2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』 Ⅱ
Ⅱ《 ボリビア縦断 ウユニ塩湖に遊び、南米最南端ウシュアイアに向かう》
―ボリビア/ラ・パス ➔ チリ/サンチャゴ ➔ アルゼンチン/ウシュアイア ―
五大陸最後の南アメリカ大陸にやって来た。
前回は、ペルーの首都リマをスタート、アスカ、クスコ、マチュピチュを廻り、ティティカカ湖を経て、ボリビアへ入ったところで終えている。
今回は、引き続きボリビアの首都ラ・パスに立寄ったあと、神秘のウユニ塩湖ツアーに参加し、そのままチリ国境を越え、首都サンチャゴに至る。
そこからアンデス山脈のアコンカグア山を見ながら、アルゼンチン・メンドーサを経て、アルゼンチン・パタゴニア(パンパ/大平原)を縦断するという過酷な旅を続けながら、ウシュアイアンに向かう。
南アメリカ大陸一周ルート略図
■2月1日 <ペルー ➔ ボリビア>国境越え
朝6時40分、迎えのタクシーでプーノのバスターミナルに向かう。
パンアメリカン社の国際バスでペルー側国境の街ユングーヨから出国し、国境の無人地帯200mを徒歩でボリビアに入国する。
40分ほどの入国手続きを終え、入国管理前で待機している同じバスに乗り込み、ボリビア国境の街コパガバーナに向かう。
ラパスへは、コパガバーナで乗り換えることになる。
ティティカカ湖周辺 と ボリビア陸路入国ルート
<時差を忘れて大失敗>
ペル / ボリビア国境越えの注意として、時差の変更に十分に注意することである。
ボリビアでの時間調整の際、バスの出発時間を聞いていたにもかかわらず、時計の針をボリビア時間に合わせていなかったものだから、集合場所に戻って来た時には、1時間も前にバスはラパスに向かって出発してしまっていたのである。
ペルーとボリビアでは+1時間の時差があることをすっかり忘れ、ティティカカ湖の風景を撮っていたのである。
ただ、助かったのはバスの荷物室にあったバックパック(リュック)を置いて行ってくれたことである。
道路に投げ捨ててくれていたので、以降のスケジュールを少し変更するだけで順調に旅を続けることが出来た。
<バックパッカーとしての注意>
ツアーと違って、単独行動のバックパッカーは、行動上のすべてに対して全神経を集中してとりかからなければならない。 特に乗り物であるバスなどには細心の注意を払いたい。
今回のような時差からくるバスのトラブルはもちろんだが、空港に向かう途中でのトラブルはもっと厄介である。 飛行機に乗る場合は、あらゆるトラブルを想定して、数時間前(3~4H)に飛行場に到着するように宿泊先を出ることにしている。
特に未開の地では、飛行場への途中、バス等への検問、襲撃、エンジントラブル、天災、クーデターなど何が勃発するかわからないからである。
また、かかる移動の時は、万が一を考え必ずミネラルウオーター(ペットボトル1本)と非常食(ビスケット・チョコレート・ドライフルーツなど)をリュックに入れておくことにしている。
さらに、陸路での国境越えや、検問所、強盗団襲撃などでは金品を要求されることがあるので、たえず20~100米ドル紙幣を別ポケットに忍ばせておくことにしている。
これでおのれの命を救い、旅を続けられるのであるからお忘れなく。
気楽に見える単独行動のバックパッカーは、たえず危険と隣り合わせなのである。
お陰で、コパガバーナで1日体を休めることになった。
しかし、ここコパガバーナも標高3814mあり、顔がむくみ、息が苦しい。
でもせっかくの自由時間、夏祭り真っ盛りであるコパガバーナ(ボリビア)の街にくり出した。
阿波踊りよろしく、みな仮想し踊りまくっている。
十基ほどの山車も繰り出し、盛大なものである。
フェスティバルは、1台の山車に楽隊と100人ほどの軍団が取り囲み、盛り上げている。
ファッションは、各軍団のお好みらしく超ミニのご婦人たちや、ピエロ風に塗りたぐった男たちが、独自の踊りを披露しながら行進するのだ。
青森のねぶた祭と阿波踊りを合わせたような陽気な南米の山車と踊りである。
ブラジルのリオ、コパカバーナのカーニバルに似ているので懐かしく観賞させてもらった。
夕食は、屋台のおばちゃんが油で炒めてくれたティティカカ湖で獲れた白身の魚ペヘレイをいただいた。
ただ、野菜サラダ(ニンジン・玉ねぎ・クレソン)が曲者である。
生野菜は、海外では何度も激烈な下痢に悩まされているので手を付けないことにしているが、生野菜に飢えていたのか、つい手を出してしまった。
もちろんホテルにかえって、念のため正露丸を5粒、口に放り込んだ。
▼2/1 コロニアル・ホテル / HOTEL COLONIAL泊 (コパガバーナ・ボリビア) @9US$ (60Bs)
民族色豊かなボリビアのご婦人たち (コパガバーナ/ボリビアの街角で)
ボリビア・コパガバーナの街で出会った民族衣装によるカーニバル
ボリビア・コパガバーナのセントロで
カンテラリア教会 (標高3814m コパカバーナ―/ボリビア)
Sao Cantelia Church / Copacabana/Bolivia 3814m
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 1 2007 11:30am
■ 2月2日(金) ボリビア国境の街コパガバーナ
早めの目覚めである。
南米一周の旅、2番目の国・ボリビアに入ったので、ボリビアの首都ラパスから、南極への入口であり
南米最南端の街ウシュアイアへの行程を再確認しておくことにする。
<南米大陸一周 Ⅱ ラ・パス/ボリビア ➔ 最南端ウシュアイア/アルゼンチン>
―南米縦断行程表の確認図—
La Pas ラ・パス <ボリビア首都>
⇓
Unyuni ウユニ湖 <ボリビア>
⇓
Ragunabran(Bolivia) ラグナブラン村 <ボリビア国境の街>
――――<Bolivia/Chili Border>―――ボリビア/チリー国境
⇓
San Pedro(Chile) サンペドロ/チリー <チリ>
⇓
Santiago サンチャゴ(チリー首都)
⇓
――――<Chile/Argentina Border>―――チリー/アルゼンチン国境
⇓
Mendoza メンドーザ <アルゼンチン>
⇓
Bariloche(Argentina) バリローチェ <アルゼンチン/パタゴニア>
⇓
Comodoro Rivadavia コモド・リバダビア <アルゼンチン/パタゴニア>
⇓
Rio Dallegos リオ・ガジェンゴス <アルゼンチン/パタゴニア>
⇓
―――<Argentina/Chile Border>―――アルゼンチン/チリー国境
⇓
Punta Arenas(Chile) プエルト・アレナス <チリー/パタゴニア>
⇓
<マゼラン海峡 フェリー乗船>
⇓
Porvenir(Chile) ポロベニール <チリ/フェゴ島>
⇓
―――<Chile/ Argentina Border>―――チリー/アルゼンチン国境
⇓
Ushuaia(Argentina) ウシュアイア <アルゼンチン/フェゴ島/南米大陸最南端/南極入口>
ボリビアの首都ラ・パスからアルゼンチンのウシュアイアに向かう
昨日は、時差の関係でバスに乗り遅れるという失態をおかした。
お陰で、コパガバーナのカーニバルに出くわし、体を休めることができたことで良しとしたい。
今朝は、昨日と同じ時間の午後の国際バスまで待つべきか、それともラパスへの路線バスで少しでも早く到着すべきかを決めたい。
路線バスの場合は、追加の運賃7US$(56Bs)が必要となるが、ラパス到着後ウユニ・ツアーに参加してラパス宿泊費を節約できることが分かった。
もちろん路線バスを選んで、ラパスに向かうことにした。
<コパカバーナ脱出>
いよいよラパスへと意気込んでバス停に行ってみると、今日2月2日はボリビアの祝日<聖カンテラリアの日>であり、路線バスは運休しているという。
ただでさえ遅れ気味のスケジュール、どうしてもラパスに午前中に着き、街を散策したあと、ウユニ塩湖に向かわなければならない。
街角に立っていると、客を乗せたミニバンが通りかかったので、手を上げラパスへ行くかと聞き、乗せてくれるように頼んで見た。 運転手は満席を理由に乗車を拒否したが、老いぼれの東洋人に同情したのであろうか、ミニバン後方の荷物置き場にスペースがあるが、そこで我慢できるのならOKだという。
こちらは、このようなときに備えて体を鍛えてきたとばかりに荷物置き場に納まり、無事コパカバーナを脱出、ティティカカ湖にあるティキーナ湖峡の連絡船乗場まで乗せてもらうことになった。 (ミニバン料金 10Bs)
急カーブあり、凸凹ありとそれは大変、排ガスに悩まされながら1時間、ティキーナ湖峡(ティティカカ湖とウイニヤマルカ湖)の連絡船乗場まで我慢することにした。
ティキーナ湖峡を連絡船(1.5Bs)で渡り、対岸で客待ちしていたラパス行きのミニバン(8.5Bs/2.5H)に飛び乗り一路ラパスへ向かう。
ミニバンは、のどかな丘陵地帯を走り続け、ラパスの騒音の中に吸い込まれていった。
大変な街である。
大平原から谷底に向かって、すり鉢を転げ落ちていく感覚である。
生半可な坂道ではない。
よくもまあ標高4000mに近いところに都市(首都)を造ったものである。
太平洋からの強風を避けるために、すり鉢状の中に街を造ったという。
ラパスに向かうミニバンは、ティティカカ湖のティキーナ湖峡を連絡船で渡る
ティキーナ湖峡連絡船の乗船客 ラパス行きミニバンに乗り継ぐ
民族衣装を着飾ったボリビアの赤ちゃん(ティティカカ湖・ティキーナ湖峡連絡船で)
Bolivian baby dressed in national costume
Drawing by Sanehisa Goto
ラクダ君も湖峡連絡船待ち
Camel is also waiting for the strait ferry
Drawing by Sanehisa Goto
ボリビアと言えば、夢にまで見たウユニ塩湖、ツアーに参加してランドクルーザーで走り回るつもりだ。
南米大陸一周という壮大な冒険旅行はまだまだ始まったばかりである。
■ 2月3日 ボリビア首都ラパス散策 <ウユニ塩湖ツアー準備>
ラパスは、標高3650mという世界で最も高い所にある首都である。
110万の人口のうち、半数以上を三つ編みの髪の上に山高帽をかぶった先住民族(インディヘナ)が占める。
ラパスは、スペイン・ピサロ軍の侵入時、最も抵抗し、自分たちのアイデンディティ―を守った誇り高きインカの子孫たちが多く居住いている。
ラパスの街角では、民族衣装に身を固めた多くの人々が、商売に励み、日常生活を堅持している姿に感動させられた。
ラパスの街は、すり鉢状の中に造られ、その底に富裕層の邸宅が立ち並び、中腹にかけて高層ビルの建つ中心街があり、坂を上がるにつれて貧困層(ポトシ)の街が広がっている。
すり鉢の底と淵には、1000m前後の高度差があるラパスは、多くの坂をかかえ交通の便が悪く、移動はロープウエイで行われる。
3650mという高地での坂道の上り下りをしていると、息切れが激しいのでゆっくりと呼吸を整えながら歩くことにした。
ラパス散策前に、まずは、ウユニ塩湖へのツアーを申し込むためツアー会社<Colque Tours>に立寄った。
担当者とウユニ塩湖ツアー打ち合わせている時、ツアー後ラパスに戻るのか、それとも南下してチリー国境を越えるのかと尋ねられて、はじめて国境越えツアーがあることを知った。
もちろんウユニ塩湖ツアーの後、国境越えを計画しているというと、<ウユニ塩湖経由チリ国境越えツアー>を押さえてくれた。
これでラパスに戻ることがないことが分かったので、ツアー予約後、ツアー出発の夕方まで出来る限りラパスの街を歩き回ることにした。
世界一の標高3650mにある山岳都市ラパス
ボリビア首都ラパスの路地裏で
山の上に世界最高所の街ポトシが広がる
ラパスのバスターミナル
背後の山 霊峰イリマニ山/ Mt. Illimami 6402m
World heritage site Potosi, the city of La Paz
Sketched by Sanehisa Goto
2007/02/02 13:32
ムリリョ広場にあるPalacio Legislativo De Bolivia / ボリビア国会議事堂
ムリリョ広場にあるカテドラル Church of Our Lady of La Paz(右)大統領官邸(左後)
議国会事堂の衛兵
都市交通機関ロープウエーからのラパスの景観
標高3650mの盆地に密集する都市ラパス ロープウエー下に広がるサイケ色彩の迷彩家屋群
世界で最も民族衣装に身を包んだご婦人に出会える都市ラパス
ラパスの街を歩いてみて、その坂の急なること想像以上である。
特に上り坂は、ゆっくりと息を整え、立ち止まりつつ、一歩を踏み出すのである。
さらに、都市計画は無秩序で、所狭しと住宅が立ち並び、道路は狭く、坂道が多いためたえず交通渋滞が起こっている。
この高低差の激しさと、無秩序な環境から、移動にはロープウェーが発達したという。
この厳しい環境にも涼しい顔をして日常生活を送っているラパスの人々を、ラパスの背後にそびえる雪をかぶったイリマニ山/Montana Illimani 6420mの霊峰が、あたたかく見守っている。
