2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』Ⅰ
五大陸最後の南アメリカ大陸を約4か月かけて一周した。
『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』 の第一歩は、ペルーからである。
ペルーの首都リマを発ち、ナスカの地上絵を空から眺め、マチュピッチュ遺跡に立ち、インカ道の一部を歩き、クスコから平均標高3600mのアンデス山脈を横断し、ティティカカ湖の葦船(トトロ)で遊び、ボリビアの首都ラパスに向かう。
背後のワイナピッチュとマチュピッチュ遺跡を背景に
ペルーでは、至る所でアンデスの民族衣装に身を固めたご婦人たちの陽に焼けた笑顔に囲まれ、きな臭い世界情勢とは縁のない牧歌的であり、平和な暮らしに浸らせてもらった。
南アメリカ大陸一周ルート図
南アメリカ大陸は、なんといっても広い。
ラテンの国々ならではの色々な出来事や、人々、食文化、習慣に出会って来た。
途中、月の砂漠と言われれるほど過酷なパタゴニア縦断、南米最南端ウシュアイアでの南極大陸への寄り道、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでの盗難遭遇、アマゾン川遡上による船上生活でのロマンと、楽しくも多難な旅であったが、つきない思い出が蘇ってくる。
人を寄せつけないチリ―側パタゴニアの氷河の流れ込む風景は、後日船で北上したときの旅日記やスケッチでもって紹介したいと思っている。
南米大陸一周の旅のスタート地点となったペルー、<インカ&アンデス>のスケッチをもって紹介することから始めたい。
《 インカ&アンデス スケッチ集》
旅日記のノートに画き込んだ挿絵や、座り込んで描き上げたスケッチ(水彩画)である。
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ①
Monkey/猿 Condor/コンドル
Iguana/イグアナ Spider/蜘蛛
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ②
Frigate Bird/軍艦鳥 Humming Bird/ハチドリ
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ➂
Lizard/トカゲ Hand/手
Tree/木 Dog/犬
Fish/魚 Root/根・脚
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ④
Astronaut/宇宙飛行士 Parrot/オウム
Tree/木 Whale/クジラ
インカ 太陽の神殿と祈祷師
マチュピッチュ博物館
インカ道トレッキング線路跡ルート立体図
<アクア・カリエンテス駅⇔マチュピチュ博物館>
ペン画 <ワイナピッッチュを背景にしたマチュピッチュ遺跡>
約500年間眠り続けたマチュピッチュ遺跡を見守り続けてきたワイナピッチュ
Weinapitchu who has been watching over the Machu Pitchu ruins
that have been sleeping for about 500 years
水彩画/Water Color Paint
Sketched by Sanehisa
2007/01/26 12:52am
ウルバンバ川下り<ラフティング> クスコ近郊
Rio Urubamba River-Rafting near Cusco
水彩画 Water Color Paint
Sketched by Sanehisa Goto
2007/01/28 11:30am
Cusco
the capital of the Inca Empire (elevation 3400m)
水彩画 Water Color Paint
Sketched by Sanehisa Goto
アルマス広場の民族衣装の夫婦(旅日記挿絵クスコより)
雪をかぶるアンデス越えのペルー国鉄/Peru Rail の観光登山列車
アンデス山脈最大標高4319mを通過中
Peru Rail Sightseeing Mountaineering Train Across Mts. Andes
水彩画/Water Color Painting
Sketched by Sanehisa Goto
2007/01/29 10:28am
アンデス越え列車で同席のステファイン/Stefaineの自画像
列車で仲良くなったイタリアからのRevelちゃんとの共同お絵かき
アンデス越え列車の窓から(旅日記の挿絵より)
フリアカ/JULIACA駅車窓よりアンデスの峰を望む(日記挿絵より)
ワルカワル山6025mを背景にたたずむ修道院
コルカ渓谷 アレキパ
ティティカカ湖ウロス島 葦(トトロ)でできた湖上生活村
Islas los Uros/Lake Titicaca
水彩画/Water Color Paint
Sketched by Sanehisa
2007/01/30 10:32am
旅日記に描かれた葦船とウロス島のスケッチと詩
2007/01/30 10:46am
インカ伝承の葦船を漕ぐウロスの女性 (ティティカカ湖)
タキーレ島/ Isla Taquile ・ティティカカ湖/Lago Titikaka 満月の夜空
02:23am Jan.31 2007
Sketched by Sanehisa Goto
ルシアさん作品のインカ帽(ティティカカ湖・アマンタニ島)
アマンタニ島青空市場/Amantani-Mercado(ティティカカ湖)
アマンタニ島の化石とお花 (ティティカカ湖)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』
Ⅰ《 ペルー : アンデス越え 》
ペルーの首都リマを出発し、地上絵が待つ世界遺産ナスカに向かいたい。
■ 1月22日
夕方、成田国際空港からアメリカンエアー#1904便で、シカゴ、マイアミを経由し、リマ国際空港に翌朝(1月23日)05:30に到着。
機中では、隣席に訴訟関係の仕事のため家族と共にニューヨークに向かう弁護士とご一緒して、懐かしいブロードウエーやハロウインの話に花が咲いて退屈どころではなかった。
カナダのウイニペグの上空、外気零下51℃の11887m上空を972km/hで、シカゴに向かって順調にフライト中、あと1時間で着陸するとの、機長からのアナウンスが流れた。
着陸前に出された機内食のメニューは、チキンマカロニ・グラタン、稲荷寿司、グリーンサラダ、モナリザケーキ―、パン、アップルジュース。
機内食は、バックパッカーにとってフライトの楽しみでもあるのだ。
神は、天地の営みもお創りになった。
シカゴ国際空港で、日本で味わった厳かな夕陽をもう一度拝むことになった。
時間を逆行して、いやタイムトンネルをくぐりぬけて一日に二度夕陽に出会うのだから旅は愉快である。
一枚のナイロン袋が、降り立つシカゴ・オハラ国際航空の滑走路に、風に舞って、さまよう姿が印象的であった。
これまた、自分が認識しなければ、ここがシカゴであるという意識は持てないのであるから人間の思考は不思議である。
目を閉じて、おのれの中の宇宙に入るならば、その時、おのれ以外の世界は無となり、かき消されてしまうということかもしれない。
マイアミの街の闇に浮かぶ灯火の美しいこと、ライブハウスの不夜城のようである。
乗継で、フライトが変わると乗客の表情をはじめ、肌の色や、言葉もすべての雰囲気が変わる。
食事も民族食に変わり、機内が行き先の国の料理に変わるからこれまた愉快である。
先進の文明都市から離れるにしたがって、人々の笑顔に何とも言えないぬくもりと、人の良さが加わり、フレンドリーな雰囲気が機内に広がるのも楽しい。
これより乗継のマイアミから、ラテンの世界に入るのだ。
機内は陽気な笑いに包まれ、スペイン語が充満しだした。
▼ 1/22 機中泊
■ 1月23日
機内の様子に、心豊かに過ごしていると、いつの間にかペルー・リマ国際空港に滑り込んだ。
いよいよ南米一周の旅の始まりである。
朝5時30分、闇に包まれたリマ国際空港に到着、外気は24℃、生暖かい風が容赦なく顔に吹き付けてきた。 日本からのフリースにパッチ姿に、汗が噴きだしてきた。
1月、ここ南米は真夏であるのだから当然である。
まずはリマ国際空港で両替・衣替えである。(とりあえず100US$を330S/ソルに)
すでにリマには二度来ていた。
どちらもマチュピチュ観光のためであるため、リマはスルーが多く、残念だがこの旅もナスカへバスで直行することになっている。
空港の外に出て、バスターミナルに向かうのだが、荒っぽい街並みは、いつ来ても驚かされるのである。
だだっ広い道路に、大きなロータリーが沢山あり、必ずと言っていいほど青銅の銅像が建ち、一体自分がどこにいるのか判然としないのである。
