shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』Ⅲ

2007『星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞』Ⅲ

南米大陸一周 東岸北上 》

《 ウシュアイア  リオデジャネイロ  アマゾン  リマ 》

                         

 

前回は、ボリビアの首都ラパスを出て、ウユニ塩湖の神秘な光景に出会ったあと、そのままチリに入り、サンチャゴに至る。 しかし、チリの首都サンチャゴのスモッグに音を上げ、アルゼンチンのメンドーサに移動。 その後、アルゼンチンのパタゴニア大平原・パンパを縦断し、南米最南端の街であり、南極の入口であるウシュアイアに至った。 

また、ウシュアイアでは、南極クルーズに参加する機会があり、乗船待機日とあわせて17日間のスケジュール

調整を、残る南米大陸で埋め合わせる羽目となってしまった。

少し、急ぎ足になるが、と言いたいが、ブエノスアイレスで待っていたのは、旅人にとっての最悪な事件に出会ったのである。

では、南極クルーズを終えた後、南米大陸一周の旅を先に進めることにする。

 

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             星の巡礼 南米一周の旅 21000㎞ルート図

 

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2021星の巡礼『南極大陸』ブログ・スケッチ展

 

南極大陸』ブログ・スケッチ展 『南極に立つ』 少年時代にドキュメンタリー「白瀬中尉の南極大陸」を観て以来、 夢のなかで温めてきました。 2007年2月、南米大陸一周の旅に出かけ、ウシュアイア(アルゼンチン)に 滞在したおり、この地が南極大陸クルー…

 

https://shiganosato-goto.hatenablog.com/entry/2021/03/12/084948

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南極大陸クルージングという夢の実現を終え

いよいよウシュアイア―を発ち、ブエノスアイレスに向かう。

 

 

 ■ 3月2日  南極大陸ツアーを終えて ウシュアイアに帰る

 

今夜一泊、ホステル・アオニッケン/HOSTEL AONIKENKに泊り、明日夜の飛行機でブエノスアイレス

向かう。

 

今日は南極大陸ツアーで描き上げたスケッチに色付けをし、ウシュアイア最後の散策に出かけた。

ウシュアイアを取り巻く峰々には、南極クルーズ出発前よりもさらに白銀が増し、厳しい光景を

見せつけている。

南半球は夏と言えども、ウシュアイアは真冬の光景である。

 

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       南極より戻り、ウシュアイア最後の夜をホステル・アオニケンで過ごす

 

 

 

■ 3月3日 ウシュアイア最後の日

 

ブエノスアイレスへ向かって出立のパッキングをしたあと、ウシュアイアの散策を楽しんだ。

 

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                      ホステルから眺めるウシュアイアの街 

          

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               ウシュアイア港 お別れ散策

 

 

■ 3月3~4日 移動 <ウシュアイアブエノスアイレス

 

南極大陸のツアーに参加したことによって、当初の予定を変更することになった。

南アメリカ大陸をバスで一周するという計画は、南極に12日間、ウシュアイアでの待機7日間の合計19日間を費やしたため、ブエノスアイレスへのバス旅行を飛行機に変更した。

 

Ushuaia       ➔   Buenos Aires  アルゼンチン航空/AR#2811N便

March 3            March 4

D20:41pm        A00:01

 

ブエノスアイレス空港到着後、深夜のため空港待合室で仮眠。 06:00am発リムジンバスでブエノスアイレスのセントロにあるレティーロ鉄道駅に向かう。

その後、列車でダルセナ・ノルテ駅に隣接するウルグアイ・コロニアル行フェリー乗り場に向かう。

そこで、荷物を預け、ブエノスアイレスの観光に出かけた。

 

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  アルゼンチン航空ブエノスアイレスに向かう     レティーロ駅よりフェリー乗り場へ移動

 

f:id:shiganosato-goto:20220406215452j:plain f:id:shiganosato-goto:20220406215252j:plain                                             ブエノスアイレス地下鉄構内風景

 

 

ブエノスアイレス散策>          

 ブエノスアイレスの街を歩いていると、ここが南アメリカとは思えない。

古いコロニア風建物が並び、歴史をのぞかせる街並に、どこかヨーロッパの街角と錯覚を起こすほどである。

ペルーからボリビアにかけてのアンデスに栄えたインカの子孫の生活を見てきただけに、そのカルチャショックに驚かされるのである。

同じ南米大陸に、インディオ系国家と欧州系国家が南北に混在して、同じラテン系として互いを認め合っている素晴らしさにも感嘆させられた。

 

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           アルゼンチンタンゴの本場 マグネットバッジが並ぶ

 

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         大統領府<カサロサーダ>前で アルゼンチン国旗掲揚セレモニ―

 

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      7月9日通り<独立記念碑>         ラ・ボカ地区カミニートのシンボル的街角

 

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                 カミニートのサイケな街並みを楽しむ

 

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      メトロポリタン大聖堂                  5月広場 

 

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     ブエノスアイレス街角の花屋さん       ランチはアルゼンチン牛の ステーキ定食

 

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          東欧を思わせる五月広場の歴史的建築群/ブエノスアイレス                 

              Plaza de Mayo's historic buildings / Buenos Aires

                                   Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                                                                         March 04, 2007  13:16pm

 

 

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                                                       パロボラッチョの花 と アルゼンチン国旗

                                                                          (ブエノスアイレス

                                                         Palo Boraccio and the Argentine flag

                                                         Sketched by Sanehisa Goto

                                           March 4, 2007  16:15pm

 

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                                                 パロ・ボラッチョ/アルゼンチンの国花

 

 

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            パノラマスケッチ <ブエノスアイレス港>

               Panorama sketch <Buenos Aires harbor>

               On the way to a round-the-world cruise

               Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                     Jan 11, 2014 

                      

 

ブエノスアイレスで詐欺窃盗事件に遭う>

南米のパリと呼ばれる華やかなブエノスアイレスは、一方、永遠の無法都市ブエノスアイレスとも呼ばれるだけあって、洗練されたテクニックを駆使してお上りさんの金品を巻き上げることでも有名である。

というブエノスアイレスの危険性を知っていたにもかかわらず、体よく詐欺師たちに手玉に取られ、丸裸にされる寸前を経験した。

南極クルーズ参加という夢の実現のすぐ後で、旅行代金の三分の一を騙し取られることになったのだから、人生はすべからくプラス・マイナスのバランスが取れているのだと感心させられたものだ。

それもだ、バックパッカーとして如何に自衛に努めるべきかと説いて来た本人が、その洗礼を受けたのだから滑稽である。

南米でもアルゼンチン人の人を欺き、悪童のように悪さをするラテン系の人種であるということを、よく知っていながら誤魔化されたのだから、そのテクニックに称賛をさえ与えたものだ。

 

その滑稽な物語は、ブエノスアイレスの街を観光し、歩いて荷物を預けているフェリー乗り場に帰る時に起った。

フェリー乗り場に向かう途中にある広大な公園で一服しながら、前掲したピンク色に咲くトロピカルな花<パロ・ボラッチョ>に魅せられてスケッチに集中していた時である。

旅行代金を危険分散させた三分の一を忍ばせたショルダーバッグを肩から無意識にベンチに置き、中からスケッチブックを取りだしていた。

パロ・ボラッチョの淡いピンク色を塗りつけていたその時である、白人の老紳士夫婦が、地図を片手に流暢な英語で道を尋ねてきた。

自分たちはアメリカから来て、これからブエノスアイレスの街を散策するつもりだが、<五月広場>ここからどのように行けばいいか教えて欲しいと、地図を広げながら尋ねてきた。

こちらも、ブエノスアイレスの街を散策し、五月広場でもスケッチをして帰ってきたところだから、出された地図を見ながら夫婦に説明したのである。

このような光景はどこの街角でも経験するもので、何一つ疑うこともなく、行き方を教えたものだ。

そして、お互い笑顔で別れ、二人は去り、こちらはスケッチ仕上げにかかった。

そして、いざスケッチブックを仕舞うべく、腰の後ろに置いていたショルダーバックを取り寄せたが、手は空を切り、その時初めて、しまったという感覚が走った。

すでに別れた老紳士夫婦の姿は見当たらず、彼らには何の疑いもなかったことに気づき、三人目の仲間による連係プレーであることに気づいたのである。

が、すでに彼ら三人は仕事を終えて霧散してしまっていた。 もし三番目の犯人は、逃げなくともショルダーバックを隠して、普通に歩いていればよく、こちらの慌てた様子を面白がって観察していたに違いない。

その時のこちらは滑稽なピエロに見えたに違いない。

 

残念なのは、盗られたショルダーバックに入っている「南極日記」はじめ、バッテリーチャージャーや予備のバッテリー、磁石、高度計、ラジオ、帰国便の航空券、VISA Card、Cash Card、予備デジカメ、トラベラーズ・チェック、住所録、常備薬、エアーチケット(帰国便)、水彩絵具一式、YH会員証、国際運転免許書、洗面用具、変圧器(コンバーダー)などを盗られ、失ったことである。

 

ただ、お金には代えられない大切なパスポートがウエストポーチにあった事、手元にあったスケッチブックや、カメラとメモリーカードが手元に残ったことに感謝したものである。

 

 

<海外での盗難事件 処理の経過>

世界をバックパックするときは、国際キャッシュカード/International Cash Card (VISA etc)やトラベールチェック/Travelers Check、現金/Cash=US$を携行するが、特にCash(現金/US$)は三分の一に分け分散することにしている。

その三分の一の現金と、いろいろ身近な大切なものがショルダーバックには入っていたのである。

いざというときのために分散させた現金の三分の一は強奪されたが、大半の2/3は無事であり、盗難に遭った三分の一の現金を補充することで旅を続けることが出来ると判断した。

 

さっそく、ウルグアイ行フェリー乗り場に戻り、日本のカード会社へカード紛失届と新規カード発行届を、留守宅には銀行のキャッシュカードの限度増額申請手続きと新規キャッシュカード発行のお願いのファックスを送った。

他に、旅行小切手の紛失届(小切手ナンバー)の提出を発行先銀行にファックスで済ませる。

これらのすべての新規発行には約1~2週間かかるとのことであり、受取るためにブラジルのサンパウロの宿泊先を指定した。

 

また、帰国便の航空券紛失に伴う、航空券再発行申請と送付先<アメリカン航空リマ支社>を航空券取扱いの阪急交通社e-very大阪センターに連絡し、4月15日ペルー・リマ発アメリカン航空AA2110便の再指定の確認を終えた。

 

海外旅行に出かける前には、航空券はじめ、カード関係、キャッシュカード、トラベラーズチェック、パスポート、国際運転免許書などの発行元・連絡先電話番号・発行ナンバー・指定日時などの必要事項をメモっておくか、コピーをとっておくことをおすすめする。

また、それぞれの紛失再発行に必要な指示書や、特にパスポート再発行時の複数の写真・コピーをそろえて携行する必要がある。

 

現地警察発行の盗難証明書をはじめ、すべての盗難事件に関する事後処理を終えて、次なる目的地であるウルグアイモンテビデオへ、フェリーに間に合わず、長距離夜行バスに切り替えて、向かった。

 

▼3/4長距離夜行バス(ブエノスアイレスモンテビデオ) 車中泊

 

 

■ 3月5~6日 モンテビデオ滞在 (ウルグアイ首都)

昨夜、最終便21:30pm、ブエノスアイレスを出発したバスは、深夜01:30am、ウルグアイとの国境で初めて停車した。 深夜の国境越えである。

 

<国境越えの想い出>

国境越えは、いつも緊張するものである。

思い出すのは、ドイツで購入した切符で、オーストリアに向かうためスロベニアに入った午前3時ごろ、国境で停車した列車に軍靴の音が騒然と起こり、コンパートメントのドアを荒々しく叩かれたのである。

当時スロベニアでは、ソビエト連邦時代の国境監視の光景が、ソビエト崩壊後でも見られたのである。

シベリア鉄道に乗った時にも旅行者には必ず監視員がつき、行動を監視されていたように感じた。

強権的な態度は、どこまでも威圧的であり、通過ビザが無いということで、深夜の国境駅で降ろされ留置場に入れられて朝を迎えたことがある。

もちろん翌日朝、釈放され通過の列車に押し戻されたが、通過客への嫌がらせであるように思えた。

列車の通過国に降りることもなく、降りる必要もないのでビザなど取る必要もないことを国境警備員に伝え、説いても無視され、ルールーだというだけである。

 

また、イランからギリシャにはいる時、パキスタンのビザがあるという理由だけで、何時間にもわたって国境の入国管理署で尋問をされるなど、あまりいい記憶が無いのである。

 

ウルグアイという国>

ウルグアイ、私にとって未知の国である。

東の空が茜色に染まりつつあるが、深い霧は濃い乳白色を帯びてここモンテビデオの街を覆い隠し、まるで霧のロンドンのようである。

モンテビデオの街が、霧散と共に少し老いを感じる都市の姿を見せ始めた。

 

モンテビデオは、田舎町を燻したような輝きと、落ち着きの中にヨーロッパ風中世の顔を覗かせている。

ここモンテビデオの街に、その素朴な風景がいまだ残され、維持されているというだけで嬉しくなった。

まるでハンガリーのブタペスト、あの歴史に埋もれた古色蒼然とした中世の建物に囲まれているように感じたものである。

 

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               パノラマスケッチ <ブエノスアイレス港>

               Panorama sketch <Buenos Aires harbor>

               On the way to a round-the-world cruise

               Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                   2014

 

わたし好みの個性あふれる、素朴さを漂わせた、時代に染まらない初老の紳士の風情を残しているモンテビデオの街、どこか故郷を訪れたような親しみを感じる。

その初老の紳士は、履き古した羊毛の靴下に継ぎはぎをほどこし、その上になんのてらいもなく使い古した靴をはき、ステッキを突きながら歩いているような雰囲気なのである。

 

日本から見て、地球の果てであるモンテビデオに、このような素朴な風景が残されていたことに驚かされた。

この風景に包まれただけで、愛に満ち、平和を愛するウルグアイ国民の幸せを感じることが出来た。

そこには、遠方の友を迎えてくれる優しい大地が顔をのぞかせているように感じた。。

 

ゆっくりとモンテビデオの街を散策し、その心温かい風情を楽しんだ。

モンテビデオの街は中世風の教会堂やロマネスク建築の建物がよく似合う

 

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       モンテビデオ大聖堂            モンテビデオ 中世風建築物を背景に

 

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                     モンテビデオ 独立広場

 

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       ウルグアイ国会議事堂              モンテビデオ市場風景

 

<レトロなモンテビデオの街>

ウルグアイの首都モンテビデオは、ラ・プラタ川向こうのブエノスアイレスの喧騒をよそに、スイスアルプスにたたずむ田舎町のように静寂がよく似合う街である。

街を散策していても、古いヨーロッパの情緒豊かな建物が迎えてくれ、穏やかな気持ちにさせられるから不思議な感覚を味わった。

街角の果物屋の前で、言葉を交わす人々の仕草にも、追われる都会っ子というよりも、日差しを楽しみながらの井戸端的であって、平和を愛するウルグアイ人の幸せを感じさせる。

そう、使い古したラジオから流れる哀愁を帯びたタンゴの音色が流れ、フォードの大型クラッシックカーがゆったりとその図体を走らせているのだから、日本の街角では味わえないレトロな雰囲気を醸す、時計を巻き戻したような街である。

 

午後からは、ブラジル入国ビザ申請の書類や資料作りに励み、その後、モンテビデオのラプラタ川沿いを散策、ウルグアイの人達のように裸の日光浴を楽しんだ。

ラプラタ川に面したきれいな港だが、水が汚れているのには目を見張ったものである。 この汚れた広大な川に飛び込み泳いでいる猛者がいるから驚きである。 ほとんどの人達は日光浴だけを楽しんでいるようである。 特に若い女の子たちの真っ黒に焼いているのが印象的であった。

とにかく、太陽を楽しむ国民であるようだ。

 

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    ラプラタ川沿いで日光浴を楽しむ (モンテビデオ/ウルグアイ) 街角の果物屋さん              

 

<▼3/5~6 モンテビデオユースホステル 連泊 >

Montevideo Youth Hostel International   ドミトリー@4US$X2日

 

世界中から多くの若者が集うユースホステルは実に賑やかであり、騒々しくもあり楽しい所である。

この夜も、ベランダで愛をささやくカップルの声が耳について眠れず、注意を促したが、かえって油を注いだのであろう、いっこうに収まる気配がない。

同室のカルフォルニアからの中年のチャーリも、カップルに再度注意を促してくれたが、その言葉に教えられるものがあった。

彼はカップルに、<Sorry, could you make a talk down please, thank you.> と丁寧な言い方である。 こちらは<Excuse me, we are sleeping now.  Talk down please. Do you know what time is it now?> まるで喧嘩を売っているようなものである。

なにかを注意し、お願いするときは、チャーリ氏のように<Sorry,Please,Thanks>の三つの言葉が大切であることを教えられた。

YOUTH HOSTELは文字通り、若者の宿である。

規則を守ることも大切だが、若者が青春を謳歌する館であることも理解しなくてはと思うのだが、我慢にも限界があり、ついきつい言葉になってしまう老ホステラーなのである。

 

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                   モンテビデオユースホステル

 

モンテビデオ散策後、昼からのバスでパラグアイのアスシオンに向かうが、途中下車し、世界遺産

コロニア・デル・サクラメントを散策することにした。

 

 

■3月7日  モンテビデオ ➔ アスシオン  (少し寒さを感じる)

 

🚐移動 国際長距離夜行バス (バス会社名 EGA)  @18US$

        3/6  モンテビデオ 13:00pm発 ➔ 16:30pm着コロニア・デル・サクラメント ▼YH泊

        3/7  コロニア・デル・サクラメント16:30pm発 ➔ 車中泊

        3/8  アスシオン 09:30am着

 

07:30am 起床。 さすがに深夜のカップルのダべリングと蚊の襲撃で朝寝坊する。

今日午後13:00pmにアスシオン(パラグアイ首都・イグアスの滝観光基点)行バスに乗るためユースホステル退出の準備にかかる。

半乾きのポロシャツをジップ付きナイロン袋に収納しながら、ブラジル入国審査の手順を頭に描いてみた。

陸路でのブラジル入国が少々困難を伴うという情報が入っていたからである。

 

ブラジル入国を前に晴れやかでないが、朝食(パン・バナナ・メロン・葡萄・ジャム・バター・オレンジジュース・コーヒー)をとりながら、スケッチに彩色し、仕上げた。

同宿の東京からの卒業旅行中のK君とは、納得のいく人生をお互い送りたいとものだと、また、同室のチャーリー氏からは、「あなたの昨夜の勇気には驚いた」とカップルへの注意を誉めてくれたのであろうか、二人の見送りを受けて、モンテビデオユースホステルを後にした。

 

モンテビデオユースホステル近くのバス停より、市バス46番に乗り、車掌さんの助けを借りバスターミナルに到着。

 

13:00発のアスシオン(パラグアイ首都)行きバスに乗車。

ウルグアイの豊かな牧草地帯をバスは西に向う。

ウルグアイが、どこか成熟したヨーロッパの良さを醸しており、個性的な豊かさを感じるのは私だけだろうか。

その要因は、ラプラタ川沿いに広がる豊かな牧畜業の風景や、 ラプラタ川沖に眠る未開発油田・ウラン鉱区への海外からの参入といったオイルマネー流入にあるようである。

その一方、ラプラタ川がもたらす豊穣なる土壌が、人の心をも豊かにしているようである。

 

