shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2023『星の巡礼 短歌集<絆の祈り>』

                                                            短歌集

                                                   《絆の祈り》                           

                        ―かずま頑張れ―

 

                                            同志社ローバーOGOB一同

          

                             

                                                     2023(令和5)   5月17日~8月10日

 

                                                                  詠み人 吉村和馬

                                                                  詠み人 後藤實久

                         

 

 

 

《仲間 吉村和馬君の回復を祈って》 (5月28日)

 

重篤の若い仲間 吉村和馬君が、気管切開を行い、眠りの中、生死

の境にあるという。

共に、仲間の回復を祈ろうとの山科隆雄OGOB会長からの呼びか

けがあった。

また、和馬君のお父様からも、昏睡の中にある彼に祈りを届けて

ほしいとの切実な願いが届いている。

今朝、ここ志賀の里でも、病室にある友の深い呼吸に合わせて、

祈りをささげた。

それぞれの場所で、<朝7時の祈り>に加わっていただき、同志社

ローバーOGOBによる<絆の祈り>を届けたいと思います。

 

《君と共に、いま、こここの世にありて、天に向かいて祈り、

                結ばれしを喜ぶなり、 痛みを分かち合い、

          与えられし道を共に歩み、光あるを切に祈るものなり》

 

  

 

《感謝》  (5月30日)

同志社ローバーOGOB有志による朝7時の<絆の祈り>に集い、

若き仲間 吉村和馬君の意識回復を願い、今朝も又、それぞれの場所で

祈りを持てたことに感謝します。

軒先を打つ雨滴音に、病床の若き仲間の息遣いを重ねています。

 

 

《吉村和馬君のお父様からのメッセージ》

(吉村 伸 5月31日)

 

本当に感謝します。 皆さんのお祈りのおかげでなんとか復活して

ほしいとおもっています。 ほんのわずかな確率といわれていますが。

和馬は24団ビーバースカウトに入隊してから病気がわかり、カブ

スカウトの後期に車椅子になりましたがみなさんの協力で車いす

のままずっとボーイスカウトをつづけました。 もちろんできること

はしれてましたが、その学年の結束は大きく、ベンチャーまで誰も

やめなかったことも、お役にたてたのではないかと思っています。

ボーイのときは比良山の登り口までではありますが、車いすにロー

プをつけて何人もで引っ張って登山をしたこともあります。

アグーナリーは、神戸、滋賀、富士と三回参加し、三年前の磐梯山

も参加申し込みしていたのですが、コロナで四年延びてしまい、

今回は無理になってしまいました。

実は磐梯山のアグーナリーには、24団のチーフでなく同志社ロー

バーのチーフをしていくことを決めていたのですが、ちょっと実現

しなくなってしまいました。

障害者年金をいただいて生活していますが、その中から最後に出金

したのは同志社ローバーOB会の会費の振込でした。

長々と失礼しました。 みなさまによろしくお伝えください。

去年のOB総会には私も介助に入って参加申し込みしていたのです

が、コロナで中止になってしまい、みなさまにご挨拶できません

でした。それがこうして繋がれてうれしく思います。

今後共よろしくお願いします。   

 

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■<私たちを見てよ!> ―ぺらぺらヨメナ合唱団- (6月1日)

 

耳をそっと傾ける。 路地裏の片隅に、お日さまに顔を向け、合唱の練習

に声張り上げる少年少女合唱団<ペラペラヨメナ>に出会った。

まるで、病床にある仲間に<和馬、目を覚ませ!>よと、謳いあげている

ように聴こえてきた。

 

《心地よく ぺらぺらヨメナ 肩寄せて ハモル姿や 君に届けし》  實久

 ―ここちよく ぺらぺらよめな かたよせて はもるすがたや きみにとどけし―

 

 

   

                      ぺらぺらヨメナ                          

 

 

■<命のメロディー>  ―朝顔の産声―  (6月2日)

 

新しい生命が芽吹き、その希望の背伸びに、こころ豊かにさせられた。

病床の若き仲間の意識回復を見る思いで、ローズマリー朝顔の命溢れる産声に

そっと耳を近づけてみた。 歌手・梓 みちよの<こんにちは赤ちゃん> の軽やかな

メロディーが、体中に広がった。 喜びのなか、豊かな時の流れに沈んだ。

仲間が集中治療室から、一般病棟に移ったとの報せを受けた。 一人ひとりの祈り

が通じたことに感謝している。

 

《君迎え 過ぎ去りし曲 コンニチハ 赤ちゃん歌う 我や懐かし》 實久

 ―きみむかえ すぎさりしきょく こんにちは あかちゃんうたう われやなつかし―

 

 

 

   

                       朝顔の産声

 

 

 

                                               《絆の祈り》

 

今朝は、すこし寝坊して<絆の祈り>に遅れた。 静かな朝である。

一週間前に蒔いた朝顔の種が顔を出していた。

仲間・吉村和馬君の意識回復を見たような、気持ちの高揚を抑えきれ

なかった。 同志社ローバーによる<絆の祈り>に感謝である。

 

 《向かわずして祈りを聴くは、肝に銘じ魂に銘ず、

       祈りよく回転の力あるを学すべきなり》 道元禅師

 

 

 

《 多くのみなさんの祈りが通じたようです 》  

 

吉村和馬君の病状経過について和馬君のお父さんより次のように

報告がありました。

お父さんの問いかけに、まばたきの反応があったとのことです。

 

同志社ローバースによる《絆の祈り》のパワーも仲間 吉村和馬君に届いた

ようです。 お父様から以下のように、経過報告と感謝のメッセージが出さ

れています。

各個人の祈りは、引き続きよろしくお願いいたします。

有難うございました。 

 

《目を覚ませ 息吹き返せ 若き友 絆の祈り 奇跡生みしや》     實久

ーめをさませ いきふきかえせ わかきとも きずなのいのり きせきうみしや―

 

 

 

《さらに奇蹟が起ころうとしています》   

     (吉村 伸 6月2日)

 

今朝、先生からの連絡で、状態が安定してきたのでICU(集中治療室)から

一般救急病棟に移棟するとの事。 コロナのため面会謝絶ですが、15時半に

移棟するので、その時間に合わせて届け物をと、教えてもらいました。

廊下でたまたますれ違った!という面会ではない確信犯面会で、和馬に声かけも

できました。 声をかけると、うっすら目を開けて反応していました。

「声はきこえてますよ。 でも医学的には覚醒には至りません」との説明ですが、

確実に奇蹟が起こる、自信が出ました。 

祈りは通じる!さらによろしくお願いします

 

