2024『星の巡礼・四万十プロジェクト』
―同志社ローバーOGOB<四万十プロジェクト>報告書―
―老ライダー最後のツーリング記ー
後藤實久(1960期生)
Ⅰ 坂本龍馬脱藩の道を探索せよ
Ⅱ 四万十<味劇場ちか>に10261700 全員集合せよ
Ⅲ 四万十川源流点を探訪せよ
■ ChatGPTによる紹介
本論に入る前に、最近話題になっているChatGPTによる当ブログの総論を評してもらった。
《四万十プロジェクトとは》
このブログ記事は、「星の巡礼 四万十プロジェクト」という名で、同志社大学ローバースカウトOBの竹中建三氏の四万十移住に伴い、OGOB仲間たちが四国の四万十市を目指す冒険を記録しています。プロジェクトには3つのアドホック・チーム<鉄道、ドライブ、ツーリング>が編成され、それぞれが異なるミッションを胸に四万十市に集結しました。
<ツーリング・アドホック・チーム>による、このブログの主要ポイントは以下の通りです:
<プロジェクトの背景>
竹中建三氏は、四国土佐の幡多に移住した同志社大学のローバー隊のOBであり、豊かな音楽プロデューサー経験を活かして日本全国で活動を続けています。このプロジェクトの目的は、移住先の彼を訪ね、四万十に集結し、移住を祝うことです。
<ツーリング・アドホック・チームのミッションと目的>
各チームは、四万十市での集合を最終目的とし、ツーリング・チームには「龍馬脱藩の道を探訪」と「四万十川源流探索」といった個別ミッションも課されました。特に、故人の吉村和馬氏への追悼として、彼の志と坂本龍馬の生き様を重ねた意味のある探訪が行われています。
<吉村和馬氏への追悼>
ツーリング・アドホック・チームに参加する吉村和馬氏は生前、難病の中で強く生き、多くの人に勇気を与えました。今回の冒険は、彼を天国からの「写真参加」として敬意を表し、彼の遺志を坂本龍馬と重ねる形で探訪に加えられています。
<プロジェクトの意義>
「星の巡礼 四万十プロジェクト」は、先輩の四万十移住を見届け、各自が自分のミッションを果たすことで、人と地域を繋ぎ、各々の人生の幕引きや次の道への一歩を象徴するものです。
<総論>
この記事では、四万十プロジェクトがただの再会の場にとどまらず、仲間や故人との絆を深めると共に、各自が人生や旅の締めくくりを迎える意義深い冒険であることを伝えています。また、竹中氏の果敢な生き様と、彼の周囲の仲間が持つ冒険心や友情の大切さが強調されています。 ( ChatGPT評)
同志社ローバーOGOB<四万十プロジェクト>参加メンバーの面々
入野海岸にて
(後藤・西村・山科昌・篠田・竹中・山科隆)
■《四万十プロジェクト始動》
2023年暮れ、住み慣れた京都を後にして四国・四万十幡多(はた)に移住した同志社ローバーOB仲間・竹中建三兄(59期生)を訪ねるミッション、<四万十プロジェクト>が、10月23日より始動した。
集合地である四国・高知県にある『四万十市』には、ペアーによる特別編成《アドホック・チーム》による、それぞれのミッションを胸に、「鉄道チーム」、「ドライブ・チーム」、「ツーリング・チーム」を編成して参加することとなった。
われわれバイクによる「ツーリング・アドホック・チーム」と行動を共にする、天国にいる若き仲間 吉村和馬君の写真参加も決まり、ホンダ・スーパーカブ・プロ110<リトル・ローバー号>の準備も万端である。
<ツーリング・アドホック・チーム>に参加する
ホンダ・スーパーカブ・プロ110
<リトル・ローバー号>
<四万十幡多移住者 59年度生 竹中建三氏の紹介>
同志社大学ローバースカウト隊(日本ボーイスカウト京都連盟第43団青年隊)発隊時の発起人の一人で、当時、ボーイスカウト京都第14団BS隊長であった。 14団は、京都河原町にあった旧カトリック教会に本部があった。
1963年、同志社大学経済学部黒松ゼミを卒業後、キングレコードに音楽プロモーターとして勤務、その後独立し、会社「アセント」・「ミュージックキャンプ」を立ち上げて現在に至る。 その間、<やしきたかじん>や、<サキタハヂメ>ら幾多のタレントを育成、世に出す。 お笑いや演劇、音楽を通して各地の文化・教育現場とコラボ、支援を受け、各コミュニティーの文芸復興を目指して、音楽プロデューサーとして「FMおおつ」はじめ全国各地を駈け巡っている。
「FM大阪 なにわルネッサンス」<おとなの文化村>の名物音楽プロデューサーとしても長年活躍してきた。
豊富な音楽プロデューサーとしての経験を活かし、やしきたかじんの遺志「ゆめいらんかね」の世界を、各地にひろげたいと84歳の老体に鞭打って、活躍を続けている。
竹中81teenフェス2021夏〜オモロい奴とエエ音楽〜のキャラクターより
FMおおつ「こんばんは、おおつ」収録中の竹中建三氏・左
愛車と共に<竹中81teenフェス2021夏>のYOUTUBEより
竹中兄は、仲間内から次のような人物像の評価を得ているので紹介しておきたい。
オモシロと好きで動く青春紳士
昭和歌謡の生き字引
死ぬ時までスカウトの人
奇想天外な生き方をする男
寒中キャンプ焚火大好き爺
四万十幡多<ケンちゃん応援団>
<喫茶ポプラ> ご夫妻 <味劇場ちか> 近藤挌オーナー <マルケイ不動産>門田ご夫妻
《四万十プロジェクト・ミッション&隊員構成》
プロジェクト名 : 2024『四万十プロジェクト』
チーム・ミッション : <四万十『味劇場ちか』に10261700に集結せよ!>
隊員構成 : 同志社ローバーOGOB隊<四万十プロジェクト>チーム
現地本部(四万十幡多) : 竹中建三(59期)
鉄道アドホック・チーム : 篠田常生(62期)・ 西村豊子(61期)
ドライブ・アドホック・チーム : 山科隆雄(69期)& 昌子
ツーリング・アドホック・チーム : 後藤實久(60期)・故吉村和馬(2012期)
<写真参加隊員 故 吉村和馬君>
バイク組アドホック・チームにおけるパートナーは、同志社ローバーの後輩である今は亡き吉村和馬君(享年29歳・写真参加)である。
発症し、病床の人となった2023年5月にチームを組んで歴史探索プロジェクトに連れ出しては、写真参加による戦国武将徳川家康公ほかの幾多の戦場跡を駈け巡って来た。
今回は、昨年秋、病床に見舞ったおりの吉村和馬君の見せた一筋の無念の涙が忘れられず、今回の四万十プロジェクトにあわせて、天国にいる和馬君とイメージが重なる土佐の若き志士・坂本龍馬との対面、<龍馬脱藩の道探索>に誘ったのである。
吉村和馬君(2012期生)は、平成6(1994)年10月12日、西湖堂印刷を営む吉村伸氏と母由理さんの間で、京都市に生まれた。 5歳の時、寿命が限られた難病<筋ジストロフィー>を医師より告げられる。
生きている証としての思い出づくりにと、一家のファンだった阪神タイガーズの本拠地<甲子園>目指して歩き、目的を達成している。
中学生になってからは、 電動椅子サッカーに没頭、同じ難病の子供たちに勇気と希望を与え続けた。
堀川高校から進学した同志社大学では介助犬カトリーナに助けられ、ローバーOB黒木保博教授(1969期生)のもと社会福祉を学んだ。
2023年5月、容態が急変、市内の病院に緊急搬送し、一命をとりとめるが、意識が戻ることはないと宣告される。 しかし一か月後、話はできないが意識回復と言う奇跡が起き、自宅での24時間介護が始まった。
しかし、令和6(2024)年1月26日、介護の甲斐なく、病状が悪化し、29歳の生涯を終えた。
2012度生 故吉村和馬君 竹中さんと生前の和馬君・ご家族・友人
と介助犬カトリーナ 和馬君(左より2人目)・竹中さん(右端)
(写真左) 2012年 第11回日本アーグナリー<国際障がいスカウトキャンプ滋賀大会>(希望が丘文化公園)
スカウト活動中の吉村和馬君
(写真右) 2022年 第28回日本電動車椅子サッカー選手権で京都電動蹴球団JPD-SONIC優勝時の立役者・
吉村和馬選手
(以上、写真提供 吉村伸氏)
<日本近代化に奔走した 坂本龍馬>
坂本龍馬は、天保6(1835)年11月15日、郷士御用人坂本八平直足の次男として高知城下本丁筋に生まれた。 日本近代化への道<薩長同盟>などを成し終え、慶応3(1867)年11月15日、京都近江屋で、中岡慎太郎といるところを刺客に襲われ、33歳の生涯を終えている。
今回のミッションで、天国にいる和馬君を、歴史上の龍馬に合わせたかったのである。
二人にはそれぞれに与えられた<生き方と運命>に、誠実に向き合った仲間であるような気がしたからである。
<ツーリング・アドホック・チーム・ミッション>
われわれ<ツーリング・アドホック・チーム>は、今回のグループ・ミッション<四万十プロジェクト>である、先輩が移住した幡多中村にある<四万十『味劇場ちか』に、10261700に集結せよ!>と言うグループ・ミッションの他に・・・
アドホック・ミッションとして : <竜馬脱藩の道を探訪せよ!>
パーソナル・ミッションとして : <四万十川源流を探索せよ!>
と、個別ミッションを帯びての今年最後の「星の巡礼」である。
個人的には、楽しいツーリング人生を卒業する最後のランでもある。
<坂本竜馬脱藩の道を探訪せよ!> <四万十川源流を探索せよ!>
《 ツーリング・アドホック・チーム・ミッション》