車窓から見る豊かな牧草地帯が続き、地平線に消えゆくなだらかな丘陵は、どこかアイルランドの景色に似ている。 農業牧畜に生きてきたウルグアイは、静かにして落ち着いた老農夫の風格が漂っている。

また、田舎の村々には国旗が棚引き、小さなお土産の包装紙の隅っこにも国旗の姿があり、国を思う国民の感情も豊かである。

 

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                                                               ウルグアイ国旗

 

                                                        <ああわれいま ウルグアイにおりて>

                                                     詩  後藤實久

 

                                                  見よ、このラプラタのもたらした自然の恵みを

                                                  われいま 神の創りしラプラタの豊かな地にありて

                                                  偉大なるその御業に驚きを隠さず喜ぶなり

 

                                                  見渡す限りの緑の平原 地平線に消へゆきて

                                                  駈ける白馬の勇姿 まさに天翔けるがごとし

                                                  われもまた天馬に跨りて 緑の平原を駈けし

 

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                                                  白馬パンパを翔ける

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           モンテビデオアスシオン行 EGA 国際長距離バス と ランチ

 

 

モンテビデオから、アスシオンへの途中、<世界遺産コロニア・デル・サクラメント>に下車し1泊、

翌日アスシオンに向かうことにした。

 

世界遺産 コロニア・デル・サクラメント/ Colonia del Sacramento

この国の植民地時代の古い街並みを見るため、パラグアイの首都アスシオンに向かう途中、世界遺産に指定されているサンクラメント村/ Colonia del Sacramentoを訪れた。

ここは、モンテビデから西へ約180㎞のラ・プラタ川の河口に面し、対岸はブエノスアイレスである。

ポルトガル人の貿易港として栄え、ウルグアイで2番目に古い街であり、スペインとポルトガルの建物が混在する美しい歴史的町並みは、世界遺産として登録されている。

 

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                        街のランドマーク/サクラメントカトリック教会

 

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        コロニア村の風景 (コロニア・デル・サクラメント/ウルグアイ) 

          Landscape of Colonia Village (Colonia del Sacramento / Uruguay)

               Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                     March 7, 2007  09:30am

 

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                                                    石畳みがよく似合うコロニアの街

 

 

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            コロニアの家屋(コロニア・デル・サクラメント/ウルグアイ) 

                                                                             Colonia house

                                                        Water Color Painting by Sanehisa Goto

                                                                     March 6, 2007  17:30pm

 

 

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               コロニアの砦跡に立つ灯台コロニア・デル・サクラメント/ウルグアイ) 

                                                           Lighthouse at the site of the Colonia fort

                                                             Water Color Painting by Sanehisa Goto

                                                                      March 6, 2007  16:30pm

 

 

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        ラプラタ川に面した 白い灯台 と 典型的なコロニアの建物

                                                 (コロニア・デル・サクラメント/ウルグアイ) 

 

▼ 3/6  La Casa de Teresa/ ラ・カサ・デ・テレサ

 

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                                                       ラ・カサ・デ・テレサ (ゲストハウス)

 

 

■ 3月7日 🚐移動 パラグアイへ向かう  

       コロニア・デル・サクラメントウルグアイ➔  アスシオン(パラグアイ

        3/7  16:30pm発                3/8  09:30到着

 

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                                   ラプラタ川の夕陽   (ウルグアイ/アルゼンチン国境)

                                        March 7 2007  20:15pm

 

ラプラタ川に沈む夕日は、紫色に映え、天使の歌声が聞こえてきそうである。

川面の水平線すれすれをバイオレットに染めるその情景は、わがこころ色をも紫に変えてくれているようで幸せを覚える。

 

 

                 <ラプラタに夕陽沈む>

                   詩 後藤實久

             天裂けて 真紅なる夕焼け ラプラタを包む

             燃えたつ空に 生けるものすべて沈黙を守り

             ただただ瞑目の中に 我こころ染まりゆきし

             聖なる歌声飛び交いて 至福を味わいおりし

 

 

バスの途中休憩、ウルグアイとアルゼンチンの国境に流れるラプラタ川岸の枝にとまっていた一匹のバッタが語りかけてきた。

触手である二本のひげを巧みに動かしながら<あなたはわたしとは違う世界の生き物ではないか>と問いかけてきた。 <いや、わたしも又、君と同じ世界に生きる生き物だよ。なんでも食べちゃうからね>と応えると、バッタさんは納得したように二本の触手をふってくれた。

(実際、現在の南米もバッタの食害で大被害を被っているといわれている)

天地の自然現象や、小さな生き物たちに出会うと、嬉しくなって語りかけてしまうのである。

 

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          ラプラタ川岸で出会ったバッタさん(ウルグアイ

 

▼3/7 🚐コロニア・デル・サクラメント/ウルグアイ ➔ アスシオン/パラグアイ  バス車中泊

 

モンテビデオコロニア・デル・サクラメントアスシオン行の長距離国際バスは、ウルグアイ/アルゼンチン/パラグアイ三国を駈け抜ける。 もちろん国境での入出国のためのパスポート・コントロールがある。 いつの日か南米にも、EUのように国境なき日がおとずれることを祈るものである。

 

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                  アスシオン行バス


 
このバスでも心に残る友との出会いがあった。

ドイツ南部出身で、Watch Tower のカップルのステファン/Stefaniとダニエラ/Danielaは、古代の聖なる建築物の研究をしているそうである。 現在はパラグアイに滞在し、世界遺産でもある「ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群」の理想郷を求めて17〜18世紀に南米に渡った、イエズス会の宣教師達の夢の軌跡と建築物について研究を続けているという。

そこには二人の神の下でのエルトラード(理想郷)を追い求めている真摯な姿があり、彼らの人間性に魅了された。

二人は、アスシオンで別れる際、一枚のメモ<All Suffering Soon To End !>をわたしに渡し、<God Bless You!>を残して、別れていった。

 

もう一人は、日本にも仕事の関係で3年にわたって飛騨に住んでいたというアメリカ女性シルビアである。 彼女から<コンニチワ>と声をかけてきた。 バスの休憩時、バッタと話しているわたしに興味を持ったとのことである。 なぜ日本人だとわかったかというと、記録ノートに書きこんでいる詩の漢字と平仮名を見た時だという。

彼女は英語教師として飛騨の学校に奉職していたという。 現在、多くの世界の若者が日本の子供たちに英語教師として接しながら、人類の普遍なる平等を教えてくれていることに感謝していると伝えたものである。

 

 

■ 3月8~9日 アスシオン(パラグアイ)  <ブラジル入国ビザ申請ほか>

 

パラグアイのパンパ(大平原)の朝日を仰ぎつつ・・・現在バスは、ボリビアのビシャポリタ平原(パンパ)を走り続けている。

ウルグアイパラグアイも山らしい山がない大平原が横たわる、豊かな国である。

二つの国の違いは、古い西欧に近いウルグアイと、ペルーやボリビアのインカ風俗に近いパラグアイと言ったところだろうか。


 

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              パラグアイ・ビシャボリタ平原パンパの朝

                 (ラプラタ川支流テリクワイ川を通過)

 

パラグアイには、古くから日本の移民が入植しており、現在8000人ほどの日系人がいる。

面積は日本とほぼ同じ大きさだが、人口は約5600万人である。

3月は夏季であり、日中は27~30℃と暑い。

 

ここパラグアイの首都アスシオンは、アルゼンチンとブラジル両サイドの<イグアスの滝観光>の拠点である。

 

イグアスの滝観光>の流れを見ておこう。

 Urguay     Montevideo

  ⇓ 🚐20H/65$

Paraguay  Asuncion

    ⇓ 🚐5H/14$

Ciudad del Este

    ⇓ 🚐1H/3$  🚕タクシー30US$+Tip

Argentina   Puerto Iguazu ‥‥アルゼンチン・イグアス滝観賞   <Brasil VISA申請>

  ⇓              

Brasil           Foz do Iguacu‥‥ブラジル・イグアス滝観賞 ➔🚐➔ Sao-Paulo

     

 

<Brasil VISA申請書類>の再確認をしておく。 

パスポート ②写真1枚 VISA申請書 ④フライトスケジュール表 

⑤ランドスケジュール表 小切手300US$

 

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   アスシオン・バスターミナルに到着         パラグアイの国旗が出迎えてくれる

 

 

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                  パラグアイの国旗

 

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        アスシオンの定食屋              アスシオン郊外のパンパ

 

 

昼食時間、さっそく定食屋に入った。

パラグアイの人達はとても人懐っこく、親切心旺盛である。

隣の席のカップルが、ここの肉料理はとてもおいしいのだと言いつつ、注文してくれる始末。 その上、デジカメを誉めだした。 強烈な暑さをしのぐために、ビールを飲みたかったが、これはまずいとコカ・コーラにとどめて、身構えることにしたほどである。

ブエノスアイレスでの置引き被害に対する教訓が、すぐに警報を鳴らしたのである。 

南米では、すべての親切に対して大変残念だが、一応用心してかかることが肝要である。

日本人は、相手を信用し、情に入り込みやすい国民であることをわれわれよりも、彼らの方がよく知っているようである。

日本人の親切心は無垢であり、日本国内では評価されるようだが、海外ではお人よし、軽く言えばカモに見えるのであろう。

 

出てきた肉料理は、店先でじっくり火炙りしたシュラスコ骨付きカルビ―、$13000G(グアラニー・約300円)である。 油がしたたり落ちるジューシーな肉料理、熱い油での火傷に注意しながら空かした腹に流し込んだ。 

 

     

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  アスシオンの懐かしいボンネット型市バス         シュラスコ骨付きカルビ

 

アスシオンの雑然とした街並みに、一時代前のフォードが排ガスをまき散らしながら悠然と走っているのがいい。 歩道は凸凹だらけで、注意して歩かないと、どぶ穴に足を突っ込みそうである。

しかし、どこか哀愁と愛着が交差する街である。 だいいち時間がゆったりと流れ、肩がこらないのがいい。

 

<南米の国際長距離バス>

まず乗り心地が良く、トイレ付きであり、2階建てである。

ほとんどがドイツ・ベンツ製で作りが重厚である。

座席は、CAMA(飛行機の1等並み)、SEMICAMA(ビジネスクラス)、IDN(エコノミー)の三段階に分かれていることが多い。 今回のモンテビデオからのバスは、全席CAMAでデラックスであった。

 

 <Asuncion🚐➔ Cidade del Este 🚕  Puerto Iguazu> 移動

 

07:00~18:00の間、公共バスが走っている。

国境越えの複雑な手間を省くために、今回はタクシーを使った。(30US$+Tip)

パラグアイの国境で出国スタンプをもらい、イグアス川を渡ってまずブラジルに入国する。 

ブラジル側に入る時はノーパスである。

再びイグアス川を渡ってアルゼンチン側に入る。

タクシーに乗ったまま手続きを済ますが、荷物検査は厳重であった。

 

タクシーを利用したのは、Cidade del Este(パラグアイの国境の街)の治安が極端に悪いという情報が耳に入っていたからである。

時間も遅く公共バスが無いこと、治安の悪いパラグアイ側で泊まるよりも、アルゼンチン側で宿泊することに決めたからである。

誠実で、国境越えに慣れたタクシー運転手のお陰で、各国の出入国をスムーズに終え、プエルト・イグアス/

Puerto Iguazu(アルゼンチン)にある<Hostel Iguazu Fall>に投宿した。

 

▼ 3/9   イグアス・フォールズ・ユースホステル /  Hostel Iguazu Falls

 

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                                  イグアス・フォールズ・ユースホステル/ Hostel Iguazu Fallsにて

 

6人部屋ドミトリー@1泊27ペソ(約9US$)

夕食は、YH主催のバーベキュー@5US$に、赤ワイン3ペソで済ませる。

宿泊先であるここユースホステル近くには、入国VISAを発給するブラジル領事館や、イグアスの滝行きのバスターミナルがある。

パティオ(庭園)には、各国の若者が集まり賑やかである。

ドミトリーの同室者は、イスラエルからの女性達で、中にベングリオン空港での婦人尋問官をしているという紹介があった。

イスラエル訪問時、入国審査にあたってA室で二人一組の尋問を受け、B室に移ってからの尋問はA室と全く同じで、各尋問での矛盾・差異を突いてくる方式の厳しさを思い出したという話をしたものである。

彼女らはみな、徴兵制の任期を終えての、卒業旅行見たいものだと屈託のない笑顔で応えてくれた。

 

さあ、明日はブラジルにここプエルトイグアス/Puerto Iguazu(アルゼンチン)から直接入国するかどうかを決心する日である。

ほとんどブラジル入国希望者は、一度ボリビアに戻りブラジルの観光ビザを取って再入国するようである。

入国審査に必要な書類等の再点検をここでも行った。

 

 

■ 3月9日 プエルトイグアス/Puerto Iguazu(アルゼンチン) 2日目

         ブラジル領事館にて、入国VISA申請

   

➀パスポート(写真1枚)

②バスによる陸上入国―□旅行計画書 □アルゼンチンブラジル行バス切符

  <バス切符購入にはブラジル・ビザ/Brasil Visaが必要であることを上申)

④VISA申請料 50US$ (又はアルゼンチン・ペソ)

⑤帰国用飛行機切符  又は フライト計画表

➅ブラジル滞在費の提示 10日X@50US$=500US$

 

入国VISA申請を終え、ブエノスアイレスでの置引きで紛失したVISAカードの再発行申請を行い、サンパウロで受取る手はずも済ませた。

VISAカード再発行 : ブラジル・フリーダイヤル#000881-55-7786

南アメリカ大陸におけるVISA再発行事務の拠点はブラジルにある

◎再発行カードは、ブラジルの滞在先に送られるか、サンパウロで直接受取が可能

 

 

 

■ 3月10日 アルゼンチン・イグアスの滝 (アルゼンチン再入出国) 曇

 

 <アルゼンチン側イグアスの滝見学ルート> Cataratas Iguazu

   プエルト・イグアス 🚐➔ 公園ゲート前降車 ビジターセンター(入園料@30US$)

   🚋観光電車 ➔ 1つ目駅<Estacion Cataratas : フォールズ駅>下車 / 乗換 ➔ 

   <Garganta del Diablo : 悪魔の喉>行 ➔ <展望橋>下車(滝見学のための遊歩道入口)

 

今日は、一度は訪ねてみたいと長年温めてきた世界最大のイグアスの滝(今日はアルゼンチン側)へ出かける日である。 

プエルト・イグアスの街の中心にあるバスターミナルからひっきりなしに出発する往復8ペソの朝一番(07:15am)のバスに飛び乗り、イグアス国立公園に入園料30US$を支払って入園する。

待ち構えていた観光列車(無料)に乗込み、まずは中間駅<カタラタス>で下車、遊歩道からイグアスの滝を観賞、スケッチを楽しむ。

 

<アルゼンチン側イグアスの滝を楽しむ>

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 イグアス国立公園入口/Parque National Iguazu           イグアス国立公園の観光列車

 

イグアスの滝は、ナイアガラの滝・ヴィクトリアの滝とともに世界三大瀑布と呼ばれ、世界自然遺産にも登録されている。 イグアスの滝は、3月の現在、雨季で水量が増していて、無数の瀑布がド迫力の絶景を見せてくれる。

イグアスの滝はアルゼンチン・ブラジルの二カ国にまたがっている。

先に、アルゼンチン側イグアスの滝を遊歩道、遊覧船上から観賞することにした。

 

熱帯雨林に蓄えられた豊かな水量がイグアス川に集まり、ここイグアスの滝で、水しぶきの白煙をあげ、驚異的な迫力をもつ世界最大の瀑布を作りあげている。

その規模は、イグアス川の4kmほどの間に、落差80mの大小の滝が約280ほどもあり圧巻である。

 

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           アルゼンチン側イグアスの滝<遊歩道A-2からの展望>

 

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               イグアスの滝観賞ルート概略図

 

スケッチの後、Lower Circuit をトレックし、サンマーチン島にフェリーで渡り、サンマーチン滝のエネルギーを間近で受けとめながら観賞した。

 

この巨大なイグアスの滝を見て、自然の織り成す偉大さと、時の流れが造りあげた壮大な作品に圧倒された。

創造主のなせる業は、人をはじめ自然を構成する一つ一つの作品の美しさにいつも驚嘆させられるのである。

 

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 イグアスの滝(アルゼンチン側遊歩道A-2にて)      イグアスの滝でのランチ<パスタ>

 

もどって、観光列車に乗って終点近くにある<悪魔の喉笛/Grant del Diablo>を観賞する。

 

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                アルゼンチン側イグアスの滝遊歩道A-2より)

            

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               アルゼンチン側イグアスの滝(遊歩道A-3より)

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           サンマーチン島展望ポイントより悪魔の喉笛の景観を望む 2景

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         アドベンチャーボートによるイグアスの滝・悪魔の喉笛・滝壺の遊覧 

 

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           アルゼンチン側遊歩道A-5展望ポイントより

 

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               イグアスの滝 (アルゼンチン側遊歩道A-2より)

                Iguazu Falls (from Argentine sidewalk A-2)

                 Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                                  March10,2022

 

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          イグアスの滝 (アルゼンチン側遊歩道A-2ポイントより)

                Iguazu Falls (from Argentine sidewalk A-2)

                 Water Color Painting by Sanehisa Goto

 

<悪魔の喉笛>

悪魔の喉笛は、アルゼンチン側のボート乗り場よりアドベンチャーボートで下から観賞でき、またブラジル側からは、遊歩道の先にあるエレベータ付きの展望台から迫力ある景観を見下ろすことが出来る。

イグアスの滝のハイライトである悪魔の喉笛を、間近かにその轟音とどろく、最大の滝を観賞することが出来た

 

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      <悪魔の喉笛>Devil's Throat             <イグアスの滝壺>Iguas Waterfall basin

                  Garganta del Diablo             Iguas Waterfall basin         

                Water Color Painting by Sanehisa Goto                                

                      March 10, 2007

 

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            悪魔の喉笛 (船上より見るアルゼンチン側イグアスの滝

                                                Garganta del Diablo

 

 

■  3月11日 フォス イグアス / Foz Iguacu(Brasil)へ移動

 

朝、ユースホステルのキッチンで備え付けのキッコーマン醤油を見つけ、ソーセージ付きスパゲッティをつくり、かけていただいた。 美味い、日本から出て3か月、これこそ飢えていた味である。 この時あらためて、キッコーマン醬油が、日本人にとって魔法の味<発酵食品>であることに気づかされた。

 

今朝は、ここプエルト イグアス(アルゼンチン)から、フォス イグアス(ブラジル)/Foz Iguacu(Brasil)へ、イグアス川(橋)をバスで移動し、ブラジル側からイグアスの滝を観賞することにしている。

 

アルゼンチン側プエルト・イグアス/Puerto Iguazuから、ブラジル側のイグアスの滝を見学するには、一般的にブラジル・ビザ/Brasil Visa(180US$)が必要である。

しかし、現地の公共バス(@2US$)やタクシーでブラジル側に入出国する限り、パスポートを見せることもなく、何のお咎めもなかった。

これは、どうも観光客はすでにアルゼンチン、ブラジル両国のビザ(査証)を持っている者として扱っているようである。

日本の旅行案内書では、この間の事情を記されていないがゆえに、バックパッカー達はビザを取得するため180US$を払い、1日をついやす苦労をしているようである。

ただ、これからブラジルへ観光のため入国する者は、VISAをとっておくべきである。

 

