聖堂、オーストラリア博物館に立ち寄ってのユースホステル帰着、12㎞のウオーキングを楽しんだ。

Queen Victoria Bulding Sydney Town Hall

Sydney Central Station

シドニ―ウオーキング地図
ユースホステルでは、世界フットボール・リーグ戦、日本対オーストラリア戦を前に、どちらが勝つかの論戦中で、賑やかである。
▼2/11 <Sydney Central YH >連泊
11 Rawson Place, Haymarket, NSW, 2000

タウンズビル脱出を祝う豪華な夕食
<ユースホステルは、バックパッカーの情報交換所>
ユースホステルは、世界中からバックパッカーが集まり、友情をあたため、情報交換の場でもある。
シドニ・セントラルYHの同室<Room#413>に中太りのドイツ野郎デイブがいた。これからニュージランドに向かうという。
エアーズロック3泊4日のツアーを紹介しつつ、虫よけネットの携行を勧められる。 ほか、カトト公園ツアーや、アドレードへの<オーシャンコースト・ツアー>の情報をえる。
また同室のワーキングホリデーでメルボルンに滞在中のドイツ青年は、働きながら得たお金でダイビングを楽しんでおり、あと半年は滞在するという。 その彼から、チェスの三番勝負を挑まれる。 チェスにはこだわっていたので、果敢に挑んでいったが完敗、楽しい時間を過ごした。
■2月12日 シドニ滞在3日目
オーストラリア大陸の旅を始めて10日が過ぎたが、洪水や山火事などの自然災害のためと、白人の営みの中に没してしまい、いまだオーストラリアの真の姿に接していないような漠然とした旅の中にいる。
これが、先住民アボリジニの世界であれば、オーストラリア大陸の風景や生活にひたれ、理解も早かったであろうに、すこし残念である。
白人による白人の文明・文化である限り、世界どこを旅しようと一つのパターンに陥ってしまうということである。
やはり、先住民アボリジニの原点、タスマニア島をまず訪れるべきであるという結論に達した。
たぶんタスマニア島も白人化しているであろうが、せめてオーストラリア大陸の縮図タスマニアに行けばという希望が湧いてきたのである。
その前に、オーストラリア大陸の5万年前の自然に接してみたいと、ツアーに申し込んだ。
■《半日ブルーマウンテン・ツアー》参加 59$AU
シドニ近郊の世界自然遺産ブルーマウンテンズ国立公園ツアーに参加した。
世界中からの旅行客を魅了する大人気観光スポットである。
エコーポイントで奇岩<スリーシスターズ>を見学。 シーニックワールドでは世界一急勾配の
トロッコ登山電車や、ケーブルウェイやスカイウェイから息を呑む素晴らしい景色を堪能した。
《半日ブルーマウンテン・ツアー》
07:30~ YH出迎え
09:15-9:45 キングス・テーブルランド
10:00-11:15 シーニックワールド訪問(乗り物は各自現地払い)
11:30-12:00 エコーポイント
12:15-13:00 ルーラの街を散策
14:45 オペラハウスにて解散
<キングステーブル>
なかでも展望台<キングステーブル>から眺める景色は、まさに天空のステージである。
壮大な大自然を一望するその光景は、アメリカ・グランドキャニオンの光景に劣らない絶景である。
ブルーマウンテンズの雄大な断崖絶壁は、柵がないので、間近で遮られることなく眺めることができるが、この日は少し霧がかかり、足場も濡れ危険さえ感じたものである。
絶壁の端に立ち、晴れ間から見る迫力はまさに圧巻で、息をのむような開放感と絶景が待っていた。


展望台<キングス・テーブルランド>からの風景
<スリーシスターズ物語>
2つの部族間の争いで、A部族の青年たちが、B部族の三姉妹と恋に落ちるが、部族間のしきたりで、結婚は同じ部族のみと決められており、この恋の物語が発端で両部族間の戦いに発展。
三姉妹の部族の祭司は、他部族から守るため、一時的に三姉妹を岩峰に変身させ、戦いが終わったとき、元の姿に戻すとの決まりがあったが、その祭司が戦死してしまい現在まで三姉妹は岩峰から戻すことが出来ていないという、悲しい物語である。

ブルーマウンテン・スリーシスターズ
<世界一急なブルーマウンテイン登山電車>
傾斜角50~60度、真っ逆さまに谷へ下っていくように感じる恐怖の登山電車である。わずか5~6分程度だが、みな十分楽しんでいるようだ。 外の景観を楽しめるエレベータのようで、それも座る角度で景色が変化して面白い。

ブルーマウンテンのケーブルカー&ゴンドラ
<高原の街ルーラ散策>
「山の王冠に輝く宝石」との愛称を持つルーラの街は、綺麗なイギリス風の庭園を持つ落ち着いた住宅が並ぶ、おとぎの街で15分もあれば散策できる。

高原にある小さな町<ルーラ> 散策
ツアー解散後、シドニのオペラハウスを眺め、ジョージ街を散策・・・
その足で、オーストラリア固有種に出会うため動物園に向かった。

ツアー帰着の港の先に建つオペラハウス 解散後、シドニのジョージ街を散策
■《シドニ動物園 : Featherdale Wildlife Park》 (入園料20$AU)
<フェザーデール・シドニー・ワイルドライフパークで出会ったオーストラリア固有種たち>
オーストラリアには世界で最も多くの固有種が生息している。 これは、大陸が5,000万年以上にわたり他の大
陸から孤立し、独特の気候や地理的条件に適応して進化してきたためだという。
これらの固有種は、哺乳類、爬虫類、両生類、鳥類だけで約1,350種にものぼるというから驚きである。
オーストラリア固有の動物たちは、その生態や姿が非常にユニークである。 観察していて飽きない。 特徴あるいく種かを紹介しておきたい。
<コアラ>: ユーカリの葉を主に食べ、1日の約20時間を寝て過ごす。
先住民アボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味を持つ名前の通り、ほとんど水を飲まない。
<カモノハシ>: 哺乳類でありながら卵を産む単孔類で、アヒルのようなくちばしや水かきのある足が
特徴である。 くちばしには鋭敏な神経が通っており、獲物の生体電流を感じて捕食する。

コアラ カモノハシ
<ハリモグラ>: カモノハシと同じく卵を産む単孔類で、硬い針に覆われた背中が特徴。
危険を感じると針ボールのように丸くなる。
<カンガルー>: 大きな後肢と小さな前肢、強力な尻尾を持つ有袋類で、ワラビーやワラルーといった様々な
種類が存在する。 生まれたばかりの子どもは「ジョーイ」と呼ばれ、母親の育児嚢で育つ。

ハリモグラ カンガルー
<エミュー>: ダチョウに次いで2番目に大きな鳥で、飛べないが時速50kmで走ることができる。 繁殖期には
オスが卵を温め、ヒナの世話をする。
<タスマニアデビル>: タスマニア島固有の肉食有袋類で、強力な顎と大きな唸り声が特徴である。かつては
オーストラリア本土にも生息していたが、現在はタスマニア州のみに生息している。

エミュー タスマニアデビル
動物園を後にして、次なる目的地<タスマニア島/Tasmania Is.>への乗船手配に旅行社に立ち寄った。
<メルボルン ➡ タスマニア島> 予約確定
2/14 TT Line<Spirits of Tasmania> 号 (バックパッカー割引:190$AU)
<乗船>メルボルン郊外<Port Melbourne-Station Pier>
<往路>メルボルン/Melbourne 2/15-21:00発 ➡ 2/16-07:00着 デボンポートDevonport
<復路>デボンポート2/19-21:00発 ➡ 2/20-07:00着 メルボルン
▼2/12 シドニ泊 <Sydney Central YH >連泊
11 Rawson Place, Haymarket, NSW, 2000
■2月13日 <シドニ ➡ メルボルン 移動>
インスタント味噌汁にコーンフレークを混ぜて朝食とし、チェックアウトまでの散策に出かけた。
George St. / ジョージ・ストリートを下って、ビクトリア・パークまでを往復、
途中、セント・メリーズ大聖堂で、亡き人の命日、感謝の祈りを捧げる。

礼拝後、セント・メリーズ大聖堂を背に

重厚なクイーンズ・ビクトリア・ビルディング シドニータワー

ニューサウスウエールズ 州立美術館
この旅で味わった自然災害による旅の中断、そのブリスベン付近の山火事による被災者の様子や消火活動を新聞や、テレビは伝えていた。
「今こそ、オーストラリア魂をもって、お互いを救おう」と、見出しを付けている。
ほか、ニュースとしては日本の50年ぶりのリセッション(景気後退)により、オーストラリアの輸出先第一の日本のこと、輸出量が大幅に減る懸念を伝えていた。
午前10時に、カードキーとシーツを返却し、シドニ・ユースホステルを後にする。
メルボルンに向かうグレイハウンド・バスは途中、首都であるキャンベラに夕刻立ち寄り休憩、提供されたサンドイッチとオレンジジュースで軽食を取る。
少し歩いてみたが、すでにオフィスは締まり、多くの人々は家路につき、官庁街は静けさの中にあった。
▼2/13 グレイハウンドバス(車中泊)

オーストラリア大陸を網羅するグレイハウンドバス
■2月14日 メルボルン散策
朝6時、定刻通りメルボルン・サザンクロス駅にあるトランジット・センターにグレイハウンド・バスは滑り込んだ。
バスでは、関西外大出の、材木商社員Y氏と隣席、シャープ時代のブラジル駐在員として市場調査をやっていた時代の想い出に花を咲かせ、世界の隅々まで歩き回る商社員の逞しい話に耳を傾けた。
メルボルン・サザンクロス・コーチ・ステーションでY氏と別れ、今夜お世話になる<Oasis YH>に向かう。 ニューススタンドでチケットカード<2時間用>を購入し、バス乗車時にパンチ器に差し入れて、時間が開始される。 2時間以内ならばいくらでも乗れるという、珍しいチケットである。 Trum#57に乗車、Chanber St.で下車、<Oasis YH>に午前7時半にチックインした。
部屋にはいれるのは12時30分とのこと、その間、朝食としてアップルティーにピーナツ、残りのレーズンパンを口に放り込む。
テレビでは、旅の道中で出会った森林火災のあったビクトリア州の大火の悲惨な状況が映りだされ、被災者の悲しみが少しでも癒されることを祈った。
自分も旅行者としてこの災害に見舞われただけに、こうして旅を続けられていることに感謝したものである。

オーストラリア大陸の乾燥による自然火災を報じた新聞報道より
ここ、メルボルンの<Oasis Youth Hostel>では、香港の陳夫妻と出会った。娘さんが、メルボルン大学に留学中で、訪問を兼ねての旅行とのこと。
中国へ返還される前の1990年代の官吏・公務員で、日本語・英語も流暢、20回ほど訪日もあり親日家でもある。 もうすでにリタイア―しており、お互い人生を深めていこうと、老後の計画を語りながら朝食のテーブルを囲んだ。
人には、それぞれの人生があり、物語があり、涙あり笑いありである。
こうして世界各地から集まる旅人が、おのれの育った環境や、夢を語り合える場所がユースホステルである。 意外と青少年に交じって、老人組・リタイア組がユースホステルを上手に、まるで我が家の別荘のように利用しているのが嬉しい。
そのうえ、ユースホステルは、宗教や信条の異なるもの同志が、国境を越えて語り合える場所でもある。
《ユースホステルについて》
我が国でのユースホステルの歴史は、西欧に遅れること半世紀、今から65年ほど前1960年頃、私たちが大学生時代だったと記憶する。
当時、京都府庁の提唱で、京都宇多野に最初のユースホステルを計画し、その後押しで京都にある各大学に<ユースホステル・クラブ>設立を呼び掛けていた。
当時、同志社に入学したばかりのわたしも同志社YHクラブ発足に、ボーイスカウト関係者として関与し、クラブを立ち上げるための指導者資格を取るために第一回日本ユースホステル指導者養成講習会を富士山麓の国立<国立中央青少年の家>で修了したことを覚えている。 その時の懐かしい集合写真がある。

初期ユースホステル指導者講習会
1960.6.6~10 於・国立中央青年の家

1960.5 同志社大学ユースホステル同好会発足ハイキング
於・防村・明王谷
ユースホステル創設者リヒャルト・シルマン(ドイツ)の教育思想に基づいて、1912年に、アルテナ城に最初のユースホステルが開設された。
その後、ユースホステル運動は世界中に広まり、現在では世界80カ国に5,500を超えるユースホステルが存在している。
シルマンの三大教育思想は、<自然との触れ合い>・<共同生活と社会性>・<自律と責任>にある。 しかし、日本では相部屋を嫌い、安価なビジネスホテルに若者を奪われ衰退の一途をたどっている現状である。 やはり日本も、若者の健全な育成を、国家建設の一大柱に掲げる必要があるといえる。
《アボリジニ博物館》<ABORIGINAI STATION-Coranderrk>
<先住民アボリジニ考>
香港の陳夫妻と別れ、ロッカーに荷物を預けて、近くのグロッセリーに立ち寄って、タスマニア島への船旅の携行食やリンゴ、バナナを購入、その足で近くのアボリジニ博物館<ABORIGINAI STATION-Coranderrk>を鑑賞した。
オーストラリア先住民である<アボリジニ>は、土着の土人で、白人から一番遠き存在ではないかと思われる。 また、その人口の減少も進み、ほとんど見かける状態ではない。
すでに1863年、メルボルン北郊外にアボリジニ保護区が作られ、近辺のアボリジニを強制移住させ、収容隔離していった歴史がある。
人種隔離・融合政策は、いつの時代でも圧制者が都合のいいように管理し、少数民族を同化してきたし、いまなお飽きることなくその強制政策を推し進めている国があるのだから、歴史はまた、力あるものが創り上げていくところに人類の悲劇が重ねられてきたといっていい。
<植民地化と差別>
オーストラリア連邦が1901年に独立した際、憲法ではアボリジニの権利は認められず、保護の対象としてのみ扱われた。 アボリジニは土地を奪われ、労働力として酷使されるとともに、ヨーロッパからの伝染病によって人口が激減していった。
政府は「白豪主義」を掲げ、白人優位の社会を守る一方で、アボリジニに対しては同化政策を進めた。

