shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2003《星の巡礼 エローラ・アジャンダー 石窟寺院の旅》

星の巡礼 エローラ・アジャンダー 石窟寺院の旅》 インド

 

 

■2月22日  バラナシよりアウランガバードに向かう

 

デカン高原を走る>   

バラナシ駅2/22 11:30発➡マンマド/Manmad2/23 08:40着

(往路寝台列車Train#1094Mahanagari Exp. 385Rs. )

マンマド/Manmad 09:30発➡(路線バス@63Rs.)➡ アウランガバード/Aurangabad 12:30着

 

 

いま、デカン高原の朝日を満喫しながら、ムンバイ行寝台列車<Train#1094Mahanagari Exp.>は西に向かって駈けている。

コルカタのハウラー駅を11:30出発し、アウランガバードへの乗継駅マンマド/Manmadに08:40amに到着する予定である。

マンマッドからは<Southern Central Railroad>線に乗り換え、目的地アウランガバード/Aurangabadに向かうか、路線バスで向かうことになる。 約140kmの行程である。

 

寝台列車でのトラブル  ヒンズー式解釈>

寝台列車は予約制であり、一般の乗客は寝台車に乗れないのが一般的である。

ここインドでは、予約の無い普通切符でも寝台車に乗込んでくるのである。 空いていれば席がとられて、その席を取り戻すためにひと悶着が起こることになる。

少し席を離れるともう他の乗客が席を埋めているから、寝台車でも少し居心地が悪いと言わざるを得ない。

隣席の紳士がささやいてくれた。

「インドは人口が多いですから、スペースがあれば空いた席になだれ込むのですよ」

平気な顔で居座られたら、気の弱い日本人が席を取り返すのは至難の業である。 それにインド人は、グループ(集団)での列車移動が多く、地域ぐるみとなると車両全部を埋めるらしいから一人旅は大変なことになるという。

 

その大変な混雑の中を、チャーイやゲーム機、ネクタイや駄菓子ほか、まるで露店の賑わいで行き来するから、まるで夜市なような混雑である。

日本でも昭和の30年頃までの汽車に乗ると同じように席取りがあった事を思い出す。よく車両の床で横になったりして、山登りに備えたことがあった。

 

 アウランガバード行路線バスに乗り継ぐ  140km 所要約3時間>

マンマド/Manmad 発09:30am ➡ イオラ/Yeola経由 ➡ アウランガバード/Aurangabad12:30着

 

エローラ&アジャンダー石窟寺院へは、カルカッタ/コルカタから、ムンバイ行列車に乗り、ここマンマドで下車、列車かバスに乗換えて、石窟寺院の拠点であるアウランガバードに向かうことになる。

途中の村々の景色を楽しむために、地元生活に密着した路線バスで向かうことにした。

 

アジャンダー石窟寺院で、3日間行動を共にしたカルロスとレイチェルと

 

 

マンマド/Manmad駅の蒸気機関車展示場にて(アウランガバード行乗換駅)

 

 約3時間のバスの旅、それも最後尾の席、バスの延び切ったスプリングのため縦揺れに悪戦苦闘しながら、終点アフマドガナルにたどり着いた。

さすがインド南西部の気候に汗が止らない。

あまりの暑さに、アウランガバード・ユースホステルに飛び込んだが、受付は休んでおり午後4時からのオープンという。

仕方がないから、トイレを借り、シャツとパンツを手洗いし、庭の枝にかけて乾かす。 ものの30分程で乾燥したのには驚かされた。 同じインドでもその地域によって気候が全く異なるのである。

荷物をもって少し歩くだけで、汗だくになる始末である。

 

▼2/23   アウランガバード・ユースホステル 連泊  @200Rs.

 

 

 ■2月24日 エローラ石窟寺院群 ~ アジャンター石窟寺院群を巡る

      (アウランガバード基点)

 

アウランガバード・ユースホステル/ Aurangabad Youth Hostel、部屋の大きな天井扇がうなりを上げている。 生ぬるい風を受けながらエローラ洞窟仏跡とアジャンダ洞窟仏跡巡りのスケジュール表を作っている。

 

アウランガバード基点の近郊観光案内>  .

1 ダウラダバード/Daulatabad  2Rs.