「慣れてしまえばなんとはないですよ」と、Café ETNOを経営する比嘉花子(沖縄県人二世)さんが、片言の日本語で慰めてくれた。
<ウユニに向かう>
19:00発のバスは、ラパスを出発して、ウユニ塩湖ツアーがスタートするウユニの街へ翌朝07:30に着く、長距離夜行バス(12H /80Bs)で移動する。
長距離夜行バスでウユニの街に向かう
ラパスを出た長距離バスは、ウユニの街への途中、バスは、午前2時ごろトイレ休憩である。
海外旅行中のバックパッカーの習性で、乗り物でのトイレ回数を減らすため、水分補給を極端に減らすことにしている。
多分そのためだろうか、車中の乾燥も手伝って、唇が割れるほどである。
3000m以上の高所移動中によくある兆候であり、走行中は水を少しづつ口に含んで耐え、トイレ休憩でコーヒーとミネラルウオーター(3.5Bs)を摂った。
<▼ 2/3 長距離夜行バス 車中泊>
前夜、ラパスを出発した長距離夜行バスは、約12時間のアンデス山脈に広がる荒涼とした砂丘と戦いながらウユニの街に到着した。
ウユニ塩湖ツアー参加者の集合まで時間があるのでウユニの街を散策、スケッチを楽しむことにした。
ウユニ塩湖ツアーが出発するウユニの街
民族衣装の糸巻き女 (ウユニの街にて)
Pincushion woman in national costume
Drawing by Sanehisa Goto
Feb 4, 2007
<ウユニ塩湖よりチリー国境越えツアー>
ツアー旅行社 : <COLQUE TOURS> Potosi Av. №54 P/F591-2-26933031
2nights 3days @70US$
このツアーの特徴は、ウユニ塩湖をツアーしたあと、出発地点であるウユニの街に戻らず、チリ―との国境を越え、サンペドロの街で解散し、サンチャゴ(チリ首都)行のバスに乗せてくれるという私にとって都合よく、便利なツアーである。
ウユニの街でスケッチし、午前11時、ツアー集合場所である旅行社に向かうと、すでに一緒にツアー参加するチリ・サンチャゴの大学生たち青年5人も待っていた。
同行するチリの学生たちも、サンチャゴに向かっての途中、ウユニ塩湖をツアーしたのち、帰国するという。
チリからの陽気な学生5人組(パンチョ・アリ・ホセ・コニ・ルシオ嬢)と、ドライバー兼ガイド・世話人であるカルメーロとわたしの7人でチームを組み、ランドクルーザーでウユニ塩湖冒険ドライブをすることになった。
いよいよ憧れていたウユニ塩湖に向かって、運転手を含め7人を乗せたランドクルーザーは出発した。
途中、メルカード(市場)に立ち寄り、ドライバーは期間中のわれわれの食料を調達、われわれも非常食やアメ、チョコ、日焼け止めなどを購入した。
ウユニ塩湖ツアー会社に集合 ランドクルーザーの屋根に荷物の積込み
途中のメルカード(市場)で食料調達
■ 2月4~6日 ウユニ塩湖ランクル・ツアー 2泊3日
<塩の大平原 ウユニ塩湖>
見渡す限りの塩・しお・シオ、氷のように真っ白である。
塩の平原と言っていいだろう、四国の半分の広さに、真っ白な塩が湖面を覆っている様は、想像をはるかに超えるスケールである。
びわ湖の何倍もある湖一面が見渡す限り塩で固まり、その湖面をランドクルーザーで駈走するのだから、今までに経験したことのないエキサイティングな大冒険である。
このような海底が隆起して出来上がった現象が、4000m近い高所で見られるとは驚きである。
この逆、すなわち海面下200mにあるイスラエルの死海に出会ったときは、塩分濃度が高く浮遊体験はしたものの、それほどの驚きではなかった。
ランドクルーザーと言えば、ネパールのカトマンズからヒマラヤ越えでチベットに入った時のエネルギッシュな精悍さを想いだしたものである。
ランドクルーザーの過酷な秘境での活躍にエールを送りたい。
ツアー仲間のチリの大学生グループと
パンチョ・ルシオ嬢・アリ・ホセ・コニ と 私
ウユニ塩湖/Salar de Uyuni
塩ブロック/盛り塩/ Salt Block/Prime Salt
背後に火山ツヌパがそびえる/Volcano Thunupa
Sketched by Sanehisa Goto
Feb.4, 2007 12:03
真っ白なウユニ塩湖と湖畔に育つ巨大サボテン群
White Uyuni salt lake and cactus growing on the shore
Water color painting by Sanehisa Goto
Feb 4, 2007 13:10pm
<▼ 2/4 ウユニ塩湖 共同宿泊所 ー Puerto Chuvica村>
今夜は、共同宿泊所の一室をシェアーし、6人仲良く就寝である。
同宿者全員、ダイニングで夕食をとる。
隣の席には、世界一周サイクリング中のドイツ人カップル。 彼は農業に従事、彼女は薬剤師とのこと。
彼らは、マウンテンバイクでサンチャゴよりウユニ塩湖を経てクスコからリマに抜ける過酷なアンデス越えをするのだとエキサイティングに語ってくれた。
この昼の大変な暑さと、夜の零下の冷え込み、酸素の薄さの中、テントで寝るのだから猛者の二人である。
共同宿泊所の夕食は、ポテト・ニンジン・チキン・ライス・豆腐スープ・ミックスフルーツ・ティー。
ウユニ塩湖ツアー共同宿泊所の夕食
■ 2月5日(ウユニ塩湖ツァー2日目)
ツアー2日目の朝、ウユニ塩湖畔<プエルト チュビカ / Puerto Chuvica>村にある共同宿泊所<ホテル カクタス>で、小鳥たちや、ニワトリの時のお告げによって目覚めた。
同行のツアー仲間であるチリの青年たちから、「あなたは老後の手本のような旅人だ」と関心を寄せられ、何よりも嬉しい瞬間だった。
東の空を紅く染めながら幻想的なウユニ塩湖に昇る太陽は、この世とは思えないほどに美しく、素晴らしい。
富士山と同じ高さ3700mに広がるウユニ塩湖に、冷たさを裂いてその太陽が今まさに昇ろうとしているところである。
その幻想的な風景を、友人である写真家 故宮内幸男氏がおさめた一枚の写真がある。
まさに天地創造の朝の瞬間である。
ウユニ塩湖に昇る幻想的な太陽 (宮内幸男氏 撮影)
ウユニ塩湖もモルゲンロートよろしく紅色が徐々に染みわたり、広がりゆく幻想的な風景である。
西に残る満月は、にこやかに太陽の姿を迎え入れ、その姿を消し去らんとしている。
幻想的なウユニ塩湖の朝の変化を観賞したあと、昨日知り合ったサイクリストのドイツ人カップルと早めの朝食をとった。
朝食のメニュー : ロールパン・レエイチェ・バター&ジャム、オレンジジュース・コーヒー。
カップルのランドクルーザーがエンジントラブルを起こし、出発が遅れるそうだとしきりに嘆いている。
この地の果てにいる限り、すべてはドライバー任せではないかと、お互い<That’s life!>とうなずきあった。
こちらのランドクルーザーも塩っけを抜くため出発を遅らせるとのこと、2時間ほどのあいだホテル・オーナーの娘カカロライナとお絵かきをしながら時間を過ごすことになった。
Painting by Carolina
ウユニ塩湖ツアーの立食式バイキング昼食
ウユニ塩湖畔にある列車の墓場でコニと
結晶化した塩の表面に塩水が薄く張り、ランドクルーザーはこの上を走り回るのだ
真っ白なウユニ塩湖の上に立てられた土産屋
真っ白なウユニ塩湖を見下ろす巨大サボテン
憧れであった真っ白なウユニ塩湖畔を散策
ウユニ塩湖の巨大サボテンが歓迎してくれる ツアー・メンバーとウユニ湖畔でピクニック
真っ白なウユニ塩湖でホセと
<友人の写真家 故宮内幸男氏のウユニ塩湖 写真集より>
宮内幸男さんとは、2013-14年の第81回ピースボート南半球世界一周の船旅でご一緒させていただいた。
宮内さんの作品は、被写体の持つ極致美を引き出す達人であった。
船上から南半球に輝く南十字星を撮影する際には、何夜も寝ずに甲板に立ち尽くし、その一瞬の輝きにシャッターを押す、待ちの写真家でもあった。
残念ながら一昨年、長い闘病生活のあと、優しい笑顔を残され帰天された。
ここに、生前に宮内氏から送っていただいた写真の内、ピースボート乗船青年男女の協力のもと、ウユニ塩湖で撮られたトリック写真の遺作品のうち、受賞作品ほか数枚を紹介しておきたい。
幻想的なウユニ塩湖で、天地創造の中で踊る影絵の構成美は絶妙である。
ウユニ塩湖に踊る躍動美をとらえた1枚 いつも笑顔の写真家 故 宮内幸男氏(松山出身)
▼2/4 ウユニ塩湖畔の プエルト チュビカ / Puerto Chuvica村 共同宿泊所 連泊
Puerto Chuvica村にある共同宿泊所<ホテル カクタス>
ウユニ塩湖畔のPuerto Chuvica村付近で見られるサボテンたち
Puerto Chuvica村カトリック教会堂前で ツアー参加者全員での最後の晩餐
ウユニ塩湖畔 Puerto Chuvica 村に沈む夕日
■ 2/5 ウユニ塩湖ツアー 3日目 (最終日・国境越え)
ウユニ塩湖畔にあるPuerto Chuvica村で、朝04:30頭上に南十字星を見ながら起床。
6時、前日のランクル・ツアーの疲れから冷めやらない6名を乗せて出発である。
この日の朝は、手が凍えて寒さに震える状態だ。
ここは富士山よりも高い、標高3700mもあるのだ。
ウユニ湖に上がる朝日の光景を、出発までにスケッチにおさめる。
今日は、ツアーを続けながら、チリに向かう我々を国境の村ラグナブランカ/Laguna Blancaまで連れて行くことになっている。
真っ白なウユニ塩湖を見下ろすPuerto Chuvica村の朝
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 5,2007 06:12am
ウユニの狐と出会う 標高4125mにあるCanapa湖に遊ぶフラミンゴ
ドライバーのカルメーロがランチの準備
活火山ツヌパの麓にあるカナパ/Canapa湖(標高4125m)でツアー仲間と
カナパ/Canapa湖畔の奇岩の前で
<間欠泉と温泉> カリエンテス/Calientes
途中、標高4600mにある<Calientes /カリエンテス>、温泉と間欠泉を見学に向かう。
寒さ厳しく、体が震え、指凍えるが、温泉につかれという。
温泉は適温だ。 しかし、外気があまりにも冷たく、老体であるこちらは足湯にとどめるが、同行のチリの学生たちは、全員声を上げて温泉に飛び込む、もちろんスイム・パンツをはいてだ。 元気がいい。
ツヌパ火山麓から噴き出す間欠泉
ツヌパ火山の麓にある大露天風呂・カリエンテス(温泉)
月の砂漠のようなカリエンテス村 あまりの寒さに足湯で我慢
カナパ湖畔にあるカリエンテス・露天風呂全景
若き仲間・チリ人学生たちの入浴姿 仲間とツアー最後のランチ
活火山ツヌパ(ウユニ富士)をバックにお世話になったドライバーのカルメーロと
その後、チリへの越境組が集まるボリビア側ラグナブランカ/Laguna Blanca村に到着。
ランドクルーザーから荷物を降し、待つこと約1時間半、チリ―側サンペドロからやって来た、ツアー会社が予約したマイクロバスに乗って国境越え。
<ボリビア/チリの陸路国境越えの情況と注意>
われわれのツアー会社が手配したマイクロバスに、ほかのツアー会社に参加していた一人の日本人青年が乗ってきたことで、ちょっとしたトラブルが発生した。
どうも、青年が参加したツアーにはチリ越えは彼一人で、ここで待っていればチリ―行のマイクロバスが来るので、それに乗れと指示されたようである。
こちらのチャーターしたマイクロバスの運転手は、彼の乗車を拒否して出発時間が遅れるばかりである。
結局、青年はツアー会社に騙され、置き去りにされたことに気づき、運転手との和解に努め5US$を支払って問題は解決した。
ウユニ塩湖ツアーに参加するにあたって、チリ―側サンペドロへ抜けることを告げ、陸路国境越えの手順を確認しておくことをお勧めする。
ボリビア国境にあるラグナブランカ村でマイクロバスに乗り換え、チリ側国境の<サンペドロ村>へ向かう。
ボリビア入出国管理局での出国手続きはいたって簡素である。
出国申請用紙と15Bs(ボリビアーノ)を提出、パスポートに出国スタンプを押してもらうだけである。
チリ側は、国境から約15㎞先の<サンペドロ村>手前で入国手続きが行われる。
まずマイクロバスを降りる時、種子や細菌の持込を防止するため、粉末消毒剤を踏まされる。
前もってマイクロバスで配られた入出国カードを提出し、パスポートに入国スタンプをもらう。
次に、記入した税関用紙とリュック(荷物)を運び入れ、すべての持ち物チェックを受ける。
特に、動植物の持込にうるさく、隠し持っているコカインには厳罰が下るようである。
すべての入管手続きが済むと、待っているマイクロバスに乗り込みチリ側国境の村サンペドロに向かう。
<ツアー仲間 チリ青年たちとの別れ>
2泊3日のウユニ塩湖ツアー仲間であったチリ・サンチャゴ大学建築科の2人、チリ―国立大学歯
学科2人、それにサンチャゴにある専門学校のペット科在籍の女学生の5人との別れの時が来た。
それぞれ18~19歳のティーンエージャ、その考え方・行動・語学・マナー・言葉遣いのどれひとつとっても洗練されていることに驚かされたものである。
こちらが国立大学の大学院に籍を置き、教職にあることを知ってか、専門性・宗教性・人間性をもって接してくれたものである。 素晴らしい交流を持てた三日間であったことに感謝したい。