<強制的な同化政策と「盗まれた世代」>
1950年代から1960年代にかけて、オーストラリア政府はアボリジニの子供たちを親から強制的に引き離し、白人の施設で養育する「親子強制隔離政策」を推進した。 これはアボリジニの伝統文化を奪い、白人文化を強制して「文明化」することを目的とした同化政策の一環であった。
この政策によって親元から隔離された子供たちは<盗まれた世代>と呼ばれ、その多くは性的、肉体的、精神的な虐待を受けた。
2008年になってオーストラリア政府が初めて公式に謝罪している。
しかし、強制的引き離しがアボリジニ社会にもたらした精神衛生上、社会生活上の問題は、現在も深刻な社会病理現象として残っているといわれる。

<先住民アボリジニの同化政策の現況>
1950年までに、類似の方針や法律が他の州や地域によって採用された。 これにより、アボリジニの子供たちは両親から隔離され、16歳か21歳になるまでアボリジニ保護官によって様々な保護的行為が広範囲にわたり行われるようになったことは先にも述べたが、その目的は混血の人々をオーストラリア社会に文化的に同化させるためだった。
しかし、過去の同化政策や強制的な子供の隔離などが実施されたことへの反省から、近年では文化的な権利の尊重や遺骨の返還など、和解と支援の方向へと進んでいるようである。

▼2/14 Oasis Youth Hostel

■2月15日 <メルボルン ➡ タスマニア島へ移動>
今日は、先住民アボリジニの原点と思われる<タスマニア島>へ渡る日である。
夜9時に、メルボルン港より出航する<Sprits of Tasumania号>に乗船する。
昨日は、シドニからのグレイハンド(長距離バス)での移動で体が硬くなったために、体をほぐすために短いメルボルン滞在であったが、よく歩いた。
近くの<アボリジニ博物館>を訪問をはじめ、<YH~中心街>を往復する距離12㎞をウオーキング。
その後、メルボルン博物館で、人間の身体上、メンタル面での解剖学的展示に、神様の偉大なる業を見た。
一人の人間が出来上がるまでの細胞増殖、また臓器の成り立ちや役割などに、自分の中の生態を見せつけられた驚きと、神様への畏敬の念に圧倒された一日であった。
人間とは傲慢なもので、まるで己のすべてを知ったような錯覚に落ちて、実は全く何も理解しておらず、ただ存在にすがって生きているということを悟らされ、ちっぽけな己であることを知らされたといっていい。
日常から離れた旅とは、かくなる人間としての己を観察する場、いや気づかされる場でもある。

メルボルン散策マップ
今夜は、タスマニア島行フェリーで船中泊である。 船中での携帯食を購入し、YHに戻る。
チャイニーズ・グロッセリーに立ち寄り、4食分の食材(11$)を仕入れた。
(チンゲン菜・コンビーフ・インスタントラーメン3・ビスケット・バナナ3・リンゴ)
この後は、ユースホステルで日光浴をしながら<藤沢周平著 ・蝉しぐれ>を読書、体を休めた。
2/15 TT Line<Spirits of Tasmania>号 (バックパッカー割引:190$AU)
<乗船>メルボルン郊外<Port Melbourne-Station Pier>
<往路>メルボルン/Melbourne 2/15-21:00発 ➡ 2/16-07:00着 デボンポートDevonport
<復路>デボンポート2/19-21:00発 ➡ 2/20-07:00着 メルボルン

タスマニア島・デパンポート港行フェリー <Spirit of Tasumania>号
18:00より乗船開始

暮れゆくメルボルン港 出航を待つ<Spirits of Tasmania>号
夜9時、メルボルン港埠頭より、タスマニア島行フェリー<Spirits of Tasmania>は出航した。
豪華なフェリーで、12階建に、Cabin Bar ・Restaurant ・Loungeがそろい、今迄に乗船した中で一番大型フェリーであることに驚いたものである。
出航後まもなく、暗闇の甲板に全員集合し、緊急避難訓練が実施される。避難経路はもちろん、特に警笛のシグナルを覚えろというので頭に叩き込んだ。
<Alarm Signal Sounds ・・・・・・・ー > (警戒信号)
<Evacuation Whistle ・-・-・- > (退避信号)
▼2/15 船中泊 タスマニア島行フェリー <Spirit of Tasumania>号
<Spirit of Tasumania>号の4人部屋
■2月16~18日 <タスマニア島デバンポート滞在>
フェリーは、2月16日午前6時25分、タスマニア島のデバンポート港に入った。
フェリーは、朝陽に照らされ、南国の風景の中に溶け込んでいる。
エコノミクラスの客は、リクライニングシートに縛られ、身動きが取れず寝不足なのだろう、寝不足にみな欠伸をし、目をこすって機嫌が悪そうである。
緊急避難訓練があっただけに、海峡は荒れに荒れた。

2/16-06:25着 デボンポートDevonport入港

エコノミークラスのリクライニングシート タスマニア島デバンポート上陸
タスマニア島は、南極と同じく固有種を守るために、いかなる生野菜・果物の持ち込みを禁止している。 こちらは携行食として持ち込んだバナナを検査場前で胃袋に流し込んだが、隠し持った者はゲート前で検査犬に吠えられ戸惑っていた。
真っ青に透き通った空に、真っ白な雲、タスマニアは清き聖なる島というイメージが、ケープタウンで出会った青き空、中国天池のエメラルド色の湖面、チベットの4000mの山々の天界に重なった。
デバンポートに着いた乗船客はそれぞれの迎えや、レンタカーに乗って去っていき、あとに残った数人が<Tassie Link Bus>というシャトルバスに乗ってシティ・センターに向かうことになった。 想像した観光の島というイメージが立ち消え、寂しいかぎりであった。
タスマニア島を一周するというサイクリストたちが、見送ってくれたのが唯一の慰めとなった。
タスマニア島デバンポート入港中の<Spirit of Tasumania>号

オーストラリア大陸東南端に位置するタスマニア島地図
タスマニア島滞在中お世話になるデバンポートにある<Tasman House Backpackers>に荷物を置き、予約していたツアー<Cradle Mountain Tour>に参加する。
ジャガーの中古に乗ったトムが、参加者2名のガイドとしてツアーを引率してくれた。
■《ツアー:Cradle Mountain Tour》参加
デバンポート近郊の<Don Rier Railway>乗車、
グレイドル国立公園内のDove湖一周6kmハイキング
途中 ランチボックスーハムサンド・ケーキ・アップルジュースを楽しんだ後、
グレイドル山麓の散策を楽しんだ。
Dove湖は、水が澄み渡り、湖面には岩山の姿や熱帯森林が映り込み、
まるで童話の世界である。
途中、<Don River Railway Railway Station>に立ち寄り、
昔懐かしい蒸気機関車に出会いながらの楽しいトレッキングとなった。

Cradle Mountain Tour用シャトルバス

Don Riverで出会ったサイクリスト・ボブ 観光用に改修された蒸気機関車
<Don River Railway Railway Station>

トーマス蒸気機関車 Dove湖

タスマニア<Mersey Beach>
Sketched by Sanehisa Goto

Long Finned Banner Fish
Tasmania<Mersey Beach>にて
<ストリート アート>
オーストラリアの各地で見受けられる芸術性の高い<ストリート・アート>に目を見張らされた。


<グレイドル国立公園>

グレイドル国立公園

グレイドル国立公園トレッキング・コース ガイド・トム(中) と アイルランド人ボブと
グレイドル国立公園ドーブ湖にて
ツアーを終え、自転車を借りてデパンポートの街や海辺を走らせた。

デパンポートの浜
タスマニア島

タスマニア島 デパンポート略図
▼2/16~18 タスマニア島宿泊先 <Tasman Backpackers>連泊
114 Tasman St., Devonport, Tasmania 7310

<Tasman Backpackers> 4人部屋ドーム キッチン
家族はもちろんだが、ここユースホステルでの同室の多くの仲間との出会いもまた神の業なくしてあり得ないと思う。 幸せな出会いを味わっている不思議さにである。

Tasman Backpackers
■2月17日 タスマニア島2日目 快晴
<タスマニア島縦断バス旅行>
今日は、憧れのタスマニア島を北から南へ縦断バス旅行<デバンポート/Devonport ⇔ ホバート/Hobard往復>である。 サンドイッチを作ってピクニック気分、片道300km、往復600km、8~10時間のタスマニア島縦断冒険バス旅行に出かけた。
乗客は、中国人家族4名と先住民アボリジニ母娘にわたし、それにドライバーの8名のバス<REDLINE>・・・
オーストラリア大陸の地図を思い出し、タスマニア島を思い描き、いま島を縦断しているのだと言い聞かせては、車窓からの風景にタスマニアであることを確認しては、正夢に自分を納得させたものだ。
ここは夢に見たタスマニア島なのだ・・・

タスマニア縦断路線バス<REDLINE>
<デバンポート/Devonport ⇔ ホバート/Hobard>
朝8時にデバンポートを出発したバス<REDLINE>は、4時間後の正午12時にホバートに到着した。

Launceston(Tasmania)郊外の風景<放牧場>

タスマニア島 Launceston付近の車窓風景

<世界自然遺産グレイドル山>標高1545m

タスマニア島<世界自然遺産グレイドル山> 標高1545m

タスマニア・ベネットワラビー タスマニア・ロータリー標識 コアラ
次なるバス縦断者のために、このタスマニア島南北間のバス停と時間経過を載せておきたい。

タスマニア島南北バスルート図と通過時間
(Fee:56.50$AU by Tassielink)
<ホバート/Hoburd ― タスマニア島南部の街>
まるでギリシャやイタリアの避暑地の街である。
先住民アボリジニの島というイメージを膨らませていた間違いに気づき、その素晴らしい西洋化した街にいささか戸惑ったのである。
ひなびた漁村でもなく、先住民アボリジニの姿も見当たらず、地中海に面した白人の避暑地そのもであった。
その予兆は、途中で立ち寄った<タスマニア ミュージアム>での先住民アボリジニの展示が、全体の1割もなかったことに気づいた。
なぜ展示する情報がないのだろうか。 意図的に、政策上の申し合わせなのかもしれないと思ったほどである。
タスマニアの先住民アボリジニを絶滅に追いやったというオーストラリア政府の反省の割には、その内情を伝えようとしないのは、罪意識の表れとして受けとるべきか、あえて忘却への暗示なのであろうか。

タスマニア島ホバート港
タスマニア島 ホバートの街
▼2/17 タスマニア島ホバート宿泊先 <Central City Backpackers>
138 Collins St. 7000

タスマニア島 ホバード宿泊先<Central City Backpackers>
■2月18日 タスマニア島 3日目 <ホバート/Hobert>
<また、やっちゃった! 巾着紛失騒ぎ>
外国で貴重品を紛失した時の、何とも言えない喪失感、どうすればいいだろうと・・・
世界各地で、何度<紛失届>を地元警察に提出し、見つかるまでの間の憔悴しきった自分を見てきたのだろうか。 アメリカ・シカゴ警察への<リュック盗難届>、インド・バラナシ警察への<カメラ強奪届>、イタリア・フィレンツエ警察へのジプシーによる<財布盗難届>、アメリカ・ニューヨーク警察への<鞄強奪届>、アルゼンチン・ブエノスアイレス警察への<財布入りサブザック盗難届>など、その都度粘り強く交渉し、待機し、取り戻してきたものもあるが、そのいくつかは手元には戻らず保険金で解決してきた。
反省を何度も繰り返し、またここタスマニアでもやってしまったのである。
<巾着紛失届>
タスマニア島バス縦断中のバスの中という、限定された空間なので安心はしていたが、手書きの<紛失届/Lost Report>もってバス会社ホバート営業所に出向き、受付嬢に説明を始めたところ、
「ミスターGOTOか、いまバスの運転手から財布を見つけたので、次の便でこちらへ届けるとの連絡がありましたよ」 とのこと・・・
強奪紛失を恐れ首掛け巾着に、命と同じく大切な<VISA Card 3枚・International Cash Card・Drivers Lisens・Cash 500US$・Passport>を入れていたのである。
神様に感謝したね。
昨日、親しくしてくれたバスの運転手ジェラルドが、「カードを1枚くれないかなー」と冗談を言いながら事務所に届けてくれた。
心配は吹っ飛び、安心でどっと疲れが吹き出た。
さすがはオーストラリアである。 紛失物が出てくるというだけで、その国への信頼度は上がり、その国民への親密感が増すのであるから、国際親善と、人類愛の基本であるといっていいと思う。
この日は、<紛失届/Lost Report>に始まり、バス運転手のジェラルドの誠実さに助けられ、首掛け巾着は、無事手元に戻ってきた。
今回は少し気が沈んだものである。 なぜなら、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのサブザック強奪事件以来、注意を重ね、肌身離さずに注意していただけに、再度の紛失はショックであった。
<ホバード市内観光>
二階建て市内観光バスでぶらりと・・・
ノスタルジーにかきたてられる帆船を見るためにホバード港を散策、
先住民アボリジニやオールド・オーストラリアを求めて<タスマニア美術・博物館>へ・・・
だが、ここでも先住民アボリジニに関する展示の少なさに不満を募らせてしまった。

