shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2019『星の巡礼 ボーイスカウト京都第11団歴史をたどる写真展』 

    『星の巡礼 ボーイスカウト京都第11団歴史をたどる写真展』

 

「故大西孝雄氏スカウト活動追悼写真展」開催ご案内

 

ボーイスカウト京都第11団BS/SS元隊長・京都大学ローバースカウト(青年隊)OB・ 大西孝雄氏(81歳)は、病気療養中のところ、2019(令和元)年12月22日朝、不帰の客となられました。
生前の京都BS11団への情熱と活動、指導にたいし、OBを代表して感謝申し上げ、ご逝去に対し深い哀悼の念を表します。

なお、OB会としては、長年のご指導に感謝し供花をお贈りすると共に、その功績を回顧するためOB参加のブログによる「故太西孝雄氏スカウト活動追悼写真展」をここに開催いたします。

懐かしの写真をお持ちの方は、コメントを添えて下記へ添付送信いただければ幸いです。
写真またはコメント送信先          : sanegoto1941@yahoo.co.jp  
ー追悼写真展ー掲載ブログ先 : <shiganosato-goto.hatenablog>

 

弥栄合掌

BS京都第11団OB会 幹事長      青木  昭
故大西孝雄友人代表 11団OB    後藤 實久

 

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           1961 ボーイスカウト日本連盟山中野営場での

               故大西孝雄氏 (享年81歳ー1938~2019)

           世界ジャンボリー派遣団員訓練キャンプ―にて


 

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          写真展会場 : ブログ館<shiganosato-goto.hatenablog>

          写真展期間 : 2019(令和元年)12月22日~

          写真出品者 : ボーイスカウト京都第11団関係者 ・OGOB

                  故人を知るボーイスカウト関係者

          写真展構成 : 関係者の出品写真で飾るオープンスペースとし随時展示

                  出品希望者は下記へ写真又はコメントを添付送付願います

          展示方法等 : 受付順の展示を原則としますが、

                  管理者による時系列・重複写真等改編集も可能とします

          写真等送先 : sanegoto1941@yahoo.co.jp

          展示管理者 : Sanehisa Goto

                <最終掲示許可・削除・管理等の権利を展示管理者が有するもの

                   とします>

 

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           BS11団OB各位の供花に感謝します

 

 

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                  故人手作りの机の上にBS11団ネッカチーフ・ホイッスル・ベレー帽などが飾られた

 

 

 

1950~1961の足跡 ボーイスカウト京都第11団少年隊 隊長時代

 

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       1958/3 京都連盟指導者講習会にて 大西孝雄氏 (後列右より3人目)と高島昭佳氏(前列右端)

 

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   1958/4 復団隊員募集 牛尾山ハイクにて挨拶とカレーライスをサービスする大西隊長       

               高田芳二団委員長(左写真後方)

 

       ボーイスカウト京都第11団の発団(初期登録)は、1950(昭和25)年5月18日である。

      6月10日伏見にあった南浜小学校で結団式が行われ、連盟から認定証が授与された。

       当時伏見の青年団員であった永松迪哉(みちや)氏を隊長に、団委員長 松村清司氏、

               育成会長 今北栄三郎氏を中心に準備隊を発足させた。

 

                    準備隊発足ごろより京都少年義勇軍出身の元団委員長 故高田芳二氏の参加をえて、

       明治天皇陵や伏見城跡を中心とした桃山丘陵宇治川・淀川水域をはじめ、八幡・

       宇治・稲荷方面の自然環境を生かした野外活動を展開、これらの地域から新たな

       スカウトが多く入団した。後に、これらのスカウト達を中心に、宇治1団・京都25団

       などが発団していく。

 

       これらの活動後、当団は一時指導者の欠員により休眠状態に入るが、1958年スカウト

       より育ち大学に進んだ大西孝雄・高島昭佳両氏の指導者昇進により11団は復興し始めた。

 

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     1958/8  夏季隊キャンプ  柘植にて 隊付高田善八氏と共に 故大西孝雄隊長(19歳)

 

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          1958/8 京都キャンポリー 於・下鴨神社糺の森仮装行列を終えて