『星の巡礼』の目的でもある、旅を通して愛を交歓することが出来たことを喜んでいる。
<ボリビア / チリ国境の村 サンペドロ>
国境のチリ側の村サンペドロに到着。
マイクロバスの運転手に、今日中に出発するサンチャゴ行バスに乗れるように交渉してもらったが、本日の座席はすべて満席とのことである。
明日午後に8席の空きがあるということで、サンチャゴまで@58US$(片道)のチケットを購入した。
ただ、情報によると、ここ国境から次の村カマラ/Kamalaまでローカルバスで行くと、サンチャゴ行きバスが複数あるという。
しかし、この三日間ウユニ塩湖ツアーでランドクルーザーに揺れて、疲れ切った体はこれ以上の行動を拒否するのである。
今夜は国境の村サンペドロでゆっくりと体を休めることにした。
サンペドロ村のカトリック教会堂 サンペドロ村でもスケッチを楽しむ
▼2/4 サンペドロ <ホスタル・ソンチェク/Hostal Sonchek> 宿泊 @5000ペソ(10US$)
宿を決めたあと、国境の街サンペドロを散策しながらスケッチを楽しむ。
夕食は、昼のカレーパンの残りと、ツナ缶、トマト・プラム・ビール/CARTA BLAUCA-Chiliである。
バックパッカーは、いかなる環境にあっても、生き抜くための準備をしておく必要がある。
ウユニ塩湖ツアーで一緒だったチリ学生たちと、ここでお別れである。
若き彼らと兄弟のような付き合いをした情が、別れがたいものにする。
別れ際、ハグをしながら『Sane、あなたのフィロソフィーに感動した。いつかあなたに会いに日本を訪問したい。』と言ってくれた言葉がこころ深くに残った。
宿泊先<ホスタル・ソンチェク>裏庭で バックパッカーの質素な夕食
■ 2月5日 チリ国境の村 サンペドロ
一番鶏の声、騒々しい猫の喧嘩に起こされ、頭上の南十字星が目に飛び込んできた。
チリ国境の村 標高2350mにあるサンペドロの宿泊先<ホスタル・ソンチェク>で朝を迎えた。
気温は22℃、南半球の真夏の中にいる。
いよいよ、チリを縦断し、首都のサンチャゴを目指す。
Mt. Salt/Licanca’ bur Volcano w/Southern Cross
活火山サルト山/リカナブル山/南十字星
San Pedro/Chile
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 5 2007 23:45
《 南十字星 と 私 》
詩 後藤實久
南十字星に出会いて
われこころ踊らせ
清き幸に満たされて
帰りゆく星を見る
南十字星輝きて
深き愛を伝えくる
熱き視線を送るに
帰りゆく星や笑ふ
南十字星半眼で見るに
大宇宙の不思議輝きて
語りかけし愛を感じ
帰りゆく星や歌ふ
南十字星の深き息
吹きかけてや輝き
われを迎えし喜び
帰りゆく星嬉しや
なんたる南十字星
温かき交わりありて
感涙を誘いてや
帰りゆく星送りし
ブランカ湖/Laguna Blanca
ボリビア・チリ国境付近
Sketched by Sanehisa Goto
Feb.6, 2007 09:21am
<時差調整 +1時間プラス ボリビア/チリ国境>
国境で300US$をチリーペソに両替、@530ペソで159,000チリーペソを手にする。
バックパックをしながら、数えきれないほどの国境越えをしたが、ボリビア/チリーほどその道路事情の差異を見せつけられたところはない。
もちろん、国の豊かさの違いからだろうが、ボリビアの素朴なホコリ舞うデコボコ道が、振動のないアスファルトに急に変わるのだから、体の変化が追い付かないほどである。
ただアンデス山脈の荒涼とした木のない茶褐色な山並みの光景は変わらず、続くのである。
国境より一気にバスは、アンデスを下る。 ボリビア4600mからチリ―・サンペドロ2300mへと、その標高差は2300mもある。
一気な、急激な下山は、高山病的症状ではなく、胃腸の調子を狂わせてしまったようである。
サンペドロから、チリの首都サンチャゴへは2本の長距離バス(10:30am & 14:15pm @58US$)がある。
月の谷 / Luna Valley
Sao Pedro/Chilli
Feb 5, 2007 11:30pm ➔ Feb, 6 05:30am
■ 2月6日 サンペドロ ➔ サンチャゴ (バス移動)
《 月の谷で我が影を踏みて 》
詩 後藤實久
ああわれいま月の谷 荒野をさまよいて
神のなされし 試みをおもいて沈思す
アンデスのいただき 白雪かぶりて
山 その姿 月影に まぶしく輝きし
月光に赤く染まりし大地 赤き石埋まり
荒涼たる地の果てまでも続くがごとし
月の谷かすかな涼けき風 肌に迫り来て
紅き月 南十字星と語りてや我を認む
静寂なる荒野に 神のみわざを見るに
のみ込みて こみ上げし喜びを嚙みしむ
いまわれここ月の谷に神と共におりて
感謝の言葉にむせび ただただ祈りし
《 石ころのこころ、知りて嬉し 》
詩 後藤實久
石ころ君一つ一つに心魂ありて
呼びかけしわれ 石に問いかけし
「君 石ころなりしを喜びしか」
「君われ思う 心知りてや嬉し」
われまた 赤い大地に染まりて
君味わいし 涼風を感じて喜ぶを
われもまた君と同じく溶け合いて
赤い大地の涼風に混じりて遊びし
ああわれ君と遊びて愛を感ずるに
とらわれず風に逆らわず自由の身
宇宙のなか 我ら個々を尊びあい
われらいま一心の兄弟なるを喜ぶ
チリ山村サンペドロの朝
Sao Pedro / Chili
Sketched by Sanehisa Goto
Feb. 6, 2007 08:40am
<聖ペドロ教会堂での祈り>
詩 後藤實久
主よ、我ながい旅路が
神と共にあるを感謝す
我に与えられし人生が
導かれ守られんことを
主の深き恵みに満たされ
我が旅路が充足するを
主の温かき導きに奮え
わが魂 歌いて賛美す
神の無限なりし愛に
われ包まれてや感謝す
祈り・聖ペドロ教会堂にて
サンペドロ村 チリ
2007/2/6 10:28am
<サンペドロよりサンチャゴに向かう>
サンチャゴ行きのバスは快適なリクライニングシートの長距離夜行バスである。
2月6日サンペドロを14:15発、翌日2月7日13:00到着、約23時間のロングランである。
サンチャゴ行き長距離バス (サンペドロ / チリ)
バスの昼食休憩は、朝食を兼ねベジタリアン・レストラン<Café Sonchek>でとる。
メニューは、野菜サラダ付きのオムレツ・パン・コーヒーで、3600チリーペソである。
いま12:32、出発前の腹ごしらえをし、車中での非常食として果物とビスケットとミネラルウオーターを購入する。
ボリビアからチリに入って、まず出くわすのは、蝿の大軍に襲われることである。
食べ物に蝿が群がり来るので、蝿を払いながら食べるのである。
こういう光景は、南米ではよく出くわす。 ブラジルでは、肉屋にぶら下がった肉が、真っ黒になるほど蝿で覆い隠されている光景によく出会ったものだ。
しかし、スペイン風パティオに咲く花々は、旅人のこころを慰めてくれるから、蝿の不作法は許されるのであろう。
珈琲を飲みながら、マリンブルーの空のもと、パティオの花を眺め、流れる情熱的なラテン音楽の調べに耳を傾けていると、幸せが満ちてくる。
朝、描きかけたスケッチに彩色をほどこしているおのれが、南米のチリ―にいるというだけで夢心地である。
これより、サンチャゴに向けてほぼ丸一日、アンデスの荒涼とした砂丘陵のなか、バスによる長距離旅行である。 それも車中泊であるから子供のように心が高鳴るというものだ。
手元には水も、非常食もある。 トルストイの短編集「人はなんで生きるか」もあり、読破したい。
有り余った時間は、アンデスの山々に魅入りたい。 なんと贅沢な時間であろうか。
夜行バスが、アンデスの天空の峰々を駆け抜けて、わたしを夢の世界へと誘うと思うだけで興奮を抑えることが出来ない。
ベジタリアン・レストラン<Café Sonchek> での ランチメニュー
<サンチャゴへの道>
バスは、チリ―最北部Moon Valleyを抜け出て、快適なアスファルト道路を一路南下、サンチャゴに向かっている。 立派な道路をバスは、約100km/hのスピードで走り続けている。
見渡す限りのアンデスの不毛、砂丘地帯の風景が4時間ほど続く。
その砂漠に、道路に沿って見え隠れしながら幾本かのパイプラインが敷設されているのが、この国の豊かさを現わしているようだ。
チリ―は世界有数の鉱業大国であり、レアメタル/鉄鋼材料の添加剤/希少金属としての銅・モリブデン・リチウムなど豊富な鉱物資源を有している。
道路からは、大型の掘削用重機が多くみられるとともに、掘削した鉱物資源を運ぶ鉄道が延々と続く。
住人の服装も西欧化され、白人系が多く住んでいるようだ。
ペルーの山岳地帯やボリビアで出会った民族衣装を身にまとった古典的な人々と接したあとだけに、ここがアンデスの中にあるチリーなのかと、それぞれのインカの末裔がたどった歴史を目の当たりにして、驚きを隠すことが出来ない。
チリ―は、ペルーやボリビアより西欧に近いのだ。
砂漠地帯特有の丸帽子草をときどき見かけるほかは、月の砂漠のように水もなく、生き物を見ることもない。
沈黙の中にこそ神はいたもうと思えば、沈黙と対峙している今こそ、神の言葉を聞くことのできるその時であると云える。
こころしたい。
19:45pm、出発して4時間後、太平洋に面した大きな街Antofagastaに着いた。
サンチャゴに向かう沢山の乗客が乗り込んできた。
バスは、さらに南へ向けて走り続けるが、相変わらずのアタカマ砂漠がつづき、まるでペルーのナスカにいるような錯覚を覚える。
ただ自動車の量が増え、このような砂漠にも街が発達するものだと感心もさせられた。 ただ、その砂漠の街に育つ樹々の一本一本にはウオーターパイプが水を運んでいるのである。
いや、大変な乾燥地帯である。
南米の夏の夕陽に照らされた砂漠の丘陵は、月旅行をしているように、紅色に変わり、その化粧の美しさに目を見張った。
バスは、さらにアンデスの山並みを走っているはずだが、あのマチュピチュで見慣れたアンデスの男性的な山姿には出会っていない。
▼2/6 車中泊(サンペドロ➔サンチャゴへの長距離夜行バス)
サンペデロを出発した翌日、午前6時50分、ラ・セレナ/La Serenaを通過し、サンチャゴへあと5時間の地点で初めて草の生えたパンパ(大平原)に出た。
チリの首都である大都会サンチャゴ/Santiagoも近いようだ。
バスの通過時間を記しておきたい。
<国境の街サンペドロ 2/5 14:15発 ➔ コピアポ/Copiapo 2/6 02:30通過 ➔ ラ・セレナ 06:50通過
➔ サンチャゴ 13:00 到着>
■ 2月7日 サンチャゴ <チリ首都>
このバス旅行でも、可愛いチリの紳士・淑女と友達になった。
相変わらずの草木一本も見当たらない砂漠の風景に飽きた少年少女は、見慣れない東洋のおじいさんに興味を持ってくれたのである。
素敵な友人たち3人は、サンチャゴ大学歯学部教授のお子さん達である。
家族で里帰りからの途中だという。
バスの中では、スペイン語の会話を教えてくれたり、一緒にスケッチしたりと楽しい時間を過ごした。
サンチャゴ行き長距離夜行バスで仲良しになったチリの豆紳士と淑女
(左から ホセ・アンドリュー・アンドリア)
ホセの絵ラビット ホセ
アンドリア ホセが描いたわたしの似顔絵
13:00丁度、ホセ、アンドリュー、アンドリアとのお遊びに興じている間に、バスはサンチャゴ駅横のバスターミナルに滑り込んだ。
まるでインカの古代文明から、西欧の近代文明に迷い込んだような錯覚にとらわれたものである。
一歩バスを降りて、近代都市の抱える充満した人間の熱気や排気ガスに息苦しさを味わうことになった。
さっそく、この都会の雑踏を抜け出し、アルゼンチンの素敵な田舎メンドーサにエスケープするためにバス会社に飛び込み、チケットの申し込みをする。
しかし、メンドーサ行きのバスは全席満席とのこと、翌日の夜の座席を確保し、ようやく予約することができた。 どうも、チリーはバケーション・シーズンで、どこも混雑しているようである。
バス・チケットは、列車駅より5分ほど離れたTerminal de buses Santiagoで購入する。
<サンチャゴ07:30am発➔メンドーサ着 翌日16:30pm マイクロバス @1200ペソ>
結局、当日のチケット購入に失敗し、逃げ出したかった雑踏のサンチャゴに1泊することになってしまった。
バックパッカーとしての節約精神から、駅裏のキッチン宿(ホテル34―@7000ペソ/14US$)に投宿。
これがまた大変な宿、1畳半ほどのベニヤ壁の粗末な部屋、まず隣の部屋の声が丸聞こえであり、部屋の鍵が壊れており、自衛を余儀なくされる。
部屋の枕元の板壁に、にこやかに迎えてくれるマリリンモンローのピンナップが飾られているのが印象的であった。
サンチャゴの夜も遅くまで騒々しく、ホテル(木賃宿)の出入りも賑やかである。
サンチャゴ脱出は正解であるようだ。
夕食は、白身魚のムニエルに、ポテトスープ、野菜サラダとパン、地ビール(cerveza)である。(300ペソ)
南米の地図、特にチリの形を見ると、その南北に伸びた姿はまるで南米大陸の背骨のように伸びていることに気づく。