ホバード二階建市内観光バス
タスマニア島南部

懐かしい帆船の並ぶホバード港

<タスマニア・ミュージアム> 初期の白人入植者

発掘された土偶 初期のカヤック
ホバート14:45発、デバンポート行復路もまた、ジェラルドの運転するRed Lineバスで、デバンポートへ戻ることになった。
18:40 デバンポートに帰着、仲間に迎えられ<Tasman House Backpackers>にもどる。
▼2/18 デバンポート <Tasman House Backpackers>泊
■2月19日 <タスマニア・デバンポート> 休息日
Tasman House Backpackersの仲間と過ごしたり、街の散策に出かけたりと、久しぶりの休息の時間を持った。今晩遅く、ここを出て、フェリーでバス海峡を渡り、メルボルンに戻るのである。
<Tasman House Backpackersの日本人青年たち>
世界いろいろなBackpackers、 Youth Hostelに泊まったが、ここ<Tasman House Backpackers>ほど宿泊者20数名のほとんどが、日本の青年男女であったことに驚いたものである。
それもオーストラリアの最南端の島タスマニア、世界の僻地であることに驚いたのである。それもみな長期滞在者である。
ここに集まる青年達には、彼らの世代に受け入れられるメンタル的なシンパシーが働いているような気がした。
数日の滞在で理解は難しいのだが、人間性の豊かさ、たゆとふ時間の流れに抱かれる心地よさ、現代の煩わしさからの逃避などに共鳴した青年たちの集まりであると思われるのだが・・・
なぜ日本人、青年ばかりなのだろうか・・・奇妙なコミュニティだが、心休まる場所であることだけは伝わってきた。
また少し違うが、こういう桃源郷的ユースホステルに、北海道礼文島にある<桃岩荘YH>で味わったことを思い出していた。
<タスマニア慕情>
ああわれいま
オーストラリア南端の島
タスマニアにおりて
満天の銀河を背に
南十字星輝きて
われと語りおる
タスマンの海
水平の彼方に
一筋の光昇りて
小鳥さえずり
花目覚めて
賑やかなり
青天に
白雲たなびき
その行くところ
われ知らずして
ただ観じて
妙々なりし
ああわれここ
タスマン・ハウスにて
星の王子・王女さまに
交わりて
その永遠の命を
愛してやまず

Tasman House Backpackersの日本人青年たちと タスマニア島の夕暮れ
▼2/19 船中泊 <Splits of Tasmania>
フェリー <Splits of Tasmania>号
タスマニア島ホバード港
■2月20~21日 メルボルン散策
朝8時、<Splits of Tasmania>号を下船し、メルボルン・メトロ・ユースホステルに投宿。
オーストラリアのYHは、何処も正午がチェックイン・タイムなので、キッチンで朝食を作り、済ませる。
フエリーよりメルボルンの高層ビル群を望む
<無料トラム>
メルボルン市街一周の無料トラムに乗って、好きなところから乗り、好きなところで降りることができる便利な観光方法があり、驚いたものである。どうもオーストラリアの主要都市にはこのような無料トラム(市電)があるようだ。
無料トラム#35を利用して、メルボルン中心街を一周した。
メルボルンに無料トラムが存在する主な理由は、街の魅力向上と市民や観光客の利便性向上にある。特に、メルボルンは「世界で最も住みやすい都市」として度々選ばれており、無料トラムはその評価に貢献しているようだ。

メルボルンの無料トラム
クイーンビクトリア・マーケット野菜果物売り場 フリンダース・ストリート鉄道駅

<ポートフィリップ・ベイ>
メルボルン港
今日は土曜日、週末のメルボルンは静寂の中にある。
セントパトリックス(St.Patrics)大聖堂に集う礼拝者に交じって、旅の無事、亡き人の安寧を願って静かに祈りを捧げた。
外に出ると、寒風に南半球の夏にもかかわらずプルオーバーか、ジャケット、セーターが欲しくなった。

セントパトリックス大聖堂 と 無料トラム<City Circle>
<公衆トイレ考>
メルボルン中心街一周の散策中、立ち寄った公衆トイレの清潔なことに声を上げた。
世界中の公衆トイレを利用したなかで、タコ壺に二本板を渡したトイレから始まり、小川の上に建てた小屋から垂れ流す水洗トイレ、もっと大変なところでは、穴の下が豚小屋になっており、用ごとに食べつくしてくれる優れものまでの、奇想天外なトイレに比べたら、これこそ典型的な<Mr.トイレ>であった。
訪問した国々の公衆トイレにみる民度・文化・慣習の違いから、その国の成熟度が見られるから、それぞれの地で公衆トイレに出かけることにしている。
アフリカの葉っぱ拭き、イスラムの手拭き、ブタの舐め拭きなどそれぞれに生きる知恵が隠されていて感心させられてきた。

今は珍しいメルボルン壁式小便器 フリンダース・ストリート駅
<チャイナタウン>
メルボルンのチャイナタウンもまた、世界各地の賑やかさと同じく、哀愁漂う中華の匂いを振りまいていた。 何といってもバックパッカーとして節約旅行をしている身として、中華街は安価に栄養補給できる食堂街に映るのである。 さっそく、中華料理店<Hu Tong>に飛び込んで小籠包・ワンタン・炒飯をいただく。 美味い! そして、残りをパックしてもらって夜食にした。
何といっても、中華料理店は世界のほとんどの田舎で見つけることができるバックパッカーにとっての栄養補給所である。

メルボルン中華街 メルボルン博物館

ビクトリア州議事堂
▼2/20~22 メルボルン滞在 <Melbourne Metro YH>連泊
Haward Street, North Melbourne

Melbourne Metro YH Dome
メルボルン・メトロ・ユースホステルの106号室の同室者は、シンガポールからメルボルン大学のファイナンシャル科に留学するJimmy君である。
ユースホステルは、YMCAやYWCAと同じく、各国からの留学生の、寄宿舎へ入る前の学生の滞在先となることが多い。寄宿舎や寮に入らず、長期滞在する留学生も多く見受けられる。
Jimmy君は、卒業したらこの国にとどまり就職したいと・・・、青年たちの夢と希望を聞いていると、若き頃の自分と重ねて、ブラジル、アメリカへと旅立った、人生へ挑戦したあの若き時代を懐かしみ、彼にエールを送った。
ユースホステルでは、多くの青年に出会い、彼らの若き苦悩を聴き、卒後の進路を相談されることも多い。 若き人たちに伝えたいと思っている言葉を、プレゼントとして送っている。
《The 6 Riquirments for Your successful Life》
ー成功人生6原則ー
You always open your eyes of heart.
<絶えず心の目を開いていなさい>
You always recognize your target of truth.
<絶えず真実の目標を認識していなさい>
You always do everything with your concentrates.
<絶えず集中して何事にもあたりなさい>
You always continue to do it.
<絶えず継続しなさい>
You always do it with your love.
<絶えず愛をもってあたりなさい>
You always do it with your thanks.
<絶えず感謝をもってあたりなさい>
▼2/21 <メルボルン・メトロ・ユースホステル>連泊

<メルボルン・メトロ・ユースホステル>
■2月22日 メルボルン(2日目)
昨日に続いて、メルボルン散策である。
メルボルンへ来る途中で出会った大災害<ビクトリア州の山火事>で犠牲になった人々や消防隊員への追悼のサイレンが鳴り響き、市民による黙とうが捧げられた。
セントポール大聖堂では、追悼ミサが行われていた。
流れ来るパイプオルガンの追悼曲を聴きながら、この日<Victoria Bushfire‘s Victim Metroial Day>を記念してスケッチに励んだ。

<St.Pauls Cathedral> Melbourrne
Sketched by Sanehisa Goto

セント・ポール大聖堂
<National Gallery of Victoria 鑑賞>
National Gallery of Victoriaでは、世界中から集められた展示物のスケッチを楽しんだ。
Egypt:Bes Amulet 300AD Egypt Head of Padish Padihpasheraset 100~200AD
Cyprus : Jug 1750BC Meico : Chacmool Stone 1200AD

Guatemala : Maya Head 800AD

メルボルン散策図
▼2/22 メルボルン滞在 <Melbourne Metro YH>連泊
メルボルン・メトロ・ユースホステルの同室者の一人に、オーストラリア人のジムが住み着いている。
彼は70歳を超えているのではないだろうか。
西欧のユースホステルでは、高齢者がよく利用しているのに出会うことが多く、そのうちの何人かはユースホステルに住み着いて、その老後生活を楽しんでいる者もいる。
ジムは、独り身で、昔よくユースホステルを利用して世界を旅して回ったそうである。
彼は、柔道家で黒帯だと紹介し、コンピュータで「背負い投げ」を探したが、適当な英訳を探せなかったと嘆き、なぜコンピュータのOSに日本語がないかと質問された。
ローマ字に変換することによって日本語の奥深い意味が失われていると訴えてきた。
■2月23日 メルボルンより、アデレードに向かうツア―参加
《Great Ocean Road Tour》
昨日は、メルボルンの街を歩き回って、その豊かな街の様子に目を見張ったものである。
ゆっくりと、優雅に走るチンチン電車<無料トラム>がメルボルン市内を縦横に走っており、排ガス規制に貢献して、街を優雅な環境に保っている。
緑の豊かな、広大な公園が東南に広がり、街の西の空間である港が、天空への入り口のように口を広げている。
シドニの近代都市空間に比べ、メルボルンは中世的落ち着きを見せている街である。
早朝のテレビBBCでは、ヒラリー・クリントンが中国を訪問、アフガニスタンでタリバンとの交戦を中止、イスラエルがレバノンに報復ミサエル攻撃・・・とニュースを伝えていた。
まだ夜が明けないなか、ホステラーは行動を開始し、ホステルが騒々しくなってきた。
こちらもメルボルンからアデレードへ向かうツアー<Great Ocean Road>に参加するため、
サンドイッチはじめツアー用食料やペットボトルを詰め込み、集合地点に向かう。
■《Great Ocean Road Tour》参加
Melbourne ➡ Adelaid 785km
2/23 07:15スタート (参加者:5名 女性4:男性1)
代理店:“Vics Arts Centre”
St. Kiida Road (Bookinng #8797753)

<Great Ocean Road Tour : Melbourne ➡ Adelaid 785km>
野外道具・炊事用具を積んだ<ツアーバン>
<Great Ocean Road Tour>に参加し、Melbourne から Adelaidへ移動するのだが、一抹の不安が残るのである。もちろん、リコンファーム(催行再確認)もしたし、集合場所・時間も再確認したが、外国の地にいるとどうしても心配が先に立つのである。
心配の理由は、グレイハウンドバスのKM(マイレージ)を、このツアーに置き換えるプログラム(KM換算分、3400㎞)に、いったい何人が参加するのか、土壇場でキャンセルされるのではないか、実際にKM換算が移行・転換されるのか、メルボルンを離れるまで心配である。
ツアーは、イギリスから2名・ノルウエーから1名・デンマークから1名、それに私の5名である。中型マイクロバスにゆったりと席を取り、若き女性バックパッカーに取り囲まれての出発となった。ドライバーは、赤毛のフォギー。 金髪2名・シルバー1名・黒毛2名と色とりどりである。

<Great Ocean Road Tour>のツアーメンバーと
グレイト・オーストラリア湾を背に
国道1号線<M-1>を、まるでイージーライダー感覚で、音楽を聴きながら海岸線沿いを時速110km/hで西へ走り出した。

2-23 Great Ocean Road
Sketched by Sanehisa Goto

Great Ocean Road Tour
サンセットは、南半球の夕日・夕焼けであると思うだけで、日本海の静かなる西方浄土的夕日と違って、ロマンチックな情熱を感じる夕日であり、そのエネルギーの爆発に圧倒された。
沈みゆく夕日を取り巻く雲の鮮やかな色の変化、まるで一枚の油絵を見ているようである。






Great Ocean Road Tour で出会った鳥たち・花たち
夕日を鑑賞しながら、約1時間ビーチを散策、海岸に影を曳く沢山の奇岩にみな歓声を上げた。

12人の使徒<Twele Aposttes>
Sketched by Sanehisa Goto

インド洋に沈む<天地創造の夕日>

Warrambool<Sun Set 夕日>
Great Ocean Road
Sketched by Sanehisa Goto

▼2/23 Warrnambool泊 <Beach Backpackers>

Warranmbool Beach Backpackers
<Great Ocean Road Tour> 1日目の宿泊先

シンプルな夕食

2-23~25 Great Ocean Road
Sketched by Sanehisa Goto
2-23 Aborigines' Flag
アボリジーニ略旗

<アボリジニの老女>
-1844 Healing & Caring Aborigines Old Woman-
Sketched by Sanehisa Goto

Warrnambool Trekking Map
■2月24日 ツアーによる移動日 (2日目)
《Great Ocean Road Tour 》
<Melborne ➡ Adelaide>
Warrnamboolにある<Beach Backpackers>で朝6時起床。
今日は、歩きに歩いた。
マッケンジーの<滝見トレッキング>、<Mt.Zero登頂トレッキング>の歩きに少し疲れが出たようだ。

Mt.Zero登頂トレッキング
Mount Zero (Mura Mura) ; 364 metres
<ブランバック・カルチャーセンター>を訪ねて
Brambuk-National Park & Caltural Center
《先住民アボリジニ と「ファースト ピープル」》
ここブランバック・カルチャーセンターは、<ファースト ピープル>に属するジャダワジャリ族とジャブ・ウルルング族の文化を認め、保護し、共有することを目的として建てられた。
オーストラリアでは、先住民<アボリジニ>とは言わず、<ファスト・ピープル / 最初の人 / First Peoplle>ということをここブランバック・カルチャーセンターでの説明で、はじめて知った。
オーストラリアの歴史は、今迄に見てきたように、進出してきた白人によって、多くの先住民アボリジニが虐殺され、同化させられてきた過程で成り立っている。
日本では、オーストラリア先住民をアボリジニとして紹介され、この地に立つまでオーストラリアの抱える暗い過去の人種問題に心至らなかったことに痛みを覚えた。
外から見るアボリジニの問題は、すでに風化した、同化した問題と思っていただけに、とてもショックであった。
オーストラリア人は、これまでの人種差別に真摯に向き合い、アボリジニへの人間としての仕打ちに対しての反省をこれからの歴史に残そうとしているように見受けられた。
オーストラリアを訪ねて、これまで一度もアボリジニという言葉に出会っていなかったことに、今初めて気づかされたのである。
今なお、私の中では疑いなくオーストラリアの先住民は<悲劇のアボリジニ>なのである。
いつの時代も、残念ながら人類は、少数民族に対する<ディアスポラ>(民族離散)を強い、<ジェノサイド>(民族浄化)を行い、<ホロコースト>(大量虐殺)に手を染め続ける愚かさを繰り返し、これからも同じ過ちを繰り返すのではないだろうか。


