■<潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km 10日目―④> 2018年9月10日
― 9日目露営地・擢坂岩公園 ⇒ 西海大橋公園 ― 走行距離 31km
<9日目露営地・擢坂岩公園を出発し、黒島の潜伏キリシタンの集落をめざす>
9日目の露営地である外海にある擢坂岩公園にて、眠られない夜をおくり、4時起床とあいなった。
虫たちが大合唱するなか、涼しい東シナ海の風に吹かれながらの撤収である。ヘッドランプに黄色いテントが
暗闇に浮かび上がる。
込まれていく。すっかり明るくなった。清掃と祈りを捧げて、黒島の集落めざしてスタートを切った。
早朝4時起床 (外海・擢坂岩公園) 佐世保経由、 黒島に向かっての出発準備を終える
<外海・大野集落・大野神社>
外海の大野集落は、神道の信仰を装いながら神社に自らの信仰の対象を密かに祀って信仰を続けた潜伏キリシタンの集落である。外海の各集落から移住先である黒島・平戸島・生月島・五島列島の各地にその信仰形態が拡散していったと言われる潜伏キリシタンの故郷と云っても過言ではない。
早朝の大野集落を、サイケなファッションがお似合いの老婦人が海岸側から国道202号線を横切っておられるのに出会い、ついお声掛けをした。地元、大野集落在の松崎虎夫氏の奥さまで、光恵さんと名乗られた。82歳とは思えない記憶力をおもちで、親から聞かされた潜伏キリシタンの話や、島々にある探鉱が閉山に追い込まれ生活に困窮したことなど貴重な話をお聴きすることができた。
国道を見下ろす「大野神社」も、多くの潜伏キリシタンが氏子になりすまし、弾圧を逃れていたという。
実際、大野神社の縁起を書き記している案内板には、潜伏キリシタンとの歴史的かかわりについての説明は
一切書かれていない。
日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けた潜伏キリシタンの信仰継続にかかわる伝統の証となる遺産群である。
それらは、潜伏キリシタンのはじまりからその形成、維持、拡大の段階を経て、あらたな信仰の局面の到来によって伝統が変容し、終わりを迎えるまで、潜伏キリシタンの伝統の歴史を語るうえで必要不可欠な12の構成資産からなる。それらは、大航海時代のアジアにおいてキリスト教宣教地の東端にあたる日本列島の中で、最も集中的に宣教が行われた長崎と天草地方の半島や離島に点在している。」と書かれている。
<大野教会堂>
大野神社前で語り部・松崎光恵さんと別れ、山手への坂道を上がり、「天国への階段」と言われる急な石段を
外海・大野集落もまた禁教後も信仰を守る潜伏キリシタンが多かった。開国後、明治政府は禁教を続けたが、「浦上四番崩れ」などの迫害に対する西洋諸国の批判で、1873年には信教の自由を黙認した。その少し前、大野地区の信者が信仰を表明すると棄教を迫られたが、次第に黙認されるようになり、約30戸がカトリックに復帰したという。
「天国への階段」と呼ばれる石段 大野潜伏キリシタンの集落のマップ
<西海市を自転車で走る>
振り返れば、今朝立寄った外海の切りたった海岸が突き出ている。この海岸に「沈黙」主人公・ロドリゴ神父らが闇夜に紛れて上陸した。またこの広大な海原に向かって、外海の潜伏キリシタン達は弾圧を逃れるため舟をこぎ出した海岸でもある。わたしもこの外海の断崖の上で一夜の露営したことを思い出し、感無量である。
外海の空に架かる白雲に、潜伏キリシタンたちが切望した自由と平和を見る思いである。
国道202号線で西海市に入る(沖の炭坑島・池島) 国道202号線より振り返った外海の切りたった海岸線
<中浦ジュリアン記念公園―資料館>
国道202を走っていると、県道43への分岐4km手前を左に入ったところ、海に面した小高い丘の上に「中浦ジュリアン記念公園と資料館」がある。中浦ジュリアンは、すでに訪れた原城にある有馬セミナリヨの中から選ばれて、天正遣欧少年使節の一人として加わっている。帰国後、中浦ジュリアンはローマの神父宛にラテン語の手紙(下記写真)を書き送っている。当時の様子を知るうえで貴重な資料「中浦ジュリアンの手紙」として展示されている。