街そのものもおおきく、歩いて目的地につけそうもないので空港からバスターミナルまでタクシーに乗った。
16年前の訪問時に比べ、リマ国際空港は新築、欧米の空港と変わらぬ立派ないでたちで迎えてくれた。
しかし、一歩空港の外に出ると相変わらずのぼったくりタクシー、客と運転手の駆け引きが始まる。
南米の生活文化には、2年程のブラジル在住があり、慣れているので驚きはしないが、これからの3か月におよぶ南米一周の旅、いろいろなアクシデントがあろうことは覚悟しているつもりである。
バスターミナルに向かうタクシーで、最初のアクシデントが起こった。
最初の交渉で、25(Sol/ソル)だと言って客引きしておきながら、客になったとたん前払いで25(US$)払えという。
世界どこへ行っても起こるトラブルの一つで、こちらは慣れていたので、さっさとタクシーから降り、行きかかりの乗合バスに飛び乗ってしまったものだから、カモを逃した運ちゃんは、帽子をたたきつけて起こっている様子が見て取れた。
<バスでナスカに向かう>
リマ空港から09:00発のナスカ国際バスで(@80Sol)、約7時間かけてナスカに向かう。
最新型デラックス・バスで、トイレ付二階建ての快適なバスだが、長時間フライトの疲れか、ほとんど居眠り。
<NAZCA Expresso International>
Lima 09:00 Depature ➔ Nazca16:00 Arrived Seat# 03 Royal Class @80sol
バスに乗る前に腹ごしらえ、物価を知るためにも朝食をとることにした。
<ケチャップ・カラシ・マヨネーズ入りホットドック、アメリカン珈琲付き>とランチ用<ミックスサンド>の合計が10Sol、それにミネラルウオーター1本が1Solである。
ナスカへの超デラックス・パノラマバスは、南米時間なのであろうか1時間遅れである。
シカゴからの青年とお互いの旅行計画を披露しあって時間を過ごすが、乗客も運転手ものんびりしたものだ。何の遅延理由のアナウンスもない。これが南米のノンビリイズムである。
世界を旅していて、ここ南米も独特な人間性からくる行動表現がある。
ラテンなる人種は、まず何をおいても人生を謳歌する。アルゼンチンのタンゴがラテン文化のシンボルであるように、男女の絡みを表現するのが巧みである。
ブラジルのカーニバルもまたラテンを代表する表現方法である。肉体をさらし、肉体で表現することにラテンの情熱を見て取れるのである。
リマ➔ナスカ行バス路線図
立寄り地で見られる茹卵売り
ここバスターミナルの周辺の街角にも、屋台が立ち並び、肉スープに焼トウモロコシを入れたものや、小麦粉を延ばして焼き、その中にいろいろな野菜やチキンを巻いたものなど、朝食として繁盛しているようだ。
バスの中から「Inca Farm」という看板を見つけて、今いるここがインカの中心(ヘソ)であることに気づかされた。
太陽は、ここインカを中心に輝いたのだという。
バスの周りに集まる売り子たちの顔をみていると、インカの末裔たちをみているようである。
<砂漠の中の世界遺産>
バスがナスカに向かって南下するにつれ、木一本生えていない灰色の砂岩の山が左手車窓に延々と続く。
パンアメリカン・ハイウエーに沿い村に植えられた木の緑が、砂漠に咲く緑の花のように見えてくるから不思議な光景である。
このペルーの太平洋岸地帯は、かって旅したイスラエルの死海周辺と同じくほとんど雨の降らない乾燥地帯である。
先ほど見た村々の樹々もまたそれぞれにチューブで水を引き、散水して育てている。
この乾燥により、これから向かうナスカにも乾燥地帯がもたらした地上絵という素晴らしい遺産を残してくれている。
死海の周辺からもその乾燥地帯がゆえに、あの有名な<死海文書>が発掘されている。
また、シルクロードで出会ったミイラ<楼蘭美女>も、乾燥が残した歴史的遺産である。
乾燥とは、文明の形をそのままの姿で後世に残す要素を秘めているのである。
ここナスカは、その乾燥がゆえに<ナスカの地上絵>を残してくれた。
太平洋から吹き上げる潮風が砂を巻き上げ、不毛の土地を創り出している。
人はその無限に広がる砂という空間に、道標として白い石を並べて、わが道を見分けたのであろうか。
この乾燥した炎天下の砂漠を、リマ方面へ向かって一台のマウンテンバイクにまたがった孤独と戦うサイクリストがいる。
次なる緑のオアシスに向かってペダルを踏んでいると思うと、若者の挑戦にただただ頭が下がり、バスの中から合掌して見送った。
緑のオアシスには、トマトやトウモロコシ、ジャガイモ、綿花が育っていたのには驚かされた。
この乾燥しきった土地に生きる人々は、日々何を思い生きているのだろうか。 過酷な大自然の現実に逆らわず、神に祈り、神を信じて生きる姿が、オアシスに住む人々の顔に現れているような気がする。
ナスカの乾燥地帯 砂地平原と丘陵が太平洋岸を南北に横たわる
<ナスカ・ホテル>のシンボルマーク 地上絵ハチドリ
このインカの地に流れる時間に沈み、インカの匂いを嗅ぐとき、インカの子孫の歩みの速さが分かるような気がする。
慌てず、人生をゆっくり歩んでいるおのれをここナスカで見つけて安堵の中に沈んだ。
モーセがさまよったシナイの砂漠や、イエスが試された荒野もまたナスカのような砂地であった。
もし一人でこのような砂地で生きなければならないとしたら、やはり神にすがるしか生きる道はないんだといわざるを得ない。
バスは、6時間ほど走ってナスカ地方に入った。
少し赤みのかかった砂でできた山並みが、無言で沈黙の中に横たわる様は、まるで仙人のように見えてきた。
この様は、どこかで出会った気がした。 それはモロッコのアトラス山脈で出会ったベルベル人の解脱した老人の沈黙に似ていた。
ナスカの街角 清掃作業
ナスカの街角 三輪車による露天商
ナスカの街中に地上絵シンボルマークが溢れる
バスは、午後5時ごろ、ナスカ・セントロに到着した。
ここは憧れの世界遺産である。
<ナスカの地上絵>を見るべく、さっそくホスタル(ホステル)に荷物をおき、セスナ機に乗って地上絵観賞をするため、近くの旅行社で予約を済ませた。
街には、地上絵の街らしく至る所に地上絵ポスターが貼られ、観光客の興奮度をいやがおうにも高めている。
ナスカ地上絵空中遊覧地図
ナスカでは、3日間ナスカ・セントロの西側にあるゲストハウスPosada Guadalupe/ポサダ・グアダルベに宿をとった。
夕方、バスで隣席だったシカゴからのバックパッカー、ピーター氏(44歳)と、ナスカの街を散策。
クスコ行きを運行しているバス会社 Curz del Sur社で時刻と料金を調べ、近くのスナック<Grand Pyy>で二人の南米旅行の無事を祈って乾杯をした。
▼1/23~24 ゲストハウス Posada Guadalupe/ポサダ・グアダルベ
シングルルーム1泊@12S/4US$
バックパッカー御用達のホステルで、扇風機もないシンプルな部屋だが、
リーズナブルである。
クスコ行きなど長距離バス乗り場や、Curz del Sur社のバスターミナルに近く便利。
■ 1月24日 クスコ滞在2日目 快晴
<セスナ機で見る 世界遺産・ナスカの地上絵>
ナスカ一面に広がるパンパ(砂平原)に、インカ時代にも輝いたであろう朝日がゆったりと、時間を忘れたような顔を地上に出した。
絶好のナスカ地上絵フライト日和である。
2~3人乗りセスナ―(@60US$)による約35分間の天空からの地上絵鑑賞の遊覧である。
パイロットと2人の乗客だけで、リクエストによって地上絵近くまで低空飛行、地上絵の説明も詳しい。
ナスカのパンパは、山の上(高原)に広がる平らな大地が地の果てまで続くように見える。
標高600m付近から緩やかに傾斜し,標高400m付近で太平洋に向かって崖状に終わる台地なのである。
ナスカの地上絵とは、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠の地表面に、地表の砂利を取り除き、砂利の色分けによって描かれた幾何学模様や動植物の絵の総称であり、古代ナスカ文明の遺産である。
大空から見るナスカの地上絵は、砂漠状の大平原に思ったよりも小さめに、ひっそりと描かれている。
無数なる直線の交叉、デルタの幾何学模様は、どこか宇宙の航空基地にやって来たみたいである。
ただ、セスナ機での地上絵を鑑賞する前に、地上絵の飛行順路と、その地上絵のイメージを頭に叩き込んでおくことをお勧めする。 セスナ機の速さでは、ゆっくりと観賞するところではないのである。
それも高度があり、どうしても小さく、線の細さからくる形状の不明確さ、不明瞭さから判読するのがむつかしいからである。
セスナ機から撮った写真を見ていただければわかるというものだ。 写真からも、はっきりした地上絵を認めるのはなかなか困難であると言わざるを得ない。
セスナ機による遊覧ルート図<ナスカの主要地上絵>
いざ離陸、こころ高鳴る<ナスカ地上絵空中遊覧観賞>
地上絵クジラがあるというが・・・中心の少し右上にある・・・確認に時間がかかるのである