 

■<台風のあとの水溜り>  (6月3日)

 

この列島に猛烈な雨を降らせた台風が去り、晴れ間が戻って、水溜まりに

白雲を映していた。 水溜りの奥底に光る魅力的な白雲の誘いに、

いつまでもみとれた。

病床の仲間に、かすかな光りを見た思いであった。

 

《天翔ける 誘いし雲は 永遠にして 踊る白雲 君と戯むる》  實久

 ―あまかける さそいしくもは とわにして おどるしらくも きみとたわむる―

 

   

   

                         水溜り            

 

 

 

■<悠久の満月>       (6月4日)

 

久しぶりに夕方の散歩を楽しんだ。

びわ湖の東の空に、悠久の時の流れを見続けている月様が浮かんでいた。

ふと、病床に伏せる若き仲間の真丸い顔が月様にかぶさった。

友の息遣いをじっと見つめ、今日一日の無事を祈ってくれているようだ。

共に祈ってくれている月様に感謝した。

 

《悠久の 時を見つめし 月様と 共に祈りし 友の目覚めや》  實久

 ―ゆうきゅうの ときをみつめし つきさまと ともにいのりし とものめざめや―

 

       

                      悠久の満月

 

 

 

■<雪の下>(ユキノシタ)   (6月5日)

 

この素晴らしいファッションを見よ、とばかり白燕尾服を着こなした貴公子

ユキノシタ>が、今年もツツジの影から顔を出してくれた。

その清楚なファッションに拍手喝采で応えたとき、ユキノシタ

「人間は、こころを磨くことによってその美しさを変化自在に変えられるの

だから羨ましい。」と語ってくれた。

ふと、病床の若き友に、この白燕尾服を着せてみたくなった。

 

《清楚なる 君美しき 雪の下 愛あるエール 永遠に響きし》  實久

 ―せいそなる きみうつくしき ゆきのした あいあるえーる とわにひびきし―

 

 

      

                         雪の下         

 

 

 

■<ビヨウヤナギの祈り>  (6月6日)

 

三年前に挿し木したビヨウヤナギに待望の黄色い花が咲いた。

気高い雰囲気を醸すビヨウヤナギ。 その顔には与えられた命を慈しみ、精一杯

生き抜こうとする美しさが溢れていた。

今朝も、天からの光を満々と受け、感謝の詩を歌う彼女に命の大切さを教えて

もらった。 ビヨウヤナギの花一輪に、病床にいる意識なき若い友の顔をみた。 

祈りは愛である。

 

《祈りあう われらが愛を 受け止めて 生きよ笑えと ビヨウヤナギ》  實久

 ―いのりあう われらがあいを うけとめて いきよわらえと びようやなぎ―

 

   

                     ビヨウヤナギの祈り 

 

 

 

■<蜘蛛の巣>   (6月7日)

 

蜘蛛画伯による見事な幾何学模様の世界を創作している姿に、吸い寄せられた。

体長0.5㎝ほどの小さな生命体が、同じデザイン・パターンを織りなす姿は、

神の領域に属するように見えた。 創造主による見事な作品でもある蜘蛛が、その

能力を最大限に発揮している姿にエールを送った。 われわれ人間も、それぞれに

与えられた能力をそれなりに、ほどほどに発揮できれば、どんなに幸せであろうか。

病床の若き友は今日も意識が戻らないという。 彼もまた目を覚まし、与えられた

命に汗することを信じて祈りたい。

 

《天に問う 生きて残せし この作業 何を想うて 創り給うか》  實久

 ―てんにとう いきてのこせし このさぎょう なにをおもうて つくりたもうか―

 

      

                       蜘蛛の巣 

 

 

      

■<浮き雲>         (6月8日)

 

なんと楽しげに浮かんでいるのだろうか。 すべてを忘れ、変化自在に姿を

変え、姿さえ消してしまう魔法使いである浮き雲は、何時まで眺めていても

飽きないのである。 浮雲になって、病床の若い仲間を誘い、天空を飛び回

ってみたい。 なんと素敵な夢物語であろうか。

 

《まん丸い 笑顔嬉しや 浮き雲の われと翔け舞う 病の友と》 實久

 ―まんまるい えがをうれしや うきぐもの われとかけまう やまいのともと―

 

 

 

    

                       浮き雲

        

 

 

■<小さな命―ツマグロオオヨコバイ>  (6月14日)

 

この愛らしい虫さんも、この大きな自然を構成する一員である。 「いまを一生懸命に

生きる」姿にくぎ付けになった。 彼から見れば、こちらはガリバー的存在、しかし、

存在する宇宙・世界は同じ、生きるという共通の目的も同じ、対等な存在である

ことに、連帯を感じた。

病床の意識なき若き仲間も、一生懸命戦い続けている。 連帯の祈りが通じ

ますように!

 

《静寂なる 宇宙の響き 聴こえ来て 祈り満つるや 友の命に》  實久

 ―しじまなる うちゅうのひびき かたりきて いのりみつるや とものいのちに―

 

   

                        小さな命

 

 

■<祈りの梅雨空>   (6月15日)

 

雨を運ぶ雲が、稲田の水面で泳いでいる。 この世のすべてが、私たちの心の中で

泳いでいると思うと、こころを清らかに磨いておく必要がありそうだ。

目を閉じて、こころに映し見て、はじめてこころに宿るのであろう。

病に臥せる若き友のこころを映して、祈りを交感した。

 

《宿り来し 友のこころや 映りおり 願い届けと 祈り交わせし》  實久

 ―やどりきし とものこころや うつりおり ねがいとどけと いのりかわせし―

 

    

                     祈りの梅雨空 

        

 

■<ムラサキカタバミ>      (6月19日)

 

夏日が西に傾きかけた散歩道で、「この生きいきした健康な私たちを見てよ!」

と、ムラサキカタバミの娘さん達が語りかけてくれた。 なんと素晴らしい喜びの

顔をしているのだろうか。 いま、病床にあるすべての人に安らぎを送り届けたい、

そんな思いにかられた時、吉報が届いた。

すべての祈りが通じたのであろう、昏睡の病床にあった若き友に語りかけた父親

の問いかけに、まばたきで応えたとの便りがあった。 感謝である。

 

《喜びの 伝わりし花 生きとして 臥せる君らに 祈り贈らん》  實久

 ―よろこびの つたわりしはな いきとして ふせるきみらに いのりおくらん―

 

   

                    ムラサキカタバミ

 

 

 

《本日、第二日赤から、宇多野病院に転院しました》

         (吉村 伸  6月19日)

 

これまで何度も入院している病院、担当の可愛い看護師さんは、

吉村家のクリスマスカードを知ってるほどの方で安心しました。

何よりも一番安心したのは和馬の様子。

バッチリ目ぇ見開いて、「かずまー!」の呼びかけにも反応。

「聞こえてたらまばたきして!」て言ったらまばたきまで!

