ー1961~1964 同志社ローバースカウト発団当初の活動状況ー
2022年9月17~18日 京都、宇多野ユースホステルで実施された<同志社ローバー60周年記念の集い>に出かけ、多くの仲間と久闊を叙しました。
今ではすっかり翁になった同志である老兵と会話を楽しんでいると、<同志社大学ローバースカウト隊 結団宣誓式>に臨んだ60年前の懐かしい、輝いた童顔がよぎってきたものです。
ネッカチーフ と ワッペン
同志社ローバースカウト60周年記念式典(2022/9/17 宇多野YH)
2022年度総会(2022/9/18宇多野YH)
わたしのローバーリングである<星の巡礼>は、スカウティングである<備えよ常に>から始まりローバーリングである<自分のカヌーは自分で漕げ>を実践してきた自分自身の<人生航路>と重なり合っているように思えます。
スピーチでは、ローバリングについてだいたい次のように語ったと思います。
『ご紹介いただきました1961年に同志社大学ローバースカウト隊に入隊した後藤です。
60周年記念実行委員長の田中公郎君から、少し変わった人生、いや実践してきたローバーリングを話し
てくれないかとのことで、ここに立たされています。
この歳になって、人生であるローバーリングを振り返ってみると、根無し草を自任し、星の王子さまに
なりきって、星の巡礼を続け、宇宙人の存在を信じ、野宿をしながら砂漠を放浪、幻の大陸アトラン
ティスを追い求めている、中華料理が大好きな万年青年であることに気づかされ、満足しているところ
です。
天体観察・シュノーケリング・民族愛・野宿などのキーワードをかかげ、世界五大陸を駆け巡り、
一味違ったローバーリング人生を80年間続けてきました。 その一部をつまみ食いしながら、不正確な
数字を並べ、年代の前後を気にせずにお話させていただきたいと思います。
実は、80歳と言う老齢で正確なスピーチが出来るとは思えなくなり、みなさんの前で恥をかいても
いいように、ワイフに実行委員長の田中公郎君に電話してこちらのボケ具合を説明しておいてくれと
頼んだのですが、
「みなさんも少しはボケていらっしゃるから、大丈夫、自信をもって頓珍漢なスピーチを楽しんで
らっしゃい」とからかわれる始末、恥を置き忘れ、みなさんの前に立っている次第です。
と言うことで、スピーチは、この紙を見ていただくことにして、実体験を通したお話しさせていただき
たいと思います。
<人生の不思議>
両親のもと人間として、この世・この時代・この地球という星の、この日本に生まれ、同志社で
ローバー スカウトに出会ったということです。 ここまではみな一緒で、それぞれのローバーリングは、
ここからスタートしたわけです。
同志社で新島襄先生に<宗教と良心>を教えられ、同志社ローバーでベーテ ン・パウエル卿の教え
である<自分のカヌーは自分で漕げ、そなえよつねに>ほか多くのローバーリングのための人生訓を
学びました。
人生の分岐点で、その都度、同志社やローバーで学んだ価値観・尺度等をもって決断し、前進して、
生き抜いて今の場所に座っているのですから、不思議さに驚かされます。
みな当たり前な顔をして、苦労もなかったような涼しい表情でここに坐っていますが、それぞれの
人生という荒波を乗り越え、生き残っているからこそ今ある60周年を祝えるということです。
鬼籍に入った多くの友も今日は一緒に集い、和気あいあいと私たちの同志社ローバーの60周年を
共に祝ってくれていると思うと、こんなに嬉しいことはありません。
もし、人生の分岐点で、違う道を選択していたら、まずこの素晴らしい同志社ローバーと言う60年の
歴史には関わっていなかったと云えるのではないかと思います。 同志社ローバーを選択してからも、
それぞれの人生は千差万別、人に語りえない苦難の道を乗り越え、家族や組織の仲間とともに喜怒哀楽