<巨人>の地上絵・・・宇宙人にも見える、小さい地上絵が右下にある
<ハチドリ>の地上絵・・・真中に小さく薄く見える
< 地上絵 幾何学的直線模様>・・・延々と延びる月面宇宙基地のようだ
パンアメリカン・ハイウエー沿いに建つ<地上絵ウオッチタワー> (ミラドール/観察搭)
ミラドール周辺にある「手」「木」「トカゲ」の地上絵を見下ろす事ができる
空からはそれぞれが判然としないことが分かる
<セスナ機から見たナスカの地上絵スケッチ>
乗ったセスナ機は4人乗りで、まるで軽自動車並みの狭さながら、力強く機体を震わせながら、左右に大きく傾けて、われわれに地上絵を見せてくれた。
写真集で見た地上絵に比べ、思ったより小さい印象だ。
すでに朝8時を過ぎていた関係か、光と影が溶け合って、地上絵を確認するのに手間取る始末。
手に持った手帳に、目を凝らして確認した砂絵(地上絵)を、残像をたよりに描き上げてみた。
数多くの写真集や、DVDからナスカの地上絵の映像や情報を得ていただけに、その神秘的な作品をいま天空から眺めているのだという興奮を、なかなかおさえることが出来なかった。
地上絵が、宇宙と交信するための絵画絵文字と思い込んでいたが、空から眺めてみて、その一つ一つの絵文字があまりにも小さく、交信手段としては、その役割を果たしえないのではということに気づかされた。
セスナ機で、わずか数100mの高さからでも、地上絵の存在を確認するのに手間取ったからである。
ましてや何百光年先の星からこの地上絵を見つけることは不可能であろう。
一つの夢は遠のいたが、ここ乾燥地帯に住んでいたインカの人々にとっての現実的な雨乞いの儀式としての天への祈願のコミュニケーションとして地上絵は大きな役割を果たしたような気がして安堵した。
宇宙人と言われる地上絵など、猿人にも見えるし、飢餓で亡くなった人々のミイラのようにも見えてきた。
インカには、水の神や、水の神殿があったように、ここナスカの乾燥した地でも水は神であったに違いない。
あくまで私見だが、雨乞いの儀式において、神にささげるために巨大な地上絵を描いて、生贄としたのではないだろうか。
セスナから目に入った幾つかの地上絵をスケッチしてみた。
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ①
ナスカの地上絵<NAZCA LINS>は、今から68年前の1939年、考古学者ポール・コソックによって、飛行中に発見された。
この地上絵は、プレ・インカ300BC―700ADに描かれたと推定されている。
地上絵は、直線・三角形の図形が最も多く、動物・魚・虫・植物や抽象的な宇宙人など多岐に渡っている。
ただ、なぜ描かれたかはいまだ不明であり、謎として多くの人に夢を与えている。
また、地上絵がかき消されずに残っているのは、雨がほとんど降らない乾燥地帯であり、地表の砂や石が現状を維持し続けているからだと言われている。
大きなキャンバスに描かれた地上絵がこれからも残り続け、人にロマンを掻き立て続けることは確かである。
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ②
ナスカの何と熱い、暑いことか。 汗が噴き出て、背中を流れ出す。
日本だったら、アブラゼミやミンミンゼミが泣き叫び、その暑さを和らげてくれるのであるが、ここナスカはその蝉一匹でさえ存在しないのである。
ただただ静寂のなか、熱砂を甘受している乾燥の地である。
セスナ機による地上絵鑑賞を終え、必死に手を動かしスケッチしたせいか、空腹を覚えた。
ナスカの街角にある中華料理店を発見、野菜たっぷりのチョウメンと焼き飯にワンタンスープを注文。
この暑さからくる体力消耗の回復のためだと、バックパッカーとしては大奮発の昼食である。
紀元前600年のナスカの地上絵と、同じく紀元前4000年の歴史を持つ中華料理、なんと素晴らしい文明のコラボであろうか。
中華料理店内の壁に<人生、時間はあまりないのだから悠々と生きろ>という四字熟語なのだろうか、『余裕年年』という毛筆の額が掛かっており、 窓越しの坪庭には、庭一面の池に9匹の鯉が悠々と泳いでいた。
旅をしていると、思いがけない人生訓に出会って、おのれを省みることがしばしばである。
昼食後、インターネット・カフェーから、留守宅に現在地と、スケジュールの修正や健康状態を送信するとともに、旅日記に書きなぐったペン画に色を塗ってみた。いや、色をぬって形や姿を浮き立たせてみた。
ナスカ地上絵の天空からのメモリースケッチ➂④
宿泊先ゲストハウス<Posada Guadalupe>のエントランスで
ゲストハウスのパティオ・中庭に真赤な花を咲かせている樹にぶら下がる餌箱に、群がり来るカラフルな熱帯鳥を見ながら、うつらうつらと舟をこぐ様は、平和そのものである。
あまりの暑さに、水シャワーを浴び、椅子にもたれ、流れゆく雲を見つめているここがナスカの地であることに、贅沢を満喫している自分がいるのである。
いつしかナスカの地上絵であるコンドルにまたがってアンデスの山々を飛翔する自分を夢の中に見ていた。
リマから一緒だったシカゴ男 ピーター氏とは、このナスカ滞在の2日間行動を共にした。
彼は独身で、シカゴで3人の友人とアパートメントの1部屋をシェアーして、それぞれに助け合って生活しているということである。
仕事は、その都度行い、お金がたまると世界を旅してまわっているという。
彼を見るに、協調性はあるが、拘束されたり束縛されるのを嫌い、ビールとオートバイに目が無いようで、嫌みの無い青年である。
ただ、44歳まで独身であるという彼とのゲストハウスでの同室は、やんわりとお断りしたものだ。
ナスカの八百屋
セスナ機でのナスカ地上絵を堪能したあと、中華料理で栄養補給、夜ナスカ発の夜行バスでクスコに向かうことにしている。
🚐移動 <ナスカ 1/24 11:00pm ➔ クスコ1/25 11:30am>
夜行デラックス・バス 標高差3400m 所要10時間 44US$
▼1/24 夜行バス 車中泊
夜8時にナスカを出発する夜行バスは、3400mの高度差を、10時間かけてアンデス山脈を駈け上り、翌朝インカ帝国の首都であったクスコに到着する。
太陽の街クスコ、何年ぶりの再会であろう、楽しみである。
クスコ行バスの出発も、南米タイムらしく1時間半の遅れである。
現地のペルー人は、遅延もまた生活タイムであり、にこやかに、穏やかに何の疑いや、怒りもなく待つことが出来るのである。
旅上手の秘訣は、<郷に入れば郷に従え>に限ると言っていい。
ナスカよりアンデスの山を喘ぎながらバスは、いくつかの元インカ村を通って、標高3400mにあるクスコに向かう。
真夜中であるが、村を通過するときは、インカ時代の石道路と思われるデコボコ道に入るので、その振動で目を覚まされるのである。
バスの窓を開けてアンデスの風に吹かれながら、深い眠りについているインカの子孫の家々から漏れ来る灯りを見ているだけで幸せな気持ちにさせられる。
この地にインカの人々は何を求めて住みついたのであろうか。
文明が豊かな地に栄えたとしたら、インカ文明は宗教的な求めからこの地を選んだような気がしてならない。
このアンデスの山を見ていると、自然の営みの偉大さに心打たれる。
何千年もかけて造りあげられた今あるこのアンデスの村に、インカの子孫が住みついていると思い浮かべるだけで興奮して眠れずにいる。
乗客の安眠を妨げないように、バスはアンデスの山をゆっくりと上っている。
アンデスの稜線に、永遠に変わることのない三日月が顔を出し、南十字星が輝いている。
静かに眠るアンデスの山中に、わたしは今いるのだ。
■ 1月25日 クスコ到着
アンデスの山中に点在する素朴な家から朝餉の煙が立ち、変わることのない歴史の中の1日が始まったようである。犬も酸素が薄いのか、ノロノロの歩きのようだ。 猪豚が道路をよぎっている姿はアンデスらしい長閑さがある。
素朴な村の様子から、インカ末裔の生活の匂いが染み出てくるようだ。
<VIA LIVRE>村を07:15に通過。
長距離夜行バスでの朝食が配られた。 <ハムサンド・クッキー・コーヒー>、朝食を抜くこともあるバックパッカーにとっては有難い配給である。
どこまでも続く豊かな、丸みのあるペルー・アンデスの山並みがつづく。
インド北東部にあるインパールに向かう風景に似ていることに想いを馳せながら、高度順応のために呼吸を整え始めた。
のどかなアンデスの山々に住みついたインカの子孫たちが、感謝のフォークレルを奏でているのであろうか、心和ませる村々の生きいきした生活が車窓から見てとれる。
太平洋岸の乾燥したナスカのように、人を寄せ付けない自然の厳しさと比べて、ここアンデスの山にある村々には花が咲き、穀物が獲れ、小川が流れ、木が茂る様は楽園と言っていい。
アンデスのご婦人たちは、実によく働く。 女性としての美しさを表に求めることなく、女性としての役割を果たすことによって女性の価値を現わしている。