またまた「これ、起きてますやん」言うてしまいました。

いやあ、予想以上に安心しました。

 

主治医の白石先生の説明をきき、そう簡単には目覚めそうにはない

ものの、在宅治療を目標に頑張ろうと言ってもらえました。

第二日赤では一切面会謝絶したが、宇多野はもう少し規制が緩和

されているようで、一日四家族に限られますが、面会はさせて

 

もらえるとのこと。

頑張って声かけに通います。今できることはそれくらい!

みなさんのお祈りに加わっていただき、ありがとうございます。

頑張ります!  引き続き宜しくお願いします。

 

                    

                  

■<栗の花の祈り>  (6月20日

                       

毎年、大きな実をつける若い栗の木が家の近くにある。

この時期、若木に今まで見過ごしていた異様な突起花が天を突いていた。

そして、その花の淡い匂いに、遠い青春時代が宿った。

雌花は受粉すると栗のイガになるという。

それぞれの命に与えられた神の業に出会っては、驚かされる毎日である。

病床の若き仲間の意識が戻り、与えられた命に花を咲かせてくれそうである。

祈りに感謝である。 

                       

《匂い来し 青春宿る 栗の花 目覚めよ君も 立ちて笑えと》  實久

 ―においきし せいしゅんやどる くりのはな めざめよみみも たちてわらえよ―

 

   

                    栗の花の祈り

 

        

 

■<シロツメクサ>       (6月21日)

 

びわ湖岸で、懐かしいシロツメクサ<クローバー>の花に囲まれた。

子供のころ首飾りを作ったりした楽しい想い出が宿った。 「白詰草」と

書くという、素敵なネーミングだ。 これは江戸時代にオランダから輸入

されたガラス製品の梱包に緩衝材として詰められていたことから来て

いるという。

病床にある若き友のために四葉のクローバーを探さなくちゃ!

 

《ぼんぼりの 白き頭や 風に乗り 祈り運びし 友の目覚めや》 實久

 ―ぼんぼりの しろきあたまや かぜにのり いのりはこびし とものめざめや

 

   

                     シロツメグサ

 

 

 

■<雨垂れの歌>     (6月22日)

 

志賀の里は、霧雨に霞む風景の中に沈んでいる。

デッキに鎮座し、雨滴音の中に沈み、雨音を楽しんだ。

雨、それは人のこころを潤し、いつくしみの雨に変わる瞬間の<慈雨>がいい。

氷雨(ひさめ)・時雨(しぐれ)・春雨(はるさめ)・五月雨(さみだれ)も大好きな

雨の表情である。

病床の若き友にも雨滴音が聴こえていることを祈る。

 

《雨垂れの 打ちて踊りし 軒の下 聞き耳たてし すみれ草かな》 實久

 ―あまだれの  うちておどりし のきのした ききみみたてし すみれそうかな―

 

   

                      雨垂れの歌              

 

 

 

■<ドクダミの花>    (6月25日)

 

今朝は、昨夜の仲間と飲んだ般若湯の余韻に、眠さの中にある。

眠さを吹き飛ばしたいと出かけた散歩道で出会ったドクダミ、半日陰にひっそり

咲く鮮やかな純白の花は魅力的である。

臭いがきつい個性豊かな雑草だが、野生独特の生きる力を感じさせてくれるのが

好きである。

今朝も、群がり咲くドクダミの純白の花たちは、病床の若き仲間に届けとばかりに、

シャンソンエディット・ピアフの「愛の賛歌」を絶唱していた。

 

《路地裏の 純白乙女 顔揃え シャンソン謳う 調べ豊けき》  實久

 ―ろじうらの じゅんぱくおとめ かおそろえ しゃんそんうたう しらべゆたけき―

 

   

                      どくだみの花

 

 

 

■<森からの景色>    (6月26日)

 

梅雨の間の青空に誘われて、久しぶりに山を歩いて来た。

山間から眺める広々とした琵琶湖、そして、青い空にうかぶ雲、そこには広大無辺な

天空が広がり一枚の絵画を見ているようだ。 心豊かにさせられた。 病床にいる若き

仲間にも見せてやりたい。 雲と遊ぶ若き友の姿を想い描きながら回復を祈った。

 

《病床で 眺むる絵画 広がりて 雲溶け流る 永遠の景色や》  實久

 ―びょうしょうで ながむるかいが ひろがりて くもとけながる とわのけしきや―

 

 

    

                     森からの景色           

 

 

 

■<アカバナ・ユウゲショウ>  (6月27日)

 

あわいピンク色の化粧をした可憐な花<アカバナ・ユウゲショウ/赤花夕化粧>

が、曇り空のもと独り寂しげにたたずんでいた。 老いを重ねると、青春に立ち

帰って、相手の心を先読みし、感傷に耽ることが多くなってきた。

彼女には彼女なりの憂いを抱えているのだろう。 生きるとは、なんと繊細な

感情にこころ揺さぶられるのだろうか。 お互いの心を労わりつつ、目礼を

交わし離れた。

病床の若き仲間も、自分の想いを訴えかけているように思えた。

 

《比良の影 覆いし花や 夕化粧 憂いのこころ 重ね想いし》  實久

 ―ひらのかげ おおいしはなや ゆうげしょう うれいのこころ かさねおもいし―

 

                   アカバナ・ユウゲショウ

 

 

 

■<南天の花>     (6月28日) 

 

