shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2003『星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』

星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』

 

 

1944年3月8日、インパール作戦開始の地、ビルマ(現ミヤンマー)のカレーミョウから旧日本軍第15軍団の3師団<弓第33師団・祭第15師団・烈第31師団>は、インパール攻略の火ぶたを切った。

その72年後の2016年3月、ビルマ側のインパール作戦退却路・アラカン山脈白骨街道を歩き、慰霊記を書いている。

それ以前の、2003年2月、インド側のインパール南道を歩いたことを思い出し、ここにインパール攻略最前線となったインパール南道の戦跡を書き残すことにした。

 

飛行機でカルカッタまで飛び、列車で太平洋戦争時の<援蔣ルート>の兵站地であったディマプールを経由し、烈第31師団の作戦目標であった<援蔣ルート>遮断のために占領したコヒマを通って、旧コヒマ街道を南下し、インパールに至った。

 

<援蔣ルート>とは、日中戦争における大日本帝国中華民国の蔣介石政権の対立の際、主にイギリス、アメリカ、ソ連が蔣介石政権を軍事援助するために用いた輸送路のことである。

 

      インパールへの途次、インド国鉄 カルカッタ(コルコタ)・シ-ルダ/Sealdah駅で

 

      

       インパール作戦のDVD・高木俊朗著「インパール」ほかを参考にした

 

 

星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』

 

いよいよ『星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』が始まる。

関西国際空港を出た飛行機は、シンガポールで乗継、カルカッタチャンドラ・ボース・インターナショナル・エアーポート>に到着。

カルカッタ・サルベーション・アーミ・ゲストハウスに数日滞在し、インパール南道戦跡慰霊の準備を整え、カルカッタ(コルコタ)・シ-ルダ/Sealdah駅より、インパールの玄関口・ディマプールに向かって列車で出発した。

 

途中、ダージリング登山列車に乗ってスイッチバックを体験したが、体験記は次回に回すことにする。

 

ディマプール方面行の列車はデリー始発の、2月12日早朝3時便なので、乗継駅であるNew Jalpaiguni前の<ヒルトン ホテル/100Rs.>で仮眠をとった。

 

Train #4056 ニュー・ジャルパイグリ駅/New Jalpaiguni 03:05am発 

       ディマプール駅/Dimapur 20:26pm 着  <664km・約18H>

 

インパールへは、ディマプールで下車し、バスまたはTukTuk(三輪タクシー)に乗換えての旅となる。

 

 

■2月12日 インパールへの道

ここジャルパイグリ駅/New Jalpaiguniは乗継駅とあって、大混雑である。

深夜であるにもかかわらず、ホームはじめ駅内外は列車待ちのため、荷物にもたれて発車を待っ人々で溢れていた。 

ひっきりなしに駅へ到着する人々の群れ、それぞれの目的地に向かうのだ。

それぞれの最終目的地は決まっているのに、ここジャルパイグリ駅からは沢山の銀河鉄道が一人一人の目的地に向かって出発していく光景に出会う。

このような人間の群れの移動は、人口大国である中国でも同じ光景に出会った。

人びとの流れに、おのれを沈めて見るとよく分かるのだが、そこには秩序というよりも、運命に流されている群衆の一人としての己に出くわすのである。

そのエネルギーに、無限なるマンパワーを感じると同時に、右往左往する人間の滑稽さも味わった。

 

人間の坩堝(るつぼ)を、一匹の蚊が飛び回り、獲物を求めての飛翔する姿が、まるでスローモーション動画のように目に映る。

 

インドでの列車予約の場合、渡されたチケットは<Waiting Ticket>であり、プラットホームの窓口<Booking Office>で登録の上、正式なチケットを発行してもらう必要があるので注意を要する。

 

<生きるとは、そこに寄り添うものがあること>

インドは人間の坩堝(るつぼ)とみたが、その生きるエネルギーの凄まじさは、

<匂い>という強烈なアピールとしても出会う。

先にも述べたが、列車が駅に停車していてもトイレ使用が可能である。

線路上に落ちた排便・排尿は、気温の上昇と共に、その強烈な個性である<匂い>をもって、その存在を最大限に主張する。

命がある限り、寄添うもうひとつの自分なのであろうが、しかし、その個性は強烈すぎるのである。

 

インドは混沌のなか、共生できる柔軟な世界でもあり、その発想にインドの未来が潜んでいるように思えてならない。

 

<インド人、その特徴>

列車待ちの間、観察した範囲内に加えて、一般的なインド人の特性に触れておきたい。

 

時間に縛られない自由な発想と行動が出来る民族である(理数系・IT系)

嘘を嘘と思わない民族である(相手への思いやりも含めて)

お金に対し、異常に関心を持つ民族である(総インド商人)

何事にもポジティブな思考をもつ民族である(成功の確信・最新技術の導入・多様性)

人種・男女に関係なくフレンドリーな民族である(語学への積極性・多様性)

お洒落な民族である(口ひげ・サリー・色彩・香水)

ナルシスト(自分大好き)な民族である(自意識・決め顔・ファッション)

階級意識が強い民族である(カースト制・不平等・見下し怒り・優越感)

誤魔化すという罪意識が極度に低い民族である(平気な嘘・誤魔化し・責任転嫁)

人の話をあまり聞かない民族である(まずは自分が中心・相槌・無理解)

寛容な民族である(許し・フレンドリー・寛大)

 

 

この列車は、ニュ・デリー発の夜行列車である。

定刻を1時間過ぎたが列車は到着しない。

みな騒ぎもせず、何事もなかったような顔して、ラジオから流れる音楽を聴いている。

こちらも<イーヤ・プラン イーヤ・ハラン シャミー・・・・・・>と、

悲しげに、甲高い声で歌い続けるインドの哀愁に満ちた、侘しいインド歌謡曲に聴き入った。

 

駅のプラットホーム下の、線路上に積み重なった人糞からの悪臭が、また鼻をついた。

これでは匂いが体にもしみ込み、食事も喉を通らないのではないだろうかと思うのだが、これまたインドにおける<梵の世界>である。

インドの朝は、人糞の匂いをまとって明けようとしている。

 

ついに夜が明けた。

ディマプール行列車は3時間遅れで、ようやくニュー・ジャルパイグリ駅を出発した。

だが、途中でまた1時間重なり、4時間の遅延となり、ディマプール駅には深夜に到着しすることとなった。 

駅のなかをうろついていた沢山の野良犬たちが、見送ってくれていたのがとても印象に残った。

整ったいい顔をしているが、ホコリと垢にまみれ、汚物によごれ、その姿はやせ細って見る影もない。

ただ目だけは清らかで、澄んでいるのが、心をとらえた。

「命とはいったい何なのか、命の輝きは星の輝きであるはずだが・・・」

おなじ<星の王子さま>として、この世に生まれながら、彼らもまた銀河鉄道に乗ってこの世を旅しているはずなのに・・・。

これもまたヒンズー教の<輪廻転生・解脱>の絵図を見せてくれているようだ。

 

犬たちのもの悲しい眼光に見送られながら、列車は静かに駅を離れた。

 

<コンパートメント  インド人家族と>

車中のコンパートメントでは、デリーからのインド人家族グップラ家と一緒で、インドのインテリ家族に接することが出来た。

ご主人は50歳前後で弁護士、奥さんは高校の宗教主任で、二人の子供を連れて、奥さんの実家アッサム地方にあるジョルハットに向かうところだと紹介された。

息子アミータ君16歳は、MBA取得のため飛び級による大学受験中であり、娘エミさん14歳は音楽学校にすすみたいとのこと。

家族全員宗教心にあふれ、知的で、それぞれの目標に向かって人生を進めている健全で、賢明なインド人家族である。

インドの歴史、宗教、産業、気候、風習について話を聞かせてもらった。

こちらは、インパール戦跡を訪ねるのだと伝えると、インドのここ東北の僻地<三角地帯>は中国・ミヤンマー・バングラディシュ・ブータンと国境を接する暗黒の三角地帯と言われる危険地帯であるので、旅行者は特に気を付けるようにとのサジェスションを受けた。

 

また、ご主人が弁護士であることから、東京裁判でのパール判事の被告人全員の無罪主張に対する意見を聞いてみた。

パール判事は、インド独立運動の父ガンジーを尊敬し、英国はじめ欧米による植民地主義を批判しており、日本の対外侵略に対しても批判していたという。 ただ、東京裁判における平和と人道に対する罪という事後法をもって裁くことは国際法に反するという法定主義に基づいて主張したのではないか、との法科学生時代に学んだ意見を聞かせてくれた。

 

      ディマプールへ向かう列車で出会ったデリーから奥さんの実家に帰るインド人家族

 

 

<車内の汚れ  発展途上国インド>

発展途上国という状況は、日本もインドと同じ時代が過去にあった。

丁度、発展途上国である日本の1960年代に、わたしも青年時代を過ごし、先進国入りを意識して日々仕事に励んだものである。

1回目の東京オリンピックまでの日本もまた現在のインドのように、衛生状態はじめ、海外旅行におけるマナーにおいても発展途上国という汚名の中にあった。

インドもまた、発展途上という労苦の上に、先進国としての栄誉を勝ち取る日がこれより四半世紀内に訪れるであろうことを確信している者である。

(2022年現在、これより数年以内にGDPで日本・西欧諸国を抜き、第3位に浮上することが統計的に確実視されている)

 

一日列車内で過ごすと、手のひらは真っ黒に汚れる。

この汚れた手で、ビスケットや蜜柑、バナナを食べたが、今のところ胃腸に異常がないのが不思議である。 もちろん非常用に除菌用ウエットペーパーは携行しているが、このレベルでは使うことが出来ない。 ただ胃腸の消毒として、正露丸を放り込んでおいた。

剥いたミカンの皮の内側で、指を拭くと真っ黒に変わるから、日本の戦後もそうだったが、発展途上国の列車の凄さが分かるというものだ。 

なぜ清掃しないのだろうかと思うが、発展への情熱とパワーは衛生意識よりも、生活向上というゴール目指して、国民一丸となって突っ走っているように見えるのである。

 

<インド香料に導かれて>

参詣者により、白檀などを調香したお香が、聖なる供え物としてヒンズーの神様へ奉納され、ヒンズー寺院はいつもお香で満ちている。

お香は、同じ空間に居合わせたおのれと神との一体感を感じさせてくれるのである。

 

お香がたかれたのであろう、一筋の白いお香の煙が、真夜中の寝静まり返った車内にたなびき、鼻腔をくすぐる匂いに、聖なる心の高鳴りを感じた。

あの泥の中で清純なる蓮の花を咲かす仏教的高潔さにたいして合掌する姿と、どこか似た感情を味わった。

 

<▼2/12    列車 車中泊 及び ディマプール警察にて尋問> 

 

 

■2月13日 ディマプール/Dimapur    快晴

 ―インパール南道戦跡への入口―

 

<深夜の尋問  インパールへの道>

午前0時45分、列車は、お香の匂いを残しながら、インパールへのバス乗継の街ディマプールに到着した。

深夜のプラットホームに、数十人の乗客が降り立った。

薄暗い裸電球がかろうじて線路を照らし、ここが駅であることが分かる。

懐中電灯が近づき、乗客の顔を見定めている。 

前に立った警官は、こちらを一目見て、パスポートの提示を求めてきた。

どうもアーリア系インド人でない顔つきに、不信感を持ったものと思われる。

こちらも、ここディマプールが<暗黒の三角地帯>と言われる麻薬の密売地帯の入口であると、警戒していたものから、少し緊張したが、当然の尋問として冷静に受け止めた。

列車で同じコンパートメントで出会ったデリーからの家族の注意を聞いていたからでもある。

 

警官は、下車した乗客の内、不審なわたし一人を伴い、駅の向かいにある警察署に連行して、詳細な尋問を始めた。 また、こちらからも逆質問をしてインパールへの道をさぐった。

 

 目的地に対する尋問 「何しにインパールに行くのか」 

  (目的・滞在先・滞在期間・連絡方法)

② 本人確認 パスポートの提出とコピー保管

➂ 「NAGALAND 通過許可証」と共に「RAP=Required Area Permission」

   (入域許可証)の提示を求められたが、不所持を申告

「NAGALAND 通過許可証」・「RAP=Required Area Permission」

   (入域許可証)の取得先は下記とのこと :

  • コヒマ/Kohimaの中央警察署 
  • SP(Special Police/特別警察) 

⑤ インパールやマニプールに滞在せず、バスで通過するだけでも上記許可書は必要か

   (ここディマプールより先を旅行する場合、各許可証が必要であるとのこと)

 許可証は巡回SP(特別警察)が発行するので、巡回まで当警察署に留まること

⑦ パスポートと手荷物は警察が預かる

⑧ それまで身柄を拘束するとのこと(署内の留置所にて待機

 

これから先の<インパール戦跡巡礼>の困難さが予想されるが、4時間の尋問が終わった早朝、時を告げる鶏の声がディマプールの警察署にも聞こえてきた。

緊張を強いられた尋問を終え、安堵感からか、あくびをする余裕も出てきて、眠気が襲って来た。

ディマプールで一番安全な警察署の留置所に案内され、ひと時の睡眠に沈んだ。

 

        ディマプール警察での取り調べを終えて、解放された体を休める

 

 

ディマプール警察の尋問は、非常に紳士的であった。

主任警察官は、東洋人風な感じの係官で、威圧することなく非常に公正で、その尋問能力の高さをうかがわせた。

国防上、国境の街を守るという使命感に燃えた係官の厳しさに、緊張感が走ったが、その接し方に触れるに従い、彼らの親日的態度への変化に気づいたのである。

それは、尋問が進むにつれ、日本の大東亜戦争の戦争目的の一つであった<八紘一宇>、それに基づく<インド解放・独立>掲げた<インパール作戦>、その作戦に参加した<インド国民軍>の創設者チャンドラ・ボースインパールへの進軍などがあったこと、また、その激戦地インパールでの日英印の戦死者の慰霊をするための旅であることが、担当係官の間に伝わったことによるものだということがわかってきた。

 

大辞林』などでは、「八紘一宇」とは第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられ、「全世界を一つの家にすること」を意味する語句として使われたと記されている。

 

インパール作戦そのものは稚拙であり、無謀であり、特に日本側将兵に多数の戦病死(退却路が白骨街道と呼ばれるほど)をだして失敗したが、インドにとっては英国植民地からの解放闘争の一つの好機としてとらえた面が、地元には残っていたことに気づかされたのである。

 

朝が来た。

インド東北部の隘路に位置するディマプールの警察署の一夜を明かした留置場に、一杯の熱いミルクティーが差し入れられた。

差入れの老警官が微笑みながら「大変だったね」と、ねぎらいの言葉をかけてくれた。

言い方が適切ではないかもしれないが<地獄で仏>、いや神様の愛がこの老警官をとおしてもたらされたような気がした。

私はこの時、インパール戦跡への道が開かれたことを確信した。

やっと鉄格子のはまった息苦しい窓や鍵付きの扉から解放され、自由の身となった。

その後の対応は一変し、許可書も準備されており、パスポートも返却され「あなたは、これで自由にインパール南道戦跡を巡礼できますよ。 よい旅を!」と。

 

最後に、コヒマ(インパール作戦の激戦地)での、日本のミッショナリーによる、戦争に対するお詫びとして、住民の福祉向上の活動を続けていることに感謝の意を伝えられた。

わが同胞にもかくありし活動がなされていることを聞き、こころで手を合わせた。

 

担当者全員がディマプール警察玄関前で見送ってくれたのである。

 

なお、インパール作戦ビルマ側に関する詳細は、2016年にミヤンマー(ビルマ)のアラカン山脈に残された白骨街道慰霊に出かけた『星の巡礼 インパール作戦』を参照していただきたい。

 

『2016星の巡礼・インパール作戦退却路・アラカン山脈白骨街道における露営・慰霊紀行』~⑱

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/14290567


 

<解放感溢れるインド式田舎のトイレ>

警察から解放され、インパール行きバスを探しにディマプール列車駅にもどって、洗顔日課を済ませるため、まずトイレに立寄った。

インド式便器の横の水道栓から豊富な水が流れているではないか、ネパール以来の左手での懐かしき事後処理にとりかかった。

左手で水をすくいあげ、直接尻にあてがい、洗うのである。

何とも言えない柔らかい快感とすっきり感がいい、触感を通して脳に伝わってくるのがいい。 

日本の自動化された水洗便座式とは趣が格段に異なり、実に爽やかである。

紙を使わないインド式トイレ文化、左手は不浄と考えるヒンズー文化、食事はフォーク・ナイフ・スプーンを使わない右手でおこなう食文化・・・

何事も現地に飛び込み、直接体験することにより異文化を理解しえると云える。

 