彼女たちも、女性としての美しさを求め、願っていることは、世の女性と変わることはない。それは民族衣装のカラフルさや帽子に見てとれる。
アンデスに想いを馳せている間に、昼前11時30分、海抜(標高)3400mにあるインカ帝国の首都であったクスコにバスは滑り込んだ。
<▼クスコ ペンション花田/Pension Hanada>
Calle Ese 343, San Cristocal, Cusco
ドミトリー@5US$
ナスカからのCruz del Sur社の長距離夜行バスは、クスコ南東部にあるプーノ発着列車駅<ワンチャック駅>近くに到着する。
ナスカからの夜行バスは、 プーノ行発着列車駅<ワンチャック駅>近くに到着する
クスコの山手にある<ペンション花田>へは、Cruz del Sur社のバス停から無理せずタクシーを利用(5Sol=1.7US$)することにした。
日系のオーナーに迎えられクスコ滞在中のベースキャンプとして投宿することになった。
山手にあり静か、広々とした中庭に面したドミトリー(3人部屋)には、同宿者はおらない様子。
短パンに着替え、長距離バスでの疲れをとるためくつろぐことにした。
ペンション花田にて(クスコ)
<世界遺産 クスコの街散策 ー 旧インカの首都>
部屋に置かれたウエルカム・ミントであるコカの葉を一枚口に入れて、久方ぶりのクスコの街に繰り出した。
コカは、高山病を予防する効果があるようである。
クスコには3度目の訪問である。
初回は、1990年、チベット(標高3700m)、ラサでの高山病を体験したあと、ここクスコ(標高3400m)を訪問しており、2回目は、3年前の2004年ブラジル訪問前にマチュピッチュ観光時、ここクスコに滞在している。
今回は吐き気がし、頭痛を伴う酸欠の高山病の症状を呈しなかったが、前2回は高山病の症状に悩んだものである。
高山病は、その体験回数により症状がやわらぐと言われている
クスコの中心は、アルマス広場周辺と言っていい。 アルマス広場は<ペンション花田>から徒歩10分ほどのところにある。
インカ道トレッキングを扱う旅行社や、インカ博物館、レストランや土産物屋、スーパマーケットにゲストハウスなどが立ち並んでいる。
日本料理店<金太郎>はアルマス広場の南にある<レゴシホ広場>近くにある。
世界遺産クスコの石畳みの坂
標高3400mにある坂の街クスコ<インカ帝国の旧首都>
クスコで見られるインカ(13世紀)の幾何学的石組
剃刀の刃でさえ差しこめない隙間で有名
<世界遺産 赤い屋根と白い壁で埋め尽くされたクスコの街の景観>
コロンビア南部から、チリ―北部までの約4000kmにわたるアンデスの広大な山岳地帯を支配したインカ帝国。 太陽神を崇めたインカ歴代の居城を構え、インカ帝国の首都としての機能を果たしたのが、ここクスコである。
インカ道が、帝国領土内をくまなく結び、物資や情報がここクスコに集積された。
ここクスコは、インカ帝国の首都、ヘソとして重要な位置を占めていたのである。
太陽神を敬い、祭祀していたインカは、ここクスコを太陽神崇拝の地として黄金で飾り立てていた。
スペイン侵略は、この黄金略奪にあったといわれる。
クスコは、スペインの侵略以降、カトリック布教を中心にスペイン風街づくりがすすめられた。
インカ文化は、コロニアル文化と混ざり合い、独特な融合文化を生み出している。
一度訪問すると決して忘れることのできない街として記憶に残るのである。
<ペンション花田>の窓から見られる眼下のクスコは、赤い屋根と白い壁のファンタージーが漂い、詩情あふれる街並みが目に飛び込んでくる。
世界遺産クスコの白い壁の景観がまぶしく、美しい
世界遺産クスコの赤い屋根の波に圧倒される
ここクスコに、日本料理店<金太郎>がある。
つい立寄り、好物のカツ丼と味噌汁を注文、就職前の3か月におよぶ卒業旅行中の日本青年と同席、夢を語ってくれた。
旅は、いつの時代も人生に潤いを与え、夢を語り、軌道を修正し、反省し、希望を充電する道場でもある。
クスコの街を散策したあと、近くのスーパーに立寄り、クスコ産インカ赤ワインとソーセージ缶とオリーブを手に入れ、マチュピッチュへの準備のための熟睡に備えた。
■ 1月26日 朝方大雨のち曇り
ここアンデスの山岳地帯に雷を伴う大雨が降った。
同じペルーなのに、太平洋岸の乾燥地帯で雨のほとんどないナスカを見ているだけに、この雨量の多さには驚かされた。
この雨は、ウルバンバ川を下り、マチュピッチュの山麓を縫ってアマゾン川に注ぎ込むのである。
ペンション花田からの詩情溢れるクスコの街は素晴らしい 二景
<クスコ⇔マチュピッチュ 観光登山列車>
マチュピッチュ行のペルー鉄道/Peru Trainは、クスコのサンペドロ駅を定刻通りにゆっくりと出発した。
5分ほどでスイッチバックが始まる。
列車は、標高3400mのクスコから30分程スイッチバックで上りきり、そこからマチュピッチュの麓にあるアグアス・カリエンテス駅(標高1880m)まで一気に下っていく。
沿線は、のどかな田園風景や、牧草とユーカリの並木が延々と続き、その中をわれらが乗った観光列車は揺れながらウルバンバ川沿いにマチュピッチュへと下るのである。
<荒れ狂うウルバンバ川>
クスコからマチュピチに向かうペルー鉄道マチュピチュ線は、アマゾン川の支流であるウルバンバ川沿いを走る。
車窓からこの川を見ているだけで、茶褐色の怒涛の流れに飲まれ込みそうな気持になる。
クスコとマチュピッチュ間の標高差1600mを駈けくだるウルバンバ川、そのパワーとエネルギーは、そのままアマゾンの大河に注がれるのである。
この南米一周の旅の後半、ベレンからマナオスへ船による約1300㎞のアマゾン川の船旅が待っているので、今から楽しみである。
マチュピチュの段々畑越しに見下ろすウルバンバ川
アマゾンへ駆け下る急勾配の激流ウルバンバ川
アグアス・カリエンテス村近くで荒れ狂うウルバンバ川
荒れ狂うウルバンバ川も、クスコあたりはまだラフティングが出来るほどの川であるが、マチュピッチュに近づくにしたがって、標高差を一気に落ちくだるのでその勢いは圧巻である。
この辺りは、約25度の急角度を、大岩を縫っての激流である。
ラフティングを世界各地の川で経験しているとはいえ、背筋が凍り着くほどの危険な川である。
ウルバンバ川の急流は、アンデス山脈の東側を一気に下り、ウカヤリ川となってアマゾン川に流れ込む。
<マチュピッチュ線の沿線風景>
最近のマチュピチュ線のディーゼル機関車 と 初期の蒸気機関車
ペルー・レイル(ペルー鉄道)のシンボルマーク ツーリスト専用車両にて
沿線沿いの村の風景
マチュピチュ線途中駅での売り子たち
ウルバンバ川沿いのカービングの鉄路を列車はゆっくりと進む
インカ道はウルバンバ川対岸の中腹にある
マチュピチュ線終点アグアス・カリエンテス駅に着いた機関車に飛び乗って記念写真
マチュピッチュ登山の入口であるアグアス・カリエンテス駅構内にあるゲストハウス(ホステル)に荷物をおいて、マチュピチュ遺跡観光前に、ワイナピッチュ(Mt.Hyana Picchu2743m)の山麓を巡るインカ道(現在鉄道跡として残る)の一部であるウルバンバ川沿いを歩くことにした。
<インカ道トレッキング ーCamino del Inca― マチュピチュ鉄道引込線跡>
インカ帝国の素晴らし所は、自分たちの支配地となった土地と海とをつなぐ幹線道路を造ったことである。
その道路は、北のエクアドルから、南のチリ・サンチャゴに至るものであり、<インカ道>と呼ばれた。
また驚くことに、インカ道には旅籠(タンポ)が等間隔に置かれ、例えばリマからクスコの間約640㎞を飛脚(チャスキ)は3日間で情報を運んだという。
話は変わるが、志賀の里にある我家から比良山系を木戸峠越えに下ると、鯖街道が南北に走っている。
小浜で獲った生鯖を朝廷のある京都御所に届けるために等距離に飛脚取次所を設け、数時間で届けたというインカ道に似た鯖街道を思い起こしたのである。
スケールの違いはあるが、権力者の望むところはいつの世も変わらないということであろう。
スペインによるインカ帝国滅亡とともに姿を消したインカ道が、ここインカの秘密基地マチュピッチュとクスコをつないでいたビルガバンバの山道(約33㎞・クスコから3泊4日のツアーあり)に残っているのだ。その一部が列車路線跡としてここワイナピッチュ渓谷にある。
ここまでやって来て、一部ではあるがインカ道を歩かないわけがない。
ということで、サブザックに乾パンと水を詰めこんでワイナピッチュ渓谷に残るインカ道をトレッキングした。
途中、インカ道歩きの記念として、アマゾン川源流であるウルバンバ川支流で水浴びもした。
また、川辺の流木にカタツムリを見つけ、インカ時代のカタツムリの子孫ではないかと、興奮したものである。
09:15 雨のマチュピッチュ遺跡を避け、小雨のやみかける中、インカ道トレッキング
に出かけることにした。
天高くそびえたつワイナピッチュの稜線が、雨雲のなかかすかに認められる。
ウルバンバ川の怒涛の音を耳にしながら、列車引込線と重なるインカ道に足を
踏み入れた。