<ブラジル側からの イグアスの滝 観賞ルート> Foz do Iguacu

  Foz do Iguacu ➔ 近距離バスターミナル<Parque Nacional行>🚐乗車(0.40h/R$1.85)➔

  <国立公園ゲート>下車 / 専用バス乗換(往復無料)<終点・滝の上のレストハウス>行に乗車

  3番目のバス停<遊歩道入口>下車 ➔  (遊歩道よりブラジル側イグアスの滝を見ながら進む)➔

  橋に至る(アルゼンチン側イグアスの滝―悪魔の喉―が正面に見える) ➔ エレベーター ➔

  <滝の上のレストハウス🚐終点からバスで ➔ <国立公園ゲート>へ戻る

 

 

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                  イグアスの滝観賞ルート概略図

 

<ブラジル側より イグアスの滝 観賞>

イグアスの滝は、イグアス川にあり、この川が国境となっているため、アルゼンチン側とブラジル側に分かれている。 しかし、イグアスの滝は一つであることを頭に入れて観賞することである。

 

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           悪魔の喉笛方向のイグアスの滝(ブラジル側B-1展望ポイントより)

 

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                悪魔の喉笛(正面・B-2展望ポイントより)

 

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                イグアスの滝(ブラジル側遊歩道B-2より)

                   Argentine side Iguazu Falls

                  Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                                                    March 10, 2007 

 

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      ブラジル側遊歩道B-2ポイントよりイグアスの滝(アルゼンチン側)をスケッチ

        Sketch Iguazu Falls (Argentina side) from B-2 point on the Brazilian sidewalk

 

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             イグアスの滝(ブラジル側遊歩道B-2展望ポイントより)

                       

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    ブラジル側遊歩道B-3ポイントで         <悪魔の喉>へ流れ込むイグアスの滝

 

 

この日、プエルト・イグアス(アルゼンチン)に戻り、その足でサンパウロ(ブラジル)行きバスのチケット(@185US$)を予約した。

   🚐移動<プエルト イグアス/Puerto Iguazu(アルゼンチン)Sao Poulo(ブラジル) 

        12:30                          翌日 04:30

   バス会社            : Cruzero del Norte (@185US$)

           出発ターミナル : Puerto Iguazu <TIETE Bus Terminal>

 

 

 

■ 3月12日<プエルト イグアス(アルゼンチン)➔サンパウロ(ブラジル)移動

 

今日、お昼のバスでサンパウロ(ブラジル)へ向かう。

静かなプエルト・イグアス/Puerto Iguazuの心なごむ朝をユースホステルの中庭で迎え、紅茶を飲みながらスケッチの仕上げをした。

徴兵の義務を終え、休暇を楽しんでいるイスラエルの青年たちに、スケッチをほめられた上にコーヒーの差入れを受ける。 3年の兵役を務めた彼らに、疲れは全く見られず、笑みを絶やさない青年たちに魅力を感じた。

彼らのような『今に生きる』青年たちにいつもエネルギーをもらっている。

昨夜は、多くの若者たちとの対話を楽しんだ。 オーストリアデンマーク、スイスと、それこそ世界は一つであり、次世代を担う青年たちの愛の満ちた連帯に、世界平和の根源を見た思いである。

 

<現在、2022年3月4日 ロシア軍がウクライナに侵攻し8日目、無差別攻撃がなされ、多くの民間人や子供たちが殺戮され、6基の原発をもつ南部のザボロジェ原子力発電所が爆撃攻撃され、緊迫な状態にある。 どうもロシアの大統領の妄想である<栄光の大ロシア帝国ソビエト連邦の再興>のもと、兄弟国であり、隣国であるウクライナに侵攻、侵略しているようである。)

 

これから向かうブラジル・サンパウロは、青春時代にスカウト移民として一時滞在した懐かしい所である。

 

                 <ブラジルに向かいて>

                    詩 後藤實久

              ああわが青春に宿りし

                青年の大志を実現せし

                     ブラジルよ

                   青春の血潮たぎりし

                     過ぎし熱き日を覚えし

                           ブラジルよ

                      この大地に再び還りて

                   わが青春の炎いまなお

                燃えしを知らしめし

 

 

リオデジャネイロ行き長距離バスは、プエルト イグアスのバスターミナルを少し遅れて、12時45分静かにスタートした。 サンパウロは、リオデジャネイロへの途中下車となる。

 

無限に広がるパラナ平原/Paranaの畑に、トラクターのキャタピラ跡がまるで禅寺の箒跡の文様のように地平線まで続いている。 あの北海道の雄大な丘陵の風景が重なる。

低く垂れ落ちた白雲に太陽の陽が映えて美しい。

この広大な農地に、人の姿見えず、轍だけが生きているように赤い土に、曲線がうねっている。

ここパラナは、沢山の日系移民が100年前から入植し、成功している。

この美しい幾何学模様の中には、日系農民の作品も混じっていると思うと、その苦難の道と、成功への称賛を贈りたいものである。

 

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        標高900mに広がるパラナ平原<日系人入植地> ブラジル南部

 

▼ 3/12  サンパウロ(ブラジル)に向かう長距離バスでの車中泊

 

 

■ 3月13日 サンパウロ (ブラジル) 1日目

 

サンパウロ日本人街 ガルボンブエノの朝の風景>

昨日、3月12日、プエルト イグアス/Puerto Iguazu(アルゼンチン)を昼に出発した長距離バス<リオデジャネイロ行き>は、今朝早く04:30am、サンパウロにあるイタピア/Itapiaバスターミナルに無事到着した。

 

ここイタピア・バスターミナルは、23年前、亡き清水尚久先輩とカンポス・ド・ジョルドンのサナトリウムにおられた北村省三・智夫妻(サンパウロ日米キリスト教会・彦根出身>を訪問した時、待ち合わせた懐かしい所である。

 

朝一番の地下鉄は、通勤者を乗せて混んでいた。

中心街Se駅の次がリベルダーデ/Liverdade駅、薄暗い駅にただ一人での下車は、心細かったが、急ぎ足で地上に出て、青年時代にお世話になった太陽堂書店の前に立った。

 

朝5時半ごろ、リベルダーデ/Liberdade広場のキオスクの周りに白一色の衣装を着た集団が集まり、懐かしいNHKのラジオ体操の音楽が流れ、40年間続くという体操が始まった。 多分、みなさん日本人街ガルボンブエノに長年居住されているご婦人たちであろう。

参加者は80名ほど、65歳から91歳の高齢日系人というから、みなさんお元気である。

 

まず円陣、それから横縦隊となり、柔軟体操からから始まり、NHK第一体操、それから歌謡曲に合わせて大極圏、そしてリーダーの挨拶があり、ラジオ体操参加印をもらい、<今日一日笑顔で過ごしましょう>と挨拶を交わして終了である。

 

体操の間、私は43年ぶりの太陽堂書店をスケッチにおさめていた。

体操を終えられた老婆たちがスケッチを囲み、<これは水彩なの? とても細かく画くのね? どうしてこんな色が出るの?>と質問攻めである。

そして、<毎朝やっているからあなたも体操においでなさい>とお誘いをうけた。

これから、日本人街ガルベンブエノにあるカフェーでお喋りタイムだとおっしゃる。 たぶん戦前の入植地での苦労話や、子育ての難しかったこと、世代間の乖離や、終戦時の勝ち組・負け組の悲惨な過去についての思い出話に花を咲かせるのであろう。

 

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    サンパウロで途中下車      サンパウロ旧日本人街リベルダーデ<ガルボン・ブエノ>にて

 

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             ラジオ体操中の日系人シニア(リベルダーデ広場)

 

ラジオ体操のおこなわれているリベルダーデ広場は、サンパウロ市中心に接しており、この広場からサンパウロ旧日本人街<ガルボン・ブエノ>へと続いている。

キオスクの店主である日系のお婆さんに声を掛けられ、京都からだというと「京都はいいですね。どうかブラジルをよく見て帰ってください」と。 そこにはお年寄の日本への郷愁が漂っているように感じた。

 

ここサンパウロでは、ブエノスアイレスで置きひきにより紛失したVISAカード再発行の郵送先を、ここ<ペンション荒木>に指定して、カード会社に連絡を入れた。

また、同じく日本の銀行に依頼している再発行のキャッシュカードを受取のため、長期滞在になりそうである。

 

朝の通勤で賑やかになりだしたリベルダーデを後にして、懐かしの旧日本人街ガルボンブエノを散策しながら、日本援護協会ENKO(日系コミュニティセンター・病院)のあるサン・ジョアキン/Sao Joaquin通りを右折し、193番地にある<Pension Araki/ペンション 荒木>の地下、一番奥にある庭に面した左側のベットに荷物を降ろすことになった。

ここに、これから紛失した新しいVISAカードや銀行キャシュカードを受取るまでの数日間、お世話になることと相成った。

 

<ペンション荒木の住人>

オーナーの荒木和子さんはわたしと同年代、広島県出身で、姉もまたブラジルに在住し、妹さんが日本におられるそうである。 亡きご主人はブラジルの方で、この20年間一人でペンションを経営されてきたという。 

ここペンション荒木には、当初から日系人も利用され、いまも現役のご老人(84歳)がおられるという。

<人生とは一人一人違い、どのような生き方であろうとも、他人に迷惑をかけずに一人で生きる>姿には、感動させられるものである。

 

▼3/13~20    (8日間 長期滞在―紛失物再申請&発行・受取のため)

     「ペンション 荒木」  Pension Araki  (サンパウロの日本人街に近い長期滞在者用ペンション)

                                      Rua Sao Joaquim 193,  Liberdade, Sao-Paulo, Brasil   TEL:3209-6384

 

 

 ■  3月14日  サンパウロ  先輩の墓参り 2日目

 

1908年6月18日 移民の父と言われている水野 龍(皇国殖民合資会社社員)に率いられた第一回のブラジル移民781名は、笠戸丸にてサントスに上陸した。

その後、さくら丸(1943~1970)、ぶらじる丸(1954~1973)に引継がれ、国策事業として約23万人をブラジルに送り込み、今では約200万人の日系人がブラジルに暮らしている。

 

移民110周年記念式典で紹介された、美智子妃の歌会始で詠われた和歌がある。

 

『移民きみら辿りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび咲きし』

 Along that for road

 Trodden bay you immigrants

 On your hard – won way

 Oh ! How many times till now

 Have the yipe flowers bloomed ?

 

<移住スカウト 内田克明先輩との再会>

紛失したカード関係の再発行に関してお手伝いいただいているサンパウロ在住の内田氏に電話をかけ、到着したことを伝えると、<懐かしいなー、待ってたよ>と一緒に食事をしようとのこと、43年の空白を越えて<オッちゃん>の声がこだました。

 

先でも触れたが、1964年より、わたしはブラジルに短期滞在した。

当時、ボーイスカウト日本連盟は、ブラジル在住の細江静男ドクター(サンパウロ・カラムルー隊)の要請で、1956年一期生として日本のローバースカウト(青年隊員・内田克明先輩ほか)2名をはじめ、総計47名(内、ローバスカウト出身は20名弱)をブラジル・バウー実修所に送り、技能を習得させ、ブラジルの社会建設の戦力として、送り出していた。

わたしもこの計画の趣旨に賛同し、1964年、2年程前に完了していた移住スカウト事業の一番最後の隊員としてカンポス・ド・ジョルダンにあるバウー実修所と、その後サンパウロに短期滞在したのである。

その際、お世話になったスカウト移住一期生のお一人であるMr. Katsuaki Uchida/内田克明氏宅を訪問し、久闊を叙した。 もちろんVISAやCASHカード等の紛失に伴う再発行でのお世話いただいたえることへの感謝の意を伝えたのはもちろんである。

ご夫婦や息子さん夫婦による手作りの魚のフライ料理と野菜サラダをいただいた後、私たちが渡伯時お世話になった、今は亡き同志社先輩Mr. Hisashi Shimizu/清水尚久氏(愛媛県宇和町出身)のお墓に参り、生前のご厚情に感謝の気持ちをお伝えした。

 

同志社先輩 清水尚久氏の墓>

清水尚久氏(しみず ひさし 1911/12/7~1998/11/30 享年87歳)のお墓は、 サンパウロカンポグランデ墓地 の24番80(墓地出口付近)にある。

清水氏は、愛媛県宇和町のクリスチャンのご家庭に生まれ、同志社中学では、ラクビ―に汗を流し、10代でのブラジル移住を決意されたが、未成年がゆえに両親と弟・ミネオさん(19歳没)と一緒にブラジルへ移住され、清水尚久氏が青年に達してのち、両親は帰国されている。

清水家の墓は愛媛県宇和町にあるため、清水尚久氏は奥様の多田家のお墓に入っておられる。

同志社在学中は、台湾出身の早稲田のラガー柯 子彰(か ししょう 1910- 2001)氏と試合を通して交流があったと、ラクビ―談義に花を咲かせておられたものである。

個人的には、同志社の先輩後輩としてブラジルとアメリカと遠く離れていたが、お亡くなりになるまで親交を持たせていただいた。 素晴らしい先輩に恵まれたことに感謝している。

 

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       移住スカウト1期生 今は亡き内田克明ご夫妻と (清水尚久氏墓前にて)

 

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          清水尚久氏の墓 (しみず ひさし 愛媛県宇和町出身 同志社中学卒) 

                                                            1911/12/7~1998/11/30 享年87歳 

                                                     サンパウロカンポグランデ墓地 (墓番号24番80)

             (奥様の父・多田栄一郎之墓にて永眠)

 

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       亡 清水尚久先輩(当時70歳)とサンパウロのご自宅で(1982年12月訪問時)

    

 ▼3/13~20  長期滞在  ペンション荒木

卒業旅行中のK君(東京)とここ長期滞在者用ペンションでまたまた再会、モンテビデオから北上中のルートの上にお互い居るようである。 再会を喜ぶ。

 

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           K君との再会(左・サンパウロGH、右・モンテビデオYH)

 

ここペンション荒木は、サンジョアキン通りに面し、ひっきりなしに行き交う車の騒音で、賑やかである。

特に、朝の通勤ラッシュ時には大変な混雑停滞である。 その車の間をオートバイが走り抜けるのだから、田舎者には住みづらい所である。

 

 

■ 3月15日  サンパウロ滞在 3日目  太陽堂・山田健寿郎氏宅訪問 

 

わたしが、カンポス・ド・ジョルドンのバウー実修所での訓練を終え、ブラジル生活に慣れるためにと、清水尚久先輩(同志社)の紹介でサンパウロ中心地、リベルダージにある太陽堂書店で働くことになった。

その時、私を指導していただいたのが当時副社長であった山田健十郎氏(愛知県出身一世)であった。

この時以来、お亡くなりになるまで、50年にわたって懇意にさせていただいた。 日系ブラジル一世の立派な先輩に恵まれたことに感謝である。

 

お礼を兼ねて山田さん宅を訪問し、久闊を叙することになった。

白髪になられた山田ご夫妻と、それに令嬢に出迎えられ、43年目の再会であった。

 

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          亡 山田健十郎さんご夫妻と再会(2007年ご自宅で)

 

お宅を去るにあたって、よければ<ニッケイ新聞>のインタビューを受けてくれないかとの申出である。 どうも懇意にされている新聞社の社長から、異色の人生を歩んでいる日系人を紹介してくれるようにと依頼されておられたようである。

 

さっそく、二人してニッケイ新聞社を訪問し、池田さんという新進気鋭の記者からインタビューを受けることになった。 その時の新聞に載ったインタビュー記事を要約引用して、青春時代を回顧したい。

 

 

「亡き妻との約束を果たしたい」――

 

12万人に1人の割合で発症するという難病、「多発性硬化症」で妻を亡くしたのをきっかけに、世界各地を旅する後藤實久さん(65)=滋賀県大津市在住=がこのほど、約一週間の滞聖を終え、アマゾンへ向かった。

後藤さんは2001年から、妻が生前求めていた世界各地の美景を訪ねている。

そして旅での一期一会を心がけ、世界中の青年たちと交流する〃巡礼〃の日々を続けている。

後藤さんに話を聞いた。

「ブラジルの自由な雰囲気はかわっていないですね」――後藤さんは1964年、22歳のとき、サンパウロ

日伯援護協会の設立などに尽力した細江静男氏らの「ボーイスカウト移住」の指名呼び寄せで、ブラジルに

滞在した。今回の訪伯は、移住スカウト以来43年目、22年前に再訪して以来4度目だ。

ボーイスカウト移住として、後藤さんは聖州カンポス・ド・ジョルドン市のバウー岩塊近くにある

<バウー実修所>で、スカウト用キャンプ場建設のかたわら、牛の飼育法などを学んだ。

移住にあたり、マス(鱒)の養殖技術を京都大原の「鱒の坊」で学び、ブラジルに持ち込んだ。

「その後、私は日本に戻りましたが、今ではカンポス市の名産がマスと聞いて驚きました。 当時の苦労を

振り返ると、ほんと感慨深いものがありますね」

星の巡礼』――後藤さんは感銘を受けたブラジル人作家の著書の題名にちなみ、自身の旅をそう表現する。

同書は世界的に有名なブラジル人作家、パウロ・コエーリョの処女作で、スペイン北西部のカトリック

聖地を訪ねる精神世界を描いた作品だ。

後藤さんの妻は1999年、運動麻痺や知覚異常が伴う難病、「多発性硬化症」で亡くなった。

「病気がよくなったら世界中の美しい場所を訪れたい」。妻は闘病中、そう何度も夫に語りかけた。

後藤さんは妻の想いを引き継いで2001年に、ネパール、カトマンズから旅を始め、妻が憧れたエベレスト

など雄大な山々を訪れた。

東西文化の交流地、トルコのイスタンブールの川では遺言どおり、線香を焚いて妻の遺骨を小舟の上から

散骨した。その後は北欧、中欧各国、中東を訪れたあと東アフリカを縦断した。

この間、何度か日本と外国を往来し、今年一月に南米ペルーから旅をはじめた。

ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイと南米各地を訪れ、3月13日にブラジルに入国した。

「妻に見せましたよ」。後藤さんに各地の思い出を振り返ってもらうと、まっすぐな眼差しでそう口を開く。

亡き妻と一緒にこれまでに約120カ国を訪れた。一人の旅ではけっしてないという。

後藤さんは、20代に京都芸術短期大学の設立などに関わった後、31歳で新天地をアメリカに求めた。

そこで22年間、セラミック加工技術を研究するとともに、ハリウッド俳優の役作りなどを手掛けた。

旅の最終地点は北上してアラスカだ。その前にカナダの大河、ユーコン川をカヌーで下る。

「私の『星の巡礼』はそこで終わる予定です」。

後藤さんは笑顔でそう話した。       <『ニッケイ新聞』 3月22日付記事より抜粋要約>

 

 

 

■ 3月16日  サンパウロ 4日目

ブラジル日本移民資料館/MUSEO HISTORICO DA IMIGRACAO JAPONESA -BRASIL

 

今日は、一度は夢見たスカウト移住として滞在したこの国の日系移民の歴史を振り返るため、日系移民資料館を訪ねた。 

驚かされたのは、歴史ある日系移民のなかにスカウト移住が取り上げられていたことである。 懐かしい往時のカンポス・ド・ジョルドンのバウー岩塊の前に立つ、ユニフォーム姿のスカウト2名の写真に見入った。