警察署での緊張したやり取りから解放され、インド式用便で本当の自由を味わった気がした。

 

                       

                                                              インド式トイレ・Indian toilet

                       ディマプール駅にて

 

 

<インド側インパール南道の戦跡を行く>

 

 Dimapu       ➔     Kohima    ➔    Imphal            ⇔  Turfan  

ディマプール  ➔    コヒマ    ➔      インパール       ⇔    トルブン隘路口

(by TukTuk) 100Rs.              500Rs.            <戦跡巡り貸切 1000s.>    

      65km/2H      170km/ 6H               80km/ 7H

 

 

コヒマに立寄りたいため、バスの便が悪いので三輪タクシー/TukTukを乗り継いで、コヒマ経由インパールへ向かうことにした。

ちなみに、ディマプールよりインパールへの直通バス便は、ディマプール04:00発、インパール11:00着がある。 このバス路線は、ディマプール手前の街ガヒチ/Gahiti経由し、インパールへ向かう国道(AH‐1/アジアンハイウエー#1)を走っており、近道であり、最短時間の約6時間で着くという。

 

ディマプールより、コヒマ経由インパール行ローカル・バスは、旧日本軍侵攻路<コヒマ街道>を走っている。 

こちらは、インパール作戦時、最初に作戦を開始した<烈第31師団>が、英印軍の兵站路を遮断するために侵攻した街道をTukTukで走って見たかったのである。

 

帰路、ローカルバスを利用したが、殺人的断崖絶壁を、息を細めて乗ったことを今でもはっきりと記憶に残している。

 コヒマからインパールへ延びる当時の軍用道路<旧コヒマ街道>を、TukTuk(三輪タクシー)で走ってもらったが、使われず荒れ放題である。

旧街道にポツンと残っている英国植民地時代に設置されたマイル表示の距離道標を、進攻中の<烈師団>の将兵も目にしたに違いない、と思いながらインパールに向かった。

 

TukTukに向かって、懐かしい砂糖きびをしゃぶりながら、村の子供達が手を振ってくれている。

風をあびながら三輪タクシーは、不安定な図体を上下左右に揺らし、ガタピシの道路をかなりのスピードで走り続けている。

胃腸がねじれ、尻も跳ね上がるのだから、コヒマ侵攻の<烈第31師団>の将兵も難儀したに違いないのではと、想い描いていた。 

コヒマ街道を南下するには、若い体力が要求される。

 

烈第31師団の作戦目標は、コヒマを占拠し、インパールへの英印軍の兵力・兵站を遮断するとともに、兵站基地であるディマプールを攻撃することにあった。

しかし、ここコヒマ街道に到達した烈第31師団は、林第15軍からの兵站が絶えて、他師団がインパール攻略中にもかかわらず、撤退に踏み切ってしまうという作戦に齟齬を生む結果となってしまった。

 

先でも述べたが、ここインド東北部は、現在、各国と国境を接した暗黒の三角地帯と言われ、麻薬の密売組織の暗躍や、国境の小競り合い、難民の出入りが激しい地帯であり、また独立を主張する山岳少数民族のテリトリーでもあり、複雑な要素が絡み合った危険地帯であると、ディマプール警察で聞かされていた。

 

もちろん、ゲリラ・テロ地帯として、軍隊によって管理されている。

国道39号線(旧コヒマ街道)や、主要な橋を確保するため、完全武装の兵士によって厳重に防備されていた。

コヒマを中心としたナガラン州は、シッキムやカシミールと同じく、準臨戦体制下にあった。

 

<旧コヒマ街道  コヒマ➔インパール> 

コヒマ街道は、英印軍の主要兵站ルートであったがゆえに、インパール作戦北方の防禦を担当していた<英第4軍団所属 第23インド師団>の火力集中はすさまじかったと戦記には書かれている。

コヒマは標高1444m、インパールは標高788mにあり、ネパールのイラムや、この旅でトイ・トレイン乗車のため立寄ったダージリンと同じく山岳都市である。

 

作戦のネーミングとなったインパールが、最終攻略地であった。

もし攻略できていれば、インド解放を目指してチャンドラ・ボース率いるインド国民軍(INA : Indian National Army)がデリーまで侵攻する計画であった。

 

                                        コヒマ周辺戦闘経緯図 (烈第31師団/英印軍2・7師団)

                                               (川北英隆のブログ 「コヒマでの戦闘」より)

 

インパール作戦とは>

文献によると、

インパール作戦の目的は、「大東亜共栄圏」の西端に位置するビルマ北西部の山岳地帯から国境を越えて英領インドに侵攻し、連合国による中国国民党支援を目的とした「援蒋ルート」を遮断することを主目的とした、きわめてギャンブル的性格の強い作戦であった。』 と言われている。

 

1944年(昭和19)3月、インパール作戦を開始した第15軍は、第3師団(祭師団)を投じ、一時インパール北方まで侵攻し、コヒマ街道を遮断したが、兵站に失敗し、糧食・武器の補給が続かず、無念のなか祭師団は撤退を余儀なくされたことは先にも述べた。

 <武器は敵の物を奪って戦え> <糧食は現地調達せよ> との無謀な作戦計画の下で、立案されたインパール作戦は成立・完遂されることはなかった。

敵の武器奪取による補充に至っては、英印軍の戦術的後退により、計画通りに確保できなかったこと。 また糧食現地調達は、進軍路であったタクラマカン山脈には村落・民家が少なく最初から不可能であった。

一人1日握り飯1個で戦ったと生き延びた兵士の回顧録に見られる。 

それも退却時には木の皮や、昆虫やネズミ、昆虫や屍まで口にしたともいわれ、マラリアコレラ赤痢など熱帯性疫病の症状を呈して、タクラマカン山脈はじめすべての退却路は死傷者であふれ、白骨街道ともいわれる惨状を呈したといわれる。

 

インパール作戦失敗の要因は幾つも挙げられているが、作戦そのものが英印軍に早くから察知・研究され、防衛体制を構築され、作戦開始を待ち構えていたと、英印軍資料に残されている。

 英印軍は、豊富な物量と、堅固な陣地構築、制空権の確保、機動性を生かした退路遮断という日本軍とは対照的な定石戦術をとって大勝利している。

作戦前から、日本軍は<英印軍のインパールの罠>にかかり、すでに勝敗は決していたといわれている。

 チャンドラ・ボース率いる<インド国民軍>6000人は、<自由インド>・<インド解放>をスローガンに、日本軍と共にインパール作戦に参加し、ビルマ・アラカン山脈を越えインパールを目指した。

しかし、ビルマ側チンドウイン川に到達できたのは半数以下で、さらにアラカン山脈越えで戦病死約1900人を数え壊滅している。

その後、チャンドラ・ボースはインド解放のため、ソビエット連邦の支援を要請するために向かう途中、台北においてインド独立を見ずに、飛行機事故による非業の死をとげている。

 

 

2016年のミヤンマー(ビルマ)側からインパール(インド)方面に向かった際は、ラカン山脈の東南側にあるカレーミョよりトンザンに向かい、国境の街チカ/Cikhaからインパール(インド)方面を望見している。

この時は、<弓第33師団>の進軍路、特に佐久間連隊の足跡をたどりマニプール河沿いのトンザン経由インパール南道をめざして北上した。

その後、カレーミョウ、インタンジーよりカバウ河谷を北上し、<弓第33師団山本支隊>の進軍路をたどり、タム/モレ―から国境を越え、インパール方面<タム・パレル道>に足を延ばした。

 

2016年に歩いたビルマミャンマー)側<インパール戦跡>に関するブログを参照願いたい。

    『インパール作戦退却路・アラカン山脈白骨街道における露営・慰霊紀行』~⑬

 

          2016年作成のビルマ側<インパール作戦 白骨街道を歩く>

 

 

ジンギスカン作戦― 生きた牛を運搬・食料とせよ>

インパール攻略には、日本アルプスと似た峻厳な道なきアラカン山脈を越えなければならず、日本軍は武器や糧食輸送に牛を使うと言った奇抜なアイデアのもと、山岳地帯の突破を図った。

もちろん牛は、運搬の他に、将兵の食料としての役目を負わされ<ジンギスカン作戦>と期待されたが、緒戦のチンドウイン渡河で大半の牛を失い、アラカン山脈の谷では、滑落により兵站・食料としての目的を果たすことが出来なかった。

結果的に、食料不足は<インパール作戦>そのものを頓挫させ、撤退を余儀なくされ、多くの将兵を亡くし、<白骨街道>という戦史上不名誉な名を冠した。

 

<2/13 ▼ユースホステルインパール 宿泊>

 

インパールでの宿泊先である<Youth Hostel Imphal>に着き、宿泊を申し込んだが、なかなか許可が出ない。

後でわかったが、身元が確かな人間かどうか見定めていたようである。

ただでさえ物騒なインド東北の僻地である暗黒の三角地帯、テロ・ゲリラの横行する地で、誰でも歓迎されるわけではなさそうである。

入れ替わり立ち代わりスタッフがやって来て同じ質問を繰り返し、パスポートや警察発行の入域許可証をチェックしてから、初めて宿泊滞在の許可が出た。

後でわかったことだが、今夜の宿泊客30名全員が女子大生であり、男性はわたし一人であった事が問題となっていたようだ。

夕食はインドカレー、パラパラご飯にベジタリアンカレー・塩・水だったが、食べ盛りの彼女たち、一瞬のうちにカレーは、麗しき乙女たちの胃袋におさまったようで、その食欲旺盛はこちらに一粒の米も残さない徹底ぶりである。

スタッフが急遽準備してくれたので助かったが、カルカッタ(現コルコタ)以来、行動食であるビスケットと水、ほかにチョコバーとミカンとチューイングガムで過ごしてきただけに、ご飯にカレーは絶品であり、カレーのおかわりは嬉しかった。

 

     Youth Hostel Imphal前で、<インパール南道戦跡>ガイド兼ドライバーのMr.Babooと (2003)

 

         Youth Hostel Imphal since1987                           Youth Hostel Imphal Gate

 

                              After renewal 2021 of   Youth Hostel Imphal- entrance

 

                       

                     インパール概略市街図

              (ユースホステルインパールの所在地近辺)

        YOUTH HOSTEL IMPHAL : Khuman Lampak P.O. Imphal, Manipur

                                                          TEL : 03852-320013

 

<インドのご婦人たち>

インド女性が結婚すると、結婚前のしなやかな体形を捨て去り、最大限の肥満体へと変貌を遂げる。

インド旅行で出会うご婦人のみなさん、その体重はこちらの倍はありそうである。

何といっても目が行ってしまうお腹の脂肪が凄い、これ見よがしにサリーからはみ出た腹脂肪は目をそむけたくなるほどのたるみである。

更に大胆なのは、太ったご婦人方はすぐ横になりたがり、足を延ばしたがる習性があるようで、列車内では特にこまったものである。

今宵、ここユースホステルで出会った大学生たちの健康美に包まれた笑いのなかに、変異種を見るような新鮮な驚きがあった。

 

<停電多きインパール と ロウソクのゆらぎ>

それはともかく、ここインパールでは停電がよくあるようで、この夜も、ホステルのスタッフがロウソクを配り、火をつけてくれた。

こちらもさっそくヘッドライトと、ペンライトの灯りで旅日記を綴る。

 

ロウソクの淡く、ゆらぐ姿にヒンズーの世界へと誘われている気分になったものである。

文明の利器である電気の明かりに慣れ切った目や、それを見る脳や、心揺さぶられるハートには刺激的な出会いである。

志賀の里でも、ときどき入浴しながらロウソクの炎の繊細な揺れに見入りながら、瞑想にふけることがあることを思い出した。

そこには、原始の光があり、ゆらぎの世界があり、空想の世界が広がり、宇宙の世界へと導かれるのである。

ここインパールで見る炎のゆらぎは、宇宙の闇に踊るヒンズーの神々に見えてきた。

いや、ここインパールに散った多くの英霊の無念さを見る思いであった。

 

夕食も、ロウソクの光で食べるのである。

1946大東亜戦争末期、5歳であった少年時代にタイムスリップである。

ノスタルジーに心癒される一瞬であった。

 

ここインパールの北部、南部は、多くの日本軍将兵インパール攻略に命を捧げた激戦地である。

インパール作戦は、結果的にインパール攻略に失敗し、日英印軍の多くの将兵を死に追いやった。

その将兵たちの魂が、ロウソクのゆらぎの中に現れ来ているような気がした。

 

<Woman Sociery of Movement のリーダーたち>

食事をしていると、同席の女子大生やホステルのスタッフから、

「なぜ、ミスターはこのようなインドの僻地であるインパールに来たのか」との質問を投げかけてきた。

どうもインドの若い世代は、今から約60年前、ここインパールで何が起こったのかという歴史的事実、日本軍によるインド侵攻を学んでいないようである。

古老から聞いていたとしても、実感の伴わない昔話として記憶の奥にしまい込まれているようである。

日本でも同じく、<インパール作戦>は歴史の一片として学習したに過ぎなく、記憶として残している青年層は、ほとんどいないのと同じである。

インパール作戦>は、すでにみなの記憶から消え去りつつあるのである。

 

インパール戦跡慰霊>について、

―日本軍によるインパール作戦で亡くなられた日英印軍将兵はじめ、この作戦に巻き込まれた住民のみなさんの慰霊と、二度と侵略による人の命を奪う戦争はすべきではない―

という気持ちから、ここインパールにやってきたと紹介した。

もちろん<インパール作戦>について、説明したものである。

とくに、チャンドラ・ボース率いる<インド国民軍>についての話では、みな歴史で習っていたのか興味を示した。

 

「それじゃ、わざわざインパールだけに来たの?」

このあと、バラナシのガンガー(ガンジス)川で沐浴し、ヒンズー教の言うリーンカネイション(輪廻転生/Reincarnation)についてヒンズーの神々と語ってみたいと思っていることを話すと、みな興味を示し、熱を帯びたディベート(討論)になった。

 

―あなたがたはリーンカネイション(輪廻転生)を信じているの?

灰になってガンガー川に流されることによって、悟り(自覚)を得て輪廻から解脱すると

言われているじゃないかー

との問いかけに、みな神妙にうなずく姿が印象的であった。

 

最後に、

―日本では、食事をする前後に、手を合わせて頭を垂れる習慣<いただきます>という言葉があるのだ。

 それは、命への尊厳、あなたの命をいただき、あなたによって私は生かされますー

 という意味があるのだとの説明に、

「インドにも<ナマステ/NAMASTE>という挨拶の仕方があり、手を合わせるよ」と。

 

ローソクの灯りの中で、お互いに手を合わせ、食事を終え、それぞれの部屋に帰って行った。

 

 

<英霊よ、静かに眠り給え>

私はいま、第二次世界大戦大東亜戦争)において、援蒋ルートをたたくため、無謀だと言われ続けてきた旧大日本帝国陸軍が実施した<インパール作戦>(作戦名:ウ号作戦)の最終攻略目的地であり、インド東北部マニプール州都であるとともに、軍事・交通の要所であったインパールの中心街にいる。

インパール作戦の最高司令官は、作戦開始3月から2か月後の天長節昭和天皇誕生日)である4月29日までにインパール攻略を命令していた。

丁度、いま(2003年)から59年前のこの季節(3月)に、インパール攻略作戦は開始された。

 

しかし、インパール作戦は、攻略地インパール近くまで迫りながら、兵站の失敗から従軍した将兵約90000人のうち、その多くの74000人が戦病死し、壊滅した。

英霊とともに、いまインパールにいることを彼らに報告したのである。

「ああ英霊よ、静かに眠れ」と。

 

    

               2003/2016 インパール周辺巡礼エリア

              Dimapur-Kohima-Imphal-Tiddim(2003/2016)

                      Tiddim-Tamu-Palel(2016)

                    (英国戦史文献より)

 

 

<▼ 2/13    インパールユースホステル泊>

 

 

■2月14日 <インパール南道戦跡を巡る>

 

<英霊に手向けるブーケ作り>

朝、ここインパールに大きな真紅の太陽が、遠くに霞むアラカン山脈の峰から顔を出しかけている。平和な時間が流れる静かな朝だ。 あの喧騒のなかのインパールはどこへ消えたのであろうか。

この平和な街を巡って、激しい攻防がなされ、多くの日英印軍将兵が血を流し、呻きながら、故郷を想い死地についたと思うと胸が痛む。

 

明日朝一番でのディマプール行、帰路のバスチケット手配にバスターミナルに向かう。

 

(バス予約) 2/15 Imphal 07:45am発 ➔ Dimaphl 14:30pm着 200Rs.