煙る霧雨で、みずみずしい緑を美しく見せるマチュピチュの山麓に隠れる
インカ道をトレックするのである。
ウルバンバ川の聖なる怒涛の歌声が、力強いゴスペルのように聞こえてきた。
11:15 ウルバンバ川に架かる吊橋があって、渡るとすぐ左手にマチュピチュ登山口
がある。
マチュピチュ登山口を過ぎてまっすぐ進んだところに<マチュピチュ・
ミュージアムSITIO>がその可愛い姿を見せてくれる。
博物館でマチュピチュ遺跡の歴史や出土品の展示を見たあと、ランチをとり、
来たインカ道を戻ることにした。
15:10 約9km(万歩計25歩)、起点のアグアス・カリエンテス駅に帰り着いた。
<マチュピチュ博物館SITIO>
館内でマチュピチュ遺跡の歴史的背景や発見当時の遺跡の写真、出土品のスケッチを
楽しんだ。
マチュピチュ文化博物館SITIO
ウルバンバ川に架かる吊橋を渡ると、マチュピチュ登山口(矢印)と博物館の案内板がある
マチュピチュ遺跡発掘当初の写真 (マチュピチュ博物館SITIO蔵)
1911年アメリカ人探検家ハイラム・ビンガムによって発見当初のマチュピチュ遺跡の山姿
(マチュピチュ博物館SITIO蔵)
インカ帝国 太陽の神殿・月の神殿と祈祷師
マチュピッチュ遺跡からの展示出土品のスケッチ
マチュピチュへは、ほとんどの観光客がバスルートで遺跡に向かうが、中にはマチュピチュ登山を試みる人達も見られる。
徒歩によるマチュピチュ遺跡へは、オリャンタイタンボを出発する<インカ道トレッキング3泊4日>に参加するか、アグアス・カリエンテス駅をスタートし、今歩いている<廃線跡インカ道>を2時間かけてマチュピチュ博物館<Museo de Sitio>に向かい、博物館手前のマチュピチュ登山口より登ることになる。
廃線跡インカ道は、ワイナピッチュを取り囲むように流れるウルバンバ川に沿ってあり、断崖絶壁の底にある。
わずかな区間であったが、インカ道を歩くことによってインカびとの過酷な山岳生活を体験できたことは貴重であった。
<旧インカ道>廃線跡を利用したトレッキング・コースを歩く
ワイナピッッチュ渓谷のウルバンバ川沿い敷かれた路線跡<旧インカ道>
ハイキング中のインカの末裔であるインディオとスペイン系混血<メスティーソ>の女子大生たちと
マチュピチュ路線の引込線として利用されている旧インカ道
標高1931mを示すマチュピチュ引込線<旧インカ道>
旧インカ道である引込線(ワイナピッッチュ渓谷)で待機中のクスコ行きの精悍なディーゼル機関車
インカ道の石畳みを行く
インカ道の石段 インカ道に咲くバラン科の花
インカ道の木の実
旧インカ道に立つ飛脚(チャスキ)のための情報伝達中継小屋跡で休憩
旧インカ道で、ワイナピッッチュ渓谷を流れるウルバンバ川を背に
トレッキングの折り返し点であるワイナピッッチュ渓谷のウルバンバ川に架かる吊橋に到着
マチュピッチュ遺跡への登山口に立つ
ワイナピッチュ渓谷のインカ道トレッキング立体スケッチ
マチュピチュ博物館の行き方マップ
& マチュピッチュ登山口入口
ワイナピッチュ渓谷 周辺図 と 廃線路跡インカ道トレッキング・ルート
インカ道ツアー地図(今回は左上の一部 廃線路跡の旧インカ道を歩いた)
<旧インカ道トレッキングの帰路、ウルバンバ川支流で水浴>
クスコからの3泊4日のインカ道キャラバン(ツアー)の若者たちが黙々と疲れた体を引きずるように通り過ぎてゆく。 みな、こちらの水浴を羨ましそうに眺めている。
この辺りのインカ道は、ペルー鉄道のマチュピッチュ線の引込線と並行しており、線路の上を歩くのが辛そうである。
水浴しているウルバンバ川支流の川岸に流れついた流木に、カタツムリを見つけて、インカ時代の末裔ではないかと興奮したものだ。
インカ道トレッキング途中、ウルバンバ川支流で水浴
インカ時代に生きたカタツムリの子孫かも
昨日の約10㎞の鉄路跡に残る旧インカ道を歩き終えて、疲れが残っている。
今朝、ゲストハウスの屋根を打つ雨音と、横を流れるウルバンバ川の激流の音に
目を覚ました。
旅日記には次のように書き綴っている。
『ウルバンバ川の怒りの声に目を覚ます。
切り立つマチュピッチュの峰々に雨 煙立ちて、
乳白色の世界を呈す。
小鳥たちの鳴き声、ワイナピッチュの渓谷に響き、
慈雨の雨、屋根を打ちてこころを清めるに、
瞑想に沈みて、聖なる息吹に満たされて、
凛とすや。』
マチュピッチュには2日間の滞在予定である。
マチュピッチュ遺跡訪問を2日の内どちらにすべきか、雨予報が出ていて選択に迷ったのである。
雨降りには、マチュピチュの住人であるインカの人々は何をするのだろうか。
標高2450mという高山にあって、飲料水・貯水・灌漑用水は生活上大切なものであり、雨降りは天の恵みであったに違いない。
天がもたらす雨は、生活用水以外、祭式儀礼用の神聖な水として用いられたし、また岩石を加工して造られた便座式水洗便所に流れる水としても使われていたに違いない。
それぞれの用途によって、必要不可欠な水量は蓄えられていたに違いない。
訪問した日も、側溝に水が流れていたのであるから驚きであった。
一滴の無駄もなく側溝を伝って段々畑に水は運ばれているようである。
カミナンテスの村に描かれたマチュピチュの世界(壁画)二景
<空中都市 マチュピッチュに立つ> 標高2400mにある山岳都市遺跡
自然に生き、神に生きる民は、瞑想の民と言っていい。
ここマチュピッチュで目を閉じると、宇宙を飛び、神と舞い、自然の一部になれる気がしてくるから不思議である。
ワイナピッチュを背景にしたマチュピッチュ遺跡 二景
周囲を切り立った嶺と崖、ウルバンバ川で囲まれたマチュピチュは、進入路として南北に走るインカ道に限られ、水路をひいた段々畑によって自給し、下界との交わりを遮断した空中都市であり、封鎖都市であった。
15世紀までに出来上がったと言われるマチュピチュの都市遺跡は、1533年のスペイン人による征服で壊滅し、約400年後の1911年インカ道を調査していたアメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって発見された。
マチュピチュは、山岳都市というよりも750人ほどのインカ王族の避暑地でなかったかとも言われる。
しかし、この空中都市を支えている段々畑の見事なこと、約500年間崩壊せず原形をとどめていることの方が驚きである。
また、インカはスペイン人の浸入により、ここマチュピチュを捨てて、もっと奥地に移動したともいわれる。
そうだとすれば、インカの次なる隠れ都市があるということになり、さらなる後世に花が咲くかもしれない。
ここ、「失われた都 マチュピチュ」は、現代人では発想しえない何か神々しさに満ちた空中都市であり、多くの観光客を魅了し続けている。
わたしもマチュピチュの背後にそびえるワイナピッチュと対面し、瞑想し、気の充満を試みた一人である。
また下山後、アクア・カリエンテス(温泉)の湯にひたり、独り古代インカの人々の霊と語り合ったものだ。
約500年間眠り続けたマチュピッチュ遺跡を見守り続けてきたワイナピッチュ
Weinapitchu who has been watching over the Machu Pitchu ruins
that have been sleeping for about 500 years
水彩画/Water Color Paint
Sketched by Sanehisa
もう一枚のマチュピッチュ遺跡スケッチ
(旅日記の挿絵に色付け)
マチュピチュの遺跡に立って
インカ独特な緻密な石積工法による空中都市は圧巻である
都市計画に基づいた天空都市 マチュピッチュ遺跡
宗教都市でもあったマチュピチュの太陽の神殿跡
<マチュピッチュの霊風に吹かれて>
マチュピッチュで霊風に吹かれ、おのれを忘れていたのだろうか、インカの神の創りし空中都市マチュピッチュを後にしての帰りのバスで思いがけないハプニングが起きたのである。
マチュピッチュの下りには、有名なインカボーイがいて、帰りのバスを追い抜いては、約20あるカーブに先回りして< GOD BLESS YOU !!>と、インカ語と英語で叫んで、見送ってくれるのである。
乗客はみな、そのインカボーイの健闘ぶりに大喝采である。
バスが麓に着いて、民族衣装を着た彼らがバスに乗り込んできたとき、ほかの乗客にならってチップをわたし、共に写真を撮ったものである。
インカボーイの素晴らしい働きとパフォーマンスにチップを渡したあと、席を立ちバスを降りた時、チップを渡したあとの財布が無いことに気づいたのである。
身の回り、探せどどこにも見当たらない。
多分、坐っていた座席に忘れたに違いないと、バス会社の事務所にかけあうと、マチュピッチュへは20台のバスで1時間に2-3往復するので、間違いなく財布は戻ってくると約束してくれたが、落ち着かない。
日本以外では、財布や金目のものは決して還ってはこないというのが常識であるからなおさらである。
しかし、常識がひっくり返ったのだからインカの神様に感謝したものだ。