 

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               ブラジル日本移民資料館訪問記念スタンプ

 

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                 第一回移民船 笠戸丸(1900~1945)

 

 

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              さんとす丸(1937神戸埠頭出航風景)

 

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           1964年 私も乗船した最後の移民船<ブラジル丸1954~1973>

 

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               カンポス・ド・ ジョルドンの<バウー岩塊>

                  を背景に立つ2名の移住スカウト

         (注・内1名はスカウト移住の1期生内田克明氏と思われる)

 

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「1950年から60年代にかけて、いわゆるボーイスカウト移住が行われ、カンポス・ド・ジョルドンのペードタ・ド・バウーに入植、ボーイスカウトの制服、1958年度日記帳兼雑記帳、日本ボーイスカウトのバックルほか」 (ブラジル日本移民資料館)

 

 

<スカウト移住の聖地―1964年当時のバウー実修所>

今から33年前の1964年、最後のスカウト移住者の一人として、ここカンポス・ド・ジョルドンのバウー実修所(サンパウロ・カラムルー隊/Grupo Escoteiro Caramuru)に短期間滞在し、ブラジル・スカウトのために開墾したキャンプ地の仕上げ、チャペルの完成、本部棟の水洗便所・温水シャワーの増設などに携わった。

当時、バウー実修所には管理者の小池潔夫妻(岐阜出身)と、呼寄せの小池氏の弟さん、それにカバクロ(現地人)のホセ夫婦が定住、そこへ短期実習生として私が加わったのである。

わたしが到着した時、バウー実修所に47名おられたスカウトを含む移住者は、数年前すでにバウーでの実習を終え、ブラジル社会へ羽ばたかれていたのである。

この間の事情は、項をあらためてブログ<ブラジル・スカウト移住の歴史>で取り上げてみたいと思っている。

 

<バウー実修所>

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    <カラムルー隊スカウト野営場>入口  <バウー実修所>  スカウト・マークを配した馬髑髏

 

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           バウー実修所のシンボル <バウー岩塊と十字架>

 

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               バウー実修所 礼拝堂

 

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   バウー実修所 本館とゲストハウス        バウー実修所 隊員棟の前で(1964)

 

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                      <バウー実修所> スカウト・キャンプサイト開拓設営中(1964当時23歳)

 

■ 3月17日 サンパウロ 5日目  内田克明氏宅再訪

 

午前中、日本の銀行へCASHカード再発行に必要な書類を送付したあと、移住スカウト1期生である内田克明先輩宅を再訪し、脳梗塞で倒れられた左半身不随の奥さん、美恵さん(ヨシエ/旧姓・桜田/Parana Assai出身)のリハビリとしての水彩画と書道、それに粘土細工の手ほどきさせていただいた。

内田先輩は、わたしが渡伯した当初1964年、お世話になった下宿(水本家/Mr.Mizumoto/Rua Caramuru,973 Bosque de Saude,Sao-Paulo)の地下にある部屋が隣同士で、すでにバウー実修所での訓練を終えられ、ブラジル・クボタに勤めておられた。

当時、お二人の結婚式にも立ち会ったことが懐かしく思い出される。

わたしたちも、随分と年老いたものとお互いに顔を見合わせて笑いあったのである。 それぞれの人生を振り返って、インスタントラーメンをいただきながら、夕暮れまでお世話になった清水尚久さんの生前のエピソードや、半世紀前のスカウト移住の事、スカウト移住の呼寄せ人だった細江静男ドクターの話題に花を咲かせた。

 

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          亡 内田克明ご夫妻と再会を喜ぶ(サンパウロのご自宅で)

 

先輩宅訪問前には、久しぶりのサンパウロの中心であるセ広場(Praça de Sé)に立寄って、大聖堂をスケッチにおさめた。

 

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           セ広場にある大聖堂/カテドラル (サンパウロ/ブラジル)

               Cathedral in Se Square (Sao Paulo / Brazil)

                  Sketched by Sanehisa Goto

                                            March 17, 2007  10:28

 

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                 サンパウロ大聖堂/カテドラル前で

 

 

■ 3月18日   サンパウロ滞在  6日目  曇後晴れ

 

ここ<ペンション荒木>には、15年間寄宿されている、84歳になられる藤沢さんがおられた。

藤沢さんは岩手県人で、 日本では松坂屋や、高島屋に勤務したあと、34歳で妹さんの呼寄せでブラジル移住され、自動車の部品会社に勤めたあと、現在はJAL日本航空)の送迎係として働いておられるという。

趣味はピアノ演奏で、日本の民謡やモーツアルト小夜曲をエレクトーンで演奏していただいた。 そのどれもが藤沢さんの移民人生を背負われたような、哀愁に満ちたメロディーに聴こえた。

 

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日本民謡奏でる藤沢さん<岩手県人>   <ペンション荒木> オーナー荒木かず子さんと(広島県人

 

わたしが約45年前、ブラジルに滞在したおり、若い私を励まし続けていただいた今は亡き老夫妻がおられた。 サンパウロにある南米教会の長老であった滋賀県人であり、彦根出身の北村省三・智夫妻を懐かしく思い出した。

北村夫妻はお嬢さんを連れ、退職後一家でブラジルに移住され、内村鑑三賀川豊彦の影響を受けた無教会主義の手島郁郎の「生命の光」運動に心酔され、実践された熱心なクリスチャンである。

ブラジル滞在中はもちろん、滞米中もまた、遠くからの励ましと、祈りのお手紙をいただいた。

一度、脳梗塞だったかで、わたしも滞在したカンポス・ド・ジョルダンに居を構え、療養されたおり、1982年ブラジル再訪の折、同志社先輩・清水尚久氏に連れられて、お見舞いに伺ったことがあった。

 

ブラジルへ渡られたみなさんは、それぞれに大きな夢と希望を持たれ、信仰に生かされていることに、気づかされるのである。 2022年現在、みなさん鬼籍に入られたが、いまなお天国より、声をかけて下さる先輩たちに感謝をせずにいられない。

移住によって人生を歩まれた先輩たちがまだまだおられるが、機会を見つけてご紹介したい。

 

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                  今は亡き北村省三・智ご夫妻と療養中の

               カンポス・ド・ジョウルダン のご自宅で再会(1982)

 

<再発行VISA CARDを受領>

サンパウロ長期滞在の目的は、諸先輩との再会と墓参り、紛失カード類の再発行申請と、その受領のためである。

今朝、緊急再発行の<VISA CARD>を受領したので、国際電話で東京の三井住友銀行のVISA係に受取通知をする。 その上、近くのATMで現地貨幣クルゼーロ1000R$(約500US$)を引出し、限度額と暗証番号などを確認した。

 

<ブラジル国内長距離バス・アマゾン川船旅のスケジュール>

紛失したカード類の再発行を受け、ようやくサンパウロから脱出し、アマゾン川中流のマナオスに向かっての旅を続けることとなった。

 

サンパウロ  🚐➔ リオデジャネイロ  🚐➔ サルバドル  🚐➔ ベレン  🚢 マナオス

     <6H/66R$>    <1日1便/26H/110R$>   <36H/189R$>   <8泊9日の船旅>

 

  

 ■ 3月19日  サンパウロリオデジャネイロ  🚐長距離バス移動 

 

ブラジル北部、アマゾン川中流に位置するマナオスへの旅を続けるにあたって、汚れた旅行服を脱ぎ捨て新しい服に衣替えすることにした。

さっそくサンパウロ中心、セ広場の北に広がる問屋街に出かけ、ジーンズと黒色のTシャツを買い求めた。

途中で出会ったサンパウロの街にかかる美しい虹に、43年前のバウー実修所で魅入った虹を重ねて懐かしんだ。

 

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                ガルボンブエノ橋で美しい虹に出会った 

     

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               サンパウロの青空市場 <果物のフェイラ>

 

帰りに郵便局に立寄り、旅の立寄り地で買い求めたお土産屋、資料などを航空小包で日本に送ることにした。

(DEMS/航空小包 224R$・ 船便/90R$)

 

青空市場に出かけ、バス移動時の携帯食と果物を購入、ブラジル東海岸北上の長旅の準備にとりかかった。

 

       🚐サンパウロ/Sao-Paulo ➔ リオデジャネイロ/Rio de Janeiro

             3/19  23:40発           3/20  05:00着   (約6H)

  バス会社 : EXPESSO BRASILEIRO   66R$ (毎時1便)

 

 

■ 3月20日  リオデジャネイロ ・ コパカバーナ散策

 

計画であれば、リオでの観光に時間を持つはずであったが、南極大陸クルージングという魅力に負けてツアーに参加したり、ブエノスアイレスでのVISAカード等の紛失という思わぬ災難に遭い、再発行のためサンパウロで長期間の滞在を余儀なくされたため、リオデジャネイロの観光は、コパカバーナ―を中心に短時間で切り上げることにした。

 

ブラジレイロ急行の長距離バスは、朝05:00リオデジャネイロの長距離バスターミナル<Rodoviania Novo Rio>に滑り込んだ。

バスターミナルの1階のRIOTUR(Information)で、コパカバーナの観光地図を手に入れ、ローカルバス<オニブス/Onibus>#1281.8R$)に飛乗り、コパカバーナに向かった。

 

1502年1月、ポルトガル探検隊は、ここグワナバラ湾を発見し、川と間違ってRIO/川と名付け、発見月JANEIRO/1月を付けて、Rio de Janeiro/リオデジャネイロとしたという。

1763年、それまでサルバドール(次の訪問都市)にあった総督府をここリオに移し、1960年のブラジリア遷都まで、ブラジルの首都であった。

リオデジャネイロは、人口700万人を超える大都市で、ボサノバの発祥の地であり、リオのカーニバルとして世界的に有名である。

リオで生まれた人々をカリオカと呼ぶが、生まれつきの天衣無縫、天真爛漫な性格は、陽気なラテンの明るさとなって、リオのカーニバルで発散させているのはよく知られている。

 

コパカバーナ海岸散策>

さっそく、靴を脱ぎ素足で白い砂浜を歩き、南国の澄み切った青空のもと、大西洋の涼風にあたりながら、観光客でにぎわうコパカバーナ海岸を散策した。 どこからかサンバのリズムが流れ、カリオカ娘のはち切れんばかりのお尻が健康的である。

 

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               コパカバーナ海岸>

 

今夜は、コパカバーナ海岸近くの安宿<ジュカティ/JUCATI>に泊ることにした。

 

▼3/21     <ジュカティ/JUCATI> 2連泊  @30R$

      Rua The Maranes de Gusmao,85

      e-mail : contato@edificiojucali.com.br

 

 

■  3月21日  リオデジャネイロ滞在

 

この宿<ジュカティ/JUCATI>の前に、噴水のある公園があり、早朝から果物野菜市が立ち、賑やかである。

公園のベンチに座って、バナナを食べながらリオの朝風景を楽しんだ。

今日は、コルコバードの丘に立つキリスト像と、ポン・ジ・アスーカル/Pao de Acucar(砂糖のパン)を回るつもりだ。

リオデジャネイロには、有名な貧民街がある。

コルコバードの丘への途中、バスの中からファベーラを目にした。

 

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          服を脱ぎ捨てコパカバーナ―海岸で人っ気なしの早朝の日光浴

 

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         コルコバードの丘へ向かう登山電車から<ファベーラ/貧民街>を望む

 

コルコバードの丘/Morro do Corcovado  キリスト像

コパカバーナ海岸通りより、オニブス(バス)#583に乗って終点が<Morre do Corcovado/コルコバードの丘>である。

標高709mの絶壁の丘に立つキリスト像は、リオ観光のシンボルである。 

丘には登山電車(36R$/18US$/約2000円  所要20分)であがることになる。

ポン・ジ・アスーカルや、グアナバラ湾を見渡すパノラマの景観が素晴らしい、絶景である。

丘に着くと、天を突くようなキリスト像が出迎えてくれる。

1931年に立てられたキリスト像は、30mの高さがあり、広げた両手の幅は28mもある。

コルコバードの丘から眺めるリオの街は、まるで箱庭におさまっているように見える。

海岸線の描く白い弧、樹立するビル群がモザイク模様を織りなして、それはそれは息をのむほど美しい。

 

観光客の多さにも驚いた。

こちらは、大西洋に向かって手を広げるキリスト像と、丘よりの絶景をスケッチにおさめ、早々と雑踏のコルコバードの丘を下りた。

 

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コルコバードの丘>のキリスト像は、真東に突き出た<ポン・ジ・アスーカル>とリオの街を見下ろす

                                 

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     ポン・デ・アスーカル (砂糖のパン)を見下ろすキリスト像 <コルコバードの丘にて>

           Statue of Christ overlooking Pont de Asucar (sugar bread)

 

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     ポン・デ・アスーカルとコパカバーナ海岸と大西洋を望む <コルコバードの丘にて>

      Overlooking the Pont de Asucar and the Copacabana coast and the Atlantic Ocean

               Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

ポン・デ・アスーカル/Pao de Acucar (砂糖のパン) > 

グアナバラ湾に突き出た標高400mの一枚の花崗岩で出来上がった奇岩(岩塊)である。

ポン・ジ・アスーカルという名前は、16世紀頃に西欧へ輸出していた砂糖の塊に形が似ているからだという。 

世界で3番目に古いと言われるロープウエーで上ることが出来る。

 

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              ポン・デ・アスーカル (砂糖のパン)

                              

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    ポン・デ・アスーカル(砂糖のパン)とキリスト像の合成スケッチ <コルコバードの丘にて>

             Pon de Asucar (sugar bread) and Christ the Redeemer

                Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

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  グアナバラ湾上の船上よりリオジャネイロの夜景を望む (中央の岩山がポン・デア・スーカル)

           The night view of Rio Janeiro from the ship on Guanabara Bay

                 Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                      January 7、2014

 

 

<査証/ビザから見るブラジルの一面>

ブラジルに入国するにあたって、ビザが必要である。 ビザ申請にあたって多くの書類が必要であることについてはすでに述べた。

たいていの南米の国は、ビザなしで60~90日のフリー入国が普通である。 もちろん30日滞在という制限はあるが、ここまでの南米の国々も例外なくビザなしフリーで国境を越えてきた。

ビザ入国の国の中で日本が一番高いビザ申請費用をとるが、ブラジルもまた高額の申請費用(50US$)を

とる。 その上、多くの申請書類をそろえなければならない。 旅行中にかかる書類を揃えることは旅行中の者にとって、大変な努力と時間が必要となるのである。

かさねて申請内容を見ておくと、VISA申請書・写真1枚・クレジットカードかトラベラーズチェックによる滞在保証費・出入国の航空券の提示又はコピー・バスの場合は旅行の全行程表の提示が義務付けられている。

入国してからは、移動申告としてパスポートの提示と、名前のスペリングとサインの申告を求められた。 ブラジル人でさえIDカードの提示とサイン(署名)を求められていた。

ブラジル政府は何を防止、食い止め、制限しようとしているのか一切の説明はなく、入出国に厳重であった。

 

 

■ 3月22日  リオデジャネイロ➔サルバドル  (バス車中泊

 

   🚐移動 Rio de Janeiro ➔   Salvador  (26H 167R$)

          3/23 09:15出発      3/24 11:15到着予定       

                          バス会社 : Itapemirim  毎日1~3便

          長距離バスターミナル(Av. Francisco Bicalho)

 

リオデジャネイロの北部、サント・クリスト/Santo Cristo地区にある長距離バスターミナルを9時半ごろ出発したバスは、26時間かけてサルバドールに向けて出発した。

赤い大地に緑の丘陵、真っ白な牛の群れに、湧き立つ白い雲海がよく似合う。

真っ青な大空がどこまでも続く、いつまでも眺めて飽きないブラジルの風景である。

このバスには、誰も英語をしゃべる人はいなかったが、約半世紀ぶりにブラジル滞在中に覚えたポルトゲースを思い出し、身振りを加えて十分に意思疎通をはかることができた。

 

バスは、カンポス・ド・ジョルドンにあるバウー岩塊のような奇岩が続く風景の中、サルバドールに近づきつつある。

ピニエーロという独特なブラジル松がすぎ去るなか、カバクロの家が点在する風景も懐かしく青年時代のスカウト移住で過ごしたバウーの風景と重なった。

カバクロとは、ポルトガル人と黒人奴隷との混じった血を引く人たちで、ブラジルのプランテーション労働者としての地位を占めてきた人たちである。

 

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            ブラジル大西洋岸にまで迫る丘陵地帯            丘陵地帯にそそり立つ奇岩群

 

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        丘陵地帯に沈みゆく太陽              深夜走り続ける長距離バス

 

▼ 3/22 長距離バスでの車中泊

 

 

 

■  3月23日  サルバドル散策とスケッチ滞在  (ブラジル)

 

朝5時、バスは途中の街に滑り込んだ。 まだ明けきらない天空に南十字星が綺麗に輝いているではないか。

洗面所で顔を洗い、ブラジルの朝焼けの変化を楽しんだ。

地平線に真赤な太陽が昇る頃、太ったカリオカのおばちゃんたちが、歩け歩けの大行進、たぶん瘦せるためのエクササイズなのだろう。 みなさん真剣な顔がいい、カーニバル的なお尻の降り方が健康的である。

 

ブラジルの豊かな自然に抱かれて、悠久の時間を旅する中ではあるが、現実には3時間近くもの遅れで、いまだサルバドールのバスターミナルに到着していないのである。 これがこそがノンビリイズム・ブラジルの真骨頂である。

さすがに遅れに遅れ30時間も閉鎖された空間には、トイレの匂いが充満しだしたのである。 そのとき、前の座席に座っていた年老いたシスターが、読んでいた聖書を閉じて立ち上がり、カバンから取り出した香水を車内に吹きかけたものだから、その仕草に乗客みな手を叩いて喜んだものだ。

 

 

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         バスは、ブラジル大西洋岸の朝焼けと朝日を眺めながら北上する

 

 

バスは、定刻を大幅に遅れて、昼過ぎにサルバドルのバスターミナルに到着した。

さっそく、ベレンへの長距離バスの切符を予約するためにベレン行きカウンターに立寄った。

サルバドル発、ベレン行きは月水金の週3便しかないということが分かった。 それも1社だけがベレン行きを運行しているという。 同じブラジルでも、これより以北はバスの便も不便になるということである。

 

こちらの計画としては、金・土曜日と2日間サルバドルにゆっくり滞在し、疲れを取りたいと思ったが、担当者によると火曜日のアマゾン航行の船には間に合わないので、この夕方5時に出るバスに乗れという。

こちらの意向に関係なく与えられたスケジュールに従わざるを得なくなってしまった。

 

それからが大変である、サルバドルにはわずか4時間ほどの滞在である。

時間を惜しんでスケッチをするためにブラジルが独立するまでポルトガル総督府がおかれていたサルバドルのコロニアルの面影を求めて、歩き回った。

 

 

           <サルバドル・ブラジル  スケッチ散策>

                                                    画  後藤實久

 

ベレンへの長距離バス乗継地であるサルバドルの街を歩き、コロニアルな建物や風景をスケッチにおさめた。

 

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              コロニアル時代の建物が残るサルバドル(ブラジル)

                Salvador (Brazil) with colonial buildings

                  Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                                                                 March 23, 2007

 

 

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                 サルバドルの大西洋に面する海岸

                   Salvador's Atlantic coast

               Water Color Paiting by Sanehisa Goto
                                                             March 23, 2007

 

 

 

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                   サルバドル海岸のスケッチ

                    Salvador coast sketch

                      Sketching by Sanehisa Goto
                                                                              March 23, 2007

 

 

 

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                   サルバドルの閑静な住宅街

                  Quiet residential area of Salvador

                     Water Color Paiting by Sanehisa Goto 

                                                              March 24, 2007

 

 

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                   サルバドルのオフィス街

                     Salvador's office district

                    Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                                                            March 25, 2007

 

 

■  3月23~25日 サルバドル➔ベレン 🚐移動  36H  237R$

 

      🚐  Salvador/サルバドル  Belem/ベレン 

          3/25  17:30出発       3/27 05:30到着

 

         ▼3/23 ~3/25   長距離バス車中 2

 

ベレン行の長距離バスで9時間(3/26  02:30)走ったところでシャワー休憩という。

ここは、ペタオリナ・ペ/Petaolina Peという街で、約30分間の休憩(車内清掃・軽食タイム)である。

乗客はみなさんカリオカ(ポルトガル人との混血)やカボクロ(インディオまたはインディオとの混血)で、モンゴル系のわたしは特異な存在のようである。

英語は通じなかったが、青春時代に覚えたたどたどしいポルトゲスと手振りと指さしでコミュニケーションには差しさわりはないものである。

 

ベレンは、リオデジャネイロからすれば約70時間という気の遠くなるような長距離のバス旅行である。

赤土にコーヒー園の緑の低木がよく映える。 時として奇岩である花崗岩の塊が突き出て、ブラジルの広大な風景に色を添えている。

車窓からは、群れて飛翔する小鳥たち、黙々と草を食む羊の集団、走り去るピニェイロ/Pinheiroやアラウカリア/Araucariaというブラジルの松が、ブラジル大地の広大さを表現しているようである。

 

ブラジルの長距離夜行バスは、乗客へのサービスだろうか、夏ということで冷房をガンガンとつけて走る。

毛布と枕を貸してくれるが、夜間は震えることになる。 現地の乗客には堪えられるようだが、こちらは防寒服を取りだしての重ね着である。

朝6時、車内に大音量のBGMが流れ、乗客から眠りを妨害されて声なき声が起こった。 イスラム国では早朝4時頃にスピーカーからアラーの神の読経が、ボリュームいっぱいに鳴らされる、あの驚きに慣れた者にとってはこのBGMは、かえって爽やかに聴こえたものである。

ブラジル大陸の朝焼けは、幻想的であり、神秘的である。

 

母親とベレンの祖母のところへ行くというカボクロのセニョリーター、7歳のタリーシャ/Taliciaが声をかけてくれた。

<Bom dia, onde você vai?> 「ボンディア オンデ ボセ バイ?」(おはよう!どこへいくの?)