      インド三大砦跡。 今までに見たことのないような土を盛り上げて造ったとしか思われない自然を利用

    した砦である。 アウランガバードの北西13㎞先の地方都市にある難攻不落のムガール帝国第6代アウ

    ングゼーブ帝の砦である。

 

 インド三大砦跡ダウラダバード盛土砦               ダウラダバード砦入口ドーム

 

 

ドウラターバード砦 / Fort Daulatabad, Ellora, India,   Drawing by Sanehisa Goto  Feb 24, 2003

 

 

2 アウランガバード窟院群/Aurangabad Caves  入場料 無料  懐中電灯必携

6~7世紀、仏教徒によって掘られた僧院窟で、全部で10窟ある。3窟の僧院と7窟寺院からなる石窟群である。 なかでも5-6窟の間に掘られた仏坐像と、9窟の釈迦涅槃像に興味を持った。

 

5-6窟に彫られた仏坐像

 

9窟 釈迦涅槃像

 

3 クルダバード/Khuldabad

クルダバードはエローラから4km手前にあり、立寄ってみた。

ムガール帝国第6代アウラングゼーブ帝によって聖地と定められた街で、小さい廟があり、大理石のフォルムが美しい。

 

アウラングゼーブ帝の美しい廟クルダバード

 

4 ビービーカーマクバラー/Bibi-Ka-Maqbara

インドアウランガバードにあるムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃、ディルラース・バーー・ベーグム廟墓である。

 

ビービーカーマクバラー /  ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブ の妃、ディルラース・バーー・ベーグムの廟墓

 

ビービーカーマクバラーのゲートで

   

 

 

5 エローラ石窟寺院群 入場料 85Rs (アウランガバードから30㎞)  エローラ石窟群は34窟ある。 

・初期石窟 1~  12窟(5~7世紀・仏教窟)

・中期石窟 13~29窟(9世紀・カイラーサナーター寺院・ヒンズー教窟)

・後期石窟 30~34窟(10世紀・ジャイナ教窟)

特に後期石窟のカイラーサナーター寺院/Kailasanath Templeは、765年に着工し、一世紀を要して完成。人間の力の大きさを感じさせてくれる必見の窟である。

 

6 パーンチャッキー・モスク/Panchakki

アウラングゼーブ帝は、イスラムの教えを厳しく守り、それを国家統治に持ち込もうとして民衆から遊離したと言われている。

 

アウラングゼーブ帝イスラム政策の中心だったパーンチャッキー・モスクで

 

 

7 アジャンダー石窟寺院群   入場料 185Rs.

デカン高原北へ104㎞にあるワーグラ渓谷の断崖中腹に刻まれた仏教寺院群。日本の古代仏教絵画の源流として知られる。 紀元前1世紀の上座部の仏教期と、紀元5世紀の大乗仏教期との時代区分が出来ると言われている。

・ 第1窟  (入場料 250Rs. ヘッドライトとミネラルウオーター携帯確認)

アジャンダー石窟の最大の見どころ、ブアカーター帝国のハリシェーナ皇帝により開窟

右手:金剛手菩薩<Vajrapani> 法隆寺金堂の菩薩像のオリジナル

左手:蓮華手菩薩<Budhisattava Padmapani>

・ 第2窟  誕生したばかりの仏陀を抱えるマーヤ王妃<釈迦誕生の場面>

・ 第4窟  断層のため掘窟中断

・ 第6窟  修行僧・僧侶たちの勤行窟

・ 第9窟  紀元前1世紀 仏像表現の無かった時代の信仰対象窟

・ 第11窟     入口にあるライオンの置物が印象的、壁があり、窓に柱あり

・ 第16窟  エレファント・ゲートあり、彫刻は簡素

・ 第17窟  ナンダ出家物語、六道輪廻図、仏陀生前を綴ったジャータカ物語

・ 第19窟  天にも届くように先端が天井に達している

・ 第24窟  内部は開窟途中で放棄

・ 第26窟  涅槃像が横臥して迎えてくれる

 

 

アウランガバード基点の周辺略地図  エローラ・アジャンダー石窟寺院群—

 

 

 

エローラ石窟群》ーアウランガバード基点ー (オートリクシャーで1H/30km)

 

朝、エローラ行のバスを待っていると、コロンビア人カルロス(自営業)と英国からのレイチェル(高校美術教師)に声をかけられた。 あまりにもバスの待ち時間が長いので一緒にTukTuk(三輪オートリ-クシャ)をシェアー(相乗り)しないかとの申し出である。異論のあるはずがないので、ともに一日を過ごすことになった。

片言の英語で誘って来たパオ(56歳)さんの運転するオート・リクシャに乗ることにした。 観光バスと同じコースで、3人で300RS.にするという。

可愛いオート・リクシャーの後部座席に大きい3っのお尻をおさめるのだから大変である。 

しかし、少年少女の押しくら饅頭を楽しみつつ、デカン高原の涼しい風をいっぱい浴びながらエローラ石窟寺院群に向かった。

このオープンカーであるリクシャーには、昔懐かしいゴム製クラクションが付いていて、青空の高原に響くプーパ・プーパはまるで昔懐かしい豆腐売りの奏でるレトロな音そっくりである。 この豆腐屋の音色が、ここデカン高原にこころよく響くのだから、何とも言えないノスタルジーにひたった。