<ツーリング・アドホック・チーム>
『 ルート・マップ 』
<四万十プロジェクト>
<守護神 : 数珠と十字架>
ツーリング・アドホック・チームは、志賀の里~四万十往復832kmを原付バイク<ホンダ・スーパーカブ・プロ110>で走破するため、安全運転が求められる。
1989年、最初のチベット・ラサ巡礼時にラマ僧より贈られた手作りの菩提樹の数珠と、
今回訪問先である四万十移住の先輩・竹中建三兄が所属していたボーイスカウト京都14団の本部のあった<カトリック河原町教会>(京都河原町三条)で、1961年に手に入れた十字架を、今回の<ラスト・ツーリング>にも携帯し、最後の《星の巡礼・四万十プロジェクト》を祝福してもらい、旅の安全を守り、正しい導きを得ることにした。
1999年より始まった『星の巡礼』に付添い、砂漠で、南極で、雪渓で、登山で、湿地で、世界の最果でのサイクリング、シー・カヤッキング、ツーリングほか、過酷なバス旅行で導き、わが<星の巡礼>に、四半世紀にわたって付添い、守り続けてくれた《守護神》である。
窮地に落ちては助けを求め、蘇生しては感謝し、生きる希望をもらい、苦難に打ち克ち前進する力をもらいながら、約25年間の『星の巡礼』を見守り続けてくれた旅のパートナでもある。
<わたしの星の巡礼>の守護神
十字架と出会った旧カトリック河原町教会 数珠と出会ったトゥルナン寺(大昭寺・チベット・ラサ)
<四万十プロジェクト成功に向けて>
ツーリング・アドホック・チームの出発にあたって、以下の事に心を尽くした。
ローバーOB老ライダーの<安全対策・事故への備え>として、あえて詳細を載せておきたい。
その理由は、今回の原付バイクによる<四万十プロジェクト>参加にあたって、ほとんどの関係者から老齢を省みない無謀な計画であり、危険であるとの不安視を少なからず持たれたからである。
➀ミッション成功の第一のカギは、<安全第一・無事故>にある。
スーパーカブ<リトル・ローバー>の総点検(空気圧・エンジンオイル交換ほか)、
目的地への確実なナビゲーション・システムの装着(GPS機能のための配線・電源確保)、
<竜馬脱藩の道>という四国山地でのガス欠対策(予備ガソリンタンク携行)、
寒さ雨対策(風防の取り付け)、
危険・事故対策(ヒューズを含む工具・反射鏡の増設・JAFのバイク会員登録)など、手を尽くした。
転倒事故への対策としては、体へのダメージ・ショックをできる限り少なくするために、クッションとして大きめの前篭と後方に大型のボックス(荷物箱)を取り付けた。
もちろん、長年の錆びや汚れも出来る限り落とし、身だしなみも整えた。
②第二は、体力である。
80代に入って、体力は急速に衰えている。
思い出せば、前回のツーリング<びわ湖一周180km>は、若き友が帰天した本年1月の葬儀の日に重なり、遺影を胸にスタートした。
この間、サイクリング、山登りやウオーキングで健康を維持してきたとはいえ、今回の長距離約800㎞に及ぶ<四万十プロジェクト>は、若き頃のホンダ・マグナ50での日本一周ツーリングや、ハーレーダビッドソン1470での北海道ツーリング以来である。
体力増強もプロジェクト成功の重要な要素であることは、誰よりもよく知っているつもりである。 Facebookdeで<体力づくり>について、次のように述べている。
『体力づくり』
秋晴れのなか、びわ湖岸の白髭神社までの約30km、自転車を走らせた。
ホンダ・スーパカブ・プロ110での、先輩の新居訪問<四万十プロジェクト>、スタートの日が
近づくにつれ、体力の衰えを回復し、バランス・カービング・体幹・スピード感を養うための
サイクリングに出かけてきた。
帰路、比良山麓の<比良とぴあ>露天風呂に飛び込み、裸の王様を堪能した。
《衰えを 認めぬおのれ 悲しきや 叶えたき夢 汗に託せし》 實久
―おとろえを みとめぬおのれ かなしきや かなえたきゆめ あせにたくせし―』
➂第三は、装備・携行品である。
四国山地での気候変化(寒暖差・雨天)を考慮したツーリング服装・野営具・着替え・救急用品・緊急用飲料水を携行した。
これらの装備は、最高速度50~55km/h 通常走行速度40~45km/hを厳守することにある。
使用しているホンダ・スーパかぶ・プロ110は、軽く40~70km/hに加速できる優れものであるから
安全運転の厳守が必要である。
<ツーリング装備>
風防付きヘルメット・ツーリング用の防風防寒服・手袋(雨天用ゴム手袋含)・軽登山靴
(四万十源流探索・竜馬脱藩の道ウオーキング兼用)・腰ベルト・背もたれクッション・
予備ガソリンタンク(1L)
<ミッション携行品>
GPS・連絡・記録用スマートフォン、モノクロ世代の道路地図、記録用デジカメ・SDカード・
予備バッテリ、記録用ノート・筆記用具、資料(四万十源流ルート・竜馬脱藩の道ルート)、
サブザック・ポーチ・サングラス・老眼鏡・磁石・仮眠用マット&アイマスク、テント・寝袋・
スティック・水嚢・雨具(防寒具兼用)・非常用ガスバーナー&クッキングギアー(ガス/マ
ッチ)・簡易トイレ(チャック付きプラ袋)ほか
<修理用具> 銅線/ガムテープ/ねじ回し/ニッパ/六角レンチ/ヒューズ
<救急用品> 三角巾/殺菌液/切傷軟膏/バンドエイド/正露丸/ストッパー/浣腸
<緊急用品> カイロ/防寒用アルミシート/JAF会員証/チキンラーメン(非常食)
<洗面用具> 歯ブラシ/歯磨粉/タオル/石鹸/剃刀
<持病薬> +ほか疲労回復剤/栄養補給剤+飲み会用太田胃散
<身元証明> 運転免許証/マイナンバーカード/銀行カード
<ウエアー> ツーリング用上下ウエアー/デニムパンツ/防風兼用雨具/帽子/長半袖シャツ/
プルオーバ/フリース/耐寒用ダウン上下/下着類/靴下(ウォーキング・ライダー用)
<リトル・ローバー号>携行品
■2024年10月22日 お世話になります <四万十プロジェクト開始にあたって>
<後藤から 四万十・竹中兄に送信>
同志社ローバーOGOBによる<四万十プロジェクト『味劇場ちか』に集合せよ!>もいよいよ近づきましたね。 再会を楽しみにしています。
こちらは、天国の吉村和馬君を誘ってアドホック(特別編成)チームを組み、バイクにまたがって明日そちらに向かって出発します。
1日目(10月23日)志賀の里より、大阪南港に向かい、大坂南港よりオレンジフェリーで
東予港に向かいます。
2日目(10月24日)東予港より、松山市を経て大洲の港町「伊予長浜」(竜馬脱藩の港)に立寄り、
<竜馬脱藩の道>をたどりながら竜馬の故郷<梼原・ゆすはら>でテント泊する予定です。
3日目(10月25日)<竜馬の謀議の地・ゆすはら>を探訪後、高知にある龍馬誕生の地(竜馬脱藩スタート
の地)に立った後、四万十河口にある<下田いやしの湯温泉>で疲れをとり、河口の砂浜で
テント泊するつもりです。
4日目(10月26日)全員集合当日、はやめにお宅に寄せていただき夜の宴会に備え、老体を休めることが
出来ればと願っています。 当夜のお泊り、どうかよろしくお願いします。マットと寝袋持参
ですので、どこでも寝られます。(笑い)
5日目(10月27日)お言葉に甘えて、竹中兄のドライブでの足摺岬巡りを楽しみ、午後解散となりますが、
もしよろしければもう一泊させてもらえればうれしいのですが・・・、ご都合をおうかがい
します。
6日目(10月28日)朝早く、四万十川沿いに、沈下橋はじめ四万十の景色を楽しみながら四万十川源流
探索に向かいます。 おそらく近くの<道の駅・布施ケ坂>でテント泊し、
7日目(10月29日)国道56・194号線経由、四国山脈を越え、東予港に着き、オレンジフェリーで
大阪南港にもどり、帰路につきます。
8日目(10月30日)大阪南港より志賀の里に向かい帰宅します。
老体であることを考えて、安全第一・健康第一を考慮し、安全運転に徹し(乱暴運転禁止)、テント泊は何時でも宿に切り替えることをきつく約束させられています。
大勢で押し寄せますが、くれぐれもよろしくお願いします。
竹中兄が描く<幡多日記>の風景が、はやくもこころに宿ってくるようです。
<中村幡多>での、こころに残る素敵な出会いが沢山ありますように・・・と願いつつ。
志賀の里にて 出発の前夜
<竹中兄より返信>
大変な行程ですね。 大丈夫かな〜と少し心配です。 お天気のこともあるので、状況に応じて宿泊してください。27日は3時に中村駅で解散.一度家へ戻り土佐清水へ演劇を見に行きます。 9時半には帰りますので我が家でゆっくり疲れを癒やしてください。 28日は予定ありません。 30日から5日迄大和郡山で演劇公演です。
<後藤から送信>
実は、本人が一番心配しています。 偉そうに夢プランを立ててみましたが・・・無理と分かれば即中断、バイクを乗り捨てて、列車にでも飛乗って<味劇場ちか>に向かう心つもりです。 26日から28日早朝にかけてのお許しをいただき感謝します。 よろしくお願いします。
■2024年10月23日 《四万十プロジェクト》スタート
<第一日目 ルート案内 走行距離 95km>
志賀の里・BSJ初野営の地➡(国道1号線経由・ツーリング 95km)➡大阪南港➡
(オレンジフェリー)➡東予港(愛媛・新居浜・オレンジフェリー船中泊)
先にも述べたが、仲間である先輩の四万十移住を祝って、それぞれの交通手段で現地集合である。