その背骨であるアンデス山脈はチリ中部プエルト・モン辺りで、すなわち太平洋岸・西側で断崖となって切り落ちている。
そのため南へ向かうためには、どうしても一度アルゼンチンに入り、アンデスの東山麓やパタゴニア・パンパを南下する必要がある。
今回も、サンチャゴから、メンドーサ―に出て、アルゼンチン側のパンパ(大平原)やパタゴニアを下ってチリーに再入国することにしている。
サンチャゴ駅構内 (バスターミナルは駅より徒歩5分ほどのところにある)
▼2/7 サンチャゴ(チリ首都) <HOTEL34> @7000ペソ サンチャゴ駅の裏手
サンチャゴ駅裏にある<HOTEL34>の入り口 と 板壁シングル・ルーム
明朝07:00発のメンドーサ行バスに乗るので、バスターミナル近くの<HOTEL34>に投宿する。
とんでもなくひどい木賃宿であることはすでに述べたが、バックパッカーとしてはいかなる状態、いかなる所でも眠れなければならないという覚悟が必要である。
湿った部屋では、マリリンモンローが笑顔で迎えてくれた。
ここ<HOTEL34>が、この南米一周巡礼路の聖地と思えば、有難く,こころして眠りにつけるというものだ。
■ 5月8日 サンチャゴ スモッグの朝に驚く
朝3時ごろから、南米に入ってはじめて下痢症状に見舞われる。
下痢状態でのバス移動ほど苦しく、大変なことはない。
しかし、世界を旅する限り、生水からくる下痢症状はつきものである。 さっそく救急袋から下痢を一発で止める<ストッパー>を取りだして服用。 さらに調剤の抗生物質と、念のため正露丸を口に放り込む。
後は出来る限り、水溶性の便を出し切っておくことに集中する。
急性下痢の原因は、魚定食についていた生野菜のサラダのようである。
普段は水洗いの生野菜を口にすることはないのだが、野菜不足や、慣れと気のゆるみからか口にしたものだ。
移動中のバスの中でのピーピー程苦しく、ほかの乗客に迷惑をかけることはない。
また、生水からの細菌性下痢は、待ったなしにピーピーがやってくるから始末が悪いのである。
世界を旅していて、何度バスを急停車させ、近くの樹木の影や、窪地や、他人の家のトイレに飛び込んだことか。
生水は、いかに注意していても口に入ってくるから致し方がないが、始末が悪い。
薬の準備と、生水への予防対策(絶対に口にしない・手洗い励行)をたてて、恐れずに旅を続けている。
サンチャゴ中央駅から北へ歩いて5分ほどのサンチャゴ・バスターミナルの隣にあるアラメダ・バスターミナルからメンドーサ―行のミニバスが出る。 チケットは59番窓口<COITRAM/SERVICIO MINIBUS MENDOZA>で購入する。
07:30 メンドーサ/Mendoza行ミニバスに乗る。 (1200ペソ)
アルゼンチン・メンドーザ行バス・チケット購入 メンドーザ行小型バン(ミニバス)
<列車駅より北5分に所にあるアラメダ・バスターミナルにて>
再度、アンデス山脈を横断して、メンドーサ(アルゼンチン)へ向かうのいである。
途中、アンデス山脈、いや南米一高い山アコンカグア山(6961m)のフランカ/Franca峠4200mを越えていく。
バスでは、揺れながらスケッチに一生懸命に手を動かした。
チリから見るアンデス山脈(南米)で一番高い山 アコンコグア山6961m(奥)
(サンチャゴよりメンドーサ / アルゼンチンへのアンデス越え)
アカンコグア山6961m (チリ―側)
Peak of Mt. Aconcagua 6962m (Chili side)
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 8, 2007 10:36pm
フランカ峠4200mからのアコンカグア山の眺望がいい
夜間ハイク中止によるアカンコグア山と星座/南十字星の関係 想像スケッチ
この南米一周の旅の7年後、機会に恵まれてピースボート81<世界一周南半球一周>の途上、太平洋バルパライソ沖よりアンデス山脈にそびえる南米一高いアコンカグア山をパノラマスケッチにおさめたので、その雄姿をご紹介しておきたい。
パルパライソ沖 太平洋上より眺めるアコンカグア山(中央)
Mt. Aconcagua seen from above the Pacific Ocean (center)
Off the coast of Valparaiso
Water color Painting by Sanehisa Goto
Jan 24, 2014
■ 2月9日 アンデス山脈フランカ峠越え
🚐 サンチャゴ(ペルー)➔メンドーザ(アルゼンチン)
アンデス山脈のフランカ峠を下るにしたがって、アルゼンチン側の猛暑が待ち受けていた。
チリとアルゼンチンの国境で、簡単な入出国と税関検査を受ける。
国境というところは、通過するときはいつも一種の緊張が走る。 しかしここチリーとアルゼンチンの国境はいたって平和、両国のフレンドリーな関係が緊張を緩和させているのであろう。
サンチャゴ(ペルー)➔メンドーザ(アルゼンチン)は険しいアンデス山脈フランカ峠を越えて行く。
現在、アカンコグア山を越えるフランカ峠を喘ぎながらミニバスは上っている。
雪残る山嶺が美しさの中に、険しく厳しい姿を見せている。
2007年2月8日、10時45分アンデスを越えた記念すべき日である。
フランカ峠からメンドーサへは、191㎞と標識にあった。
アコンカグア山6961m チリ側の勇姿 (フランカ峠手前チリ側)
アコンカグア山6961m アルゼンチン側の勇姿 (フランカ峠越え)
フランカ峠を越え、アコンカグア山を背後にメンドーサ―に向かう
サンチャゴを出発して、アコンカグア山越えのフランカ峠まで約4時間かかっている。
後は、アルゼンチン側の豊かなパンパ(緑の大平原)に迎えられ、地平線に向かって葡萄畑が延々と続いている中を191km走ってメンドーサに着くのだ。
南米で一番豊かな国の風景である。
有名なメンドーサ・ワインを産する葡萄畑
アンデス山麓まで続く広大な葡萄畑が延々と続く豊かな風景である
16:00過ぎ、ミニバスは約8時間走って、予定より少し遅れてメンドーサに到着した。
さっそく投宿先を探すが、バケーション・シーズンなのと、メンドーサという避暑地としての人気からか、部屋が全部ふさがっているという。
三軒目の<KAPAC HOTEL>で、ようやくダブルルーム(@80チリ・ペソ/27US$/3000円)があるという。
バックパッカーとしては贅沢な宿泊費、アカンコグア・夜間トレッキング・ツアーをキャンセルし、宿泊代に充てることにした。
楽しみにしていた夜空にそびえるアカンコグア山と南十字星のスケッチを、昼見た山を想像しながらスケッチに描いてみた。(前掲)
疲れ顔 KAPAC HOTELのロビーで バケーション客でメンドーサは混雑していた
とにかく、体調の回復と休養に努めることにした。
1日ほとんど何も食べずに過ごした甲斐あって、下痢の症状も改善されたうえに、お腹がすいてきた。
さっそく近くのスーパーマーケットでトマト2・バナナ2・生ハム・インスタントラーメン2・ビール・フランスパンを購入し、ホテルでかぶりついた。
ビールは、時としてミネラルウオーターよりも安く手に入り、ミネラル水よりも殺菌性が高いのでよく利用している。 海外では、時としてペットボトルが、再注水して売られていることがあり、旅人は密閉されたキャップの確認にこころすべきである。
▼2/8 -10 KAPAC HOTEL(@80チリペソ/27US$/3000円) メンドーサ3連泊
■ 2月9日 休養日 メンドーサ滞在(アルゼンチン)
今日も主に守られていると思うとこころ踊る。
ここ数日間、アンデスの山を駈けるバスに揺れ続けたうえ、生水にやられ、サンチャゴからのバスでは食事を控えていたため体調もすぐれない。
すこし疲れがたまったようである。
朝食は、ホテル代込み、ピーチジュース・アプリコットゼリー・フルーツサラダ・菓子パンにコーヒーである。
久しぶりの休養日、パティオに咲く花を愛でながら、ウユニ塩湖以降のスケッチの彩色にとりかかった。
ホテルの簡単な朝食(宿代込み) KAPAC-HOTEL/メンドーサ
メンドーサの街は、避暑地としても有名、人口が何倍も膨れ上がっているようである。
ここが南米かと疑うほどヨーロッパの避暑地と変わらない上に、ここに来るまでに過ごしてきたアンデスの住人とは全く異なる人種が闊歩しているのだから、白人の世界に迷い込んできたみたいな錯覚に襲われた。
外は、なんと暑いことか。
頭から汗がしたたり落ちてくるのである。
甘党の私には、アイスクリームとチョコレートがあるのがいい。
それも種類が多く、めっぽう美味しいのである。 暑い時にはアイスクリームに限る。
メンドーサの街角には、お花屋さんのスタンドが立ち並び、その鮮やかな色彩は観光客を楽しませてくれる。
街を散策しながら、次の目的地である南米のスイスと言われる<バリローチェ>へのバス予約をするために旅行社に立寄る。
メンドーサからバリローチェまで、約2000kmを19時間かけて長距離夜行バスで移動する。
<🚐 Mendoza 20:00出発 ➔ Bariloche 翌日13:30到着 2000km 19H 50US$>
バス会社:ANDERSON CO. 座席番号#43
19時間のバス旅行に備えて体を休めておくことにして、葡萄畑にでかけスケッチを楽しんだ。
白い雪をかぶったアンデスの山々の見下ろす葡萄畑が、その山裾に消え入るように広がる様は、はじめてパンパ(緑の大平原)を目にする者にとってその広大さは驚きであった。
花を愛するアルゼンチン人、メンドーサの街角には必ずお花が溢れている
雪かぶるアンデスの山の前に広がるメンドーサの見渡す限りの葡萄畑
A vineyard as far as the eye can see from Mendoza
in front of the snow-capped Andean mountains
Sketched by Sanehisa Goto
<バイキング形式の中華料理>
腹痛(下痢)で食事を抑えていた空腹を満たすため、中華のバイキングに挑戦した。 世界のどのような小さな街でもお目にかかれる中華料理店、その味は絶品、またそのボリュームは最高である。
また食べ残しは、入れ物に包んでくれるのだから、バックパッカーの救世主であると云える有難い存在である。
日本を出て以来、口にしていなかったナスビと茹で卵とを目にしたときの、なんと新鮮で嬉しかったこと、真っ先にプレートに盛り付けたものである。
また、ボリビア国境以来、日本人はおろか、東洋人にもただ一人として会っていなかった。
ここ中華料理店で、もちろん中国人オーナーと出会っただけで、ほっとした気持ちにさせられた。
異国、特に辺境の地を旅するときは、孤独である。
ただ独りで、国を代表しているようなものである。
なにか事故や事件があれば孤の人であり、たえず緊張の中にあるのだ。
時として僻地で、日本の冒険青年にばったりと出会うことがある。
嬉しさがこみ上げ、その日本語に安心し、自分を解き放つものである。
中華バイキング(18ペソ)
■ 2月10日 パタゴニアに向かう
🚐移動 メンドーザ(アルゼンチン)➔ バリローチェ(アルゼンチン) 944km 19H
これから向かうバルローチェ/正式にはSan Carlos de Barilocheは、標高770mの高地にあり、ナウエル・ウアビ湖畔にある<南米のスイス>と呼ばれる風光明媚な地である。
背後にはセロ・カテドラル山/Cerro Catedral 標高2388mがそびえる国立公園の中にある。
チェックアウトを済ませ、バスターミナルへ直行、バックパックを預け(3US$)、まずトイレでバス乗車前の下痢予防対策をとる。
長距離バス移動における万が一を考え胃腸を出来る限り空にし、正露丸を放り込むという原始的な予防法である。 あと、緊急用チャック付冷凍保存バックとウエットティッシュと水と下痢止め薬<ストッパー>がウエストポーチにあるかを確認する。
バス移動中の下痢症状ほど、悲惨なことはないという経験からの<備えよ常に>である。
次に、非常食である果物(バナナ・リンゴ)とビスケット、チョコレート、ミネラルウオーターを購入、最後にATMで両替して、バス旅行の準備を終えた。
バス出発まで、ガーデンテラスでコーヒーを注文、スケッチの彩色を続けた。
さんさんと照る南半球の太陽の光を受けて、メンドーサ―の街路樹は透き通る緑の美しさを競っている。
この美しさを、美しさとしてとらえられるこの現象もまた神の贈り物であると思うだけで嬉しさがこみあげてくる。
ズボンにボールペンからあふれ出た油性のインクがべっとり付着しているのに気づいた。 メンドーサの暑さに日本から持参したペンが耐えられず、逆流したのであろう。 もちろん現地のボールペンを、さっそく2本(2ペソ)手に入れた。
メンドーサ・バスターミナル・カフェテラスで
2007/02/10 11:32am
12:30~18:00まで、メンドーサの多くの店が、シエスタ―(午睡)をとるらしい。
店のシャッターを閉め、家に帰ったり、公園の木陰に寝そべるのである。
カフェテラスの私の周りでも、犬たちが横になったり、足をひらけて昼寝である。
いやはやメンドーサ―の暑さは猛烈である。
ただ日本の夏と違って、蝉一匹鳴かない静寂の夏である。