 

オート・リクシャーでエローラ石窟寺院に向かう

 

エローラ石窟寺院は、気温41℃、喉が渇き、汗が噴き出る。

こちらはあまり動き回らず、石窟仏像のスケッチに時間をとることにして、二人とは別行動で石窟を回ることにした。

スケッチを始めると多くの修学旅行生や観光客が取り巻くものだから、館員によって整理がはじまり、こちらは恐縮してしまう。 ついには、館員の好意で、ひとり入り込めないところに招きいれてくれたほどである。

 

エローラ石窟寺院群配置図

 

 

<初期エローラ石窟寺院 : 仏教窟> 1~12窟(5~7世紀)  

初期の仏教は、おのれの救済が中心であり、閉鎖的な瞑想空間を多くとる石窟寺院が造られた。 

時代がたつとともに大衆を救う大乗的宗教に変化し、閉鎖的な石窟寺院から解放的な寺院へと変遷、最終的に石窟寺院そのものを必要とせず、エローラ石窟での仏教寺院は放棄された。

僧院では修行僧が共同で生活しながら瞑想し、僧院には寝室や台所も備わっていた。仏塔のある石窟には、仏陀や聖者が彫られており、現代の仏殿(本堂)の原型を見ることが出来る。

 10窟は、仏教窟として最後期の窟で、ストウパーの前に説教する仏陀の像があり有名である。

 

エローラ石窟寺院 初期石窟・仏教窟ゲート

 

エローラ石窟寺院 初期石窟・仏教窟の前で

 

エローラ石窟寺院10窟 ストウパーを背後に鎮座する仏陀

 

石窟寺院のゲートに施された芸術的な仏像群

          

          

<中期エローラ石窟・ヒンズー教窟>  13~29窟(9世紀・カイラーサナーター寺院)

ヒンズー教石窟は、7世紀ごろからすでにその技術的、美術的特徴を備えた石窟が造られ始めていた。 仏教窟の横穴方式から、ヒンズー教窟は竪穴方式で、地上から地底に向かって堀進んでいる。

特に、16窟は、カイラーサー寺院/Kailasa Templeと呼ばれ、エローラ石窟寺院を代表する窟である。 ここにある巨大彫刻は、シバ神が棲むと言われるカイラス山(須弥山)をイメージして彫られているという。

カイラーサ寺院の大きさは、パルテノン神殿の2倍ほどもあること、 また2階層にある中庭は回廊によってつながれているが、その俯瞰するデザインはヒンズーの神々の彫刻を並べ、囲んだ女性器像<ヨーニ>の位置付であり、中庭に立つ塔頭をリンガ(男性器)と見立てなのではないかとガイドは大げさに手を広げて説明した。

 

16窟カイラーサー寺院の回廊で囲まれた中庭(ヨーニ)とその中央に立つ塔頭(リンガ

 

エローラ石窟の精密なヒンズー教の神々

 

彫り抜くのに100年の歳月を要したカイラーサ寺院

 

エローラ石窟寺院 16窟カイラーサー寺院の全景

 

 ほかに、15窟・21窟・29窟に案内されたが、よくもこのような巨大な寺院を岩盤の中にくり抜いて、造ったということである。 そのなかにヒンズーの神々の立像を配したり、川を流したり、窓から地上の光を求めたりと、そのエネルギーの凄まじさに驚嘆させられた。

 

29窟デマル・レーナ寺院入口

 

エローラ石窟寺院 の内部 / Ellora Caves・India /Drawing by Sanehisa Goto     Feb 24, 2003

 

 

<後期エローラ石窟・ジャイナ教窟> 30~34窟(10世紀)

ジャイナ教窟は、仏教窟やヒンズー教窟に比べて小規模である。 窟そのものはヒンズー教のカイラーサ寺院を小さくした規模で、同様に外部に神殿が露出している。 32窟の天上には蓮の花が彫刻されている。 また34窟には数多くの神像が彫られ、繊細な天井画も見事である。 その驚きはセイロン島の岩山シギリアの洞窟にあるフレスコ画の天女像に出会ったときと同じ程のインパクトがあった。ただ、各窟との境界がはっきりせず、迷路となっているので注意が必要である。

 

   エローラ石窟寺院 ジャイナー教32窟の蓮の天井彫刻

 

エローラ石窟寺院 ジャイナー教32窟の繊細な天井画

 

エローラ石窟寺院を鑑賞し終えて記念写真

 

 