わがアドホック・チーム(特別編成班)は、ホンダ・スーパーカブ・プロ110によるツーリングで向かう。
今は亡き若き仲間 吉村和馬君を誘っての、のんびり二人旅となりそうである。
竹中建三兄の四万十移住祝会前後のわが<ツーリング・アドホック・チーム>のミッションは、
<竜馬脱藩の道探訪>と<四万十川源流探索>であり、胸躍らせている。
出発地<志賀の里>にある近江舞子『日本ボーイスカウト初野営の地』をスタートした。
道中は、もちろん<安全運転>をモットーに、慎重ツーリング・・・ を心がけることはもちろんである。
こころに再度言い聞かせた。
<四万十プロジェクト>参加の<ツーリング・アドホック・チーム>
近江舞子『日本ボーイスカウト初野営の地』をスタート
<ツーリング・アドホック・チーム>
われわれ原付バイクによる<ツーリング・アドホック・チーム>は、<日本ボーイスカウト初野営の地>のある「志賀の里」をスタートし、一路 四国・四万十に向かった。
大阪南港から愛媛・東予港へのオレンジ・フェリーでは、チームメイト故吉村和馬君と共に夜風に吹かれながら懐かしき<同志社ローバー隊歌>を熱唱した。
ホンダ・スーパーカブ・プロ110<リトル・ローバー号>にとって、四万十への遠き道のりのなか、
一番の難所は、旧東海道54宿(伏見)・55宿(淀)・56宿(枚方)・57宿(守口)が通っていたと
思われる旧国道1号線の交通渋滞と、車の流れについて行けるかであった。
特に、混雑する国道を避け一般道の裏道を走りたくもなるが、GPSを見ながらのバイク走行の如何に危険か、
GPS指示に従うにしても残念ながらその習熟度のなさに、昭和中頃生まれの老人には、結局早くもGPS操作を無視することになってしまった。
四万十への夢多きGPSツーリングは、スタート早々から、絵に描いた餅である失望と、厳しい状況に置かれてしまったのである。
持参した道路地図と磁石が唯一つのナビゲーションと言う、半世紀前ののんびりツーリングにもどさざるを
得ない状況となった。
老人には、地図一枚で世界を駆け巡ったあの冒険心が、懐かしく思い出され、四万十川の清く美しい情景を
楽しめることを、かえって喜んだのである。
大坂梅田に出て、御堂筋を南下、その立派な南行の大動脈を、ホンダ・スーパーカブで走り抜けるには随分
と覚悟が必要である。 まるでサーカス的スリルと、邪魔な二輪車を敵視する運転者の視線に、握るアクセル
グリップが緊張のあまり震えだす始末、地獄のツーリングを味わうこととなった。
御堂筋(国道26号線)を南下、物覚えが難しくなってきた頭に叩き込んだ唯一つの交差点名<玉出>を、必死
に反芻し、口で唱え、その大阪南港への交差点にたどり着いた時には、嬉しさと共に疲れがどーっとでて、
ツーリングのスリルや快感はどこへやら・・・
大坂南港の広いこと、大型トレーラに囲まれた水澄ましのようなわが原付バイク<リトル・ローバー号>は、
その風圧に翻弄され、迷い込んだネズミのように、必死にフェリーターミナルを探し回った。
大坂南港より新居浜・東予港に向かうオレンジフェリー<おおさか>は、すでにフェリーターミナルの埠頭に
その巨体を接岸し、予約の入っている定期大型トレーラの運び込みがすでに始まっていた。
一般の乗船は、20時開始、22時出航である。
大阪南港出航前に記念撮影 吉村和馬君 オレンジ・フェリー車載階に収まる
< リトル・ローバー号>
別動隊である各アドホック・チームは、後日、鉄道組・自動車組として、それぞれ目的地・四万十幡多に向か
うことになっている。
アドホック・チーム(Ad Hoc Team)とは、ボーイスカウト、特に青年隊<ローバースカウト隊>で
その都度目的別に編成される「特別編成作業チーム」のことである。
■2024年10月24日 <四万十プロジェクト 2日目>
Ⅰ-➀ <坂本龍馬脱藩の道探訪1日目 ルート案内 走行距離132km>
新居浜・東予港 ➡(国道11号線 31km)➡ 松山 ➡(国道378号線 46km)➡
伊予長浜➡(竜馬脱藩出航の港・県道24/県道232/国道197号線 55km)➡
梼原(ゆすはら・竜馬脱藩の道・「ライダーズイン雲の上」 泊)
<ツーリング・アドホック・チーム>
『 ルート・マップ 』
<四万十プロジェクト>
いよいよ四国ツーリングが始まった。
<ツーリング・アドホック・チーム>のミッションの行動は次のとおりである。
(注)略語<R>は国道、略語<K>は県道を示す
Ⅰ《坂本龍馬脱藩の道探索せよ 1日目》
<坂本龍馬脱藩の道探訪の1日目>は、坂本龍馬が土佐藩を脱藩(脱出)し、梼原村(ゆすはら)で仲間と
謀議し、一路西に向かい伊予長浜港にでて、ここから長州へ船で渡った。
まず我々は、オレンジフェリーの着いた新居浜の東予港をスタートし、松山経由、JR伊予灘線と並行する
<夕焼け小焼けライン>(国道378号線)を南西に下り、坂本龍馬とその仲間が脱藩し、長州へ船で脱出した
港<伊予長浜>からスタートする逆ルートをたどることにしている。
<坂本龍馬脱藩の道>(国道197)を走り、龍馬が仲間と落ちあい、謀議をはかった梼原(ゆすはら)で
一泊する。
<坂本龍馬脱藩の道探訪 2日目>は、梼原を出て、土佐高知にある龍馬誕生の地へ向かう。
<おれんじ・おおさか>丸 愛媛・東予港に到着 東三方ケ森1223mを北にみながら松山に向かう
これより竜馬脱藩の港・伊予長浜に向かう 国道11号線 伊予小松にて
桜三里街道(R-11)根引峠295mにて 夕焼け小焼けライン(R-378)
<道の駅・双海ふたみ>にて
夕焼け小焼けライン(R-378)の絶景
坂本龍馬が長州へ渡った伊予灘を望む
龍馬は土佐(高知)を出奔し、梼原で同志と落ちあい、韮が峠で脱藩、
ここ伊予長浜の港より長州・下関へ船で渡った
われわれ<ツーリング・アドホック・チーム>は、ここ伊予長浜港から<坂本龍馬脱藩の道>を逆走して、梼原を経て土佐(高知)に向かう。
伊予灘、伊予長浜に注ぐ肱川沿いを走る 肱川沿いを走る国道197号線
肱川に沿ってK-24/K-232/R197をツーリング<予子林>よりK-36に入り、<脱藩の地 韮ヶ峠>に
向かう。 R-197・K-36 は<梼原街道・大洲街道>と呼ばれ、「龍馬脱藩の道」である。
<道の駅 清流の里ひじかわ>
R-197よりK-36に入り<脱藩の地 韮ヶ峠>(にらがとうげ)向かう
<若き仲間であった吉村和馬君と、坂本龍馬脱藩の道を駈ける>
四万十プロジェクト合流前に、土佐藩士であった日本近代化の曙に奔走した若い志士が立ち上がり、脱藩して長州に走った坂本龍馬の<脱藩の道>を、今は亡き仲間と共にたどった。
仲間とは、難病<筋ジストロフィー>を背負いながらも、<愛と夢と希望>とを行動によって若い世代や、多くの大人たちに感動を与え、今年はじめに天国に召された吉村和馬君である。
この度の先輩仲間である竹中建三兄の四万十移住を祝う<四万十プロジェクト>に参加するにあたって、天国にいる吉村君も写真参加として誘ったのである。
その理由は、短い寿命に燃やした情熱が、龍馬と和馬君が重なったからである。日本近代化への道筋に若き命を懸けた龍馬の<愛と夢と希望>とにである。
<坂本龍馬脱藩の道>、それは戦国の世の<家康公伊賀越え>や<光秀老ノ坂越え>とは様相が異なるが、当時の間道としての山道の侘しさ、孤独感、緊張感はひしひしと伝わって来た。今回はツーリング・ルートの関係上、長州への船出<伊予長浜港>から、梼原(ゆすはら)経由、土佐(高知)への逆ルートをたどった。
《日本の 曙求め 脱藩す きみ野に臥して 夢描きしや》 實久
―にっぽんの あけぼのもとめ だっぱんす きみのにふして ゆめえがきしや―
林道の<坂本龍馬脱藩の道>をたどる 維新の道<坂本龍馬脱藩の道>標識
<坂本龍馬脱藩顛末記>
「文久2年(1862年)3月24日、土佐の郷士 坂本龍馬は、風雲急を告げる時局を洞察し、自らの使命を自覚するや、決然として土佐を脱藩した。
25日、同志 沢村惣之丞と、梼原村の那須俊平・信吾父子の家に泊まり、翌26日、那須父子の道案内で宮野々関を破り、韮ヶ峠(にらがとうげ)を越えて伊予の国へ出た。途中泉ヶ峠、伊予長浜村に泊まり、28日船出して、29日長州三田尻に着き、4月1日、目的地の下関 白石正一郎方に着いた。」(内子町教育委員会)
<脱藩の地 韮ヶ峠>(にらがとうげ)
韮ヶ峠は、土佐藩と伊予藩の藩境にある<坂本龍馬脱藩の地・脱藩の峠>として有名な地である。 この峠を越えることによって、坂本龍馬はおのれの決意<日本の近代の世を迎える>第一歩を踏み出したのである。
龍馬28歳の時であった。
脱藩第一歩の地<左・伊予国/右・土佐国> 土佐国・高知県道379終点にある<韮ヶ峠>
坂本龍馬脱藩の地<韮が峠>に建つ<伊予長浜~梼原 脱藩ルート図>
ツーリング・アドホック・チームは、赤線ルートをたどった
愛媛県道36号線は、<韮ケ峠>で高知県道379号線に接続され、<大洲・梼原街道>として梼原の郷に入っていく。
梼原の三嶋神社へと続く<龍馬脱藩の道>
梼原にある<坂本龍馬脱藩の道>
<坂本龍馬の生涯 略歴>
天保6年(1835年)11月15日 高知城下の郷士坂本八平直足の次男として生まれる
12歳 城西小高坂村楠山塾に入門・退塾