     後列中央/ BS11隊長・故大西孝雄氏(20歳) 後列右端/副長・故高島昭佳氏(20歳)

 

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            1958/8 京都キャンポリー 於・下鴨神社糺の森

              11団BS隊キャンポリー参加隊員記念写真

   前列左端・高島昭佳副隊長 / 高田芳二団委員長 と 大西孝雄隊長(中央) / 右端・後藤實久隊付

               後列左3人目・大西秀雄上級班長

 

 

          

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      故 高田芳二 元団委員長                                    故 高島昭佳 

                             元11団BS 副隊長 / 前 団委員長       

 

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                       小野嘉久 元BS副長

 

復団を目指したBS11団は、団委員長を引き継いだ高田芳二、隊長 大西孝雄、副隊長 高島昭佳(前団委員長)各氏が一丸となって活動周辺の小学校でのスカウト隊員募集デモンストレーションやハイキングを積極的に取組み、30数名のテンダーフット(見習いスカウト)が加入、再建の第一歩を踏み出した。

 

 

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     1958/5 初期の隊集会 旧隊長宅(桃山正宗)の庭で 手旗信号塔を完成させた隊員たちと 

  

  

     その後、近隣周辺からのスカウトを中心に新しい隊を発足させ、BS11団の最盛期を迎えた。

     また、BS11団の班や隊指導者は次なる新たな団を創設することになる。

 

  1958(昭和33)年、副隊長だった高島昭佳氏は、鳥取医大への進学と共に、米子第6団を創設。
  1959(昭和34)年、BS隊長であった大西孝雄氏は仲間と共に京大ローバースカウト(青年)隊である

            京都第36団を創設。
  1961(昭和36)年、当時BS隊長だった後藤實久氏は、仲間8人と同志社大ローバースカウト隊である

            京都第43団を創設。

  1961(昭和36)年、宇治のスカウトを中心に結成されていたフクロウ班が分離独立し、
            団委員長 平岡博次氏、隊長 広瀬氏として宇治1団が発団した。

 

 

       上記の通り、大西孝雄氏19歳の時、京都大学入学と同時に高田芳二11団委員長の要請を受け、

  高島昭佳氏と共にBS指導者養成講習会に参加して隊長に就任、高島副長と共に京都11団の再興に

  取り掛かる。

   また、大学3年の時、京都大学ローバースカウトを仲間と共に創設された。

  

  一方、高島昭佳氏は、翌年鳥取県医大に進み、米子に新隊を発隊させ、隊長として尽力され、

  高田芳二団委員長亡きあとは、開業医の傍ら京都11団団委員長としてお亡くなりになるまで尽力・

  貢献された。

 

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      1958/9  ボーイスカウト隊タイガー班(橘班長)の班集会を指導中の大西隊長(19歳)

 

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       BS隊タイガー班との昼食会  大西BS隊長(奥)と 高島BS副隊長(右手前)

 

 

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            11団BS隊 隊訓練(於・淀川堤防 三栖公園)

       最後列 左より後藤BS副隊長・大西(孝)BS隊長・大西(秀)BS上級班長

        

 

 1960-1961   ボーイスカウト京都第11団年長隊(シニアスカウト)隊長時代

 

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                            11団年長隊 SS隊長 大西孝雄・SS副隊長 高島昭佳 任命式

                 および シニアスカウト上進式

           後列左より 高島SS新副隊長・原・溝口・橘・田中・後藤BS新隊長

          前列左より 大西(秀)・河原井・高田団委員長・大西SS新隊長

 

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         11団年長(シニアスカウト)隊 隊訓練 (於・淀川三栖堤防公園)

           左より、樋口・原・大西(孝)・後藤・高田・田中・大西(秀)各氏   

 

 

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       11団BS/SSスカウト合同集会 (於・京都教育大付属小学校校庭)

          最後列 シニアスカウト隊員(訪問者 岩城氏を迎えて)

 最後列左より、樋口・橘・原・ 大西SS隊長・ 高田BS副隊長・後藤BS隊長・河原井・溝口・岩城

 

 

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     1960/7  年長隊富士野営 年長隊派遣隊員 と  大西孝雄派遣隊長(22歳 右端)