先住民アボリジニ<ファースト・ピープル>
<ブランバック・カルチャーセンター>
<Mount Zero/ マッケンジー・フォール登山コース>



McKenzie Fall

マッケンジー滝
Sketched by Sanehisa Goto

<Mts. Zero & Horllow>
Great Ocean Road
Sketched by Sanehisa Goto

ヒッチハイク中の高校生と ナショナルパークに駐車中のツアーバン
▼2/24 <Naracoorte Backpackers>泊


オーナー夫妻、デーブとソーニャのホスピタリティーに癒される。 旅人への心配りの素晴らしさに人間愛の美しい姿を見た思いである。
バックパッカーズに泊まる旅人もまた、みな兄弟姉妹、仲間といった感じで、ユースホステルのどこか冷たさ、よそよそしさを感じる雰囲気とは明らかにその温かさの違いを感じる。
長期滞在者が多いようである。夕食も家庭味で、美味しかった。
"You can not plough a field by turhing it over in your mind."
"心の中で考えていても畑を耕すことはできません"
(どんなに頭の中で考えても、実際に行動しなければ何も始まらない)

St. Pauls Anglican Church
Naracoorte Backpackers付近
朝の散策でスケッチする
■2月25日 ツアーによる移動日 (最終日)
《Great Ocean Road Tour 》
<Melborne ➡ Adelaide>
<世界遺産Naracoorte Cave / ナラクルテ洞窟>
午前中、世界遺産である<Naracoorte Cave>(ナラクルテ洞窟)に出かける。
動物の死骸・ミイラの種類の多さで有名である。 いまな学術調査隊が発掘作業を続けているという。
約30万年前のカンガルーや有袋類の珍しいミイラを鑑賞した。
洞窟コースには、探索コーストとウオーキングコースがる。 前者はヘルメットをかぶり、冒険スーツに身を固め、ロープを結びあっての本格的な冒険コースである。
わたしは、ゆっくりとスケッチをしたかったので、後者のウオーキングコースを選んだ。
<世界遺産Naracoorte Cave / ナラクルテ洞窟>




<カンガルーのミイラ>
世界遺産Naracoorte Cavesにて
Sketched by Sanehisa Goto
午後からは、最終地Adelaido/アデレードへの途中、日本では想像を絶する地平線まで広がる葡萄畑に建つワイナリーに立ち寄りテスティング。

昨晩は、ジビエであるカンガルーの肉を試食させてもらった。
カンガルー肉は、ビーフから油を抜いたようなパサパサ感、ターキーの肉、いやダチョウの肉に近い。
午後6時ごろ、ツアーのマイクロバスは3日間のツアーを終え、夕日を受けながら静かな街アデレードに到着した。
同乗のお嬢様たちとも、メールアドレスを交換し、再会を約してそれぞれの宿に向かった。

アデレードで解散
<アデレード散策>


▼2/25 アデレード泊 <Cannon St. Backpakers>

<SOS>
世界は広いが、その広い世界で旅を続けていると意外なところで同じ旅人に、それも何回も出会う人がおり、不思議である。
その中の一人、O氏からのメールが入っていた。
「意識を失い自分がいまどこにいるかわからないので、調べてほしい」とのことである。
発信元を調べていくとタイ・カンボジア国境付近からの送信らしい。
さっそくO氏にメールして安否を確かめると、国境越えで賊に襲われ頭を鈍器で殴られたようで、一時意識がなくなり、記憶も薄れたとのこと、なんとかメモ帳にあったこちらのメールに宛ててSOSを打ったとのことである。
何はともあれ無事であったこと、記憶が戻ったこと、自分がどこにいるかもわかったとのこと・・・
無事を祝うとともに、お互いの旅の安全を祈ったものである。
世界を歩いていると、国境越えや、無法地帯、戦闘地帯ほか、難所を何度も駈け抜けなければならず、危機対策も万全のはずであるが、いざという場合危機を切り抜けられるだろうかと反省させられたものである。
南米では、国道にロープを張って長距離バスを止められ、数人で拳銃を片手に乗り込み、貴重品を差し出された帽子に入れさせるたこともある。 ズボンの腰回りに忍ばせたり、首にかけた巾着のほかに、ポケットに忍ばせている100米ドルの安心安全を保障する見せ金を差し出すことで難を逃れている。
ほとんどの旅では、この見せ金100米ドルは、命の保証とのバーター、安心代でもある。
■2月26日 列車旅<アデレード➡パース移動>
Great Soutern Railways<Indian Pacific号>
2泊3日の列車旅
<アデレード/Adelaid 2/26 18:40出発 ➡ 2/28 09:10到着/パース/Perth>
Reference#2765278, Seat #38, Carriage: R
Class: Red Seat (Fee: 179$)

<Indian Pacific>チケット表紙
早朝より、アデレードの街の散策である。
アンティークな家に、モダンな家が混在し、新旧バランスが取れたきれいな街並みである。
住民の健康で明るい顔を見ていると、幸福度がわかるというものである。
安心感から、外国人が移住したいオーストラリア第一の街であるということもわかる気がした。
モダンの中にたたずむオールドファッションという伝統ある建物を残し、維持管理し、マッチさせている努力に頭が下がる。
<アデレード散策>



お昼は、無性に食べたくなったラーメンを作った。
行動食として持参しているインスタントラーメンに、近くの中華食料品店で手に入れた豆腐・モヤシ・チンゲン菜・ハム・ソーセージ・卵入りである。 「うまい!」と声を上げたものだ。
18:40 <Indian Pacific号> (Great Soutern Railways)は、酷暑に陽炎うなか、アデレード駅よりパースへ向かってスタート、世界最長の直線区間(ナラボー平原)約478キロはじめ、全長約2600kmを3日間かけてひた走る。この距離は鹿児島の南端<佐多岬>より北海道北端<宗谷岬>の距離より遥かに長いのであるから、相当の覚悟と、携行食品が必要である。

マーケットで列車用2泊3日分の食料、チーズやサラミソーセージ、バナナ・リンゴなどを購入

アデレード駅待合室 <Indian Pacific>号

<Indian Pacific>号を牽引する機関車 アデレード・パークランド・ターミナル

Sydney➡Perth <Indian Pacific号>
Sketched by Sanehisa Goto
<ああわれいまーIndian Pacific号に乗りて>
ああわれいまオーストラリアにおりて
Indian Pacific号に乗りて
アデレードよりパースへ向いしや
列車 平原の暗やみを裂きて走る
南十字星を背負いて西へ向かう姿
まるで銀河鉄道999のごとし
過行くユーカリの並木続きて
遠き白雲列車を追いきて
赤土にその影残せしや
地平に朝日昇りて大地焼け
赤く染まりくる大陸の曙
この星の新しき命を見るなり
ああわれオーストラリアを駈け
アボリジニの悲しき物語をや
胸に刻みて ナマステを捧げし

Indian Pacific号 - Railroad Map
Great Soutern Railways
<Adelade ➡ Perth>
隣席のイングランダー(イングランド移民の子孫)であるピータは、こちらが日本人と知って、訪日時の想い出を語ってくれた。
特に、刺身・寿司が絶品であったこと・・・ マグロの漁獲が急減していることや、捕鯨国であったオーストラリアと日本のその後の向き合い方、現在オーストラリアは反捕鯨国に転じ、日本の捕鯨を非難していることや、日本は現在オーストラリア産牛肉の最大の輸入国であるとか・・・
ほか、ボーイスカウトで学んだという<南の見つけ方>を教えてくれたりと、楽しい時間を過ごすことができた。
<南半球での南の見つけ方>

< How to search -South>
A)南十字星の中心線を天空に伸ばし、
南半球では、ケンタウルス座α星とケンタウルス座β星の2つの恒星をTwo Pointers、
あるいは南の指極星 (Southern Pointers) と呼び、
B)Two Pointersの真ん中より90度の線を天空に伸ばして、
A)B)が交わるCross Point から地平線又は水平線(Horizontal)に,
まっすぐ下したところが南であるという。
こちらからもスカウトであったというピーターに、北半球での北極星の見つけ方を伝授したものである。
スカウト時代に学んだ、北半球での北斗七星やカシオペザによる北極星の見つけ方をである。
大平原のど真ん中に列車が停まり、一人の婦人が赤土の上に降り立った。
待っていたピックアップトラックが、静かに近づき砂塵を巻き上げながら立ち去った。
まるで西部劇のシーンである。
その先に立ちはだかる蜃気楼が、トラックの姿を歪めながら消し去った。
▼2/26 列車泊 <Indian Pacific号>

Indian Pacific号の車内 ナラ―バー平原の夕日
■2月27日 <Indian Pacific号> 2日目
09:44 CST(Central Standard Time) <Cook駅>に停車。
Cook駅は、大陸横断鉄道敷設の中継点で、重要な拠点であるという。
この広大な地平線に囲まれた赤土は小雨に濡れ、その赤色をより一層濃くしていた。
将来に秘めた稀少鉱物資源の埋蔵が、注目を浴びているという。

地平線の朝焼け お互いボーイスカウトだった隣席のピータと

Indian Pacific号 からの風景
<ナラ―バー平原>
クック付近
Sketched by Sanehisa Goto
2-27 <Indian Pacific> 車窓より
Near Cook

車窓からのスケッチ中 Cook駅にて <Indian Pacific> 給水中

COOK駅停車中 赤土の大平原<ナラ―バー平原>に位置するCook駅
日本との時差(オーストラリア夏時間10~3月)
03:35CST 車窓からの夜景、忘れかけたごろに闇の地平線に灯火が浮かび上がって見える。
ようやく砂漠地帯を抜け、サバンナ地帯に入ったようである。
樹々が茂り、草原が続き、放牧が見られる。 土は相変わらず、赤色である。

The Best Beer-VB/GB
▼2/27 列車2泊目 <Indian Pacific号>

<Indian Pacific号>食堂車で読書中 ナラ―バー平原2日目の夕焼け
■2月28日 終着駅<パース>到着 快晴 35℃
06:33CST あと3時間ほどで終着駅パースに到着する。
車窓から見るオーストラリア大陸の西南にあるパースの手前、大平原で迎えるサンライジングの美しさに声を上げた。
砂漠地帯を抜け、サバンナの草原が鮮やかである。
馬の放牧が、人の温みを伝え来るようだ。

パース近くでの美しいSun Rising
<詩 聖なる時>
今まさに、新しい日を迎え
深紅の光 天を焦がしおり
今まさに 太陽東より射す
地の闇 いまなお暗くして
旅人いまだ 臥して覚めず
ああ我 今この星にありて
新たなる聖なる時を迎えし
ピータと、彼持参のオーストラリア産小粒リンゴを丸かじりでのランチ、そしてビールを飲みながらオーストラリアの歴史や、将来の展望のレクチャーを受け、ナラーバー平原を駈け抜ける、日長の楽しい列車旅行となった。
広大なオーストラリアの鉄道路線は、狭軌と広軌の両軌道を備えた列車走らせ、賢明な運営を採り入れている。
蜃気楼を追い、赤い土地を3日間駈け抜けてきた地の果てに、かかる摩天楼の近代都市があったとは驚きである。
09:10 列車<Indian Pacific号>は、3日間の疲れを見せながら、ゆっくりとパース駅に滑り込んだ。
2泊3日の<Indian Pacific>号の終着駅<パース>に到着
世界で一番孤立した都市と言われるパースは、意外と大都会であった。
旅すがらの、人の影さえ見なかった砂地、荒野、平原を見飽きた旅人には、地の果てのパースはオアシスであり、玉手箱である。

パース散策地図
▼2/28 パース <パース・シティ・ユースホステル>連泊
300 Wellington St. Perth WA 6000

Perth city Youth Hostel
■3月1日 パース 1日目
バス会社<グレイハウンド>のパース・ターミナルを探すが見当たらず、結局、電話で用件を済ませることとなった。
グレイハウンドは、誰もが世話になるオーストラリア大陸一周の主要路線を走っている。大陸一周は、先にも述べたが、鉄道はなく、バスによる乗り継ぎが唯一の手段である。
その主人公がグレイハウンド・バスなのだ。
このグレイハウンドによるバス一周チケットは、すでに紹介した通り、鉄道や観光ツアーとの振替利用が可能である。 ただこの時は、予約が絶対条件である。
僻地までバスを走らせているグレイハウンドには、バックパッカーにとっては感謝である。
早朝より、スケジュールの再調整にとりかかったが、現地パースのグレイハウンドでは、埒が明かず、インターネットにより調べたところ、これから向かうダーウインへのローカル・バスはすべて満席で、予約は取れないことが判明した。
念願の陸路によるオーストラリア大陸一周の夢は、先の水害や山火事により残念ながら潰え去ったいた。だが、その後の陸路旅をひそかに願っていた。しかし結果的には、ダーウインへは飛行機を使用することになり、完全にその夢は潰え去ったのである。
無念ながら、次のようにスケジュール変更を余儀なくされた。
ただ、レンターカーや、ヒッチハイクによる<パース~ダーウイン間踏破>を考えたが、途中の食料調達や、日程上の関係で今回は断念することに決めた。
とりあえず、<パース~ダーウイン間>のルート変更は以下のとおりである。
パース/Perth 初➡(空路Jetstar)➡アデレード/Adelaide➡(列車The Ghan号>➡
アリススプリングス/Alice Springs➡(ツアー参加)➡ダーウイン/Darwin>着
▼3/1 パース <パース・シティ・ユースホステル>連泊

■3月2日 ラットネスト島/Rottnest Island観光 (パース沖合の島)
■《ラットネスト島 Bike & Snorkel Tour》参加
11:00~15:30 (101$ w/ship fee & lunch)
ロットネスト島/Rottnest Islandは、パースから船で約1時間半のところにあり、
インド洋に浮かぶ島(自然保護区)である。
08:45 パース港を出港した観光船<Ship-Rottnest Express>は、
09:45 フレマンツレ/Fremantle港に立ち寄り、外洋である南インド洋にでた。
波高く風が強そうである。
10:35 Rottnest着 ツアー開始
<日本軍潜水艦による封鎖作戦>
船内放送によれば、
「この世界で一番孤立したパース近港のフレマンツレ/Fremantleに対して、第二次世界大戦の緒戦において、日本軍の潜水艦がやってきて封鎖の行動をとった・・・」と、
この世界地図から忘れられた、このちっぽけな港を、日本軍が戦略上重要視していたことに驚いたのである。シドニ港封鎖、ダーウイン空爆は日本でもよく知られているが、ここパース近港の潜水艦による封鎖作戦は初耳である。
その日本海軍作戦本部の戦略地図の南インド洋に赤丸がつけられた、この地に日本人の自分が上陸するのだと思うだけで68年前の潜水艦による決死のミッションの意味を考えてみた。
当時(1941年)の日本海軍は、戦略上、対戦国オーストラリアの基地化を防ぐことが急務であった。 対米戦を視野に入れた日本軍は、禁油に対処すべき天然ガスや石油・鉱物・ゴム資源に恵まれたインドネシア半島攻略が急務であり、その背後を脅かすであろうオーストラリアの戦略的軍事基地又はその脅威がありそうな地点である港を抑えておく必要性があったのである。
また、日本海軍の戦力の誇示により、敵対国オーストラリアにたいして無言の圧力をかける意図もあったと思われる。