今年も、所属するローバースカウト(青年)隊は、新しいスカウト仲間を迎えて

入隊式、そして懇親会を持った。 オールドボーイから見るほぼ60年差の若さ

に、その夢ある姿がまぶしく見えたものだ。 彼等の漕ぎだしたカヌーは試練を

乗越え、夢あるフロンティアにたどり着くことを祈った。

今朝、庭に咲く南天の花に彼らを重ね、病床にある若きスカウトOB仲間と

共に前途を祝福した。

 

《漕ぎだせし 力満ちたる フレッシュマン 試練乗越え 挑むカヌーや》 實久

 ―こぎだせし ちからみちたる ふれっしゅまん しれんのりこえ いどむかぬーや―

 

   

                       南天の花

 

             

 

■<野に舞う ぺらぺらヨメナ> (6月29日)

 

志賀の里、風に戯れる野生の<ぺらぺらヨメナ>が曇る比良の峰をバックに、

今日もまた、優雅に舞っていた。 この自由な空間にわが身をゆだねている姿に、

彼女らの真の喜びが感じ取れる。 嵐も闇も受け入れて咲き誇る彼女らのよせる

信頼の主の慈愛が、こちらにも伝わって来た。

病床にある若き友と一緒に、われわれも信頼の主に抱かれていることに感謝した。

 

《主にまかせ 風に戯むる 嫁菜草 幸せ満つる 日々感謝せり》  實久

 ―しゅにまかせ かぜにたわむる よめなぐさ しあわせみつる ひびかんしゃせり―

 

   

                     ぺらぺらヨメナ

 

 

■<ヤマボウシの祈り>  (6月30日)

 

この季節、お山は真白な帽子をかぶった<ヤマボウシ>が見ごろである。

ヤマボウシは、山歩きの初夏、清楚な貴婦人の顔を見せ、深い秋には目も覚める

ような紅葉のマントを羽織り、いつも単独行のわたしを迎え、魅了してくれたもの

である。

名前からして、志賀の里より遠望できる比叡山延暦寺の山法師を想い描いては、

その白装束を楽しんでいる。

山法師と言えば、病床の若武者がぴったりであることを思いだし、ふと和んだ。

 

《病床の 若武者の友 山法師 重ね宿りて 和み祈りし》  實久

 ―びょうしょうの わかむしゃのとも やまぼうし かさねやどりて なごみいのりし―

 

 

   

                       ヤマボウシ           

 

 

 

■<間伐杉>     (7月1日)

 

役目を終えた杉の間伐材に出会った。

年輪を数えてみたら約45本、45年の歳月を生きてきたことが分かる。

そう、森林は二酸化炭素を吸収する自然の<クリーンな化学工場>である。

今日は、病床の若き仲間と、地球温暖化の防止に貢献している杉の生き様

に迫ってみた。

 

《隠されし 己の使命 知らずして 役立ちおるを 知りて嬉しき》 實久

 ―かくされし おのれのしめい しらずして やくたちおるを しれいてうれしき―

 

   

                       間伐材 

 

 

 

■<マーガレットの想い出>  (7月2日)

 

梅雨の間の太陽がまぶしい! マーガレット達も<故郷の空>を大合唱で

ある。 マーガレットには懐かしい思い出がある。

ニューヨーク在住の折、キャッツキルにあるニューヨーク禅堂(金剛峯寺

での座禅会に参加したおり、山門で出迎えてくれたのがマーガレットたち

であった。 今朝も、マーガレットに再会し、若き病床の友と共に、風に合わ

せながら、歩き禅である<経行>(きんひん)を楽しんだ。

 

《只々に 己無くして 見つめるに 脱け殻ありて 無の風抜けし》 實久

 ―ただただに おのれなくして みつめるに むのかぜぬけし ぬけがらありて―

 

 

   

                       マーガレット      

 

 

 

■<満月を飲み干す>   (7月3日)

 

ここ志賀の里、びわ湖に映る満月は、波に揺れ微笑んでいるように見える。

半夏生の満月を酒杯に浮かべて愛でる、優雅な時間を過ごした。

月様の微笑みに誘われて李白漢詩を高らかに吟じた。

病床の若き友のこころにも満月が満ちたたことであろう。

満月を酒盃に浮かべて、病床の若き友と満月に舞った。

 

《飲み干せし 盃の華 満月や 病の友と 君愛でおりし》    實久

 ―のみほせし さかずきのはな まんげつや やまいのともと きみめでおりし―

 

《志賀の里 いでし満月 琵琶に映え 揺れし微笑み 盃のなか》 實久

 ―しがのさと いでしまんげつ びわはえ ゆれしほほえみ さかづきのなか―

 

    

                        満月

 

 

 

■<天使の梯子>     (7月6日)

 

今朝一瞬、姿を見せた雲間に、太陽と天使の梯子びわ湖に舞った。

美しい天地創造の一瞬に立合え、病床の若き友と創造主の恵みに触れた。

 

《舞い降りし 天使の梯子 湖に抱かれ 満ちし平安 友癒せしや》 實久

 ―まいおりし てんしのはしご こにだかれ みちしへいあん ともいやせしや―

 

 

   

                      天使の梯子              

 

 

 

■<ブライダルベールの合唱>  (7月7日) 

 

今日は七夕である。

気を付けないと行きすぎるほど小さく、可憐な花<ブライダルベール>に

呼びかけられた。 なんと可愛らしい三弁花なのだろうか。 まるで花嫁が

かぶる純白のベールのように美しい。

この小さな命にも人は名を付けて、愛でる優しさがあることに心うたれた。

自分たちに目を向けて、語りかけてくれたわたしたちに、坂本九ちゃんの

<幸せなら手を叩こう>を合唱し、感謝の気持ちを伝えきた。

病床の若き友と一緒に、七夕に願いを込め、手を叩いて合唱に加わった。

 

《純白の 君に見せたし 花嫁の 神の祝福 白きベールを》 實久

―じゅんぱくの きみにみせたし はなよめの かみのしゅくふく しろきべーるを―

 

                                                                       ブライダルベール 

 

 

 

■リシマキア・ミッドナイトサン  (7月9日)

 