14歳 日根野道場にて小栗流剣術を学ぶ
19歳 日根野弁治より「小栗流和兵法事目録」一巻を伝授される
江戸へ剣術修行に出る、京橋桶町北辰一刀流の千葉道場に入門、沿岸警備に出る
浦賀に黒船来航、アメリカのペリー提督が開国を迫る
20歳 江戸より土佐へ帰国、ジョン万次郎の見聞録「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」の著者・河田小龍(かわだしょうりゅう)を訪ねる
22歳 再び剣術修行を許され江戸に再遊学
24歳 「北辰一刀流長刀兵法」を授かる、江戸修行より土佐へ帰国
27歳 武市半平太の「土佐勤王党」に、龍馬も加盟
28歳 武市半平太の使者として長州萩に久坂玄瑞訪問後、澤村惣之丞と共に脱藩、長州下関へ
千葉重太郎と勝海舟を訪問、門下生となる
江戸越前邸で間崎、近藤と共に松平春獄(まつだいらしゅんがく)に謁見、海防策を具申
29歳 勝海舟のはからいにより、龍馬の脱藩罪が許される。
神戸海軍塾創設資金の5千両を借用する松平春獄を訪問, 海軍塾塾頭となる
31歳 土方久元と中岡慎太郎と薩長同盟を策し賛同、亀山社中を長崎で設立
英国商人グラバーから小銃を購入し、下関に運ぶ、
32歳 小松帯刀・西郷隆盛・桂小五郎・龍馬会談、「薩長同盟」成立、おのれの
伏見の寺田屋において伏見奉行所の捕史に襲撃され負傷、お龍と結婚し鹿児島へ新婚旅行
33歳 龍馬と中岡の脱藩罪赦免、土佐藩により海援隊設立、隊長に任命される
夕顔丸にて「船中八策」を記す
土佐藩後藤象二郎により大政奉還白案として前土佐藩主山内容堂へ
11月15日 33歳誕生日に、近江屋で襲撃され、中岡慎太郎と共に暗殺される(近江屋事件)
梼原の<龍馬脱藩の道>ルート上にある<三嶋神社と三幸橋>
梼原の郷にある<維新の門>(左より 坂本龍馬、澤村惣之丞、那須俊平)
<梼原と志士たち>
「幕末の風雲急を告げる文久2年(1862)春、坂本龍馬は、梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩。
土佐勤王党、天誅組、忠勇隊に参画した梼原出身の志士、そして吉村虎太郎(津野町出身)、那須信吾、那須俊平、掛橋和泉、中平龍之介、前田繁馬たちは、維新を夢見て決起し、大いなる使命感に燃えながら野越、神根越、化粧坂、そして国境の九十九曲峠、韮ヶ峠への道を幾度となく往来したといわれます。
志士たちの多くは、志半ばにして不遇な最後を遂げてしまいましたが、彼らの生きざまは、私たち現代人の心を捉えてやみません。「維新の道」は、まさに日本の未来を切り開く希望の道だったのです。」
<梼原観光課>
<坂本龍馬脱藩の道>追跡中 梼原にて 龍馬脱藩時のゆかりの街 梼原に到着
今夜の宿泊地でもある
<雲の上温泉>に立寄り疲れをとる (梼原)
雨予報で泊まった今夜の宿<ライダーズイン雲の上>にて (梼原・ゆすはら)
■2024年10月25日 <四万十プロジェクト 3日目>
●Ⅰ―2《坂本竜馬脱藩の道探索 2日目 梼原~高知》
<梼原~高知・龍馬誕生地~野営地 ルート案内 走行距離 196km>
梼原(ゆすはら) ➡(国道197/56/494ー 56km)➡ 佐川 ➡(国道33ー 28km)➡
高知(坂本龍馬誕生地)➡(県道56/県道20ー112km)➡
▼ 四万十川河口 (オートキャンプ場<とまっとこ>テント泊)
小雨のなか梼原を出発<竜馬の道>をたどる 国道197号線(梼原街道)を雲海ツーリング
朽木峠越えの<坂本龍馬脱藩の道>は、この先の姫野々を過ぎたローソン津野町東店あたりからR-197を離れて、左へ入っていくが、バイクでは危険を伴うので、そのままR-197をたどり、須崎でR-56に出て、さらにR-494に入り、佐川からR-33を走って高知にある<坂本龍馬誕生地跡>に向かうことにした。
時々の雨に、道路のスリップを考え、安全な国道を経由するツーリングに徹することにした。
JR佐川駅を横目にR-33に出る R-33の仁淀川大橋を渡り<坂本龍馬脱藩の道>のゴール
としている龍馬誕生地に向かう
<坂本龍馬誕生地碑>
ツーリング・アドホック・チームの<龍馬脱藩の道>の終着点としていた<坂本龍馬誕生地>は、国道33号線の高知市上町1丁目の南側にある。
高知城下本丁筋1丁目,現在の高知市上町1丁目上町病院前に,誕生地の碑は建ってる。
父坂本八平直足,母幸の次男として,1835年天保6年11月15日,この地で誕生した坂本龍馬は,1867年11月15日の奇しくも自らの誕生日に,京都近江屋で凶刃に倒れるまでのわずか33年の生涯であった。
類まれなる行動力と,勝海舟や松平春嶽など素晴らしい出会いを重ねることで,薩長同盟の締結や大政奉還など数々の功績を残し今も根強い人気を誇っていることさすでに前述した。
<竜馬脱藩の道>を、伊予長浜よりスタートし、大洲、韮が峠、梼原、佐川をへて、約140kmをたどり、坂本龍馬脱藩の出発地とした<竜馬誕生の地>にゴールした。
ツーリングのため、ほとんどが国道・県道であったが、可能な限りバイクを降り歩き回廻ることにより、龍馬の鼓動を感じるよう努めた。
もう少し若ければ、リュックを担ぎ、野宿をしながらこの足で踏破して見たかった歴史の道である。
<坂本龍馬脱藩の道>の逆ルート<伊予長浜港>をスタートし、梼原(ゆすはら)で一泊、
約160kmのツーリングを、坂本龍馬を追って、吉村和馬君とともにたどってみた。
<オートキャンプ場「とまろっと」に向かう>
念願の<坂本龍馬脱藩の道>走破をおえ、疲れた体を温泉<下田温泉・四万十いやしの湯>でいやすため、もうひと頑張り、四万十川河口下田にある今夜の野営地<オートキャンプ場・とまろっと>向けて出発した。
早めに目的地に到着し、テントを設営、明日からの<四万十プロジェクト>に備えることにした。 オートキャンプ場の向かいに下田温泉「四万十いやしの湯」(@750)があり、ライダーにとってはありがたい環境がそろっている。
設営後、タオル一本持ってさっそく温泉に走り、「四万十万歳」を叫びながら、若き友と露天風呂に飛び込んだ。
四万十河口にあるオートキャンプ場<とまろっと>でテント設営
久しぶりのテント泊、眠れるかなー、今夜も雨だという・・・
久しぶりのキャンピングに少し興奮気味
《潮騒の 聴こゆる河口 四万十 雨音交じる 怒涛の宿や》 實久
ーしおさいの きこゆるかこう しまんと あまおとまじる どとうのやどや―
結局、興奮と雨音で眠れず・・・ さあ、撤収だ
いよいよ明日は<四万十プロジェクト>全員集合の日である
下田温泉<四万十いやしの湯>露天風呂
下田温泉<四万十いやしの湯>大浴場 (写真上下 癒しの湯提供)
■2024年10月26日 <四万十プロジェクト 4日目>
●Ⅱ―1 《四万十プロジェクト ー味劇場ちかー に全員集合せよ》
四万十川河口 下田港(とまっとこオートキャンプ場) ➡(県道20号線 )➡
夜通しの雨音に、眠れない夜を過ごし、雨に濡れたテントやシートを撤収して、四万十河口を離れ、四万十に移住した先輩 竹中宅に向かった。
まずは、濡れた設営用具の乾燥である。 先輩宅の玄関先は黄色いテントや寝袋の花が咲いた。
近所の人達も、何事かと覗いていく。
すっかり四万十に溶け込んだ先輩の行きつけの喫茶<ポプラ>で、特製<味噌汁付きホットドック定食>をいただきながら、店主夫妻の軽妙なおしゃべりに笑いが止まらない。 常連客の絶えない店であり、今夜お世話になる「味劇場ちか」のご主人 近藤挌(いたる)さん を紹介された。
テント撤収後、先輩宅に向かう 玄関先で濡れたテント・スリーピングバッグを乾かす
竹中兄日参の喫茶<ポプラ> 特製<味噌汁付きホットドック定食>をいただく
<味劇場ちか>のご主人近藤挌(いたる)さんと
<人生と言う四万十川をおのれのカヌーで漕ぎ下って・・・>
いよいよ<四万十プロジェクト>の始動である。
食堂兼居間に飾られた今は亡き奥様の遺影も、にこやかな笑顔でわれわれを迎えてくださった。
彼女の好きな白百合一輪を手向けさせてもらった。
<四万十プロジェクト>も多忙のなか、受入れ準備も順調のようだ。
今夜お世話になるベッド一つ一つの清潔なシーツにも、先輩のこころがこもっているようである。
プロジェクト参加メンバーの輸送手段であるレンターカーの借り入れや、飲料水やビールまで冷蔵庫に冷やされ、先輩のおもてなしの心が伝わってきた。
60年前の学生時代に出会った仲間とはいいものだ。
それもわれわれはスカウトである。
冒険と夢と反省に満ちたそれぞれの人生を、おのれのカヌーを漕いで、いま、ここ四万十にたどり着き、久闊を叙し、長い人生で培ったそれぞれの宝物、そのこころを今夜、<味劇場ちか>でミキシングいや、ブレンディングするのである。
一体どんな味にブレンドされるのだろうか、楽しみである。
もちろん、若き仲間 吉村和馬君も、老人仲間に混ざり合うのであるから、その老若ブレンドが醸す同志社ローバースカウトOGOBの味もまた格別であろう。
玄関先で竹中さんに迎えられる 和馬君と<リトル・ローバー号>
四万十は遠かった
同志社ローバースカウトOGOB有志による仲間 竹中建三氏(59期生)の四万十移住を祝う<四万十プロジェクト>に参加する各アドホック・チーム<列車組・ドライブ組・ツーリング組>は、そのプロジェクト・ミッション《味劇場ちかー10261700に集合せよ》に合わせて、竹中宅に全員無事集合した。