<インドの田舎家庭に招かれて>

エローラ石窟寺院に圧倒された3人は、リクシャーで案内してくれたパオ氏の自宅へ招待され、ミルクティーとパイの接待を受けた。

インド人家庭を訪問するという貴重な時間をもった。

 ワンルームの家に、神棚、台所、食卓セット、食器棚、本棚、ダブルべット、物置、食糧庫が配置されている。 夫婦(リクシャ―経営・養蚕糸紡ぎ)・三姉妹(医学生・絵画研究生・音楽研究生)・息子(高校生)の6人で住んでいる。

この一軒家は借家とのこと。 壁にある神棚にはヒンズーの神様が、所狭しと鎮座しておられる。まず、家族構成から見て家の狭さに驚かされた。 無駄なものは何一つなく、テレビや電話もない。清貧のなか、子供たちにはきちんと教育を受けさせていることに感銘を受けた。

何といっても家族全員が満ち足り、自信にあふれた笑顔である。 素敵な家族に出会ったことに感謝した。

 

エローラ石窟寺院にリクシャーを走らせてくれたパオさんの自宅に招待され、家族の歓待を受ける

 

 

 

 

《アジャンダー石窟仏跡 29窟》 アウランガバード基点ー (バスで約3時間/104km)

 

パオさん宅で、ミルクティーをご馳走になったあと、アウランガバードにいったん戻り、ガイド無しでは入場できないアジャンダー石窟にはツアーバスに乗ることにした。

アジャンダー石窟バスツアーは、グループで初期仏教の繁栄を石窟鑑賞する。 ツアー代は、石窟入場料186Rs含めて275Rsである。

まず驚くが、インド中央部を流れるワグハー川の広大な渓谷の岩壁を、1000年もかけて掘り、彫ったことである。 そして何故それから1000年以上も人知れずジャングルに埋もれ、廃墟となっていたのであろうか。

 

ワグハー川の岸壁に掘られたアジャンダー石窟寺院の全景(ゲートにある案内板の写真より)

 

アジャンダー石窟寺院の入口(ゲートにある案内板の写真より)

 

               

アジャンダー石窟寺院の全貌をゲートより望む

 

紀元前2世紀ごろよりここアジャンダーに住みついた修行僧たちは小乗仏教期の8窟から13窟を堀り、仏陀の姿を直接表現することなく、ストウーパ(仏塔)や菩提樹で表現していた。

その僧たちが、1世紀ごろには全員姿を消し、アジャンダーの石窟は放棄されたという。その後、4世紀に再び僧たちが修行をはじめたが、この期は大乗仏教の時代であり、仏陀が仏像として表現されている。

当時の仏教美術の最高傑作と言われるアジャンダー1窟にある蓮華手観音菩薩像はじめ、有名な壁画のほとんどは、この期に描かれている。

8世紀に入って、仏教が衰退していくとともに、修行僧もいなくなり、アジャンダー石窟は1000年もの長きにわたってジャングルに覆われることになる。

 

 

アジャンダー石窟寺院群の配置図

 

壮観なアジャンダー石窟寺院群

 

そして、これらの石窟がジャングル化し、1000年後の1819年になってスミス大尉率いる英国騎兵隊に発見され、その後修復が進み、現在の姿にもどっている。

 アジャンダー石窟から仏教徒が去った時点で、仏教は形ばかりの少数派となり、仏教の教えはネパール、チベット、中国を通って日本へ去りつつあった。

アジャンダー1窟にある蓮華手観音菩薩像は、仏教東進の象徴ともいえる奈良法隆寺金堂の観音菩薩像や法隆寺金堂壁画の百済菩薩のルーツと言われている。

 

 

有名なアジャンダー1窟蓮華手観音菩薩

 

 

法隆寺金堂壁画の百済菩薩            法隆寺金堂の観音菩薩

 

 

 <アジャンダー石窟でマントラを唱える>

《オンアベローシャノ マカボダラ マニハンドーマ ジンバラ ハラベリターヤウン マニハンドーマジン   バラ ハラベリターヤウン》

真言密教マントラ真言)がアジャンダーの石窟に響き渡り、宇宙との交流が始まる。 石窟は反響し、まるでオーケストラのクライマックス迎えたカーネーギホールに変身、同伴のカルロスとレイチェルのアンコールに応え熱唱する。

素晴らしいアジャンダー石窟ホールでのマントラ独唱会をもった。

朽ち果てた洞窟で、仏陀は涅槃に入り、臥しておられる。 最後に般若心経を唱して、釈迦涅槃と挨拶を交わした。

 

               

アジャンダー石窟寺院 26窟 釈迦涅槃像

 

アジャンダー26石窟でマントラを唱える

 

▼2/24 Aurangabad Youth Hostel @200Rs.