わたしもスケッチの彩色を中断し、この暑さをさけるため、カフェテラスの芝生にフリースを広げて、寝ころんでトルストイ短編集「人は何で生きるか」のページをめくってみた。
52ページに、『すべての人は、彼らが自分で自らのことを考えるからではなく、人々の心に愛があることによって、生きているのである。』 とある。
確かに人はみな、「何かを待つ」ている。 この世をはなれて、天に帰る日をである。 この待つ時間が人にとって大切に思えてならない。
時と共に流れながら、ひとの愛を見つめなおすことが出来るからである。
<長距離バスの乗り方>
世界各地で、長距離バスに乗る場合は、まず自分が乗っているバスの外観(形・配色・ロゴ・行き先・プレートナンバー)と、ドライバーの特徴や癖、同乗者とくに自分の周りの乗客の顔や性別などを詳しく観察しておくことである。
そして、前後左右の隣人に声掛けして、顔見知りになっておくことにしている。
特に、バスドライバーにはたえず声掛けをして、こちらを覚えてもらうことが重要である。もちろん途中でドライバーが交代することもあるので、その都度ドライバーとのコミュニケーションをとっておくことが大切である。
シベリアや中央アジア、アフリカや中国の奥地などでは何日間もバスで寝起きしながら、目的地に向かうことがある。 もちろん、バスもまた寝台バスになっていることもある。
休憩地では、多くのバスが集散するので、同じ会社のバスや、よく似たバスで混雑し、錯覚を招くことがある。
このような場合、ほかのバスに乗ったり、残されたままバスが出発してしまうことがある。
かかる場合に助けてもらえるのが顔見知りの乗客や、ドライバーであるからである。
その上、休憩停車中は、ドライバーが見える範囲内か、同じバスの群れの中にいるように注意することが肝要である。
バスが休憩する前に、ドライバーが出発時間や、駐車位置をアナウンスするが、南米ではスペイン語か、ポルトゲスなので、聞き取れなかったり、理解できなかったりすることが多いので、特に注意が必要である。
一度、モンゴルのウランバードールのバスターミナルで、多くのバスが待つなか自分の乗るバスと思われるドライバーに乗車券を見せて、行先を念押したうえで乗車したはずが、ここは私の席だと言い張る乗客がいて初めて、バス間違いに気づいて慌てたことがある。 問題はドライバーの不親切さだが、こちらの発音にもおおいに原因がありそうである。
それ以来、英語圏以外ではドライバーに、乗車券を見せ、行先を何度も念押しをすることにしている。
また国や、地域によってバスの行き先の標示の仕方が異なることや、数字がアラビア文字(アラビック)であったりと、特に長距離のバスに乗る場合は、気を付けたいものである。
<40分遅れでバルローチェにむけ出発>
日本以外で体験する発車時間があるようでないバスの発車風景、一切のアナウンスなく、乗客も騒ぐことなく、バスはいつもの通り静かにメンドーサのバスターミナルを40分遅れで、20:40pm、バリローチェに向かって走り出した。
バスそのものは、メルセデスベンツ製で最新型、重厚で豪華そのものであり、どっしりした走りをする。
約18時間の長距離ドライブ、アルゼンチン中部に位置するナウエル・ウアピ国立公園にあるバルローチェ向かう。
▼2/10 長距離夜行バス 車中泊
■ 2月11日 <メンドーサ➔バリローチェ 長距離夜行バスで走行中>
バスは、アルゼンチンのパンパ、大草原の朝日に迎えられて一路バリローチェに向かっている。
アルゼンチンのパンパ(大平原)に上がる朝日
Sun rising to Pampa (Great Plains) in Argentina
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 11, 2007 06:25am
<アルゼンチンのパンパ/大草原をバスで縦走>
このように豊かな国がこの地球星にあるものである。
プラタナスが天を突くがごとく育ち、灌漑用水路が縦横に張めぐらされ、パンパ/大草原は緑の豊作物で埋め尽くされている。
北海道のあの豊かな大地でさえ比較にならないほどの広大さである。
リンゴ畑など何時間も延々と続くのである。
360度の視界に山影はなく、地平線の真ん中をバスは走り続けている。
アンデスの山並みはどこに消えてしまったのだろうか。
自然の豊かさに比べて、農村の家々は少し疲れて見える。
煙突から立ち上る一筋の白い煙が晴天に吸い込まれていく風景がパンパによく似合う。
パンパを走る田舎の小径は、みな赤土であるのがまたいい。
パンパが終わり、手つかずの大荒野が残され、ところどころに牧場の緑の芝生がパッチワークのように見えだす。 将来のパンパとして残されている未開の地のようである。
今から50数年前、卒業して間もなく南米移住を志望する青年が集って、訓練を受けたキリスト教系<力行会>という実修所が東京江古田にあった。
そこで同期であったK君は、養鶏農家目指して、アルゼンチンに移住したことが想いだされた。
この広大なパンパのどこかで養鶏に一生を捧げ、がんばっていると思うと感無量であった。
バスの車窓から美しいナウエル・ウアピ湖に映るアンデスの山嶺をスケッチにおさめている間に、バスは終点バリローチェに近づいたようだ。
⇑12:30am ナウエル・ウアピ湖 バリローチェ (バス車窓よりスケッチ2景) 13:15⇓
<バリローチェに到着>
13:18pm バスはナウエル・ウアピ湖の美しい景色の中に吸い込まれるようにバリローチェのバスターミナルに滑り込んだ。 出発の遅延は、15分早く到着して修正、すべてよければOKであり、大陸的である。
やっとのことで、パタゴニアの入口に着いたが、これからが大変である。
そう、自分が行きたい土地へ、行きたいときに、行ってくれるバスがないという不便である。
もし、バスの便があったとしても、週に何便しかなかったり、当日であれば満席で乗ることすらできず、2~3日足止めされる羽目にあう。
他の会社のバスを探すにしても、スケジュール通り、思いのままに行動することは望めない。
便があるならば、躊躇せず目的地まで行ってしまうのが賢明である。
ということで、バルローチェの観光を楽しむ暇もなく、現地のバスの便をチェックし、次の目的地ウシュアイアへ向かう一番早い便を乗り継ぐことにした。
乗継便の時間を惜しんで、バスターミナルから、ナウエル・ウアピ湖/Lago Nahuel Huapiに映るアンデスの山々をスケッチした。
ナウル・ワラビ湖に映るアンデスの山々 (バリローチェ/アルゼンチン)
ナウエル・ウアピ湖/Lago Nahuel Huapiに映るアンデスの山々
Andean mountains reflected in Lago Nahuel Huapi (Argentina)
バリローチェ/アルゼンチン
Water Color Paiting by Sanehisa Goto
Feb.11,2007 14:38pm
■ 2月12日 バリローチェよりウシュアイアへ向かう
<ウシュアイアへの道のり ―乗継地―>
🚐バリローチェ ➔ コモドーロ・リバダビア ➔ リオ・ガジェンゴス ➔ ウシュアイア
Bariloche➔ Comodoro-Rivadavia➔ Rio-Gallegos ➔ Ushuaia
バリローチェ 20:40発 ➔ 06:00着 コモドーロ・リバダビア(車中泊)
リバダビア 08:00発 ➔ 18:30 着 リオ・ガジェンゴス(ホテル泊)
リオ・ガジェンゴス 08:05発 ➔ 21:00 着 ウシュアイア
乗継地バリローチェ / ナウエルウアピ湖畔でスケッチ 歓迎・バリローチェへようこそ<素敵な旅を>
バリローチェ・バスターミナルから次の乗継地コモドーロ・リバダビアへ向かう
バリローチェの夕焼け
▼2/11 コモドーロ・リバダビア行長距離バス 車中泊
コモドーロ・リバダビア行長距離夜行バス
■ 2月12日 パタゴニア・パンパを縦断、コモドーロ・リバダビアへ向かう
バリローチェからウシュアイアへの直通バスはなく、途中でバスを乗り継いでいくことになる。
バリローチェから、コモドーロ・リバダビアへ向かうバス会社<DON OTTO-Lider Patagonico>のサービスの悪さに、バックパッカーという過酷な条件を知り尽くした者にでさえも、愚痴るほどであった。
長距離バスであるにも関わらず、食事のサービスはなく、乗降者の無い各バス停に止まるなど、まるでローカルバスである。
夜中空腹を覚え、バスの休憩時間に小さな村に立寄ったので、店に入ってみたが食べ物は無い状態である。
もちろんかかる状況にも備えて非常食を買込んでいたので、水・バナナ・ビスケットで空腹を満たした。
ここは辺境の地、パタゴニアである。 バス路線があるだけでも有難いと思いなおして、ウシュアイアまで有意義に時間を過ごすことに気持ちを切り替えたものだ。
コモドーロ・リバダヴィアへは、バリローチェから始まるパタゴニアという険しい山塊を進むことになる。
また、多くの氷河が重なるパタゴニア・アンデスの絶景を見ながらの旅でもある。
バリローチェを出てすぐ、右手に見える富士山に似たトロナド―ル山3554mの美しいシルエットに声を上げた。
車窓からのスケッチを楽しみたい。
アンデス山脈は、すでにたどってきたマチュピッチュ、クスコ、ラパスを含む高山としての北アンデスと、サンチャゴよりバリローチェに至る高原のひろがる中央アンデスと、これより分け入る険しく平地の無くなるパタゴニアにそびえる南アンデスの、異なる三つの様相を見せる。
バリローチェからの変化に富んだパタゴニア・アンデスは、手つかずの自然が残る秘境とも言える。 パタゴニアは、南アンデスを境にチリー側パタゴニア・フィヨルドと、アルゼンチン側パタゴニア・パンパに分けられる。
パタゴニアの自然の素晴らしさは、荒々らしい山姿の凄味と、見渡す限りの荒涼とした大平原に見ることが出来る。
スイス周辺のアルプスのように、その美しい景観をコンパクトに、一枚のキャンバスに描き上げることは出来そうにない。
しかし、パタゴニアの景色は、広大な南アンデスの中に散りばめられ、全体として大味であるが、それぞれのシーンを切り取る時、その山々の燃え立つパワーや、見渡す限りの地平線が空と一体となった風景など
、静かなるエネルギーを身近に感じるのである。
パタゴニアは、アンデス山脈の東西によって、アンデス山脈の東に広がる荒涼としたアルゼンチン側の<パタゴニア大平原/PATAGONIA・PAMPA>と、アンデス山脈の西に鎮座するチリ側の<パタゴニア・フィヨルド/PATAGONIA・FJORD>に大きく二つに分けられる。
奥にトロナド―ル山3554m
Rock Ridge of Patagonia Andes ① (Argentina)
Sketched by Sanehisa Goto
2007/02/11 16:48pm
Rock Ridge of Patagonia Andes ① (Argentina)
Sketched by Sanehisa Goto
2007/02/11 18:18pm
パタゴニア大平原パンパ (アルゼンチン)
▼2/12 コモドーロ・リバダビア行長距離バス 車中泊
■ 2月13日 リオ・カジェンゴスに向かう (バス移動中の宿泊立寄り地)
🚐移動 コモドーロ・リバダビア 08:00発 ➔ リオ・カジェンゴス 18:30着
<Comodoro Rivadavia ➔ Rio Gallegos>
バス会社:<DON OTTO SIDER PATAGONIA>(10H 68US$)
朝、06:00am ほぼ時間通りに大西洋岸の人口13万人の中堅都市<コモドーロ・リバダビア/Comodoro-Rivadavia>に到着した。
ここで、08:00am発の長距離バス<リオ・ガジェゴス/Rio Gallegos>行に乗り継いでウシュアイアを目指す。
バリローチェからのバスでは、最後尾の座席であったため、揺れが激しく、漏れ出した排ガスのお陰で眠りを妨げられたものである。
バックパッカーは、旅先でのバスチケット購入にに際して、どうしても現地の乗客が予約したあとの座席を振り分けられることになる。 その場合、どうしても最後尾の空いている座席が与えられることになる。
シニア・バックパッカーには睡眠不足ほど体にこたえることはない。
乗継のわずかな時間だが、腹ごしらえと、仮眠をとっておくことにする。
06:41 いままさに真紅の朝日が大西洋に昇りつつある。
テラスのテレビでは、イランのラジャ二大統領が、反米のアジ演説に声を上げ、国民は国旗を打ち振って応えている。 権力の誇示は、この清らかな朝日には似つかわしくない。
人間は、なぜ覇権を望み、敵対し、憎しみあうのであろうか。
愚かである。
コモドーロ・リバダビアというアルゼンチンの大西洋岸にある地方都市で、バス乗継というわずかな時間に滞在し、サンドイッチとコーヒーを口にしながら、旅のひとどきを過ごしていることに、贅沢を味わっている。
この騒々しい世の中でも、朝日は今朝もその魅力を余すことなくプレゼントし、魂の浄化に尽くしてくれているから素晴らしい。
朝焼けの大西洋を見渡す乗継地コモドーロ・リバダビア・バスターミナルにて
Terminal De Omnibus - C.RIVADAVIA/コモドーロ・リバダビア・バスターミナルにて