 

途中、朝食用に屋台に積まれた蒸しパンのようなイドリや、巨大なクレープのようなドーサを見ながらの散歩である。

これから出かける、インパール南道の戦跡巡りの供え物として、また行動食としてドーサを買い、慰霊用ブーケ作りに花も手に入れた。

食料すら手に入らなかった将兵たちは、花の美しさを忘れさっていたに違いないと思うと切ない気持ちにさせられた。

 

        インパール南道戦跡を巡る貸切TukTuk(三輪タクシー)にまたがって

 

 

<一杯の個性あるミルクティー  マサラチャイ>

インパールユースホステルでの朝食は、バター付き食パン2枚・個性あるチャイ(ミルクティー)・ボイルドエッグ・バナナである。

なかでもミルクティーの複雑なインド風味に興味を持った。

ダージリンのトイ・トレイン停車中に、路上で味わった煮たてたスパイシーな紅茶を思い出した。

たしかに、鍋にミルクと紅茶と砂糖を入れ、煮たてて、最後にスパイスであるジンジャーを入れていた。

ジンジャー(生姜)の他に、カルダモン、シナモン(桂皮)、クローブ、黒胡椒、黒砂糖などインドカレーに使う香辛料やハーブを一緒にミルクティーに入れて煮出し、マサラチャイとして飲むと、その香りがリラックス感、幸福感をもたらしてくれるのである。

 

こうして飲まれるマサラチャイもまた、ヒンズー教的な宇宙観を体現するインド風味なのであろう。

茶は中国よりもたらされ、日本で育まれた「抹茶・煎茶」もまた<侘び寂び>という宇宙観を体現する日本風味を創り出した。

ちなみに「チャイ」とは、インド・ネパール地方の煮出し式ミルクティーのことで、スパイスで香りつけしたものを「マサラチャイ」という。

 

マサラチャイを飲みながら、人間もまた同じであると思った。

それぞれの生き方により、一味違ったその人独特な持ち味がにじみ出るものであると。

人は、その味を好むかどうかでその人を判断してしまう傾向があるが、それはその人だけの味として尊重されるべきであると思う。

また、自分の味は、神よりの自分だけへの贈り物として謙虚に受け止め、自信を持つべきである。

マサラチャイから学習する朝食であった。

マサラチャイを中庭に持ち出して、大地にもしみ込ませた。

亡き将兵たちにもマサラチャイを飲んでもらいたかったのである。

 

                     インパールの商店街

                     Imphal shopping street

                     Drawing by Sanehisa Goto

                        Feb. 14, 2003

 

 

インパールユースホステルで同宿した女性グループは、女子大生であるが、<India Woman Society of Movement>の全国リーダー研修会に参加したメンバーであった。

中産階級以上の家庭のお嬢さんなのであろう。 みな実に爽やかで、屈託なく、健康であり、快活である。

この世界も、女性が幸せであれば、平和な世界になることを示しているようだ。

今朝の朝食でも、紅一点ではなく黒一点であるわたしに、上げ膳据え膳と世話をやく彼女たち、レディース・ファーストをモットーとするこちらは、かえって居心地の悪さを味わったほどである。

 

 

インパール南道における戦闘跡を歩く>

今日は、三輪タクシー<TukTuk>を貸切り(1日850Rs.+チップ)、ミヤンマー(旧ビルマ)国境までのインパール南道のインパール作戦時の戦跡を巡ることにしている。 

運転手兼案内人は、インパール戦跡を知るというバブーさん/Mr. Babooで、すでに顔見知りである。

途中、現在の国道39号線(Rout39South/旧インパール南道/ディティム道)にあるログタ湖畔、北ニントウコン(瀬古大隊・第4中隊と英印軍との攻防戦跡)で慰霊祭を持つことにしている。

 

                貸切TukTukで、インパール南道戦跡を巡る

 

 英印軍は、インパール作戦が開始される前までに<シャーマンM-3戦車>が走行可能な5m幅の道路<インパール南道>を完成させていた。 

 

 

    英印軍シャーマンM3軽戦車            日本軍九五式軽戦車ハ号

 

これから南下する国道<旧インパール南道>がそうである。

しかし、約60年後の現在は、当時の面影はなく、凸凹の続く平和な田舎道に変わっていた。

 

ここインパールを攻略するために、インパール作戦は、アラカン山脈を越えて三方向から侵攻を開始した。

とくに、ここインパール南道に侵攻し、北進したのは、弓第33師団であった。

 

A 列第31師団  インパール後方の英印軍の兵站路を叩き、すなわち要所ディマプールと

攻略地インパールの中間点コヒマを制圧したあと、コヒマ街道を南下して

インパールに至る作戦隊。 北方南下隊

 

B 祭第15師団   アラカン山脈を越えインパール北方より侵攻する作戦隊。 西進隊

 

C 弓第33師団  アラカン山脈南方より、インパール南道を北上する作戦隊。 北進隊

 

     

                 インパール作戦要図

                 (高木俊朗著「インパール」より)

 

インパール南道 戦没関係者慰霊 >

バブー君(Mr.Baboo)の運転する貸切TukTuk(三輪オートバイ)に乗って、手書きの地図<インパール南道>に従って、<インパール南道戦跡慰霊>にスタートした。

まずはインパールの青空市場で、食料(水・お供え・菓子パン・バナナ・リンゴ・ビスケット)の調達である。

旧日本軍の攻略目標であったインパールを出発し、まず<インパール南道>、現在の国道39号線南(Rout39South)をビルマ国境(チカ村)方面に向かって、南下を始めた。

 

     

                                           2003インパール南道 戦跡巡礼ルート図

 

当時英印軍は、日本軍を迎え撃つ、いやインパールへ誘い込むため道幅5mのインパール南道を、インドと同じく英国の植民地であったビルマのカレワ辺りまで造りあげていた。

インパール南道は、敵の造った道路を占拠使用し、北上できるルートとして、インパール作戦立案に盛り込まれた。

大げさに言えば、この<インパール南道>を確保さえできれば、インパールからデリーまで、チャンドラ・ボースを司令官とする<インド国民軍>を先頭に、戦車や軍用車を走らせ一挙に進撃できるという夢が実現するはずであったからである。

 

                              <激戦地ニントウコン> ニントウコン川に架かるニントウコン橋を背に

 

インパール作戦で、一番インパールに迫った14km地点であるビシェンプールの少し南に位置するニントウコン川に架かる22㎞地点ニントウコン橋近くのログタ湖畔にある一本木の樹下に質素な手作り祭壇を設け、手作りブーケと果物、チョコレートを供え、香を焚き、日本から持参した比良の霊水を土に撒き、般若心経をとなえ、集まった村民の方たちも交えて、インパール作戦における戦病死将兵日本軍約74000人(作戦参加兵力約86000人-残存兵力約12000人)と、インド国民軍戦病死将兵約5000人(作戦参加兵力約6000人の内)、英印軍の戦病死将兵約15000人(英印軍発表)、加えて多くの民間人の慰霊に、鎮魂の黙とうを捧げた。

 

写真でもわかるように、ログダ湖の水は干え上がり、湖畔が後退し、一面の湿地帯が顔を見せていた。

遠くにアラカン山系の山麓を確認できたのが印象的であった。

 

           インパール南道戦跡に眠る日本軍及び英日軍将兵の慰霊を行う

            (ニントウコン橋近くのログタ湖畔にある一本木の樹下で)

 

        遠くに見える山並みがアラカン山系の山裾であり、山脈はその背後にある

 

当時、このニントウコン橋が、旧日本軍の第15軍、弓第3師団所属<佐間連隊と笹原連隊>が英印軍に攻撃をかけた激戦の地であった。

ニントウコン橋を攻略突破した両連隊は、前進しビシェンプールに至るが、ここでも兵站が機能せず、また英印軍の防禦に屈し、撤退を余儀なくされた。

ロクダ湖の湿地から発生する大量の蚊によるマラリアはじめ、虱(しらみ)による発疹チフス、飲料水とした泥水からの細菌性下痢、排便の垂れ流しからくる腸チフスを起因とした多くの死人、屍がここインパール南道(Rout39South)に放置され、<白骨街道>の一つに数えられたのである。

 

今は、山間のマニプール河沿いに広がる、のどかな田園風景が続く田舎であり、なぜここが戦場であり、激戦地であったのかと考えてしまった。 

平和の大切さが身に染みて感じられる瞬間でもあった。

 

インパール近郊の作戦跡地を歩いてみて、その村民の顔たちがインド系アーリア人ではなく、日本人に似て柔和であり、典型的なモンゴリアンであることに驚いたのである。

このインパールをはじめ近郊の村々が、日本人によって行政・管理されているような錯覚に落ちた。この村落の平和な風景に、心底リラックスさせられたのはわたしだけではないはずである。

一瞬、インパール作戦時、白骨街道で戦病死された将兵方の転生を見る思いであった。

 

インパール作戦でお亡くなりになったすべての関係者の慰霊を終えることが出来、また一つ心の重荷が軽くなったような気分である。

学生時代に読んだ高木俊朗著ノンフィクション「インパール」はじめ、多くの<インパール作戦>関係書に接し、旧日本軍による無謀な作戦のもと散っていった数多くの英霊にその無念を感じたものである。

 

インパール作戦から半世紀近く、平和な世が続くなか、激戦地に立って、慰霊が出来たことに感謝している。 平和は大切である。

 

インパールまで足を延ばすには随分と骨が折れるのだが、今回は出来る限り陸上交通を使い、時間をかけて倒れていった将兵の無念を共有し、原風景に接しながら、ここインパールに来てみたかったのである。

もちろん、カルカッタからインパールへの飛行機便もあることを書き添えておく。

 

今日はバレンタインデーである。 一片のチョコレートを慰霊に添えて、平和を報告した。

 

 

       

            インパール作戦初期の第三十三師団前進予定路と周辺図

               (『戦史叢書 インパール作戦』472頁より)

 

1944年3月8日、チャンドラ・ボース率いる<インド国民軍>は、旧日本軍の第15軍の将兵とともに、インパール攻略目指して侵攻を開始した。

しかし、見てきた通り、作戦そのもののずさんな計画のもと、兵站に失敗し、<インド国民軍>はインパールからデリーへの進軍による<インド解放・独立>という目的を果たせず、アラカン山脈の露と消えた。

その<インド国民軍>の将兵の無念さは、自分たちの国を想う力が、新しいインド創生につながり、現在のインパールの平和な生活の基となっていることに満足しているようにみえた。

 

ここインパール南道の自然の美しさは、彼ら<インド国民軍将兵の夢の花を咲かせているようであった。

 

振り返って、白骨街道に散っていった日本軍将兵の苦痛、その無念の内に白骨化していった霊魂の叫び、愛する者との別れの辛さ、その情況を察するに胸が痛む。

インパール作戦の企画立案作戦に関わった総司令官は、敗戦国の戦争指導者を裁いた東京裁判において、戦犯として裁かれることもなく寿命を全うされたという。

武士道の国に生まれた者として、その責任の重さがいかほどであったか、はかり知ることはできないが、同時代に生きたものとしてこれまた胸が痛むのである。

 

 

チャンドラ・ボース記念館>

チャンドラ・ボースは、自由インド・独立インドをめざす<インド国民軍/INA=Indian National Army>の総司令官である。

日本軍の主宰する<大東亜会議>に参加し、インド解放・独立のため<インド国民軍>を編成、<インパール作戦>に参加・侵攻したことはすでに述べた。

英国の植民地であったインドで、チャンドラ・ボースは、ヒットラームッソリーニ、東条といった戦争指導者よりも評価は高く、多くのインド人男女がシンガポールにあった<インド国民軍>に参加した。

現在でも、母国インドではインド独立の基礎を創ったヒーローとして尊敬されている。

 

チャンドラ・ボースインド国民軍にとって、<インパール作戦>は、インド解放の第一歩であり、大いなる希望をもって参戦したが、日本軍の作戦失敗により、インド国民軍もまた壊滅状態に陥ったこともすでに書き記した。

英国のインド植民地支配は、<インド帝国>として1858~1947の約90年間にわたる。

早くからカンジ―は、インド国内における非暴力主義で宗主国・英国に抵抗、外からはチャンドラ・ボースが武力解放を推進していた。

日本軍は、チャンドラ・ボースを支援、<インパール作戦>立案の基本戦略である援蒋ルート遮断に、インド解放を加えることにより、作戦遂行の大義名分とした。

しかし、インド人にとっては英印軍として、日本軍従軍のインド国民軍という同胞インド人と相戦う悲惨な戦いであった。

 

ここモイランは、インパール作戦に従軍したインド国民軍が、インドで最初に<インド国民軍の旗>をおしたたてた記念すべき土地である。 その場所に<INA博物館-チャンドラ・ボース記念館>が建っている。

 

       

                     インド国民軍の旗

 

チャンドラ・ボース記念館には、国民的英雄であるチャンドラ・ボースに関する資料の他に、少ないが旧日本軍の武器や軍服、軍刀や遺品なども飾られていた。

インパール南道に面する村落や村民は、全体として日本人に対しての同情心があるようで、ここ記念館でも、歓迎される客として丁重に扱われて、こちらの方が戸惑いと、少し驚かされたのである。

この辺りも戦場となり、殺戮が繰り返されたうえ、将兵が飢えをしのぐために村民の食料を略奪し、蹂躙されたにもかかわらずである。

 

それよりもまして、インド独立に立ち上がったチャンドラ・ボースに、理解と支援をしてくれた日本人や、祖国解放に立ち上がったインド国民軍を、旧日本軍が共同作戦に加えてくれたことへの感謝の気持ちが、親日的感情として残っているように思えた。

 

記念館では、インパール軍管区司令官からのミルクティーの差入れがあったり、館長みずから案内し、詳しく当時の英印軍の防禦情況や日本軍の侵攻、撤退情況を説明してくれた。

 

去るにあたって、<チャンドラ・ボース記念館>の維持管理のためにと寄付をし、感謝の意を伝えた。

 

          チャンドラ・ボース記念館にて館長、スタッフと共に

         <INA Museum/Indian National Army/自由インド軍博物館> モイラン

 

2003年当時、ここインパールへの日本人訪問者は慰霊のための旧軍人の遺族以外は少なかったのではないだろうか。 今回のもてなしも、日本人がインパール戦跡を訪問するという情報を知っていたような気がしてならない。

なぜなら、スタッフがこちらの名前を先に切りだしたからである。 

恐らく、ディマプールの警察を通して、インパール軍管区に情報伝達されていたのではないかと推察した。

 

 

       

              インパール作戦 インパール南道戦跡 2003慰霊の地

                チャンドラ・ボース記念館<INA Museum>

                                                           近辺戦闘図と案内図

 

貸切TukTukによるインパール南道における<ニントウコン橋>でのインパール作戦に倒れた将兵や関係者の慰霊を済ませ、チャンドラ・ボース記念館に立寄り、夕闇迫る激戦地跡<トルブン隘路口>まで再度南下し、インパール南道の風景を瞼に焼きつけながら帰路についた。

 

 

■2月15日 インパール最後の朝

 

15日(土)朝4時、インパールの街中にあるモスク(イスラム寺院)から、すべての平安と安寧を祈るコーランが流れてきた。 ここインパールは、バングラデシュに近く、分離独立後もイスラム教徒が多く住んでいるようである。

まだ外は暗い、インパール最後の朝である。

 

昨夜から停電が続き、暗闇のなかロウソクの灯りで旅日記を綴っている。

ロウソクは自分の身を削って、燃やして、いのち火を提供してくれるものである。

このようなロウソクの当り前な使命に感動している自分に、ふと親しみを感じた。

人間もまた、与えられた使命だけを守り生きられたら、そこには煩悩もなく、平安と安心だけの世界に生きられるのではないか、なぜ、何を、そのように悩むのであろうか。

なぜ人間は、ロウソクのように灯りだけを与え続けることが出来ないのだろうか。

自分の使命さえわからずに生きて悩む、そこに人間の原罪が潜んでいるような気がしてならない。

 