ドライブ組も加わり竹中宅に全員集合、賑やかである
● Ⅲ《同志社ローバーOGOB 四万十プロジェクト》
<味劇場ちか 10231700 全員集合せよ>
<味劇場ちか>
先輩一押しの<四万十の味>を楽しませてくれる<味劇場ちか>に席を移して、竹中先輩の四万十移住を祝して生ビールで高らかに乾杯した。
<味劇場ちか>は、清流四万十川河口に位置する四万十市中村にある。 郷土料理、和食中心の店であり、劇場をテーマに厨房がステージ、お客との対話を重視して、席は扇形のオープンの作りのカウンターになっている。
<味劇場ちか>は、それぞれの季節の新鮮な土佐沖の味・四万十川の幸を目の前で板前さんがさばき、盛り付けてくれるパフォーマンス型のお店である。 めったに獲れない貴重な海の幸も、先輩を通して口に入れることもできるようである。
満席の扇型のカウンター、一人客も多く、噛みしめては納得の頷き、目を閉じての味わいとそれぞれの表情に、幸せを見せる表情が印象的である。
今夜の味劇場も、開幕と同時に、次々と出される新鮮な、それもボリュームたっぷりの海鮮が口いっぱいに満ちて、出される生ビール・地酒・どぶろくとのハーモニーに、こころ踊り、心豊かにしてくれた。
これこそ人生仕上げの味と言えるのかもしれない。
竹中建三兄が、ここ四万十を生涯の地として選んだ気持ちが分かる気がした。
そこには心温まる人情と豊かな愛が満ちており、もてなしの条件がそろっているからである。
<四万十プロジェクト>参加の老スカウトたちも、四万十のもてなしに、それぞれ納得の人生の味を噛みしめているようであった。
ーこれこそ《 味劇場ちか、そう人生劇場ケン 》であるー
一度は足を運んでみるに値する<味劇場ちか>である。
<味劇場ちか>
劇場型情緒を醸している<味劇場ちか>の店内
四万十プロジェクト<味劇場ちか>参加の面々
竹中先輩の四万十移住を祝う
《集い来て 幸せ分かつ 四万十の 味劇場ちか 青春謳いし》 實久
―つどいきて しあわせわかつ しまんとの あじげきじょうちか せいしゅんうたいし―
曲線カウンター 新鮮なクジラの刺身 どぶろく
《それぞれに 彷徨い歩く 人の子ら 幡多に集いて 絆深めし》 實久
―それぞれに さまよいあるく ひとのこら はたにつどいて きずなふかめし―
吉村和馬君も<味劇場ちか>の新鮮料理を堪能する
(写真撮影 竹中・篠田・後藤)
劇場の雰囲気のなか主演者達の本物の味を楽しんだ(写真一部味劇場ちか提供)
当日の<味劇場ちか>の開幕と同時に、同志社ローバーOGOBの<四万十プロジェクト>メンバーが、扇形カウンター左端から席を占め、竹中・篠田・西村・山科昌・後藤(和馬)・山科隆の席次をとった。
あっという間に、客席(カウンター)の1階はもちろん、2階も満席、舞台のエンターテイナーであるスタッフも忙しく、新鮮なネタをさばき、盛付け、サビを添えながら、客席に向かって檄を飛ばす声が飛び交い、吹き抜けの天井に勢いのいい元気な声音が響く。
二階へ料理を運ぶ滑車の音が入り混じり、まるで歌舞伎の勧進帳の緊迫感が漂い、観客の視線はマグロを裁くエンターテイナーの包丁さばきにくぎ付けになっている。
役者と観客が、味劇場のショーに溶け合う一瞬である。
カウンターの若き女性は、マグロの刺身を眺めては、口に運んでその新鮮なトロミにいちいちうなずき、納得し、この味を呑込めないでいる仕草を繰返している。
本物の味を知る現実の怖さの中に、幸せを噛みしめているようにも見えた。
四万十移住に満足し、その素晴らしさを知ってもらいたいと招いてくれた竹中先輩の幸せそうな顔が、一番輝いていた。
その輝きに応えるように、<四万十プロジェクト>参加の一人ひとりの顔に納得のうなずきと笑みが、溢れんばかりにこぼれていた。
先輩の晩年の幸せを見届けた安心と、ちょっぴりの嫉妬と、こころからの喜びがひろがった。
ふと、先輩の亡き奥さま、のり子さんの安堵の顔がよぎった。
ここに<四万十プロジェクト>の目的を達成した喜びに、それぞれの隊員の顔が一層輝いて見えた。
《竹中先輩、四万十移住おめでとう!》
ここに、同志社ローバーOGOBによる<四万十プロジェクト>のミッションである宴会《 竹中先輩の四万十移住を祝う 》も盛会のなかにお開きとなった。
本当は、もっと新鮮なお魚をたくさん頂きたかったが、またの訪問を楽しみにして、お店を後にした。
帰りには、<味劇場ちか>ご主人 近藤挌ご夫妻による丁重なるご挨拶をいただき、その上、お手作りのミニトマト・仏手柑(直七)・ちか特製の「ゆずポン酢」を頂戴することとなった。
遠くからの客人に対するもてなしに、四万十の人情豊かな温もりを感じたものである。
竹中兄の、四万十を褒め称えるこころがよく分かったような気がした。
<味劇場ちか>
電話 0880-34-5041
<こころざしー夢> (四万十移住者 竹中建三氏 59期生)
永年、レコード業界に一身をささげてきた竹中先輩の移住先である四万十の幡多中村を仲間と共に訪ねてきた。
その衰え知らずの情熱を、業界仲間たちと共に地域起こしに一身をささげている姿に、こころを熱くさせられたものである。
短い滞在中にも、土佐清水出身の竹田モモコ演出・ばぶれるぶるぐ・幡多弁劇《泳げない人たち》に同道させてもらった。
この連休も、老体を夜行バスに沈めて大和郡山での催し物に参加するという。
年間を通して、後輩の催行や、地域起こしのため全国を駆け巡る様は、すでに老いた肉体の限界を超えているように思えるのだが、その志しの熱さは、死してのちも変わることはないであろう。
多忙を割いて、友人仲間を移住先四万十に招き感謝を伝える姿に、多くのことを学ぶミッションとなった。
《身を投ず 夢いらんかね なる世界 伝えしこころ 抑えきれずや》 實久
―みをとうず ゆめいらんかね なるせかい つたえしこころ おさえきれずや―
<人生劇場ケン>
四万十中村での滞在中に味わった<建三ワールド>のマイルドな生活の流れ、取り巻く人情の温もり、飛び交う心豊かな会話、都会で忘れられた出会いに交わす昭和の挨拶・・・、<人生劇場ケン>に飛び込んだ三日間、主役を演じきっている建三兄に、豊かな演技力を発揮して地元幡多に受け入れられ、頼りにされている姿をみて、ホッとさせられ、こころから安堵したものである。
そこには建三兄の84年の経験豊かな人情味が溢れ、老婆老爺であるOGOBを迎え、ローバーに対する深い愛情をも感じとれた。
心豊かな<人生劇場ケン>に触れ、どっぷりと生活を共にできたことに、また60年間の友情に感謝した。
■2024年10月27日 <四万十プロジェクト 5日目> 竹中宅泊
●Ⅱ―2 《四万十プロジェクト ― OGOB足摺方面記念ドライブー》
朝6時起床、7時竹中建三兄のガイド、山科隆雄兄の運転で足摺岬に向かった。
四万十川<佐田沈下橋>でのOGOB仲間たちと
左より 山科隆雄(72)・篠田常生(62)・山科昌子・後藤(60)・竹中建三(59)・西村豊子(61)
写真参加・吉村和馬(2012)
《輝きし 世の旅路をや 終える時 共に歌えや 青春賛歌》 實久
―かがやきし よのたびじをや おえるとき ともにうたえや せいしゅんさんか―
海水と清流が混じる四万十河口付近に架かる
四万十市のシンボル<赤鉄橋>(四万十橋・旧国道56号)を渡り足摺岬に向かう
約60年前、同志社ローバースカウト卒業にあたって、卒業テーマであるプロジェクト『遠くへ行きたい』を実行すべく、ローバー同期の花畑舜一君(原隊・箕面第1団BS隊長)と後藤實久(原隊・京都第11団BS隊長)は特別作業編成チームであるアドホック・チームを組み、ミッション『遠くへ行きたい』先として、四国の足摺岬を選んで旅だったことが、懐かしく思い出される。
ここにセピア色にあせた古写真がある。
当時を懐かしんで、今回の四万十プロジェクトに参加したオールド・ローバーと一緒に、60年前とおなじポーズをとる様お願いしたが、さすがに遠慮するとのことで、一人では恥ずかしいので写真参加の若き仲間 吉村和馬君に入ってもらって、みなの好奇の眼差しに晒されながら上半身の裸体を晒すこととなった。
そのいわくつきの一枚である『遠くへ行きたい60年目のアドホック姿』を、恥を忍んで載せておきたい。
《行けや往け 勇み立ちにし 足摺の 潮風優し 青春の友》 實久
―ゆけやゆけ いさみたちにし あしずりの しおかぜやさし せいしゅんのとも―
《ミッション・遠くへ行きたい》 60年前のアドホック・チーム
ハット姿・花畑舜一君 / ベレー姿・後藤
1964年11月 土佐・足摺岬にて
《青春に 抱けし大志 こころ秘め 遠くへ行きたし 豊けき友と》 實久
―せいしゅんに いだけしたいし こころひめ とおくへいきたし ゆたけきともと―
天国より参加の吉村和馬君と
足摺岬にて2024年10月27日
全員の上半身裸体かなわず、ひとり60年前の アドホック・ミッション《遠くへ行きたい》を実現させた。
《四万十プロジェクト》 に参加した同志社ローバースカウトOGOBたち
足摺岬にて
《岬立つ 老婆老爺や 足摺の 青春宿る スクラム組みしや》 實久
―みさきたつ ろうばろうじや あしずりの せいしゅんやどる すくらむくみし-
ビバー! 同志社ローバース!