懐かしいポルトゲスである。 えくぼが可愛い大き目が生きいきと輝く天使のような少女である。

このような出会いがある旅は心が和み、こころ浮立ち、人生そのものが陽気になるから不思議である。

 

そろそろバス内の空気もよどみ出す頃である、このような時に鼻にするオーデコロンの匂いはお花畑に誘われるような気分になるものである。タリーシャーはおませな女の子、お母さんの香水をつけたのだろう。

われわれ男性も旅行するときには、匂い消しにオーデコロンを使ってみることをお勧めする。

 

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           天使のようなタリーシャとポルトゲスを交わし、友達になる

 

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                 ブラジル大陸の朝焼けは幻想的である           

 

 

■ 3月25日 ベレン散策 と アマゾン船旅<サンタ―レン号>

 

2泊3日という長距離夜行バスは、3月25日朝早く06:30、約1時間遅れでベレン・バスターミナルにすべり込んだ。

サルバドルから3日間もバスに揺られ、ようやく土の上でに自由な歩行を楽しんだ。

さっそく、ベレン・セントロのメインストリートに面した<ノボ・アベニュー・ホテル / NOVO AVENIDA HOTEL>に宿をとった。

ベレンは、赤道直下にあり、昼間38℃、夜間28℃の暑さをしのぐためちょっぴり贅沢なエアコン付きの部屋(@60R$/30US$ 温シャワー・TV/冷蔵庫つき)にした。

食材は、近くのメルカードで<インスタントラーメン・トマト・バナナ・ミカン・ハム・ソーセージ・セルベージャー・赤ワイン・アイスクリーム 計32R$)を買いこむ。

 

ここベレン(人口120万人)は、この南アメリカ大陸一周の旅を始めたペルーのアンデス山脈に発したアマゾン川が大西洋に流れ出る河口にあり、今から400年程前ゴム景気に沸き、現在でも漁業を始めブラジル北部の流通の重要拠点である。

ベレンは、黄金期に造られた街らしく、古き重厚な建物が並び立つ。

ベレン港は、今から45年前、わたしの乗ったブラジル丸が水補給のため寄港したことを懐かしく思い出した。

 

昼からは、日曜日で閉まっている商店街は避け、ポルトガルの植民地時代の砦や、日曜に開かれる青空市場、アマゾン河口を散策することにした。 

青空市場では、8泊9日の船旅に必要なハンモック(25R$)、掛敷布(6R$)や、携行食品を購入した。

虫よけ長袖シャツ・虫よけスプレー・アイマスク・ミネラルウオーター10本・リンゴ・ミカン・ドライフルーツなど。

 

長旅をしていると、胃腸に変調があらわれ、便秘になりがちである。

出来る限り生野菜を口に入れたいが、細菌性の急性便秘になることを恐れて避けてしまうのである。

便秘の際、浣腸もまた強力な助っ人、問題解決の手段の一つである。

外国で手に入る浣腸は、日本製の手のひらサイズのものではなく、ペットボトルを少し小さくしたようなボトルに10㎝程の注入口が伸びたお化け浣腸がほとんどである。

それもあまり効き目がないのには驚く。 この旅では浣腸液を手作りし、少し染みるが石鹸水を作ってボトルに入れ、使用している。

想像するだけで笑えてくるだろうが、長旅での便秘ほど不愉快なものはない。

 

五大陸の内、英語に汚染されていないのは南アメリカ大陸だけではないだろうか。

南米の言語であるスパニッシュやポルトゲスは、わからなくても何かを感じて知る言葉で、直感的に意味を感知することが出来るような、非常に入りやすい言葉であると思う。 そこには、人間そのもののフレンドリーな温かさ、ラテンの陽気さを感じるのである。

英語のような威圧的な、冷たさを感じさせない言語であると言える。

 

夕方、屋台でアマゾンの名物である淡白な味のピラニアの唐揚げを注文し、ビールで涼をとった。

夜になるとホテルの裏通りは、娼婦街に一変し賑やかである。

 

ベレンの街散策>

 

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     宿泊先<ホテル・アベニーダ>             ラニアの唐揚げ

                   

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               アマゾン川船旅の携行品を揃えたベレンの露店市

 

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      ベレンの静かな日曜日の朝       ベレン港はアマゾン川水上交通・輸送の要である

 

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     ベレンは要塞都市でもあった          ベレンはアマゾン航路の母港である

 

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    古き良き時代のベレン大聖堂         生ゴムで繁栄したコロニアル時代の街並み

 

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              長い船旅前の栄養補給チキンソテー

 

 

 

■ 3月26~4月3日  アマゾン川 サンタ―レン号ベレン出航 (1日目) 快晴

 

今日の予定は、ベレン出航のサンターレン号に乗船し、アマゾン川を遡上しマナオスに向かうことにしている。

 

ベレンからマナオスへの陸路ルートはなく、船だけが庶民の足である。

もちろん飛行機便もあるが、アマゾン下流域の住民の日常生活には密着してはおらない。

乗船するサンタ―レン号は、赤さび帯びた老朽船だが、アマゾン下流域の住民の食料品や生活用品、郵便物や小荷物、医薬品などを運搬する重責をになっているようだ。

出航2時間前から、倉庫から出された山ほどの積荷が、人力とフォークリフトで船倉に運び込まれている。

特に、小麦粉は流域住民の最重要食料なのだろう、その量の多さに目を見張った。

1910年代の世界最大の生ゴム輸出港ベレン繁栄の面影は、教会堂や街の建物に見ることが出来る。

 

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               世界最大の生ゴム輸出港ベレン繁栄の面影

 

 

               < ああわれいまアマゾンの河口におりて>

                 詩   後藤實久

 

                  アマゾンの生きる命を湛えし

                  茶褐色の水

                  浴びてうれし茶色のシャワー

                  ああわれいま

                  茶色に染まったアマゾンの

                  洗礼を受けて

                  ガンジスの茶色に染まる

                  沐浴を想う

                  大河なるアマゾン飲み干して

                  罪なるすべてを赦す

                  西に夕陽ありて何を想いしか

                  生への歓喜をのぞいてや

                  ああわれいま アマゾンにおりて

                  大河に触れて嬉し

 

 

アマゾン川船旅 約1700km  ベレン➔マナオス> 

 

大西洋に面した河口ベレンから上流へ約1700km、アマゾン川本流とネグロ川が合流する付近に、人口140万人を擁するブラジル北部の経済の中心であり、アマゾン観光の拠点都市でもあるマナウスがある。

 

   ベレン/Belem      マナオス/Manaus

   3/26 18:00出航   ➔  4/3 11:30入港 (8泊9日 船中ハンモック泊)

           船名    :  《The SATAREN / サンタ―レン号》 

   乗船場所  :   マルケス港/Port Marques, Belem

   船室    :   上級ハンモックB 200R$ (天井扇あり)

 

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         アマゾン川ベレンマナオス> サンタ―レン号航路図

            Amazon River <Belem Manaus>The Santa-Len route map

 

夜中、11:30pm出航のサンタ―レン号に、途中寄港し積み下ろす食材や豚・鶏などが積まれている。

荷揚げをする若者たちの日焼けした肌に、労働の汗がしたたり、光り輝く光景は、ベレンの栄光の時代を見ているようである。 かってのベレンは、アマゾン川の流域にある広大なゴム・プランテーションが広がり、多くの労働者が汗していたのである。

 

出航の時間である。

アマゾンのスコールなのか、小雨が肌に心地よい。

積荷もすべて終え、アマゾンの静寂がベレン港を包んでいる。

ここアマゾン川の河口も満潮になり、停泊中のサンタ―レン号が桟橋と並列になった。

今夜は新月とのこと、アマゾン川より見る南十字星に期待、こころも軽やかである。

 

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        <サンタ―レン号> ベレン発 マナオス行き アマゾン航路貨客船

         <The Santa-Len>Amazon route liner from Belem to Manaus

                                   Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                      March 27, 2007

 

 

■ 3月27日  アマゾン川ベレン➔マナオス> 船上生活2日目  快晴

 

サンタ―レン号のデッキに座り、アマゾナスの風を胸いっぱいに吸い込んでは、目をつぶり静かに息を吐きだしている。

このアマゾナスの悠久なる流れのなかに潜む偉大なる魂に触れていると、こころ落ちつくのを覚えるのである。

 

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                                   アマゾン川下流域の生活 <交通機関としての船 と エビ漁>

 

 

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               アマゾン川下流域で盛んな海老漁

                                                        Shrimp fishing in the lower Amazon basin

                                                      Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

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         小舟で海老漁をする地元アマゾニア        吹きさらしのデッキ・ハンモック室

 

 

                     < アマゾナスよ >

                   詩 後藤實久

 

                  ああわれいま アマゾンにおりて

                  偉大なる母 アマゾナスに接す

                  深く呑込みし この大地をみよ

                  人この大地の色を創るに能わず

                  神の御業すみずみに渡をみるに

                  わが魂のうめきを聴きて識るに

                  人の生 いかに尊きことか

                  アマゾナスの心に触れて喜ぶ


  

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                  サンタ―レン号お絵かき仲間

 

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             大型船からコンテナ船まで河川輸送が盛んなアマゾン川

              The Amazon River, where river transportation is

               popular from large ships to container ships

                    Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

■ 3月28日  アマゾン川ベレン➔マナオス> 船上生活3日目

 

赤道下の雲の間に朝焼けの紅色が広がりゆくなか、サンターレン号は静寂のなかマナオスに向かっている。

この体も、徐々にアマゾン土着の色や匂いに染まりつつあるようである。 現実の生活排水や臭いが漂うアマゾン川は、夢見たアマゾン川の神秘性からかけ離れたものになってしまった。

想い描いたアマゾン川のイメージとは、天と地の開きがあり、勝手に妄想した楽園ではなく、生きた人間の体臭であり、生々しい欲情に煮えたぎるアマゾンなのである。

サンタ―レン号の船上にいて、風に吹かれながら現実のアマゾンに接して、すこしほっとさせられていることも確かである。

 

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                    アマゾン川の朝焼け

                                                                      Amazon river sunrise

                                                       Water Color Paiting by sanehisa Goto 

 

 

船内では、船室等級に応じて、一日に三度の食事が提供される。

船室は、1Fハンモック・オープンデッキ・フロアー(160R$)、2Fエアコン付きハンモック・フロアー(200R$)、2Fエアコン付き2人部屋(個室500R$)、3Fエアコン・トイレ付き特等室(600R$)別に分かれる。

 

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                                                      サンタ―レン号の食堂で昼食をとる

                          

 

 

<アマゾナスの夜>

  

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                  アマゾナスの半月と南十字星輝く夜

      Amazonas half moon and Southern Cross shining night

 

         “Amazonas dark mist is deeper and deeper

          Halfmoon will be talk to me with whisper

          Welcome to Amazonas misterious darkness

          Will give me dark world in this green jungle

          You can see the southern cross and orion

          I will be disappearing into darkness color

          I will become the darken jungle now and

          I will be beating my heart & soul, corazon”



              
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                Arneirim Port (アマゾン川寄港地)

             Water Color Paiting by sanehisa Goto 

 

           

 

            <スケッチで見るアマゾン川の風景>

 

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               サンタ―レン号船尾にひるがえるブラジル国旗

                Brazil flag on the stern of the Santa-Len

                   Water Color Paiting by sanehisa Goto 

 

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        RRAFAEL PORT を出航するサンタ―レン号にひるがえるブラジル国旗

 

 

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                  アマゾン川の物資輸送中のタッグボート

         Tag boats in transit on the Amazon River in transit on the Amazon River

                      Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

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                    アマゾン川の夕暮れ

                  Dusk on the Amazon River

                Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

暮れゆくアマゾンに、静かに帳(とばり)がおりるとアマゾンの夕闇に世界そのものが飲み込まれる。

深い闇と一体となってアマゾンに没していく自分の中に広がり、暮れゆくアマゾンは、実に美しく、

静かである。

光が暗闇に包まれて消え、天空に三日月が姿をあらわすという壮大なドラマは、神のなせる御業である。

その自然なる営みに、わが命を預ける時、そこに何とも表現しえない安堵と安らぎにひたれるのである。

 

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                                                 アマゾン川に沈む夕日

 

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                ヤシの実売りの小舟が接舷

 

 

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 デッキ備え付けのシャワーを浴び         サンタ―レン号にて日光浴を楽しむ

 

 

■ 3月30日  アマゾン川ベレンマナオス> 船上生活5日目

 

推定10,000トン級のタンカーやコンテナ船がアマゾン川を行き交う様は、まるでエジプトのスエズ運河を見る思いである。

 

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              アマゾン川原油を運ぶ大型タンカー

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              夕暮れのアマゾン川を遡上するコンテナ貨物船

           A container freighter going up the Amazon River at dusk

                                               Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

■ 3月31日  アマゾン川ベレンマナオス> 船上生活6日目 

 

寄港地 モンテ・アレグレに入港するとき、それは鮮やかなレインボーが町の上にかかっており、アマゾンの川面には白鷺に似た鳥が、川魚を漁っている。 

平和な、小さな漁港が、まるでわたしの郷であるびわ湖の風景に重なり、身近に感じられた。

 

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        モンテ・アレグレ港(ポート) (サンタ―レン号アマゾン川寄港地)

           Monte Alegre Port  (The Santa-Len Amazon River Port of Call)

                 Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

なぜか、アマゾン川流域には馬が沢山放牧されている。

生活のため、食料として牛が放牧されているのは理解できるが、馬となればその分、熱帯林であるジャングルが切り拓かれていることを意味し、地球の温暖化が進んでいることにつながる。

その他、あくなき経済活動としての農地転用のための焼き畑もまた、熱帯雨林の植生を変え、地球の温暖化に致命的打撃を与えると言われて久しい。

 

空はどこまでも青く澄み渡り、アマゾンは氷河によって茶褐色に濁ってはいるが、蒸発して雨雲となって熱帯雨林に降り注ぐ。 この繰り返しがあってこの地球は清く、美しく保たれてきたのである。 その根源である熱帯林が消え去りつつあるのは悲しい。

 

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           アマゾニアの牛の放牧場 (モンテ・アレグレ付近 アマゾン川

                                              Amazonia Ranch (Near Monte Alegre, Amazon Rive

                                                         Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

<アマゾナスの天使  TANZAちゃんとイネス&ベン姉弟

アマゾン川定期航路 サンタ―レン号船上お絵かき教室の生徒に、ブラジレイロ/Brasileiro

である10歳のタンザちゃんと、イネス&ベン姉弟の天使たちがいた。

アマゾンの長旅の船上で、この天使たちに出会ったことで、子供たちの夢の世界にさそわれ、その無垢なる純真な息吹に浸ったものである。

 

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                                         お絵かき仲間の一人 アマゾナスの天使 TANZAちゃん


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      天使のInesちゃんの裸踊り           天使のInesBen姉弟

 

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            サンタ―レン号上のお絵かき教室の天使たちの作品




              < 君はわが同志 >

                    詩  後藤實久

 

               アマゾンに一匹のコオロギおりて

               朝薄暗きなか、挨拶を交わすなり

               君の早起き、わが早起きに似たり

               共にアマゾン川を行く船に揺られ

               アマゾンの朝を楽しむを喜ぶなり

 

               ああわれらいま この星に生まれ

               君コオロギとして われ人として

               出会い 心の会話を楽しむを喜ぶ

               この星にて 互いに巡り合いしは

               同志にして 魂ゆきかうものなり

 

 

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<アマゾナスの風と遊ぶ>

 

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                 アマゾン川の水上家屋・水上生活

 

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            <風爽やかなりしアマゾナス>

                     詩  後藤實久

               アマゾナスの風 爽やかなりて

               我 宇宙の魂に触れしを喜びし

               魂 風の温もりに触れ蘇えりて

               アマゾナス  巡り合いしを喜ぶ

               近づきしサンタ―レンの港に

               迎えしドルフィンの群れありて

               わが心 いまアマゾンを飛翔す

 

 

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    アマゾン&ネグロ両川の平行水流            アマゾン川の一日の始まり

 

アマゾンに朝のとばりが明けて、東の空を裂いて一筋の光あらわれる瞬間の神々しさに心打たれた。

天の光がアマゾン川に満ちあふれるさまは、神秘なる一幅の山水画であるといっていい。

魂洗われ、こころはち切れんばかりの情景である。

 

 ながい船旅では、アマゾン川の赤茶けた水でシャワーを浴びるのも気分転換の一つである。 そして赤道直下の太陽のもと、涼風に体をさらし、日光浴をする贅沢を味わうことが出来るのである。

 

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        サンタ―レン号デッキにあるシャワーを浴びるお絵かき仲間たち

 

次の寄港地 ファンターレンでお絵かき教室の仲間ともお別れである。

楽しくも、心通わせてくれた仲間に感謝である。

 

