『びわ湖冬景色―近江の歴史をたどる老人自転車ひとり旅』 ④
<義仲寺> (大津市番場1丁目)
義仲寺に何度も足を運ぶのは近江をこよなく愛した「芭蕉の墓」があるからである。
義仲寺の名は、源義仲を葬った塚のあるところからきている。
境内にはこの句をはじめ、芭蕉辞世句など多くの句碑があり圧巻である。
<旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる> 芭蕉―辞世の句
義仲寺山門 と 巴地蔵尊 (山門右)
青地に白の旗が目印である。パンク修理の空気入れや、工具など万一の故障に対してのサポート
を受けられるそうである。
<なぎさ公園> WC/水補給/自販機/コンビニ
近江大橋を望む
膳所城跡の湖岸際の浜にテントを張り、暮れゆく時間に身を任すことにした。
これこそ自然の中での楽園体験といえようか・・・
命を与えられているものすべてが、天なる姿を見せてもらい、天に誘われていることの幸せをかみしめるひと時といえる。
朝、砂浜に打ち寄せるさざ波のささやきに目を覚ますと、対岸の山間から朝日が顔を出し始める。
水鳥たちが羽ばたき、一斉に喜びの声を上げ、繰り返される天地創造の朝が騒々しさの中に再現されていくのである。
大工事を成し遂げる。
また、京から東国へ密使が放たれた場合、この膳所城でまず抑える必要があったともうかがい
知れる。
信長は天下を征するにあたってこの地、びわ湖の水の利、地の利を誰よりも理解し、戦略に
取り入れた武将であったといえる。
膳所城そのものが、関所としての役目も果たしていたのである。
『びわ湖冬景色―近江の歴史をたどる老人自転車ひとり旅』 ⑤
につづく
<露時雨(つゆしぐれ) もる山遠く 過ぎきつつ 夕日のわたる 勢多の長橋―広重>
膳所城の概略平面図
夕焼けに映える近江大橋
膳所崎からみる対岸の夜景