足摺岬にて
<ジョン万次郎の郷訪問> 土佐清水市
ジョン万次郎の生家 ジョン万次郎資料館に立寄る
漂流先の鳥島から万次郎一行を救助した米国捕鯨船ジョン・ハウランド号
万次郎は、江戸後期1827(文政10)年に土佐清水市で貧しい漁師の子として生まれる。
14才のときに漁に出て嵐にあい遭難し、鳥島に5人で流れ着き、143日後米国の捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられる。
船長のホイット・フィールドは、万次郎の才覚を見抜き、アメリカに連れ帰り、船長の養子として英語はじめ、数学・測量・航海術・造船技術を学ばせる。万次郎は恩義に応え、勉学に励み、首席で学校を卒業する。
その後、再度捕鯨船にも乗り、お金をためて江戸末期の1851(嘉永4)年24歳の時帰国する
その後土佐藩の坂本龍馬にも影響を与え、通訳、翻訳、英語の教師として、幕末の日米友好や日本の開国に大きな役割をはたした人物である。
我らの同志社校祖 新島襄先生もまた、ジョン万次郎が帰国した10年後に、ワイルド・ローバー号船主であるアーネスト・ハーディ夫妻の援助で勉学に励み、米国訪問中の岩倉使節団の通訳となるなどして、明治期の教育制度に影響を与えている。
幕末の二人の共通点を比べながら、興味深くジョン万次郎の功績を見て回った。
<竜串岩波海岸>では、波に浸食によってできた圧倒的な自然の造形美を堪能した。
浸食美の<竜串岩波海岸>
<黒潮町入野海岸>
入野海岸は、建三兄の思い出の砂浜であるという。
さっそく、その思い出<砂に書いたラブレター>を再現してもらった。
砂に書かれたこれまた60年目の今は亡き愛妻の名前、背を丸めた影に老春の建三兄の幸せを見た思いである。
われわれもそれぞれの青春の一文字を、入野の砂浜に書き記して、四万十プロジェクトの余韻を楽しんだ。
竹中翁65年目の<砂に書いたラブレター:のり子>
《想い込め 入野の浜に したためし あの日の一字 蘇りかりけり》 實久
―おもいこめ いりののはまに したためし あのひのいちじ やどりかりけり―
黒潮町入野海岸にて
<四万十プロジェクト>に参加した面々の老勇姿
<さらば四万十また会う日まで>
入野海岸での白浜に書いた想い出の字を心にしまい、同志社ローバーによるOGOBの<四万十プロジェクト>を終えた。
いつかまた、四万十の河畔での同志社ローバーOGOB・現役合同のキャンプの開催を夢見ながら、それぞれ四万十を後にすることになった。
黒潮町入野海岸を後にした一行は、中村駅始発15時13分発列車、土佐くろしお鉄道の高知行「特急あしずり12号」乗車組を見送るため、JR中村駅に向かう。
続いて、ドライブ組も、淡路島で一泊後、帰宅の途についた。
列車組お見送り (JR中村駅にて)
一泊二日の短い合宿<四万十プロジェクト>であったが、老兵たちにとっては、久しぶりのミッションに心躍る時間を過ごすこととなった。
世話役である最長老 竹中兄には、気力と体力を振り絞って、老輩のいや弟や妹たちをお世話いただいたと思うと頭が下がる思いである。 飛ぶ鳥跡を濁さず、老婆老爺の後始末に、最後まで世話を焼かしてしまい苦笑しかない。
有難うございました。
<四ケ村溝の水車>
各アドホック・チームを見送り、レンターカーを返却した足で、竹中さんの愛車<三菱ZEO>60CC・1987製に乗って四ケ村溝(しかむらみぞ)の水車を見に行った。
これらの水車は、藩政時代、土佐藩奉行の野中兼山が井堰を造り、四万十川の支流後川の水を引き込んだ時、
この溝から水田に水を汲み上げるため多くの水車が設置された。
役割を終えた水車を溝に並べて、歴史資料として一般に公開している。
子供のころの昔懐かしい水車風景が、ここ四万十川支流の一つである後川(うしろかわ)の麻生(あそう)で見られるのである。
水車の側に停められた竹中さんの愛車の<三菱ZEO>のフォルムが、なお一層ノスタルジーをかきたてた。
四ケ村溝の水車 と 竹中さんの愛車<三菱ZEO>
600㏄・1987製<三菱ZEO>
<演劇鑑賞>
夜、竹中兄が応援する演劇鑑賞に、土佐清水まで出かけた。
大雨のなか、京都の家と四万十の現在の自宅の売買にお世話になったというマルケイ不動産の門田夫妻の運転する車に身をまかせてのドライブ、土佐清水市立市民文化会館に駈けつけた。
この夜は、幡多弁で演劇を盛り上げている地元の竹田モモコ演出の演劇<泳げない人たち>を観賞した。 その内容は、幡多弁演劇ユニット<ばぶれるりぐる>による人間の内面を探る問いかけであったと、鑑賞者として解釈した。 なぜなら内容は、鑑賞者個人にまかされた創作劇であるからである。
難解な筋書きで、座談会の後の質問受付で、小学4年生ぐらいの少年が質問した<結局、育てていたおりの中の動物は何ですか>との質問にすべての疑問が詰っていたと言っていい。実に理解不能な内容であったといえるのだが、この演劇そのものが、見る人一人一人の見方、感受性に任せる、理解させる<自由演劇>に属するものであったといえる。
演劇それは、<考える葦である>といっていい、無限の世界に招待してくれるからである。
竹中兄は、このような自由演劇はじめ、今までに関わって来た役者さん、歌い手さん、奏者さんたちに手を貸し、老いてなお経験豊かなプロデューサーの立場から、その経験をいかしてコミュニティーの地域起こしとのコラボに、心して手を差し伸べている。
それはすでに述べたように、やしきたかじん<ゆめいらんかね>の世界の招来にあるようだ。
■2024年10月28日 <四万十プロジェクト 6日目>
Ⅲ 《四万十川源流点を探訪せよ》
<四万十川遡上ツーリング~JR佐川駅前 総距離 241km>
四万十川河口 ➡(国道44号線 37km)➡ 西土佐・江川崎 ➡
(国道381号線 56km)➡窪川(道の駅 あぐり窪川) ➡
(県道19/県道378号線 42km)➡ 四万十川源流点 ➡
(県道378/国道197/国道56/国道494 45km)➡
JR佐川駅前ビジネスホテル泊
今日は、<四万十プロジェクト>後半に残していた<四万十川遡上ツーリング 四万十河口➡四万十源流点>を、道路100選に入る国道381号線を走るのだ。
昨日、みなを送り出し、もう一泊させてもらった竹中兄宅での、ゆっくり目の起床。
テント泊で濡れた衣服や、着たきり雀の汚れた靴下・下着などを全自動洗濯機で処理し、その四万十の洗剤の香が、帰宅していまなお鼻をくすぐり、四万十での仲間との温かい交流を懐かしんだ。
<同志社ローバー四万十宿泊所>ご紹介
竹中兄からも要望されている、現役ローバーの四万十での隊活動や、アドホック・チームとして自宅を利用してもらいたいとの願いにこたえるため、宿泊施設としての竹中宅を少し紹介しておきたいと思う。
現役ローバーの利用を期待したい。
各2ベットを持つ3室の寝室(6名)、もちろん寝袋持込の雑魚寝を含めると12~3名は収容可能である。 風呂シャワー室・ピアノバー・トレイニングルーム・大型冷蔵庫・冷暖房完備・広いキッチン・水洗トイレ2など、快適な合宿先として、またローバースカウト個人として<遠くへ行きたい>旅にもお勧めしたい。
使用後は、ローバーらしく使用以前よりも整理整頓・清掃・ベットメーキング・感謝に心がけることはもちろんである。
ツイン・ルーム 3
オーディオルーム シャワー風呂・洗濯室 キッチン
リビング兼ダイニング 四万十にある竹中さん宅 ピアノバー
<四万十幡多中村 出立の時>
われら<アドホック・ツ-リング・チーム>の足となって頑張ってくれているホンダ・スーパーカブ・プロ110<リトル・ローバー号>の点検も終え、エンジンも快調、ブレーキもオーケーである。
今日も<無理しない安全運転>が、老ライダーの最重要モットーである。
何度も復誦、言い聞かせてのスタートとなった。
竹中兄が日参する朝食の店<ポプラ>でお別れの味噌汁付きホットドック定食をいただき、オヤツにゆで卵と、<味劇場ちか>ご夫妻の差入れである仏手柑・ミニトマト・自家製ポン酢、それに竹中兄からのジャム類をスーパーカブの食料庫にしまい込んだ。
四万十の心温まる、愛情たっぷりなもてなしに、<リトル・ローバー号>上で、感謝の手を振りながら竹中兄とのしばしの別れを交わして、一路、沈下橋に立寄りながらの国道381号線の<四万十川遡上ツーリング>に、写真参加の吉村和馬君と共にスタートした。
しばしの別れ四万十幡多よ、兄貴よ!