びわ湖岸のお宅の外庭に咲き乱れていた星形の花が<リシマキア・ミッド

ナイトサン>と教えてもらい、素敵な名前に喜んでしまった。

星形の黄色い花<Star>が、<Might-Night-Sun>に輝いている姿を

想い描くだけで、宮沢賢治銀河鉄道の夜に引きこまれた。

人の豊かな想像力や祈りは、世界を変え、人を変え、おのれを変えられると

思うと、強いパワーを感じたのである。

いま、苦しみの中にいるすべての人々に強いパワーを送り続けていることの

大切さをかみしめた。

近いうち一週間ほど、病床の若き友を勝手に連れ出して(写真同伴)、

戦国武将・家康公の足跡を追って城巡りに出かけてきたい。

 

《眠りより 目覚めよ友と 祈りてや 共に旅する 銀河鉄道》 實久

 ―ねむりより めざめよともと いのりてや ともにたびする ぎんがてつどう―

 

 

   

                 リシマキア・ミッドナイトサン

 

 

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      星の巡礼 どうする家康紀行>に写真参加して

          (2023/7/10~14)

 

             義経(吉村和馬&ピエール)

               

 

 

                  病床の若きOB仲間 吉村和馬君を連れ出して(写真参加)、天下人

                  徳川家康公ゆかりの城・古戦場を巡って短歌を詠ん来た。

                  寄稿文は、ブログにまとめたので立寄っていただければ幸いです。

                  ここでは、城址や古戦場での短歌のみを載せておきます。

            武蔵野弁慶(後藤實久)

 

2023『星の巡礼 どうする家康紀行』

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2023/07/19/081125

 

 

   

     追跡者:義経(吉村和馬&ピエール)       追跡者:武蔵野弁慶(後藤實久)

 

                         

 

《それぞれの 命ひとつ 輝きて 主の導きし 追跡うれし》                   和馬     

 ―それぞれの いのちひとつ かがやきて しゅのみちびきし ついせきうれし―     

 

《われらみな 闇夜におりて さすらいし 思えば同じ 寂しき身をや》 實久

 ―われらみな やみよにおりて さすらいし おもえばおなじ わびしきみをや― 

 

 

         

 <岡崎城> 1542(天文11)年 <家康誕生の城にて>

 

《日ノ本を 束ねし公の 産声や 明るき世へと 響き渡れり》               和馬

 ―ひのもとの たばねしこうの うぶごえや あかるきよへと ひびきわたれりー

 

《屁をこきて 知らぬ存ぜぬ 夏の風 産声聴こゆ 龍ヶ城》                   實久

 ―へをこきて しらぬぞんぜぬ なつのかぜ うぶごえきこゆ りゅうがじょう―

 

          

       

             岡崎城前で追跡サイン獲得              

 

 

② <桶狭間の戦い> 1560年5月19日 <家康17歳>

 

《忍び足 やんちゃ坊主の 鬨の声 聴きて槍だす ドン・キホーテ》 和馬

 ―しのびあし やんちゃぼうずの ときのこえ ききてやりだす どん・きほーて―                                                  

 

《目閉ずれば 殺生空し 人の道 無常なる風 頬打ち去りし》    實久

 ―めとずれば せっしょうむなし ひとのみち むじょうなるかぜ ほほうちさりし―

 

       

                 桶狭間 旧石柱と

 

■ ムラサキツユクサ<紫露草>の祈り

      ―桶狭間古戦場で出会いて―

 

紫露草、なんと素敵なネーミングであろうか

桶狭間の古戦場跡にひっそりと咲く可憐な花に出会った

気品がみなぎり、可愛らしさを見せている

 

ひと時の幸せを忍ばせているようで、祈りの切なさが伝わってきた

刹那、無の風がわれわれの祈りのなかを吹き抜けていった

 

毎日、次々と花を咲かすのだが、彼女たちは

一日で枯れてしまう運命にあるのだ

まるで、古戦場で散っていった兵(つわもの)たちに

出会ったようにである

病床の若き仲間 義経Kazumaと、共にしばし彼らの祈りに耳を傾けた

 

《儚さの 夢見る君や 露草の 無の風吹きて 祈り響きし》  實久

 ―はかなさの ゆめみるきみや つゆくさの むのかぜふきて いのりひびきし―

 

   

                     ムラサキツユクサ         

 

 

     

 <掛川城> 1568(永禄11)  <家康 26歳>

 

《城に見る 世の常悲し 立ち姿 氏真守り 家康攻めし》  和馬

 ―しろにみる よのつねかなし たちすがた うじづねまもり いえやすせめし―

 

掛川の 別れ旅路の ちぎり雲  義兄弟見る 攻防の果て》   實久

 ―かけかわの わかれたびじの ちぎりくも ぎきょうだいみる 攻防の果て―

 

   

                   掛川城で追跡サイン獲得

 


 ■ 落葉の独り言 掛川城公園で―                         

 

山内一豊によって改修された掛川城は、本格木造天守閣として復元された

東海の名城である

周囲には、多くの桜の木が植えられ、市民の憩いの場である公園として提供

されている

掛川城外の木陰に舞い散った落葉に、約450年前の兵どもの姿を重ね

われわれ義経Kazumaと弁慶Saneは、耳を傾けて

その言い伝え(伝説)に聞き入った

武田軍の駿府館攻略により、掛川城に逃げ込んだ氏真を家康軍の攻撃から

守ったのは、天守閣脇にある井戸から立ち込めた霧であったと教えてくれた

 霧が城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったという

それ以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれているという

われわれは、落葉たちとの気の交感をして別れた

 

 《貴族的 白塗り天主 雲霧の 遠江拠点 息吹おりしや》 實久 

 ―きぞくてき しろぬりてんしゅ くもきりの とうとおみきょてん いぶきおりしや―

 

    

                   掛川城の落葉

 

 

 

④ <浜松城> 1570年 姉川の戦いに勝利、浜松城に移る

 

《浮き沈み 知る由もなし 戦国の 生き残りしも 勝運のうち》   和馬

 ―うきしずみ しるよしもなし せんごくの いきのこりしも しょううんのうち―

 

《出世城 人の一生 分からじや 時が見下ろす 主何處やと》    實久

 ―しゅっせいじろ ひとのいっしょう わからじや ときがみおろす あるじどこやと― 

 

 

       

                  浜松城で追跡サイン獲得

 

 

■ 内気な半夏生  ―浜松城下にてー

 