この小さなロウソクの光が、<幸せとは何か>を教えてくれているように思えた。

<おのれを滅却し、光を、愛をのこす> 

ロウソクの光が、くすっと笑ったように揺らいだ。

                  

高木俊朗著「全滅」を、そっとリュックにしまい込み、

インパール作戦 インパール南道慰霊の旅>を終えることにする。

 

          同乗したインパールの住民の皆さんと、カルカッタに戻る列車内で

        <みなさん日系なのか、ここはインドなのか>と、ふと親愛の情が湧いた 

 

         インパールの帰り、ディマプールからの夜行列車の風景

 

   インパール南道での慰霊を終え、安堵の体をカルカッタ行夜行列車の上段ベッドに横たえた

    

インパールの攻略ならず撤退路で倒れていった将兵の霊魂と共に、夜行列車に乗り、カルカッタ(コルコタ)に向かっていると思うと気持ちが昂って眠れない。

目の前の天井扇が、58年前の将兵の呻きのように、オイル切れの錆びた音をたてて喘いでいるように聴こえてきた。

安らかに眠ってもらいたい、と願いつつカルカッタコルカタ)についた。

 

 

<概略 インパール作戦とは>

インパール南道 戦跡慰霊の旅を終えて、インパール作戦そのものを俯瞰しておきたい。

インパール作戦の目的は、大東亜戦争における、日本軍の敗戦が濃くなり、起死回生の作戦として起案されたともいえようか。

太平洋戦争開始と共に、1932年勃発の日中戦争における中国へのビルマ経由の英米の武器輸送路を絶つために日本軍はビルマを占拠した。

2000~3000mの山々に囲まれたビルマは難攻不落と思われ、南方軍は最小の4個師団を防備にあてた。

だが、すでに連合国側はその約4倍の師団をもって、西方面(現バングラディシュ)、北方面(アッサム)、東方面(中国雲南昆明)から、ビルマ方面日本軍4個師団を取り囲んでいた。

 

日本軍のビルマ占領により、米英は、武器輸送路(援蔣ルート)を陸路(ラングーン~昆明ルート)から、インド経由ヒマラヤ越えの空輸に切り替えたが、最悪の気象条件にさらされ、再度、カルカッタからインド北東のレド経由、中国の昆明への陸路ルートを再計画するとともに、ビルマ奪還を狙って盛んにゲリラや偵察隊を潜行させていた。

南方軍は、レド公路建設阻止を実施するにあたって、そのインド側の起点となるインパールを攻略することを最重要作戦目標とする。

また、大東亜会議で約束したアジア各国の独立支援、とくにチャンドラ・ボース率いる<インド解放・独立>を旗印にするインド国民軍を加え、インパール作戦大義名分とした。

ビルマ方面軍は、林第15軍旗下の3個師団をインパール作戦にあてる。

 

インパール北方からの英印軍兵站線を遮断する<烈31師団>、インパール東方からの<蔡15師団・弓33師団 の1支隊>と、インパール南方からの<弓33師団>のインパール攻略のための3師団である。

 

インパールへは、タクラマカン山脈を越えねばならず、企画立案準備段階から困難を極めた。

兵站、すなわち作戦遂行のための糧食や兵器補充をどうするかである。

 

インパール北方の制圧と、インパール防禦英印軍への兵站路を遮断し、レド公路分断という作戦目的をもって侵攻した<烈31師団>は、最難関のアラカン山脈を克服し、目的を達成している。 しかし、師団を支える糧食・弾薬の後方からの兵站が続かず、師団長は抗命をもって退却を決断する。

 

一方、戦車や軍用車両がつかえる道路、即ちインパール南への道は、ビルマ・カレーミョからトンザンを経由し、国境を越える道<インパール南道・ティティム道>があった。

インパール南道は<、今回と2016年の旅で縦断しているが、当時、すでに英印軍が戦車を走らせるために5m幅の道路をインパールから、同じく英国の植民地であったビルマのカレーミョあたりまで通していた。 

ビルマ国境の村・チカからインパールまでが約80kmで、インパール南道方面を侵攻した<弓33師団>がインパールの南に最も近づいたのは、5月20日 レッドヒルの約15㎞地点であった。

 

ほかに、<蔡15師団・弓33師団 の1支隊>が侵攻したビルマ国境タムからパレル経由インパールまでの最短距離約68㎞の道路<タム・パレル道>があった。 ここは山岳道路で防禦も堅固、前進は難儀している。 

ここ<タム・パレル道>では、弓33師団山本支隊と祭15師団2大隊が、英印軍第20師団(ネパールからの勇猛果敢なクルガ兵も含まれる)と激戦を繰り返している。 このとき第15師団は、インパール北 カングラトンビ15km地点に到達している。

 

どのインパールへの道も、待ち構える英印軍の防禦が固く、山中に散開しての英印軍各個撃破を強いられている。 この立派なインパール南道<ティティム道>も侵攻時は、敵の標的になるため自ら切り開いたジャングル道を進み、インパールに向かっている。 

各師団ともインパールのすぐ近くまで進撃肉薄しているが、最後はインパールを防御する英第4軍団の待ち受け猛反撃と消耗戦という罠にかかるとともに、自軍の兵站・補給線の延びきり、雨季の到来によってインパール攻略を放棄せざるを得なかった。

 

ただでさえ糧食・弾丸の尽きた困窮の将兵に襲いかかったのは、マラリア赤痢と飢餓であった。

雨季や兵站の失敗から、ようやくビルマ方面軍は各師団に転進を命じるが、すでに各師団は総崩れのなか退却の途にあった。

 

ましてや制空権を失っていた第15軍の各師団の撤退は、退路を断つために降下した英印軍の落下傘部隊による殲滅戦が加わり、撤退路すべてに凄惨な屍が重なり、いわゆる白骨街道と化した。

 

インパール作戦は、作戦遂行に必要な要件がそろっておらず、将兵の消耗の激しさから、各師団長は退却を具申するが、受け入れられず、日本軍はじめての抗命事件に発展する。 三師団長ともに、作戦遂行中に罷免・更迭され、ビルマ方面軍・林第15軍は組織としての体をなさなくなっていた。

 

この悲惨なインパール作戦は、日本軍の弱点がさらけ出された特異な作戦であったと、識者のあいだで言われている。

旧日本軍の軍人精神を支えていたと言われる、特有な人情、組織内融和、絶対服従天皇忠誠、物量・情報・人命にまさる忠義、特攻精神論、絶対命令と服従、命は預かった自決せよ、退却許さず転進せよ、切込み玉砕せよ、ピンタこそ鍛錬、責任は上司に転嫁するな、などに旧日本軍の姿勢が見られるようだ。

 

インパール作戦は1944年7月1日に中止され、8月12日、大本営が「コヒマおよびインパール周辺の日本軍部隊は戦線を整理した」と発表して、終結した。

 

 

 

(注・このブログは2003年2月に訪れたインパール南道の旅日記をもとに、2022年6月に仕上げたもので

   あり、時間差があることをご了承願います)

 

なお、2016年、ビルマ(現ミヤンマー)側のインパール作戦 戦跡<白骨街道➀~⑱>を歩いているので、合わせてお読みいただければ、インパール作戦全体像を見ていただけると思います。

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/14290567

 

 

次回は、ヒンズー教の輪廻転生の世界<バラナシ>を訪ねます。

 

               

       『星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』

               後藤實久記

 

                

 

        次回   《星の巡礼 バラナシ ・ ガンガー沐浴巡礼の旅》 

                に続く

 

                     現在 作業中

 

 

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<関連ブログ>

 

 


 

 

                       

 

 

2022『星の巡礼 比良比叡トレイルの風景』

                                              <比良比叡トレイル>の風景

                                          ―ロングトレイル卒業を記念してー

 

              短歌集『霊山縦走』

         Tanka Collection "Sacred Mountain Traverse"

                                                 Tanka is Japanese short  poem.

 

                詠み人 後藤實久

                                                          by Sanehisa Goto

  

老いを受入れ、ロングトレイル(縦走登山)を卒業するにあたって、長年親しんだ<比良比叡トレイル>の絶景写真に、短歌を添えて、思い出『短歌集 霊山縦走』としてしまっておきたいとおもいます。

When accepting old age and graduating from the long trail (longitudinal mountain climbing),

I would like to add a tanka to the superb view photograph of the <Hira Hiei Trail> that

I have been familiar with for many years and keep it as a memory "Sacred mountain traverse".

 

 

 

 

     《霊山の 厳しき姿  雪衣 融け脱ぎ捨てて 挑み待ちにし》

       —れいざんの きびしきすがた ゆきごろも とけぬぎすてて いどみまちにし―

 

       雪をまとって、厳しい姿を見せている霊山、

       うららかな春陽に雪衣を脱ぎ、君たちの挑戦を待っているよと招いているようだ。

       Sacred mountain, wearing snow and showing a harsh appearance,

       It seems that she is inviting us to take off her clothes,

       And it looks like to wait for our challenge in the bright spring sun.

 

        びわ湖東岸より<比良比叡トレイル>の雪をかぶった全縦走尾根を望む

            From the eastern shore of Lake Biwa, we can see the snow-capped all-longitudinal ridge

                                                                  of the <Hira Hiei Trail>

 

 

 

              <比良比叡トレイル>パノラマスケッチ

                                                      <Hira Hiei Trail> Panorama Sketch

     ➀         ②       ➂         ④        ⑤

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                                     ➀                 ②

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          ➂                 ④

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             《寝ずの朝 光待ちにし 比良比叡  満ち来たりしや 霊のともし火》

                      ―ねずのあさ ひかりまちにし ひらひえい みちきたりしや れいのともしび―

 

      比良比叡トレイル挑戦の朝、蛇谷が峰で野宿をしながら夜が明けるのを待っている

      少しづつ闇が光満ちていく様は、まさに霊の灯火がこころに広がり行くようである。

               On the morning of the Hira-Hiei trail challenge,

               Mt.Jatani is waiting for the dawn while camping at the peak.

               As the darkness gradually fills with light,

               The light of the spirit seems to spread to my heart.

 

     <比良比叡トレイル>スタート地点 蛇谷ケ峰 901m の朝焼けに向かって愛を叫ぶ

        <Hira Hiei Trail> Starting point Mt.Jatani 901m, be screaming for love towards the sunrise.

 

 

 

 

     《導きし 西方浄土 ひかりあり 祈り満つるや 蓬莱の山》

      ―みちびきし さいほうじょうど ひかりあり いのりみつるや ほうらいのやま―

 

                                                    西方浄土に導かれる一筋の光があり、

                                       蓬莱の山はいま、祈りが満ちる光のなかに輝いている。

                                       There is a ray of light guided by the Western Jodo,

                                                 Western Pure Land is Buddhist paradise,

                                       Mt. Horai is now shining in the light filled with prayer.

 

             蓬莱山1174m にみる西方浄土の聖なる夕焼け

                                   The sacred sunset of the western Jodo seen at Mt. Horai 1174m

 

     

       <比良比叡トレイル>の夕陽と夕焼けは、心揺さぶり、幻想的である

                                    The sunset on the <Hira Hiei Trail> are swaying and fantastic.

    

  

 

 

 

     《われひとり 険し雪道 登りしや 誰が知るぞ荷を 背負いて重し》

       -われひとり けわしゆきみち のぼりしや たがしるぞにを せおいておもし-

 

                                          ただ独り古老の身で、険しい雪道を登っている。

                その背にはカンジキや、雪中野営用ツエルトを詰め込んだリュックを担いでいる。

                                        そう、誰も知らない己の喜びを背負っているのだ。

                                 Just as an old man, I am climbing a steep snowy road.

             A backpack had with snowshoes and snow camp zelts on my back I am carrying it.

                                           Yes, I carry my own joy that no one knows.

 

         <比良比叡トレイル>木戸登山口からのキタダカ谷よりびわを望む

          <Hira Hiei Trail> View of Lake Biwa from the Kitadaka Valley from the Kido mountain trail

 

 

 

 

         《河鹿鳴く 比良の目覚めや 夢心地 森の隠れ家 疲れ残りし》

      かじかなく ひらのめざめや ゆめごこち もりのかくれが つかれのこりし―

 

                                       森の隠れ家のような縦走中の山のなかのテントで目覚め、

                                                    夢心地のなか河鹿の合唱を聴いていると、

                                                疲れの残った体には、なんと心地よいことか。

                  Wake up in a tent in a mountain that runs vertically like a hideaway in the forest,

                                        When I was listening to Kajika(frog sculpin)'s chorus in a dream,

                                                     How comfortable it is for a tired body.

      

                テント泊縦走の<比良比叡トレイル>の朝焼けは、実に美しい         

             The sunrise on the <Hira Hiei Trail>, which runs vertically in the tent, is really beautiful.

 

      野宿で見る、うろこ雲でおおわれた<比良比叡トレイル>の朝もまた素晴らしい

                                       The morning of the <Hira Hiei Trail> covered with scale clouds,

                                               which you can see in the field inn, is also wonderful.

 

 

 

 

      《迷い道  濃霧背負いし 影法師 進みし闇路 光り求めて》

        -まよいみち のうむせおいし われなれど すすみしやみひ ひかりもとめて-

 

                                  濃霧のなか、山の中で道に迷ったとき、不安に突き落とされる様を、

                                  じっと冷静に見つめているもう一人の自分<影法師>がいる。

                                  影法師はたえず闇路の中に光(出口)を求めて導いてくれるのだ。

                   When I get lost in the mountains in the thick fog, I will be pushed down by anxiety.

                          There is another self, <Kageboshi : shadow master >, who is staring calmly.

                     The shadow master constantly seeks light (exit) in the dark road and guides me.

 

      

           ロングトレイルは自分に向き合い、孤独を愛する旅でもある

              比良比叡ロングトレイルの北のスタートは、蛇谷ガ峯901mである

               東天に向かって、まずは縦走の安全を祈る

                                  The long trail is also a journey to face myself and love loneliness.

                                  The north start of the Hira Hiei Long Trail is Jatanigamine 901m.

                            First of all, pray for the safety of vertical running toward the eastern sky.

 

 

 

 

     

      浮雲の 棚引きし琵琶 眺むるに こころ広けき 霊の国かな》

      ―うきぐもの たなびきしびわ ながむるに こころひろけき れいのくにかな―

 

    浮雲が棚引く琵琶の景色を眺めていると、まるで霊魂の国に導かれ、広いこころに満たされるのだ。

                                      この景色こそ、天国であり、仏の園であろう。

                         When I look at the scenery of the pier that the floating clouds shelve,

                                I am guided to the land of souls and filled with a wide heart.

             This view is heaven and a Buddha's garden.

         <比良比叡トレイル>で出会う絶景びわ湖にただよう浮雲も素敵である

             蓬莱山頂1174mより琵琶の姿を楽しむ

                     The floating clouds on the spectacular Lake Biwa that I meet on the <Hira Hiei Trail>

                                                                        are also wonderful.

                                   Enjoy the appearance of Lake Biwa from the top of Mt. Horai 1174m.

 

 

 

 

 

      《遥かなる 臥して待ちにし 蓬莱山 千里同風 近くて遠し》

     ―はるかなる ふしてまちにし ほうらいさん せんりどうふう ちかくてとおしー

 

            ここ武奈ヶ岳より眺めるおっとり顔の蓬莱山にも、

            同じ風が吹いていると思うと近くて遠からじである。

           If I think that the same wind is blowing on Mt. Horai,

             which has a gentle face as seen from Mt. Buna,

                  it is close and far away.

 

                             <千里同風> 同じ風吹く武奈ヶ岳1214mより蓬莱山1174mを望む       

                      <Tousand miles are same wind> View of Mt. Horai 1174m from Mt. Bunagatake 1214m

                                                                    where the same wind blows.

 

 

 

 

     《 孤高なる 老登山家の 背見下ろす 広きびわ湖や こころ揺さぶる  》

     ーここうなる ろうとざんかの せみおろす こころゆさぶる ひろきびわこや-

 

   広大なびわ湖を見下ろす孤高なる老登山家の背を見るに、その辿りし人生を背負っているようで、

                 こころ揺さぶられるものだ。

     Looking at the back of a solitary old mountaineer overlooking the vast Lake Biwa,

            It seems that he is carrying his life on his back,

                 And my heart was shaken.