<Ship-Rottnest Express> Sea Route-Map
(08:45 Perth➡09:45 Fremantle➡10:35 Rottnest)

ロットネスト島 <サイクリング・ルート & シュノーケリング>スポット

<Ship-Rottnest Express>
Tour-Bike Start

Thomon Bay (Rottnest Island)
Sketched by Sanehisa Goto

出会ったクオッカ

Rottnest Island -Snorkelingにて

パーカー・ポイント(自然保護区)
Rottnest Island

帰路<Ship-Rottnest Express> よりパースの摩天楼を望む
ロットネスト島を取り巻く南インド洋の海の綺麗なこと、ハワイ・ワイキキにも劣らない神秘的な色をたたえていた。 ブルーと紺のコントラストが、広がる青空に溶け込み絶妙である。
パース港を、朝08:45出航した <Ship-Rottnest Express> 号は、17:45に帰港した。
一日、南インド洋の夏日のもと、サイクリングに汗をかき、海に飛び込んでシュノーケリングを楽しんだ。
Rottnest・ラットネスト島のネーミングが面白い、島に多く棲み着いたオーストラリア固有種クオッカをネズミと間違えて、<Rottnest/ネズミの巣>と名付けたという。
餌をねだるクオッカ―の可愛らしいしぐさに、自転車を止めてのスケッチとなった。
(法律で餌やりは禁止されているから、要注意)

クオッカ (ロットネスト島にて)
▼3/2 パース連泊 <パース・シティ・ユースホステル>
■3月3日 パース/Perth 3日目(休息日)
ロットネスト・ツアーから帰ってみたら、<パース・シティ・ユースホステル>のドーム#209号室(定員6名)の住人が、パキスタンからの4名、香港1名に入れ替わっていた。
アジア系のホステラーの部屋となり、安心したのであろうか夜遅くまでパキスタン・パーティが行われた。 これまたユースホステルの特徴の一つだが、言語の異なるグループが母国語でやられると、騒音にしか聞こえず、それも長時間だと苦痛に感じるものである。
日本人のホステラーにも、よく見かける光景である、気を付けたいものである。 相部屋の人のことを考えて、場所を変えてのダべリングをすすめたい。
ユースホステルや、バックパッカーズに泊まるときは、近くで食材を購入できるかで滞在満足度が変わってくるものだ。 オーストラリアでは、米国に本部を持つスーパーマーケット<Woolworth/ウールワース>が全国展開しており、ほとんどの食材をリーズナブルに取り揃えることができる。 特に新鮮な野菜が豊富である。
▼3/3 パース泊 <パース・シティ・ユースホステル>
■3月4日 <パース> 4日目 快晴
■《4WD-Pinnacles Tour》参加
世界各地を旅していると、西欧人のバックパッカーの多いことに気づくのであるが、そのほとんどは英語を話すので友達になりやすかった。
しかし、フランス人だけは、20年ほどまで英語を話すことをせずフランス語で通そうとしていた。特にカナダのケベックでは、レストランでの注文でさえ、フランス語のメニューであったから困ったことがある。
それがである、最近そのフランス人が英語をしゃべるようになったのだから驚きである。今朝も、リビングでの先住民のアボリジニの洞窟絵について、フランスからのビルが英語で持論を展開していたのであるから、時代も変わったと思った次第。
今日は、パース近郊のビーチの砂浜を4WDで駆ける<Pinnacles Tour>に参加することにした。
《4WD-Pinnacles Tour》
08:05 Perth/パース スタート
08:30 Swan Valley
08:50 Caversham Wildlife Park
11:49 Numberg National Park
13:20~14:20 Pinnacles 4WD Tour
19:25 Perth/パースに戻る

《4WD-Pinnacles Tour》
<Caversham Wildlife Park>

パークレンジャーの説明 コアラ

カンガルー オーストラリア松

4WDチーム・ツアーメイトと (Caversham Wildlife Parkにて)
《Pinnacles Desert Discoery》





Pinnacles Shor / ピナクル浜

Pinnacles Desertを駈ける4WD Bus

砂スキーを楽しむツアー参加者
この広大な土地を持つオーストラリアでは、主要道路には沢山のサービスエリアが設けられているが、その多くが有料チケット制をとっているのにも驚かされた。
パース後半の宿は、<Perth Globe Backpackers>へ、移ることになった。
▼3/4 パース泊 <Perth Globe Backpackers>連泊
561 Wellington St.

Perth Globe Backpackersのキッチン
■3月5日 パース 5日目 快晴
<フリーマントル / Fremantle散策> パース近郊
今日は、のんびりとパース郊外へ、電車トランスパース/Transperth (Blue Line 25分)で、終点フリーマントル/Fremantleへ出かけた。
フリーマントルは、パースより南西19km、スワン河口にある開拓時代に建てられたコロニアル調の建物が立ち並ぶ美しい港町で、ヨットレース<アメリカン・カップ>でも有名な街である。
サウステラス<カプチーノ通り>にあるレトロなレンガ造りの建物<フリーマントル・マーケット>を見物、屋台で新鮮な魚と地ビールでランチ。 無料循環バスでのんびり街を一周して、楽しんだ。
もちろん、世界遺産の<旧フリーマントル刑務所>にも立ち寄った

Fremantle Railway Station 郊外電車Transperthでフリーマントル向かう

Transperth (Blue Line)車内 コロニアル調の建物が並ぶ美しい港町

世界遺産の<旧フリーマントル刑務所> <Fremantle CAT>市内循環無料バス
▼3/5パース泊 <Perth Globe Backpackers>連泊

キッチンにて夕食作り
■3月6日 パース滞在 6日目
昨夜は、南京虫に悩まされて寝不足、フリーマントル散策の疲れも取れずにいる。
どうも南京虫の多いユースホステルには、ワーキングホリデイや大学通学の若者たちが常住している場合が多く見られる。 多人数で占めるドミトリー(6~4人の相部屋)が多く、掃除が行き届いていないのも一要因でありそうである。
バングラディシュや、チリー、ミヤンマーほか観光未開拓地での経験から、南京虫対策には十分気を付けるのだが、ここは文明国オーストラリアである。 まったくの無防備、南京虫に嚙まれまくったからたまらない。

<パースの日の出>
Sun Rising from Kings Park/Perth
Sketched by Sanehisa Goto
<Kings Park 散策> Perth
ボランティアによるゴミ拾いに、どこか日本的な光景に癒されものである。 公園のいたるところで小グループによるボクシング、太極拳、ジョギング、ポロのサークルが出来、声を掛け合って賑やかである。 階段にも多くの上半身裸体の老人が、足腰を鍛えるためにup&downに挑戦していた。
このKings Parkは、第二次大戦でオーストラリア軍にとって激戦地であったパプア・ニューギニア―に見た立て設計されている。
各ポイントに激戦地の地名がつけられ、戦死者の名前が刻まれた碑が建ち、後世に語り継いでいる。
碑には「オーストラリア軍約15000名(内戦死者800名)、日本軍約23000名(内戦死者12000名」と刻まれていた。
また公園は、西オーストラリアの植物分布になっており、それぞれにブッシュの名が付けられていて勉強になった。

オーストラリアの高速道路・パース近郊 Kings Park

公園内にある<アボリジニ・アート・ギャラリー> と アボリジニ・アート

バオバブの樹 グラスツリー

バオバブの樹 & グラスツリー
Sketched by Sanehisa Goto

オーストラリア原産<グレビレア> グレビレア<ムーンライト>
▼3/6 パース泊 <Palm Court Hostel >連泊
■3月7日 パース 7日目 快晴
ここパースで一度も雨に降られていない。
この気候に憧れて多くの日本人が、この地でアパートメントを購入し、滞在・移住していると耳にしたことがある。
ここ<Palm Court Hostel>Room#209では、フランス人アキム君と、アイルランド人トム君と同室である。 ほかに、フランス人の恋人二人、オランダからのボブ君と、みな老人を労わってくれる若き紳士淑女たちである。
フランスからのアキム君は、アフリカ系フランス人で、パリ大学卒業を控えての旅行である。
黒人のバックパッカーには、今まで出会ったことがない。 教養があり、礼儀正しく、温和で、人のいい好青年である。 オーストラリアの後は、東南アジアをめぐりという。 日本にも立ち寄りたいが、物価が高く決めかねているとのことである。 (2009年1月当時の為替レート 1US$=91.03円)
卒業後は、ワーキング・ビザを取り、オーストラリアで働き、学資をため、パリ大学のマスターコースに進みたいという。
アイルランドからのトム君は、ダブリン大学を卒業し、2年間の世界旅行を続けているという。 就職先も決まっているとのことで、会社から与えられた課題を調査研究しながらの旅であるという。 ここでは、隣接の工事現場でアルバイトをしながら金をため、旅を続けているという。
何と頼もしい若者たちであろうか。 日本の若い人たちに、ぜひ紹介したい好青年たちである。
いよいよパースともお別れである。
ダーウインへの陸路北上を断念し、アデレーデヘ引き返しダーウインに向かうことになるが、陸路である列車<Indian Pacific>では、アデレーデまでさえ2泊3日もかかるので、スケジュールに合わせるにはどうしても空路(3時間)、Jetstar-Airに頼らざるを得なくなった。
まずは、 Jetstar-Airでアデレードに飛ぶ。

< JET STAR> で パース➡アデレードに飛ぶ
アデレード・バスセンターにあるグレイハウンド・バスのオフィスに出向き、下記のダーウイン行のブッキング/Booking(予約)を済ませて、一安心である。

予約を済ませると、その足で循環バスに飛び乗って、列車《The Ghan号:Adelaide ➡ Darwin》 に乗るため<Interstate Station>に向かった。
《The Ghan号》 のGold Seatの代金1400$AUに対して、バックパッカーであるこちらのRed Seatは、格安の165$AUである。
アデレード発12:20の列車<The Ghan号>に乗車、間に合った。

列車<The Ghan号>のロゴマーク

The Ghan号
ディーゼル機関車NR-0074 <Adelaide ➡ Alis Spring>
Sketched by Sanehisa Goto

<The Ghan号>
列車<The Ghan号>は、12:20予定通りダーウイン/Dawinに向かって静かに滑り出した。
隣席にはオランダからのシエナ嬢、6年前に1年間横浜に住んでいたと自己紹介。 通路を挟んでカナダからの老夫妻からも挨拶された。
こちらはRock Tourに参加するため途中のアリススプリングで下車することを知り、残念がってくれた。

グレイト・ビクトリア砂漠 その前後の大草原

砂嵐の舞うグレイト・ビクトリア砂漠
列車 <The Ghan号>は、グレイト・ビクトリア砂漠や、大草原を北上する。
18:00 列車備え付けの簡易シャワーを浴び、揺れながら夕食としてカップヌードル(2.50$AU)と、リンゴ1個とビスケットをいただく。 これは、列車内でのパックパッカーの常食でもある。 ただ、深夜の空腹対策としてバナナ2本を用意した。
グレイトビクトリア砂漠を行く <The Ghan号> オリーブ畑が延々と続く
赤土の大平原も続く
<The Ghan号> の列車内風景

夕闇迫るムスグレープ大地
▼3/8 列車泊 <The Ghan号>

満月のもと<The Ghan号>大平原を往く
《満月、われと共にあり》
ああわれいま
この国の臍にありて
満月の光浴びて
心豊かなり
満月自ら光らず
暗闇に反射し
ふんわり浮かびて
心静めたり
地平暗闇にありて
その眠り深く
君眠り給えと
誘いて歌う
ああわれいま
満月の光浴び
われも光りて
君に抱かれし
■3月9~11日 アリススプリングス/ Alicesrings 下車
(ダーウイン行ツアーに参加のため)
満月と入れ替わり、パーム・バレーに昇りくる真っ赤な太陽に心躍らされた。
ただ静かに目を細め、創造の光を全身に取り込んでいた。
《天地創造》


パーム・バレーに昇りくる真っ赤な太陽
《天地創造》
いままさに
天地創造の時迎え
天の雲紅に染まり
平原に命を
吹き込めおりし
創造の命に
魂宿りて
光増し来るは
感涙の喜び
込上げ止まらじ
天に聖なる
歌声響きて
心高鳴るを
押さえること
如何とし難し
行けども行けども荒野<Empty Land>が続く。
ただ座って、見飽きることのない火星なる風景に溶け込んでいるだけでも、腹は減るものである。
列車販売の熱々の出来立てカップ麺をいただく、まるで宇宙飛行士ではないか。
バックパッカーとしての満足度はピークに達するのである。
老いた旅人にとってカップ麵から匂い来る放浪の醍醐味がたまらないのである。
朝、9時20分頃、列車<The Ghan号>は、<South Australia州>から、エアーズロック、アリススプリング、ダーウインのある<Northern Territory/北部地方>に入った。
一面の赤土が、地平線まで伸び、暑そうである。
低木が、かすかな湿り気で命を保っているように見える。
列車<The Ghan号>は、オーストラリアが誇る大陸縦断鉄道である。
王者の風格を見せつけるように、時間に逆らうようにゆっくりゆっくりと進んでいる。
あたかも過ぎ去る大地の不毛を愛でるように、笑顔を振りまきながらこの地の王のようにである。
日本なら、10時間ほどの旅<アデレード➡ダーウイン間>を、その4~5倍もの時間をかけてくれるのだから、なんと贅沢な旅であることだろうか。
夕日を眺めながら、読書<剣岳>を読破する列車の旅もいいものである。