 掛川城より、浜松城へ向かう途中で、葉のつけねからでた穂状の突起に

たくさんの控えめな白い粒花をつけた半夏生に出会った

梅雨明け宣言がなされるなか、水路にひっそりと葉を白く染め

日とともに緑に戻す<ハンゲショウ>が、内気にたたずむ姿に心惹かれた 

何か、自分たちに似ているねと写真参加中の病床の友・義経Kazuma

語りあったものである

 

《人知れず 川辺賑わす 半夏生 出会い嬉しや はにかみおりて》  實久

 ―ひとしれず かわべにぎわす はんげしょう であいうれしや はにかみおりて―

 

   

                       半夏生                         

 

 

 

⑤ <三方原古戦場> 1572年(元亀3)  <家康 30歳>

 

《人の世や つわもの共の 夏の夢 立ちて悲しき 戦いの跡》     和馬

 ―ひとのよや つわものどもの なつのゆめ たちてかなしき たたかいのあと

 

《葉を揺らす 風の命の 無常さに われら誘いし 碑なる虚しさ》   實久

 ―はをゆらす かぜのいのちの むじょうさに われらさそいし ひなるむなしさ

 

   

            <三方ヶ原古戦場>石碑で追跡サイン獲得    

 

■  パープルハート<紫御殿> 三方ヶ原古戦場跡にて

 

優しい表情で話しかけてくれる小さな紫の花に、ここ三方ヶ原の公共墓地で

義経Kazumaと弁慶Saneは出会った

まさしく名の通り<パープルハート>の可憐さに心躍ったものだ。

日本名は<紫御殿>というらしい、なぜだが分からないが

少し侘しさに包まれた

写真参加している病床の若き友にニックネームを付けてみたくなった

義経として参加しているが、<ダニーボーイ>、<西郷どん>、<星の王子様>

<サッカークレージ>と、友の別なるイメージが広がった

 

《想い寄せ  祈り合いしや 共にいま パープルハート 結ばれおりし》 實久

 ―おもいよせ いのりあいしや ともにいま ぱーぷるはーと むすばれおりし―

 

 

    

                      パープルハート

 

 

 

 <二俣城址 1572~75(元亀3~6) <家康 30~33歳>

 

《石垣の もの悲しげな 蝉の声 まぼろし集う つわもの共の夢》     和馬

 ―いしがきの ものがなしげな せみのこえ まぼろしつどう つわものどもや―

 

《目を閉ずれば 悲しき戦い 迫り来て 無の風頬を 打ちて去りにし》 實久

 ―めをとずれば かなしきたたかい せまりきて むのかぜほほを うちてさりにし―

 

   

               二俣城址で追跡サイン獲得

 

 

■< 宵待草>   二俣城址

 

二俣城址の広々した芝の広場にでる道すがら、はにかみながらこちらを見つめる

黄色い宵待草に気づいた。

その姿に浴後の美人、竹久夢二の作詞作曲の「宵待草」のメロディーが、弁慶Sane

の口から流れ出た。

弁慶には懐かしい青春歌である。 だが、義経Kazumaには、馴染みのない

大正のメロディーである。

しかし、聴こえるセミの鳴き声が、兵(つわもの)どもの悲しい声となって、

宵待草の気分をかき消してしまった。

 

《出会いしや 宵待ち草の 二俣城 兵どもの 鬨に変りし》  實久

 ―であいしや よいまちぐさの ふたまたじょう つわものどもの とき(のこえ)にかわりしー

 

                

    

                        宵待草

 

 

 

⑦ <長篠城址> 1575(天正3)年  <家康 33歳>

 

《人の世の 無常なる道 絶えざるや 戦無き世 求めて止まず》  和馬

 ―ひとのよの むじょうなるみち たえざるや たたかいなきよ もとめてやまず―

 

《右衛門の 叫び木霊す 長篠で 磔に見る いのち尊き》       實久

 ―うえもんの さけびこだます ながしので はりつけrにみる いのちとうとき―

 

 

   

               長篠城址碑で追跡サイン獲得                   

 

 

■ <ドクゼリの叫び>  長篠城址で

 

長篠城址の主郭があった広場を、草刈り機のエンジン音が満ちていた。

刈り忘れられた数本のドクゼリの花が、やれやれ助かったという顔を輝か

せていた。 

人の世も同じだなーと相棒の義経Kazumaが一句詠んでくれた。

 

 《うなだるる 城址の哀れ 時を越え 屍越えし ドクゼリの鬨》  和馬

 ―うなだるる じょうしのあわれ ときをこえ しかばねこえし どくぜりのとき(のこえ)―

 

    

                        ドクゼリ 

 

 

 

⑧ <長篠・設楽原決戦場>  1575(天正3)年5月21日 (家康 33歳)

   (ながしの/したらがはら) 

 

《勝ち負けの 世の常にして 戦いて 無常の情け いつ終わりしか》 和馬

 ―かちまけの よのつねにして たたかいて むじょうのなさけ いつおわりしか―

 

《放たれた 完膚なきまで 鉄砲玉 騎馬隊撃ちて 止むこと無きや》 實久

 ―はなたれた かんぷなkまで てっぽうたま きばたいうちし やむことなきや―

 

    

    

            <長篠・設楽原決戦場>防馬柵で追跡サイン獲得                                     

 

 

■ <ヤマゴボウの嘆き>  長篠・設楽原決戦場で

 

設楽原(したらがはら)の戦場に立つ防馬柵の山側にヤマゴボウの実を

見つけた。 彼らが設楽原の戦いを知っているとは思わないが、なにかの

縁でこの古戦場を眺めているのである。

こちらは追跡者、常住のヤマゴボウさんに設楽原の戦いについて問い

かけてみた。 意外にも、ヤマゴボウは言い伝えを聞かせてくれた。

信長の鉄砲隊は雷を落し、その轟音は天地を揺り動かし、勝頼軍は

一瞬にして消えたと、聞いているという。

 

《一斉に 火を噴く銃や 雷神か 消えし騎馬隊 この世失せしや》 實久

 ―いっせいに ひをふくじゅうや らいしんか きえしきばたい このようせしや―

 

    

                      ヤマゴボウ

 

 

 

 <小牧・長久手古戦場>  1584(天正12)年3月  <家康 42歳>

 