 

 

■2月25日 アジャンダー石窟寺院 2日目

 

紀元前2世紀頃より喧騒を避けて修行を続けられるように、ここアジャンダーの渓谷に住みつき、石窟僧院(ビハーラ)と唐院(チャイティア)を彫り始めたことがここアジャンダー石窟寺院の始まり

である。

ここアジャンダーが修行地に選ばれたのは、南北を結ぶ交易路の中継地アウランガバードに近く、食料や物資の調達が容易であったことと、交易路から程よく離れた渓谷地で、修行や瞑想に適した環境であったからだと思われる。

 

アジャンダー石窟は半日の駆け足巡りとなってしまったので、二日目もアジャンダーに出かけ、ドローイングやスケッチに時間をかけ、ゆっくりと石窟壁画を楽しんだ。

 

約100年かけて断崖の岩窟を手掘りし、一大石窟寺院を造ったというから驚きである

 

アジャンダー石窟寺院入口で暑さを避けて、みな休憩中

 

アジャンダー石窟寺院の入口でのスケッチ中、中学生たちに囲まれる

 

アジャンダー石窟 / Ajanta Caves・India /Drawing by Sanehisa Goto    Feb 25, 2003

 

アジャンダー石窟壁画  /Ajanta Caves Wall Painting Ⅰ  /Drawing by Sanehisa Goto    Feb. 25, 2003

 

アジャンダー石窟壁画  /Ajanta Caves Wall Painting Ⅱ  /Drawing by Sanehisa Goto    Feb. 25, 2003

 

アジャンダー石窟壁画  /Ajanta Caves Wall Painting Ⅲ  / Drawing by Sanehisa Goto     Feb. 25, 2003

 

アジャンダー石窟 涅槃像  /Ajanta Caves Reclining Buddha  / Sketching by Sanehisa Goto   Feb. 25, 2003

 

アジャンダー石窟寺院群全景  / Ajanta Caves, India  / Sketching by Sanehisa Goto     Feb 25, 2003

 

アジャンダー石窟寺院でビルマの修行僧や日本からの女子大生と

 

アジャンダー石窟寺院で、2日間行動を共にしたカルロスとレイチェルと

 

 インド・アジャンダ石窟の菩薩画 と セイロン・シギリア岩窟の美人画は、両方ともインド亜大陸位置し、共に5世紀に描かれており、 両洞窟画に共通の美意識を感じた。

 

アジャンダー石窟寺院 1窟の蓮華手菩薩(インド)

 

  シギリアのフレスコによる美人壁画(セイロン)

 

<インドにおける仏教の歴史と衰退>

この2日間、石窟寺院群に圧倒されるとともに、宗教の栄枯盛衰を目の当たりにして歴史に学ぶことの大切さを知った。

人間に秘められた無限のロマンと、情熱と、信仰の強さが岸壁に寺院を堀り、仏像を彫ったことを思うだけで、その真摯な人間の持つ魅力に触れたような気にさせられた。

仏教が生まれた地インドにおける仏教の精神性の奥深さに触れるとともに、なぜインドに仏教が根付かなかったのかという疑問もわきあがったものである。

2600年前、悟りを啓かれた仏陀であるお釈迦様がインドで布教され、アショカ王の帰依のもと仏教は一気に広がる。その後、1世紀ごろクシャナ朝のクニシカ王によっても多くの人々に仏教は広まって行った。

しかし、320年頃、グプタ朝が興り、北インドを統一、身分制を固定する施策をとるため、それまで衰退していたバラモン教を国教とする。 その後バラモン教は、民衆の間に根強かったヒンズー教を融合して勢力を拡大していく。

しかし、この3世紀頃(399~416)、中国の三蔵法師や法顕がグプタ朝を訪れているし、法隆寺金堂の百済観音像や観音菩薩像に影響を与えたアジャンダー1窟蓮華手観音菩薩像もこのグプタ朝に描かれているので、バラモン教が国教に定められてもまだ仏教が衰退していなかったと云える。

しかし、6世紀に侵入したイラン系遊牧民国家エフタルによってグプタ朝は滅亡し、その指導者ミフクラがシバ神を信仰しており、仏教を徹底的に破壊してしまう。

それまでがインド仏教の最盛期と言われ、それ以降インドにおける仏教は、衰退の一途をたどって、中国、日本へと東進を続ける。

10世紀に入ってきたイスラム教によってインドにおける仏教は壊滅的なダメージを受けることとなった。12世紀に入ってビラマシラー寺がイスラム教徒によって破壊され(1203年)、インドの仏教は壊滅したと言われている。

インド仏教の最後を見届けたようなわびしさを味わいながら、エローラ石窟寺院とアジャンダー石窟寺院という仏教遺産をわが目で確かめた満足感を秘めて、この素晴らし歴史的世界遺産を後にすることにした。

そのお釈迦様(仏陀)の教えが、インドを離れ日本に根付いていることに奇跡を見る思いである。

 

▼2/25 アウランガバード・ユースホステル/Aurangabad Youth Hostel @200Rs.