車窓から朝日を鑑賞しながらの読書もいい

《The Ghan号 路線図》
<アデレード➡アリススプリング➡ダーウイン>
13:45 アリススプリングに到着と共に、40度近い酷暑と、ハエの大群の出迎えを受けた。
そのしつこい歓迎、食いつき、むしゃぶりくるハエたちには閉口した。
南米のいたるところで、ハエの大群に真っ黒になった肉を食べてきたこの猛者も、オーストラリアでハエの大群に見舞われるとは、思いもよらなかったのである。
これから、この時期にアリススプリングスに行かれる方は、防虫ネットを持参されることをおすすめしたい。

アリススプリングス到着
<少数民族 と 保護政策>
やっとここアリススプリングスで、オーストラリア先住民<アボリジニ>に出会うことができた。
ここは、アボリジニの聖地である<Ayers Rock/エアーズロック>への入り口でもある。
アリススプリングスの街角や、Todo Mallの小さな公園には、アボリジニの人々であふれかえっていた。
国の少数民族保護政策による、生活保障年金の支給がその弊害を増長しているように見受けられる。
生活保障年金という美名のもと「努力させず・汗をかかず・働かせず・勉強させず」、ゆくゆくは少数民族を消し去る政策であるように見受けられる。 もちろんこのような境遇からでも医者や、政治家になり沢山のアボリジニが活躍していることも付け加えておきたい。
どこかほかの国でとられている、隔離し、夢を与えず、生きる喜びを与えず、洗脳するという少数民族絶滅政策にも近いといえる。
人類のあくなき悪弊は、古代から引き継がれ、絶えることなく人類滅亡まで続くであろうことを考えると、人類の英知を否定する行為は悲しくもある。
生きるとは、従属か闘争しかないのだろうか・・・
愛とは、寛容とは、いったい何なのだろうか・・・

オーストラリア大陸の臍<アリススプリングス>
▼3/9 アリススプリングス泊 <Alicesprings Youth Hostel>
Corner Parsons St. &Leichhardt Tce., 0870
<Alicesprings Youth Hostel>前で
ユースホステルのキッチンで、環境保護に従事し、自然破壊のリサーチのためタスマニア島を仲間と共に自動車で調査旅行をしての帰りであるという日本女性・キミさんと、ともに自炊をし、食事をした。
彼女たちの自然破壊への警鐘により、タスマニアに工場を構えていた日本の企業が、環境保護の観点から撤退を決定したとの新聞報道に驚くとともに、喜びをぶつけてきた。
「気候変動と生物多様性の二重の危機において、天然林の保護は不可欠です」と、彼女は熱心に語ってくれた。
ブラジル・アマゾンでの熱帯雨林の伐採による生態系の変化を見てきただけに、彼女たちのような組織的調査・警鐘・提言が、これからますます大切になるであろうと確信した。
■3月10日 アリススプリングス 2日目
同室に、YH長期滞在者のオーストラリア人ボブ(53才)がいた。
夕方、17:00 ごろに帰ってきてまず一杯のビールを飲んで、プールサイドでくつろいだ後、夕食を作って舌つつみ、19:00 シャワータイム、またビールを一杯飲み、21:00 就寝&高鼾。
朝は、04:30 目覚ましで起床、15分で着替え、04:45 出勤していく。
人柄がよく、金髪で小太り、典型的な定年に近い中年のオジサンであり、泥にまみれた長靴を愛用し、巻き舌のブロークン・イングリッシュで朗らかに笑うオッサンである。
ボブもまた一人の人間の姿であり、人の一生であると思うと、親しみが増し、愛する気持ちがわいてくるのだから、出会いは楽しいのである。
<おのれが今ここにいるという認識>と、<おのれがいまこの時を生きているという認識>を持つことが、生を営む者が忘れてはならない大切なことに思えてならない。
この認識・意識がなければ、時はただただ流れ去ってしまうのである。
<先住民アボリジニの悲しみ>
おのれの一歩という時間を、おのれの人生の長さに比例していかにゆっくりと延ばせるか・・・
人生を知らない間に早く駈け抜けてしまったというのではなく、今日という一日をいかに時間をかけゆっくりと歩むか・・・過ごすか・・・
現代人には苦痛な生き方を、彼ら先住民アボリジニは、それらをさえ忘れ去ってしまったような政策にどっぷりと漬けられてしまっているように見える。
こちらでさえ目をそむけたくなるような、人間としての尊厳を消し去った光景に出会ってしまったのである。
なぜ政府は、彼らに生きる目的としての教育や、仕事を与えないのであろう。
もちろん機会とチャンスは与えられてきた思うが、結果に心を痛めて、さらなる善処がなされるべきだと思うのはわたし一人だけだろうか。
虚ろ気に、この世を捨てた先住民アボリジニたちのこのような姿を今までかって写真で見たこともないし、このように人格を捨てた人々を見たこともなかっただけに、おのれの目を疑ったほどである。
この旅でも彼らの尊厳を考えると、彼らを写真に収めることをためらい、シャッターを押すことができなかった。
《アリススプリングス滞在中のスケジュール》 (予約確定)
<Desert Adventure – Trekking & Walking>
<Rock Tour – エアーズ・ロック/Ayers Rock>
携行品 : 小型リュック・スリーピングバッグ・軽登山靴・帽子・
防虫ネット・水筒・タオル・水着・サングラス・長袖長ズボン
行動食(水・リンゴ・ビスケット・雨・チョコレート)
▼3/10 アリススプリングス <Alice Srings Youth Hostel>連泊

Alice Srings Youth Hostel キッチンで夕食
■3月11日 アリススプリング <休養日 散策&スケッチ>
<先住民アボリジニ 現代考>
髪の毛は真っ黒で直毛、顔は押しなべて丸顔、ほとんどの人が超肥満である。
太い眉毛に、大きい目鼻口をもち、肥満からか超低速歩行である。
裸足かゴム草履にわかれ、寝そべっているか、集団でたむろしている。
彫が深い顔たちには、深い喪失感と諦めがにじみ出ていた。
オーストラリア訪問前には、アボリジニに神秘的なイメージを抱いていたが、こうして彼らの実態を
目の前にして、その実情に目を覆いたくなるような悲しみに見舞われた。
その実情には、強弱はあっても日本の一部の若者にもみられる現象、無気力や、夢のなさに見受けられるのである。 それは世界共通の風潮であるかもしれない。
しかし、ここアリススプリングスを歩いていると、どうしても奇異に感じる。
それは、動物園の中に、檻のない居住区があって、白人という入園者がその居住区を歩き回っている。 そこには静と動があり、見られるものと、見るものというはっきりした差別が感じられるのである。
差別を解消するためには、自信と夢をもつ教育しかないように思えた。
散策途中、お土産屋で先住民アボリジニの織物や、菓子皿のデザインに関心が向けられた。


アボリジニの織物デザイン<Nganampa Wagna Nyangatja>
Sketched by Sanehisa Goto

アイザック丘より望むアリススプリングの街
Sketched by Sanehisa Goto
▼3/11 アリススプリングス <Alicesprings Youth Hostel>連泊
■3月12~14日 <ウルル・サファリ・ツアー参加> 2泊3日 320$AU
■《Uluru safari Tour-800km》
3/12 06:00 アリススプリングのユースホステル前 ピックアップ
09:20 Erldunda Desert Oaks
12:30 Kings Canion
16:49 Kings Creek Station
20:00 Ayers Rock Campsite到着
▼野宿
3/13 04:30 起床
05:30 スタート
06:00 サンライジング鑑賞
10:00~11:00 Aboriginal Museum
11:30~15:30 Uluru-Katata Trekking
18:00 Ululu Campsite 到着
▼野宿
3/14 04:45 起床
05:10 スタート
06:05 サンライジング鑑賞
07:15~15:15 Ululu Trekking
17:00 アリススプリング帰着・解散

<ROCK TOUR>ロゴマーク


<3 Days Rock Tour> マイクロバスで出発
ツアー・メンバーは、オーストリアからのフランク、スコットランドのダン、ベルギーからのリビアン、スエーデンからのスーザンとマリア、スイスからのジーナとマック、ドイツのクリス、イタリアのマーシと、初老のジャパニーズと、国際色豊かな若きメンバー10名に、ガイド兼ドライバーは、陽気なオーストラリア人Dan/ダンである。

<キングス・キャニオン>トレッキング
(防虫ネットは必須)

Watarrka National Park-Kings Creek Canion
ワタルカ国立公園ーキングス・クリーク・キャニオン

アリススプリング・デザート・パークで

< アボリジニ洞窟アート> と <モチーフのトカゲ>

野宿するAyers Rock Campsiteに到着 料理当番による夕食作り

満月の下でのキャンプファイアーは楽しい 毒蛇に注意せよ!
<満月・南十字星下の野宿>
Ayers Rock Campsite/エアーズロック・キャンピング・サイト
Sketched by Sanehisa Goto

焚火のそばでの野宿
Ayers Rock Campsite
1日目は、Ayers Rock Campsiteで、2日目Ululu Campsiteで焚火をし、コーヒーを飲みながらの野宿である。それも、寝袋に潜り込み、フルムーン・南十字星を鑑賞しながらのキャラバンであるから嬉しい。
■3月13日 <Ululu Rock Tour> 2日目

Ayers Rock/エアーズロック・キャンピング・サイトを撤収し、出発

ツアーバスの様子
■《Uluru-Katata Trekking / オルガ群山トレッキング》

オルガ群山トレッキング
オルガ群山<風の谷>トレッキング

アボリジニの地 / Abriginal Land<風の谷>6景
Sketched by Sanehisa Goto

当番制のランチ準備 Rock Art 鑑賞

ロックアート

夕日を浴びるエアーズロック/Ayers Rock
エアーズロックは世界で2番目に大きい一枚岩
先住民アボリジニの聖地
オーストラリア大陸のほぼ中央・臍

エアーズロック登り口(一時閉鎖中) エアーズロック周遊のためのラクダ乗場
▼3/13 2日目 Ululu Campsite にて野宿

ツアー2日目<ウルル・キャンプサイト / Ululu Campsite>到着
■3月14日 Rock Tour 3日目
《エアーズロック AIRS ROCK / ウルル》
エアーズロックは、アボリジニの聖地である。
世界自然遺産<エアーズロック>は、オーストラリアのノーザンテリトリーにある巨大な一枚岩で、現在は「ウルル」という先住民アボリジニの言葉で呼ばれることが一般的である。
<エアーズロック / ウルル>は、「世界の中心・大地のへそ・地球のへそ」という意味であり、高さ約348m、周囲約9.4kmであり、世界で2番目に大きい一枚岩である。
岩の砂岩は鉄分を多く含み、酸化により赤く見え、朝日や夕日で色が刻々と神秘的に変化する。
古い壁画・ロックアートは1万年前のものと推定されている。
当然、登れると思っていたエアーズロックは、登り口に張られた一枚の無情な看板によって夢は消え去った。
「一切のエアーズロック登山を一時禁止する」
ガイドによると、神聖なアボリジニの聖地として<エアーズロック>を守るため、観光登山を認めないとのことである。
聖地を靴で踏みにじられ、聖地が観光化されることへのアボリジニへの配慮と共に、エアーズロックの自然崩落・浸食が憂慮されてのことだという。
(注:2019年10月26日より登山が恒久的に禁止されました。)

朝日を浴びるアボリジニの聖地<エアーズロック/Ayers Rock>

憧れのアボリジニの聖地<エアーズロック>と共に

Ayers Rock Sun-Rising
2009,March 14, 06:05
Sketched by Sanehisa Goto

夜、月光に浮かび上がる<エアーズロック/Ayers Rock>
2009,March 14, 23:32
Sketched by Sanehisa Goto
<詩 ウルル - マザーランドにおりて>
ああわれいま 地平の果て
アボリジニのメッカである
エアーズロック・ウルルの地に
臥しおりて南十字星を眺む
焚火照らせし野宿の地
満月の光浴び 静寂に沈み
ああわれいま消えゆく民族
アボリジニの悲哀を嘆く

自然崩落・浸食が進むエアーズロック

Ayers Rock で出会った生き物
<トカゲ と 蝿>

3日間のロック・ツアーを終え、帰路に
▼3/14 アリススプリングス <Alice Springs Youth Hostel>泊
■3月15~16日 バス移動
■<アリススプリングス ➡ ダーウイン 1505km>
①3/15 グレイハウンド・バス #GX880 <アリススプリング ➡ カサリン>1185km
②3/16 《カサリン・カカドゥ ツアー》 <カサリン ➡ ダーウイン>320km

①<アリススプリング ➡ カサリン> グレイハウンド・バス #GX880 1185km
<先住民アボリジニ同乗記>
ここノース・テリトリー(北部地方)に来て初めて、先住民アボリジニの人たちとバスに同乗することとなった。
これまでは、都会にたむろする生活保護や年金を受けているアボリジニの人々だったのであろう。 彼らは仕事に出かけることもなく、その日暮らしのため移動する必要がなかったわけである。
しかし、この地方では政府の補助に関係なく、自立しているアボリジニの人々がたくさんいるということを知った。
彼らは人間としての生きる目的と希望を持ち、労働に汗することにより本来の人間らしさをとりもどした人々で、朗らかさと自信、教養と勇気を持ち合わせた人々であった。
服装、表情、態度、言葉遣いに教養がにじみ出ており、かえって差別的観察をしているこちらのほうが恥ずかしい思いにさせられた。
人間としての尊厳、アイデンティティは、金によっても、国の保護政策によっても根底から根絶することはできないことを彼らから学ぶこととなった。

<テナント・クリーク>トイレ休憩時
マスコット嬢<Ms.Ailron>の出迎えを受ける

グレイハンド バスに衝突したカマキリ
▼3/15 バス車中泊 <グレイハウンド・バス #GX880>
■3月16日 ツアー参加のためカサリン下車
《Greyhound KM Balance Check》
<グレイハンド KM バランス チェック>とは、広大なオーストラリア大陸を網羅するグレイハンド・バス会社の全路線乗車パスである。
今まで利用してきたように、ある一定の都市間の鉄道路線および航空路線距離や、観光ツアー距離と相互交換できる旅行者にとって便利なシステムである。
これまでの<グレイハンド KM バランス チェック>を見ておきたいと思う。