《両雄の 対決せしや 長久手の 天下競いし 日ノ本の国》  和馬

―りょうゆうの たいけつせしや ながくての てんかきそいし ひのもとのくにー

 

《時の運 乗りし秀吉 天下取り 時を待つのも 家康の訓》     實久

―ときのうん のりしひでよし てんかとり ときをまつのも いえやすのくん(おしえ)―

 

       

             小牧・長久手古戦場跡で追跡サイン獲得    

 

■ <ハエドクソウ>  小牧・長久手古戦場跡で

 

秀吉方の武将、池田恒興(勝入)戦死地<勝入塚>(しょうにゅうづか)の裏に

広がる薄暗き森のなかを散策していると、雑草に混じって<ハエドクソウ>

の可憐な花がひっそりと咲いていた。

古戦場で出会う花たちには、格別な思い入れがあり、古戦場に散った兵

(つわもの)どもの化身のように見えてくるのである。

相棒の義経Kazumaが一句詠んでくれた。

 

もののふの 小さきいのち 叫びおり 歴史に埋る 祈り悲しき》 和馬 

 ―もののふの ちいさきいのち さけびおり れきしにうもる いのりかなしきー

 

 

                      ハエドクソウ 

 

 

            

 ⑩ <犬山城>  1600年(慶長5年) <家康 58歳>

    関ヶ原の戦いに勝利した徳川の城となる 

 

《精霊の 飛び交う城や 夏の夢 石段上る こころ重きや》   和馬

 ―せいれいの とびかうしろや なつのゆめ いしだんのぼる こころおもきや―

 

《無情なる 城の運命や 敵味方 流される血に 悲哀眺めし》  實久

 ―むじょうなる しろのさだめや てきみかた ながされるちに ひあいながめし―

 

       

                 山城で追跡サイン獲得

 

■  <再会の宵待草>   山城で

 

家康追跡の旅のある日、<小牧・長久手古戦場>で終えた。 

朝を迎え、木曽連峰からあがる太陽の恵みを受けながら、<犬山城>に

向かった。

朝一番、犬山神社横の駐車場に車を止め、苔むす石段を上っていくと

城門に着く。

開門には少し時間があり、散策をしていると、二俣城で出会った宵待草に

再会した。 二俣城での非業の死を遂げた徳川信康(家康の嫡男)の怨念

の祈りが聞こえてきそうであった。

 

《再会の 君美しき 微笑みに もののふの声 響き悲しや》 實久

 ―さいかいの きみうつくしき ほほえみに もののふのこえ ひびきかなしや―

 

                        

                 再会の宵待草

 

 

 

⑪ <岐阜城> 1600(慶長5)年8月  <家康 58歳>

 

《われ招く 見よこの景色 山城の 美濃制する 者となりしや》  和馬

 ―われまねく みよこのけしき うあましろの みのうせいする ものとなりしや―

 

 《浮き沈み 世の常と言う 長良川 岐阜の城また 主を変えてや》  實久

 ―うきしずみ よのつねという ながらかわ ぎふのしろまた ぬしをかえてやー

 

    

                  岐阜城天守閣で追跡サイン獲得

 

 

■ <アンズタケ>   岐阜城   

 

岐阜城は、信長が稲葉山城を改名した城である。

長良川両岸に広がる岐阜の街や、その先に広がる濃尾平野を一望できる。

岐阜城は、ロープウェイ山頂駅より、なお200mほど歩いた金華山頂にある。

この道すがら、汗するわれらを励ます茸<アンズタケ>に出会った。

信長も苦戦した難攻不落の<稲葉山城>を、一日で落とす離れ業を見せた

竹中半兵衛の逸話を聞かせてくれた。 

それは知恵と策略による<城乗っ取り>であったという。

信長は、三顧の礼と破格の待遇で竹中半兵衛を召し抱えたい旨、秀吉を介し

て伝え、味方に引き入れた。 

その後、豊臣秀吉の天下取りの軍師として、無くてはならない人物なったと、

話してくれた。

竹中半兵衛は、明智光秀と同じく美濃国の出身で、土岐氏滅亡のあと斎藤

道三、信長に仕えた。

光秀は本能寺の変を起し滅亡するが、半兵衛は、秀吉の軍師として天下

取りに参加する。

 

 《いかほどに 頑強な城 誇りても 知略に勝る 術無しという》  實久

 ―いかほどに がんきょうなしろ ほこりても ちらくにまさる すべなしという―

 

   

                      アンズタケ

 

 

 

⑫ <大垣城> 1600年(慶長5)年9月 <家康 58歳>

 

《籠城か ここは思案の しどころと 三成迷う 大垣城》  和馬

 ーろうじょうか ここはしあんの しどころと みつなりまよう おおがきじょう―

 

《一瞬の 天下の分け目 人の道 たどりし果ての 悲喜こもごもや》 實久

 ―いっしゅんの てんかのわけめ ひとのみち たどりしはての ひきこもごもや―

 

大垣城は、輪郭複合式平城で、四重にも水堀を巡らした総構えの城である。

岐阜城関ヶ原の間にあり、1600年の<関ヶ原の戦い>において、一時

西軍の本陣であった。

西軍の石田三成は1600年8月10日に、大垣城に入り守りを固めて

いる。

一方、東軍の徳川家康も、大垣城兵糧攻めにする計画を立てていたが、

一気に勝敗を決するため、

武田信玄との<三方ヶ原の戦い>での敗戦の教訓を採り入れ、大垣城西に

広がる関が原での決戦を決断し、石田三成の西軍を関が原へ誘い出している。

 

 

                   

                    大垣城で追跡サイン獲得

 

 

 

⑬ <関ヶ原の戦> 1600(慶長5)年10月21日 <家康 58歳>

 

豊臣秀吉の死後に発生した豊臣政権内部の抗争、身内同士が東西に分かれて

覇権を競うことになったのが<関ヶ原の戦い>である。 

徳川家康を総大将とし福島正則黒田長政らを中心に構成された東軍と、

毛利輝元を総大将とし宇喜多秀家石田三成らを中心に結成された反徳川の

西軍の両陣営が、秀吉亡き後の天下取りをかけて、関ヶ原での決戦に挑んだ。

関ヶ原の戦い>の結果、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、

秀吉没後の豊臣政権を構成していた五大老五奉行体制を解体し、 家康の権力

掌握は徳川氏を中心とする江戸幕府成立の基礎<幕藩体制確立>へと繋がっ

ていく。 長年耐えてきた家康の待ちに待った心境が成就した一瞬でもある。

 