 

              <アマゾンに咲く二つの花>

                 ―ANA とNAIZAとの別れー

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                ここアマゾンに 二つの花が咲いた

                こころをときめかす 二つの花

                美の中に知性と豊かさが咲いている

 

                目と目 心と心とが 激しく求め合い

                心に熱き炎を感じる二つの花

                美の中に豊かな情愛が咲いている

 

                ゆったりと流れゆくアマゾンの

                コーヒー色に染まることなく

                美の中に色を失うことなく咲く

 

                ナマステと言い交わせし別れ花

                その心よく分かりて情を交感す

                ときめくハートにその心を映せし

 

                一期一会の二つの花去りて

                輝き より美しさを増しおりて

                わが心に残像ありしを識るなり

 

                なんと誠実な心のかよいよ

                二つの花 別れてなお咲き

                わが心に根を下してや一つなり

 

 

                <サンタ―レンに向かいしや>

                   詩  後藤實久

 

               船のエンジン 鼓動わが心を打ちて

               揺り篭にいるが如くして眠りに誘う

               かき分けしアマゾンの波 去りゆき

               時をかき分けサンタ―レンに向かう

 

               人生の歩み 同じく過ぎ去り行く中

               我何を感じてここアマゾンに居るや

               アマゾンの匂い われを包みおりて

               魂と溶けあい われ光を感じおりし

 

 

 

 

<サンタ―レン 16:30寄港>

 ここ寄港地であるサンタ―レーンは、ベレンとマナオスのほぼ中間にあたる。 立派な街が広がり、かって生ゴム積出港として栄えたという。

陸の孤島であるがゆえに、すべての生活用品が海上輸送に頼っているようだ。

また、ベレンとマナオス間の航路貨客船の行き違う港でもあるようで、ベレンに向かう船は超満員である。

 

この船旅で、主宰した<お絵かき教室>のメンバーであったスペインからのバックパッカーのアナとローラが

アマゾン・ドルフィンの生態を研究するため、ここサンタ―レンで下船した。

二人と離れることになったブラジレイラーのタンザちゃんの悲しみに濡れた瞳が光る。

 

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              サンタ―レンの街とアマゾン・イルカ

               River-Town of Santa-Len and the Amazon dolphins

                  Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

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               Amazonas Dolphin / アマゾン・ドルフィン

 

 

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               アマゾニアのオウム  /  Amazonia parrot

                    Sketched by Sanehisa Goto

 

 

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サンタ―レン港に上陸し サンタ―レンの街を散策         サンタ―レン港で荷卸し作業中のサンタ―レン号

 

 

星の王子さま サムエルという男の子>

サンタ―レンでお別れしたもう一人の男の子にサムエルという、わたしが<星の王子さま>と呼んでいた忘れられない3歳の子がいた。

今日、アマゾン川をマナオスに向かうサンタ―レン号上で、昼寝をして目覚めてみると、サンタ―レン港についていた。 アナとローラを送り出し、ふとサンタ―レンの街路に目を向けると、わたしが<星の王子さま>と呼んで、なついてくれていたサムエル君がおばさんに連れられて姿を消しつつあった。

サムエル君は、ようやくオムツがとれたぐらいの、おちんちんが可愛い男の子であった。 素敵な男の子で、溌剌とした、物おじしない、何事も一人でやり遂げる、活発でやんちゃ坊主である。

船内ではローハイドをしたり、追いかけっこをしたりとそれはそれは楽しい時間をわたしにプレゼントしてくれた<星の王子さま>であったのだ。

寂しくしていたら笑わせてくれたり、遊び出したらくっついて離れず、その瞳に信頼の情を漂わせては、愛あるこころを見せてくれたのである。

わたしを守ろうとして、周囲の人を怖い顔でにらみつけた時の真剣な顔や、笑ったときに人を惹きつける自信に満ちた顔、この世の一切を恐れるものかという決意に満ちた顔をみていると、こちらも勇気をもらったものである。

そんなサムエル君が、挨拶もなく消えゆく姿に、別れという何とも言えない空虚な気持ちと共に<星の王子さま サムエル君>との出会いに感謝したものだ。

 

サムエル君に付き添っておられたおばさんもまた教養ある物静かなご婦人であった。

時間があれば、ハンモックを揺らし聖書を読み、床が汚れていればたわし帚で掃き、老人や体の弱い人に声をかけ、手助けをする姿には清純さと高貴さが漂っていたものである。

 

この船旅でも、心豊かな友に恵まれ、多くの事を学ぶ機会に恵まれたことにこころより感謝したい。

旅は人のこころを豊かにしてくれるからやめられないのである。

 

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                  星の王子さま サムエルという男の子

 

 

 

■ 4月1日  アマゾン川ベレンマナオス> 船上生活7日目 

 

オービトックスの港に、朝6時30分に接岸。

寄港地は、アマゾン航路のオアシスとして点在する。 エキゾチックなハンモック生活にも慣れ、船旅に飽きてきた乗船客にとって、しばしの上陸は気分転換をはかれる絶好のチャンスである。

今朝は、サンタ―レンの港で歓迎されたドルフィンのジャンプを、ここオービックスの港でも受けた。

 

アマゾン川・ハンモック船上生活>

アマゾンの9日間にわたる川紀行で、ハンモックに揺れながらの船旅は、熱帯夜をエキゾチックな睡眠に変えてくれる。

ハンモック室の賑やかなこと、まるで長屋の井戸端会議のように、ブラジルのおばちゃんたちが声高にお喋りを楽しんでいる。 ハンモックの下は持ち込んだ手荷物が並び、生活航路の様相を呈している。 歯ブラシを加えている者、シャワー浴びてタオルを頭に巻いている者と長屋そのもの、にぎやかである。

 

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 サンタ―レン号2等エアコン付ハンモック室にて     サンタ―レン号3等ハンモックデッキ室

 

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       サンタ―レン号2等エアコン付きハンモック・エリア (アマゾン川定期航路)

            The Santa-Len 2nd class air-conditioned hammock area

                  (Amazon River regular route)

                                   Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

サンタ―レン号の乗船者は、みなわたしがアマゾンの風景をスケッチにおさめていることを知っていて、 何かアマゾンの特徴あるものや事象があれば知らせてくれるのである。 そのたびに礼を言って、スケッチブックをかかえて急ぐのであるから忙しくも、楽しい時間を過ごすことが出来た。

<あの木の枝にアナコンダがいるよ>

<ほら、船の右舷にイルカが泳いでるよ>

<ほら、向こうの空が曇っているだろう、スコールだよ>

<牛が見えるかい、熱帯雨林を切り開く牧場は、地球温暖化を招いているんだよ>

Você pode ver as vacas, o rancho que abre a floresta tropical está causando o aquecimento global. ポルトガル語

 

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                アマゾニアの放牧場 (アマゾン川

                  Amazonia Ranch (Amazon River)

                                      Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

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          アマゾン川流域に見られる放牧場(内陸部で大規模な牧場開拓進行中)

 

 

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               スケッチ <アマゾン川流域に見られる放牧場>

 

 

 

■ 4月2日   アマゾン川ベレン➔マナオス> 船上生活8日目 

          <アマゾン川 & ネグロ川の合流域>

 

今の予定では、マナオス到着は明日4月3日のお昼ごろになるとのこと、順調である。

サンタ―レンから、時差が発生しているので、サンパウロの標準時より1時間遅らせてマナオス時間になっている。

 

マオオスは、全長約6500kmのアマゾン川の、出航地ベレンより約1700km地点にあるブラジル北部最大の都市である。

その位置は、アマゾン本流のソリモインス川と支流ネグロ川の合流点より、北へ約10㎞上流のネグロ川畔にある。

 

<アマゾナス・カラー / Amazonas Color>

アマゾン川は、マナオスの手前10kmあたりで合流するネグロ川の清流(水色)と、アマゾン本流の泥色(土色の氷河の融け水)が混ざり合って流れている。 サンタ―レン号のスクリューに撹拌されたアマゾン川独特なカラーを見ていると、アマゾンの悠久なる世界に引きずり込まれそうになるから不思議である。

このアマゾン本流の泥(コーヒー)色は、南アメリカ大陸一周を始めたペルーのアンデスを源流とするアマゾン川の支流ウルバンバ川や、氷河の雪解け水に起因することはすでに述べた。

 

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茶色のアマゾン川を切り裂くサンタ―レン号     スクリューで撹拌されたアマゾナス・カラー

 

 

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         アマゾン川は支流ネグロ川(左・赤茶色)とアマゾン川本流(右・青色)

              この二つの川の水は混じることなく流れている

        The Amazon River is a tributary of the Negro River (left, reddish brown)

   and the Amazon River (right, blue). The water of these two rivers is flowing without mixing.

                Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

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          マナオス近くで合流するネグロ川(水色)とアマゾン本流(泥色)

 

 

 

                     <アマゾンの日没>

                       詩 後藤實久

                 

                                                              夕暮れのジャングルに沈みゆく太陽 

                 アマゾンの女神 夜のとばりを告げる

 

                 ジャングルの小鳥たちの歌声止みて

                 ただただじんじんと夜は更けゆきし

 

                 深いジャングルに抱かれしこの魂も

                 マゾンの息吹を感じて震えるなり

 

                 闇に包まれてハンモックに横たわり

                 瞼に残る日没の温もりを味わうなり

 

 

                     <Amazon sunset>

                    Poem by Sanehisa Goto

 

                 The sun setting in the jungle at dusk

               Amazon Goddess tells the story of the night

 

             Stop the singing voice of the little birds in the jungle

               Even the deep jungle is soaked in the darkness

 

             It's just a long night that embraced by the deep jungle

             This soul feel the breath of the Amazon \And tremble

 

                Lying in a hammock wrapped in darkness

              Enjoy the warmth of the sunset on my eyelids

 

 

9日間のアマゾン川 ロマンチックな船旅を終えようとしている。

アマゾンの流れに満月が浮かぶなか、サンタ―レン号は、最後の寄港地イタキ/ITAQUIを後にして、最終地であるマナオスに向かっている。

最後の晩は、満月が我々を祝福してくれた。

 

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                 アマゾンの満月 Ⅰ

 

 

                 <アマゾン船旅を終えんとする>

                                                                     詩 後藤實久

 

                                                              太陽静かに沈み 満月豊かに昇る

                                                              それ 普遍なる宇宙の営みなりし

 

                                                              人間 常に新しいものへと変化し

                                                              古いものを遺し懐かしむものなり

 

                                                              アマゾニアもまた普遍なりしが

                                                              滔々たる流れにありて不変なり

 

                                                              アマゾンの船旅 終着を迎えてや

                                                              人生アマゾンに染まりて豊かなり

 

 

                                                <Ending Amazon Cruise>

                                                                   Poem by Sanehisa Goto

 

                                        The sun sets quietly and the full moon rises abundantly

                                                                It's a universal cosmic activity

 

                                               Humans are constantly changing to new things

                                                                         I miss the old ones

 

                                                                    Amazonia is also universal

                                                  It's in a continuous flow and it's unchanging

 

                                                        Amazon's voyage has come to an end

                                                      Life is dyed in the Amazon and enriched

 

 

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                アマゾンの満月 Ⅱ

 

 

               <アマゾンの満月>

                     詩 後藤實久

 

                    満月 黙して語らず

                    月 満ち満ちて笑う

 

                    満月 アマゾンに浮かび

                    ビーナスの笑みを映す

 

                    満月 地平に落ちて

                    侘びなる香 残すや

 

 

                <Amazon full moon>

                                                                  Poem by Sanehisa Goto

 

                                                                 Full moon, don't talk silently

                                                                 The moon is full and laughs

 

                                                               Full moon floating on Amazon

                                                                     Reflecting Venus' smile

 

                                                              Falling on the full moon horizon

                                                                           Leaving incense

 

 

 

 

■  4月3日 アマゾン川航路終着港 <マナオス>到着  曇のち小雨

       🚐移動 マナオス(ブラジル)カラカス(ベネズエラ

 

マナオスに近いアマゾンの風は生暖かく、肌に汗がぬめる熱帯の気候である。

空高く鳥が飛び交い朝のフィッシュ・ハンティングに忙しい。

サンタ―レン号は、老いたスマートな船体をディーゼル・エンジンに震わせ、アマゾンの川面を左右に切り分けながらネグロ川を進んでいる。

緑鮮やかなジャングルと灰色の天空が、ネグロ川の両岸に立ち並ぶ高床敷の茅葺によくマッチングして、美しい風景を作りあげている。

 

 

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                                                          アマゾンに顔を見せる朝日

 

                 <ああわれいまマナオスにおりて>

                                                             詩  後藤實久

 

                                                              われいまマナオスの目前におりて

                                                              アマゾンをさかのぼる夢かないて

                                                              こころの喜びアマゾニアに響きし

 

                                                              アマゾンの光こころに満ちみちて

                                                              アマゾンのすべてを吸い込みてや

                                                              わが夢の実現にわが幸せを重ねし

 

                                                              赤茶けたアマゾンの流れどこまでも

                                                              静かにして悠々滔々と流れる様に

                                                              我をゆだねて 雄大にして幸せなり

 

 

                                                  <Oh, I'm in Manaus now>

                                                                    Poem by Sanehisa Goto

 

                                                                       I'm in front of Manaus

                                                       I have a dream that goes back to Amazon

                                                        The joy of the heart echoes in Amazonia

 

                                                            Filled with the light of the Amazon

                                                                Inhale everything in Amazon

                                          Putting my happiness on the realization of my dreams

 

                                                The flow of the reddish-brown Amazon forever

                                                       The way it flows quietly and gracefully

                                                       Be happy with that magnificent figure

 

 

 

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                アマゾン川流域の風景


青春時代に想い描いた原始のアマゾナスにおり、夢かなってアマゾンのジャングルを進んでいるのである。

アマゾンの流れはどこまでも静かで、汽船の動力の機械音だけが天高くを飛び交っている。

ジャングルの緑はどこまでも深く、雲たゆとうと流れてアマゾンに溶け入りどこまでも豊かである。

 

アマゾンの豊かな空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出すときまるで自分がアマゾンの水の妖精になったように、消え行ってしまいそうである。

この平和な姿はどこから来ているのであろうか。 

多くの人々の祈りと、感謝の時間がアマゾンのうえに心豊かに流れる瞬間である。

 

 

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              アマゾン流域に点在する村落                                                

 

                                                                  <アマゾンに人おりて>

                                                                        詩  後藤實久

 

                                                                アマゾンに沢山の人すみて

                                                              牛を飼い トウモロコシを育て

                                                                神と共にこの地球に立ちし 

 

                                                                  人は神の声を背負って

                                                               神の与えたもうた事を行う

                                                               いつも神と共にいるを喜ぶ

 

                                                             私も又アマゾンの人と同じく                 

                                                              我が人生も又 神の声に従い  

                                                              神の意志に注意を払うなり

 

 

                                            < Be people in Amazon >

                                                              Poem by Sanehisa Goto

 

                                                         Many people live in Amazon

                                                    They keep cows and he grows corn

                                                        Stand on this earth with God

 

                                           People carry the voice of God on their backs

                                                          Do what God has given you

                                                     Always rejoice in being with God

 

                                                     I'm the same as the Amazon guy

                                                 My life also follows the voice of God

                                                    I pay attention to the will of God

 

 

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            アマゾン流域に立つカトリック教会堂

 

                                                                  <アマゾンに神おりて>

                                                                         詩  後藤實久

 

                                                     アマゾンにも たくさんの教会堂があり

                                                     神は アマゾナスの人々に光を給うなり

                                                     この光があるがゆえに 人々豊かにして

                                                     アマゾンと共に人 愛を語るを許されし

 

                                                     神の恵み深くして 静かに我らを見守り

                                                     生命豊かな地球をわれらに任せたもう

                                                     ああ神よこの星を守り 救い給わん事を

                                                     我らにもその使命 与え給いしを求むる

 

 

                                                   <God in Amazon>

                                                               Poem by Sanehisa Goto

 

                                                   There are many churches in Amazon

                                          God gives light to the people of his Amazonas

                                                  Because of this light, make people rich

                                                Allowed to talk about love with Amazon

 

                                                 God's grace and quietly watch over us

                                                   Let us leave the life-rich earth to us

                                                  Oh God, protect this star and save it

                                                            We also seek that mission

 

 

 

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          アマゾン川船旅最終地マナオスに入港するサンタ―レン号

          (左手にアマゾン本流の赤茶色の流れ / 右手にネグロ川の清流)

                    Santa-Len arriving at Manaus, the final destination of the Amazon River cruise

                              (The reddish-brown stream of the Amazon main stream on the left /

                                                 the clear stream of the Negro River on the right)

                                                           Water Color Paiting by Sanehisa Goto

 

 

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 アマゾン・ネグロ両川合流点をいく観光遊覧船   マナウスのファベーラ(ネグロ川沿いの貧民街)

 

 

マナウス/MANAUS到着>

 アマゾン川の河口にあるベレンを出航したサンタ―レン号は、1700kmの航路を8泊9日かけてここマナウスに無事着いた。

たくさんの車が、サンタ―レン号の船倉からの荷物を受取りに港に押しかけていた。

マナオス港には、出迎えの人が多く詰めかけ、家族との再会に歓声があちこちであがっている。

ここマナウスが、アマゾン川の汽船による航路の最終地点である。

これより先のアマゾン奥地には、交通の便もなく一人で歩き回れないので各種旅行社がツアーを組み、アマゾンの魅力を紹介している。 ジャングルロッジに泊り<ジャングルトレッキング>や<ピラニア釣り>、<ワニウオッチング>など充実している。

こちらは、すでに南極大陸などで時間を費やしてしまっていたので、ただひたすら南米大陸一周を達成するために、残されたわずかな時間を大切に使っている。

残念だが、マナウスも駆け足で街を見て歩き、今夜のバスでベネズエラのカラカスに向かって出発することになっている。

 

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      マナウス港の風景              マナウスのマグネットバッジ

 

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                  マナウスに到着したサンタ―レン号

 

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           マナオス港で出番を待つアマゾン川定期航路船

 

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     マナウスのバスターミナル        荒っぽいチキンヌードルを飯にのせた定食

 

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     マナオスのお土産屋さんで            マナウス・セバスチャン広場

 

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  マナウス旧市街にある アマゾナス劇場           マナウス市内バス乗り場

 

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            マナウスダウンタウンにある青空市場

 

 

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                 マナオス Café de Guayanes の庭園

 

<両替   ブラジル・クルゼーロ ➔ ベネズエラボリバル>  

マナオス上陸後、まず両替商<Cortez Cambio e Turismo>に出向き、ブラジル貨幣クルゼーロを、ベネズエラ貨幣のボリバル・ソベラノに換金することにした。

特にベネズエラは、ハイパーインフレ下でのデノミ( 2021年には100万分の1に貨幣切下げ実施)が日常化し、非常に不安定な貨幣である。

日本円からベネズエラ貨幣であるボリバルには直接両替は出来ない。 US$で行うことになるので要注意である。

マナオスに上陸してから、両替のためマナオス市内を歩き回ったが、ほとんどが閉鎖していた。 ただ1か所<Banco do Brasil>だけで両替をするとのこと、それも午前中だけだという。 

結局、国境付近での両替に切りえ、両替をあきらめてバスに乗車することなってしまった。

 

両替 : 1US$=2145Bs(ボリバル)  