旅をしていると、どのような小さな人の善意や親切も、こころを震わすものである。
今朝も、うっかり老人の忘れサングラスを親切にも届けてくれたひとがいる。
小さな善意、人を思いやる心こそ、平和な世の中をつくる一歩であるといえる。
気持ちのいい朝だ。
<リオ・ガジェゴス/Rio Gallegos>行きバス(リアのパタゴニア山稜写真)
ここバスターミナルのテラスで、新鮮な朝日と共に、向かいに座っていた10歳ほどの、黒い瞳を持つ少女とのなんともいえない素敵な無言の会話の交流を持った。
お互いに認め合い、何かを求め合うという無言の会話、そのようなこころの会話を持つことはないだろうか。 そこには魂の触れ合いが、互いに引き合うように感じられることがある。
お互いの感情がふつふつと湧き上がっているが、言葉には出さず、ひとみで語り合う時間がゆったりと流れる。
そこには、あたたかい心の通った、飾る必要のない会話が、静かに無言の中に流れる。
いまわたしは、神の瞳とアイコンタクトしているのであろう。
わたしたちの間に、神の存在を感じている瞬間である。
そこには幸せを認め合った、それぞれの幸せが感じ取れる。
お互い微笑みを交わし、目と目で別れを告げた。
バリローチェからのバスで、ユダヤ教聖典<トーラ>の注釈書<タルムード>を回し読みしていたイスラエルからの男女6人グループは、<リオ・ガジェンゴス>行のバスに乗ると同時に眠りに入った。
バスの中は、眠りで静かである。
バスは眠りを乗せて、45分遅れで、コモドーロ・リバダビア・バスターミナルを静かに滑り出した。
バスは、<リオ・ガジェゴス/Rio Gallegos>までの約12時間、大西洋岸を南下し、南極へと近づく。
陸地はぺんぺん草の砂漠に変わり、荒涼としたアルゼンチン南部、パタゴニア・パンパがどこまでも続く。
バスは、荒涼としたアルゼンチン・パタゴニア大平原パンパを走り続ける
The desolate Patagonia Great Plains Pampa
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 13, 2007 09:38am
<パタゴニア・パンパ 大平原におりて>
詩 後藤實久
旅を眺める そこに自分がいることに気づき
旅が自分をながめていることを知る
人生すべて お互いを眺め 理解と認識と
愛を感じてこそ お互いの存在が成り立つ
人生における愛は一歩通行ではない
認識したら必ず相手は認識を返してくる
暗黙の共通のルールがあるからこそ
この世の愛の交換が成り立つ
認識されているのに認識できないとき
そこには悲しき不成立が確立する
いつも耳を傾け こころを向けてこそ
相手を認識し 心通わすことが出来る
そして 魂を呼び覚ませてこそ
相手の愛を感じ 愛を返すことが出来る
ああわれいまパタゴニア・パンパにおりて
旅に身を沈め おのれに語りしを喜ぶ
<パタゴニア・パンパをバスで走り抜ける>
パタゴニア・パンパは、見渡す限りの荒野だ。
この広大無辺な荒野を、誰が緑に変えるのだろうか。
幾世紀もこのままで、変わることのない光景が続くことであろう。
ところどころ柵が残っているところを見ると、牧草地帯、牧場として利用していたと思われる。
しかし、現在、見渡しても牛や羊は見当たらない。
木陰なく、ぺんぺん草しか生えない荒野は、牧場としても適しないといえる。
ウシュアイア行のこのバスの私の隣席に、モンゴル的風貌にアメリカンインディアン風のファッションをした夫婦とその子供が座った。
バスの乗客がほとんど西欧系白人(スペイン系アルゼンチン人)であるから、この家族は原住民の子孫であることが一目で分かる。
バスの中での家族の居心地の悪さを見ていると、オオカミのような征服者の驕りというか、傲慢さのなかに放り込まれた羊のように見えてしまう。
もう一人の乗客であり異邦人であるモゴル系のジャパニーズ、それが厚顔のわたしである。
パタゴニア・パンパを駈け抜けながら、この国アルゼンチンの成立ちの一部分に触れたような気がした。
夕、午後8時というのにここパタゴニア・パンパは、陽が高く、明るく大地を照らしている。
南極が近いことが分かる。
バリローチェから、バスを乗り継いでここリオ・ガジェゴスまでは長い道のりであった。
昨日20 : 40バリローチェを出て、リオ・ガジェゴスに翌日の18:30に着いたのだから、途中2時間の乗継休憩はあったものの、約22時間の長距離バス旅行、その間ほとんどが荒野、パタゴニアの山並み以外は無味乾燥な風景であった。
▼2/13 リオ・ガジェゴス Hotel Liporaci泊 @100ペソ (アルゼンチン)
バス代を節約するために、ウシュアイア行直行に乗り、バスで車中泊する計画もあったが、長旅での老体をいたわるために、ここリオ・ガジェゴスで途中下車し、<Hotel Liporaci>で1泊することにしたのである。
老バックパッカーにとって、疲れは早めに取っておくほうが得策である。
夕食は、2階のレストランにあるレストランでピザと赤ワインを注文した。
ピザの大きいこと、赤ワインも絶品<Red Wine-VINAS DE BALBO>、素晴らしいディナー(ワイン込み16ペソ)となった。
いよいよ明日は、地球の最南端の街ウシュアイアに立つことになる。
今夜は赤ワインで乾杯、少し酔ってきたようで、バスの疲れもあって安眠できそうである。
ベットの上で、思いっきり体を延ばして眠りについた。
まだ体に、バスの振動を残しているような感覚である。
Hotel Liporaci / ホテル・リポラシ (リオ・ガジェンゴス) 100ペソ
<Hotel Liporaci> バケーションシーズンなのかシングルは満室で、ダブルルームに空きがあり100ペソという。 部屋もきれいで、エアコン/TV/TEL付きとバックパッカーには贅沢だが、体を休めるために決めた。
ここリオ・ガジェンゴス/Rio Gallegosは、未開の荒野にできた街の風情である。
観光地とは程遠く、観光地への中継都市として発展したようである。
ここは南米大陸の最南端で、それに続くフェゴ島への入口であり、またファカラ方面のパイン国立公園への乗継地であり、交通の要所である。
■ 2月14日 <リオ・ガジェゴス ➔ ウシュアイア>
🚐 リオ・ガジェゴス 08 : 05発 ➔ ウシュアイア 21 : 00着
バス会社 : <TECNI AUSTRAL> 110ペソ
Rio Gallegos ➔ Punta Arenas ➔(フェリー)➔ Rio Grande ➔ Ushuaia
リオ・ガジェンゴス バスターミナルで朝日を迎える
08 : 00am ウシュアイア行バス、リオ・ガジェゴス バスターミナルを出発。
09 : 45am チリ国境で入出国手続き、1時間ほどかかった。
外は、パタゴニア特有の強風が吹いている。
パタゴニアの主役は、風船のように浮かぶ無数の雲たちだ。
雲海は、パタゴニアのパンパである荒野に無数の影を造り、そのモザイク模様が美しい。
この辺りのパンパ(荒野・大平原)にはダチョウたちが放牧されており、初めて生き物に出会った。
この大荒野、塩分を含んでいるのではないだろうか。
草木が生えない原因ではないかとふと思った。
わずかな雨が降り、水溜りが出来、乾燥した跡に塩のような白い粉、白い膜をはり、地表を覆っているからである。
ここパタゴニア・パンパの西側には、正反対の地形であるチリ側パタゴニア・フィヨルドが連なる。
アンデス山脈が太平洋岸に突き出て断崖絶壁を形成し、人を寄せ付けない地形になっている。
チリの首都であるサンチャゴより南下する国道は、プエルト・モント/Puerto Monttで行き止まりとなる。
チリ側パタゴニアには、船を使うか、アルゼンチン側パタゴニア・パンパに一度入って、プエルト・アイセン/Puerto Aysen(チリ側パタゴニア中部)や、プエルト・ナタレス/Puerto Natales(同南部)へ、バスで向かうことになる。
この旅でも、チリ側パタゴニア・フィヨルドを縦断して、ウシュアイアに向かうことが出来ないので、サンチャゴからアコンカグア(標高6960m)の峠を越え、メンドーサ(アルゼンチン)に出て、アンデス山脈の東側を南下し、バリローチェを経て、アルゼンチン側パタゴニアを縦断することとなった。
その後、再度<リオ・ガジェゴス/Rio Gallegos>経由チリに入り、プンタ・ナタレスからフェリーでマゼラン海峡を渡る。
バスは再びフイゴ島のアルゼンチンに入り、リオ・グランデを経て、南米大陸最南端の街ウシュアイアに到着する。
この2007年のバスの旅では、陸路でのチリ側パタゴニア・フィヨルド/南アンデスに分け入ることが出来なかったが、2014年ピースボート81回南半球船旅に参加する機会があり、オーシャンドリーム号上にて、太平洋側よりのその壮大なフィヨルドの景色をパノラマ・スケッチで連続描写した。
アンデス山脈沿いの南下路は、人類の大移動の道<グレイト・ジャーニー>でもあり、モンゴル系人種もまたアリューシャン列島沿いに、北米大陸に渡り、ロッキー山脈沿いに南下を続け、パナマの地峡を渡り、アンデス山脈沿いにフィヨルドを突き進んで、南米の最南端ウシュアイアに向かった大動脈であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次回のブログで、神秘のパタゴニア・フィヨルド/南アンデスの山稜をお楽しみください。
2021『星の巡礼 パタゴニア・フィヨルド ー パノラマスケッチ展』 《 パタゴニア・フィヨルド ― パノラマスケッチ展 》 Patagonia on the Chilean side / Peaks of the Southern Andes, a collection of panoramic sketches 2014年1月18~20日、南米最南端の…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/01/28/235057
-------------------------------------
<マゼラン海峡を渡るーMagallanes/マガジャネス>
バスは、プンタ・アレーナス/Punta Arenasでフェリーに積まれ、マゼラン海峡を渡り、約20分でウシュアイアのあるフイゴ島に到達する。 フェリーは、フイゴ島のポリベニール / Porvenir(チリ)に着く。
フイゴ島は、九州よりやや大きい島である。
目的地のウシュアイアは、フイゴ島の最南端に位置する。
マゼラン海峡は、1520年マゼランによって発見された海峡で、パナマ運河が出来るまでの大西洋―太平洋最短航路であった。
この船(フェリー)が、わたしを乗せてマゼラン海峡を渡るというだけで、高揚した。
マゼラン海峡は、白い綿雲のもと、強い風が吹き、雲間の青い点は透き通り、海峡は静かに波打っていた。
興奮気味の乗船客と、数台のバスや乗用車を乗せて、フェリーはマゼラン海峡を渡り切った。
マゼラン海峡 フェリーでフイゴ島へ渡る <プンタ・アレナス ➔ ポルベニール>
マゼラン海峡 / Strait of Magellan
マゼラン海峡 フェリー<プンタ・アレナス ➔ ポルベニール>船上でチリの青年たちと
マゼラン海峡をフェリーで渡り、フェゴ島南端のウシュアイアに向かう
Strait of Magellan Ferry (Bus to Ushuaia)
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 13, 2007 12:35
<フェゴ島をバスで走る>
フェゴ島は、九州よりも大きいので島という感じがしない。
フェゴ島は、チリとアルゼンチン領に別れ、ウシュアイアはアルゼンチンの最南端の街である。
ウシュアイアへは、チリ領<プンタ・アレナス/Punta Arenas>から、同じくチリ領のフイゴ島北にある<ポルベニール/Porvenir>にフェリーで渡り、アルゼンチン領のリオ・グランデ/Rio Grandeでバスを乗り換える。
フェゴ島をはじめ、南米大陸最南端のパタゴニアは、チリとアルゼンチン両国の国境が絡み合って複雑である。
フェゴ島にフェリーで上陸して目にした風景を紹介しておきたい。
一面の枯草の荒野が続き、水気のあるところには小さな命たちが自分たちの緑の世界を創り、太陽の光を一杯に浴びて、平和な生活を楽しんでいる。
枯草たちも、マゼラン海峡からの強い風に左右にと駈け回り、踊りを楽しんでいるようだ。
バスに揺れていると、おのれが枯草になって風とたわむれているような、夢の中に誘われるのである。
風に託して風に吹かれるままに、いや、心の揺れるままに旅をしているおのれの姿と重ったものである。
枯草も、おのれも存在そのままを、生きていること自体を楽しんでいるのだ。
フェゴ島の悪路にも、蝶々が舞い、小さな花たちがその美しさを競っている姿をも目にすることが出来る。
チリ側の悪路(未舗装)は、アルゼンチン側に入ると、一転アスファルト道に変わる。
バスは速度をあげ、バスの乗換え地<リオ・グランデ/Rio Grande>に滑り込んだ。
綿雲の綺麗なフイゴ島 フィゴ島で出会った世界一周中の自転車
<リオ・グランデ/Rio Grandeからの風景> 17 : 45バス乗換