 

   

         雄大びわ湖を見渡せるのも<比良比叡トレイル>の醍醐味である

                Overlooking the magnificent Lake Biwa is the real pleasure of the <Hira Hiei Trail>.

 

 

 

 

 

     《揺蕩うと 流れし時の 蝉しぐれ  夕焼け染める 山のあなた

          たゆたふと ながれしときの せみしぐれ ゆうやけそめる やまのあなたやー

 

          山の彼方が夕焼けに染まるころ、一段と騒がしくなる蝉しぐれ

           そこには心定まらない時間が悠然と流れているではないか。
          When the other side of the mountain is dyed in the sunset,  

             The song of cicadas becomes even more noisy,

             And the uncertain time is flowing calmly there.

             <比良比叡トレイル>の山の彼方に沈みゆく幻想的な夕焼けは、いつも心を和ませてくれる

                   寝袋に潜り込む直前の、縦走で一番心休まる瞬間である

      The fantastic sunset over the mountains of the <Hira Hiei Trail> always soothes my heart.

             It is the most relaxing moment in a vertical run just before sneaking into a sleeping bag.

 

 

 

 

 

       《染まり往く 比良の峰々 衣替え 八雲の池や 握りほほばる》

     ―そまりゆく ひらのみねみね ころもがえ やくものいけや にぎりほほばるー

 

               比良山系の四季はそれぞれに素晴らしいが、

         特に紅葉の秋の美しさは、まるで十二単を脱ぎ捨てていくようである。

           今日は、八雲の池からお握りをほうばりながらの観賞である。

              The four seasons of the Hira Mountains are wonderful,

         But the beauty of the autumn leaves is like taking off the twelve.

         Today, I am watching of having the rice balls from Pond of Yakumo .

 

         <比良比叡トレイル>空中庭園 ・八雲ケ原(湿原)の紅葉散策も楽しい

                                              The aerial garden of <Hira Hiei Trail>

                           It is fun to walk around the autumn leaves of Yakumogahara -raised bog.

 

 

 

 

 

      《山の主 行き先はばむ ガマガエル 君は何者 挨拶せよと》

         -やまのぬし いきさきはばむ がまがえる きみはなにもの あいさつせよと-

 

        孤老のロングトレイラーを励ます<比良比叡トレイル>の主 ガマガエル殿

                   <君は何がゆえに生きおるか・・・グエグエッ>

                                              Toad, the lord of the <Hira Hiei Trail>,

                              which encourages long trailers of loneliness <Why do you live ... ?>

 

 

 

 

 

     《雲の中 夢想の人や 目覚めよと 誘いし小径 魅惑の森へ》

       -くものなか むそうのひとや めざめよと さそいしこみち みわくのもりへ-

 

        幻想的な雲の中の<比良比叡トレイル>は仙人の棲み処である

             縦走をしながら瞑想に耽るのもいい

                         The <Hira Hiei Trail> in the fantastic clouds is the home of hermits.

                                  It is also good to indulge in meditation while running vertically.

 

 

 

 

 

        《 咆哮の 怯え縮みし 春嵐  命危なし 比良八荒や》

       ―ほうこうの おびえちぢみし はるあらし いのちあぶなし ひらはっこうやー

 

        蓬莱山頂でテント泊、西方浄土の夕焼けを拝み、夜空の星たちと語らい、

        眼下に光る町の灯火を楽しみ、寝袋にもぐりこんだと思ったら、

        春嵐の突風<比良八荒>が吹き荒れた。

        命の危険を感じ、テントを丸めて慌てて下山したものだ。

        I stayed in a tent at the summit of Horai,

        Worshiped the sunset of the western Jodo, talked with the stars in the night sky,

        Enjoyed the lights of the town shining under my eyes,

        And thought that I had slipped into my sleeping bag. Feeling the danger of life,

        I rolled up my tent and went down the mountain in a hurry.

 

        <比良比叡トレイル>の中、びわ湖を愛でる大好きな露営地(蓬莱山直下)

     (要注意) 比良山系には<比良八講>という嵐のような強風が吹き荒れることがある

   In the <Hira Hiei Trail>, a favorite open-air area that loves Lake Biwa (directly below Mt.Horai) <Caution required> A strong wind like a storm called <Hira Hakko> may blow in the Hira Mountains.

 

 

 

 

 

   《老ゆるとは さだめ悲しき 比良比叡 トレイル終えし 還来の里》

     ―おゆるとは さだめかなしき ひらひえい とれいるおえし もどろぎのさと―

 

    いくら定めとは言え、老いてリュックを担いでのトレイル縦走が出来ない体力の衰えは、

    悲しいものである。ここ<還来神社・もどろぎじんじゃ>でトレイル卒業の報告をした。

    No matter how much it is decided, it is sad that the physical strength of the old man

           Who cannot run the trail with a backpack is weakened.

         I reported on the trail graduation here at <Modorogi Shrine>.

 

 

       ロングトレイル(比良比叡トレイル)卒業の地、途中の里・還来神社

                            Long Trail (Hira Hiei Trail) Graduation site, Modoroki Shrine on the way.

               

 

 

 

 

 

   《影武者を 追いかけ行きし 比良比叡 おのれ何者 問いて久しや》

     ―かげむしゃを おいかけゆきし ひらひえい おのれなにもの といてひさしや―

 

     

         <比良比叡トレイル>縦走中の影武者 もう一人のロングトレイラー

        互いに声かけあい、励まし合い、助け合い縦走してきた影武者である

                          <Hira Hiei Trail> Another long trailer, a shadow warrior running vertically.

           Decoy who has been talking to each other, encouraging each other, and helping each other.

 

 

 

                        

                 《ああわれいま釈迦岳に臥して》

                   一寸の先をかき消す漆黒の闇に

                   樹間の灯 枯葉の温もりを伝えし

                   ああわれいま釈迦岳に臥してや

                   風止みて山動ぜずして我を観ず

 

                                                            << Oh, I'm lying on Shakadake >>

                                             In the jet-black darkness that drowns out a little tip

                                          Lights between trees convey the warmth of dead leaves

                                                                    Ah, I'm lying on Shakadake

                                   The wind stopped and the mountains did not move and  see myself

 

 

 

 

 

       《抱かれし 母なる峰に 枕して 沈みし夜空 星流れしや》

      いだかれし ははなるみねに まくらして しずむよぞらに ほしながれしやー

        

                                 母なる比良の山々に抱かれて、寝袋に沈みこむとき、

                                        夜空に流れる星に向かって今日一日の出来事を報告して、

                                                                 オヤスミをいうのである。

                   Embraced by the mountains of Mother Hira, when I sink into her sleeping bag,

                              I report the events of the day to the stars flowing in the night sky

                                                                       And says Oyasumi.

 

            

                                            『 思い出の<比良比叡トレイル>縦走時の露営風景』

                             "Memorial <Hira Hiei Trail> Open-air scenery during vertical running"

      

        <比良比叡トレイル>の醍醐味は、暗闇で鹿たちを観察できるテント泊にある

  The real thrill of the <Hira Hiei Trail> is the tent night where I can observe the deer in the dark.

 

    

        夜空の星を鑑賞できる<比良比叡トレイル>の野宿も最高である

    The Hira Hiei Trail, where I can observe  the stars in the night sky, is also the best.

 

      

             超軽量アルミ・ツエルトによる露営風景

                                              Open-air scenery with ultra-light aluminum zelt.

 

    

          超軽量アルミ・ツエルトは宇宙船のようで興奮したものだ

       The ultra-lightweight aluminum zelt is like a spaceship and it's exciting.

    

   <比良比叡トレイル>蓬莱山に張ったテントから眺めるびわ湖大橋方面の夜景は最高である

   <Hira Hiei Trail> The night view of Lake Biwa-Ohashi from the tent on Mt. Horai is the best.

 

 

 

 

 

        《いにしえの   法灯仰ぐ 比良比叡 玉体の杉 都守りし》

          ―いにしえの ほうとうおぐ ひらひえい みやこまもりし ぎょくたいすぎや―

 

延暦寺の千日回峰という修行では、毎日ここ<玉体杉>から、御所に向かって天皇家の安寧を願い、安泰をお守りするとともに、いにしえの都の平和を願うという。わたしも<玉体杉>から回峰僧のようにそっと手を合わせてみた。

At the Sennichi Kaiho of Enryakuji Temple, it is said that every day from here <Gyokutaisugi>,

they pray for peace toward the Imperial Palace, protect the safety,

and pray for the peace of the ancient city.

I also gently put my hands together like a Buddhist priest from <Gyokutaisugi>.

 

         

                     御所を見守る玉体杉

                                       Cedar for Praying for the Kyoto-Gosho(old palace)

 

 

 

 

      《迷い道 流れ着きたる 大比叡 愛語迎えし 大師の膝や》

        ―まよいみち ながれつきたる だいひえい あいごむかえし だいしのひざや―

 

                  迷い道たる比良比叡トレイルを無事縦走し終えて、ゴールの比叡山頂にたどり着くと、

                 天台宗の開祖である伝教大師最澄>に、愛語をもって迎えていただくのである。

                                    When you reach the top of Mt. Hiei, which is the goal,

                                       After safely traversing through the Hira-Hiei Trail.                 

                The founder of the Tendai sect, Saicho Daishi, welcomes us with his favorite words.

 

     

          <比良比叡トレイル>ゴール地点 大比叡山頂848m

                                       <Hira Hiei Trail> Goal point: 848m at the top of Mt. Hie.

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         <比良比叡縦走ロング・トレイル>のゴールでは、延暦寺に迎えられ、

                伝教大師 最澄の祝福を受ける

                                At the goal of <Hira Hiei Long Trail>, we were greeted by Enryakuji Temple.

                                                 Receive the blessing of Saicho, the missionary master.

 

 

    

 

      

        <比良比叡トレイル> 縦走の休憩中、たくさんの短歌を詠んできました

 

                             I wrote a lot of Tanka<Japanese short poem> during the vertical break

                             <Hira Hiei Trail> The vertical run was also a fun mountain trip for Tanka.

                                

                                                  

  

  

           <比良比叡トレイル>縦走もまた楽しい吟行の山旅でした。

      ロングトレイル縦走は、男の冒険心を心地よく、くすぐってくれたものです。

                                <Hira Hiei Trail> the vertical run was also a fun mountain trip.

                      The long trail traverse is a comfortable and tickling man's adventurous spirit.

 

 

                    感謝合掌

                                                        Gratitude Gassho

 

                  <比良比叡トレイル>の風景

                  ―ロングトレイル卒業を記念してー

                                                     Scenery of <Hira Hiei Trail>

                                                       To commemorate the long trail graduation

 

               短歌集『霊山縦走』

                   詠み人 後藤實久

 

                                                Tanka collection "Sacred Mountain Traverse"

                                                                      by    Sanehisa Goto

                                      

                                

 

 

 

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<関連ブログ> <Related blog>                                     

2021『星の巡礼 奥比良縦走 / 老人の山旅随想』

2022『星の巡礼 人生最後のロングトレイル縦走を終えて』           




 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022『星の巡礼 人生最後のロングトレイル縦走を終えて』

      

 

       『星の巡礼 人生最後のロングトレイル縦走を終えて』

           ―新設<比良比叡トレイル>を歩くー

 

2021(令和3)年秋、70台最後の歳の縦走トレッキング(ロングトレイル縦走)として、また最近新設なった<比良比叡トレイル>縦走路完成を祝って、朽木をスタートし、比叡山をめざして3泊4日の予定で歩き出したのである。

 

(参考資料) : 2021『星の巡礼 奥比良縦走 / 老人の山旅随想』

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/10/25/165451

 

とくに、長年調査追及してきた<消えた比良山系から比叡山系への連絡登山路>の復元を目指していただけに、この度の、比良比叡トレイル協議会の発行した<比良比叡トレイル・マップ>や、昭文社の<2021山と高原地図46-比良山系>の改訂版でも見られるように、<新設比良比叡連絡登山路>の地図標示が書き加えられたことに喜んでいるロングトレイラーの一人である。

 

              <比良比叡トレイル接続ルート表示の地図>

        左・比良比叡トレイル協議会の発行した<比良比叡トレイル・マップ>

           右・昭文社の<2021山と高原地図46-比良山系>の改訂版

 

 

              <比良比叡トレイル接続ルート表示の地図>      

     比良比叡トレイル協議会発行地図      昭文社の<2021山と高原地図46-比良山系>

 

長年、<比良比叡接続ルート>に関心を持ち、調査研究、実地踏破してきた者として、関係機関で合意設定された<比良比叡接続ルート>をぜひ、歩いてみたかったのである。

だが、  昨年秋の実行は、悪天候のため縦断途中、残念ながら中断し、荒川峠より下山したことは、すでに<2021『星の巡礼 奥比良縦走 / 老人の山旅随想』>で述べたとおりである。

 

 

             蛇谷ケ峰で天地創造の朝日を迎える            荒川峠 比良比叡縦走エスケープを決断

       (2021/10/09早朝  比良比叡トレイル縦走開始)    (2021/10/10午後 悪天候下山)

 

今回こそ、昨年実現しえなかった比良比叡接続ルートを実際に歩き、詳しく紹介してみたいと思ったが、

今回もまた体調不良というか、老齢からくる体力不足で、<霊仙山頂から上龍華林道(霊仙山登山)入口>までのルート案内のみに終わってしまった。 

もう一方の比叡山系側にある比良比叡接続ルート<還来神社から魚の子山>までのルート案内は、残念ながら後日に残すことになってしまった。

80歳代になっても、まだまだロングトレイルを楽しみたいと、この春、サイクリングなどで体力をつけてきたと思っていたが・・・ロングトレイル縦走は、老体には重荷であったようである。

残念だが、ロングトレイル卒業の顛末を見ていただきたい。

 

昨秋の荒川峠で豪雨悪天候により中断、下山していた<比良比叡トレイル>を継続するため、後半トレッキングは、高齢からくる体力を考えて、2泊3日で<荒川峠比叡山>を目指すことにしていた。

比良比叡山岳地帯の長期天気予報とにらみながら、5月18~19日の登山日和に合わせて、準備していたリュックを担いで家を飛び出した。

比良比叡縦走前半の携行品と同じく全重量10kgを背負って、荒川峠経由、後半1日目の予定露営地である還来神社(もどろきじんじゃ)近くの沢目指してスタートした。

 

                   荒川登山口より登山再開

            (2022/05/18  05:45am 荒川登山口より再スタート)                

 

  

       荒川峠より打見山に向かう               烏谷山 通過                

          

               まだ雲の残るびわ湖 沖島(左手)を望む

 

 

   烏谷山方面から打見・蓬莱山を望む              比良岳 通過

 

        

                  木戸峠 通過               

 

               打見山ゲレンデから武奈ヶ岳を望む

 

体調もよく、2日目の露営地を<仰木垰>に決め、3日目はゆとりをもって比叡山をへて坂本へ下山する予定である。 何といっても新しく設定された<比良比叡縦走接続登山路>を地図上及び現地踏破で確認し、実地に歩いてみることがメインテーマである。

打見山は、快晴の登山日和、週日であるにもかかわらず、多くの登山者に出会い、挨拶も軽やかに交し合った。

 前回、悪天候により縦走中断を決め、下山した荒川峠登山口(標高348m)より登山開始、荒川峠(標高960m)に再会し、黙々と烏谷山(標高1076m)を上り、比良岳(標高1051m)をへて、木戸峠(標高974m)を下って、びわ湖バレーのゲレンデを一気に登りきって打見山(標高1108m)に出た。

 

                  打見山頂 <比良比叡トレイル>標識

 

振り返った武奈ヶ岳方面の山稜が、夏日に照らされた緑の樹海に浮立って見事である。

ここから蓬莱山頂は、湯気立つ鹿の糞に気をつけ、ゲレンデの芝生を踏みしめながら一気に登りきる。

 

蓬莱山(標高1174m)は、山の由来のように西方浄土に向かって京都北山の緑の樹海が敷き詰められ、波打っている先を拝している。

ここは、夕焼けが一番似合う山頂であり、こころ洗われる好きな場所の一つである。

蓬莱山頂やその付近には、たくさんの地蔵尊が出迎えてくれ、語りかけてくれるのが嬉しい。

 

                   打見山より蓬莱山を背景に               

 

                びわ湖を背景に地蔵尊が出迎えてくれる

 

 