          《啼かぬなら 啼くまで待とう  ホトトギス》 

 

   

               関ヶ原古戦場にて(2023)追跡サイン獲得 

                    

 

■ <懐かしき想い出>

   ―関ヶ原合戦場の畦道に臥して、もののふの鬨の声を聴く―

 

懐かしいなー、今から12年前、東北大震災が起こった年、所属していた

同好会の50周年を記念して歩いた<中山道てくてくラリー530km>。 

中山道関ヶ原宿>では、ここ<関ヶ原合戦場>のど真ん中の畦道にテントを

張り、当時脳梗塞の後遺症のため病床にあったスカウト同好会仲間(喜多さん・

田中祥介氏・79年度生・写真参加)と寝袋に臥して、聴こえ来る兵(つわもの)

どもの鬨(とき)の声に耳を澄ませたものである。

今回も又、病床の若き仲間 義経Kazumaとともに、<関ヶ原合戦場>に

立っていることに感謝した。

 

もののふの 別れ悲しき 関ヶ原 夕陽薄れて 静寂に立ちし》  實

 ―もののふの わかれかなしき せきがはら ゆうひうすれて しじまにたちし―

 

《河鹿鳴く 武士悲し 関ヶ原 歴史覗きし 我もおりてや》  和馬

 ―かじかなく もののふかなし せきがはら れきしのぞきし われもおりてや―

 

    

     

   

                   関ヶ原古戦場でテント張る(2011 )

                同志社ローバー50周年記<中山道てくてくラリー>途上、故田中祥介君とテントで寝る

 

 

 

⑭ <駿府城址> 1607(慶長12)年  <家康 65歳>

 

《幼少の 人質の身や 懐かしき 人の情けを 学び育ちし》    和馬

 ―ようしょうの ひとじちのみや なつかしき ひとのなさけを まなびそだちし― 

 

《風に乗り まわり廻って 駿府城 大御所として 幕府睨みし》  實久

 ―かぜにのり まわりまわって すんぷじょう おおごしょとして ばくふにらみし―

 

             

               駿府城で追跡サイン獲得

 

 

■ 菱(ヒシ)― お堀に植えた菱で敵浸入を防ぐ

 

菱は、堀や池で水中に丈夫な蔓をのばす水生植物である。

戦国時代の城を外敵から守るため、お濠に菱を植え付け、その蔓が絡み

付いて手足の自由を奪い、侵入者を防いだという。

ここ駿府城もそうだが、多くの城が廃城となり、現在では天守を持つ城は

全国で12しか残っていないという。

しかし、城は姿を消しても、堀は残っており、その規模によりその城の

骨格や築城の目的を推測することができるというから面白い。

 

 《濠潜る 忍者隠れし 菱の陰 闇夜に響く 夜鷹の奇声》  實久

 ―ほりもぐる にんじゃかくれし ひしのかげ やみよにひびく よたかのきせい―

 

                        

              お城の濠に植えられた菱        

 

 

 

⑮ <名古屋城 1610年(慶長15年)  <家康 68歳>  

 

家康不人気の、一面をもあえて詠んで、『星の巡礼 どうする家康紀行』

―家康公ゆかりの城・古戦場を巡る―追跡の旅を終えたい。

 

《良き部下に 恵まる主君 家康の 耐えて絞りし 豊けき知恵や》     實久

 ―よきぶかに めぐまるしゅくん いえやすの たえてしぼりし ゆたけきちえや―

 

《天下人 魅力に欠けし 家康の 華々しさも 潔さも無きと》             實久

 ―てんかびと みりょくにかけし いえやすの はなばなしさも きよさもなきと―

 

《権力に 意地やプライド 投げ捨てて おのれ律して 先を読みしや》 實久

 ―けんりょくに いじやぷらいど なげすてて おのれりっして さきをよみしや―

 

《義理薄く 絆切り捨つ 冷たさに 人情無きと 人見るという》            實久

 ―ぎりうすく きずなきりすつ つめたさに にんじょうなきと ひとみるというー

 

                

                      

           最終地<名古屋城>にて和馬&ピエール、追跡サイン獲得

 

 

                                                 《どうする家康 追跡隊》

                                                              任務完了ス

 

 

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炎天下のもと、あえて古戦場跡に近い場所で車中泊をしながら、歴史の

中に埋没してきた。

本当は、二人してテントを張りたかったが、今回の追跡ハイキング許可条件

の一つに、<年齢を考えろ>との約束があり、行動を律した。

出来る限り、古戦場の兵どもの鬨の声を聴きながら、タイムトンネルを

潜りたかったからである。

無理して連れ出した写真参加の相棒 義経Kazuma&ピエールも、汗して

行動を共にしてくれた。

 

現在、病院にいるが、こころは古戦場を駈け巡り、攻防に汗したことであろうし、

天守からの景色を堪能してくれたと思う。

(現在、病院から家に帰り、自宅療養に入っている)

ましてや、狭い病床から、心だけでも広々とした古戦場に連れ出し、青空の下、

のびのびと駈け回って欲しかった。

これを一つの契機に、覚醒にいたることを切に祈るものである

 

わたしも、病床の若き友より、おおくの学びがあった。

感謝である。

 

《それぞれの 命ひとつ 輝きて 主の導きし 追跡うれし》   和馬

 ―それぞれの いのちひとつ かがやきて しゅのみちびきし ついせきうれし―

 

《垣根超え 挨拶交わす 朝顔や かよいて嬉し こころ内かな》 實久

 ―かきねこえ あいさつかわす あさがおや かよいつれし こころうちかな―

 

 

 《われらみな 闇夜におりて さすらいし 思えば同じ 寂しき身をや》  

                 和馬&實久

 ―われらみな やみよにおりて さすらいし おもえばおなじ わびしきみをや―

 

 

               感謝

       2023年8月12日 自宅療養スタートを祝って

 

          《どうする家康 追跡隊》

 

        追跡者:吉村和馬 (義経&ピエール・写真参加) 

            追跡者:後藤實久 (武蔵坊弁慶

 

    

              

 

               (関連ブログ) https://shiganosato-goto.hatenablog.com/