Ⅲ 《四万十川源流探訪ツーリング 198km》
<ツーリング・アドホック・チーム・ミッション>
四万十川は、西日本最長の大河、不入山(いらずやま 標高1,336m)の東斜面に源流を発し、主な支流35、支流総数319、四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって太平洋に注がれている。
源流点から河口までの198kmをツーリング、その間四万十川の代名詞でもある幾多の<沈下橋>を訪ねた。
赤鉄橋通過 四万十市京町通り北上 四万十川<佐田の沈下橋>再会
蛇行を繰り返す清流 四万十川の絶景・国道441号線
四万十河口より2番目<三里沈下橋> 河口より3番目<高瀬沈下橋>
竹中さんお勧めの四万十川野外活動基地
キャンプ・サイトやカヌー・ベースの<かわらっこ>
いつかは、ここ四万十川リバーサイド・キャンプ場<かわらっこ>で同志社ローバー・キャンポリー実施を夢見ながら、先を急いだ。
河口より4番目<勝間沈下橋> 蛇行する四万十川の清流風景を楽しむ
四万十市をでて最初のスーパー(西土佐・江川崎) 向かいに<道の駅 よって!西土佐>あり
西土佐の三差路でR-441は左へ、四万十川遡上ツーリングR-381<土佐街道>は右へ
ここから日本国道百選<四万十川清流に沿う国道381号線>が始まる
<西土佐・江川崎>三差路
<ツーリング・アドホック・チーム>
『 ルート・マップ 』
<四万十プロジェクト>
清流の川幅も狭くなってきた(国道381号線より)
橋本保・生子夫妻経営の川船下り<かっぱ茶屋>
かっぱ茶屋名物うどん<かっぱうどん>
<四万十川名物 かっぱうどん>
「道の駅 とうわ」(十和)の西端に、四万十川の風景に溶け込んだ一軒の古木の切れ端で飾られた茶屋がある。 茶屋からは、食事をしながら、障子の間から四万十の清流がゆったりと流れる《君ヶ淵》が眺められる。
<かっぱうどん>のお品書きに、四万十川の清流の幸、それが何かわからないが興味を持った。
運ばれてきた鉢には、黄緑の少し太めの麺がトッピングの刻み胡瓜の緑とマッチングしており、「さて、このうどんの緑は何ですか」と、ご主人の橋本保さんに聞いてみた。
四万十の清流に育まれた「川のり」をうどんに練り込んでいると、おっしゃる。
それも四万十川特製として<四万十うどんかっぱ組合>が製麺し、販売しているという。
では、架空のはずの<かっぱ>は、ここ四万十川に実在したのですか・・・
・・・いや、実際は昔の人が<カワウソ>を<かっぱ>と見間違って伝えられたのでは・・・
でも<かっぱ>の神様が、この茶屋に<かっぱ大明神>として祀られ、縁結びの神として若い男女に慕われているという。
そのご神体が、河童そっくりだとおっしゃる・・・
四万十川の<君ヶ淵>にみられる深緑色のうどん汁
四万十川の<川のリ>を練り込んだ黄緑色の太めのうどん
かっぱの甲羅をイメージしたトッピングの胡瓜
祀られている縁結びの河童大明神
<かっぱうどん>をいただきながら、四万十川の住人である架空の河童さんに出会ったような、なんとも楽しいお伽の世界を垣間見たようなきがした。
ひょっとして、橋本さん夫婦が、人間の姿をした本物の河童だったのではないかと、<かっぱうどん>をいただきながら、空想の世界を楽しんだ。
かっぱ茶屋から<君ヶ淵>を眺める
縁結び<かっぱ大明神> <かっぱ茶屋>橋本保・生子ご夫妻
ひょっとしてお二人とも河童の化身かも
<かっぱ茶屋>は、<道の駅 とおわ 四万十>の西端にある
四万十川<君ヶ淵>
「壇ノ浦の戦いに敗れ、源氏の追討を逃れた平家の落人の一行が、野稲尻の奥に落ち着いた。その中の一若武者が、江川の里に降りて百姓となって暮らすうち、地の美貌の娘お君と深い仲となったが、階級の厳しい時代のため結ばれるすべもなく、前途をはかなんだ二人は暗夜この断崖に立った。お君は若武者の投じた石の水音を聞き、遅れてならじと投身し可憐な恋の花は一瞬に散った。
その後お君の怨念に悩まされる里人は、小祠を建て亡霊を慰めた。君が淵の絶景と悲恋物語を生んだこの地は四季折々里人の行楽の場となっている。」 (観光案内板より)
四万十川<君ヶ淵>
四万十川中流域の川幅は狭くなってきた 沈下橋も使われることなく損壊のままである
四万十川全長198㎞を示した案内地図
四万十川沈下橋を独り占め 四万十川沈下橋 老朽により人オンリー
<四万十川上流域 リバーサイド・ツーリング : 県道19号線>
国道381の終点<窪川>より四万十川上流域に向かって並走する県道19(北方)へ、ホンダ・スーパーカブ・プロ110<リトル・ローバー号>のハンドルを向けた。
ここからは四万十市を離れ、<高岡郡・四万十町>となる。
四万十川上流域に沿って北上する県道19号も細道となり、四万十の清流の景色にばかり目を向けずに、蛇行する四万十に沿う道路の前方からの車両にも気を配り、さらなる安全確認が必要なリバーサイド・ツーリング・コースとなる。
<四万十源流大橋>通過 大型ダンプも通行する狭い県道19号線
<四万十川上流域の長閑なリバーサイド・ツーリングの風景を楽しむ>
四万十川上流域の長閑なリバーサイド・ツーリングの風景を楽しむ
<四万十川源流点に向かう>
四万十川上流域に沿って県道19を走ってくると、国道197にぶち当たり右折する。 トンネルを越え最初の信号を左へ(角にコンビニ・ヤマザキ、源流点標識あり)。
あとは県道378に従い北上し、源流点標識に従って、四万十川最上流域である源流点へ向かう。
県道19よりのT字路・国道197を右折 最初のトンネルを抜けた信号を左折、県道378を北へ
角にコンビニと標識あり
県道378にある<四万十源流点>標識に従う
<四万十源流点に立つ>
四国一の長さを誇り、清流の大河として知られる四万十川の源流点に、今は亡き仲間 と、四万十プロジェクトを挟んで、ホンダ・スーパーカブ・プロ110<リトル・ローバー号>に背負われ、四万十河口をスタート、四万十川沿いの国道381号線<日本百名道>ツーリングを楽しんだ。
途中、四万十の景色<沈下橋>にも立寄り、人間の知恵と川のコラボの素晴らしさに声をあげたものだ。 清流四万十川は、川の支流を含めると40以上の沈下橋が存在する。 橋の多くは、現役の生活道として利用されているから頼もしい。
四万十川源流点は、四国山地、不入山(いらずやま・1336m)より沁み出る一滴が、大河となって、196kmの長旅を終え、太平洋と言う大海に注がれる。
四万十川物語の序章が聴こえくる源流点が、静かに私たちを迎えてくれた。
《清流の 暴れる川や 沈下橋 姿沈めし 忍者の如し》 實久
―せいりゅうの あばれるかわや ちんかばし すがたしずめし にんじゃのごとし―
《源流の 沁みる一滴 光り満ち 大海目指す 旅立ちの日や》 實久
―げんりゅうの いってきあふる ひかりみち たいかいめざす たびたちのひや―
県道378より源流点標識に従い左折、林道を走る
夢に描き、準備を進めてきた四万十河口よりスタートし、源流点にゴールするリバーサイド・ツーリング<四万十川全長198㎞>を走破したのだ。
その上、歩いて源流点にも到達できたのだから、喜びもひとしおである。
ツーリング・アドホック・チームのメンバー、吉村君、原付バイク<リトル・ローバー号>とも四万十川制覇の喜びを分かち合った。
<四万十川 源流の碑>前に無事到着 <四万十川 源流の碑>前で到着を祝う
四万十川河口より、四万十川源流までの198㎞を無事走破し終えた喜びは格別である。
ツーリング・アドホック・チームのミッション『四万十川源流点を探訪せよ』を成し地げるため、
ここ<四万十川源流の碑>より、不入山(いらずやま・標高1336m)中腹にある《四万十川源流点》へ
向かう。
ここよりは、登山用ストックを使っての登山である。
老人の足で約30分ほどのところにある《四万十川源流点》が迎えてくれた。
<四万十源流点へのトレッキング風景>
四万十源流点へのトレッキング風景
<四万十プロジェクト>ツーリング・アドホック・チーム 源流点に到達
<四万十川源流探訪ツーリング>
四万十川は西日本最長の大河、不入山(いらずやま 標高1,336m)の東斜面に源流を発し、主な支流35、支流総数319、四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって太平洋に注がれている。
源流点から河口までの198kmをツーリング、その間四万十川の代名詞でもある幾多の<沈下橋>を訪ねた。
リバーサイド・ツーリング<四万十川全長198㎞>を終え、四万十源流点にも立ち、その走破の喜びをかみしめながら、今夜の宿であるJR土讃線<佐川駅>前の、「ビジネスホテルかりえ」に向かった。
ツーリング・ルートとして、R-197・R-56・R-494を走って、宿泊先に到着した。
このコースは、前回の<坂本龍馬脱藩の道>のツーリング・コースと重なるので気は楽であった。
今回は、四国山地越えツーリングの出発基地としての佐川へのルートとしての走行である。
明日向かう四国山地に沈む、雨明けの夕焼け空の美しい雲模様に、思わずシャッターを切った。
しかし、今夜も明日の朝にかけて大雨が降るとの予報、ビジネスホテル泊となった。
明日向かう四国山地の美しい夕焼けだが、明日は雨模様との予報である
今夜の宿・佐川<ビジネスホテルかりえ>に到着した
■2024年10月29日 <四万十プロジェクト 7日目>
<四国山地越えツーリング 佐川~東予港 総距離 110 KM>
JR佐川駅前ビジネスホテル ➡(国道33/国道194~四国山地越え~国道11号線 110km)➡
<NHK朝ドラ『らんまん』の郷 佐川>
ここ佐川は、NHK朝ドラ『らんまん』、神木隆之介演ずる主人公 牧野富太郎博士の生誕地であり、いまでも生家や、実家の営んでいた老舗酒蔵も残っているから、写真を撮ってこい・・・という先週土佐観光に来たばかりの女房からのLAINが夜中に届いていた。
中国山地へ出向く前、忙しい朝一番、佐川の静かな旧街道に立ち並ぶ牧野博士の実家が営んでいた老舗酒蔵<司牡丹酒造>(前身・岸屋)や、牧野博士生誕の家を訪れ、どうにか写真に収めることが出来た。
これで牧野寅太郎ファンの失望した顔を見ずに済みそうである。
佐川の旧街道の早朝風景 老舗酒蔵<司牡丹酒造>(前身・岸屋)
佐川の牧野富太郎博士の生家前をスタートし、国道33号を東進、JR土讃線に並走し、伊野の
仁淀川橋を渡ったT字路を左折、四国山地入口となる国道194に向かう。
仁淀川橋を渡って国道194号線より眺める R-194(そらやま街道)よりの仁淀川風景
四国山地にかかる<名越屋沈下橋> 四国山地に向うリトル・ローバー号
小雨のなか雲海の四国山地に向かう(R-194)
四国山地の天王山<寒風山>手前で 四国山地の分水嶺<寒風山トンネル>を抜けて
<四国山地瀬戸内側 雲海紅葉ツーリング>
四万十プロジェクトの帰路、ホンダ・スーパーカブ・プロ110<リトル・ローバー号>に背負われて、雲海紅葉美しい四国山地越えのツーリングを楽しんだ。
土佐側の雲海の景色、伊予側の紅葉景色、石鎚山系にある伊予富士(標高1756m)を縫って走る山岳道路<UFOライン>として有名な国道197号線を走り抜ける約110㎞の絶景ツーリングである。
《四国越え 羽織る雲海 伊予富士の 紅葉化粧や ツーリング哉》 實久
―しこくごえ はおるうんかい いよふじの もみじげしょうや つーりんぐかな―
雲海に沈む中国山地 土佐側 紅葉に映える中国山地 伊予側
瀬戸内海にそそぐ加茂川の上流
四国山地伊予側 <加茂川上流の紅葉風景> 四国山地110㎞ツーリングを終えて
東予港・オレンジフェリー<えひめ>の前で
四国山地雨のツーリングで冷えた体を温めるため
フェリー出航までの時間を東予温泉で過ごす
<四万十プロジェクト>を終えた<ツーリング・アドホック・チーム>
左・吉村和馬君(写真参加)と東予港オレンジフェリー待合室で
同志社ローバーOGOB<四万十プロジェクト>
ツーリング・アドホック・チーム・ミッション終了を記念して
「味劇場ちか」 近藤 挌ご夫妻差入れの<仏手柑/直七とミニトマト>を
船内でいただき、<四万十プロジェクト>の成功を祝う
直七(なおしち)のことを、四万十では仏手柑(ぶしゅかん)とも呼ばれているという。
ご苦労さま!