を味わいながら、人生というローバーリングを続けられ、今ある己と向きあい、仲間と出会っている
のですから喜びはひとしおだと思います。
ただただ感謝しかないのではないでしょうか。
<献身的な団隊指導者やOGOB会役員への感謝>
60年という会運営を維持するためには、多くの情熱と忍耐が必要であり、途中の苦難の時期もあり
ましが、見事に再興して今日を迎えていることを皆さんと共に喜び、祝いたいものです。
情熱を消さずに同志社ローバーを守っていただいた歴代の団や隊指導者、OGOB会運営のメンバー、
そして何よりも口は出ず、OGOB会費を欠かさず納めていただいているみなさんは最大の支援者
だと思います。
また、同志社ローバースカウトから、過去から現在に至るまでに、京都連盟に3名の理事長(八木清・
佐藤義雄・篠田常生)と現副理事長(田中公郎)、県コミッショナー(谷口平八郎)や各種運営委員、
さらに多くの原隊指導者を輩出または現在奉仕中の仲間がいることを共に誇りたいと思います。
そして、今は亡き友たちの献身的なローバー愛を決して忘れることはできません。 今日もわたしたち
ひとりひとりに語りかけてくれていると思うと、多くの亡き友 桂茂樹・田中祥介・小山庸子さんや、
多くの仲間の笑顔が瞼に浮かんできます。 (敬称一部略)
<ローバーリング>とは、人生の足跡そのものであったような気がします。 それぞれが今いる自分の
山あり谷ありの人生を振り返る時、そこには若き青春時代のローバーリングと重なるものが見えてくる
ような気がしますが、いかがでしょうか。
若き現役諸君には、自分のカヌーをようやく漕ぎ始めたところ、これから荒波にもまれ、60年後無事に
到着した時には、いまここにいる老いたローバースカウトの姿と重ねて、自分だけのローバーリング
という航海の日々を思い返していただければと思います。人生そのものであるローバーリングとは、
武者修行です。
決して平穏な航海ではありませんが、ここ同志社ローバーでの4年間に自分なりの航海術を学び、
人を助け、神仏を信じ、おのれを信じ、人生航路を乗り切ってくれることを祈っています。
恐れることは何もありません、一生懸命ぶち当たり、悩み切って行動に移してみてください。
必ずやそこには晴れ上がった、生かされている喜びに満ちた世界が待っていてくれたことに気づく
ことと思います。 がんばれ、 青春!
同志社ローバーに永遠の栄光があらんこと祈るとともに、不思議な機縁でワイルド・ローバー号に
乗り合わせたローバースカウトお一人お一人の上に幸せあらんことを祈って、スピーチを終らせて
いただきます。
いや、スピーチ原稿をお読みいただき有難うございました。
また機会を見て会員情報誌 『きずな65周年記念号』 を発行していただけることを楽しみに
しております。』と・・・・
では、当時の<同志社大学ローバースカウト隊>、正式名<ボーイスカウト京都第43団青年隊>の
発団当初の様子と、同志社ローバー誕生前の<日本ボーイスカウト(少年団)の歴史>をのぞいて
みたいと思います。
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■1961~1964 同志社ローバースカウト発団当初の活動状況
1961/6/13 10:00 ボーイスカウト京都第43団 結団式 今出川キャンパス 有隣館(現致遠館2階)
1961設立時 団委員長 長谷川凡次郎・育成会長 八木 清・団委員 生島吉造・田淵 潔
隊長 佐藤義雄・副長 井上哲士(1954年度生)
設立隊員 7名: 竹中建三・ 岩口誠一・ 福井象三(1959)・ 前田隆之・ ①後藤實久(1960)
②桐山隆生・竹内正照(1961年度生) *(①印 キャプテン)
1961 入隊員5名: 花畑舜一(1960) 牧田義二・ 西川 徹・ 南条信隆(1961年度生)
初年度活動: 原隊プログラム優先/スカウト運動に関する研究会/親睦
