<病床の若き友を見舞って>
秋晴れの清々しい風に導かれ、仲間の同志社ローバーOGOB会長 山科隆雄夫妻と共に、自宅療養中の若き友を訪ねてきた。
この5月に昏睡状態になり、集中治療室に入ったということを同志社ローバー仲間から知らされた。
その後、父親と山科会長から、昏睡からの脱却・覚醒への祈りに参加して欲しいとの願いを受けて、同志社ローバー<絆の祈り>の輪を広げ、朝七時それぞれが、その場での祈りを実践してきた。
ご家族や医療関係者の献身的な介護、多くの仲間の祈りがあって、奇跡的に自宅療養にまで回復したが、いまだ覚醒に至っていないという医者の判断である。
現在、父親の呼びかけで、彼を知る友人・仲間による、覚醒のための刺激を実施されている。
わたしは、仲間であっても世代が違い吉村和馬君とは、一度も顔を合わせていない。
ただ、<絆の祈り>以来、彼を想い描き、彼と祈りを交感し、写真参加という形で旅にも連れ出してきた。
この機会に、彼との<向かわずして愛語を聴くは、肝に銘じ魂に銘ず、愛語よく回転の力あるを学すべきなり>という道元禅師の言葉や、祈りの力を信じ、病床の若き友に会いに行く決心をした。
ご自宅を訪問するとご両親と妹さんに出迎えられた。
彼は、奥の部屋、バリアフリーの完全介護設計の部屋で眠りの中にあった。
そこには、思ったより大男であって、ごっついおっさんのような顔に、すこし髭が伸びた逞しい凛々しい青年が横たわっていた。
弱々しい義経のようなイメージを抱いていたわたしには少し以外であった。
そこには、立派に成長した青年が横たわり、
「おい、和馬、こんなところで昼間っから横になって何してんだ!」と言いかけたほど、リアルな若き友の元気そうにみえる姿が、そこにあった。
声掛けに、薄目を開けて睨みつけるように「おのりゃー張ったおすぞ、子ども扱いしやがって!」と気迫さえ感じられたものであある。
そこには生きる力がみなぎり、それを表現できないもどかしさが滲み、どこか少し腹を立てているような表情を見せた。
しかし、ガリバーが手足を縛られているように、たくさんの生命維持装置の管に縛られた彼の姿には、なにか神々しささえ感じられる威厳に満ちた、ふてぶてしささえ感じたものである。
「生きろ、目を覚ましてくれ!」 同志社ローバー仲間一人一人の願いを込め、ふたたびそっと少しぽっちゃりした、ぬくもりのある手を握りしめた。
病床の大男の固く結んだ左目の目尻にうっすらとにじんだ涙を認めた時、すべてを感じとっている若き仲間の無念さが伝わって来た。 そして感謝の気持ちが伝わって来た。
「ありがとう和馬!」 再度、手を握りしめ、また会う日まで、別れを告げた。
最後に、和馬君のお父さま 吉村 伸さんより、同志社ローバーOGOB会員・現役同志社ローバース の<絆の祈り>参加者一人ひとりへの感謝の言葉をいただいた。
吉村家の居間に飾られていた額 《神のなされることは、皆その時にかなって美しい》という言葉に、生きる力をもらって吉村家をあとにした。
感謝である。
《平安に 体ゆだねし 君なれど 悔しさ滲む 目尻の涙》
―へいあんに からだゆだねし きみなれど くやしさにじむ めじりにのなみだ―
(写真 吉村 伸さん提供)
自宅療養中の仲間 吉村和馬君を見舞って
同志社ローバー<絆の祈り>参加者一同として 『スカウトの誓』 を贈る
<家康追跡の旅>写真参加時の和馬君と介助犬カロリーナ