 

 

■2月26日  アウランガバード➡マンマド➡コルカタ (列車移動)

 

オリオン座が南の空に輝き、銀河鉄道であるインド国鉄アウランガバードを後にして乗継駅Manmad目指してデカン高原を北へ向かって縦断している。 往路は路線バスを使ったが、帰路はSouthernCentralRailroad(Aurangbad➔Manmad)に乗ることにしたのである。

途中まで一緒することになったコロンビアからのカルロスと、イギリスからのレイチェルからは、初めての日本の友から、日本の精神に関する疑問点を聞き出そうと、つぎつぎと設問が突き付けられた。 

知る限りの知識で答えたが、旅をする日本人に対してよくある質問なので取り上げておきたい。

 

1 「仏像はなぜ左指を〇印にして、右指をそえているのか」仏陀が説法している姿を示すハンドサイン又はポーズである

2 「坐禅は、瞑想とどう違うのか」ーどちらも坐っての精神統一の技法。坐禅は、悟りの境地を目指す坐り。瞑想は、こころを沈めて無心になったり、神に祈ったりと、心身の安定を目指す坐り

3 「侘び・寂びのこころとは」 ー日本人の持つ美意識の一つ。 明確な四季があり、中でも梅雨のある日本で見られる閑寂のなかに奥深く、豊かなものを感じられるこころの美しさをいう。

4 「日本の侍はなぜハラキリをしたのか」 ー支配階級であった武士は、出処進退を自分自身で決め、自分を始末する名誉ある行為とされた。武士道の美意識は、命は惜しむものではなく、生かして使い切るものであり、おのれを滅することであり、道のことであり、無のこころという男の美意識とでもいえようか。

5 「仏教は、アジャンダーから日本に移り、どのような姿に変わったのか」 ーアジャンダー石窟に見られる、仏像彫刻はアフガニスタンバーミヤンなどを経て、雲崗の石窟寺院にも影響を与えたあと、6世紀頃には日本に伝えられ、飛鳥時代法隆寺金堂の壁画にアジャンダー様式(グプタ様式)の影響を見ることができる。

 

車中での汗かきディベート(討論)に時間のたつのも忘れてしまっていたが、Manmadには、40分遅れで到着した。乗継ぎのムンバイ発コルカタ行夜行列車は、夜中2時にManmadに到着するとのこと。他のインド人乗客にならってプラットホームにマットを敷き、仲良く横になって仮眠をとる。その横を、あの神聖なお牛様が、のっそのっそと闊歩して、人間様を横にらみ。

ああここはインドなのだ。

 

 <インドでの値段交渉について>

先でも述べたが、インドで列車を予約して席を確保していても、なんのそのそこにはすでに見知らない乗客が座っているからこちらはただただ困惑し、先客にどいてもらうための交渉が始まるから、予約席を確保するのに大変な労力が必要になってくる。

夜行列車では、予約席だけではない、通路にも、トイレ前にも寝そべる者があり、移動だけでも骨が折れのだが、トイレとなると想像を絶する状況でトライすることになる。

ここManmad駅では、仲良くなったポーターにリュックを運んでもらい、先客を追い払ってもらってから着席する戦術をとった。 ポーター君の方もしたたかで、ポーター料にプラスして請求してくるのでくるから、やはりインド商人は手ごわい。

 インドでは、物を売り買いするときに、倍以上を吹っ掛けてくると思って間違いない、その心づもりでネゴをすると、腹も立たないのである。 半値を相手に伝え、その場を立ち去ってみるとよい。必ずこちらの言い値になることがほとんどである。 インド人んも一種のゲーム感覚で商売をしていることがわかる。

 最近は、インド商人とのネゴにも慣れ、インドの物価や値段もわかってきたので、こちらから値段を提示し、売るかやめるかを聞くことにしている。 たいていの場合、もう少しくれという顔をする。こうなればこちらのペースで取引できるのであり、不愉快な思いをせず、ハッピーになれるわけである。

少しは相手にももうけさせてやらないと後味の悪い別れ方になってしまうので、20%ほどのチップを渡すか、楽しい売り買いであった場合や、相手の紳士的な売買には50%を積み増して手渡すことにしている。 こちらも気持ちがいいのと、相手も笑顔が感謝に変わり、とてもさわやかな気持ちで別れられるのである。 