1962 入隊員4名: ➂篠田常生・ 高橋勝治・ 牧島英勝・ 高見国男(1962年度生)
1963 入隊員11名: ➃柴田謙・ 縫谷昌生・ 中村成男・ 田中公郎・ 上嶋洋誉
渡辺康志・ 岸川義博・ 岡田義廸・ 前田秀生・ 前野耕駛・ 牧 照(1963)
1962~ スカウト未経験者を含め募集開始 (DOSHISHA EVE にてリクルート)
1963 <同志社スカウト同好会発足> (部室:新町校舎内 部員数45名)
同志社レンジャースカウト隊(ガールスカウト青年隊19名)結団にともない、
合同親睦会(ハイキング・登山・ダンス・歌声喫茶・同志社EVE)
1963/6(S38)7/22(京都・明徳館前)~8/13(日本橋)
第一回《中山道徒歩旅行》実施 16名参加 23日間
今出川キャンパス 有隣館(現在の致遠館)2階 1961/6/13 10:00~
八木育成会長・後藤・竹内・福井・岩口・前田・竹中・(桐山)
後3列目右端・佐藤義彦(当時京大RS代表・同志社大法学部教授・同志社スカウト同好会顧問)
膳祥一郎副コミ(佐藤氏前)
前3列目来賓・国友修治(京連理事)・小川玄諦(京連理事)・堀宣一(京連理事)・
生島吉造(同志社監理部長)・八木 清(京連理事長・同志社ローバー育成会長)・
高田芳二(京連理事)・中野恭雄(県コミッショナー)・来栖幸雄(副コミッショナー)・
立川章三郎(28団隊長)
発起隊員(前列左より) 後藤實久(11団)・岩口誠一(15団)・前田隆之(19団)・
竹中建三(14)・竹内正照(28団)・福井省三(19団)・桐山隆生(1団)・井上副長
第一回中山道徒歩旅行出発式 明徳館前 (1963/S38年 7月22日)
後列: 高見国男・牧田義二・篠田常生・牧島英勝・原田秀生・渡辺康志・西浦厚義・柴田謙・岡田義廸・
鳥居・前野耕駛・南条信隆・上嶋洋誉(隊旗手)
前列: <◎>・岩城公郎(田中)・吉村和子(仁科)・荒木薫(守屋)・高橋清美(桑原)・
西村豊子(高橋)・田中千絵(中山)・長谷川凡次郎(団委員長)・佐藤義雄(隊長)・
八木清(育成会長)・後藤實久(4年生)・桐山隆生(キャプテン)・竹内正照(サブ・キャプテン)
桐山隆生キャプテンを先頭に、中山道踏破途次諏訪学園慰問
1963/S38/8/4 南信日日新聞より
1963/8/13
後列:竹内正照・篠田常生・高見国男・渡辺康志・岡田義廸・上嶋洋誉・鳥居
前列:原田秀生・西浦厚義・岸川義博・長岡一美
鳥居・柴田・前野・岸川・西浦
1963/S38/8/13
同志社スカウト同好会結成式
同志社ローバースカウト隊&同志社レンジャースカウト隊 (1963 於アーモスト館)
後列: ◎・西浦厚義・岸川義博・原田秀生・岡田義廸・花畑舜一・中村成男・
三列目:桐山隆生・◎・篠田常生・高橋勝治・◎・鳥居・柴田謙・渡辺康志・上嶋洋誉・
◎・南条信隆・◎・前野耕駛・牧田義二・◎・◎・高橋満理子・高見国男・霜野・
◎・田中(岩城)公郎・
二列目:西村リーダー・◎・◎・◎・荒木(守屋)薫・西村(高橋)豊子・◎・
前列: 高橋(桑原)清美・◎・◎・吉村(仁科)和子・田中(中山)千恵・
諸岡(竹内)弘子・◎・後藤實久・竹内正照
■1915~1963 同志社ローバー誕生以前の日本ボーイスカウト(少年団)の歴史
1915(T4) 京都少年義勇軍、中野忠八(京都五条坂在住)ほかを指導者として発足
(4月 於・平安神宮)
1916(T5) 京都少年義勇軍(後年 少年団日本連盟に加盟)、初野営をびわ湖近江舞子
雄松崎で実施
1929(S4) 第3回世界ジャンボリーに、少年団日本連盟より八木清(同志社ローバー隊育成会長)参加
1941(S16) 少年団日本連盟(日本ボーイスカウト連盟前身)、軍部により各種青少年団体解散
1948(S23) 敗戦(1945)と同時に、日本のボーイスカウト運動の再建交渉が、GHQ・CIE