そう、バスの席に落ちていたと届けがあったということである。
世界中歩き回ったが、このような健康的な喜びにひたったのは初めてであり、爽快であった。
一瞬、マチュピッチュの霊風が体の中を吹き抜けていったように感じた。
アグアス・カリエンテスにあるサンペドロ教会で感謝の祈りを捧げた。
<単独バックパッカーの鉄則>
―どんな困難なこと、無理なことでも、決してあきらめるなー
今回の場合、財布にはお金が入っていたので戻ってこないとあきらめていたが、お金の他に旅行に必要なID(個人情報)やカードが入っていたので、あきらめず走り回ったのが良かったのであろう。
―あきらめた時、成就するであろうことも逃げ去るー
これバックパッカーの鉄則である。
▼1/26~27連泊 Hostal Loss Carientes 10US$ ツインルーム
終着駅<アグアス・カリエンテス>に隣接
夕食は、ベジタブルスパゲッティ・ビール(Cusquena 6Sol)・コーヒー/ 35Sol
<▼ ホステル・ロス・カミナンテス ― カリエンテス温泉>
インカ道ハイキングとマチュピッチュ遺跡観光の宿泊先を<ホステル・ロス・カミナンテス>にとった。
ホステルは、マチュピッチュ列車駅である<アグアス・カリエンテス駅>構内に隣接しており、歩いて10分ほどの温泉にも近くて便利である。
駅に隣接する Hostal Los Caminantes/ホステル・ロス・カミナンテス(写真左の右手)
ホステル・ロス・カミナンテスのツイン・ルーム ホステル・ロス・カミナンテスの食堂で乾杯
朝食のオムレツ&コヒー@11S 昼食の川魚のフライと野菜炒@24S
<アグアス・カリエンテス/温泉で疲れをとる>
入浴料10Sol/300円 脱衣場1Sol/30円
マチュピッチュ線終着駅は、アグアス・カリエンテスという。
アグアス・カリエンテスは、スペイン語で冷泉というが、実際は温泉である。
17年前に訪れた温泉は、温泉施設もなくプールみたいな池が2つあっただけであった。
照明もなく、ヘッドライトを点けて入浴したものである。温泉につかりながら見た星空の素敵だったことは言葉に言い表せないほどの神秘的であった。
そのときにみた南十字星がいまでも頭に刻まれている程である。
それがである、今回温泉に出かけてみると、なんと熱海にある温泉館のような建物が立ち、立派な露天風呂が立ち並んでいたのだから少し失望させられた。
ただ、露天風呂の底が変わらず砂地であり、水着着用は変わっていなかった。
アグアス・カリエンテス/温泉 露天風呂の壁に描かれたインカの生活画
今から17年前、真夜中ここアグアス・カリエンテス/温泉につかり、蝋燭の光に目をこらしながら、CD<マチュピッチュ>を聴きつつ、暗闇の天空に輝く南十字星と語らったことを想いだしたものだ。
いよいよ今日午後には、クスコに戻り、プーノ行きの列車移動の準備にかかることにしている。
■ 1月28~29日 クスコ滞在 <旧インカの首都クスコ➔チチカカ湖畔の街プーノ➔ラパス>
―登山列車・長距離バス移動の準備―
―プーノでの時差に注意のこと―
南米大陸の背骨であるアンデス山脈、それも標高5000~6000mの峰々が、南北8000kmに渡って延びている。
次なる旅は、中央アンデスのインカの首都であった太陽の都クスコから、もっともインカの生活が今なお残っているティティカカ湖畔にあるプーノ(標高3855m)までのアンデス山脈を横断する約10時間、380kmの列車の旅と、ボリビアのラパスまでのラパス(標高4000m)への長距離バスの旅を続けることになる。
<クスコ➔プーノ➔ラパス>スケジュール
クスコ---観光登山列車380㎞/約10H---→プーノ(チチカカ湖)--バス2H→ユングーヨ(ペルー国境)
--→(徒歩)--→カサニ(ボリビア国境)--(バス1H)--→コバガバーナ ---(バス4H)--→ラパス
■ 1月28日 クスコ快晴、ペンション花田にて05:30起床。
ダイニングルームで朝食(丸パン・バナナ・コーヒー)をとりながら国際NHK番組で
ニュースをチエックする。
<ウルバンバ川でのラフティング>
朝早くにラパス行きの準備を終え、近くのウルバンバ川でのラフティングを楽しみに出かけた。
クスコ近郊のウルバンバ川は、ラフティングに適した穏やかな流れである。
ウルバンバ川そのものは、クスコからマチュピチュ間の標高差約1000mの激流を駈け下り、アマゾン川に合流する。 その荒れ狂う川の様子はすでに写真で紹介してきたが、この間のラフティングは不可能に近い激流である。
約2時間30分のラフティングで、6人が乗り込み、送迎・ランチ付き一人当たり
56US$。
ウルバンバ川ラフティング(ツアー会社提供)
ウルバンバ川下り<ラフティング> クスコ近郊
Rio Urubamba River-Rafting near Cusco
水彩画 Water Color Paint
Sketched by Sanehisa Goto
2007/01/28 11:30am
▼ 1月28日 「ペンション花田」泊 全2泊x@6US$
■ 1月29日 <クスコ➔プーノ列車移動> プーノ鉄道乗車記
―アンデスの背骨である峰々をフォルクローレの音に乗って登山列車の旅を続けることにするー
インカ帝国の首都だったクスコに、朝5時42分、インカの太陽神がアンデス越えに昇りだした。
帝国の時代から続くクスコの朝の太陽が、ペンション花田の窓を紅く染める。
標高3300mのクスコは、真夏、外気温16℃、室温22℃である。
空腹を覚え、昨夜持ち帰った中華ビーフ・チョウメンをかき込む。
今朝は、プーノへの移動前、洗濯を取り入れ、アルマス広場でクスコの街をスケッチしたあとプーノ行き列車に乗らなければならない。
インカ帝国の首都だったクスコ(標高3400m)
Cusco
the capital of the Inca Empire (elevation 3400m)
Sketched by Sanehisa Goto
アルマス広場の民族衣装の夫婦(旅日記挿絵より)
<列車用非常食購入> 計7.15US
<乾燥ナッツ/フルーツ> プルーン・ナツメ・ブドウ・バナナ・アップル & ビスケット・水>
プーノ行き始発駅ワンチャック駅にペンション花田から歩いて向かう。(徒歩約30分)
列車は定刻発車、座席の半分が空いており、約10時間という長時間乗車に耐えられそうである。
クスコ⇔プーノ/CUSCO―PUNO 列車
<アンデス越えの風景>
クスコを出発したアンデス越えの観光登山列車は、単線を時速30キロほどでゆっくりと上って行く。
4時間かけて、アルパカの待つ最初の停車駅<スンダ>に立寄る。
列車はゆっくりと、クスコの街を後にアンデス越えに向かう
クスコ郊外から山岳地帯に入っていく
クスコを出発した列車は、賑やかなクスコの市内を走り、葡萄畑や羊の放牧場をぬけながら郊外の山間部へと入って行く。
最初に停車するスンダ駅は、全長70㎞にも及ぶコルカ渓谷の入口に位置する。
羽を広げたら3mにもなるコンドルが渓谷を飛び回っている姿は、鳥獣の王の風格があると車掌が教えてくれた。
それもそのはず、コンドルはインカ帝王の生まれ変わりであり、神の象徴とされているからである。
悠々と渓谷を飛翔すし、王者にふさわしい風格があるコンドルを一目見たいものである。
アンデス越えのペルー国鉄/Peru Rail の観光登山列車
最大標高4319mを通過中
Peru Rail Sightseeing Mountaineering Train Across the Andes
水彩画/Water Color Painting
Sketched by Sanehisa Goto
<アルパカの待つ最初の停車駅 スンダの風景>
中間点少し手前で、約15分間のショッピング・タイムがセットされており、近くの村の人々による青空市場が待っている。
アンデス地方の民族的なハンドバックや、手工芸品、アルパカ製品を乗客であるツーリストに販売している。
白雲をかぶったアンデスの山々に囲まれながら、原色豊かな民族衣装というより生活服に身を包んだご婦人たちと駆け引きする、夢のような時間に酔う。
アンデス越えの列車から峰の雪景色に出会う (プーノ線スンダ駅にて)
アルパカを従え、民族衣装でお出迎え スンダ駅の露店
アンデスのに峰々に囲まれたスンダ駅の露天風景
スンダ駅を出ると、列車は徐々に高度を上げ、路線最高の標高4300mのところを走っていると仲良くなった車掌が教えてくれた。
もちろん日本では経験できない高度を、列車でアンデス山脈を越えていると思うだけで少年のような興奮を覚える。
川から30mの高さにかかる、オモチャのような頼りない鉄骨の橋を渡る列車はまるでマッチ箱のように無防備である。
列車は、机をはさんで4人掛けボックス席を持つ観光者用の1等車と、ツーリスト車が連結され、乗客には食事が提供される。
また高山鉄道らしく、高山病にかかる観光客向けの酸素ボンベも積まれている。