     蓬莱山ゲレンデを黙々と上っていく             蓬莱山頂で

 

                   
                   蓬莱山山頂 一等三角点            

 

                   西方浄土に祈りを捧げる地蔵尊

 

            西方浄土の夕陽 (蓬莱山頂 2020/03/25撮影)

 

 

ここ蓬莱山からは、目的地比叡山に向かって一筋の赤茶けた細い登山道が続き、人の足跡を残しているのがいい。 

続いて小女郎垰(標高1076m)、ホッケ山(1051m)を経て、権現山(標高996m)に至る区間は、びわ湖の南湖を俯瞰しながらの絶景ルートである。

左手にまばゆいほどのびわ湖が浮かび上がり、背景の鈴鹿山脈や、南に横たわる湖南アルプスが霞んで見える。

歩みの先にはこのロングトレイルの<比良比叡トレイル>のゴールである比叡山(大比叡848m)が、はっきりとした山姿を横たえているのがまた何とも言えない素晴らしい景色である。 

まるで比叡山稜にびわ湖という池をあしらった箱庭のように見えるのである。

 

 

           蓬莱山から比叡山に向かう<比良比叡トレイル>    

               ホッケ山、権現山その奥に比叡山を望む         

 

                <比良比叡トレイル>からの絶景びわ

               蓬莱山より小女郎峠への下りでびわ湖大橋を望む

 

 

     小女郎峠に向かう笹平を歩く         小女郎峠通過、小女郎池に立ちよるのもいい

 

 

          初夏の風吹くホッケ山頂            ここでも地蔵尊に迎えられる

 

          ホッケ山頂より絶景びわ湖 眼下の近江舞子浜や 遠く沖島を望む

 

この素晴らしい風景を、権現山(標高996m)山頂から観賞されながら、老夫婦がお握りを頬張っておられる姿に、登山の素晴らしさがすべて凝縮し、言い尽くされているようだ。

 

       権現山頂よりの絶景箱庭  霊仙山(手前)、最奥に比叡山、左手にびわ

 

 

        権現山頂にて              山頂付近は厚化粧の山ツツジが満開

 

 権現山より、直下に霊仙山(りょうぜんやま・標高750m)を見下ろしながら急な登山路を下っていくと、林道にであう。

林道を進み、分岐<ズコノバン>(標高723m)で標識に従って霊仙山に向かう。

分岐からの霊仙への入口が不明瞭なので、注意が必要である。 分岐からはしばらく雑木林を下るが、半ばから霊仙山にとりつき、急登が始まる。

 

 

            権現山南尾根を急下ると、栗原登山口からの林道に出る

 

 

    ズコノバン分岐 霊仙山に向かう      霊仙山へは<比良比叡トレイル>標示テープに従う

 

霊仙山頂(標高750m)は、少しびわ湖方面の眺望がある以外は雑木林と杉林にさえぎられて眺望はない。

 

山頂にある下山口としては、左手<栗原>に向かう登山路がまず目につく。

期待の高まる<新設比良比叡連絡トレイル>の下山口は、右手にあるはずである。

 

                霊仙山頂分岐         

     左手直進ルート     <レスキューポイント縦走25>    右手尾根ルート

     栗原方面下山口                       <比良比叡トレイル>

 

 しかし、<比良比叡トレイル>の標識はもちろん、リボンさえ見当たらない。 そのつもりで<レスキューポイント縦走25>の右手から入って行くと、不明瞭な足跡の先に、<比良比叡トレイル>の黄色の巻サインを見つけて、正しいルートであることを確認できた。

 

      <レスキューポイント縦走25>の右手より入り、<比良比叡トレイル>と<白地に赤テープ>に出会う

 

あとは長い杉林の尾根道を<比良比叡トレイル>の黄色の巻サインを確認しながら、下っていくことになる。

このルートには、比叡山系縦走ルートでもおなじみの<白地に赤テープ>を巻き付けたサインにも出会って、この2つのルート案内に従い、尾根下りを続けることになる。

 

             杉林の中、急な尾根下りが続く

 

下っていくと杉林の間から林道が見え、<霊仙山南の稜線入口>(標高494m)に下り立つ。

そこは林道のカーブ地点で、右方向に林道は上っていき、左方向へはカーブして林道は下っていく。

ここもまたルート標識がなく、かすかに残った<比良比叡トレイル>の黄色の巻サインを信じて、左方向に林道を下ることにした。

 

 

下ると林道分岐<霊仙山南の稜線入口>に出る     林道から見る<霊仙山南の稜線入口>

 

途中、廃道になった林道の根っこに巻かれた黄色のサインを確認しながら下りていくと、広い林道に合流、少し大きな広場になっており、ここから右手に延びる林道の約80m先の左手に、林道と分かれて草に埋もれた細い小道を下っていく。 ここが<霊仙下林道出合>である。

 

 

        荒れた林道を<比良比叡トレイル>の黄色の巻サインを確認しながら下る

 

 

     広い林道に出て、右に曲がる       曲って80m程先、左にあるサイン棒杭を下っていく

                 ここが<霊仙下林道出合>である

 

林道と小道の角に立つ棒杭にルート標識である黄色のリボンが巻き付けられているので、ここが分岐<霊仙下林道出合>(標高466m)であることがかろうじて分かる。 やはり、道迷いをふせぐための標識が設置されていないので注意が必要である。

 

また、実際に歩いてみてこの日、霊仙山頂から登山口にあたる<上龍華林道入口>までの間、ひとりの出会いも、追い抜く登山者もいなかったことを付けくわえておきたい。

標識としては、ただ黄色いテープ<比良比叡トレイル>だけであり、分岐に必要な標識が無かったことも不安要因となりそうである。

今後、さらなる安全登山のための整備が期待されるルートであることは確かである。

 

しかし、昔あった途中越えの比良比叡接続ルートが、土地開発による環境変化や、地形変化によりルート区間が消滅してしまったところに問題があると云える。 

実際に新設なった<比良比叡トレイル>を歩いてみて、もう少し無理のない直線的なルートは無いものかと思った次第である。

さらなる探索・研究調査を待ちたい。

 

新設の<比良比叡トレイル>を心待ちにしていた者にとっては、比良と比叡の間に接続ルートが設定されたということが大切なのである。

指定又は推奨の無いルート程不明瞭で、不安な登山路は無い。 

比良比叡間の縦走を試みる登山者が少なかったことや、比叡山系の北方、特に仰木垰より魚の子山経由して還来神社へ抜けるルートもまた登山者が入らない未開拓のルートとして残されたままだったからである。

このルート設定にも多くの方がかかわられ、長年の研究、現地踏破の上での設定である事を思えば、頭が下がる思いである。

 

さて、最後の難関<霊仙下林道出合>を通過した安心感からか、緊張から解放されたのか、また気温の上昇からか、老体の疲労度が急に高まり、足腰の具合が急変しだした。

どうも体のバランスがとりにくくなってきた上に、足が思うようにコントロールできないのである。 体が斜めに進み、足をあげる感覚がつかめず、足先が土につまずき、体が前のめりになって進みにくくなってきた。

体全体から疲れが吹き出し、半分眠っているようにぼんやりしてきてしまった。

 

 

 

           <霊仙下林道出合>から<上龍華林道分岐>への杉林が続く

 

 

       <霊仙下林道出合>から下りてきて、出会う舗装された<上龍華林道分岐>

 

 

気温の上昇の中、縦走装備10kgの荷物をかつぎ、朝一番から上り下りを繰り返し、権現山と霊仙山からの急な下山の連続が、老体の弱った脚力をさらに弱らせたようである。

しかし、いままでにかってなかった疲労困憊に、さらなる前進は無理であると判断せざるを得ない状態にまで追い込まれていた。

今考えると軽い熱中症にかかっていたのではなかったかと思っている。

 

だらだら続く杉林の小道を惰性で歩き続け、ようやく舗装された林道の<上龍華林道分岐>にでた。

分岐を左に進むと、林道に設けられた防獣柵入口に出て初めて人の住む村落の匂いがして、少しは元気も出てきた。

 

 

         霊仙山林道を下りてくると上龍華にある<霊仙山林道入口>に着く

 

しかし、この元気も標識、上龍華にある<霊仙山林道入口>に出会った瞬間、体は疲労の限界に達した。

今夜の露営地と決めていたあと10分の所にある還来神社(もどろきじんじゃ・標高223m)近くの森へ歩く気力も失せ、携帯を取り出し、その場で迎えを頼む電話をしてしまっていた。

 

この状態では、腰も曲がったまま元に戻らず、足は引きずらないと歩こうともしてくれないのである。 

近くの木陰に身を横たえ、水分を取りながら、ピックアップを待った。

 

迎えに、この日の最終地<還来神社>(もどろぎじんじゃ)に連れて行ってもらい、我が人生最後のロングトレイル<比良比叡トレイル>を歩けたことに謝意を述べ、素晴らしい日々を与えられたことに感謝した。

 

この<比良比叡トレイル>をもって、ロングトレイルを卒業するのだとおもうと、疲れた腰を伸ばし、胸をも張って写真におさまった。

 

       

             最後のロングトレイルとなった<比良比叡トレイル>

              を歩けたことに、少し胸を張り、背中を延ばして

                還来神社で感謝の念を捧げ、報告した

 

 

このロングトレイルに挑戦するにあたって、どんなことが起ころうとも、老体からくる、体力や気力の衰えを素直に受け入れることにしていた。

永年のロングトレイル縦走の醍醐味、得られた人生の満足感、そして自然や天体との一体感、感謝という生きる喜びなど多くの天からの贈り物に満足していたからである。

 

とうとうその時がやってきたのかという納得の決断となった。

ひとつまた自分に与えられた花を咲かし切ったことに満足している。

 

 

 

<感謝>

『まだまだ挑戦できる』と、信じて挑戦しただけに、いささかショックでしたが、

『いやいや、老いの限界を受け入れるのも定め』と、ここにロングトレイル縦走から卒業することに

 なりました。

 これからは次なる可憐な花を老いの中に咲かせ、水やりはほどほどに、会話を楽しみながら、

  静かに見守り続けていきたいと思います。

 

ロングトレイル縦走を終えるにあたって、これまでの縦走を懐かしく思い出しています。

「縦走トレイル」の初めての挑戦は、フランスからスペインにかけてのピレネー山脈を縦断している

《カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路トレイル 800㎞》を自転車で約1週間駈けたのが始まりでした。

あれから20年、内外を問わず多くのトレイルを、リュックサックを担ぎ、またマウンテンバイクを駆って、カヌーを漕いで楽しんできました。 

また、合わせて近郊の山々やトレイルの近況偵察報告をかねて歩いてもきました。

 

ブログで取り上げた<ロングトレイルや山旅>に関するものだけでも相当な記録、報告となってしまいました。

それぞれが懐かしい想い出として老後を楽しませてくれそうです。

他にも百名山や数知れない登山日記や写真、スケッチ、句集、詩集が手元に残ったことを喜んでいます。

 

これからも、この地球で出会い、今まで書き綴ってきた旅日記を『星の巡礼』として、ブログで発表していくつもりです。

ブログ会場でまたお目にかかれること、再会を楽しみにしております。

 

これで重いリュックを担ぎ、支えてくれた腰も、負担から解放され、腰痛と猫背が少し改善してくれるのではないかと期待しているのですが・・・(笑い)

 

いつもロングトレイル縦走にあたり、励ましをいただき有難うございました。

感謝合掌

 

                  2022年80歳の初夏

               志賀の里 孤庵にて  後藤實久 

 

 

      2017<比良比叡トレイル全山縦走パノラマスケッチ> by Sanehisa Goto

                      (ゴール比叡山・左端~武奈ヶ岳・中央~スタート蛇谷ケ峰・右端)

    

    ―独立した4枚構成のスケッチなので、それぞれクリックして楽しんでいただけますー

          スケッチ上の山名・峠名や、標高は下記のブログを参照願います

       2017『星の巡礼・ 比叡比良全山大縦走路パノラマスケッチ 』

 

 

    

            星の巡礼 人生最後のロングトレイル縦走を終えて』

                   ―新設<比良比叡トレイル>を歩くー

                      

                         

                  

 

 

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2021『星の巡礼 奥比良縦走 / 老人の山旅随想』

 

ー新設<比良比叡トレイル>縦走 前半ー

2021 "Pilgrimage of the Stars : Mts. Okuhira Traverse -Old Man's Mountain Trip Essay-" <夜明けに向かって叫ぶ ― 蛇谷ケ峰山頂> Shout towards dawn この10…



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<関連ブログ> 

(クリックで各ブログ会場にコンタクトできます)

2021『星の巡礼 奥比良縦走 / 老人の山旅随想』

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2021『星の巡礼 南奥駈け6泊7日老人奮闘記』

2021登山道情報<比良山系・蓬莱山登山道-金ピラ峠ルート>

2020『星の巡礼 比良山系八雲ケ原湿原の紅葉散策』

2020『星の巡礼 比良縦走<釈迦岳リトル比良音羽ルート>』

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2019『星の巡礼・ 比良蓬莱山頂雪景色』 Ⅰ~Ⅱ

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2017『星の巡礼・ 比叡比良全山大縦走 ~7

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 ~59

2017『星の巡礼・六甲全山縦走のんびり2泊3日のトレッキング』 (シニア向き) Ⅰ~Ⅶ

2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 1~14

2017『星の巡礼・ 比叡比良全山大縦走路パノラマスケッチ 』

2016『星の巡礼:大峰山系 弥山遭難から学ぶ』 Ⅰ~Ⅱ

2016『星の巡礼 比良・白滝山を巡る渓谷トレッキング登山日誌』Ⅰ~Ⅲ

2016『星の巡礼・比良岳1051m・烏谷山1076m登山日誌』Ⅰ~Ⅱ

2016『星の巡礼・比良山系・堂満岳1057m登山日誌』Ⅰ~Ⅴ

2016『星の巡礼・比良山系武奈ケ岳1214m登山日誌』Ⅰ~Ⅱ

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』Ⅰ~㊸

2016『星の巡礼 比叡山縦走ルート探索』 Ⅰ~Ⅶ

2016星の巡礼・インパール作戦退却路・アラカン山脈白骨街道における露営・慰霊紀行』~⑱

2015『星の巡礼 中央分水嶺 高島トレイル縦走6泊7日ぶらぶら老人日記』~⑮

2015『星の巡礼 熊野古道を歩く』 Ⅰ~Ⅲ

2015星の巡礼・立山連峰縦走 Ⅰ~Ⅳ

2014京都北山登山考』 皆子山 ②峰床山 経ケ岳 ④雲取山

2013『星の巡礼・日本アルプス大縦走』単独踏破記録 <1.総論>~⑩

2011『星の巡礼 中山道徒歩旅行』 ~81

2007『星の巡礼・ユーコン紀行』 <ユーコン・ カヌーの旅360km日記>~⑤

2004『星の巡礼 ニュージランド縦断 スケッチ紀行』

2003『星の巡礼・カミーノ・デ・サンチャゴ自転車巡礼800kmの旅日記』Ⅰ~Ⅻ

2002『星の巡礼 大峰奥駈逆峯踏破記』 前半

2001『星の巡礼・カンチェンジュガ山麓ゴルゲ村に中村天風師の足跡を訪ねて』~②

 

 

       


           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022『星の巡礼 びわ湖一周 祈りの吟行サイクリング』Ⅱ 

2022GW『星の巡礼 びわ湖一周 祈りの吟行サイクリング』Ⅱ 

          ー走行記録編ー

2022GW "Pilgrimage of the Stars Around Lake Biwa Prayer Cycling" II

           -Running record-

 

ウクライナの戦雲をこころしながら、平和なびわ湖の風景に溶け込んできた。

びわ北湖ルート・サイクリング150㎞>を写真でご紹介し、走行記録としたい。

 

老サイクリストなので、<ビワイチ150㎞コース>をゴールデンウイークのなか、2日間の日程でかけてきた。

テントや寝袋、炊飯セットを積んだ重装備スタイルに、スピードを楽しみ、同じ北湖コース150㎞を平均10時間で駈け抜ける軽快なロードサイクリストには、異端児の遭遇に驚きをかくさず、声をかけてきた。

 

ビワイチ・サイクリング・コースは、自動車道に設けられた<ハイスピード・コース>と歩行者兼用の<低速コース>、それに混合コースに分かれる。

もちろん時速9~11kmの老サイクリストは、<低速コース>を反時計回りに走ってきた。 

 

ビワイチ・サイクリングに挑戦される場合は、ルールとマナーを厳守し、事故の無い安全なサイクリングを楽しんでいただきたい。

びわ湖一周サイクリング−ビワイチ 輪の国びわ湖−交通ルールとマナー (biwako1.jp)

 

歩行者最優先、村落内低速を守りながら一日目(85km)は、自宅のあるJR志賀駅をスタートし、びわ湖大橋を渡り、びわ湖東岸の<さざ波街道>を北上、長浜北びわ湖岸にある<湖岸緑地長浜南浜地区川道>でテント泊となった。

 

二日目(65km)は、長浜北にある湖岸緑地を出て、木之本、賤ケ岳横を抜け、大浦から海津大崎へ、さらにマキノサニービーチ、今津、高島を南下してJR志賀駅にゴールした。

 

老体をいたわるために、ペタル踏みは力を抜き、長距離走行に対応した。

ただ、久しぶりのサイクリングに股間の皮がむけ、腰を浮かせながらのペタル踏みとなり、情けないサイクリング姿に始終した。

救われたのは、短歌を詠みながら、ノートへの書き留め休憩で一息つけたことであろうか。

 

<吟行サイクリング>もまた、老齢からのひとつのサイクリング・スタイルといえるかもしれない。

今回の吟行のテーマは、<ウクライナ戦争>と決め、びわ湖の平和な風景をキャンバスに、ウクライナの戦雲を悲しみをもって詠いあげてみた。

戦争と平和>という、人類普遍のテーマを、びわ湖をサイクリングしながら短歌、31文字に収めてみたかったのである。

 

 

2022GW 《Cycling around North Lake Biwa by Prayer》Cycling Record

 

It blended into the peaceful landscape of Lake Biwa, with the Ukrainian war clouds in mind.