(注・再両替にはパスパート・両替シート・バスチケット必要)

 

マナオスを4月3日19:30pmに出発したバス<MANAUSCARACASは、ブラジル北端の街ボア・ビスタ/Boa Vistaベネズエラ行のバスに乗り換え、翌朝07:30am現地を出て、国境に向うということである。

 

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              マナウスカラカス行長距離バス

              (BOA VISTA経由・乗換) 長距離夜行バス

 

 

 

■ 4月4日 マナオス(Brasil)➔カラカス(Venezuela)<ボア・ビスタで乗換>

      🚐移動

 

バスは、ギアナベネズエラ・ブラジルの三境にまたがるギアナ高地を喘ぎながらのぼり、ベネズエラのサンタ・エレナに向かっている。

この辺りはギアナ高地を控え、一年中曇り、晴れ間が少ないことで有名だという。 今も小雨が降り、蒸し暑さに、車内の冷房を16℃に下げたようで、肌寒さを感じる。

長距離の夜行バスに乗る時は、冷房が効きすぎて風邪をひかないようにするため、必ず毛布かシーツ、または寝袋を持込むことをおすすめする。 

 

ボア・ビスタより約5時間でベネズエラとの国境に着く。 ブラジル側の出国手続きをしたあと、バスはベネズエラの国境の街サンタ・エレナ/Santa Elenaに着くので、まず『ツーリスト・カード/Tourist Card』(Tourismo Carte)  を入手するため長距離バスターミナル近くにある<ベネズエラ移民局>に立寄った。

 

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            ボア・ビスタのバスターミナルでバスの乗換え 

 

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         アマゾンに広がる放牧場の風景  (ブラジル/ホライマ州ボア・ビスタ近郊)

 

ボア・ビスタ/Boa Vistaで乗換えたベネズエラ行のバスには、大型長距離バスにたった8人の乗客が乗込んだ。 ベネズエラ国境の街サンタ・エレナでは、数人が下車してしまい乗客は4人になってしまった。 ブラジルからベネズエラ越え国境であるここは、南米でも一番治安の悪い所と聞き、さらに不安がつのった。

 

国境越えは、いつも緊張するものだ。

取り忘れている書類はないか、何日滞在を許されるのか、必要事項の記入漏れはないか、担当役人の無茶な要求はないか。

かって国境通過にあたって、ソニーのラジオ、日本の記念切手、ポケットに金を入れろという暗示や指示とか、カメラを強要されたことがある。 解決策として、米国ドル紙幣10・20・50US$のいづれかを、その場の状況に応じて役人のポケットに突っ込むこともあった。

 

<陸路国境越え  ブラジル  ベネズエラ

ベネズエラ/ブラジル国境では、次なる書類提出・提示が必要である。 (90日以内、ビザ不要)

 『ツーリスト・カード/Tourist Card』  (在外ベネズエラ大使館や国境にあるベネズエラ移民局で入手) 

『入国カード/Immigration Card』

『Yellow Card/Vaccination Passport』

 

ベネズエラ入国に際しては、イエローカードが必要であると言われ、念のため10年程前アフリカ縦断に際して取得していた「イエロカード」<黄熱病ワクチン接種カード>を提示して難を逃れることが出来た。

 

ブラジルから陸路ベネズエラへの入国は、出来るだけ避けるようにと旅行案内書にも出ていることを書き添えておく。 このバス旅行でも、乗客は若いバックパッカー達と国境までに下車した現地住民たちであった。

国境を越えたのは、ドイツからの2人のバックパッカ―と私の3人だけであった。 またバスはカラカス手前で運行を中止し、ローカルバスに乗り換えさせられてカラカスに向かったものである。 

また途中、数回の自動小銃を持った軍隊や、警察の臨検を受け、緊張を強いられ、疲れるバス旅行であった。

さらに赤道下であるが、ギアナ高地でのバス冷房の効きすぎのために風症状に悩まされた。 毛布や寝袋があればと思った次第。

 

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                  ブラジル/ベネズエラ国境

 

 

ブラジル最北端の街ボア・ビスタからカラカスに抜ける道にはギアナ高地があり、ボア・ビスタから観光ツアーが出ている。 また、ベネズエラ国境の街<サンタ・エレナ/Santa Elena de Uairen>からは、アンヘルの滝<エンジェル・フォール>へのツアーがある。

今回の旅の目玉としてギアナ高地とエンジェル・フォールも当初入っていたが、ここも滞在日数のひっ迫から残念ながら目をつぶって通り過ぎることにした。

 

ベネズエラに入ってからは、ブラジルの陽気な雰囲気は消えたような気がする。

スペイン系のハーフで、色黒く、鋭い目つきの住民に出会うようになったこと、立ちションや、ゴミがやたらに目につき出して、ようやくポルトガル風社会から混沌の中南米に返ってきたように感じた。

バスターミナルも薄暗く、何か物騒な感じがする中で、アルゼンチンやウクライナの西欧化した安心感と違った、生きるというエネルギーを体いっぱいに感じ取ることが出来た。

一方、街には年代物の古き良き時代のアメリカ製のポンコツ・シボレーや大型車が悠然と走り、まるでキューバ―のハバナの街の様子と似ているのに驚かされた。

                                              

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                                                          ベネズエラ国境にある物流税関SENIAT

 

ベネズエラの国境には、セニアット/SENIAT加入の<貿易取引電子化締結国>税関があり、ここでは環境保護のための検閲と課税がなされているようである。 特に、核物質・化学生物兵器・麻薬等の有毒で危険な物質や廃棄物についての国境越えを制御するチェックポイントであるらしい。

ここはあくまで、国境を越える人や物の通過を制御しているだけで、これらの密輸出入に対しての取締りは無きに等しく、南米諸国のSENIATは、ザル法となっているのが現実であるようだ。

 

バスの車窓から見るギアナ高地に、後ろ髪を引かれるような思いであった。 いまごろ時間があれば日本の1.5倍もあるギアナ高地に立って、壮大な景観をこの目で眺めていたであろうと思うと無念である。

せめて、バス車窓からのギアナ高地の景色を目に焼き付け、スケッチに描きとめた。

カラカスに向かう国際長距離バスは、ベネズエラの国道10号線を北上している。 

バス右側の車窓からモンテ・ロライマ国立公園にそびえる標高2810mのロライマ山<テーブルマウンテン>を遠望できる。

かかる国立公園にも軍隊のチェックポイント(検問所)があり、機関銃を持った軍人の臨検がなされていた。

 

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                                     ギアナ高地/Macizo Guayanes    サンタ・エレナ近郊(ベネズエラ

 

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                                  テーブルマウンテン>と呼ばれる ロライマ山2810m

 

財布にブラジル貨幣R$100(レアル)が残ったので、ベネズエラのBs(ボリバリ)に両替したら、なんと162,000Bsになって、ちょっぴりお金が増えた様な気持ちにさせられた。

 

ベネズエラ国境越えの厳しさよりも、カラカスに向かう各都市のバスターミナルでの空港並みX線検査と手荷物の徹底した検査、その後の手荷物への密閉テープの貼付けを強いられた。

なぜか説明はなかったが、多分麻薬の流入を防止するためであろうと推測したものだ。

 

マナオスからカラカス行国際長距離バスに乗り、途中、ボア・ビスタで乗換えることは知っていたが、国境を越え、カラカスの目の前の<Port dela Cruz>のバスターミナルで、このバスはここまでで、カラカスには行かないのでここで降りろという。

ここまで乗り続けていた乗客は、大型バスにたったの3人(ドイツ2名、日本人1名)であり、

どうも乗客3名では採算が合わないからだと思われるが、ひどい話である。 とにかく、朝3時の出来事、

随分と掛け合ったが、聞く耳持たずで、致し方な早朝一番のバスで、バスターミナルPort dela Cruzからローカルバス(@40,000Bs)に乗ってカラカスを目指すことになった。

 

 

■ 4月5日 ベネズエラ首都 カラカス到着    快晴

 

緊張や予定外のスケジュールで疲れた体を引きずりながらカラカスのバスターミナルに早朝にたどり着いた。

最後まで一緒だったバックパッカーであるドイツ青年の内、ヤン君がローカルバスに乗換えた<Port dela Cruz>のバスターミナルで忽然と姿を消し、消息を絶ってしまっていた。

心配だが、致し方なくベン君と二人でカラカスに到着し、宿を探すことにした。

 

カトリックを国教とするカラカスは、イースター(復活祭)の期間中であり、商店街は閉まり、人の姿もあまり見られず、街は静まり返っていた。

地下鉄もがらがらで、のどかな一日である。

カラカスへは二度目の訪問、滞在である。 43年前、当時のカラカスは街が人で溢れかえり、車で騒然としていたことが思い出された。 ブラジル・バウー研修所へのボーイスカウト移住として、ブラジル丸で渡航中に飲料水補給のため、ここカラカスにも立寄ったのである。

 

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      イースターで静まり返ったカラカスの街         1964年渡伯途中 カラカス訪問

 

▼4/5  カラカス滞在 <Hotel Center Park>  @45,000Bs(15US$ エアコン付)

                 Av. Lecuna Velasquez a Miseria #20   Tel:542-41-10

 

同宿するはずで決めたホテルだが、ベン君は宿代が高いと言い出し、カラカスにあるドイツ大使館の宿舎に移ると言い出した。 多分、彼はすでに旅行を続けるだけの旅費を使い果たしていたに違いないと理解し、一人でTV/エアコン/シャワー/トイレ付のバックパッカーとしては考えられない贅沢な部屋を独占することになった。 ゆっくりと旅の疲れをとっておくことにした。

旅の途中で知り合うバックパッカーは、特に一匹狼的な旅人が多く、それぞれのポリシーがはっきりしており、危険を伴う場合や、協力して危機を回避する場合以外は、単独で行動することを是とするものである。 この場合も国境越えの困難を一緒にしただけで、以後の行動は束縛されたくないということでもある。 

旅における互いの束縛から解放されてはじめて、自由を愛する一人旅が実現のである。

しかし、ドイツ青年の旅はワンダーフォーゲル(渡り鳥)的で、自由を愛する若者が多いようである。

ヤン君の失踪や、ベン君の行動という旅の姿勢にドイツ人の独自性<自我の解放>を見る思いであった。

 

ベネズエラという国の印象は、パキスタンやトルコ、エジプトと言ったアラブの匂いがするとともに、雑然を好むところも同じようである。

ただ、太りに太ったベネズエラのご婦人のような人を、アラブ諸国ではあまり出会うことはない。

カラカスの街を歩いていても、3,4人の子供を引き連れて、堂々とお尻を振りながら闊歩する女性たちの姿に出会う。 やはりベネズエラはラテンの国、女性上位の平和な国民性を見る思いである。

 

気のせいか、ベネズエラの働く女性には笑顔が見られないことに違和感を覚えた。 あのラテン系特有の天真爛漫な笑顔はどこへ行ったのだろう。 街を歩く時の溌剌としたリズミカルな表情とは全く違うなので驚いたのである。

 

今日は、マナオス出発以来、不足している野菜や果物を補充するつもりである。

さっそく、宿に持ち込んで、キャベツ、トマト、キュウリ、バナナを刻み、マヨネーズで野菜サラダを作り、パンにツナをはさんで食べた。

 

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                                                              バックパッカーの楽しい食事時間だ

 

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                                                                  Hotel Center Parkの部屋 

 

バスのエアコンの効きすぎと、バス車中での2泊による疲労から、少し風邪気味である。 持参の塩をミネラルウオーターに混ぜてうがいをし、風邪薬、栄養剤とたっぷりのオレンジジュースを飲んで、睡眠を十分にとることにした。

 

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南米のどこの街にもあるファベーラ(貧民街)を背に                           カラカスの中心街 

 

                          

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                カラカスの高層ビル群 (ベネズエラ首都)

                 Skyscrapers in Caracas (Capital of Vene)

                                  Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                       (背景はアピラ山2215m)

 

 

■  4月6~7日  カラカス滞在/観光/散策  イースター期間中の祝日

 

カラカスの街を散策していると、大統領選挙のポスターがにぎやかに張り巡らされ、中でもキューバ革命カストロ大統領を崇拝するチャベス/CHAVES現大統領(2007年当時)のポスターが多いのに気づかされる。

カストロに学べと、チャベス社会主義を導入しているが、はたしてカストロ中南米に幸福と自由と解放をもたらしたのであろうか。

チャベス大統領は、ベネズエラの選挙で選ばれた4年任期の大統領であり、専制国家における独裁的地位が確立されているカストロ大統領との立場とは異なる彼の独裁的言動が、どこまで国民の支持を得られるかが今回の選挙の争点であるようだ。

彼がベネズエラの真の改革者と認められるには、倫理・道徳面からの改革を進め、人民の教育のレベルを上げることであろう。

 

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                                                                    ベネズエラの国会議事堂

 

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                          カラカス市内バス               カラカス観光案内所の標示

 

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                            アビラ山2215mを背景にしたカラカスの摩天楼とスラム街の対比スケッチ

 

 

■  4月8日 カラカス(ベネズエラ) ➔ ボコダ(コロンビア) 

 

カラカスでは、復活祭という聖週間に重なり、交通機関の大部分が運休、とくに国境越えの長距離バスは止まってしまっているため、長期滞在となってしまった。

<La Mandera バスバスターミナル>に出かけ、やっとのことでコロンビアの首都ボコダ行国際長距離バスの切符を手に入れたが、今日の16:30発という。

急ぎホテルに戻り、荷造りをして宿泊代の精算をすることになったが、どうもホテル側の請求と、こちらの前払い合計額とのあいだに差額があり、ひと悶着。 ホテル側は、支払い台帳に一泊分しか入っていないと、こちらは3日分前払いしたが、埒が明かない。

海外の安宿でよくあるトラブルだが、長旅で気を許していたのであろう、前払いに対しての領収書をもらっていなかったことに原因があったようで、こちらの負けである。

 

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     カラカス街角の露天商            カラカス大聖堂前のイースター市場

 

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    メトロポリタン(カラカス)大聖堂        カラカス大聖堂の十字架上のキリスト

                              <Semana Santa イースター礼拝>

 

カラカスのカトリック信者と共に、カラカス大聖堂の十字架の前で、復活祭のミサに出席した。

Semana Sant (聖週間・イースター・復活祭)は、クリスマスと同じくカトリック教徒にとって大切な儀式であり、1週間も続く祝日である。

溢れるばかりの信者の波は、このカセドラル(大聖堂)を埋め尽くし、その熱気はキリストの復活を祝っていた。

 

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               カラカスの近代的な摩天楼群

                  Modern skyscrapers in Caracas

                         Water Color Painting by Sanehisa Goto

 

バスターミナルに出かけると、またまたトラブルである。

予定のバスは、コロンビアからこちらへ向かっている途中で故障し、出発は明日に延期になったということである。 これまた海外の遠隔地でよくあるトラブルである。 こちらも、年老いたと云ってもバックパッカーを自任している限り、かかる事態を乗り越えるために宿に戻らず、 ここLa Manderaバスターミナルで過ごすことにした。

何といっても赤道に近いベネズエラは、とにかく暑い。 夕食(ピザ・バナナ・こーく)をとったあと、暑さを避けるためメトロ(地下鉄・約20円)に乗って、何度も往復、冷房の効いた車両で、イースターを楽しむカラカスの住民たちの衣装を楽しんだ。 

 

情熱のラテン国であるベネズエラを楽しみにしていたが、立派なハイウエーや、立ち並ぶハイライズのビル群、整備された地下鉄のあるカラカスを見ていると、アメリカを嫌う政権が続くにもかかわらず、アメリカの機能美を取り入れていることに違和感を持ったものである。

他の南米のようにコロニアル風の建物が並び、どこかスペイン風の古き雑然とした街を予想していただけにちょっぴり失望を隠せなかった。 なぜならスケッチの対象として、摩天楼は少し単調すぎて、絵にならないのである。

 

▼4/8  <La Manderaバスターミナル> のベンチ泊

 

 

 

■  4月9日 🚙移動 <ベネズエラ/カラカス➔コロンビア/ボゴダ >   曇り空

 

昨夜は、コロンビアへ向かうはずだった多くのベネズエラの乗客たちと共に、バスの故障のため、ここ<La Manderaバスターミナル>のベンチで一夜を過ごすこととなった。

こうして現地の人達と一夜を共に過ごしてみて、この国の混血化が進んでいることに気づかされるのである。 スペイン人との混血は土着化し、完全にインディオ化したと云える。

同じ南米であるウルグアイやアルゼンチンでみられる白人的西欧化ではなく、カボクロ(混血土着)化という道を歩んでいるといっていい。

これも進化の一方向性であろう。

ベネズエラはすでに温血95%といった表現が許されるのではないだろうか。

 

ベネズエラは、石油収入によるインフラや社会資本は充実し、潤沢だが、その豊かな資金を使いこなせていないようである。 投資したすべてのものに対して機能していないように見受けられる。

例えば、立派なゴミ箱があっても周りがゴミだらけであり、ゴミはゴミ箱へといった教育や習慣に行き着ていない。 どこへ行ってもゴミであふれ、メンテはなされず、街は雑然としている。

その雑然とした公園には、地中に埋設した原油のパイプラインが敷設され、中継パイプのバルブがむき出しに光っている文明的機能美に出会い、違和感を感じてしまうのである。

 

<コロンビア国境越え>

   国境越え   🚙移動 <ベネズエラ/カラカスコロンビア/ ボゴダ>

   バス会社  :   BERLINAS BUS   @245,000Bs

 

         カラカス/Caracas 16:30 発 ➔ 06:00 着 国境の街/サンアントニオ/San Antonio(ベネズエラ) 

 

         ======国境越え   出国税 20US$ <時差発生 マイナス1H>

                 (国境越えタクシー代/国境➔ククタ @25US$)

 

   ククタ/Cucuta  4/8  07:30発➔ ボゴダ/Bogota  4/9 22:00着(コロンビア)

 

 

<コロンビア国境の越え方> 

ベネズエラ側 国境の街サンアントニオでタクシー(25US$)に乗って、国境で出国税20US$を支払い<出国スタンプ>を押してもらい、国境を越え、コロンビアの入管で<入国スタンプ>をもらい、コロンビア側 国境の街ククタにたどり着く。

ククタ/Cucuta で待っていた同じ国際長距離バスに再乗車し、目的地ボゴダに向かう。

 

時差が発生しているのだろう、朝6時だというのにまだ暗い。

ベネズエラ国境の街サンアントニオで起こされ、バスから降りて、タクシーで国境を越え、コロンビア国境の街ククタで待つこのバスに乗って欲しいとの運転手からの伝言である。

私以外の乗客45人はこのままバスに乗って国境を越えるという。 そのなかただ一人での国境越えはいつもながら不安なものである。 

どうもベネズエラとコロンビア間の国境越えは、両国民は協定により簡易入出国審査で済むようで、バスに乗車したまま手続きを終えるようである。

ただ一人の日本人のため、時間のかかる入管手続きを、全乗客がバスに乗って待っていてくれたようである。

 

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コロンビア国境越えのシボレーとドライバー・ジョー    コロンビア国境近くにある検問所

 

当初、 国境でわたし一人がバスを降ろされた事情が分からず不安であった。

乗せられた旧型のシボレーにも驚いたが、タクシーの運転手ジョーはボリュームいっぱいのジャズを流し、サンアントニオから国境にある入国管理事務所に立寄り、コロンビアのククタまで飛ばしてくれた。