またスイッチバックを採用せず、列車を等高線に沿って走らせるから、600近いカーブがあり、スピードを落としてくれるから、ゆったりとアンデスの峰々を鑑賞することが出来る。
カーブでは脱線した客車が放置されていた。
サラチャコ湖の側を走っているとアナウンスがあった。 水鳥の生息地なのだろう、多くの鳥が水面に休んでいる姿はのどかである。
クスコから9時間も坐っていると、水鳥にでもなって空を飛びたいと思うものだ。
一本の木もなく、やせた草に花が咲く高原は、まるで月面のように見えてくる。
車内では、ボックスで相席となったドイツからのステファイネ母娘と一緒である。
9歳のステファイネとは仲良しになり、絵を描いたり、一緒に食事をしたり、ゲームをやってお互いの退屈を慰めたものだ。
観光車両では、フォークレル楽団が演奏を聞かせてくれた。夢に見たアンデスの大空を飛ぶコンドルになった気分である。
観光登山列車ではドイツからの母娘と相席 Stefaineとも仲良しになる
列車内に響く楽団員によるフォークレル演奏(チップ@3US$)
ステファイン/Stefaineの自画像
仲良くなった6歳レベル/Rebellちゃんが描いてくれた象さん
アンデス越えで見られたアルパカの放牧
13:12pm クスコ行き列車とすれ違う。
1日1便の列車で、ツーリストクラスとファーストクラスの8輌編成で、ディーゼル機関車が引っ張ってる。
ランチは、各ボックスでできるようにテーブルがついている。
コースメニューから一品もの、バイキング料理まで、値段によってその品数は豊富である。
もちろん予約注文制である。
こちらは低コストで世界を放浪する旅人・バックパッカーであるから、トマト・チップス付きのビーフバーガーとバナナを注文。
車窓から流れゆくアンデスの峰を眺めながらのランチ、夢のようだ。
観光登山列車のハンバーガー昼食
アンデス越え列車の窓から(旅日記の挿絵より)
クスコからアンデスの峰を越えるプーノまでの路線は、平均標高3600mという富士山より高い所を走っているのだが、想像したような山岳列車としての感覚はまるでない。
始発駅のクスコが、すでに3400mの高山に位置し、終着駅のプーノが標高3800mにあるからであろうか、全線として少しプーノへ上って行くのであるが、その実感はまったくなく、まるで月面の荒涼とした赤土の荒れ地を走っているような感覚にさせられるのである。
<終着駅プーノに近づいた>
クスコを出て約10時間後、ようやくプーノ手前のフリアカ駅(標高3825m)に近づいた。
フリアカ駅は、クスコから338km、プーノへ47km地点に位置する。
のんびりと天空のアンデス大平原をゆく高山列車の旅も終着駅に近づいた。
仲良くなったドイツからのステファニ母娘やイタリアからの6歳のレベルちゃん
家族ともお別れである。
フリアカ/Juriaca駅(Punoへ47km) フリアカ駅で列車を待つインカの婦人
フリアカ/JULIACA駅車窓よりアンデスの峰を望む(日記挿絵より)
終着駅プーノの手前にあるフリアカは、この辺りの商工業の中心地で、人口19万人、駅の両側には露店が並び賑やかである。
列車は、汽笛を鳴らし、線路上にたむろする買い物客や売り子を左右に分けながらゆっくりと駅に入って行く。
やっと人間が棲むところにやって来たようである。
クスコ行きの列車とすれ違ってすぐ終着駅であるプーノ駅(折り返し駅)に到着した。
プーノは、琵琶湖の12倍も大きいティティカカ湖畔にあり、標高3800mにある人口12万人の高山都市である。
<プーノ と ティティカカ湖>
神々が舞い降りたとインカの人々に語り継がれたインカの聖地が、ティティカカ湖である。
中学の世界史で学んだティティカカ湖のイメージが強く、いま湖に浮かぶウロス島(浮島)で、インカの生活に触れることに夢の実現が近づいた。
インカの伝説には、『インカの創始者マンゴ・カバックがその妹ママオクリョと共にティティカカ湖に降臨し、インカ帝国を建国した』という、神秘的な言い伝えが残されている。
日本神話に出てくる天照大神<アマレラスオオミカミ>の降臨伝説によく似ており興味深い。
ティティカカ湖は、南米最大の湖(8300㎢)であり、世界で一番高い標高3890mにある湖である。
びわ湖(670㎡)の12倍もある巨大な湖が、富士山(3776m)よりも高い所に広がっているのだから驚きである。
それも、汽船が航行し、インカ時代から人が住み続けている島々が残っているのである。
ウロス島をはじめ、タキーレ島、アマンタニア島、ボリビア側の太陽の島、月の島というインカの名前で残っている。
ティティカカ湖が見えてきた、プーノ到着である
民族衣装の婦人(プーノの街角で)
(▼1/29 ホスタル ロス ウロス/Hostal los Uros )
プーノにあるゲストハウス HOSTAL LOS UROS
列車でえた情報をもとに、プーノからコンドルの飛ぶと言われるコルカ渓谷にとんぼ返りすることにした。
コンドルが優雅に飛んでいるコルカ渓谷に行くには、プーノからチバイ行バスに乗って、チバイで乗換え約6時間のバスの旅である。 バックパッカーは身軽である。 サブザックに水と携行食品を詰めてバスに飛び乗った。
お目当てはコルカ渓谷、それに時間があれば白い街として有名なアレキパ(標高2335m)、人口90万人を抱えるペルー第二の都市である。
ティティカカ湖観光に先駆けて、出かけてきた。
コルカ渓谷は、インカ時代に神の使いと言われたコンドルが優雅に舞う姿を、今でも見ることが出来る。
展望台の眼下に広がるコルカ渓谷の雄大さ。 コンドルがどこからか風に乗って飛翔し、かなたに飛び去る姿に、インカの人々が崇めた神の使いとしての姿を重ねることが出来る。
チバイにある露天風呂から見上げるコルカ渓谷も見事であった。
スケジュールにないコルカ渓谷訪問のため、駆け足になってしまったが、最後にチバイの露天風呂で汗を流し、バス時間の関係でアレキパ訪問は取止め、プーノに向かってトンボ返りであった。
時間があれば、アレキパをベースに、コルカ渓谷ツアーに参加することをお勧めする。
世界第2と言われるコルカ渓谷 (展望台より)
コルカ渓谷を飛翔するコンドルの勇姿
ワルカワル山6025mを背景にたたずむ修道院
コルカ渓谷を見上げるチバイの露天風呂
■ 1月30日(火) 快晴 プーノ & ウロス島ツアー泊 (ペルー)
朝一番の騒音に目を覚まし、シャワーを浴びて表に飛び出し、プーノのラッシュに巻き込まれる。
人々の一日の始まりである緊張の瞬間である。
デュスコテーポという小型のバンが市内交通の主役である。
行き先を告げる甲高い声が行き交う。
しばらくの間、交差点に座り込み、インカの末裔であろうインディオのおばさん達の民族衣装を写真に収める。
<ツアーでウロス島に向かう>
今日は、ティティカカ湖の島巡りツアーに参加し、インカ時代そのままの葦を使った生活をしている浮島のウロス島や、タキーレ島、アマンタニア島を見てまわるのだ。
聖なる湖に住むインカの子孫のソウル(魂)に少しでも交わればと願ったものである。
<ツアー名:UROS AMANTAN - TAQUILE> 1泊2日 60US$
1日目 07:35 ホテル前ピックアップ
08:00 ツアー・スタート
浮島(Floating Islad)であるウロス島(Is. Uros) ―生活体験
タキーレ島/Taquile Island ―インカの伝統的な生活・習慣の体験
▼ タキーレ島 ゲスト・ファミリー宅で宿泊
2日目 08:00 スタート
アマンタニア島/Amantani Island Pachatata & Pachamamaー見学
16:00 ホテル帰着
<ツアーに参加し、船でウロス島に向かう>
ウロス島は、プーノから5㎞先に葦(トトロ)で造られた20個ほどの浮島(人工島)であり、一つ当たり3~4家族が住んでいる。
村では、今でもインカ時代より伝わる伝統的な漁法でティティカカ湖に棲む魚ぺへレイをとり、食している。
漁には、葦(トトロ)で編んだ葦船を使っているから興味深い。
ティティカカ湖の葦(トトロ) ウロス島に向かう船で(背後はプーノ)
葦(トトロ)で造られた浮島・ウロス島に着いたティティカカ湖観光船
ウロス島の葦造りの住居群がお出迎え
葦(トトロ)で造られたウロス島は、浮島・人工島である
ティティカカ湖ウロス島 葦(トトロ)でできた湖上生活村
Islas los Uros/Lake Titicaca
水彩画/Water Color Paint
Sketched by Sanehisa
2007/01/30 10:32am
インカ時代の復元葦船でティティカカ湖遊覧
旅日記に描かれた葦船とウロス島と詩
葦(トトロ)船を漕ぐウロス島の婦人 葦で造られた船の神々を飾った舳先
<ああわれいま聖なるティティカカ湖におりて>
詩 後藤實久
この地3826mの高みに 神の導きありて
われ太陽より その気すべてを受くるなり
風爽やかにして 風吹き抜け魂を揺さぶる
のどけき小鳥のさえずり水面に広がり
静けき波動となりて トトラ(葦)に響きくる