12:05 ダーウイン手前のカサリンで途中下車、<グレイハンド KM バランス シート>を利用し
《Kathrine & Kakado 3days Tour》 に参加、ツァーを楽しみながら、ダーウインに向かうことにした。
■《Kathrine &Kakado 3days Tour》 スケジュール
3/17 08:30 ピックアップ <Palm Court Backpackers>
<Nit-Nit Dreaming Boat Tour> (Nitmiluk 国立公園)
▼カサリン/Kathlin < Palm Court Backpackers>泊
3/18 07:00 <Kakado Adventure> Edith Falls-swimming
<Pine Creek> Gold Mine Town
<Yellow Waters> Cooinda Home-Crocodiles
<Waradjan Aboriginal Culdhol Center>
▼<Yellow River Camp Site>泊
3/19 07:00 <Nurlangle Rock Art> Cooinda
<Arnhem Land Escarpment> Aboriginal Culture
<Bowali Visitor Center>
<Jabiru Crocodile & Libirr Rock Art>
17:45 ダーウイン/Darwin 着
カサリンの街は、北320kmのところにあるダーウインへのツアー出発地として知られ、オーストラリア・ノーサンテリトリ(北部地方)の主要な都市を結ぶ、人気の観光ルートである。
街にはためくオーストラリア新旧国旗をスケッチしたり、店に飾られた先住民アボリジニのデザインを模写したりと、英国植民地時代にタイムスリップしたような、哀愁に満ちたコロニアルの建物を見ながらの散策である。
オーストラリア新旧国旗

アボリジニのイラスト<DUNMARR>

植民地時代のコロニアル街並みが美しいカサリン
▼3/16 カサリン/Kathline <Palm Court Backpackers>泊
■3月17~19日 《Kathrine & Kakado 3days Tour》
<カサリン ➡ ダーウイン 320km 3日間ツアー>
<3/17 ツアー1日目>
早朝5時起床、ツアーの準備開始。
熱帯雨林、それもジャングル地帯となるので、前日揃えた携行品を再点検する。
□蚊・蝿対策(防虫スプレー/ネット帽子/長袖シャツ/長ズボン)
□水(1日に約1.5Lとして4.5L用意)
□水着・サングラス・日焼け止め・リップスティック
□雨対策(ポンチョ・綿ポリ系下着一式)
□スニーカー・スリッパ・カメラ・ヘッドライト・筆記用具
□非常食(ビスケット・飴・チョコ・リンゴ3)

<Kathline Kakad Tour> ロゴマーク
アデレードの西、タークーラから北上し、アリススプリング経由カスリンに至るまでは、砂漠や、
岩山、台地・荒野の連続であったが、カサリンからのツアーは、ダーウインまでの間、熱帯雨林地帯
を駈け抜けるのである。
小鳥たちも明るくド派手な熱帯用衣を着飾っている。 どこかすべてが華やいだトロピカーナの世界で
ある。
赤道に近いダーウインに近づくに従って、道路わきのヤシの木が、南国ムードを漂わせ、熱烈に
訪問者を迎えてくれるていた。
08:00 時間通りに、ツアーガイド兼運転手のマットが、宿泊先にピックアップ。
すでにツァーバスには、グループ21名がすでに収まり、笑顔で迎えてくれた。
40代のご婦人以外は、60~70代だろうか、静かな落ち着いたツアーになりそうだ。
ツアー1日目の午前中のルートを確認しておくと・・・
09:10 <Nitmiluk National Park> (ニトミルク国立公園)
・1st~2nd Kathlino Gorge(カサリン渓谷)
・Southern Rockhole (サザンロックホール)
・Pat’Lookout (パット展望台)
・Aborigines Art Center (アボリジニ・アートセンター)
・Jedda‘s Rock (ジェッダ―ロック)
11:10 ・The Narrows (ザ ナローズ)
12:15 昼食 <ビーフカツ・ポテトフライ・野菜サラダ・パン・コーヒ・ビール>

<1st Kathlino Gorge> Nitmiluk N/P Cruise-katherine River

カサリン渓谷

<2nd Kathlino Gorge> Nitmiluk N/P Cruise-katherine River
カサリン渓谷に落ちる多くの滝が神秘的である
Sketched by Sanehisa Goto

カサリン渓谷

Kathlino Gorge<カサリン渓谷>

<NITMILUK TOURS>Captain Nitmiluk N-P Tourロゴマーク

<BOWER> Nitmiluk国立公園にて
Sketched by Sanehisa Goto

<Crocodile> Katheline
Sketched by Sanehisa Goto

1937製 <lying Doctor>Kathline Museum
Sketched by Sanehisa Goto

<Spring Valle> Katheline
Sketched by Sanehisa Goto
▼3/17 カサリン/Kathline <Pine Tree Motel>泊

ツアー1日目<Pine Tree Motel> 昼食・宿泊先

プールサイドで日光浴 Best Western系列のMotel
<Pine Tree Motel>
<3/18 ツアー2日目> <Kakado Adventure> 快晴
07:00 Nitmilk National Park/ ニツミルク国立公園
<Edith Falls-swimming>/エディス滝ー水浴
<Pine Creek> Gold Mine Town/パイン・クリーク
<Yellow Waters> Cooinda Home-Crocodiles/イエロー・ウオーターズ
<Waradjan Aboriginal Culture Center>/ワラジャン・アボリジニ文化センター
▼<Cooinda Safari Camp Site>泊

<Cooinda Safari Camp Site>泊
アイススプリングの北に広がる<タナミ砂漠>を縦断してきたものにとって、ここNorthern Territoryは、水があふれ、樹々の緑に囲まれ、この地球にまだこのような美しい場所があったかと、旅人には、エルドランド<桃源郷>に思えたに違いない。

<Edith Falls> Nitmilk National-Park
Sketched by Sanehisa Goto

<Yellow River> Jin-Jin Creak
Sketched by Sanehisa Goto
この乾いたオーストラリアの大地に、このよう天国があるとは、だれが想像しえようか。
神はすべてにあまねくその恵みを与えたもうておられる。
川面に咲く睡蓮の美しきこと、自由を高らかに歌い上げている妖艶なインコたち、
イエローリバーは幻想的な顔を今日も見せていた。

イエローリバー・ツアー
KakadoGrass Hopper & Gungurni
カカドゥ・バッタ と アボリジニの小人
Sketched by Sanehisa Goto

Aboriginal Rock Art <WARRANURRUNG>
アボリジニ・ロック・アート
Sketched by Sanehisa Goto

Kakady Rat / カカドゥネズミ
▼3/18 2日目 <Yellow River Camp Site>泊

Yellow River Camp Site

カカドゥ国立公園 イエローリバー・キャンプサイト
Sketched by Sanehisa Goto
《新しい命を与えられ》
ああわれいまKakaduにおりて
天を仰ぎて満天の星を浴び
営火を囲みて南十字星を眺めおる
近きにありてはティンカの遠吠え
満月と響き合いジャングルに響き
われ噛みしめて新しい命満つなり
<3/19 ツアー3日目> 快晴
06:00 イエローリバー キャンプサイト出発。
08:45 <Nurlangle Rock Art> Cooinda/ <ナーラングル・ロックアート>クーインダ
<Arnhem Land Escarpment> Aboriginal Culture/ アボリジニ文化
12:00 Lunch - Jobiru/ ランチ
14:00 <Bowali Visitor Center>/ ビジターセンター
<Jabiru Crocodile & Libirr Rock Art>/ ロックアート
17:32 ダーウイン/Darwin 着
ツアー参加者は、日本からの私以外はみな肉食系の白人さんたち、それもすでに触れたように
高齢者がほとんどである。
この過酷なツアーに参加しているというだけでも驚きであるが、やはり行動範囲はどうしても
狭くなるようだ。
トレッキングなどの野外活動になると、遠出に参加せず、みなさん参加者の帰りを待つことになる。
体重からして私の3倍はあるだろうか、老人であっても巨体ぞろいである。
その巨体が、みなのアクティビティ意欲をそぎ、何のためのツアー参加だろうかと、考えさせられた。
このツアーの魅力であるキャンプ・サイトでの寝袋にくるまっての南十字星鑑賞や、野生動物の
夜間行動観察など、ほとんどその魅力を享受せずに終わっているのであるから、残念であろう。
■ < Rock Arts – Kakado National Park>
ーロックアート・カカドゥ国立公園-
オーストラリア北部に位置するカカドゥ国立公園は、マングローブや大湿原から砂岩質の峡谷を有し、多くの種類の動植物、特に野鳥類の重要な生息地として知られる大自然が広がるなか、先住民アボリジニによる数々のロックアートや壁画も残されている。自然と文化が共存する壮大な複合遺産から、神秘のパワーを感じることができる。


カカドゥのロックアートは、アボリジニの文化と歴史を伝える貴重な遺産である。世界でも貴重なロックアートが集中しており、20,000年以上前のロックアートに接することができる。

-
- カカドゥのロックアートは、X線画法という人間や動物の骨格を描いたり、まるで宇宙人のように細長い、呪術的な描写をしたり、それもほとんどが垂れ乳を持ったご婦人であったりと、ここでしか見られない特徴あるロックアートである。
-
< Sketch-Rock Arts – Kakado National Park>
《スケッチ・ロックアート》
Sketched by Sanehisa Goto

ロックアートの彩色に使われた奇岩群
<Anbang Bang>
Kakado National Park
まっすぐ北へ、スチュアート・ハイウエーを走り抜けるとツアー最終地ダーウインに着く。
ダーウインに近づくにつれて、樹々が緑を付けている。 乾燥した砂漠や台地を走り続けたツアーも
熱帯雨林地帯に近づいているようである。
カジュマロの樹々も、われわれを歓迎しているようである。

カジュマロの樹Kakado N-P
Sketched by Sanehisa Goto
道路がジャングルと同じ高さか、ジャングルよりも低いところもあり、雨水が溜まりマイクロバスは冠水の
中を、水しぶきを上げながらダーウインに向かっている。

ダーウインへと続く湿原地帯
京都の湿気を含んだあの蒸し暑さが、体によみがえった。
07:30 ツアーバスは、約320kmの3日間の旅を終えて、ダーウインの街に無事到着した。
▼3/19~20 ダーウイン/Darwin連泊 <Darwin Youth Hostel>
69 Mitchell St.,


ダーウイン・ユースホステルで料理中 珍しい<オーストラリア・ツカツクリ>
■3月20日 ダーウイン滞在
ダーウインは、赤道に限りなく近く、暑さのために街には人影もまばらである。
夕方5時ごろから、仕事帰りの人々は、涼を求めてパブに詰めかけ、大賑わいである。
まずダーウインの街を知るため、散策に出かけた。

ダーウイン郊外&市街地図
(ダーウイン・ダウンタウン ....…散策ルート)
ラメロ・ビーチ/Lamero Beachの南端に<戦争慰霊碑>が建っている。
太平洋戦争前、日本軍が南方の資源獲得のため、その後方防衛のためオーストラリア北部の主要港であったダーウインを爆撃、破壊したことを思い出した。
その碑文によると、日本に戦争捕虜として日本に抑留していた22000名のうち1/3にあたる、約7000名の処刑を追悼して建てられたという。
その処刑にかかわったとして、多くの日本軍将兵もB級戦犯として裁かれ、処刑された。
戦争慰霊碑には、戦争は憎しみだけを残し、平和と愛を生まないことが刻まれていた。
戦争慰霊碑、潜水艦伊-124号慰霊碑、ダーウイン戦争博物館を回って、知られざる日本軍によるダーウイン爆撃を少しでも知ることに努めた。
現在のダーウインは、平和な街として多くの観光客を集め、賑やか出る。
しかし、その町のすべてがアメリカ産によって占められているようで、少し思いすぎであるが、なにか日本への怨念を見る思いで、すこし悲しさを覚えた。
みなコルゲートのミント系歯磨き粉を使い、コカ・コーラに、マクドナルドのハンバーガーを口にし、バスはもちろんアメリカバスの代表であるグレイハウンド・バスである。 もちろんスーパーマーケットは、ウールワースである。
水洗便所の便器でさえ、TOTOではなくアメリカ製CORONAであるから徹底しているよう見えた。

戦争慰霊碑 潜水艦 伊-124慰霊碑

ダーウイン攻撃に参加した伊124号潜水艦<Darwin's Submarine I-124>

爆撃記念碑1942年2月19日 ダーウイン戦争博物館

ダーウイン戦争博物館<撃墜されたゼロ戦の残骸>
グレイハンド・バスの営業所に出向き、ケアンズでのツアーの申し込みを終える。
帰国する4月1日までのスケジュールが決まり、いよいよオーストラリア大陸踏破を終えることになると思うと、少し寂しさを感じる。
初期の計画通り、ダーウインからグレイハンドによる陸路でのケアンズを希望していたが、旅当初の水害や、山火事による災害により大幅に旅程を縮小することになったので、急ぎケアンズにもどって、ツアーに参加して取り戻したいと思っている。
実際、ダーウイン~ケアンズ間をバスで踏破すると、4日もかかるのである。致し方なく、空路ジェットスター航空を使用することとなった。
以下の表は、オーストラリア大陸一周の目的で購入したグレイハンド・バスの<周遊KMパス>の残KMを表している。 使い方ついては、すでに説明してきたが、バス以外に空路・列車・ツアーなどにKM換算で合算することができる便利なパスである。
自然災害に対処するために、また広大なオーストラリア大陸を周遊するために編み出されたシステムであるといえる。
ダーウインより、ケアンズに移動した時点の<グレイハンド・バケットKM換算残>は5800㎞であり、この換算残を使い切るためケアンズでのアクティブティ参加を以下のように決めた。