ここまでの三日間、パタゴニアの荒野であるパンパを縦断してきて、突如として姿をあらわす<リオ・グランデ/Rio Grande>の街に出会って、安堵したものである。
ここリオ・グランデの街でも世界一周中の自転車野郎に出会った。
おのれの達しえない世界一周自転車の旅の挑戦者にエールを送った。
リオ・グランデを出てしばらくすると、立ち枯れの樹々がお化けのように立ち尽くす光景に出くわす。
立ち尽くす枯木の光景に驚く ビーグレ水道に出るとウシュアイアは近い
さらに進み、ウシュアイアに近づくに従って、パタゴニア・パンパでは見かけることが出来なかった、山々に木が茂り、青い水をたたえた湖が点在し、高い嶺には雪をいだいている光景へと続く。
そこは、南極への入口であり、パタゴニア・フィヨルドウラン遊覧の母港であり、多くの観光客を魅了してやまない、地の果てと呼ばれるウシュアイアである。
荒涼としたパタゴニア・パンパを何日もかけてバスでやってきた者にとっては、それはパラダイスの地である。
寒さを感じると同時に、バスには暖房が入れられた。
21:00過ぎ、万年雪をかぶる峰に日が沈みかけるなか、ようやくウシュアイアに着いた。
<ウシュアイア到着>
ウシュアイアは、南米最南端の街であり、この南米一周の旅の折り返しの街でもある。
少し時間をかけてウシュアイアに滞在したいとおもう。
さっそく、ウシュアイア市街の山手にあるホステル・アオニケン<Hostel AONIKENK>に投宿した。
この後、南極大陸ツアーに参加する機会に恵まれ、ツアー出航を待つ7日間を、ここホステル・アオニケン<Hostel AONIKENK>で過ごすこととなった。
▼ 2/14 ~20 ホステル・アオニケン<Hostel AONIKENK> 7連泊
25 de Mayo 576, TEL:54-2901 or 422098
ホステル・アオニケン <Hostel AONIKENK>に投宿
ウシュアイアは南極への玄関口 南極大陸
<南極大陸ツアーへの熱き想い>
この旅<南アメリカ大陸一周の旅>を続けている間に、スケジュールにない<南極大陸ツアー>に参加できないかと考え続けてきた。
ウシュアイアに到着と同時に、その思いは一気に膨れ上がり、ツアーを取り扱う旅行社に飛び込んだ。
すべての南極ツアーは、出発地でツアーを組むのが通常であり、ここウシュアイア発の企画・募集ツァーはないということである。
乗船できるとしたら、ツアー参加者の内、当日キャンセルされた分に対し、キャンセル待ちとして者だけが南極ツアーに参加できるわけである。
キャンセルが無ければ、キャンセルがあるまで、その日をここウシュアイアで待ち続けなければならないことになる。
ここ現地ウシュアイアから、南極大陸ツアーに参加できるかどうかは、運次第であると云える。 確率は低いが、絶対だめだということでは無い。
ここでは、現地ウシュアイアで、南極大陸ツアーに参加する方法 及び 支払いについて、体験談として載せておきたい。
■ 2月15日 ウシュアイア ―南極大陸ツアー申込
<南極大陸ツアー準備・計画>
◎ツアー申込旅行社 : <Rumbo Sur> San Marrin 350、 Ushaia Tel:02901-421139
www.rumbosur.com.ar
◎出航日の近いツアー: キャンセルがあれば乗船可能なツアーを紹介される。
A・Bの内、キャンセルの早くあった方に乗船可能
A. 2/17出航予定 《Antartica Dream号》 10泊11日 @3000US$
B. 2/21出航予定 《Orlova Lauark号》 10泊11日 @3995US$
◎その後の経過: 翌日 09:00am 連絡あり
「1人キャンセルしそうな人がいる。 本日午前10時ごろ判明。
キャンセルとなれば乗船可能」とのこと
11:30am決定
「B. 2/21 Orlova号 キャンセルあり。 2/20迄に入金されたし」
◎支払方法 : ツアー代 @4324.65US$ / 13,448.66Peso(Algentin)
<VISA/International Money CARD 2300.00US$>
<TC/Traveler’s Check- Cash 2000.00US$>
<Cash 24.65US$>
南極クルーズOrlova号航路地図
運もよかったのであろう、念願かなってウシュアイアに到着して2日目、2月21日出航予定のロシア砕氷船オルローバー号にキャンセルが出て、代わりに南極大陸ツアーに参加・乗船することになった。
乗船日は2月21日に決定、乗船準備にとりかかるにしても、南米大陸一周の途上にあって、6日間の待機と南極大陸ツアー参加期間の11日間の合計17日間のウシュアイア滞在と南極大陸周遊は辛い。
以降のスケジュールを調整する必要がある。
なぜなら、超格安3か月の航空券での南米一周であり、延長は効かず、期限内に南米を去らなければならないからである。
しかし、ウシュアイア滞在時間を有意義に過ごしたいものと、気持ちを切り替えた。
ウシュアイア<地の果て>標識
■ 2月14~20日 ウシュアイア滞在 (南極ツアー待機 1日目)
<南極大陸ツアー船旅の準備・待機 及び ウシュアイア観光>
思いがけなく、幸運にも南極大陸ツアーにここウシュアイアから参加することになった。
出航までの数日間、旅行社よりの南極ツアー参加にあたっての要綱に従って、防寒に関する携行品や、ツアー参加の目的の一つであるスケッチの用具の取り揃えることにした。
また、残っている南アメリカ大陸の旅費を南極大陸ツアーに使ってしまったので、日本と連絡を取り、VISAカードと銀行キャッシュカードの限度額の引上げの手配のお願いをすることにした。
ツアー代支払いにあたって、キャッシング・カードでのATM引出しが効かず、駆けずり回って銀行窓口での現金化に成功した。 ただ、海外の旅で起こる問題は、何時の場合も大変である。 英語圏ならまだしもスペイン語での問題解決には一苦労である。
南極大陸ツアーの申し込みは、旅に出る前に申し込みをしておくことをお勧めする。 そのうえで、乗船日にウシュアイアにいることであろう。
準備と手配の合間を利用して、ウシュアイア観光、郊外でのアウトドア・アクティビティ<氷河ウオーキング・乗馬・ビーグル水道シーカヤッキング>に出かけることにした。
ウシュアイア滞在中の足跡
ウシュアイア港のシンボルマーク <座礁帆船>
Symbol mark of Ushuaia harbor <Stranded sailing ship>
Water color painting by sanehisa Goto
Feb.14 2007 20:38pm
標識<ウシュアイア港> アルゼンチン国旗
ウシュアイア市内観光バス ウシュアイア港のシンボルマーク <座礁帆船>前で
■ 2月15日 ウシュアイア (南極ツアー待機 2日目) ウシュアイア散策とツアー準備
◎南極携行品準備
<船酔薬 パラマレオ購入> <防寒用長靴レンタル代 期間中 20ps 店名CANPO>
<Hostel AONIKENK 窓からの眺め>
ウシュアイアで投宿した、ここ<ホステル・アオニッケン/Hostel AONIKENK>のダイニングルームからの夕陽に照らされたウシュアイアの街並み、雪をいだいた山並み、そしてウシュアイア港の美しさは、北欧ノルウエ―の港町ベルゲンに匹敵するといっていい。
雪山に抱かれた港町は、どこか旅情を慰め、詩情を高めてくれるから好きである。
アルゼンチン・メンドーサ産レッドワイン<Bonarda Malbec>注いだグラスを傾けながら、北欧と見まがう美しい街を見下ろしている。
なんと贅沢な時間を過ごしているのだろうか。
流れるBGM、ショパンのバラードの軽やかな旋律もまた、少し酔った体に刺激を与えてくれ、夢の世界が広がっていくようだ。 長旅の疲れのせいか、少し酔ったようだ。
今日の夕食は豪華である。
マルちゃんのインスタントラーメンに、野菜ミックスサンド、ケロッグの野菜スープ、赤ワインにフルーツの盛り合わせ。
ウシュアイアの暮色を楽しみながら、ワイングラスをかたむけた。
《 ああわれいま ウシュアイアにおりて 》
詩 後藤實久
ああわれいま ウシュアイアにおり
夕陽浴び 紅に染まりし峰々の雪
心地よく浮きて流れし雲も染まり
ああわれもまた紅に染まりて嬉し
ああわれ 赤ワインを口に転がし
魂を紅に染め 残雪の友を呼び
紅雲に乗りて 魂の色を競うは
ああわれいま君達に染まりて嬉し
ビーグル水道 染めし紅の世界
酔いて君なる紅に溶け入りて
君と歌うアメージング・グレイス
ああわれ君と溶合いて幸せなり
ああわれ ウシュアイアにありて
心舞いて 人生に紅を添えしは
暮れゆく紅に わが姿を重ねる
ああわれいま紅に囲まれて嬉し
Hostel AONIKENK 窓からの眺め ―ここが地球の最果ての景色―
夕食後、ホステルの出窓から暮れゆくウシュアイアを眺めていると、初老のオーストラリア人夫婦JohnとJinyに声をかけられた。
ここホステル・アオニッケンに宿をとり、ウシュアイア観光をしたあと、南極大陸ツアーに参加し、帰ったばかりだという。
アイスクリームを頬張りながら、南極大陸の神秘な生態を語ってくれた。
年金生活に入るにあたって「仕事をとるか、ライフをとるか」という選択にあたって、自分たちはライフをエンジョイする方をとって、二人してホステルを利用しながら世界中を旅してまわっているという。
旅先では、三度の食事の献立を考え、食材を探し、地産のワインを見つけ、二人で料理をし、食卓を囲む喜びの素晴らしさを語ってくれたものである。
二人を見ていると、典型的なホワイトカラーの年金生活者として、家庭愛に満ち、夫婦の愛を信じ、他人に迷惑をかけずに、平和を愛する小市民たらんとする姿がにじみ出て、愛すべき夫婦像を見ているようであった。
多分、推測するにお二人は、小学校の先生ではなかったかと推測する。 噛みしめた英語で、慈愛に満ちた、優しい話し方をされていた。
大型船が停泊するビーグル水道にあるウシュアイア港散策
■ 4月16日 ウシュアイア散策 (南極ツアー待機 3日目)
日本では信じられないほどの値段で、美味しいアルゼンチン産の赤ワイン<CHATEAU DEL VALLE>が
飲めるのがいい。 それに世界中で食べ歩いているアイスクリームの味とボリュームと値段の安いのがいい。
今夜のディナーは、この赤ワインとアイスクリームに、野菜の混ぜご飯、サーモンのバジル焼、ナスビのチーズ蒸し、パンプキンスープ、コーヒーで12ペソ、約400円である。
豪勢なメニューが、500円以下で食べられるのだからウシュアイアの長期滞在も、超倹約パックパッカーにとっては天国になりそうである。
ホステル・アオニッケン/Hostel Aonikenkでは、4人部屋(男女共用)のドミトリーにイングランドのお婆さんと二人。 この地球の果てのウシュアイアは、いま冷たい雨が降り、ビーグル水道も雨で曇って姿を隠している。 今晩は静かな夜になりそうである。
神様がそっと、覗かれているような寂しいが、温かい夜になりそうだ。
ウシュアイア市庁舎
Ushaia city Hall
Water Color Painting by Sanehisa Goto
Feb 16 2007 10:15am
地球最果ての街
ウシュアイア市公認スタンプ
■ 4月17日 ウシュアイア散策 (南極ツアー待機 4日目)
朝早くホステルをでて、ウオーキングを兼ねてビーグル水道まで歩き、ウシュアイアを見下ろす雪をいだく銀嶺をスケッチする。
午前中に、街中にある南極ツアー用品専門のレンタルショップ<CAMPO>に出向き、耐寒用のラバーシューズ(長靴)・ズボン・ジャケットのレンタルの申し込みをする。
薬局にも寄り、船酔薬を購入。
ツアー代理店に立寄り、2月19日の乗馬/Horse Riding 2時間コース (85ペソ)を申し込む。
ウシュアイアの夜明け と 消えゆく南十字星
The dawn of Ushuaia and the disappearing Southern Cross
Sketched by Sanehisa Goto
Feb 17, 2007 08:45am
ビーグル水道を往く大型クルーズ船 (ウシュアイア)
Large cruise ship going to Beagle Chanel (Ushuaia)
Water Color Painting by Sanehisa Goto
Feb 17 2007 10:15am
■ 4月18日 ウシュアイア (南極ツアー待機 5日目) マルティアル氷河トレッキング
<マルティアル氷河トレッキング> (英語読み:マーシャル氷河/Glaciar Martial)
ビジターセンター 09:15amスタート ➔ マルティアル氷河 12:15amゴール (片道3時間コース)
(トレッキングの場合) タクシーで <マルティアル・ビジターセンター>まで行き、トレッキング開始
(バス利用の場合) マイブー通りのバス乗り場、始発10:00発車、帰りはリフト乗場より最終18:30発
ただし、往復とも便数が少ないので要注意、タクシーお勧め。(@20ペソ)
トレッキング・ルートの西(左)側に自動車道があるので、強風を伴う荒天の場合に利用することが出来る。
所要時間も3時間のトレッキング道に比べ、自動車道を歩くと1時間ほど短縮できそうである。 略図上の2ヶ所の三叉路とT字路の右折さえ間違わなければマルティアル氷河に到達できる。