ああわれいま無の風にゆだねて神に従いて
ティティカカの霊なる風に吹かれて幸せなり
ウロス / トトラ島では、トトラ(葦)による島・家・ボート・学校まで
作りあげている。
インカデザインの織物や民芸品を売るウロス島の婦人
ティティカカ湖でとれる小魚・ペヘレイ 島で使われている葦製の小船や小屋のミニチュア
葦で造ったウロス島の住居小屋
天に近い標高3820mの地は、息が苦しい。
ティティカカの聖なる空気は、清き風となって、汚れ無き太陽の光をさんさんと吹き付けてくる。
ティティカカ湖住民に、わが先祖を訪ね来たたような親近感を持ったものである。
神は、このような高地にまで種族を増やされたと思うと、人間同士の争いは醜いものであると気づかされる。
ウロスの島民は、モンゴル系の顔をしており、インカ系の輪郭や頬の作りとは異なるようである。
背は低く、心豊かな顔をし、顔色濃く日焼けしている。 どう見てもモンゴル系である。
ここを離れたモンゴル系種族はさらに南下し、南米大陸最南端にあるウシュアイアの
<世界の果て博物館>で出会う裸族の写真・ヤーマン族であると言われるから楽しみである。
<ツアーのランチメニュー> インカ時代の典型的な献立であるという
塩味の人参・玉ねぎ・ノキア(粟)の炊込みスープ
ジャガイモ5個・米・チーズのご飯プレート & マテ茶
ウロス等のゲストハウス 葦で造られた寝室
ウロスからタキーレ島に向かう タキーレ島の船着き場
(ペルー国旗を掲げた観光連絡船)
<タキーレ島 ティティカカ湖>
標高3950mの山がそびえる6 k㎡ほどの島で、30年程前まで流刑地であったのが住民に開放されたという。 住民は伝統衣装で身を飾り、習慣を守り、伝統模様の織物を織って生計を立ている。
タキーレ島の青空市場(野菜果物露店)
手作りのアイスクリーム売り 葦も売られている
<▼1/30 民宿 HOSTAL LOS UNOS タキーレ島> @8US$
さすがに高山にあるティティカカ湖、民宿に着いて高山病の症状、軽い頭痛に見舞われた。
高床敷のゲストハウスに涼風が吹き上げ、小鳥たちののどかな鳴き声に気分が和らぐ。
今夜の民宿の主人マルサリーノの案内で、宿泊者への説明を聞いた。
山小屋風の部屋にダブルベット、机椅子が置かれている。
ソーラパネルによる照明もあり、インカ時代の暗闇かランプ生活を想い描いていた情景は消え去った。
トイレは、畑の中に立っており、杓で水を流す簡易式である。
水は地下水をくみ上げているという。
たんたんとここティティカカ湖の時間が、体内を流れているようで、心地よい眠気を誘う。
外は暑いが、部屋に入るとひんやりし、長袖長ズボンが恋しい。
ホステル ロス・ウノス/HOSTAL LOS UNOS(日本からの青年と)
野外トイレ が 庭に立てられている <タキーレ島>
HOSTAL LOS UNOS (ベッドルーム と パティオ)
土間で夕食作り 夕食を作ってくれたスージと
オーナ夫妻もスタッフ オーナ婦人手織りのポンチョをまとって
ゲストハウスのオーナー婦人手織りの民族衣装をまとって記念写真
庭に飼われているの羊たち(織物用毛糸のため) 塩味のアンデス芋・人参・ヒエのスープ
アンデス芋を石臼で潰して朝食を作っているところ
タキーレ島/ Isla Taquile ・ティティカカ湖/Lago Titikaka
02:23am Jan.31 2007
Sketched by Sanehisa Goto
< ああわれいまティティカカ湖の夜空を眺めて>
詩 後藤 實久
満月の夜 ティティカカ湖タキーレ島におりて
満天のフルムーン・星座を描き その位置を記す
南十字星 満月の左手にあり われに微笑みおる
ああわれいまインカの夜空を舞いて 至福を覚ゆ
<Swallowed Titicaca’s Full Moon >
Poem by Sanehisa Goto
I swallowed Titicaca’s full moon
When I heard voice of heaven
Titicaca’s Inca God voice fly in my soul
When my soul now just melted in Titicaca
Now I became the wind of Titicaca
When she gave me her love & heart
Just Southern Cross be laughing
When I be singing with full moon
ゲストハウスのオーナー夫妻の見送りを受ける
■ 1月31日 タキーレ島 ➔ アマンタニ島 ティティカカ湖
朝早く、地中海の風情に似ているタキーレ島を散策し、段々畑で草を食む羊君と戯れ、遺跡を訪ね、スペイン時代に建てられたカトリックの修道院に立寄り、滔々と流れるティティカカ湖の時間の中に身を置いた。
タキーレ島の羊 (タキーレ島からアマンタニ島を望む)
タキーレ島の段々畑 (ティティカカ湖)
標高3800mにあるティティカカ湖の島々を歩くと、酸素不足に老体はすぐに音を上げるので、胸をふくらませ酸素補給が必要である。
ここタキーレ島の羊たちは、酸素不足にあえぐ観光客をみてわらっているように見える。
険しい段々畑を開墾し、稗や粟、ジャガイモや野菜を栽培している島民の働きには拍手を送りたい。
地中海風タキーレ島から見るティティカカ湖の真っ青に染まった空と海
<アマンタニ島>
タキーレ島より一回り大きいアマンタニ島(約9k㎡)には8つの集落があり、ほとんどが農業を営み、ジャガイモ・トウモロコシ・雑穀の一種であるキノアや豆類を栽培しているという。
漁法や織物などは他の島と同じである。
島民は伝統衣装に身を包み、高地に注ぐ太陽の恵みをうけてその民族性を誇っているようである。
島の展望台から見るティティカカ湖の風景は、地中海サントリーニ島で出会った風景に似て、絶景である。
小学校の校庭で出会ったアルベルトとスーザンに案内されて、素晴らしいティティカカ湖の風景を楽しんだ。
どこか地中海の風景に似ているアマンタニ島
アマンタニ島の小学校で
アマンタニ島青空市場/Amantani-Mercado
アマンタニ島の化石とお花
アマンタニア島で仲良くなった小さな紳士と淑女 アルベルトとスーザン
ルシアさん作品のインカ帽
時間通り、午後4時過ぎプーノのホステルに帰り着いた。
いよいよ明日はボリビア、世界で最も高い所(標高3640m)にある首都ラパスに入る。
まずは、露店で水と携行食であるリンゴとビスケットを購入して、ベットに潜り込んだ。
すでに、ウユニの塩湖に夢は飛んでいた。
(▼1/31 ホスタル ロス ウロス/Hostal los Uros泊)
ティティカカ湖周辺図 と ボリビア入国ルート
2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』Ⅰ
Ⅰ《 ペルー : アンデス越え 》
完
Ⅱ《ボリビア縦断ーウユニ塩湖》に続く
-------------------------------------------------------------------------------------------
関連ブログ
2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』 Ⅱ Ⅱ《 ボリビア縦断 ウユニ塩湖に遊び、南米最南端ウシュアイアに向かう》 ―ボリビア/ラ・パス ➔ チリ/サンチャゴ ➔ アルゼンチン/ウシュアイア ― 五大陸最後の南アメリカ大陸にやって来た。 前回は、ペルーの首都リ…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/01/28/234520
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『星の巡礼 パタゴニア・フィヨルド ー パノラマスケッチ展』 《 パタゴニア・フィヨルド ― パノラマスケッチ展 》 Patagonia on the Chilean side / Peaks of the Southern Andes, a collection of panoramic sketches 2014年1月18~20日、南米最南端のビー…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/01/28/235057
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『南極大陸』ブログ・スケッチ展 『南極に立つ』 少年時代にドキュメンタリー「白瀬中尉の南極大陸」を観て以来、 夢のなかで温めてきました。 2007年2月、南米大陸一周の旅に出かけ、ウシュアイア(アルゼンチン)に 滞在したおり、この地が南極大陸クルー…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/03/12/084948