Now, I would like to introduce this <North Biwa Route Cycling 150km> with photos. As an old cyclist, I took the <Biwaichi 150km course> for two days.

Enjoy speed in a heavy equipment style loaded with tents, sleeping bags, and rice cooking sets, and talk to a light road cyclist who can run through the same North Lake course 150 km in an average of 10 hours without being surprised by the encounter of a heretic child. I came.

The Biwaichi Cycling Course is divided into a <High Speed ​​Course> on the motorway, a <Low Speed ​​Course> for pedestrians, and a mixed course.

Of course, old cyclists with a speed of 9 to 11 km / h run counterclockwise on the <low speed course>.

It was If you are going to try Biwaichi cycling rout, please follow the rules and manners and enjoy safe cycling without accidents.

 

Cycling around Lake Biwa, the land of wheels-Traffic rules and manners (biwako1.jp) びわ湖一周サイクリング−ビワイチ 輪の国びわ湖−交通ルールとマナー (biwako1.jp)

 

Pedestrians have the highest priority, and on the first day (85km) while keeping the low speed in the village, I started at JR Shiga Station where our house is located. Cross the Biwako Ohashi Bridge, head north on the <Ripples Road> on the eastern shore of Lake Biwa, and stay in a tent at the <Lake Biwa Ryokuchi Nagahama Minamihama District Kawamichi> on the shore of Lake Biwa.

 

On the second day (65km), leave the lakeside green area in the north of Nagahama, pass by Kinomoto and Shizugatake, go from Oura to Kaizu Osaki, and then head south to Makino Sunny Beach, Imazu, and Takashima to reach JR Shiga Station.

In order to take care of the old body, a petal stepping relaxed and corresponded to long-distance running.

However, after a long absence of cycling, the crotch was peeled off, and I was stepping on the petals while floating my hips, and I ended up in a pathetic cycling posture.

Perhaps it was saved by taking a break while writing a TANKA(Japanese short poem) song.

<Ginko Cycling> may also be said to be a bicycle consideration from old age.

The theme of this scrutiny was decided to be the <Ukraine War>, and the peaceful scenery of Lake Biwa was used as a canvas.

I wanted to draw a Ukrainian war cloud.

I wanted to capture the universal themes of <War & Peace>, and humankind in 31 characters (TANKA, Japanese short poem) while cycling through Lake Biwa.

 

   

                  ルートマップと写真撮影地点

           Route map and photography points

 

                                2022年5月ゴールデンウイーク  びわ北湖一周サイクリング・スタート ➀

                                            May 2022 Golden Week,  Biwako North Lake Cycling Start

 

                                     水張りが始まった湖西和邇地区の田圃風景 ②

                                  Rice field scenery in the Kosai Wani area where water filling began

 

                                   びわ北湖コースの起点 びわ湖大橋 ➂

                                      Biwako Ohashi, the starting point of the North-Biwa course

 

                            びわ湖大橋からの北方遠景図 ④ Northern distant view from Lake Biwa Bridge

 

                         びわ湖大橋を東側より眺める ⑤  View of Lake Biwa Bridge from the east side     

 

                        みさき公園にある<ビワイチ>起点   ➅  <Biwaichi> starting point in Misaki Park

 

                            ビワイチ サイクリング 案内図 ➅   Biwaichi Cycling Information

 

                                      びわ湖岸には素晴らし松並木が点在し、こころ洗われる ⑦ 

                                The shores of Lake Biwa are dotted with wonderful pine trees.

 

                         

               松並から比良の峰々を眺望⑧

                 残念、この日は雲の中

            びわ湖東岸<さざなみ街道>の松並

ビワイチ サイクルロード前半は、沖島を眺めながら、びわ湖東岸<さざなみ街道>を駈ける ⑨

   Biwaichi Cycle Road can reach the eastern shore of Lake Biwa <Sazanami Kaido>

                while looking at Oki Island.

 

 

                 沖島

                   近江富士<三上山> ⑪

       さざなみ街道の西側に沖島⑩、東南側に近江富士<三上山>を見ながら走る ⑪

         Run while looking at Oki Island on the west side of the Ripples Highway

             and Omi Fuji <Mt. Mikami> on the southeast side.

 

 

  びわ湖岸にあるパワースポット<藤ヶ崎龍神> ⑫  藤ヶ崎龍神の内宮である <妙徳龍神>の                   

                            岩窟祠

 A power spot on the shore of Lake Biwa     The inner shrine of <Fujigasakiryu Shrine>

    <Fujigasakiryujin Shrine>       with the rock shrine of< Myotoku Ryujin Shrine>

 

                                  

                                                              岩窟祠の奥に妙徳龍神が祀られている ⑫

                                                   Myotoku Ryujin is enshrined in the rock shrine

 

 

                           近江八幡市にある天台宗長命寺に立寄る ⑬         

          Stop at Chomeiji Temple of the Tendai sect in Omihachiman City

                                                                                 

        

                   長命寺門前で参拝者を見守る地蔵尊 ⑬

              Jizoson watching over worshipers in front of the gate

 

 

 

                 ⑭

                       びわ湖の水は、東びわ湖に広がる干拓農地に利用され、豊かな田園風景を見せる ⑭

                                The water of Lake Biwa is used for the reclaimed agricultural land

                                     that spreads over Lake Biwa, showing a rich rural landscape.

 

 

 

                愛知川橋⑮ 

        愛知川橋や宇曽川辺りからは日本百名山伊吹山>を遠望しながらサイクリングを楽しむ ⑯

      Enjoy cycling while looking out over Mt. Ibuki, one of the 100 famous mountains in Japan,

                                           from the Echigawa Bridge and the Uso River area.

 

 

 

                 彦根

          彦根港を過ぎて、<さざ波街道>は米原を経て長浜へ向かう ⑱

                         After passing Hikone Port, <Sazanami Kaido> heads for Nagahama via Maibar

 

 

 

                            ⑲           米原天野川より伊吹山を間近に見ながら、長浜城に到着する  ⑳

            Arrive at Nagahama Castle while watching Mt. Ibuki up close from Maibara, Amano River.

 

 

       今夜は、長浜北南浜にある湖岸緑地公園<川道2>でテント泊である ㉑

        Tonight, I am staying in a tent at Lakeside Green Park <Kawamichi 2>

                  in Nagahama Kita-Minamihama. 

 

 

 

                                        湖水で沐浴し、汗を流して寝床についた. ㉑ 

                                         I took a bath in the lake, sweated and went to bed.

 

                   

                朝食は定番のチキンラーメン

                                          < 2日目> 朝食後、長浜北緑地公園を出発する ㉑  

         <The 2nd day> After breakfast, leave Nagahama Kita Ryokuchi Park.

 

 

 

                 湖北町の真東のびわ湖上に竹生島が姿を現わす      ㉒   

         Chikubu Island appears on Lake Biwa, just east of Kohoku Town.

 

 

             水鳥の生息地<湖北水鳥ステーション>がある  ㉓             

       There is a waterfowl habitat <Kohoku Waterfowl Station> in this area. 

 

 

             奥琵琶湖に入る<高月トンネル> 

     高月トンネルを過ぎると余呉川堤には八重桜が咲き、木之本では水張りが始まっていた ㉕ 

  After passing the Takatsuki tunnel, double cherry blossoms bloomed on the Yogo River bank,

               and water filling had begun at Kinomoto. 

 

 

                   ㉖ 

                旧賤ケ岳トンネル

 8号線の高月交差点を越えて旧街道に入り㉖、賤ケ岳トンネル㉗を抜けて塩津より国道303号線を左折する

       After crossing the Takatsuki intersection on Route 8, enter the old highway,

    go through the Shizugatake tunnel, and turn left on National Route 303 from Shiozu.

 

 

 

                   ㉘

    賤ケ岳トンネルを抜けると竹生島と再会、国道303からは塩津の村落を見下ろすことが出来る㉙

                  After passing through the Hogatake tunnel, you will meet Chikubu Island again,

                           and we can overlook the village of Shiozu from National Highway 303.

 

 

                岩熊トンネル㉚ 

                    JR永原駅

国道303号線<岩熊トンネル>㉚を抜けて、JR永原駅㉛で休憩し、大浦を経て、桜並木を走り海津大崎に向かう

 

 

                 大浦

                                      絶景海津大崎アイクルライン㉝ 

      大浦㉜で奥びわ湖と再合流し、葉桜の絶景海津大崎ラインを走り抜ける ㉝ 

                                Rejoin Lake Biwa at Oura and run through the Kaizu Osaki line

                                            with a spectacular view of the cherry blossoms.

 

 

               海津大崎サイクルライン㉞ 

    海津大崎ラインは、竹生島を眺めながらの絶景奥びわ湖サイクリング・ルートである ㉞

   The Kaizu Osaki Line is a cycling route to Lake Biwa with a spectacular view of Chikubu Island.

 

 

             海津大崎方面よりマキノの村落を望む   ㉟          

           View of Makino village from the direction of Kaizu Osaki.

 

 

       

            マキノの村落にある湖上交通の要衝としての船着き場 ㊱

          A pier as a key point of lake transportation in Makino village.

 


       

              マキノサニービーチの天空の門 ㊲

                  Makino Sunny Beach Sky Gate

 

 

           西近江路の松並街道は往時の旅人を偲びながら走る ㊳

    The Pains Highway on Nishi-Omi Road runs while remembering the travelers of the past.

 

 

            松並の間の菜の花や、湖北の美しい岬を眺めながら走る ㊳

  It runs while looking at the rape blossoms between pains and the beautiful cape of north lake.

 

 

 

              親友の最期の地<今津病院>を背景に ㊴            

         With the background of the last place of my friend<Imazu Hospital> 

       

 

                                                                         竹生島行渡船の今津港 ㊵

                                                       Imazu Port of the ferry to Chikubu Island

 

 

 

                   ㊶

   安曇川三角州湖岸道路には素晴らしいサイクリング・ロードがあり、ルートには緑地公園があり、

   トイレも完備している。   The Adogawa Delta Lakeside Road has a green park and toilets.

 

 

                   ㊷

                                                 安曇川方面より白髭神社の岬にある鳥居が見えて来る

        From the direction of the Azumi River, we can see the torii gate at the cape of Shirahige Shrine.

 

 

                    ㊸

                                                           ビワイチは高島の古い街並みを通過する

                                              Biwaichi passes through the old streets of Takashima.

 

 

           白髭神社の湖上鳥居   Lake Torii of Shirahige Shrine ㊹

 

 

                  近江舞子浜にある琵琶湖周航の歌碑 ㊺

          A monument to the voyage around Lake Biwa on Omi Maiko Beach

 

 

               ゴール地点JR志賀駅近くの麦畑より蓬莱山を望む ㊻

      Goal point Overlooking Mt.Horaisan from the wheat field near JR Shiga Station

 

 

        

            平均時速9km/h 全走行距離150km 全走行時間17H

                    Average speed    9km / h

                    Total mileage      150km

                    Total running time       17H

 

 

                                        無事<志賀の里>にゴール帰宅した ➀

                                                   Safely returned to the goal at <Shiga no Sato>

 

     

   

                   

 

 

                                       

                  光り求めて

        『星の巡礼 びわ湖一周 祈りの吟行サイクリング』

                             

 

                                                            Seeking light

          "Pilgrimage of the stars : Around Lake Biwa prayer scrutiny cycling"

                                                                    END

 

 

 

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2022GW『星の巡礼 びわ湖一周 祈りの吟行サイクリング』Ⅰ 2022GW 《Cycling around North Lake Biwa by Prayer》Ⅰ ー短歌編ー <TANKA> ウクライナの悲しき惨状を憂いながら、自転車でびわ湖を回り、光り求めて吟行に励んできた。 老サイクリストなので、<…

2022『星の巡礼 びわ湖一周 祈りの吟行サイクリング』Ⅰ

2022GW『星の巡礼 びわ湖一周 祈りの吟行サイクリング』Ⅰ

2022GW 《Cycling around North Lake Biwa by Prayer》Ⅰ

                            ー短歌編ー <TANKA>

 

 

ウクライナの悲しき惨状を憂いながら、自転車でびわ湖を回り、光り求めて吟行に励んできた。

老サイクリストなので、<ビワイチ150㎞コース>をゴールデンウイークのなか、2日間の日程で走ってきた。

テントや寝袋、炊飯セットを積んだ重装備スタイルに対して、スピードを楽しみ、同じ北湖コース150㎞を平均10時間で駈け抜ける軽快なロードサイクリストには、異端児の遭遇に驚きをかくさず、声をかけてきた。

 

<吟行サイクリング>もまた、老齢からのひとつの自転車考と言えるかもしれない。

今回の吟行のテーマは、<ウクライナ戦争>と決め、びわ湖の平和な風景をキャンバスに、ウクライナの戦雲を描いてみたのである。

戦争と平和>という人類普遍のテーマを、びわ湖をサイクリングしながら、一日も早い停戦実現を祈って、短歌31文字に収めてみた。

 

                                                   光求めて

                サイクリスト &  詠み人  後藤實久

                    2022年5月

 

 

While thinking of the sad misery of Ukraine, I have been working hard to scrutinize while cycling around Lake Biwa.

 

As an old cyclist, I took the <Biwaichi 150km course> during Golden Week for two days.

For a light road cyclist who enjoys speed against a heavy equipment style loaded with tents, sleeping bags, and rice cooking sets, and can run through the same North Lake course 150 km in an average of 10 hours, the voice of a maverick is not surprised.

 

I've been calling<Ginko Cycling> may also be said to be a bicycle consideration from old age.

I decided that the theme of this scrutiny was <Ukrainian War>, and wanted to draw the Ukrainian war clouds on the canvas of the peaceful scenery of Lake Biwa.

