『トンザン-サザジョウ道・白骨街道慰霊』 2
ティディムの中心街、アラカンの太陽がまぶしい
旧激戦地ティディムに着く、半数の乗客が降車
■参考資料: 読売新聞 『戦後70年に学ぶミヤンマー白骨街道のいま』 (動画)
太平洋戦争の中でも最も無謀な作戦といわれた「インパール作戦」。飢えやマラリアなどの病気で消耗した兵士たちがばたばたと倒れた退却路は「白骨街道」と呼ばれた。その1ルートで、長らく外国人の立ち入りが規制されていたミャンマー西部チン州の「ティディム道」に入った。現地では、戦後70年たった今でも旧日本兵の遺留品が数多く残され、日本に帰れない遺骨が眠っている=東京写真部 川口敏彦撮影 2015年3月23日公開
(動画によりティディム 村近辺で見つかった日英軍の遺留品を紹介しています。ぜひご覧ください)
マニプール川を渡るとトンザンにむかって上りが続く
マニプール川は将兵の道しるべ・水源であった
マニプール川はアラカン山脈の銀の道である
ジンギスハン作戦の主役たちの子孫か
アラカン山脈標高1480mあたりにトンザンがある
アラカン山脈の山村トンザンに到着した
『インパール作戦退却路・アラカン山脈白骨街道における露営・慰霊紀行』⑧
『トンザン-サザジョウ道・白骨街道慰霊』 3につづく