■<潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km 9日目―③> 2018年9月9日
― 外海(そとみ)・黒崎教会 ⇒ 外海・出津教会 ― 走行距離 8 km
まもなく国道202号線の坂を下りだすと、黒崎漁港が目に飛び込んでくる。そして高台に、煉瓦造りの黒崎カトリック教会が海を見下ろすように建っている。
教会入口付近に咲く可憐なヒメサユリが迎えてくれた。
聖堂は信徒が奉仕と犠牲の結晶として一つひとつ積み上げたレンガで造られている。煉瓦造、平屋、
桟瓦葺(さんかわらぶき)の簡素な構成が煉瓦の美しさを際立たせており、深い奥行を持つ内部は
リブ・ヴォールト天井と呼ばれ、ステンドグラスが印象的だ。付属する鐘楼は隠れキリシタンの帰依を願って
設置されたものであるという。
煉瓦造りの黒崎カトリック教会 教会への小道に咲くヒメサユリ
<枯松神社 祈りの岩>
左手に黒崎漁港をみながら自転車を走らせると国道202号線は橋を渡って黒崎教会の前に出る。その橋を渡る手前の道を右に入って、1kmほど先に枯松神社がある。
潜伏キリシタンの祈りのすがたが目に浮かんでくるようだ。
昼なお暗き枯松神社 <祈りの岩 > オラショ(祈り)が聴こえてきそうだ
外海・黒松集落付近で再会したモンキアゲハ
<道の駅 夕陽が丘 そとめ>
黒崎カトリック教会より、国道202号線の上り坂をすすむと、城山から小城鼻への断崖に向かう丘陵に「道の駅 夕陽が丘 そとめ」がある。ここから見る東シナ海は、絶景ポイントである。また外海より弾圧を逃れて移住した平戸・生月・黒島・五島列島への船出の地でもある。
道の駅 夕陽が丘 そとめ
また、遠藤文学の原点とされる小説『沈黙』の舞台となった外海、主人公であるロドリゴ神父らがキチジローに案内され上陸した外海の浜を見下ろしている。
遠藤周作文学館の入口には、遠藤周作の等身大写真とマーティン・スコセッシ監督作品『沈黙‐ サイレンス‐』のポスターが出迎えてくれた。いま、わたしは潜伏キリシタンの原点に立っているというだけで、この星の巡礼を成し遂げたような満足感と、言い知れない幸福感を味わった。そして、挨拶文には・・・
『沈黙』の舞台“外海”で、遠藤周作の魂が静かに語りかける
「長崎市外海地区は、海、山、川の豊かな自然とその美しい景観をはじめ、独自の歴史と文化など地域
固有の資源に恵まれている。
信仰が脈々と息づき、キリシタンの里と呼ばれており、遠藤文学の原点と目される小説「沈黙」の舞台と
なった所である。
『神様が僕のためにとっておいてくれた場所』と称した外海、この場所に、平成12年に遠藤周作文学館
が完成した。
遠藤周作と外海地区との縁は、「沈黙」執筆から始まり、これまで文学碑建立等をとおして築かれた
ものである。
館内に一歩足を踏み入れると、グレゴリオ聖歌が優しく迎えてくれる。エントランスホールには、
「沈黙」の文学世界と外海の海をイメージした青を基調とするステンドグラスを配し、展示室内には、
西洋へと繋がる西側に海を見渡す出窓を設けることで、作家の精神世界を象徴している。
作家の精神を感じる圧倒的な風景美とともに、遠藤周作の文学と思想を体感していただければ幸い
である。」 (解説書より一部抜粋)
館内には遠藤周作の生前の愛用品、遺品、生原稿、膨大な蔵書などが展示され、彼の生涯や足跡が紹介されているだけでなく、遠藤周作のこころの葛藤が満ちあふれている空間であり、神との真摯な向きあいの場でもあった。
海に突きだした出窓から、天と海をぼかしている一本の線、そう、水平線の向こうの世界を想像している自分に気付かされる。
いま、わが志賀の里にある孤庵にも旭日が差し込み、フォーレのレクイエムが静かに流れている。
静寂はわがこころを柔和にし、外海の海の沈黙がこころいっぱいに満ちてくるのを覚える。
遠藤周作文学館の入口
出迎えてくれた狐狸庵先生 マーティン・スコセッシ監督「沈黙―サイレンス―」
<外海・出津集落―出津文化村> (出津・しつ)
遠藤周作文学館より、国道202号線を出津港を左手にみながら1.5kmほど走ると、出津集落に着く。現在、国道202号線を長崎市より佐世保市に向かって、西彼杵半島西岸を東シナ海沿いに北上中である。時々、地図を引っ張り出して現在地を確認しないと、あまりの海の美しさに己を失うことしばしばである。
外海・出津集落
まじっていた黒崎、出津は、幕府の禁教令がゆるく、多くのキリシタンがいたという。
半年後、密かにやってきた神父のもとに200戸がカトリックに復帰したといわれている。
ている。
遠藤周作「沈黙の碑」
出津文化村入口付近に、遠藤周作の沈黙の碑『人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです』
が建つ。この碑の後方に、遠藤周作文学館を遠望することができる。
国道202号線の出津文化村入口より道なりに進み、「沈黙の碑」を過ぎて、400mほど自転車を
走らせると右手に「出津カトリック教会」が見えてくる。前後の尖塔にマリア様と十字架があり、
その壮麗であって清楚な佇まいは潜伏キリシタンへのいたわりと自信を感じさせる。
長崎教育委員会の説明を要約すると・・・
国指定重要文化財である出津教会は、明治12(1879)年に外海地区の司祭として赴任した、
フランス人のマルコ・マリ・ド・ロ神父により設計・施行された教会である。初期の教会は、煉瓦造りの
壁面、内部の漆喰塗、木造桟瓦葺寄棟造り、内部は三廊式平天井であった。その後の増築拡張により、
屋根の祭壇部が切妻造りに、厳寒部を拡張し、鐘塔を建てたとある。
出津教会
潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km⑫
2018年9月9日 ― 外海・出津教会 ⇒ 9日目露営地・擢坂公園
につづく
shiganosato-goto.hatenablog.com