 

▼2/26  車中泊

 

 

■2月27~28日  マンマドよりコルカタに向かう列車で

 

カルカッタ行夜行列車#2122号は、Manmad駅を夜中2時半に出発し、車内灯がすぐ消されたが、車窓から西南の方向にオリオン座を発見し、しばし交信する。

<われいま、インド星におりて、貴星の追跡に感謝す。>

<貴公の交信に感謝。 こちらオリオン座中央宇宙放送局。 星の巡礼下にある貴公からのレポート受信を確認す。>

<ラジャ―、帰還の日時はおって連絡す。 『星の巡礼』継続するを確認す>

<ラジャ―、貴公の無事なる帰還を待つ>

 

2003/02/26-27 00:32 Manmad night sky 列車乗継駅マンマドの星空

 

 

<キューリを食す>

列車内は京都の錦小路のようにあらゆるものが売られている。

頭にのせた籠には野菜が、肩にかけた布袋にはオモチャが、それはもう朝市である。

6歳ぐらいの男の子が、30本ほどのキューリを売り歩いているが誰も声をかけない。 狭い車内を往復すること数回、とうとう男の子の悲し気な目と出会った。 <おじさん、僕の家でとれたキューカンバ、とってもおいしいよ>とその目は訴えている。

どうも他の乗客は、汚れた胡瓜には手を出さないようである。 こちらは果物ナイフを持っているので問題はないので、少年に1本いくらか聞いてみたら、4Rs.(12円)だという。長さにして20cmもあろうか、巨大な胡瓜である。 1本で十分なので10Rs.を出したら、また少年は悲しげに<おじさん、僕お釣り持ってないんだ>と訴えている。少年は、巨大キュウリ3本を差し出し、これでと哀願している。

わたしは少年の家族をおもうハートの美しさに心打たれ10Rs.を渡し、1本の胡瓜を手にした。もちろんキュウリさんたちからも<ありがとう、僕たちを買ってくれて、捨てられずに済みました>と言われているような気がした。

今朝も、素敵な星の王子様と、キュウリさんとの出会いがあった。 爽やかな列車の朝である。

 

<ちびっこ大道芸人

列車内に突如として太古の軽やかなリズムが鳴り響き、4~5歳ぐらいのチビッ子たちが顔にドーランを塗り、口に真赤な紅を大きくぬり、眉をことさら恐ろしく画き、股の間をくぐりぬけたり、体より細い輪を頭から入れて足で抜いたり、後宙がえりの技を見事に披露、乗客の拍手を浴びている。

チビッ子たちは、神から一つの技を与えられたのである。その技をチビッ子たちは、恥ずかしがることなくプロとして堂々と披露し、喜捨を願っている。人はみな、大道芸人である。

神は、一人一人に大道の芸を与えておられるのだ。与えられた技を生かして、人は幸せを呼ぶ努力をする。自信をもって与えられた技を生かし、他人にも幸せを分かち合いたいと願う。自分に与えられた役割を知れば、技はさらに磨かれる。

神の思惑に、深い感謝で応えることが、人の道であり、人の生きがいであり、人に生まれた役割であるといえよう。笑顔を浮かべ、与えられた技を、人に伝え、満足するチビッ子たちを見ていると自分までが幸せに満たされたものである。

 

<インド人の目>

聡明な目、智に満たされた目、神々のやどる目、宇宙を見据えた目、何物も恐れない目、インド人の目を見ているとみな聖者、バラモンの僧侶のように見えて来る。それほどインド人の目は、内なるものを見据える目にみえる。

しかし、見開いた眼ではない。 どちらかと言えば、半眼の仏陀の目のように内なるものを見つめる目である。遠くに夢を馳せる目ではなく、身近の生活をあきらめた、いや達観したような眼と言えそうだ。

 

<三等寝台列車の騒音>

2等の寝台車の各コンパートメントは、8個のベッドで成立ち、向かい合って上中下段の6ベッドと、通路を隔てて上下段の2ベッドである。わたしは好んで最上段を指定することはすでに述べた。

しかし、この列車には一つのコンパートメンに、3個の天井扇があり、1車両に15コンパートメント、計45個の天井扇がまるで町工場の騒音のように唸りをあげて、睡眠を妨害するのである。 また、話し声も通じず、みなボリュウムを上げて話すことになり、車内は大変な騒々しさである。

エアコンの寝台車両であれば、すべて解決するのであろうが、バックパッカーとしてその訪問国の庶民の生活に直接触れたいという願いの方がどうしても勝るのである。

 