    左より、後藤BS隊長・金沢・原・浅井・大西(秀)・鈴木・橘・大西(孝)派遣隊長各氏

 

 

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               年長隊富士野営 京都派遣隊ゲート前で 

       左より 大西(秀)・大西(孝)派遣隊長・鈴木・後藤・浅井・金沢・原各氏

 

 

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 1960/7  年長隊富士野営 京都派遣シニア隊員 と 大西孝雄京都派遣隊長(22歳 左より3人目)

 

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        1960年長隊富士野営 山中野営場に集った代表シニアスカウト達

                                             BS11団派遣年長スカウトは右端3~5列目周辺にいる 

          (大西孝雄派遣隊長は4列目右端の隊杖を持っている人)

 

 

 想い出 :国道1号線(東海道ヒッチハイク

 

いまから約60年前 1960年8月大学1年生のとき、ボーイスカウト京都第11団年長隊(当時シニア
スカウト)ではアドベンチャーハイキングとして国道1号線東海道)を東京に向かうことになった。
京都より東京まで約500キロをヒッチハイクで踏破するのだ。

ペアを組んだのは、ボーイスカウト隊の隊長・大西孝雄氏と副長のわたしである。大西BS隊長は
当時、京大ローバースカウト(青年隊)を立上げ、京都連盟青年指導者層の中核として活躍されて
いた。尊敬する立派な実践派若手リーダーであった。

わたしたちは国道1号線京都伏見、城南宮の国道でヒッチハイクの旅を開始した。ふたりとも初めてのヒッチハイク、恥ずかしさよりも未知への挑戦に興奮していた。当時、東名神高速道路は東京
オリンピックに向けて工事中であったと記憶する。国道1号線が日本の骨格であり、大動脈であった。現在よりも通行量が多かった。

何台目かは記憶がないが、名古屋へ回送される大型トラックの荷台に乗せてもらい西の天下の剣・鈴鹿山脈を越え、高度経済成長にむかって走りかけていた四日市の巨大石油コンビナートの姿に
目を見張りながら第一日目の宿泊地・名古屋の熱田神宮近くの国道1号線で降ろしてもらって、
お世話になったトラックの運転手に感謝の言葉を述べたことをいまなお鮮明に覚えている。

今回の「東海道53次自転車ぶらぶら旅」でも、旧東海道近くにある思い出の地・熱田神宮(名古屋)
に立ち寄って約60年前にツエルト(簡易テント)を張った参道横の樹林に立った。

青年のこころをかきたてたヒッチハイクという冒険旅行の第一夜、パワースポットである境内を懐中
電灯を照らしながら歩きまわったことが懐かしい。一夜のツエルトには訪問者である蚊の大群が押し寄せたが、荷台に揺れて疲れ切っていたわれわれには苦にもならず爆睡、二日目の朝をむかえた。

熱田神宮の樹林から漏れる木洩れ日は、勇み立つ青年たちのこころに静寂と希望の旋律を奏でていた。1日目の体験に自信を持ったわれわれは、「東京方面ヒッチハイク中」という行先を書いたプラカードを胸にかかげ熱田神宮近くの国道1号線に立った。それもボーイスカウト・ユニフォーム姿だからひときわ目立つ。

2日目、東京へ回送される荷台の長いトラックがわれわれを拾ってくれた。次々と現れる太平洋の風景の大パノラマのなか、潮風をあびながら浜名湖を通過し、登呂遺跡のある日本平で降ろしてもらった。そのとき静岡の海岸でとった一枚の懐かしい写真がある。ベレー帽の良く似合う、青春を謳歌する青年たちの若き姿である。 (後藤記  2020年1月21日追記)

 

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年長隊東海道ヒッチハイク遠征隊ペアー 故大西孝雄BS隊長Bと後藤實久副長(右)

静岡の海岸にて(登呂遺跡のある日本平付近)

shiganosato-goto.hatenablog.com 星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』より

 

 

OBとしての後半生 

一般財団法人 京都ボーイスカウト振興会に所属し、京都のスカウト活動を長年支えられた。

 