口之津での宣教活動からはじめ、1633(寛永10)年、64歳で捕縛されるまで潜伏神父としての使命を果たし、長崎の西坂で中浦ジュリアンは他の7人と共に逆さずりにされた。遠藤周作著「沈黙」中に登場するフェレーラ神父もその中におり、彼のみ棄教して「転びバテレン」と称された。その苦悩のいったんは、映画「沈黙―サイレンス」でのロドリゴ神父への棄教のすすめでの対面に見ることができる。
(詳しくは<Jesuits of the "Christian Century" in Japan 中浦ジュリア ン>を参照)
国道202から県道43に入った坂道で、再びチューブの空気圧がダウン。佐世保から南下中のT君の高性能エアーポンプを借りて、65%(58PSI)の空気圧を回復し、目的地へ向かった。
自転車に備え付けたエアーポンプは、あくまで緊急用であることに留意すべきである。今回も佐世保市内の
スポーツデポのサイクルコーナーでワイルド・ローバー号の最適空気圧(90PSI)に加圧してもらうことになった。
感謝である。
▲10日目露営地 西海市西海公園にて露営 テント泊 <夕陽絶景ポイント>
肥前大島手前の国道202号線と県道34号線の分岐を右へ約3kmの坂を上って行くと「道の駅さいかい」に至る。暑さをしのぐため、道の駅で水補給のあと、駐車場横の東屋でしばらくの仮眠をとる。その間、濡れ蒸れたスニーカーやハンカチと靴下を洗い、天日干しをする。
ここ道の駅からは、県道43号線を一気に急な坂を下り、国道202号線にある西海町川内の信号にでる。
西海橋入口の左側に「魚魚の宿」があり、宿の前の駐車場を突っ切ると、丘に向かう急な遊歩道がある。途中にある東屋(今夜の露営地)をへて「西海橋公園」に着く。階段を上がると公衆トイレを兼ねた展望休憩場があり、ここからの夕陽、新旧の西海橋、大村湾の絶景を、おおくの地元の方々が楽しんでおられた。
北の方角にそびえ、三角地点に建つ三本の巨大な円柱に驚かされる。「針尾三角無線塔」である。解説板によると、
ここ西海橋公園から見る夕陽と鱗雲の照り返しの美しさに、時間の過ぎるのを忘れて見とれてしまっていた。
夕陽観賞をされていたお一人、山下絹代さん(82歳)にお声掛けいただき、落日の美しさのなか、山下さんの82年の波乱の人生物語に耳を傾けた。各人の人生は、それぞれの物語の中に書き込まれ、完結されていることに深い感慨を覚えた。
深夜、予報通り雨となった。星空の代わりに新西海橋のLEDライトが霧雨にあやしく煌めいて迫ってきた。
いよいよ、佐世保市に入る。ようやく「星の巡礼潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅」も10日目、349kmのターニングポイントにさしかかった。体調も変わりなく、自転車の旅を楽しめていることに感謝の祈りをささげながら、深い眠りについた。
真夜中、激しい雨音に眠りから覚め、あれこれと思いにはせた。
奥に大村湾を望む
<人間とは不思議なものだ> 9月11日 深夜2:18am テントの中で想う
思い描くだけで風になり、花のこころにもなり、落ち葉の心境にもなれる。
苦しい時も、楽しいと考える力があり、出来の悪い子だと言われながらも何か一つ取り柄が備わっている。
賢いだけが、綺麗だけが、不幸だけが人間の世界でないのが実に面白い。
心の持ち方、考え方一つで、どんな状況にでも、どんな方向にも、おのれをコントロールできる。
人間はそんなこころの生き物として、神は創造されたのだろう。
人間とは不思議なものだ。 迫害するのも人間だからである。
神はなぜ人間という生き物を創造したのだろうか。
神は人間に何を求めているのだろうか。
人間はどのように応えたらいいのだろうか。
潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km 11日目
2018年9月11日 ― 西海大橋公園 ⇒ 黒島 ― 走行距離 32
につづく
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<外海・黒崎集落・バスチャン屋敷跡> 長崎市指定史跡
禁教令により外海地方の神父がすべて追放されたあと、洗礼名バスチャンという日本人伝道者が潜伏キリシタンたちを指導したといわれている。 バスチャンは追っ手から逃れるため、隠れ家を転々としたと伝えられており、この地もその一つといわれている。
外海・黒崎集落にあるバスチャン屋敷跡
外海・黒崎集落にあるバスチャン屋敷跡の内部