一緒に走ってくれて、ありがとう!
相棒<リトル・ローバー号>も旅を終える
<オレンジフェリーえひめ>船倉にて
お疲れさま、楽しかったよ!
<ツーリング・アドホック・チーム>
『 ルート・マップ 』
<四万十プロジェクト>
■2024年10月29日 <四万十プロジェクト 8日目>
<大阪南港 ➡(国道1号線経由 総距離 95km)➡ 志賀の里 帰着>
老ライダー最後の願いの一つであった<ラスト・ツーリング>を、同志社ローバーOGOBの<四万十プロジェクト>にかこつけて、いまは亡き若きローバー仲間・吉村和馬君と共になし終えたことに感謝したい。
また、竹中兄はじめ、参加仲間や家族にも、老ライダーの危うさを心配してもらい、迷惑をかけたと深く反省するとともに、温かく見守っていただいたことに、こころから感謝している。
報告書をかき終えた2024年11月18日 志賀の里<早朝のびわ湖ー天使の梯子>
<四万十プロジェクト>を成し終え、帰宅して以来、19日目の志賀の里の朝を迎えている。
薄曇りの中からの一条の光が、暗闇を押しのけ徐々に帳の幕を押しのけにかかっている。
四万十川の朝靄の風景や、龍馬脱藩の道での張り詰めた空気、足摺岬での60年前の半裸のポーズ再現など、
四万十プロジェクトでのオールド・ローバーたちとの談笑の場面が、あたかも四万十協奏曲のように心地よく
流れ、懐かしく生き生きと瞼に浮かんできた。
バイク<リトル・ローバー号>の快適なエンジン音や響きが、いまなお体に沁みつき、青春の快走を楽しんでいるようである。 安全安心運転に徹してくれたリトル・ローバー号、君に感謝したい。
共に駈けてくれた吉村和馬君の尽きない爽やかな笑顔は、老ライダーを励まし、危なっかしい運転を諫め、最後まで身の危険から守ってれたことにただただ感謝している。
人生とは、仲間たちと奏でる心地よいクラッシックの響きのようなものである、と思える朝である。
感謝したい。
<四万十プロジェクト>を終え、老いてなお夢のツーリングにチャレンジできた幸せにひたっている。
志賀の里にて 2024年11月18日 早朝
後藤實久記(1960期生)
短歌集『四万十に集いて謳う』
―四万十中村幡多移住 竹中建三兄を訪ねる―
<四万十プロジェクト>
2024年10月26~27日
詠み人 後藤實久
《岬立つ 老婆老爺や 足摺の 青春宿る スクラム組みしや》
―みさきたつ ろうばろうじや あしずりの せいしゅんやどる すくらむくみし-
《想い込め 入野の浜に したためし あの日の一字 蘇りかりけり》
―おもいこめ いりののはまに したためし あのひのいちじ やどりかりけり―
《青春に 抱けし大志 こころ秘め 遠くへ行きたし 豊けき友と》
―せいしゅんに いだけしたいし こころひめ とおくへいきたし ゆたけきともと―
《輝きし 世の旅路をや 終える時 共に歌えや 青春賛歌》
―かがやきし よのたびじをや おえるとき ともにうたえや せいしゅんさんか―
《集い来て 幸せ分かつ 四万十の 味劇場ちか 青春謳いし》
―つどいきて しあわせわかつ しまんとの あじげきじょうちか せいしゅんうたいし―
《行けや往け 勇み立ちにし 足摺の 潮風優し 青春の友》
―ゆけやゆけ いさみたちにし あしずりの しおかぜやさし せいしゅんのとも―
《それぞれに 彷徨い歩く 人の子ら 幡多に集いて 絆深めし》
―それぞれに さまよいあるく ひとのこら はたにつどいて きずなふかめし―
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ツーリング資料>
■ ホンダ・スーパーカブ・プロ110 1L当たりの走行距離
総ガソリン量・総額 15LX平均@178=2661円
四万十プロジェクト ツーリング総距離 832km
1L当たりの走行距離 56km/L
■<四万十プロジェクト>行程表 (by Touring AdHoc Team)
2024《星の巡礼 四万十プロジェクト》行程表 10/23~10/30 | |||
日程 | スタート | 経由ルート | 経由地・ゴール・距離 |
1日目 | 志賀の里 |
R-旧161 大津➡R-旧1 伏見-守口-梅田➡R26 玉出西へ➡ ➡大阪南港
|
フェリーターミナル 95km ▼フェリー船中泊 |
2日目 | 新居浜・東予港 |
➡R-11 松山 31km➡R-378 伊予長浜46km➡ 伊予長浜港<竜馬脱藩の出航地> |
伊予長浜港 77km |
伊予長浜港 |
➡K-24 大洲➡K-232➡R-197 大洲北 55km➡ 梼原(ゆすはら)<竜馬脱藩の道・中継地> |
梼原ゆすはら 55km | |
▼ライダーズイン泊 | |||
3日目 | 梼原ゆすはら | ➡R-197/56/494➡佐川56km | 龍馬の道<朽木峠>迂回 |
<竜馬脱藩中継地> | 56km | ||
佐川 | ➡R-33➡高知<坂本龍馬誕生地> | <龍馬脱藩の道>ゴール 28km | |
高知<坂本龍馬誕生地> | ➡R-56/K20 四万十川河口<キャンプ場> 112km | 四万十川河口 下田港 112km | |
▼<とまろっと>キャンプ場泊 | |||
4日目 | 四万十川河口 下田港 | ➡K20四万十市中村桜町 8km | <味劇場ちか>全員集合 8km |
四万十プロジェクト➀ | <味劇場ちか10260700に集合せよ> | ▼<竹中建三氏宅泊> | |
5日目 | 四万十プロジェクト② | レンターカーによる足摺岬周遊ドライブ | |
足摺岬・ジョン万次郎生家&記念館・竜串海岸・入野海岸・赤鉄橋 | |||
ミッション解散後ー安並水車・幡多弁劇賞 |
▼<後藤、竹中宅連泊> |
||
6日目 | 四万十川河口 | <四万十川ツーリング>四万十河口~源流点 | |
➡四万十川河口➡R-44 西土佐・江川崎 37km➡ 窪川➡R-381 56km | |||
窪川➡K-19/K-378 42km➡四万十源流点 | 196km | ||
四万十川源流点 | ➡R-56/R-494 45km➡JR佐川駅 | ▼<ビジネスホテルかえり> | |
7日目 | 佐川駅前ビジネスホテル | ➡R-33/R-194~四国山脈越え~R-11西条 110km➡ | 新居浜・東予港 (船中泊) 110km |
▼<フェリー船中泊> | |||
8日目 | 大阪南港 | ➡国道旧1経由➡志賀の里 | 志賀の里ゴール 95km |
総日数・総距離 | 後藤實久&吉村和馬チーム |
《星の巡礼 四万十プロジェクト》 ツーリング・アドホック・チーム |
7泊8日 / 総距離 832km |
Scheduled by Sanehisa Goto
2024『星の巡礼・四万十プロジェクト』
―同志社ローバーOGOB<四万十プロジェクト>報告書―
―老ライダー最後のツーリング記ー
完