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            2008 ボーイスカウト京都第11団OB年次総会 志賀の里にて 大西孝雄氏(前列中央 69歳)

          後列左より 今井氏・岡田氏・西崎氏・青木勉氏・渡辺徹氏・青木昭氏   

              前列左より 蜂矢氏・原氏・大西氏・後藤  

 

 

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     2015 ボーイスカウト京都11団OGOB年次総会  京都城太陽が丘にて舎営 (大西氏76歳)

      後列左より 島崎氏・篠田氏・岡田氏・浅井さん・・中野さん・・渡辺益男氏

    前列左より 勝村氏・西崎氏・青木昭氏・蜂矢氏・大西氏・後藤・国光氏・小山氏・渡辺徹

                最前列 青木勉氏

 

             <お願い : お名前教えてください―管理者より>

 

 

 

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         第2回日本ジャンボリー饗庭野大会 KBS11 キャンプサイト

            ゲート前で インディアンファッションの大西氏(21歳)

                     1959年8月6~10日

 

 

          《永遠のスカウト》作詞作曲 中村 知

 

              ひとたび スカウトに
              誓いを立てて なりし身は
              いつもいつも スカウトだ

              

              ひとたび スカウトに
              誓いを立てて なりし身は
              いまの今も スカウトだ

              

              ひとたび スカウトに
              誓いを立てて なりし身は
              死ぬ時まで スカウトだ

              

              この世の スカウトに
              命捧げて 仕えなば
              死して後も スカウトだ

 

   先輩 大西孝雄氏は、生涯全身全霊をもってスカウティングを愛されたスカウトの中の

   スカウトであり、われわれスカウトにとって憧れのリーダーであった。

   われわれは、ボーイスカウト運動創始者 ベーテン・パウエル卿の教えに心酔された

   大西隊長から、その精神をわれわれスカウトに教えていただき、ひとり一人の個性を

   生かしながらの集団の在り方、サバイバルの仕方を学んだものである。

   

   とにかくスカウトのユニフォームがよく似合い、スマートなスカウトリーダーであった。

   訓練中の動き一つ一つに洗練されたパフォーマンスが光り、われわれスカウトにも

   スマートさが求められていたことを懐かしく思い出される。

   

   特に、スカウトの基本である挨拶や身だしなみには厳格であった。ハンカチ・ティッシュ

   爪の検査は厳しくチェックされた。

   しかし、時としてきっちり分けらえた七三の頭髪が寝ぐせで乱れていることもあり、

   スカウトもしばしなごむ時間がもてたことをこれまた懐かしく思い出される。

 

   キャンプ(隊野営)では、手鏡を取りだし、髭をそり、髪を七三に整え、スカウトに

   模範を示されていたいたこともよみがえってきた。

        米粒一つも残さず食べること、撤収時の 清掃・感謝など多くの教えが今のわれわれを

        形作っていることに先輩への感謝の念がわいてくるのである。

     

  ここで歌われている《永遠のスカウト》は、亡き先輩と、われわれスカウトの同じ釜の飯を

      食べた仲間内の絆から生まれたといってもよいスカウトソングである。

      われわれは、ボーイスカウト京都第11団という家族の一員であることに、誇りと絆と、

     営火の炎のごとく《永遠のスカウト》たらんとする同じ夢と希望を持てることに感謝したい。

 

         

     

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       現在、BS11団は故高島昭佳 前団委員長の後を引き継いだ渡辺徹団委員長を中心に

       安達満育成会長・高畑政登ビーバー隊長・戸川忠則カブ隊長・里村充俊ボーイ隊長

       により団発展に寄与されていることをお伝えしておきたい。

 

 

     永遠なるスカウトに弥栄(いやさか)を贈る


       

 

        

 

 

 

    現在、2019『星の巡礼 ボーイスカウト京都第11団歴史をたどる写真展』

           ー《故太西孝雄氏スカウト活動追悼写真展》ー

                   を開催中

        出品写真・コメント受付中です。手持ちの懐かしい写真があれば

           お寄せください。またのご来場をお待ちします

                                                  送付先: sanegoto1941@yahoo.co.jp                       

 

                 (掲載管理 責任者 後藤實久 )