水・雨具必携、本格的な氷河歩きにはアイゼン装着。 その他、トレッキングには非常食携行の事。
途中、荒々しいマルティアル氷河の姿をスケッチに描きとめてから、氷河を目指した。
この日は氷河に到着し、氷河の登攀を開始してからまもなく雪を伴った強風による天候が急変、遭難を回避するため、マルティアル氷河の源に立つことなく下山を余儀なくされた。
余談だが、2014年2月世界一周船旅途上、マルティアル氷河登攀に再挑戦した。
マーシャル(マルティアル)氷河トレッキング・ルート略図
マルティアル氷河 (ウシュアイア/アルゼンチ)
Martial Glacier (Ushuaia / Argentina)
Water Color Painting by Sanehisa Goto
Feb 18 2007 10:15am
マルティアル氷河を望む河原(スケッチ地点)
マルティアル氷河トレッキングにて
険しい表情を見せるマルティアル氷河
■ 4月19日 ウシュアイア (南極ツアー待機 6日目)
地球最果ての街 ウシュアイアでのシーカヤッキング
昨日、雪まじりの強風下でのマーシャル氷河トレッキングで無理をしたのだろうか、ホステルのベットに横たわって体を休めていると、同室の老婦人に声をかけられた。
「イギリスに来ることがあったら、自宅を使って欲しい。 条件は日本料理を教えることですよ。」と言われた。
愛称Mimiさんは、日本人の礼儀正しさと、誠実さに民族的興味を持ったとおっしゃる。
そして日本のインスタントラーメンの美味しさと利便性はもちろん、そのスープの味は絶品とおっしゃる。
ここホステルにもインスタントラーメンのメニューがあり、その味に魅了されたというのであるから、日本人を代表して滞在しているような私には面映ゆい思いであった。
Mimiさんは、英国ウインチェスターにお住いの75歳、元ガーデナーで、今はご主人亡きあと、自分の好きなところに長期滞在し、各地の庭園を観賞し、その魅力を本にするのだと目を輝かせておられる上品な英国婦人である。
これより、予約済みのビーグル水道にあるシーカヤッキングの艇庫に向かう。
半日コース(3時間 @300ペソ)。 装備はもちろん、乗艇前に漕ぎ方の基礎や準備体操、沈した場合の脱出方法、最後に自己責任のサインをして乗艇である。
世界各地で機会を見つけてはカヤッキングやラフティングを楽しんできた者にとって、ここ南半球最南端ビーグル水道でのシーカヤッキング体験は長年の夢であった。
ビーグル水道の水面に浮かぶ白雪をかぶった銀嶺が、美しく揺らいでいる波間をシーカヤックで駈けるさまの心地よいこと、最高な気分を味わうことが出来た。
シーカヤックに乗ってみるとわかるが、目線がほとんど水面近くに沈み、仰ぐ天の空間が一段と広く感じられるのである。
その広がりの中に銀嶺の峰々が覆いかぶさってくる風景は、ビーグル水道にシーカヤックを浮かべた者に与えられる神からの贈り物であるといっていい。
絵葉書の中にいる自分を見ているようで、少し興奮気味である。
ペアーを組んでいる英国マンチェスターからのエマ/Emaもパドルを漕ぐのを忘れ、まるでお伽の国のアリスのような不思議な国に迷い込んだような顔をしている。
ここウシュアイアでこのような恍惚とさせられる風景に迎えられたことに二人して、「ブラボー!」と同時に声を上げて感謝したものである。
ウシュアイアは、地の果てにあって、その厳しい情景のなかに、汚れ無き乙女のような清純さと地のぬくもりを感じる。 その懐に抱きかかえられたエマと私は、幸せの極致を味わっているのである。
それはそれは素敵な地の果てビーグル水道でのパドリングであった。
ビーグル海峡でシーカヤッキングを楽しむ
Enjoy sea kayaking at Beagle Chanel
Water color painting by Sanehisa Goto
Feb 19 2007 11:30am
”Canal Fun & Nature”(Ushuaia) /Beagle Chanel/ Sea-Kayaking半日コース@300ペソ
■ 4月20日 ウシュアイア (南極ツアー待機 7日目)
―乗馬トレッキングー
ウシュアイア郊外での乗馬トレッキングに出かける前に、ここウシュアイアでの南極大陸ツアー参加のために必要な日数である乗船待機日数とツアー参加日数の合計日数18日分のロスの第一回目の調整をしておくことにした。
まずは、ウシュアイアよりブエノスアイレスまでの長距離夜行バスの日程の4日分を、飛行機に切換えることにした。
後の日程調整は、臨機応変に現地調整とするが、この地点で検討している案を載せておくことにする。
B パラグアイは通過するが、今回は滞在を見合わす。
C ギアナ高地・ガイアナ・スリナム・仏領ギアナ立寄り計画を取り消す
D エクアドルは、通過するが滞在しない
以上を調整しながら、南極ツアー参加日程、18日分を消化することにしている。
海外での長期旅行では、天災・乗り物の故障・戦争・盗難・事件・遅延・道迷い・遭難・災害・トラブル・変更・逮捕・投獄等と、いつもスケジュール調整の毎日である。
一人旅は、おのれ自身で場面・情況で判断を下し、行動するのだから真剣であり、決死である。
旅は、人生そのものである。
さっそく旅行代理店に向かい、ブエノスアイレス行の航空券のチケットを購入した
Ushuaia ➔ Buenos Aires アルゼンチン航空/AR#2811N便
March 3/ D20:41pm ➔ March 4/ A00:01am
南極大陸ツアーは、いよいよ明日出航である。
ホステルの部屋にも、同じツアーに参加するというイスラエル人カップルとフランスからの中年女性が転がり込んできて、急に賑やかになった。
いつも同室者の事を思うのだが、それぞれの人生という物語を歩んでいる人間たちが、一つの空間に集い、ある期間同じ目的のため寝食を共にするのだから、お互いなんらかの因縁、機縁があるような気がするのである。
それぞれの運命を書き上げ、そのストーリに従って人生を歩ませている偉大なる主がいるからだと思ったりもする。
それぞれに自由を与え、それぞれの使命に向かわせるその偉大な力に驚くものである。
南極大陸に向かう前の、ひと時をウシュアイアの原野に馬を走らせた。
乗馬にてウシュアイア近郊の原生林を抜けビーグル水道に至る
南極大陸に向かう喜びを、旅日記に次のように走り書きしている・・・
『ビーグル水道を隔て 雪いだく銀嶺 その姿を水面に映す
朝陽受け 朱に染まりて その勇姿 そそり立ちて 天を突く
南米最南端の街 ウシュアイア その優美なる佇まい心を打ち
夕べの華 香を残して こころ吹き抜け 南十字星と交わりし
暁の静けさ 眠りを後に残さず 今日生きるを 神与え給う
南極に旅立ちし日 心はやりて 鼓動高鳴るを抑えきれずや』
■ 4月21日 ウシュアイア 8日目
―南極クルーズ乗船日ー
南極へ向かう砕氷船<ORLOVA号>の乗船は、午後4時である。
<地球最果ての博物館で学ぶ>
南極大陸ツアーへの万全の準備を終えていたので、午前中は人類のグレイト・ジャーニをたどって見たいと
「地球最果ての博物館」と、「YAMANA博物館」に出向いた。
我々の祖先、モンゴリアンがベーリング海峡を渡ってここ南米大陸の最南端フイゴ島の街ウシュアイアに下ってきたロングジャーニの足跡を知るためである。
この地にたどり着き、土着した種族のうち、有名なのは、Yamana族と、Ona族であったという。
Yamana族は裸族であり、祭りのときにだけ縞模様のボディペイントをした。 また、Hut(草ぶき小屋)に住み、カヌーを操り、魚を獲り生活していた。
一方、Ona族はSea Seal(アザラシ)の皮を着用し、体格もよく、技術的に進んでいた。
しかし、彼ら先住民族は少数民族として、ヨーロッパからの入植者よって駆逐されていった。
いつの時代にも起こる少数民族の悲哀を知ることになった。
博物館では、素敵なカナディアン・カップルに出会った。
陳列物をスケッチしていると、にこっと笑って絵に魅入ってくれ、ナイスと言って、どこから来たかという。
日本からだというと、モンゴリアンのグレイト・ジャーニはシベリアを東進し、ベーリング海峡を渡り、カナディアンロッキーを下って、カナダにも定住し、なお南下、アンデス山脈からパタゴニアへと移住を繰り返し、ここ地の果てまでやってきたことに驚きを隠せない、と話しかけてきた。
いつの世にも、自分たちのルーツの歴史的追跡にロマンを感じる人たちがいるものである。
この博物館での、わずかな触れ合いでも、同じく人類のロマンに興味を持つ人々に出会うことの嬉しさ、楽しさを知ることだけでも幸せを感じるものである。
覇権を叫ぶ独裁者がいるすさんだ世の中で、こころから愛せる人たちがいることは救いである。
<南極大陸ツアー概要>
◎乗船チェックイン : 16:00pm Check-in at Passenger Control Desk
w/ Passport + Bags Check
◎Voyage : Antarctica Classic
◎Ship : <ORLOVA> Russian flag / icebreaker 4376t
◎Staff/Crew : 87
◎Passenger : 130
◎Term : 2007/02/21~03/02 11days
◎Port : Ushaia, Argentin
◎Tour Fee : @4,324.65US$ / @13,448.66ペソ
南極大陸ツアー出航前の砕氷船オルローバ号の前で(ウシュアイア港)
------------------------------------------------------------------------------------------
南極大陸ツアーについては、すでにブログで<南極大陸スケッチ展>として掲載済みなので、
以下のブログでお読みいただけたら幸いです。
『南極大陸』ブログ・スケッチ展 『南極に立つ』 少年時代にドキュメンタリー「白瀬中尉の南極大陸」を観て以来、 夢のなかで温めてきました。 2007年2月、南米大陸一周の旅に出かけ、ウシュアイア(アルゼンチン)に 滞在したおり、この地が南極大陸クルー…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/03/12/084948
-----------------------------------------------------------------------------------------
次回は、最終編として『星の巡礼 南米一周バスの旅 21000㎞』Ⅲ《 南米大陸東岸北上 》
< ウシュアイア ➔ リオデジャネイロ ➔ アマゾン ➔ リマ >をお送りします。
2007『星の巡礼 南米一周バスの旅 21000㎞』 Ⅱ
Ⅱ《 ボリビア縦断 ウユニ塩湖に遊ぶ : ラパス ➔ サンチャゴ ➔ ウシュアイア 》
完
次回
2007『星の巡礼 南米一周バスの旅 21000㎞』 Ⅲ
Ⅲ 《 南米大陸東岸北上 》
《 ウシュアイア ➔ リオデジャネイロ ➔ アマゾン ➔ リマ 》
につづく
現在作業中
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■ 関連ブログ
2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』Ⅰ 五大陸最後の南アメリカ大陸を約4か月かけて一周した。 『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』 の第一歩は、ペルーからである。 ペルーの首都リマを発ち、ナスカの地上絵を空から眺め、マチュピッチュ遺跡に立ち、イン…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/12/14/105253
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2021『星の巡礼 パタゴニア・フィヨルド ー パノラマスケッチ展』 《 パタゴニア・フィヨルド ― パノラマスケッチ展 》 Patagonia on the Chilean side / Peaks of the Southern Andes, a collection of panoramic sketches 2014年1月18~20日、南米最南端の…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2022/01/28/235057
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『南極大陸』ブログ・スケッチ展 『南極に立つ』 少年時代にドキュメンタリー「白瀬中尉の南極大陸」を観て以来、 夢のなかで温めてきました。 2007年2月、南米大陸一周の旅に出かけ、ウシュアイア(アルゼンチン)に 滞在したおり、この地が南極大陸クルー…
https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/03/12/084948