 

               

                                 Seeking light

  

      Cyclist & the composer of Japanese short poem<TANKA>

                                                   Sanehisa Goto

                                                       May 2022

 

 

 

 

   ビワイチ サイクル ルート路面標識         いざ、びわ湖一周に出発 ➀    

   BIWAICH NATIONAL CYCLE ROUT           Let's go around Lake Biwa 

 

    

                  ルートマップと写真撮影地点

           Route map and photography points


       

            

 

             光り求めて

             Seeking light

 

 

 

 

《囀りに  春眠覚ゆ   びわ湖岸 絶えぬ砲声 彼の地の果てに》

 ―さえずりに しゅんみんおぼゆ  びわこがん  たえぬほうせい  かのちのはてに―

 

To sing

Spring sleep awakening

Lake Biwa

Constant gunshot

At the end of land<Ukuraine>

 

                新緑のびわ湖岸<松の浦>にて➀ 

            At the shore of Lake Biwa <Matsunoura>

                ドニエプル川越しにキーフの街を望む

            Overlooking the city of Keef over the Dniepuru River

 

 

 

《クモの巣の  東風に戯むる 琵琶の朝  春陽穏やか  彼の地祈るや》 

 ―くものすの こちにたわむる びわのあさ はるひおだやか かのちいのるや―

 

Cobweb

Playing with the east wind 

Biwa morning

Springtime calm

I pray for that land<Ukuraine>

 

  

 びわ湖畔 朝日に輝く蜘蛛の糸    Russian Army Ukraine Invasion Map(2022_04_27現在)
   A spider thread that shines

   in the morning sun

 

 

 

《たゆとうと 春陽射しこむ 戦場の  桜咲きにし  姉妹都市にも》

―たゆとうと  はるひさしこむ   せんじょうの さくらさきにし しまいとしにも―

 

古都であるキーウと京都は姉妹都市である。

また、ウクライナとの外交関係樹立25周年を記念して全土に植樹をした桜が咲き誇っているという。

 

Waver

Spring sun shines in

On the battlefield

Sakura bloom

Also in sister cities

 

The ancient cities of Kyiv and Kyoto are sister cities.

In addition, it is said that cherry blossoms planted all over the country are in full bloom to commemorate the 25th anniversary of the establishment of diplomatic relations with Ukraine.

 

 

     余呉川堤に咲く八重桜 ㉕      キエフの聖ソフィア大聖堂と記念植樹された桜

   Double cherry blossoms blooming        St. Sophia Cathedral in Kyiv

      on the Yogo River bank

 

 

 

 

《萌え出る 命満るや  びわ湖岸 遥けき地には 小雪ほそぶる》

 ―もえいずる いのちみつるや びわこがん はるけきちには こゆきほそぶる―

 

新緑に満ちた桜の枝が、びわ湖に向かって腰を曲げている姿に命の尊厳を見る思いである。

遥けき戦地ウクライナ北方はまだ雪が残っているようである。

 

Sprouts are coming out

Full of life

Around Lake Biwa

In the faraway land <Ukuraine>

It's snowing

 

I think that the dignity of life can be seen in the appearance of the branches of cherry blossoms full of fresh green bending toward Lake Biwa.

The far-flung battlefield Ukraine is still flickering with light snow, daily news reports.

 

 

     新緑の葉間に竹生島が見える ㉗       ウクライナ北方国境の村はまだ雪のなか         

    Chikubu Island can be seen         The village on the northern border

    between the fresh greenery.          of Ukraine is still in the snow.

      

 

 

 

《春の陽に 琵琶を包みし  エンジン音 止まぬ遠き地  砲弾の音よ》

 ―はるのひに  びわをつつみし  えんじんおん やまぬとおきち  ほうだんのねよ―

 

 びわ湖一周サイクリングで―平和と戦争を見る思いである。

 戦争がいかにむごいか、平和がいかに尊いか・・・

    

 

In the spring sun

Wrap the biwa

Fishing boat engine sound

A distant place that hasn't stopped yet

The sound of a cannonball

 

I would like to see-peace and war-by cycling around Lake Biwa.

How terrible the war is, how precious the peace is ...

 

 

  びわ湖に浮かぶ平和な釣り船風景②        砲弾・ミサイルの凄まじさ戦争風景

  A peaceful fishing boat floating on Lake Biwa  The awesomeness of shells and missiles

             It is a peace・・・!                                         It is a war・・・!

 

 

 

 

《花一輪 たたずむ湖岸   祈りおり 送りし彼の地 悲しみの歌》

 ―はないちりん  たたずむこがん  いのりおり  おくりしかのち  かなしみのうた―

 

びわ湖岸に咲く春の花は、平和の世を美しいと歌い上げているようである。

彼の地に想いを馳せながら、タイタニックの主題歌である讃美歌や、アメイジンググレイスを口ずさみ、自転車をゆっくりと走らせた 。

 

One flower

Nestled lake shore

She is praying

Send her to Ukuraine

Song of sadness

 

The spring flowers that bloom on the shores of Lake Biwa seem to sing that the world of peace is beautiful.

While thinking about that land <Ukuraine>, he sang that hymn of Titanic and Amazing Grace, and ran his bicycle slowly.

 

 

     びわ湖岸に咲く白い菜の花 ㉝     春、ウクライナ全土を覆うというライラック

White rape blossoms blooming on the shore of Lake Biwa

                        Spring, lilac covering the whole of Ukraine

 

 

 

 

《涙せず  見れぬ殺戮 ひとの業   ひたすら祈り   赦しこいしや》

―なみだせず  みれぬさつりく  ひとのわざ  ひたすらいのり  ゆるしこいしや―

 

人間の欲望に尽きる所がない。

人類は、あくなき戦争により問題を解決してきたといっていい。

 

Without tears

Unseen murder

It's a human work

Prayer earnestly

Forgiveness

 

There is no end to human desires.

It can be said that humankind has solved the problem through the endless war.

 

 

 びわ湖サニービーチの天空へのタワーゲート㉛  ウクライナ正教  聖ボロディームイル大聖堂 

   Biwako Sunny Beach Tower Gate to heaven   Ukrainian Orthodox St. Volodymyr Cathedral

                                             (Wikipedia)

                                                    

 

 

 

《人なれば   頑張れキーウ   届けやと 遠き祈りに  ミサイルの音》

   ―ひとなれば  がんばれきーう  とどけやと  とおきいのりに  みさいるのおと― 

 

主権国家に対する、現状変更、武力侵略は許されないとの国連憲章が守られてこそ、平和が維持されるという大戦後のルールが、核大国それも安全保障理事国によって破られたショックは大きいといえる。

 

If We are human being

Good luck with Kyiv

Delivery it

For distant prayers

Missile sound

 

It can be said that the shock of the nuclear powers breaking the post-war rule that peace will be maintained only if the UN Charter, which states that changes in the status quo and armed aggression are not allowed for sovereign nations, is observed.

 

 

  びわ湖に浮かぶ祈りの島 竹生島 ㉗      飛行機雲によるミサイル・イメージ写真

 Chikubu Island, an island of prayer floating      Missile Image photo by contrail

        on Lake Biwa

 

 

 

 

《戦いに こころ涙す 時あるも 満月和み 闇夜照らすや》

 ―たたかいに  こころなみだす ときあるも  まんげつなごみ  やみよてらすや-

 

一日目の走行を終えて、テントに潜り込む前、雲遮月に輝くびわ湖の静寂を味わいつつ、びわ湖で沐浴し、一日も早いウクライナ戦争の停戦を祈った。

 

For battle

Tears in my heart

Be sometimes

Full moon calm

Illuminate the dark night

 

After finishing the first day of cycling and before sneaking into the tent, I prayed for the end of the war as soon as possible while enjoying the silence of Lake Biwa shining in the cloud-blocking moon.

 

 

  雲に遮られた満月               びわ湖岸の今夜の我が家 ㉑

  Full moon blocked by clouds               My home on the shore of Lake Biwa tonight

 

 

 

 

《雪溶けの 水流れきし 田起こしの 餌を待ちし 白鷺の群れ》

   ―ゆきどけの  みずながれきし  たおこしの  えさをまちにし しらさぎのむれ―

 

びわ湖北方の村落 木之元の田圃も田起こしに忙しそうである。

堀起こされた土から飛び出てくる餌を待つ白鷺が、首を長くして待つ姿は、平和な一瞬を見る思いである。

なんと長閑なことか、今この時も彼の地では砲弾が飛び交い、罪なき住民が防空壕で息をひそめているのである。

 

The snow melts

And the water flows

When cultivating rice fields

Waiting for food

A herd of egrets

 

The rice fields in Kinomoto, a village north of Lake Biwa, have also been raised.

The appearance of the egret waiting for the bait that pops out of the excavated soil with a long neck is a feeling of seeing a peaceful moment.

What a quiet thing, even now, shells are flying around in that land<Ukuraine>,

and innocent residents are holding their breath in the air raid shelter.

 

 

           木之本村の平和な田起こし風景 ㉕       餌を待つ平和のシンボル白鷺

  Rice field raising scenery of Kinomoto village         Egrets, a symbol of peace waiting for food

 

 

 

 

《春風に   芽吹きし柳  ほのかにて  淡海静か  彼の地祈るや》

   ―はるかぜに めぶきしやなぎ ほのかにて あわうみしずか かのちいのるや―

 

芽吹いた柳が、春風に遊ぶ柳腰姿をびわ湖の水面に映し、揺れている平穏な姿を見ていると、遠くの地ウクライナでの惨状がふと蘇ってくるのである。

 

In the spring breeze

Sprouting willow

In the faint

Lake Biwa quiet

I pray for Ukuraine

 

 

新緑を着飾った柳腰は平和的である㉑     揺れる水面に映る新緑の影もまた平和である㉑

 Yanagikoshia slender figuredressed up in fresh green is peaceful.

                     The shadow of fresh green reflected on the swaying water surface is also peaceful.

 

 

 

 

 《平和なる   “上を向いて 歩こうと” 口ずさみつつ 琵琶を翔けるや》

     ―へいわなる うえをむいてや   あるこうと  くちづさみつつ   びわをかけるや―

 

わが青春時代のアイドル歌手 坂本九さんの<すき焼きの歌>『上を向いて歩こう』をハミングしながら、

びわ湖をのんびりとサイクリングしていると、平和の有難さが身に染みてくるのである。

 

Be peaceful

“Looking up

Let's walk

While humming

Around the biwa

 

While humming my youth idol singer Kyu Sakamoto's <Sukiyaki song> "Let's walk upwards" Cycling Lake Biwa reveals the gratitude for peace.

 

                                 ビワイチ・サイクル・ルート基点(琵琶一周200㎞/北湖150㎞)㉖

                                         BIWAICH NATIONAL CYCLE ROUT BASE POINT            

 

 

 

 

《衣替え   暮雪の比良や 霞ゆき 菜の花重ね   彼の地想いし》

   ―ころもがえ  ぼせつのひらや  かすみゆき  なのはなかさね  かのちおもいし―

 

    菜の花を向日葵の黄色に重ね、ウクライナを想う

 

Change clothes

Hira of the snowfall

It's hazy

Rape blossom stacking

Think of Ukraine

 

Rape blossoms are layered on the yellow sunflower to think of Ukrain.

 

 

                比良山系を見上げる菜の花たち ㊷     ウクライナの大地を埋め尽くす向日葵畑

Rape blossoms looking up at the Hira Mountainsb   A sunflower field that fills the land of Ukraine

 

 

 

 

ウクライナ 青空深し 向日葵の 硝煙の地や   想いて哀し》

    ―うくらいな   あおぞらふかし ひまわりの   しょうえんのちや   おもいてかなし-

 

Ukraine

Deep in the blue sky

Sunflower

The land of smoke

In memory and sadness

 

             

                                        硝煙とは縁遠いひまわり畑 

                                                             (ウクライナ観光省提供)

                                                         Sunflower field far from smoke

                                             (Provided by the Ministry of Tourism of Ukraine)

 

 

 

 

《見つめられ   ふと気づきしや 母雀    餌を啄む 子ら見守りし》

   ―みつめられ   ふときづきしや   ははすずめ   えさをついばむ   こらみまもりて―

 

   ウクライナの廃墟や地下壕で、母親が子を守る姿にこころ打たれる

 

Stared

Suddenly noticed

Mother sparrow

Bait

Watch over the children

 

I am struck by the attitude of protecting the mother and child in the ruins of Ukraine.

 

 

          雀の親子 (世界の民謡より)    子を想う母親の愛は普遍である(時事ドットコム提供)

                 The love of mothers who think of their children is universal.

                           (Provided by current affairs dot com)

 

 

 

 

《目を回す 敵来ぬかと 赤蜻蛉 されど不動の 坐禅姿や》

 ―めをまわす  てきこぬかと  あかとんぼ   されどふどう   ざぜんすがたや―

 

永世中立スイスのハリネズミ防衛軍備と国民皆兵という制度は、他国の侵略を寄せ付けない最も健全であり、正常な防衛体制である。

 

Turn his eyes

Enemy coming or not

Red dragonfly

But immovable

Do not break zazen

 

The eternally neutral Swiss hedgehog defense armament and universal conscription system is a stance that keeps the invasion of other countries away.

 

      

           蜻蛉目の全方位警戒態勢の素晴らしさに注目㉑

    Pay attention to the splendor of the omnidirectional alertness of the dragonfly eyes

 

 

 

■2022年2月24日 《大戦後77年目のロシア軍侵攻―主権国家ウクライナへ》

 ―Russian army invasion 77 years after the war-to Ukraine, a sovereign state

  on February 24, 2022 

 

 

 

春日和 想えば悲し 過ぎし日や 戦い敗れ  山河残りて》

 ―はるびより  おもえばかなし  すぎしひや  たたかいやぶれ   さんがのこりて―

 

 日本も敗戦して、はじめて知った平和な祖国の山河は美しかったと・・・

 

On a calm and clear day of spring

I'm sad when I think about it

Passed days and Battle defeated

However mountains & rivers remaining

In our country

 

Japan also lost the war, and the mountain river of the peaceful homeland that I learned

for the first time was beautiful・・・

 

       奥琵琶に広がる西浅井の村落に広がる美しい日本の原風景 ㉓

     Beautiful original scenery of Japan in the village of Nishi-Asai in Oku Biwa.

 

 

 

 

《過ぎし日の 痛み忘れし この国で 平和破れて 悪夢また見し》

 ―すぎしひの   いたみわすれし   このくにで   へいわやぶれて   あくむまたみし―

 

77年前の1945年8月8日、日ソ中立条約を破棄し、ポツダム宣言を受託後の日本が武装解除中、突然ソ連軍(赤軍)が満州及び樺太(サハリン)、北方四島に侵攻し、占拠した.

 

The passing day

Forget the pain

In this country

Breaking peace

Nightmare again

 

77 years ago, on August 8, 1945, after abolishing the Soviet-Japanese Neutrality Treaty and accepting the Potsdam Declaration, while Japan was disarming, the Soviet army (Red Army) suddenly became a breadbasket in Manchuria and Sakhalin, Invaded and occupied the four northern islands.

 

 

 

 

《我が国の  北の四島 赤軍に いまだ帰らじ 踏み込まれてや》

 ―わがくにの  きたのよんとう  せきぐんに  いまだかえらじ ふみこまれてや ―

 

(いまだ変わらない強制離島・強制移住同化政策住民投票方式で領土を増やす国がある)

 

Of our country

North four islands

By the Red Army

Stepped on

Still returning

 

(There are countries that increase their territory by forced remote islands, forced migration, and referendums that have not changed yet.)

 

 琵琶西岸高島平野の耕地㊲              1945/8/8 ソ連軍の侵攻経路略図

Agricultural land in the Takashima Plain on the west bank of Biwa

                                                                                   1945/8/8 Soviet invasion route sketch

 

 

 

《さんさんと  春陽注ぎて  凍土融け  動けぬ戦車  亡霊と化せし》

   ―さんさんと  はるひのぞきて  とうどとけ うごけぬせんしゃ ぼうれいとかせし―

 

The brilliant rays of the sun

Pour the spring sun

Frozen soil melted

Immovable tank

Turn into a ghost

 

 

 

 

ウクライナ  兄弟謳う 隣国に 翻弄されし プロパガンダよ》

    ―うくらいな   きょうだいうたう  りんこくに  ほんろうされし  ぷろぱがんだよ― 

 

Ukraine

While saying Brothers

In a neighboring country

Be honed 

By Propaganda

 

 

 

 

《自衛無き  抵抗空し  小国の 運命変えるや 大国のエゴ》

―じえいなき ていこうむなし しょうこくの さだめかえるや たいこくのえご― 

 

Without self-defense

Resistance empty

Change the fate of

A small country

By the ego of the great power

 

 

 

 

《携帯の  軍事作戦 傍受され  破壊戦車や 髑髏のごとし》

    ―けいたいの   ぐんじさくせん   ぼうじゅされ   はかいせんしゃや   むくろのごとし―

 

By mobile

military operation

Intercepted

Destructive tanks 

Like a skull

 

 

 

 

《善戦の 兄弟国の 反撃に 首都陥落や 後に回わせし》

    ―ぜんせんの   きょうだいこくの   はんげきに   しゅとかんらくや   あとにまわせし―

 

(ロシアは