それもラジオに聴き入ってしまい、入管を素通りする始末である。

驚いて、「パスポートに入出国のスタンプが必要だから入国管理事務所に立寄ってくれ」とジョーに言うのだが、英語があまり通じないようで、知っているスペイン語Necesita un sello de inmigración en su pasaportepor favor>を並べて、ようやく入管に立寄ってくれた。

 

何とも言えないのどかな国境越えではあるが、入管の入国スタンプなしでコロンビアに入ってしまうと、出国に当たって密入国者として扱われ大変なことになってしまうことを知っている者にとっては、知らずのうちに国境越えをしてしまったと、のんきなことを言っておられないのである。

 

バックパッカーとしては、国境越えの際、時としてタクシーに乗ることがある。

例えば、パラグアイのアスシオンからアルゼンチン側のイグアスの滝観光に行き、そこからブラジル側のイグアスの滝観光を終えて、そのままアスシオンに戻る場合など、タクシーは各国の入管に立寄らず(パスポートに入出国のスタンプをもらわず)に済むことが暗黙に了解されているのである。

ただし、出発地点のアスシオンに戻らず、そのまま旅を続けブラジルやアルゼンチンに入国する場合は、密入国者にならないために、必ず入国スタンプを入管でもらっておく必要があることを理解しておくことである。

 

ちなみに、出入国手続き補助・サンアントニオからククタまでのタクシー代は、チップを含めて30US$を支払った。

いつものことだが、国境越えは、スリリングであることはもちろん、緊張がはしり身構えるものであり、疲れるものである。

国家間の見えざる壁として存在するシンボルとも言える。 特に印象に残っているのは、政治・宗教体制の異なる国境であり、敵対国の国境である。

そこには冷徹な警察国家としてのスパイ、敵対者や犯罪者摘発の厳しい詮索が待っているからである。

徹底した身体検査、尋問調書、鉄格子の部屋収監、脅しや、強要(金品)、ほかカメラのフイルムを何度抜き取られたことか。

それぞれが懐かしいバックパッカーの思い出であり、個人的には隠れた勲章にも見えてくるものである。

 

 

 

■ 4月10日  コロンビア首都 ボゴダに🚐バスで向かう

 

コロンビアの国境の街ククトで、外国人観光客であるわたし一人の入管手続きを待ってくれていた乗客の拍手を受けながらバスに乗って、アンデス山脈の北端、標高2640mにあるコロンビアの首都ボゴダに向かってバスは喘ぎながら上って行く。

過行くアンデスの高山をぬってボゴダに向かう景色を見ていると、コロンビアは雲のなかの天上の国である。

眼下に雲をいただく峰々が見える、雲海が美しい。 街もすべて高い山の上にある。

バスも暖房をつけてくれているが底冷えがする。 乗客は、みな防寒具を身に付けているほどである。

 

<黄金郷/エル・ドラード/El Dorado>伝説の地

 コロンビアの都市文化は、広大なアマゾナスではなく、アンデスの高地に花開いている。 変化に富んだ美しい自然のなかに、インディヘナ文化というエル・ドラード<黄金郷>伝説を生んだ。

エル・ドラードは、大航海時代にヨーロッパで広まった噂である。

16世紀、コロンブスアメリカ大陸到達に続いて、多くのスペイン人が<黄金郷=エル・ドラード>の噂を聞きつけ、新大陸の富を略奪するため南アメリカへと押し寄せたのだ。

ボゴダの北約50km、ローカルバスで1時間半のところにあるグアタビータ湖の種族の首長が体に金粉を塗りつけて儀式を行っていた風習を聞き知ったスペイン人たちが、アマゾンの奥地アンデスに<黄金郷/エル・ドラード/El Dorado>があるという伝説を作りあげたようだ。

 

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 アンデスの山中の村ウカラマンガで昼食休憩          ボゴダに向かうバス

 

 

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                                              ボゴダ行バスは途中、ウカラマンガ村で休憩する

 

バスは、12:30ごろ、昼食のためウカラマンガ村に立寄り、休憩。

さっそくコロンビアでの生活費を引き出すためATMや両替屋を探したが、イースター休暇が続いているためか、ドルをペソに両替することが出来なかった。

今手元には、タクシーに乗ったさい、釣銭としてもらった4000ペソ(約5US$)だけである。

無駄に仕えないので、ランチはカラカス出発時に購入した非常食であるロールパンの残りをかじり、リンゴとチョコとフルーツジュースで腹を満たした。

バックパッカーの旅では、いつも非常時に供え、最低3日分の食料や水、アメやビスケットを携行食としてリュックに忍ばせておくことである。

「備えよ常に」<BE PREPARED>は、ボーイスカウト運動のモットーであり、バックパッカーのモットーでもある。

 

バスは昼食休憩を終え、13:00過ぎにボゴダに向け走り出した。

アンデスの北の峰々の山上を走り抜ける<天空のハイウエー>は、爽快そのものである。

 

4月9日夜、22:00過ぎ、コロンビアの首都、アンデス山脈の北端、標高2640mにあるボゴダのバスターミナルにすべり込んだ。 ベネズエラの首都カラカスを出たバスは、約30時間という長旅を終えることになった。

まずは、バスターミナルでのインフォーメーション、トイレ、ATMの所在確認である。

ATMでは、為替レートの確認のため、20,000ペソ(1US$=1538ペソ)を引出してみる。

続いて、2日間にわたるバスの旅での空腹を満たすため、焼肉定食(@6500ペソ)を注文、そのボリュームの大きさ驚いて、つい写真に収めた。

 

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                                                              すきっ腹を焼肉定食で満たした

 

▼4/10      Hotel Dann   @15US$

                  Calle 19 #5-72, Bogota (ボリバール広場近し)

       

 

■ 4月11日 ボゴダ散策

 

さっそく、近くにあるボゴダ旧市街の中心地、カテドラルや国会議事堂、裁判所に囲まれたボリバール広場/Plaza de Bolivalに出かけてみた。

広場の名前の由来となったシモン・ボリバールは、南米アンデスの5か国をスペインから独立させた人物であり、解放者として尊敬されている。 シモン・ボリバール像は、ここ国会議事堂前右手に建てられている。

 

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                                                                          カテドラル/大聖堂

 

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                                                          ボリバール広場に建つ国会議事堂

 

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                解放者シモン・ボリバールの像          ボリバール広場 国会議事堂を背景に

 

コロンビアの首都ボゴダは、アンデスの山並み、標高2650mの高地にあるだけに緑豊かで、街も昔懐かしいクラッシクな建物が並び、どこか哀愁に満ちた心温まる豊かさを感じる街である。

ただ治安が悪いのか沢山の兵士によるパトロールが街角で見受けられた。 

反政府組織や麻薬取締りの治安維持のための配置のようである。 

ゆっくりとボゴタを見て回る時間も限られているので、ボゴタを一望できるモンセラッテの丘(標高約500m)へ、ロープエー(往復$11,200)を利用し、散策してきた。

 

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                 モンセラッテの丘よりボゴタを眺望

 

標高2640mと高いボゴダの夜は実に寒い、外に出てみると凍でつくほどに寒い。 住民は毛皮のコートや、

ダウンジャケット、マフラ、手袋で防寒スタイルである。 アンデスの夏も終わりを迎えているようである。

 

▼4/11    Hotel Dann 泊    @15US$

     Calle 19 #5-72, Bogota (ボリバール広場近し)

       

 

 

■ 4月12日  エクアドル首都キトを目指す

 

<コロンビア / エクアドル国境越え>

コロンビアの首都ボゴタを出た国際長距離バスはコロンビアン・アンデスの高地を走破し、朝6時半ごろ、国境の街イピアレス/Ipialesに着いた。

全員バスから降ろされ、各自タクシーやコレクティーポ(相乗り @1000ペソ)に乗換えて15分先の国境に向かう。

 

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                                                                コロンビア/エクアドル国境           

 

まず、コロンビア側の出国スタンプをもらい、エクアドルの入国管理事務所へ移動、入国カードの提出、入国スタンプをパスポートに捺してもらい、税関で荷物検査を受ける。 この間,15分ほどだろうか、めずらしくスムーズにエクアドルに入国出来た。

ただ、どこでもそうだが陸路からの入国の際には、麻薬や大金、銃器の持込を防ぐため、無差別ではあるが、当局が目をつけた旅行者の荷物に対しては徹底的にチェックをしているようである。

陸路国境越えの場合は、国境での荷物検査のわずらわしさを考え、前もって検査を受けやすいように、分類整理し、中身が見えるように数個の袋にまとめておくとよい。

また、火気類(マッチ・ライター)や凶器類(爪切り含めカッターナイフや缶切り・小刀)、顆粒・粉末の漢方薬ほか麻薬に見られる、または みなされるものは、何時でも指示に従い破棄又は没収されてもいいように、一つの袋にまとめておくか、ホテルで始末しておくことをおすすめする。

一度官憲から怪しいとにらまれると、時間やほかの乗客の迷惑も考えずに、荷物の隅々まで、あらゆるすべての物を徹底的に調べられることを心しておきたい。

時には、金品要求のための言いがかり的検査も、残念ながらあることも心得ておきたい。

また、バックパッカーの自由な服装や、パスポートに見られる無数の入出国スタンプは、検査ターゲットの標的となっていることも無視できないと云える。

 

エクアドル入国を許可された者は、入管前からタクシーやコレクティーポに乗り、エクアドル側国境の街トウルカン/Tulcanで待っているバスに向かった。

 

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トウルカン・ バスターミナル(エクアドル国境の街)   エクアドル北方の村イバラ/Ibarraを通過

 

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          バスで親しくなったエクアドル家族と、途中の村で記念写真

 

15:30 キトにあるカルセレン北バスターミナルに無事到着した。

 

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             キトにあるカルセレン北バスターミナルに到着したバス

 

▼4/12  キト旧市街  ホステル スクレ <Hostal Sucre>   @2US$

      キト旧市街のフランシスコ広場近くにある4階建てのビルの中にある。

      ホステル受付は2階にあり、宿泊者以外は入れないはずだが、盗難に注意。

      <スクレ>は、エクアドルを独立に導いた将軍・英雄の名前とのこと。 

      日本人バックパッカーの定宿、日本語情報交換ノートあり。

 

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                  ホステル・スクレ / HOSTAL SCURE              

 

 

■ 4月13日 エクアドル首都 キト散策

 

宿泊先のホステル・スクレは、長距離バスターミナル<カルセレン>より、北西へ700m、サン・フランシスコ広場の近くにある。 独立広場にある市庁舎を中心に碁盤の目に区割りされたキト旧市街にあり、南側にパネシージョの丘が、キトの街を見下ろしている。

 

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      ホステル後方にあるパネシージョの丘           パネシージョの丘の聖母像

 

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   パネシージョの丘よりキト市街を眺望           独立広場に建つ独立記念碑

 

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    ラ・コンパーニア教会(イエズス会)         ラ・コンパーニア教会聖堂内

 

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     サン・フランシスコ教会             サン・フランシスコ聖堂内

 

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    エクアドル大統領宮殿(独立広場)           ランチのココナッツ・カレー

 

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         カテドラル(独立広場)               カテドラル聖堂内

 

 

 

■  4月14日  アンデスの山並みを走り、ペルー首都リマに向かう

 

キトからリマへの直通国際バスは、週に2便ということで、待ち時間を有意義なものとしたいために念願のアンデス縦走のバスの旅にでかけ、そこからリマへの直通バスが毎日出発しているグアヤキルへ向かうことにした。

 バスターミナルからバス<リオバンバ行>に乗ると、アンバートにかけての<アンデスの廊下>とも、<エクアドル・ボルケーノ・アベニュー/Ecuador Volcano Avenue/火山通り>とも呼ばれる美しいアンデスの山岳風景のなかをバスは走り続ける。

エクアドル富士と日系移民に呼ばれているコトバクシ山(世界最高峰の活火山・標高5896m)、続いてイリニシ山(5263m)、その先に雪帽子をかぶったトウンガウラ山(5016m)、そしてエクアドル最高峰チンボラソ山(6310m)の勇姿を眺めながら、豪華なアンデス山稜を観賞できる。

平均標高2800mの道路から見る山並みは、富士山より高い5000~6000級の山々がとても低く見えるものである。

バスではあるが、アンデス山脈を縦走していると思うだけで、血潮がたぎり、夢の実現に満足したものだ。

 

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      エクアドル富士> コトバクシ山(世界最高峰の活火山・標高5896m)

 

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         アンデスにそびえるエクアドル最高峰チンボラソ山 (標高6310m) 

 

リオバンバからは、太平洋岸のグアヤキル行のローカルバスに乗り、ここでリマ行きのオルイメーニョ社の国際長距離バスに乗換えた。

グアヤキルからリマへのバスは毎日一便(US$55)あり、パンアメリカン・ハイウエーを走る約30時間の長旅である。

 

3か月にもおよぶ南米大陸一周の旅も、終わりを迎えつつある。

出国の日も決まっているので、フライトに間に合うようにペルーの首都リマに向かわなくてはならない。

その前に、帰国に備えてグアヤキルの路地裏の散髪屋で身支度をすることにした。

 

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                 坊主頭なのに路地裏で帰国前の整髪

 

ベネズエラからは、ほとんど駆け足の旅となったが、残されたリマまでの北部インカの世界にひたりながら、パンアメリカン・ハイウエーのバスの車窓から太平洋岸の景色を楽しみたい。

 

エクアドル ➔ ペルー  🚐国際長距離バスによる国境越え>

    グアヤキルエクアドル)4/13  12:30am発 ➔ リマ/(ペルー)4/14  18:30pm着  

    所要約30H / @55US$

    バス会社 : オルイメーニョ社

 

    グアヤキル 3H エクアドル側国境の街 マチャラ 1H エクアドル入出国管理事務所

     ⇓

    国境 両国の入出国管理事務所で出国・入国のスタンプを受けておくこと

     ⇓

    ペルー入出国管理事務所 ペルー側国境の街トウンベス ➔ リマに向かう

 

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              オルメーニョ社長距離バス<グアヤキル➔リマ>

 

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     オルメーニョ社長距離バス<グアヤキルリマ> 車中スナック & 食事

 

帰国日が設定されており、それもあと2日になり少し慌てている。

何となく帰国準備のこころにモードが切り替わっているのか、過ぎゆくプレ・インカ時代のチャンチャン遺跡、エル・ブルホ遺跡や、太陽のワカ・月のワカ(古代先住民の墓)の横をバスが走っているにもかかわらず、心ここに在らずである。

もったいないような、そう度々来られそうにもない南米大陸であるのに、リマへ急がなければならないのは残念である。

 

エクアドルグアヤキルを昨日お昼に出た長距離バスは、リマ/Lima(ペルー)に翌日、太陽が沈むころ18:30pmに到着した。

 

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               太平洋に沈む太陽  リマ近郊カラオ/Callao

 

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                アンデスの山々に囲まれたカヤオ港(ペルー)

              Callao Port (Peru) surrounded by Andean mountains

                   Water Color Paiting by Sanehisa Goto

                  Jan. 28, 2014

 

▼4/13   長距離バス 車中泊

 

 

■ 4月14日  18:30pm リマ到着

 

この1月23日にリマを出発し、約3か月の南米大陸一周の旅に出かけて、ようやくリマに戻ってきた。

道中、予定のスケジュールは大幅に変更され、自由気ままな旅となってしまった。 また、ブエノスアイレスでは置きひきに遭い、カード類や現金を盗られるというお粗末をしでかしたり、夢を追いかけて南極に足を延ばしたりと、我が人生の如く波乱万丈の旅でもあった。

お陰で、後半は日程との競争となり、駆け足の旅になってしまったが、スケッチを楽しめたことはせめての慰めである。

また一つのドラマを、ここ南米大陸に残すことになった。

南米最後の夜を、ここリマ旧市街のアルマス広場近くにある日本人バックパッカーの定宿である<アルベルゲ(宿)沖縄/ Alberge Okinawa  >のドミトリーのベットで過ごすことにした。

 

▼4/14   リマ宿泊   Alberge Okinawa  @9US$

              Jr.Lampa 286, Lima

 

 

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                                                宿 Alberque OKINAWA 入口 と ドミトリ4人部屋

 

 

■ 4月15日 帰国の途につく

 

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          宿近くのカテドラルで旅の無事に感謝の祈りを捧げ空港に向かう

 

帰国便(3か月オープンチケット) リマ/#AA2110/07:05発13:40着マイアミ/#AA2617ロスアンジェルスAAで成田経由関西空港帰宅

 

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           リマの<ホルヘ・チャベス国際空港>より帰国の途につく

 

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                  南米大陸に別れを告げる

 

 

南米大陸に別れを告げる>

南アメリカ大陸は、エル・ドラードという、黄金郷としてヨーロッパの列強、特にスペインと、ポルトガルが押し寄せ、その強力な武器による脅しと、偽りと、強欲によって黄金を強奪した。

その上、土着の生活や、文化文明までも破壊し、植民地として富を吸い上げ続けたが、現地の不満の爆発によって為政国より独立を果たした。

搾取の過程で、侵略者もまた土着化し、今の南アメリカスペイン語圏とポルトガル語圏を中心とした現在のコミュニティー国家が出来上がった。

コロニアル文化を花咲かせ、往時の姿を色濃く残しているのも南アメリカである。

一方、西欧化した摩天楼がアンデスの山中、それも4000m級の山岳地帯に見られるのも驚きである。

特に南米北部は、人種のるつぼが、分離を繰り返して、土民化に向かっているようにみうけられる。

南北においてその交配の分布が、乖離しつつあるように見受けられた。

ましてや、ながい地球歴史からしてそのものの地穀変動、地球温暖化により、南アメリカ大陸は幾つかに分裂するかもしれないし、海底に沈み、新しい陸地が代わりに誕生するかもしれないと想い描いてみた。

人類の未来の不安定さが、理解できるような気がする。

いまを生き、いまの人々の生活に触れ、その姿をスケッチにし、書き残すこともまた、未来の人類への継承だと思うと、楽しくも意義ある旅であったと思う。

いま、小さい島国に向かって帰る己の小ささにも笑えてくるものがある。

 

星の巡礼 南アメリカ一周の旅 21000km』の日記を書き終えようとしたとき、

2022年2月24日、ロシア帝国再興の夢にかられた一人の人間の狂気によって、同族であるウクライナの抹殺に手を染めだした。

まるでスペイン軍ピサロが自分の欲望を満たすために、アンデスに平和なインカ帝国を築いていたアタワルパをだまして財宝を強奪し、その帝国を滅亡に追いやった歴史的事実と重なった。

人間のあくなき欲望と妄想によって、殺戮と破壊を繰り返しているように見えてならない。

 

殺戮や破壊には、人間の英知も、宗教も役に立つことは一つもないという空しさを感じつつも、最後の人類愛を信じ、平和と自由な日がもどることをを願いつつ、この旅の日記をしめくくりたい。

 

どうも、地球の消滅よりも、人類の滅亡の方が速いようだ。

こころして毎日を、自由と平和のなかに生きたい。

 

合掌感謝        

志賀の里 孤庵にて  後藤實久 記                 

 

 

 

<参考資料>

南米大陸一周21000㎞行程表(スケジュール表)

 

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■<南極大陸一周21000㎞携行品リスト


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          『星の巡礼 南米一周の旅 21000m』 Ⅲ

 

                   

 

 

 

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