今回も、自然災害や、辺居地での交通手段の確保ができずに、オーストラリア大陸一周を断念、帰国まじかに迫っても<KMパス>の未消化分が残ってしまっている。
最終地であるケアンズでのツアーに参加し、消化するつもりである。
ケアンズは、野外アクティビティ天国として知られ、オーストラリアを離れるにあったって熱帯雨林を歩き回り、川でカヌーやラフティングを、バリアリーフでセーリングやシュノーケリングを楽しむつもりだ。
<先住民アボリジニ考4>
先住民アボリジニの交通手段は、ほとんどが航空機を使用せず、もっぱら運賃の割高な、速度も遅い不便な路線バスを使用しているようだ。
バス乗車にあたっては、バスの真ん中より後方の席に座り、白人に対して卑屈な態度を示しているようである。 差別は、アボリジニのほうから提供しているように見受けられる。
地方のグレイハウンド・バスは、残念ながらアボリジニの専用車になりつつあるように見受けられた。
▼3/20 ダーウイン <Darwin Youth Hostel>連泊
■3月21日 ダーウイン/Darwin ➡ ケアンズ/Cains 空路移動
3/21 Jetstar Air #JQ58
<ダーウイン 05:05発 ➡ 08:05着 ケアンズ> 183$AU
土曜の早朝、若者たちは一週間のストレスを発散しているのであろうか、不夜城と化したディスコ
からは、パーティの単調なリズムが、心地よく響いてくる。
午前5時発の飛行機に乗るためには、2時に起床し、2時間前に空港でチェックインなのだから、深夜タクシーを呼び、空港に駆けつけるのだから、大変である。
今日は一日、アクティビティに参加する前の休息日にあて、日光浴をしながら読書を楽しんだ。
▼3/21~30 ケアンズ <Cains Central Youth Hostel> 連泊

■3月22日 ケアンズ
朝の散策は、海のレジャー基地であるベイエリアを楽しむ。
サンドイッチでランチした後、同宿の日本人グループと、四駆でケアンズ北部の熱帯雨林帯をドライブである。

熱帯雨林帯をドライブ
ケアンズ
■3月23日 ケアンズ滞在

朝食<魚のフライとサラダ> ランチのインスタントラーメン

スケッチに残した魚君
■《バロン・リバー・ラフティング》参加 155$AU





《バロン・リバー・ラフティング》を楽しむ

Barron River Rafting
Sketched by Sanehisa Goto
■3月24日 ケアンズ 休息日
■3月25日 ケアンズ滞在
《Great Barrier Reef Seiling Tour》参加

Barrier Reef Sailing Coral Sea Cruses Passion of Paradaise 号

Grear Barrier Reefのサンゴ礁群

Snorkelで出会った魚たち
Sketched by Sanehisa Goto

3-25Passion 号とサンゴ礁

<Sooly Tem> <Clown Trigger Fish>
Michaelmas Cay N-P シュノーケルで
■3月26日 ケアンズ <休息日>
ケアンズ・ユースホステルのプールサイドで、日光浴をしながら、スケッチに彩色、読書で過ごす。
《Sketch Painting》
Sketched by Sanehisa Goto

熱帯林/ジャングルの生き物たち
Kuranda Barron Gorge National Park

ペリカン属<Sazanka Sowary>
Kuranda Barron Gorge National Park

熱帯雨林/ジャングル
Tropical Rainforest Jungle
Kuranda Barron Gorge National Park

Ringtail Possum / リングテール・ポッサム

Lemroidas/ レムロイダス
■3月27日 ケアンズ
■《Skyrail-Reinforest Tour》
空中ゴンドラによる熱帯雨林ツアー

Skyrail-Reinforest

<The Dynamic Rainforest>
《Skyrail-Reinforest Tour》



観光列車による熱帯雨林鑑賞
<KURANDA SCENIC RAILWAY>
ケアンズ熱帯雨林のカジュマロ
ケアンズ熱帯雨林のモモンガたち

ケアンズの花達
■3月28~29日 ケアンズ
■ 《One-Night Snokelling Tour》
CAIRNS DIVE CENTRE
スノーケリング・ツアー
Great Barrier Reef







3-28 Briggs Reef シュノーケリング
Sketched by Sanehisa Goto



Catfish-Cains Bay

<Napoleon-Maori> Great Barrier Reef
Sketched by Sanehisa Goto
■3月30日 ケアンズ 帰国準備と休養日
■3月31日 空路<Cains ➡ Narita> 帰国
6番目のオーストラリア大陸踏破を終えるにあたって、次なる第7番目の<失われた大陸>と言われる《ジーランド》へ夢をはせているが、今はオーストラリア東の海底に沈んでおり難しそうである。
せめての慰めは、ジーランドの一部と言われるニュージランドを自転車で駆けた日々を大切にして、地球星の全大陸を巡り終えることにしたいと思う。
6大陸踏破という長年の夢がかなったことに、心から感謝したい。
旅日記の最後に書き添えたメッセージを紹介して、六大陸最後のオーストラリア大陸の旅を終えたい。
<FUTEN TAKIさま : 人の道>
ただいま、3月30日午前1時22分、ケアンズ・セントラル・ユースホステルのプールサイドのテラスより南十字星を眺めながら、人の一生の儚さと、出会いから学ばなければならない<人の道>について考えさせられています。
約2億年光年かけて悠久なる星より<人の道>を学ぶためやってきて、限られた約90年という32850日を生かされるという超多忙な人生道を修行している身として、お互いの存在を認め合ったことは、大いなる価値ある出会いであったと感謝しております。
われわれもあとわずかで、それぞれの星に還って、その成果を報告せねばなりませんね。 一日一日がどんなに大切か、一人一人との出会いがどんなに重要か、旅立ちに備えて、心して生き抜きたいと思っております。
また、旅たちの前に、我が家へも遊びにいらしてください。
“I have been sent to Earth from the constellation Orion.
During this journey, I encountered the Great Barria Reef in the Coral Sea off the Australian continent, and was amazed that this beautiful, God-given coral reef still exists on this planet.
I will never forget this feeling.
I offer my deepest respect and gratitude to the Australian people who are committed to environmental conservation.
I look forward to meeting you again one day“
《星の巡礼 : オーストラリア大陸13000KMの旅》
2009/02/01~04/01
後藤實久
by Sanehisa Goto
完
ーーーーー
<オーストラリア大陸 スケッチ展>
ご案内
「オーストラリア大陸13000㎞の旅」より取り出したスケッチに、
詩句を添えて見ました。
shiganosato-goto.hatenablog.com
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎ 資料Ⅰ <旅行経費ーオーストラリア60日間>

(単位:日本円)
◎ 資料Ⅱ <オーストラリア北西部踏破の下調べ>
- ノーサンプトン(北西WA)→ダーウィン間に“単一の直行バス”は基本的に存在しない。幾つかの長距離コーチ(州間ネットワーク)をつなげば陸路で行けますが、区間ごとに事前確認・接続手配が必要です。
- WA内の長距離はIntegrity Coach Lines や TransWA 等、北部(ブラーム〜ダーウィン)の長距離はGreyhoundなどのコーチが主要ルートを持ちます。区間分割で移動するのが現実的です。
- ヒッチハイクは法的に全面禁止ではないが、リスクが高い(交通量の少なさ・極端な暑さ・携帯圏外・動物や夜間の危険など)。頼りにせず代替手段(コーチ、チャーター、フライト、ツアー)を基本に。
- 補給(食料・水)は可能だが町と町の間隔が長い。大きな町(Geraldton, Carnarvon, Karratha, Port Hedland, Broome, Derby, Kununurra, Katherine 等)でまとまった買い出しを。ローカルのロードハウスやステーションで簡易食料は買えますが品揃えは限られます。
- ベストシーズンは「乾季(概ね5〜10月)」。雨季(11–4月)には道路が閉鎖されたり渡河が不可能になります。Gibb River Road等は季節で閉鎖されます。
・ 交通情報
① 直行バスは基本なし → 区間を繋ぐ
例:ノーサンプトン近郊(Geraldton経由)→西海岸沿い北上 → Carnarvon / Exmouth →
Port Hedland / Karratha → Broome → Derby →(Kimberley 経由)→ Kununurra →
続いてダーウィンへ、という区間分割になります。
● WA内の長距離・地域コーチ:Integrity Coach Lines, TransWA(区間により担当が違う)。
integritycoachlines.com.au+1
● 州を跨ぐー北部方面:Greyhound等、各社の運行は季節や需要で変わるので出発前に
最新時刻表を必ず確認のこと。Greyhound Australia
② ヒッチハイクについて
法律的に州ごとに細かい差はあるものの、公共の道路での乗車誘導自体が即違法とは限らない。
ただし実務上は極めてリスクが高い(長距離で車が少ない、気温・脱水、夜間、携帯圏外、
野生動物の危険など)。
やむを得ず試す場合の最低限の注意:人通りの多い昼間に、主要道路の安全な場所で、出発時に
行き先をはっきり表示し、必ず誰かに現在地と予定を伝える(SMS/紙のメモ)、現金と飲料水
を常備、夜間は避ける。とはいえ頼らない計画を強く勧めます。
③ 食料・補給(実務)
主要な補給拠点:Geraldton(ノーサンプトンに近い)→ Carnarvon → Exmouth → Karratha →
Port Hedland → Broome → Derby → Wyndham → Kununurra → Katherine → Darwin。
これらでスーパーやロードハウス、ガソリンを確保。区間によっては数百キロ補給無しになる
ことがあるので水(人1日最低3L以上、暑ければ6L程度)と食料の余裕を3日分は持つ想定を。
④ 野宿(キャンプ)と注意点
季節に注意:乾季(May–Oct)が安全。雨季は渡河・洪水で閉鎖が頻発。
Gibb River Road 等は季節で閉鎖される。
クロコダイル(Top End):ダーウィン周辺〜Kakadu等の“Top End”地域は淡水・海岸の
こでも塩水クロコがいる可能性。水辺の近くでのキャンプ/洗い場/釣りなどは厳禁。
キャンプは常に高台(高水位より十分上)で、食べ物は徹底的に管理。NT政府(Be Crocwise)
の注意を必ず読み行動を。
1 野生動物・害虫:ヤマアラシのような大型動物、蛇、蚊(特にマラリアではないが感染症や
不快)、ノミ・ダニ。寝袋やテントは地面に直接ではなく整備されたサイトを使う。
2 燃料・車両:無人区間があるため燃料は余裕を持つ(ガソリン携行缶を推奨)。トラブル用
に予備タイヤ・工具・冷却水・電気系保守。4WD推奨。
3 通信・救助手段:携帯が使えない区間が長いので、PLB(パーソナルロケータービーコン)
や衛星メッセンジャー(InReach等)を携行することを強く推奨。
緊急時の位置通報に役立ちます。
⑤ 先住民(アボリジニー)との関係・許可
大きな面積がアボリジニの私有地(Native title / Aboriginal land)であり、
特にNTや一部WAのコミュニティ/土地は入域許可(entry permit)や通行許可が必要です。
無断で立ち入ると法的問題・トラブルになる場合あり。
旅行計画時に各地域のランドカウンシルや州政府の許可ページを確認・申請を。
現地での礼儀:写真撮影や宗教的儀礼、サイト(岩絵や聖地)への立入りに関しては厳しい
禁忌があることが多い。
事前に許可を取り、地元のガイドや公認ギャラリー/アボリジニー運営ツアーで学び・
購入するのが望ましい(正しい経済還元にもなる)。
⑥ 見どころ(立ち寄り候補)
<西海岸〜北上ルートの主な町/見どころ>
Geraldton(ノーサンプトン近辺)→ Carnarvon(シャーク湾)→
Exmouth / Ningaloo → Karratha / Karijini(国立公園)→ Port Hedland →
Broome(Cable Beach)→ Derby → Gibb River Road(四輪道で壮大な峡谷と滝)→
Wyndham → Kununurra(Lake Argyle)→ Katherine(Nitmiluk/Katherine Gorge)→
Kakadu国立公園 → Darwin。
上記は地域ごとにアクセス条件が違う(4WDが必須の箇所やコミュニティ通過許可が
必要な箇所あり)。事前に各ビジターセンターで道路・許可情報を確認しましょう。
⑦ 実用チェックリスト(最低限)
書類:パスポート(外国人の場合)、運転免許、
各種許可のプリント(Aboriginal land permit など)
安全装備:PLB / 衛星メッセンジャー(例:Garmin InReach) 、ファーストエイド、
十分な飲料水(+余裕分)、サバイバルブランケット、日焼け止め・帽子
車両:4WD推奨、予備タイヤ×1〜2、工具、牽引ロープ、冷却水、燃料携行缶(規制確認)
食料:非常食(高カロリー)、調理器具(必要なら)/町でのまとめ買い計画を立てること
情報:出発前に各会社(Integrity, Greyhound, TransWA)と道路情報(Main Roads WA /
NT Road Report)をチェック。
⑧ 代替案(安全かつ楽な選択肢)
区間ごとにフライトを使う:長距離走破の“空白”を飛行機で埋める
(例:Perth⇄Broome/Broome⇄Darwin の一部区間)
現地のツアー会社やチャーターを利用:特にGibb River RoadやKimberleyは4WD・ロッジ泊・
現地ガイド付きツアーが安心
レンタカー+戻り便(one-way)を使って幹線は車、遠隔部はツアー等のハイブリッドも実用的
◎資料Ⅲ <オーストラリア一人旅 携行品>
□水着 □シュノーケリング・セット □簡易傘・ポンチョ □空気枕 □サングラス □リップスティック
□サブザック □地図 □磁石 □筆記具 □カメラ(充電器) □ラジオ □運転免許証
□VISACard □現金 □ ユースホステル会員証 □耳栓 □アイマスク □ペンライト
□防犯用鍵 □バス用ジャケット(防寒)
□洗面用具セット
□ 救急用品(胃腸薬・下痢止・浣腸・バンドエイド・栄養剤・三角巾)
□ 修理用品(ガムテープ・裁縫セット・銅線)
□車中用食料(リンゴ・バナナ・パン類・水) □バックパック □簡易スリッパ
□変圧器・アダプター (240/250V・50Hz / プラグ-ハの字型)
◎資料Ⅳ <旅程表>


資料Ⅴ<各大陸踏破関係ブログ先>
《第7の大陸「ジーランド」の一部と言われるニュージランドの旅日記》
shiganosato-goto.hatenablog.com