(連合軍司令 部・民間情報局)との間に行われ、アメリカ・スカウトであった
フェッタース氏(軍属)を顧問として、中野忠八委員長・八木清(同志社RS育成会長)・
桐山龍三(桐山隆生OB尊父・京都第1隊団委員長)ほかにより
<ボーイスカウト京都地方委員会> 設置される。
1959(S34) <第二回日本ジャンボリ―> (8/6~8/10 滋賀県・饗庭野演習場)に同志社大在学中の
スカウト指導者は原隊より全員参加した。
< 第10回世界ジャンボリー>フィリッピン・マッキンレー山で開催され、京都連盟派遣団の
一員として桐山隆生(1団 同志社香里高)・篠田常生(7団)・田中公郎(岩城8団
同志社岩倉高)・佐藤義彦(19団 後の同志社ローバー顧問)が参加した。
1960(S35) 当時のボーイスカウト京都連盟の同志社関係者は、八木清理事長、佐藤義雄副理事長、
井上哲士評議員、また、同志社ローバー第1期生となる岩口・竹中・福井・前田・後藤・
桐山・竹内の各隊員とも原隊の隊長 や 隊指導者、地区コミッショーとして活躍していた。
1961/5/3 「日本ボーイスカウト初野営の地」の石碑が、びわ湖・近江舞子にある雄松岬に建てられ、
当時キャンプに参加した京都少年義勇軍(中野忠八隊長・京都ボーイスカウトの前身)の
老隊員や、久留島秀三郎日本連盟理事長(中野忠八氏の実弟)の案内役として、
後藤が同志社ローバー準備隊として奉仕。
1961/6/13 桐山隆雄(京都1団)・竹内正照(京都28団)両名の大学入学を機に、在学中で、
原隊において奉仕活動中のスカウト諸氏に声をかけ、京都連盟の支援を受けて、
同志社ローバースカウト隊/ボーイスカウト京都第43団青年隊を発足させた。
1963(S38) 7/22~8/13 第一回《中山道徒歩旅行》 16名 踏破する。
1963/7 第11回世界ジャンボリー(ギリシャ)に、 同志社ローバーより岩城公郎(田中)参加
当時の日本 戦後15年焦土と化した国土がようやく復興の光が見え、国民に自信と勇気が見え
始めていた。
オリンピック招致も決まり、新幹線や高速道路である名神・東名開通を目指していた。
一方、学生運動<60年安保闘争>の最盛期であり、デモやゲバで騒然としていた。
同志社ローバーも、学園紛争の最中での、スカウトのユニフォーム姿での活動と相なった。
大学民主化を求める同志社全学連は、全国からの同志の支援を受けて、ヘルメット・ゲバ棒による
大学攻防戦を仕掛けていた。
同志社ローバーは、体育会系に組み入れられていた関係で、全学連との立ち位置が鮮明であり、
学内での活動を自粛、御所における隊集会での国旗掲揚時にはみな緊張したものである。
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お願い:誤りがあればご指摘・ご連絡ねがいます
◎印・お名前をご存じの方、ご連絡ください
連絡先:sanegoto1941@yahoo.co.jp (後藤迄)
(文責 後藤實久・ 写真提供 牧島英勝 後藤實久)
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ーとしせおい つどいしけんじ きょうのもり そなえよつねに こころわすれじ―
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―みやこなる れきしゆれにし うたのにて ろうへいつどい せいしゅんせしや―
《爺婆の 久闊叙せし おいおまえ 薬片手に 孫の話や》
―じじばばの きゅうかつじょせし おいおまえ くすりかたてに まごのはなしや―
《遥けきや 血潮躍りし 青春の 隣りの鼾 老いの秋かも 》
ーはるけきや ちしおおどりし せいしゅんの となりのいびき おいのあきかもー
實久句
完
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