銀河鉄道 インド庶民号>

インドの列車は、いつも避難民列車の観を呈する。

ひとつの寝台(ベッド)に一家4人が折り重ねって寝たり、通路にも寝ころんでいる情景は、幼い頃朝鮮半島から日本へ引き上げる直前に、体験した朝鮮戦争勃発時のソウルから釜山への避難民列車の混雑を思い出したのである。

当時は、車両に約3~4倍の避難民が詰め込まれ、通路や長椅子の下にはびっしりと荷物が置かれ、人はその上に折り重なって積み込まれた。 トイレにも行けず、空き缶に入れて窓側の人に捨ててもらった記憶がある。

 

わたしの夢みる銀河鉄道は、いま地球星インド村を駈けている。さらばインドよ、また来る日まで・・・

 

 

ブッダガヤ近郊ビハールの農村風景 (列車窓より) Rural landscape of Bihar near Bodh Gaya

Water Painting by Sanehisa Goto    Feb.27  2003

 

▼2/27  列車泊

 

 

■2月28日  コルカタ市内散策

土産購入-お香・散髪・モモ定食・民族庶民服仕入・パッキング

コルカタ 23:50発シンガポール 06:25着(乗継) #SQ415 Singapore Air 

 

■3月1日   シンガポール市内散策後帰国

シンガポール 3/2  01:10発 #SQ989  関西国際空港 08:10着/ 帰宅

 

星の巡礼 インドの旅を終えて>

インドは、12億近い人口を抱え、カースト制による社会秩序を保ちながら、民主主義の政治信条を掲げる大国になりつつある。

また、混沌な世界にありながら、世界一の市場と頭脳輸出を目指すとともに、全方位という外交システムによる世界平和を確立する中核大国にもなりつつある。

これからの世界は、インドを無視できなくなるであろう。

 

このインド旅では、古き良き時代である混沌としたインドに触れられたことを喜んでいる。

 

《ガンガーに 祈りてわれを 来世の   解脱求めて  沈めてみたり》  實久



星の巡礼 インドの旅』 を始めるにあたって、次のように述べている。

 <わたしはどこから来て、どこへ行くのか>

<わたしはなぜ今、この境遇で、ここにいるのか>

  ヒンズーの世界、インドを旅するにあたって人生の命題が頭をかすめた。

  そこは輪廻転生、解脱を信じる真剣な祈りと、カースト制度による宗教実践の国だからである。

  このインドの旅で、おのれの死生観を眺めてみたい。

  

 

2003『星の巡礼 インドの旅』 を終えて随分と歳月が過ぎ、後期高齢という人生の最終章を迎え、今一度、人生を  評価しておくのもいい時期に入った。

人生という<星の巡礼>を終え、わが星に帰還する、いや天に召される日が近づくにつれ、平安と愛に満ちた最終章に満足し、感謝の日々である。

 浮き草のように、この星を放浪し、いろいろな体験をさせてもらったこと、なんと素晴らしい出会いがあったか、すべてに感謝したい。

 

感謝合掌

 

 

 

星の巡礼 インドの旅』

 

インパール作戦インパール南道 戦跡慰霊の旅>

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/06/25/111247

 

 <バラナシ・ガンガー 沐浴巡礼の旅>

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/07/09/090642

 

 <エローラおよびアジャンダー 石窟寺院巡礼の旅>

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/07/23/085134

 

後藤實久記

2022

 

 

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<参考資料>





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<関連ブログ>

2003『星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/06/25/111247

 

星の巡礼 インパール南道 戦跡慰霊の旅』 1944年3月8日、インパール作戦開始の地、ビルマ(現ミヤンマー)のカレーミョウから旧日本軍第15軍団の3師団<弓第33師団・祭第15師団・烈第31師団>は、インパール攻略の火ぶたを切った。 その72年後の2016年3月…

 

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2003 《星の巡礼 バラナシ・ガンガー沐浴巡礼の旅》

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/07/09/090642 

 

星の巡礼 バラナシ・ガンガー沐浴巡礼の旅》 <わたしはどこから来て、どこへ行くのか> <わたしはなぜ今、この境遇で、ここにいるのか> ヒンズーの世界、インドを旅するにあたって人生の命題が頭をかすめた。 そこは輪廻転生、解脱を信じる真剣な祈りと…

 

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2003《星の巡礼 エローラ・アジャンダー 石窟寺院の旅》

 https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/07/23/085134

 

星の巡礼 エローラ・アジャンダー 石窟寺院の旅》 インド ■2月22日 バラナシよりアウランガバードに向かう <デカン高原を走る> バラナシ駅2/22 11:30発➡マンマド/Manmad2/23 08:40着 (往路寝台列車Train#1094Mahanagari Exp. 385Rs. ) マンマド/Manma…